投稿

1月, 2025の投稿を表示しています

真夜中の冒険

 真夜中、それは一日の中で最も俺の脳内が活発になる時間帯でもある。 エアコンのタイマーが切れる。 無風状態で室内温度が上昇し、寝苦しさと共に息苦しさで目が覚める。 傍らの妻は熟睡しており、日中の働きすぎぶりを慮ると起こそうという気はとても起こらない。 エアコンのリモコンの所在は妻のみが知っている。 仮に枕元にあっても手に取って電源を押すのは容易な作業ではない。 「ぐあーっ」と呻いて見るが、「スー、スー」と言う安らかな寝息が聞こえるのみだ。 目がさえてくると暑さが増幅する。 冷気から体を守るタオルケットが鬱陶しく感じられる。 しかし、背中と敷布団との間に挟まれ、足で蹴っても広がらない。 ちなみに足はある程度動くが腕には力が入らない。 こんな時、頼りになるのは足の力を利用した寝返りである。 左右の寝返りを繰り返し、体に巻き付いたタオルケットを解くのだ。 足元に追いやったタオルケットに渾身の一撃を加えて分離するのは快感の一言である。 寝台横の車椅子に両足を乗せると幾分涼しくなる。 このまま熱帯夜をやり過ごそうと思った瞬間、この夜最大の難局を迎える。 尿意をもよおしたのだ。 この程度の尿意なら夜明けまで我慢できるかも、そう思えば思うほど覚醒して、尿意も危険水域に近づいてきた。 外はまだ真っ暗だ。 その時、トキオが唄う中島みゆきの楽曲が脳内にこだました。 自分の運命は自分で切り開くべし、そう意を決した俺は両足を電動車椅子の下部に引っ掛けた。 この3週間、寝台から車椅子への移乗は妻の補助の下で行われてきた。 深夜に独力で移乗を行い、便所の扉を開け、便器に移乗し、用を足し、それまでの手順の逆戻りで寝台に帰還する、というのは今の俺にとっては月面旅行級の大冒険なのである。 衰えた腹背筋と腕力であっても、その力を合わせれば寝台の上に座ることができる。 問題は車椅子への移乗である。 上がらない右手を左腕で運び、車椅子の骨組みに指を絡ませる。 左手で右手を包み、足を肩幅に開き、やや前かがみになる。 全身に力を込め、立ち上がろうとする直前、右足に痙攣が走り止まらなくなった。 「焦るな。俺はトイレに行きたいだけなんだ」という孤独のウリネ状態になるも、深呼吸を繰り返して平静を取り戻すことが出来た。 苦笑いを繰り返し、脂汗がシャツに滲んでも誰も見る者はいない。 俺に必要なのは前のめりになっ...

道路陥没事故ヘの疑問

 埼玉の道路陥没事故で落下したトラックの運転手が未だに救出されていない。雪山や海上でヘリコプターから救命隊員が降りてくる難易度と比べるとたかが10m下にいる人を引き上げるのは容易だと思うのだが、NHKのニュースでは「救助が難航している」というばかりでその納得できる理由は一向に報道されない。トラックの荷台部分だけクレーンで引き上げたのも疑問だ。「意味ねーじゃん」と思ったのは俺だけであろうか? 事故発生当時は呼びかけに応答していた運転手、今は安否の確認ができないという。「助かった」と思って、救助を待っていたのに、いつまで待っても救助が来ないのは地獄の苦しみだろうな。携帯電話かトランシーバーを渡しておくことはできなかったのだろうか? 運転手が所属する会社や姓名が公表されないのはプライバシー保護のためだろうか? 下水道って漏水センサーとかついてないのだろうか?

父の威厳

 今日は旧暦の元旦だ。長男、次男、三男は妻の実家がある浦項に向かった。長女に「お前は行かないの?」と尋ねると「お母さん一人だと外出できないから残ることにした。それに来年受験生だからね」という答えが返って来た。 大村に移住する前は毎年のように家族全員で妻の実家を訪れ、義父母が準備する料理に舌鼓を打ち、妻の姉妹家族と楽しい時間を過ごしていた。その料理は主に海産物で、食卓には刺身の大皿と白身魚の天ぷらとカセットコンロの上で煮立っている海鮮鍋が並ぶのが定番だった。「あの頃は幸せだったな」と思う。義母はガンを患い去年の3月に天国に旅立った。義父は交通事故による骨折は全快したが心臓の持病を抱え健康とは言えない状態だ。本来であれば、俺が率先して妻子を連れて馳せ参じ義父を元気にする役割を担っていたはずなのに、何もできない自分がもどかしい、いまさらだけど。 子供たちに「動画を撮って送ってくれ」と頼んだ。送られてきた動画に映っていたのは三男が従姉妹と遊ばずにiPadでゲームに興じる様子だった。激怒した俺は三男にゲーム禁止のお触れを出し、長男と次男に「おじいさんを元気付けることやおじいさんの思い出になることをしなさい」というメッセージを送った。 まだ彼らから返事は来ない。父の威厳が試されることになったが、後悔はしてない。

自由に生きる

 闘病記(大村編)を読み返してみた。自分で言うのもなんだけど、面白い。文章は遊び心に溢れているし、オチもついている。「あんな瑞々しい文章を書いていたのか」と自分でも驚くほどだ。しかも、闘病記と銘打っていながら悲壮感は微塵もない、どちらかというと、希望すら感じられる。 あれから五年半が経った今、病気の進行が安定期に入ると共に筆力も老衰しているような気がする。無理もない。あの頃は毎日外出していたし、刺激も多かったからなあ。闘病記に意図的に登場させなかったお客さんも多かったし、塾生や介護チームとも定期的に会っていたもんなあ。子供たちも新しい学校で新学期を迎え、まるで自分が学校に通うみたいに不安と希望が入り交じっていたからなあ。 読んでみて思い出したことがもうひとつある。環境の急激な変化に対する防衛策だったのか、長男と次男は日本にいた時はギターとスマホゲームばかりで勉強していなかった。彼らは釜山に再移住してからは人が変わったかのように勉強し始め、通常より二年遅れて大学に進学した。 彼らは俺のわがままの犠牲者だ。しかし、俺は話せるうちに日本の親戚や友人に会っておきたかったんだ。そう考えると闘病記の瑞々しさにも合点がいく。老衰した今彼らに「これからはお前たちの番だから自由に生きなさい」と言いたい。

