自由に生きる
闘病記(大村編)を読み返してみた。自分で言うのもなんだけど、面白い。文章は遊び心に溢れているし、オチもついている。「あんな瑞々しい文章を書いていたのか」と自分でも驚くほどだ。しかも、闘病記と銘打っていながら悲壮感は微塵もない、どちらかというと、希望すら感じられる。
あれから五年半が経った今、病気の進行が安定期に入ると共に筆力も老衰しているような気がする。無理もない。あの頃は毎日外出していたし、刺激も多かったからなあ。闘病記に意図的に登場させなかったお客さんも多かったし、塾生や介護チームとも定期的に会っていたもんなあ。子供たちも新しい学校で新学期を迎え、まるで自分が学校に通うみたいに不安と希望が入り交じっていたからなあ。
読んでみて思い出したことがもうひとつある。環境の急激な変化に対する防衛策だったのか、長男と次男は日本にいた時はギターとスマホゲームばかりで勉強していなかった。彼らは釜山に再移住してからは人が変わったかのように勉強し始め、通常より二年遅れて大学に進学した。
彼らは俺のわがままの犠牲者だ。しかし、俺は話せるうちに日本の親戚や友人に会っておきたかったんだ。そう考えると闘病記の瑞々しさにも合点がいく。老衰した今彼らに「これからはお前たちの番だから自由に生きなさい」と言いたい。
コメント
コメントを投稿