投稿

ラベル(ALS)が付いた投稿を表示しています

訪問施術

 物理療法士のJSYさんが来られた。妻が施術の間中、JSYさんと話していた。聞き上手のJSYさんを前に俺が何も言えないのをいいことに妻は俺の元カノの話をし始めた。俺は妻の暴走を止められず、両目を瞑り抗議の意を表明すると共に恥ずかしさに耐えた。日頃妻の言動を本欄で公開していることへの報復なのかもしれない。 施術は一時間にも及び、その間に俺は自分の体のことを考えていた。以下でそれらを列挙する。 1)今年から座ってテレビを見る回数と時間が増えた。夏場は半ズボンで布団無しで座っている。すると、膝周りの筋肉が痙攣している様子がよく見える。それは前触れなく始まり、連続する。長いときは1分ほど続く。痛みはないが、筋肉が削ぎ落とされる予兆を見るようで不気味だ。そのうちアヒルが押せないほど筋萎縮が進行するのだろう。アヒルに代わる呼び出し装置が求められる。 2)寝ている時に左の肩甲骨周りの筋肉が大きく痙攣する。眠りにつく前によく起きる。睡眠中には起こらないのは幸いだ。 3)右手の指は折れ曲がり、左手の指は伸びている。施術で右手を伸ばしたり、左手を曲げたりすると安心する。 4)朝の情報番組で耳かきを頻繁にするのは聴力に悪影響があると言っていた。耳かき命の俺はその説に賛同できないが、耳かきをしないで何日間我慢できるかに挑戦しようと思い立った。今日で3日目だ。 5)耳の後ろをタオルでこすってもらうのは至福だ。先日、長女に顔を拭いてもらった。長女はありったけの力で耳の後ろをこする。それが気持ちいいのだが、その日は出血してしまった。耳の付け根の傷口からバイ菌が入り、両耳がレレレのおじさん並みに腫れてしまった経験を持つ俺はその日から長女に「顔を拭いて」と頼めなくなった。 6)以前は隣の部屋にいる人に聞こえるほどの音量を誇った歯ぎしりが鳴らなくなった。座っている時はアヒルが押せないので、歯ぎしりが唯一の通信手段となる。歯ぎしりが鳴らないと真横にいても気付いてもらえないし、素通りされることが多い。

領事が家にやってきた

 今日の午後、看護師と物理療法士の方々が来られた。看護師さんが血圧を測り、物理療法士さんのマッサージが始まった。パソコンに繋がれているので会話が可能だ。なんでも昨日まで旅行に行っていたらしい。旅行先の写真を見せてもらったが、海は青く緑は鮮やかで夕焼けが美しい場所だった。 同じ時間帯に在釜山日本領事館の領事が来られた。その訪問は事前にわかっていた。その経緯を説明しよう。俺のパスポートが更新の時期を迎え、半年後に期限が切れるという通知が来た。去年の春に不法滞在直前にビザを更新した以下の経験から https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/03/blog-post_18.html 今回は早めに動こうということになった。子供たちが家にいる夏休み期間に妻は二度領事館に赴きパスポートの申請を終えた。パスポートは発行されたが、受け取りは本人のみという規定があるらしく、妻が交渉を重ねた結果、領事自ら俺の自宅を訪問してくれることになった。 領事を総領事と勘違いしていた俺は領事館HPに記載されているような年輩の男性を想像していたが、実際に現れたのは若い女性だった。彼女は韓国語も堪能で、妻と看護師さんと韓国語で話していた。領事館HPに記載されていると思って、自己紹介された名前を失念してしまったのが悔やまれる。 ⚪⚪さん、ご多忙の中、御足労いただきありがとうございました。

試行錯誤の日々

 昨日も今日も試作品のモニターを続けている。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/09/blog-post_03.html なかなか上手くいかない。二日前にKKS先生とやったときには口内のセンサーが安定していて外れる気配を感じなかった。もしかしたらセンサーの挿入の仕方のコツがあるのかもしれない。本体は胸ポケットに入れているからなのかセンサーを外へ出そうとする微弱な力が作用している気がする。電池が切れそうになっているからなのかアラーム音が小さくなった。 歯の噛み合わせを用いたスイッチは商品化されている。例えば以下の装置。 https://www.adaptivetechsolutions.com/bite-switch/ KKS先生の画期的なところは極めて安価にナースコールシステムを実現させたことだ。奥歯にこだわる必要はないので、上記の製品を参考にして口内でセンサーが安定しない理由を解明していきたい。その改善案はセンサーの形状にかかってくるような気がする。例えば、「コ」型にカバーを変えるとか、凹凸をつけて滑りにくくするとかだ。 脳波を読み取る技術も研究されているようだ。 https://news.yahoo.co.jp/articles/22d72683f5f165c75fb0da2f58e58a9165712d45 しかし、脳内に電極を埋め込むなんてことはやりたくないな。視線入力で代替できるのにそんなリスクをおかす人はいるのだろうか大いに疑問だ。