会長を批判してみた

 「自分が患っている病気はもしかしたら難病中の難病と言われるALSかも」と思い始めた時、俺はインターネットを通してALSのことを調べまくった。そこで目に止まったのが恩田聖敬さんのブログだ。恩田さんはALS患者で、人工呼吸器を装着している写真を自身のブログで公開していた。俺は自分の未来を覗き見るような気持ちで彼のブログを読んだ。 彼は完全他人介護を主張していた。 http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/43464828.html 彼はスイッチを咥えiPadを操作し文章を書いていた。 http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/36443843.html 覗き見た未来とは異なり、俺は24時間家族介護を受け、視線入力を使用している。個人差があるのは百も承知だが、他人が自宅に入ってきて24時間監視されるのはしんどいと思う。自由にテレビやパソコンに時間を費やす方が幸せだと思うのだが恩田さんの本音はどうなんだろう?恩田さんの超人的集中力があってこそのスイッチ操作だと思うが、視線入力の方が楽だし速くタイピングできると思う。誰か助言してくれないかしら。 胃瘻と人工呼吸器という点では共通しているが死生観や障害に対する考え方は全く異なる。 http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/41919800.html http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/38434597.html 彼の主張は多くのALS患者の声を代弁しているのだろう。だからこそ、現在、彼は日本ALS協会の会長である。俺もちょっとは有名になっている未来を想像していたんだけどなあ。 追伸)豊昇龍が横綱に昇進。更に強くなりそう。

不眠症事始め

 学生時代に大学の健康相談室を訪ねたことがある。俺が白衣を着た職員の方に 「不眠症ではないかと心配になってきました」 「どのくらいの頻度で眠れないのですか?」 「昨晩、寝床に入っても目が冴えて朝まで眠れなかったんですよ。こんなこと初めてで怖くなっちゃったんです」 「……は、初めて。ということは昨日だけ?」 俺にとっては切実な悩みだったのだが、今考えるとその職員は大いに呆れていたことだろう。何事も初めての時は不安になるものだ。 時を経て、ALSに罹患して体が動かなくなって夜が怖くなった。周りが寝静まっているのに自分だけ覚醒している。寝返りもできないし、トイレにも行けない。横の寝台でいびきをかいて熟睡している妻を起こすのも気が引ける。「夜が明けるまで何時間待たなきゃいけないのだろうか?」と思い始めると余計に不安が募った。 慣れとは恐ろしいもので、眠れないのが当たり前になったら夜が怖くなくなった。仰向けの姿勢で寝られるようになったのも大きな変化だ。耳の痛みで目覚めることがなくなったし、寝返りの必要もなくなった。たまに痰が詰まって息苦しくなることもあるが、歯ぎしりとアヒルの二重奏で誰かが助けに来てくれるという安心感が心の余裕をもたらしている。 現在の境地に至ったのは夜中に何度も起こすことがあっても愚痴一つ言わずに助けてくれる家族、特に妻のおかげだ。眠れない夜にそんなことを考えた。 追伸)豊昇龍の勝負強さに恐れ入った。叔父さんの朝青龍に似てきたなあ。 追追伸)検察出身のユン大統領が起訴された。「溺れた犬は棒で突つけ」ということなのだろうか。誰か解説してほしい。

井上対ドネア

 「左ジャブは目を狙え、相手が怯んだら喉ぼとけ目がけて右ストレートだ」 「先輩、どうして喉なんですか?」 「瞬間的に顎を引くから拳が顎の先端を捉えるのさ」 もう30年前のことだから時効だと判断し公開するが、当時の芦原会館福岡支部では、実践の生々しい状況を題材に指導が行われていた。その先輩の右ストレートは凄まじく、九産大、福教大、福大、九大から来たプロ志望者を含む猛者達を服従させるのに十分な威力とキレであった。 稽古中に組手はあるのに試合はなく他流派主催の大会への出場がご法度の芦原会館では、初級者は顔面パンチがない、所謂、極真ルールでの組手で突進力を磨き、黒帯を取得して顔面パンチの攻防に練習時間を割くのが既定路線だった。 初心者だった俺は、件の先輩から肩関節をグラインドさせてパンチの初動を得る反復練習の指導を受け、蹴り足から始まり腰の捻りにやや遅れて回転する肩関節から伸びる射程の長い右ストレートで、打ち終わった反動で自然に元の姿勢に戻る打ち方を習得することが出来た。 長くやっていると、有段者でなくともボクシングの真似事をさせられたりもする。こと防御に関しては、I上先輩、M先輩、I田先輩から指導を受けた。そこで分かったことは、お互いのパンチが当たる距離で相手のパンチに反応して防御するのは至難の業ということだ。想像してみてほしい。両腕を顔の前に立てても隙間だらけである。こちらの視界に映るのは拳の大きさくらいの点で、ジャブは速度を変えて放たれ、ストレートは槍のように中心線を打ち抜いて来るのである。フックは視界の外から来るので、お手上げである。 ところが、当時、一世を風靡したプロボクサー達は事も無げに顔を移動しパンチをかわし反撃に転じているのである。俺は目を皿のようにして彼らの試合を見入った。彼らの圧倒的な攻撃力が抑止力として働き、足を使い間合いを維持することで、防御力を上げている側面もあるが、あのリングの上に立っているボクサー達は先天的な部分で一般人とは見えている世界と感じている時間が異なるのだ。そして、気が遠くなるほどの反復練習で習慣化された身のこなしと対応力、禁欲的なロードワークで仕上がる瞬発力と持久力を兼ね備えた肉体、格闘技ならではの闘争心と痛みや苦しみに耐える精神力を培って試合に臨んでいるのがプロボクサーという人種なのである 前置きが長くなった。 昨日、二人...

セルジオ越後が大村にやって来た

 セルジオ越後が大村にやってきた。 御存知ない方のために説明すると、サッカー解説や辛口批評で有名なセルジオ越後はサッカー選手としての晩年を日本で過ごし、引退後、手弁当で日本全国を行脚し長年に渡って少年サッカー教室を開いていたのである。 そのセルジオ越後が大村市浄水管理センターに相棒のカルロスを連れて少年サッカー教室の講師として現れたのだ。 炎天下の中、カルロスがリフティングを披露する。ボールを空中に浮かせて、その蹴り足でボールを跨ぐ技であった。その当時はそんな高等技術を見るのは生でもテレビでも初めてだったので度肝を抜かれた。 試技が終わった後、セルジオの講演が始まった。 「みんな、階段よりエスカレーターに乗りたいだろ?楽したいだろ?」 その当時はスポ根全盛時代だったので、その場の全員が「だけど、試合で楽をしちゃいけない」という結論が来るかと思いきや、セルジオはそんな予定調和を見透かすかのように 「どんどん楽をすればいいんだよ。そうやって人類は発展してきたんだ。サッカーだって同じだよ。楽しようと思って考えるから、いいプレーが生まれるんだ」と言った。 「みんな、学校でずるいことをしちゃいけないと教わるだろう?」 「でも、サッカーは相手を欺きゃなきゃいけない」 のようなマリーシアの進めも当時は斬新だった。 ミニゲームでは大勢の子供が群がってセルジオのボールを奪おうとするが、ただの一度も取れなかった。なにしろ、セルジオがボールを地面に押し付ければ誰が蹴ってもビクともしないのだ。その後はボールを上空に蹴り上げてテーブルクロスのように広げたシャツの上に落として笑いながら歩いていくのである。 この間、セルジオが座談会で話している動画を見て驚いた。白髪が増え完全なお爺さんになっていたからだ。日本代表の試合後の辛口コメントでネット上で「セル塩」と揶揄されるのも日常的な風景になって久しいが、一方で「サッカーファンにとって本当にいい時代になったなあ」と思う。 喩えは悪いけど、セルジオはネズミ講の親玉だったんだ。セルジオの指導を受けた子供たちが大人になり、そのまた子供たちにサッカーの楽しさを伝えているわけだ。セルジオの少しへそ曲がりな性格は子供たちにも受け継がれ、セル塩の解説に異を唱えながらもその当時を懐かしんでいるかのようにも見える。 セルジオにはそんな幸せな時間をずっと味わって...

夢の講義

 久しぶりに夢を覚えていた。夢の中で俺は教壇に立ち大勢の学生の前で講義をしていた。黒板に大きな吹き出しを二つ描いて、それぞれに韓国語でリンゴとバナナと書こうとするが、何度も間違ってしまい学生たちから失笑が漏れる。動揺した俺は話すべき内容を忘れてしまう。取り繕うために別のことを説明し出す。「時間がないから続きは次回に」と講義を打ち切ったが、時計を見ると終了時刻の5分前で、「早く終わってよかった」という意味の歓声が湧き上がった。 この夢をどのように解析するべきかを夢判断が専門の心理学者に教えてほしい。実際の俺がどんな授業をしていたかについてはこれから説明していく。 初めて学部二年の線形代数を任された時、心に期するものがあった。それは俺が同科目を受講したときに受けた衝撃を追体験してもらうことだった。「失敗は許されない」と思った俺は入念に事前準備を重ねた。それまでの教育経験から「釜山大の学生は試験と名の付くものに対して類い稀な集中力を発揮する」という予備知識があったので、週2回の講義ごとに十分間の小テストを課すことにした。その問題は5問からなる真偽判定問題で学生たちはそのうち3問を選択して真偽判定の結果とその証明を書き込んでいく。満点は4点で3問の証明が正しいときに与えられる。真偽のみ書いて提出してもよいのだが、間違いの数によってマイナス点が加算される。自分で言うのもなんだけど、この小テストのユニークな点は「自信がなければ提出しなくていい」というところだ。ただし、小テスト終了時に提出しなかったら次の講義開始時に5問中2問を証明付きでレポート提出することにしていて、それが出席の証拠となる。そうすると出席を誤魔化したり、他人のレポートの丸写しで提出することができる。その予防策として小テストの時間に名前を呼んで出席を取り、「誰かに教えてもらったらその人の名前と謝辞をレポートに書いて提出すること」というお触れを出した。 「証明とは何か」を教えたくて始めたことだが、極一部の学生はファンになってくれたが、大部分の学生からは「難しい。答えを教えてくれ。定期試験に初見の問題しか出ないので勉強しても意味がない」という声が相次いだ。講義中は冗談も言わずに「視線を逸らした人に当てて質問するぞ」なんて言いながら授業ごとに10人以上に当てていたから眠る学生は居なかったが、学生にとっ...

史上最悪のテロ事件

 午後3時、俺は冷房の効いた作業部屋でパソコンに向かっていた。妻は外出する準備をしている。そんな平和な家庭の雰囲気を吹き飛ばす平坂家史上最悪のテロ事件が数秒後に起こるのである。 実行犯は家の構造を熟知していた。俺が作業部屋に一人でいるのを見計らって侵入、即座に内鍵をかけ、作業部屋勝手口にも鍵をかけた。無抵抗の俺を人質に取り、ガラス扉の向こうで暑さにうだりながら「開けろ」と叫ぶ警察官を嘲笑うかのように実行犯は腕組みをして仁王立ちしていた。 俺も絞り出すような声で、 「頼むから開けてくれ」と懇願するが、聞き入れてもらえるはずもなく、鼻糞を擦り付けられるという屈辱さえ味わった。 警察官はガラス越しに必死の形相で実行犯との交渉を始めた。 「5秒以内に開けなさい。じゃなければ厳罰を受けることになる」 それを聞いて怖気づいたのか実行犯はやや青ざめた表情で 「叩かなかったら開けてやる」と言った。 その時、南側の窓から潜入した特殊部隊が現れる。扉の内鍵は解除され、警察官が立ち入る。それを見るや否や実行犯は勝手口からの逃走を試みる。しかし、怒りに燃えた警察官が実行犯を拘束した。 作業部屋に連行された実行犯はむち打ちの刑に処され、ありったけの声量で 「わーん、わーん」と泣き叫び続けた。 一方の俺は、まるで映画のようなスリリングな展開の一部始終が頭に蘇り続け、しばらくの間笑いを止めることが出来なかった。 ちなみに実行犯は三男で、警察官は妻、特殊部隊は長女である