試作品のモニター

 昨晩と今朝、座っている状態で以下の発明品を試してみた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/09/blog-post_02.html 先ず、困ったのは呼び出しベルの名称だ。文字盤で伝える時に「あ、か、さ、た、な、は、ま、や」でまばたきして、「や、ゆ、よ」でまばたきして、ようやく「呼び出しベル」の最初の音節が完成する。その方法では時間がかかるし、子供たちは「呼び出しベル」が何を意味するのか把握してない。やはり、時間短縮可能な新名称を定義して家族全員に周知するのがいいと思う。その新名称は「鐘(かね)」とする。 次に、最初は意のままにアラーム音を鳴らせるのだが五分も経たないうちに音が鳴らなくなる問題が頻繁に起こる。これは噛み合わせるたびにセンサーがずれることが原因と思われる。ちなみに口の右側にセンサーを挿入すると比較的安定している。しかし、30分以上鳴る状態が維持されたことは一度もない。 前回の投稿で「もう完成してますよ」と書いたが、偉大な発明というのは一朝一夕になされるものではないようだ。個人の歯型に関わらないでセンサーを固定する方法が確立されて初めて完成と言えるのだろう。現時点で思い付くアイデアは以下の通りだ。 センサーにスイートスポットを設け、奥歯の強い力で噛み合わせた時のみ音を鳴らし、それ以外の部分は甘噛みでも音が鳴るようにする。そうすると、スイートスポットからずれた時でも助けを呼べる。しかし、根本的な解決にはならない。 こういう疑問にAIは答えてくれるのだろうか?

偉大な発明

 今日の午後、歯科医師のKKS先生と助手のASYさんが来られた。前回の訪問の様子は以下を参照。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/06/blog-post_10.html KKS先生は前回の試作品を大幅に改善したものを持ってきた。それは呼び出しベルを歯の噛み合わせで鳴らす装置で、センサーを覆うカバーの部分は口に入れても無害な素材で作られていて、厚さを変えて数枚の付け替えが可能だ。 早速、試してみた。前回の試作品と比べて感度が上がっていて、口内での馴染みも良いし、乾電池も単三で交換しやすく、音量も調整されていた。何より、「このままでも十分使える!」と確信できるほどの完成度だった。最初は寝た状態で試していたが、座った状態でも可能かを確かめたいと思い、妻に頼んで座らせてもらった。それでも滞りなく呼び出し音が鳴った。それまで先生がセンサーの出し入れをしてくれたのだが、妻がその役割が担えるかと不安になった。文字盤で「入れて」と妻に伝えると、妻は水道でセンサーを洗って自分の口にセンサーを入れ始めた。「違う、違う。そうじゃない」と言いたかったが、座っている状態ではアヒルが押せないし、歯ぎしりの調子が悪いため怪訝な表情を浮かべるしかなかった。さすがにその場の誰かが気付いてくれて誤解が解けた。妻もやってみて、どのくらい深くセンサーを挿入すれば音が鳴り外れにくいのかに関する知見が得られた。その様子を見ていた助手の方も嬉しそうな表情を浮かべていた。 妻が「夫が冗談めかしてブログに書いたことを本気にしてまさか本当に作ってくれるとは!」と言っていたが、本当にそう思うし、「損得抜きで楽しみながらやってしまうのは学者と相通ずるものがある」と思ったし、「こんな身近にすごい人がいるもんだ」と思った。冗談抜きでこの発明で救われる人は大勢いると思う。学会とかで発表して、全世界のALS患者に希望の光を与えてほしい。 「次に来るときは更なる改良を施す」と先生は言うが、「もう完成してますよ。今夜から使うつもりでいます」と反論したい。