垢スリ三昧

 妻は完璧主義者だ。俺の両足をタオルでふく作業を始めた時、嫌な予感がしたんだ。「パソコンをする時間だ」と思ったのも束の間、妻は「頭を洗おう」と言い出した。昨日もそんなやりとりがあったが、俺が「明日にしよう」と後回しにしたんだった。俺が迷って返事をせずにいると、妻はビニール製のタライを枕下に据え付けて寝たままで頭を洗う準備を始めた。頭にかける水の温度にもこだわりがあるらしく、蛇口と寝台を行ったり来たりして温度の調節に余念がなかった。髪を洗った後は耳掃除とドライヤーをかけるのが定番だ。 「やっとパソコンが出来る」と思ったのも束の間、妻の目には完璧主義の炎が宿っていて、妻は「上の服も着替えよう」と言い出した。もちろん、着替えるだけでは終わらない。右の袖を脱がせて右上半身の垢スリが始まった。妻の垢スリはかなり本格的で、専用の垢スリ手袋を片手に虎視眈々と垢が出そうな場所を狙っている。「強くこすると痛い」と言おうと思い歯ぎしりを繰り返したが、垢スリに夢中でイヤホンで何か聴いている妻の耳に入るはずがない。作業は左上半身に移り、「相撲中継が始まる時間なんだけどなあ」の心の声も虚しく、妻はテレビを消してYouTubeを一緒に聞くことを強要した。 それだけでは終わらない。妻は寝たままの姿勢では困難とされる背中の洗浄を試みた。実際、呼吸器が邪魔になって半身になるのは難しいし、それを支えつつ、背中をこするのは至難の技だ。腱鞘炎に悩んでいる妻なら尚更だ。しかし、完璧にこだわる妻は疲労困憊になりながらもこのミッションを完遂した。 服を着替えパソコンの設定が終わったのは午後四時半、妻の善意でやっている無償の行為にはひれ伏すしかない。満足そうな妻の表情を見れば尚更だ。お蔭様でさっぱりしたし、今晩はよく眠れそうだ。それから耳の後ろの垢スリは昇天するほど気持ち良かったので次回もやってほしい。

韓国の刺身

 雲一つない秋晴れの下、天然芝のサッカー場に足を踏み入れた。 今日は全国教授蹴球大会の初日で、4チームによる予選リーグが行われる。一試合15分ハーフの競技を三試合こなす強行軍である。我が釜山大蹴球会は高齢化が進み、12人集まったメンバーの大半は50代後半で、40代以下は一人だけと言う状態だ。 俺は妻と下の子二人を連れて応援だ。久しぶりに現れたため、握手攻めにあった。ピッチ内ではこれでもかと言うくらい心を通わせた戦友達の雄姿をこの目に焼き付けるためにやってきたのだが、すでに二敗して予選敗退が決まり、最後の試合も相手チームの人数不足により、学生を交えた親善試合になるとのことだ。 声を枯らして応援するも、短縮された20分の競技はスコアレスで幕を閉じた。 当初の予定ではサウナで汗を流し、打ち上げに行く予定だったが、サウナは止めて、打ち上げ会場にに直行することになる。場所は機長郡の美しい海岸沿いの海鮮食堂である。二階席からは真っ青の海と空が一望でき、思わずため息が漏れる。 こんな美しい場所が商業化されてないのは奇跡に近いことである。いや、この程度の風景は釜山近郊では何処にでもあるという証左なのかもしれない。 座席に着くと早速前菜が運ばれてきた。蛸の活き作り、煮干しと野菜のコチュジャン和え、ホヤ、アワビ、ワカメ汁、ネギ焼き、落花生豆腐が所狭しと並べられる。 胡麻油をまとった蛸を口に入れると、吸盤が口内に吸い付く。よく噛まないで飲み込むとのどに吸い付いてえらいことになるらしい。煮干しがこの料理に入るのは珍しいがコチュジャンでしっとりと潤った煮干しが物凄く美味しかった。他テーブルではお代わりの声が上がった。ホヤやアワビも新鮮で、高級食材であることを失念してしまう程の量が出てくる。ネギ焼きもほんのり甘く、刺身盛りが来る前に沢山食べて満腹になってはならないという自制心を簡単に崩壊させる。落花生豆腐もまたしかり、添えてある野菜がまた新鮮だった。 お酒が出てきて乾杯が繰り返されいい雰囲気になってきた所で、刺身盛りが登場する。韓国語ではフェというのだが、血を抜き熟成させる日本の刺身とは異なり、韓国では活き作りが主流である。日本では割り当てられた一人一切れを惜しむように味わうが、韓国のフェはとにかく量が多いので、そのまま食べるもよし、野菜で包むもよし、ワサビ醤油、コチュジャン、ニンニク...

失われた30年

 昨晩10時から放送された「NHKスペシャル、岐路に立つ東京大学」を視聴した。失われた30年を挽回するために大学教育を根本から見直した結果、イノベーションを起こし得る人材の育成に梶をきりつつあるという内容で、AI研究の第一人者と目される松尾豊教授と彼の研究室や講座での活動を通して羽ばたいていった起業家たちが紹介されていた。 一口にイノベーションと言っても実現するのは難しいと思う。何故なら偏差値という単線的な指標で選抜されてきた学生も学問の追求に半生を捧げてきた教員も起業家に必要な「リスクを恐れず計画し実行する」特性が備わっているとは到底思えないからだ。自分の身に当てはめてみても、起業経験はおろか企業で働いた経験もない俺がどうやって学生に「起業してみないか」と言えるのか、という話である。 しかし、松尾教授がロールモデルとするスタンフォード大学ではラリーペイジを筆頭に有名な起業家が名を連ねる。本郷キャンパス周辺には400あまりの東大出身の起業家が会社を経営していて、そのうち二つは上場企業らしい。番組中でも松尾教授は起業を夢見る学生に投資家を紹介していたし、高専出身の起業家に社員確保の助言を伝えたり、ドロップアウトした中卒の青年を研究室に招き入れたり、「この人に日本の未来がかかっているかも」と思わせる働きぶりだった。 失われた30年を本気で取り戻そうとするなら、松尾教授の役割をこなせる教員が全国の各大学で必要だし、俺のようなオールドタイプが意識改革して新しい取り組みに対する理解を深め、少なくとも起業しようとする人とニュータイプを邪魔しないことが大事だと思った。