真夜中の洪水

 昨晩、猛烈な暑さを感じ、アヒルを数回鳴らした。妻はその音に反応してくれない。隣の部屋で寝ている長男がやって来て、布団の掛け方を調整してくれた。「まさか長男が起きているとは思わなかった。翌日から開講で朝早いと言っていたのに、深夜に起こして悪いことをしたなあ」と反省していた。その反省はアヒルの呼び出しを禁じ手にした。 前日からの消化不良は一眠りしても健在だ。軽い吐き気を感じた。そうすると目が冴えてきた。「今、何時だろう? 窓が一向に明るくならないことから3時から5時の間だろう」と推測する傍らで妻はすやすやと寝息を立てている。「嗚呼、あと何時間消化不良の不快に耐えなければいけないのだろう? 妻が起きても解決しないからなあ」と思った。 突然、つば吸引が作動しなくなった。この現象はたびたび起こる。チューブ内に粘り気の強い液体が滞留するのが原因だ。それを解消するには誰かが水をチューブ内に流し込まなければならない。その誰かが問題だった。長男の件があってアヒルは鳴らせない。妻はノンレム睡眠真っ最中という感じで熟睡中だ。俺の口の両端からは行き場を無くした唾液が流れ出して延髄の辺りを濡らしている。俺は「妻のいびきが収まり寝返りを打つタイミングで起こそう」と決心した。しかし、妻のいびきは収まらない。それどころかますます大きくなっていく。試しに歯ぎしりを数回鳴らしたが、何の反応もなかった。そのまま一時間ほど経ってからついに運命の瞬間が訪れた。 唾液の洪水となっていることを確認した妻は寝巻きを着せ替え、タオルで俺の上半身を拭いた後、シーツまで交換してくれた。なお、患者を寝たままにしてシーツを交換するのは専門知識を伴う厄介な作業である。その後、俺は眠りにつき、妻も一眠りしたそうだ。妻に頭が上がらない理由がまた一つ増えた夜だった。

運動会と体育祭

 前回の投稿に書き足したいことがある。以下はその投稿だ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_21.html 母校である郡中は荒れていた。俺が中2の時、「勇気ある生徒会長、殴られる」という見出しで新聞沙汰になったこともある。大村市内の中学校は「男子生徒は丸刈り」が強制されていたが、郡中だけが校則の範囲内での髪型の自由が認められていた。当時は不良がモテる文化があり、「派手な髪型をキメて教師に折檻されて男を上げる」ということが繰り返されていた。その雰囲気は末端にも伝播し、「教師に咎められないギリギリの範囲で髪型を工夫する」という文化があった。運動会のクラス別に編成された応援団にはクラスの中心派閥が集結していて、先輩から伝承された独特の応援形態の博覧会という様相を呈していた。 そんな郡中で生活していたので、似た者同士が集まる大村高校での日常は楽だと感じた。その一方で、喜怒哀楽が激しかった郡中時代を懐かしむ気持ちもあった。「進学校というフィルターでここまで丸くなってしまうのか? 自転車通学で新進気鋭の志も削られていくのか?」という思いだ。 大村高校の体育祭は学年対抗だ。競技の総合点では一年生に勝ち目はないのだが、応援合戦や大絵画というコンペがあり、誰もが最後まで楽しめるように設計されていた。さて、一年生全員が集められて応援の練習をするとき、応援団長は郡中出身で「フレーフレー」と大声を出すも大衆からは「部活と勉強で疲れてるのに暑い中余計なエネルギーを使わせるな」と言いたそうな冷たい反応しか返って来ない。気まずい雰囲気が支配する中、光のごとく颯爽と団長の元に駆け寄ったのがTだった。Tは郡中バレー部の主将で、郡中の運動会では応援団長の一人だった。なんと、その場でのやりとりで応援団長はTに禅譲され、前任者は団員としてサポートすることになった。明治維新の無血開城を想起させる劇的な政権交代にわくわくしたのは俺だけではなかった。一部の女子、おそらくは郡中出身、から声援が起こり、全体に波及していった。そこからはTの独壇場だった。 応援団と言ったら、三三七拍子とかコンバットマーチを思い浮かべるものだが、Tの応援形態はそれらの従来のスタイルとは全く異なる。言うなれば、郡中の運動会で行われていた応援を抽出してT独自のアイ...

お盆中日

 今日は8月14日、お盆の中日だ。平坂家の墓は大村市内の実家から徒歩で20分の位置にあり、祖父、祖母、父が祀られている。幼い頃からお盆は墓参りで、「せっかくの休日なのに墓参りしか行事がないのは何故なんだ?」という疑問と不満を抱いていた。海や山に行くわけでもなく、ご馳走が出てくるわけでもなく、線香を上げるのは自宅の仏壇で毎日やっているのにわざわざ墓まで赴くのは何故だろう? 会ったこともない祖父をお参りしても厳かな気持ちにはなれないと思っていた。大人になるにつれ、「お盆とはそういうものだ」と理解はするものの「死者を弔うには墓参りが不可欠だ」とはどうしても思えなかった。 父が亡くなり、祖母が亡くなり、2回の喪主を務めた。その後はさすがに先祖を哀悼する気持ちが湧いてきたが、自分の家族に精一杯手一杯で、祖母がやっていたように毎朝仏壇の前で拝んでいたのとは程遠い状況だった。どうやら俺は先祖より子孫に重きを置くタイプのようだ。その考えは間違いではないと思うし、妻子にもその姿勢を貫いてほしいと思っている。 現在、俺はALSに罹患している。家族と韓国に住んでいるし、家族の支えがないと生きていけない。家族の生活基盤は韓国にあり、将来もそのままだろう。日本に帰って来ることは困難だし、俺は家族のそばで一生を終えたいと思っている。 そんなわけで、俺は長男ではあるが、平坂家の墓に入るつもりはない。大村在住の弟がそれを守ってくれるだろう。もっと言えば、墓に入りたくない。骨は海に散骨してほしい。お盆ということで終活する次第だ。人工呼吸器を装着した現段階では簡単には死にそうにないので、まだまだ先の話だと思うが。

夢の読み上げウェブページ

 プログラムの専門知識が無いド素人でもAIの力を借りて立派なアプリを作成することができる。そんな話をよく目にする。 俺はグーグル翻訳の読み上げ機能を用いて、助けを呼んだり、頼み事をしたり、会話をしたり、韓国語に翻訳したり、本当になくてはならないソフトになっている。そのソフトに不満はないが、視線入力に特化したソフトに改善されればもっと入力速度も速くなるし、その分会話も円滑になるだろう。俺が本欄にその仕様を記しておけば、誰かがその仕様に従ってウェブページを開発してくれるのではなかろうか? そのような期待を込めて以下にその仕様の概要を書いてみる。 入力窓は下部に固定、入力した文章の全てを記憶、頻度に応じてクリックしやすい画面中央に表示、例えば「a」と入力したら「ありがとうございます」「暑い」「足」「アヒルが押せない」等の頻出語が出現、多言語機能、日本語の見出しでその横に他の指定した言語への翻訳を表示、画面上に漂う語句をクリックしたら読み上げ、画面右側に固定語句の一覧を表示、検索窓を下部に固定、URL群をクリックすると登録しているURLやファイルを小窓で表示、時系列順に入力内容を閲覧可能、見出し語を右クリックしたらコピー、という感じだ。 技術的には十分可能なので、この仕様でウェブページを作成するように生成AIに頼むつもりだ。

今週の訪問者

 今週の月曜日、訪問看護の方が来られてカニューレを交換してもらった。カニューレとはのどと気道を繋ぐプラスチック製の管のことで、2週間ごとに交換している。 時を同じくしてボイラー修理の技士が来られた。ボイラーは床暖房を始めとする湯を沸かす装置で、温度調節がうまくいかないという不備があり、修理を頼むことになった。 その日の午後、近所で耳鼻科のクリニックを開業している医師が来られて、俺の鼻にビニール製の管を突っ込んで吸引してくれた。その医師は俺を含めた家族全員が診療してもらった方で、俺の鼻水の色を心配した妻が相談に行ったところ、吸引を勧められ「そんな深い位置まで挿入するのは怖い」と言う妻に「ならば自宅を訪問して実演しよう」という医師の厚意によって実現した訪問診療だった。クリニックの昼休み時間にボランティアで来てくれたことに深く感謝したい。 その後、妻の友人が娘を連れて遊びに来られた。その娘は人工呼吸器を装着して寝たきりの俺を恐れることもなく近づいてきた。まだ10歳くらいなのに奇特だなと思った。 水曜日の午後、定期の訪問診療の医師と看護師が来られた。いつものように整腸剤を処方してもらった。 その後、次男と三男が金海空港に向かった。彼らは一週間大村に滞在する。 木曜日の午前、義父と妻の妹の夫とその娘が来られた。義父は心臓の持病があり、妻の実家がある浦項から梁山の大学病院まで来て診療を受けている。義弟は車で義父を送り迎えするために、その娘は妻のたっての希望でウチに二泊三日で滞在するために、やってきた。久々に会う義父は足取りがふらついていた。本来であれば、義父を労う立場なのに逆に労われた。 金曜日の午後、物理療法士と看護師が来られた。妻は外出中で、パソコンに繋がったままで施術を受けた。日頃の施術に感謝を伝え、物理療法士の趣味である運動技能の団体戦に話が及んだ。「意思疎通できるって素晴らしい」と思った。 土曜日の午後、義弟とその妻である義妹とその息子が来られた。ウチに預けている娘を迎えに来たというわけだ。義妹の明るい声を聞いて安心すると同時に元気をもらった。 明日も誰かが来られるかもしれないが、今週の訪問者を列挙してみた。