父の生涯

 父は母子家庭で育った。父の父親が戦死したからだ。父の母親(俺の祖母)は農家に生まれるも畑仕事を嫌っていた。乳飲み子を抱えた祖母は一念発起して教員免許を取得し、長崎県教委に採用され、内地勤務の後に対馬に赴任した。その間に祖母の再婚話もちらほらあったらしいが、父が猛反対したために祖母は未亡人を貫くことになる。異動が少なく給料も高いという理由で祖母は聾学校に異動を申し出た。その結果、思春期を対馬で過ごした父は大村高校に転校してきた。父は中央大学に進学した。東京の私立大学に一人息子を送ることは財産を持たない祖母にとって経済面での負担は軽くはなかったであろう。父は大学卒業後どういうわけか大村に戻り祖母と一緒に暮らす選択をする。高度経済成長の真っ只中、東京にも長崎にも待遇の良い会社は多数存在したはずなのに父は祖母が斡旋した長崎県福祉協議会という職場に就職した。祖母は聾学校の同僚だった母を気に入り父と見合いさせた。見合いは成功し、結婚後、俺が産まれた。祖母はローンを組んで土地を購入し一軒家を建てた。 自立を重んじる母に甘えられなかった俺は父にじゃれついた。チビで腕力もなく運動音痴の幼少期の俺にとって長身で町内のバレーボールやソフトボール大会で主力として活躍する父はヒーローそのものだった。その潮目が変わったのは俺が小四だった頃だ。将棋で父に連戦連勝するようになった。後でわかったことだが、父は生活費を家庭に入れてなかった。つまり、母は自分の給料で光熱費、食費、養育費を賄い、父の安月給は飲み食いとパチンコに消えていったということだ。父の名誉のために付け加えると、俺と弟の大学での学費と生活費は父が積み立てた。父は食卓でも寝床でも煙草を吹かすヘビースモーカーだった。母方の親戚の集まりに行けば空気の読めない息子自慢と「この子は世間知らず」の決めセリフで、祖母、父、母の三つ巴の権力構造がわかる年齢になってからは、文字通り父は煙たい存在に変わっていった。 俺は大学卒業後好きなように進路選択して、結婚して大学教員になった。この頃に父は肺の難病に罹患して定年を待たずに職を辞した。長男と次男が産まれ、「孫を見せるのが最大の親孝行」とばかりに盆と正月ごとに家族全員で帰省した。父の病状は悪化の一途を辿り、酸素ボンベを携帯して生活していた。そのうち、日常生活に支障が出始め、母の介護を受ける...

命の価値

 1月19日から6週間の停戦合意がイスラエルとハマスによって結ばれた。この期間に人質とイスラエルに収監されているパレスチナ人の解放が段階的に行われるそうだ。釈然としない何かが心の中で渦巻いている。 先ず、ハマスはガザ地区を実効支配しているが、パレスチナ人の民意を代表しているわけではないということだ。2006年に選挙で躍進して政権を取ったハマスだが、その後民意を問う総選挙は実施されてないそうだ。つまり、イスラエルに先制攻撃を仕掛けたハマスに対する報復がパレスチナ人全員に向けられているのだ。 次に、あれだけ空爆と地上侵攻を繰り返しても未だに人質の収容場所が特定できないことに疑問を感じる。諜報員とか捕虜に自白させるとかモサドならお手のものだと思うのだが。 最後に200人の人質は戻って来るかもしれないが、殺された四万六千人は永久に戻って来ないということだ。ガザ地区に住むパレスチナ人は二重の意味で人質になっている。命の価値は同じはずなのに、現実にはこれだけの開きがあるのだ。 追伸)CJR教授が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

ふるさと納税って実は

 今まで気付かなかったけど、ふるさと納税って地方創生に一役も二役もかっている素晴らしい制度だと思う。通常は住民票がある自治体Aに住民税を納めるが、ふるさと納税は自己負担金二千円で応援したい自治体Bヘの納税を可能にし、自治体Aヘの住民税は控除される。この制度が世界的に見てもユニークな点は自治体Bが返礼品を贈ることである。 2008年に立法化されたこの制度は現在では返礼品目当ての納税が幅を利かせるようになり、ひいては自治体間の競争を生み返礼品市場を活性化させている。その結果、地方の特産品が全国にアピールされ、地方経済と地域行政が活性化されている。地方自治体の職員は工夫次第で莫大な税収を得ることができることを学び、住民サービスを向上させる意欲に満ち溢れているはずだ。 こんなにうまくいく制度を発案した人は誰だろうか?検索すると、発案者は当時の福井県知事の西川誠一氏で、創設者は当時の総務大臣の菅義偉氏と出てきた。 他の国、例えば韓国も導入してみてはどうだろうか。 追伸)大関3人が全敗、横綱は不戦敗。なんか興醒めなんだよなあ。

不正選挙疑惑は陰謀論!?

  韓国では不正選挙疑惑を巡って保守派と進歩派が対立している。一方は「北朝鮮によってサーバーがハッキングされた」と主張し、他方は「それは陰謀論だ」と非難する。両者の議論は噛み合わず、双方が「あいつらは自分が見たい世界しか見えてない」という印象を持ち、ますます分断が深まるという構図だ。 北朝鮮のハッキング技術は世界でもトップクラスと言われる。しかし、選挙日にピンポイントで選挙全体を管理するサーバーに侵入して選挙結果を書き変えることができるのだろうか、そんなことができるのなら韓国のありとあらゆるネットワークが乗っ取られることになるぞ、それは考えにくいからやはり最初の仮定は無理がある、というのが陰謀論だと断罪する根拠だ。 その一方で「陰謀論だ」と断罪することもある種の陰謀論なのである。歴史を紐解くと、各種の公害問題、拉致事件等の「当初は陰謀論と思われていたものが事実だった」事例は枚挙に暇がない。それらは地道な調査と客観的な根拠の積み重ねの上に達成されたことを念頭に置くべきだろう。 そのことを踏まえて、次を提案する。選挙区ごとに出口調査結果を照合して選挙結果と比較する。出口調査は政府機関ではなくマスコミなどの民間企業が担っている。期日前投票の影響等もあり、出口調査が選挙結果と完全に一致する訳ではないが、一致率は90%前後らしい。その気になれば過去の韓国での一致率を算出できるだろう。もし不一致の選挙区が一定数を越えたら不正を疑うべきだと思う。