広島屋

 昨日は広島に原爆が落とされた日、平和式典を視聴していた。残念ながら広島には新幹線で通り過ぎたことはあるが訪問したことはない。いや、待てよ。中学校の修学旅行で宮島に行ったではないか。大山へのスキー旅行でお好み焼きを食べたが、その場所は広島ではなかったか。前々から広島の原爆資料館に行ってみたいと思っていたが、ついには機会を逃してしまった。 学生時代に週末だけ開店するお好み焼き屋があった。その屋号は広島屋だった。俺はそのときまで大阪風しか食ったことがなかった。あのオイスターソースとマヨネーズが混ざり合った佇まいには大いに食欲を掻き立てられた。その先入観は広島屋に初めて入った日に打ち砕かれる。広島屋にはマヨネーズが置いてなかった。誰も文句を言わずにオイスターソースのみがかかったお好み焼きを食べている。それは生地が薄く大量のキャベツを押し潰した部分が大半だった。大将は大柄でいかつい見た目だった。大阪風の圧倒的な支配力と比べて広島風は物足りない。大将は常連客との掛け合いで忙しく一見客には見向きもしない。それが俺の第一印象だった。 しばらく経って、日曜日の昼飯の食堂を探している最中、広島屋の盛況が目に入った。混んでいる店は美味しい。その法則に引き寄せられるように2回目の入店を果たす。そのときにキャベツの美味しさに気付いた。マヨネーズは美味しいけれど、野菜の自然な甘さを打ち消してしまうのではなかろうか。その疑問に対する答えが広島屋にあった。その後、日曜日の昼飯は広島屋がファーストチョイスとなり、豚玉の最安メニューだけでなくイカ天などのメニューを試すようになった。大将にも常連客と認識されるようになった。 本場の広島風を現地で食べた時、麺がシャキシャキして外見も洗練されているように感じたが、広島屋で洗礼を受けた俺の舌には「確かに美味しいけれど広島屋には及ばない」と感じられた。九大の箱崎キャンパスを訪れる機会は何度もあったが、1999年10月を最後に広島屋には行ってない。旅行にしろグルメにしろ「いつでも行ける。次があるさ」という考えはときとして取り返しのつかない事態を招くものだ。

勿忘草の感想

NHKのドラマ「勿忘草の咲く町で」は長野県安曇野の総合病院を舞台にした医療ドラマで、現役医師で小説家である夏川草介の同名小説を原作として制作されている。無知な俺は「医者は高給取りなんだから多少の忙しさは我慢するべきだろう」と思っていたが、このドラマを見てから「たとえ年収五千万円でもあんな過酷な仕事はやりたくない」と思うようになった。大都市の総合病院だと十分な数の医師が確保されていてなんとか回していけるし、開業医だと診療が中心で夜中に救命病棟に駆り出されることもないし、人の生命に関わる選択を迫られることはない。要するに救命の内科医と外科医はその激務と責任の重さ故になり手が少ないし、地方に行くほど待遇が悪くなる。そんな状況で地方の総合病院に勤務する医師たちは使命感とやり甲斐搾取で奮闘していることが伝わってきた。 仇名が死神である谷崎は延命治療を施さず高齢の患者を次々と看取っていく。彼は「死期を迎えた高齢者に多大な金銭的且つ人的資源が消費されている」ことに疑問を持ち続けていて、危篤状態の患者に付き添う看護師と自分の負担を軽減しようとして死神看取りをしていることが第四話で明らかになる。内藤剛志が演じる谷崎と「治すために全力を尽くす」研修医の桂との対立が前半の山場となる。医療従事者の哲学の衝突はどちらの立場も納得できる根拠が提示され、見応えがあった。 病院の患者たちが「もしかして本物の患者さん?」と疑うほど迫真の演技をしていた。第五話では誤嚥で亡くなる入院患者の話で、「もっと注意深く見守っていればよかった」と責任を感じる看護師と「複数の患者を食事の間中凝視することは不可能だ」と擁護する谷崎との対比が見所だった。俺も嚥下障害を経験したので他人事ではなかった。来週はその事件を巡って訴訟があるらしい。 俺の脳内ではこのドラマは医療ドラマとして最高峰に属する。同じ医療を扱う某ドラマとは天と地ほどの差があるなあ。