白昼夢

 衣服を剥ぎ取られた私は数千の同胞と共に収容所に送られた。そこは闇の世界で朝と夕に天蓋が開く時のみ光が差し込み、同時に同胞の一部が忽然と消えるのだった。収容所の内部は乾燥していてやたらと喉が渇いた。そんな思いを察してか、私にも外出が認められる日がやって来た。久しぶりに見る外の世界、それを楽しんだのは束の間で、別室に送られた。すると、あふれんばかりの大量の水が降って来た。喉の渇きを癒すには過剰だが、水遊びにはちょうどいい。私は童心に返って同胞とふざけ合った。2時間もそうしているとさすがに疲れる。静まりきった建屋が大きく揺れた後で異変が起こった。床暖房が効きすぎるどころか、居ても立っても居られないほど熱いのだ。同胞の何人かは熱さで気を失い水中を彷徨っている。ほどなく私も意識を失った。30分後、幽体離脱した私が見たものは白く変色し整然と並んでいる同胞たちの死骸だった。 米粒の視点を想像してみた。食べるという行為は他の生命を体に取り込む行為である。それが生きるということ、避けられない宿命だが、食べられる側のことも忘れずにいたいものである。

一枚の写真

 ミラーブログに俺の顔写真をアップロードしている。あれでも妻に「最近の写真で一番よく撮れているものを送って」と頼んだ選りすぐりの一枚なのだ。以前であれば、あのような呼吸器を付けていかにもALS患者然りの写真を公開したいとは思わなかった。その辺りの心境の変化を分析していこう。 ALSに罹患してから「弱っていく自分の姿を晒して同情を買う」ようなことはしたくなかった。ブログでは正直な気持ちを綴っていたが、お涙頂戴一辺倒の展開になるのを避けてきたし、今でもそれは心掛けている。その一方で、減衰していく体の機能と増大していく妻の介護負担と「家族を養っていかなければ」という責任感と減っていくだけの貯金と思うようにいかない現実との狭間にいた俺は、「呼吸器装着して延命するより、この世からいなくなることが家族のためになるのではなかろうか」と本気で考えるようになった。 転機が訪れたのは胃瘻と人工呼吸器を付けるようになってからだ。体の機能の衰えは緩やかになり、介護負担も家族で分担することと対処の工夫を共有して積み上げることで慣れが生じるようになった。年金も日韓両国から入るようになり、月々食べていけるほどの経済状況になった。そうなると、生きることが家族を養うことになり、生きる理由になった。 自己肯定感の高まりと共にパソコンの操作は不便になった。その間、言いたいことが言えないストレスが溜まり続けていたが、視線入力の導入はそれらを解き放った。だからこその「視線入力時代」であり、より多くのALS患者にこの変化を伝えたいと思い、ミラーブログの拡散を目指すことにしたというわけだ。 追伸)豊昇龍が強くなっている。

医療用AIの開発!?

  医療用AIの開発に政府が着手するらしい。 https://news.yahoo.co.jp/articles/4da20253a8ad28740a0eaf7252059dfb95a68260 見出しだけを見て、「ついにこの日が来たか」と思ったが、本文を読んでがっかりした。先ず、予算が200億円というのは少なすぎる。GAFAM級の大企業なら普通に二兆円くらいは積んで来そうな案件なのに、膨れ上がった医療費を大幅に削減できるかもしれない国家事業の予算がたったの200億円とは、怒りを通り越して悲しくなる水準だ。 しかも、実用化されるのは数年後らしい。この案件が実用化されれば日本国内だけでなく全世界的な需要を有する。雛形を作って一早く公開すれば、流通する過程で改良が進み標準規格になるかもしれないのに、数年後とは。せめて「一年以内の実用化を目指して」と言うだけ言って本気の度合いを示してほしかった。 結局、既得権を守りたい某国の医師で構成される組織は本腰を入れないだろうし、彼らの意に背く政策は頓挫するようにできているのかなと勘繰りたくなる。200億円が医師の診断をサポートする指南役に代わるだけで、オンライン診療とAI診療による医療費削減や需要のある医療分野ヘの人材の移動は起きないのだろうな。 近い将来、各個人の診療履歴や薬の服用履歴や各種の検査結果や遺伝情報などが厳重なセキュリティの下でデータベース化され、症状に応じて検査が決まり検査結果の提出後、AIが処方箋を出したり、大病院での再検査の指示を出したりする日が来るかもしれない。でも、そうなったらそうなったで「昔の方がよかった」と思うかもしれない。

まだ六割残っている!

  食べることが好きだった、体を動かすことが好きだった、会話に参加してたまに気の利いたことを言うのが好きだったが、ALSはその全てを奪っていった。 今の俺はテレビを見て、音楽を聴いて、あれこれ考えるだけの生活だ。俺の人生に何が残っているのだろうか?その問いに答えるべく、昔取った杵柄(数年前まで数学者だった)を用いて計算してみた。 視力、聴力、思考力の重要度をそれぞれa、b、c として、その他の残存機能、ALSによって失われた機能の重要度をそれぞれ x、y とする。ただし需要度は俺の主観で決定され、百分率で表示される。すなわち、上記の変数は全て正の数で a+b+c+x+y=100 である。 俺は思った。視力と引き換えにALSが治るのであれば悪くない取り引きだなと。同様に聴力と引き換えでも悪くないと。思考力は程度によるがアルツハイマー初期くらいなら引き換えるのも悪くない。しかし、視力、聴力、思考力のうち二つと引き換えにと言われたら拒否するだろう。このことを数式で表すと次のようになる。 y<a+c、y<c+b、y<a+b これらを足し合わせて 3y<2(a+b+c) それ故に 100=a+b+c+x+y<a+b+c+x+2/3(a+b+c)<5/3(a+b+c)+5/3x これを変形して 60<a+b+c+x が得られる。すなわち、まだ六割以上の機能が残っているのだ。そう考えると「俺の人生、まだまだ捨てたもんじゃねえなあ」と思えるから不思議なものだ。

世界史万歳

 高校では世界史を選択した。覚えることが多すぎて受験科目としての負担は大きかった。しかし、その選択に一片の後悔はない。その理由の一つが世界史担当のH先生の名講義だ。「虞や、虞や」の名調子で始まる虞美人草の逸話、フランス革命の話で高々と歌い上げられる「ラマルセイユエーズ」のように長年に渡って繰り返されたであろう伝家の宝刀が炸裂する様を授業ごとに目にすることができた。H先生が自慢気に語っていた「お前らの一年上のMは授業ごとにテープレコーダーで録音して私の授業を繰り返し聴いていたんだよ」の話も納得の豊富な知識量に裏打ちされた圧巻の授業内容だった。 もうひとつの理由は間接的に「歴史は史料という証拠をもって形成される。その史料を管理できる側、すなわち勝者が歴史を作る。なぜ全世界的に西暦を使っているのか?経度の基点はどこなのか?学問の世界で英語が共通語である理由」を知ることができたことだ。ローマ人が水道橋を建設し公衆浴場で風呂に入っていた時、日本は弥生時代で縦穴式住居に住んでいた。卑屈になっているのではなく、客観的に世界と日本の歴史を比較することができた。 ただ歴史を学ぶのは楽しいけれど、香港、ミャンマー、チベット、ウイグル、アフガニスタン、ウクライナ、パレスチナ、スーダンで起こっていることに絶望的に無力だ。それは世界史に限ったことではないけれど。 H先生は現代をどのように捉え批評されるのだろうか。録音したテープがあったら聞いてみたいものだ。

受験科目に物申す

 中学まで国語は得意科目だったが、高校から苦手科目になった。その理由は単純で、勉強してなかったのと国語の授業を昼寝の時間に当てていたからだ。他人のせいにしたくはないのだが、いや正直に他人のせいにしたいのだが、高校の国語の先生は人格者だったが授業が面白くなかった。中一の時の国語の先生は最高だった。文学作品の見逃してしまいそうな一言が解釈の幅の大小を与えることを学んだ。次点は中三の時の先生、「小諸なる古城の畔」と音読することで情感が高まり詩を深く理解できることを学んだ。高校の授業は受験に特化しているわけでもなく、文学作品の楽しみ方や感動を伝えるものでもなく、ただ退屈だった。 国語が苦手だったから言うのではないのだが、いや正直苦手だから言うのだが、200点満点の国語の試験でその半分を古文漢文が占めるのはいかがなものだろうか。何十年も続いていることなので皆当たり前のように思ってしまいがちだが、受験科目やセンター試験は大学で講義を聴いて理解できる能力の有無を問う試験のはずだ。古文漢文は教養であり音楽やスポーツのように大学での専攻にしようとする人が学べばいいのであって、それを全員に課すというのは狂気の沙汰だと思う。この批判は数学を始めとする理系科目には当てはまらない。何故ならそれらは全世界で学ばれる学問の共通語だからだ。 百歩譲っても古文漢文の点数配分を四分の一以下に縮小すべきだと思う。そうすれば帰国子女や留学生の進路が広がるし、何より受験生の負担の軽減に繋がり、余力を他の科目に向けることができる。 現代文の設問にも文句があるが、まだ考えがまとまっておらずまたの機会に持ち越すことにする。

家族性ALS

 ヤフーニュースで家族性ALSに罹患した人が紹介されていた。 https://news.yahoo.co.jp/articles/1b6ed185c013b90d5ff4b6fd8d01f252b8647948?page=1 この記事によると二分の一の確率で遺伝するらしい。俺の親族にはALSのような運動神経病にかかった人は居ない。だから俺のALSは孤発性だと思っていた。しかし、それは「家族性でない」ことの証明にはならない。遺伝子検査を受ければすっきりするのだが、万が一でも家族性という結果が出たときのことを考えると怖くてできない。何故ならウチの子供たちが心理的影響を受け、彼らの人生を萎縮させてしまうのではないかと恐れるからだ。 上記の記事の人は28歳で発病し、それから6年経った今でも歩行が可能で教員の仕事もフルタイムでこなしているそうだ。いけないことだとわかってはいてもついつい自分と比較してしまう。俺は診断から一年で歩けなくなり話せなくなった。その一方で俺が発病したのは46歳で4人の子供が産まれた後だった。家族性ALSということでの人生における葛藤は凄まじいものだろうと想像する。現在は合唱部の顧問で生きがいに満ちた生活だろうけど、その生きがいがなくなる日が確実にやって来る。それどころか、食事、排便、呼吸という生きるために必要不可欠な動作が損なわれ、一人では何もできない生活が待っている。 俺も含めALSの先人たちはそんな右肩下がりの人生を経て今を生きている。俺がこの人に伝えたいことは「生きてさえいればなんとかなる。胃瘻と人工呼吸器を付けても、まだ六割の残存機能がある。視線入力で人生が変わる」ということだ。 追伸)ミラーブログにコメントが来た。ありがたいなあ。

冬物語

 今から35年前、俺は受験生だった。受験で思い出すのは原秀則作の漫画「冬物語」だ。主人公の森川光は滑り止めの八千代商科大学にも落ちて浪人した後に合格したのが同大学のみという現実に直面する。 それは漫画だけの話ではなかった。団塊の世代ジュニアと呼ばれる俺の年代は常に競争に晒されてきた。受験はその際たるもので、光のように浪人しても志望校が遠のくことはよくあった。だからこそ光に自分の姿を重ね合わせて共感を呼んだのだろう。光は片想いもすれば恋もする。その葛藤で勉強に身が入ったり入らなかったりする。俺が冬物語を読んだのは大学に入ってからだが、光の心理描写は心に刺さった。 話の展開として、俺の受験での苦労話が出てきそうなのだが、年を重ねたこともあり、むしろ楽しい思い出として記憶されている。冬物語の舞台は東京の予備校だったが、俺は地方の進学校の高校三年生だった。受験という同じ目標に向かって収束するも受験が終わったらそれぞれの進路に発散していき、もう二度と戻ることはない刹那的な空間を同級生たちと共有したことは忘れ難い思い出となっている。 何が言いたいのか自分でもわからなくなった。冬物語を読み返して、俺がどう感じるか試したいと思う反面、そっとしておいた方がいいような気もする。 追伸)講演開始時間の午前と午後を間違えた。

九州の女

 九州は男尊女卑が根強く残っているらしい。日本の他地域に住んだことがないので比較できないし、時代と共に変化するものなので 一概には言えないが、俺の体験に限って言えば、確かにその傾向はあるように思われる。 例えば、俺にとって正月はおせち料理をたらふく食べて、炬燵に寝そべりテレビを見て過ごすのが定番だった。その間、母と祖母は料理の準備、配膳、片付け、皿洗いに追われていたはずだ。ところが、俺、弟、父は何の感謝もなく当たり前のようにその待遇を享受していた。小学生のときは、フォークダンスで女子の手を握るのが嫌で小指同士で手を繋いでいたし、女子に邪険な態度を取るのがかっこいいという謎の文化があった。これを真に受けた俺は「お前ん家、鏡ないだろ。お前のブス顔が映ったら鏡が割れるからな」みたいなことを同級生の女子に言っていた。思春期になってからは別世界の住人という感じで、男尊女卑という概念は消え去った。 よく言われることだが、九州の女は他人の前では夫を立てて慎ましく振る舞うが、家庭の実権を握っているのは嫁だそうだ。これも個人差がある話だし、一概には言えないが、個人的体験に限って言えば当たっているような気がする。おそらく、幼い頃は父の真似をして男尊女卑に傾くものの分別がつく年齢になると権力の在処に気付き是正されるのではなかろうか。 我が家はどうなのという疑問が聞こえてきそうだが、その件に関してはノーコメントを貫くことにする。

取説(コメント投稿に関する注意書き)

 本欄(https://www.hirasakajuku.com/cont7/24.html)は最新の投稿が最下部に表示される。これは本欄に初めて訪れた人が時系列順に読んでもらうことを狙っての設定だった。しかし、毎日訪れる人にとっては最新の投稿を読むために長くスクロールしなければならないという欠点があった。これを解消すべく、現在準備中のミラーブログでは最新の投稿が最上部に現れるように設定している。尚、本欄の設定はそのままである。 そのミラーブログのURLは以下の通りだ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/ 変わった点は読者からのコメント欄が追加されたことだ。読者の皆様からの忌憚なき感想や批評をお待ちしております。日本語でも韓国語でも英語でも構いません。いただいたコメントは誠心誠意をもって拝読します。ただし、原則としていただいたコメントにコメント欄で返信することはありません。これは一本の投稿をタイピングするのに手一杯という事情から来るものです。一日、3本以下のコメントならばコメントごとに返信可能ですが、それより増えて、例えば十本くらいになると対応できないし、一部のコメントのみに返信するのも葛藤を抱えそうです。このような理由でコメント欄は「放置」が基本で、公序良俗に反すると思われるコメント以外は削除しません。

世紀の発見

 夜中に目が覚めた。今年は西暦2025年、ふと素因数分解したい誘惑に駆られた。 2025=5*405=5*5*81=5*5*3*3*3*3=45*45 なんと2025は平方数なのだ。俺は感動にうち震えた。その前は44*44=1936年、その次は46*46=2116年、ということは、俺の人生で訪れる唯一の平方数年である可能性が極めて高いのだ。この世紀の発見を皆と分かちあいたい、なんちゃって。 追伸)昨日の21時に放送された新春特番はWさんの作品だろうか?

共和党らしくない!?

 トランプ氏は関税を引き上げると宣言している。選挙期間中には製造業で働く労働者の保護を訴えていた。それを聞いたとき「おかしいな。小さな政府と自由市場経済を推進する共和党の代表とは思えない発言だぞ」というモヤモヤが消えなかった。その疑問が昨晩に放送されたNHKスペシャルを視聴したあとに氷解した。 インタビューで出てきたのが、「トランプ氏は関税引き上げをチラつかせてより自由な貿易を実現しようとしている」らしいのだ。更にイーロンマスク氏が「政府機関の無駄を大幅に削減する」と言い、IT関連会社の経営者たちが「バイデン政権時代の規制は経済発展の足枷になっている」と言い、「中国に対抗するには世界中から優秀なIT技術者を集める」必要がある」を受けて「アメリカの大学を卒業したら永住権を付与する」計画を明かされる、という具合に超共和党と言うべき振り切り方なのだ。 要するに、民主党支持層が多い先端産業従事者をリストラしてIT業界の再編と競争を促し、彼らを馬車馬のように働いてもらい、共和党支持層の多いオールドエコノミー従事者を支えるという構図なのだ。民主党政権下だったら薔薇色の余生を送れたはずなのに、そんなことを考えると分断が進むのもさもありなんだ。 超大国の米国の花形産業でも安住は許されず競争を強いられる。その事実に驚くとともに「日本は逆立ちしても追いつけないな。公務員のリストラも移民の受け入れも自動運転実現のための法整備のような規制緩和も不可能に近いもんなあ」と思った。

餅とバナナ

  70代の男性が餅を喉に詰まらせて死亡したというニュースが報道されていた。昔の俺は「餅が喉に詰まるなんてどこのギャグ漫画だよ」と「バナナの皮に滑って転ぶ」ほど実生活ではありえない話だと思っていた。しかし、今の俺は凶器と呼んでいいほどの餅の危険性を実感できる。飲み込む力が弱くなった老人の気道にあんなに粘り気があって飲み込みにくく吐き出しにくいものが絡みついている様子を想像すると、身の毛がよだつし、餅を食べるという行為が自殺行為にしか見えない。 その一方で、七輪で丁寧に満遍なく焼いてパンパンに膨れ上がった餅を海苔で巻いて醤油に浸して食べる美味しさは格別だからなあ。その誘惑に抗えない気持ちもわかる

今年の目標

  先月、ブログ運営会社から月額料金を値上げするという通知が来た。6年間書き溜めてきた当ブログの膨大な書き込みを捨てるには忍びない。かと言って、他の無料ブログにそれらを移動する根気も技術もない。結局、運営会社の言いなりになるしかないのだ。それはあまりにも悔しいので次の防衛策を考えてみた: グーグルのブロガー機能でミラーブログを作成していつでも移行できる準備をしておく。 平坂塾の活動を停止してから四年が経つ。平坂塾を宣伝して塾生を集め収益を上げるという事業計画はとうの昔に崩れ去っている。書き続けている理由は自己満足と知り合いに近況を伝えるために他ならない。そういった状況では課金し続ける意義が全く感じられない。現行の方式では日付を直接入力しなきゃならないし、テーマ別の振り分けができないし、記事ごとのURL指定ができないし、それ故に外部に拡散してほしい記事のリンクが貼りにくい。更に俺が突然死した場合、無料ブログなら記事は残るが、現行方式ではクレジットカードの期限が過ぎて課金されなくなるとURL自体が消滅してしまう。これだけ不便なのに課金してまでやる必要があるのかという憤りだ。 昨年、「今年の目標は視線入力」と公言していたら実現した。それにあやかって「今年の目標は無料ブログに移行してアクセス数を十倍にする」ことを宣言しておく。 例えば、先月の30日付けの記事は広く知られてほしい記事だ。その記事の韓国語に訳したものとURLを誰かが(例えば、妻が)有名な掲示板に貼り付ける。それがどこかのインフルエンサーの目に止まり、リポストを繰り返し拡散されていく、なんてことが起こるといいなあ。