熊本地震

 令和8年熊本地震についての気付きをまとめてみた。 1)工場の煙突が折れたり、高速道路に段差ができたり、橋が折れたり、木造住宅が潰れたり、鳥居が倒れたり、熊本城の石垣が崩れたり、イオンモールが爆発したり、広範囲に強い揺れが起こったように見える。それだけの大地震が起こっても死者数が40名以下というのは不思議でならない。津波の被害がない、炊事の時間ではなく火災が起きなかった、等の理由があるのだろうが、耐震基準を始めとする防災行政の賜物ではなかろうかと見ている。防災の重要性を訴えるために人的被害が少なかった原因も検証してほしい。 2)妻が「インタビューに出てくる日本人は冷静ね。韓国だと泣き叫んで感情を露わにするものなのに」と言っていた。確かに取り乱した人のインタビューは俺の視聴範囲では皆無だった。自宅が倒壊した人も「これからどうしよう」みたいなことを笑顔まじりに語っているのを聞いて、「公の場では気丈に振る舞うことが徹底されているな」とか「もしかして編集段階で感情剥き出しのインタビューは除去されているのか?」という感想を抱いた。 3)俺が避難する状況を想像してみた。まず電気が使える場所に行って人工呼吸器とカフアシストを使えるようにしなければならない。病院だと硬いベッドで何も変化のない病室にいることになり、退屈で死にそうな気がする。避難所だと排便時に周囲を不快にさせることになる。いずれにせよ、災害関連死寸前のストレスを抱えることになる。避難所や病院にいるお年寄りも同様の不便を抱えているのだろう。そう考えると気が気でないし、辛さがわかる分同情の念が湧いてくる。 4)熊本には半導体関連の工場が多いことを知った。 5)同じ地震国である台湾で支援の輪が広がっているらしい。そのニュースを見て胸がジーンとした。住んでいたから余計にそう思う。

花火大会

 昨日は大村で花火大会が開催されたそうだ。我が故郷の夏の風物詩として何十年も前から続いている行事だ。その始まりを生成AIに尋ねることもできるが、敢えてそうしないでおく。俺が最後に大村の花火大会を間近で見たのは2019年だ。あの頃の俺は電動車椅子で自由自在に動き回ることができたし、会話も食事もできた。あの夜は弟の奥様のSさんの実家で食事をとり、すぐ近くの浜辺で仰向けに寝て大村湾に打ち上げられる花火を見た。 俺は轟音と共に視界全体に広がる花火を期待していた。それは幼い頃に大村小学校の近くにある母の実家で見た花火の記憶に起因している。子供心に「燃え屑が落ちて来たらどうしよう?」と心配するほどド迫力の光景だった。しかし、2019年に見たものは明らかに違っていた。打ち上げ場所が変わったからなのか、俺が大人になったからなのか、定かではないが、「より海に近い特等席とも言える場所で見ているのに何でだろう?」という違和感が拭えなかった。 2020年はコロナ禍の影響で中止になった。しかし、打ち上げ場所を公開せずにゲリラ的に花火が打ち上げられると聞いていた。その夏、古くからの友達であるMNHの厚意で彼の妹で平坂塾の講師であるYさんと俺の三家族で平戸に日帰り旅行することになった。その帰り道で、大村湾を隔てた大村市上空に上がる花火を見た。小さいながらもコロナ禍の何でも自粛の暗黒時代に希望の光をともす印象的な花火だった。 思えば、2019年も「最高の花火大会を見せてやろう」とSさんとその御両親が俺の家族に最大限の配慮をしてくれたのだった。俺と妻はその気遣いに感動して最高の花火大会を楽しんだのだった。

叔母さんのブーツ

 次男と三男が大村に滞在する期間が決まった。それは8月5日から8月12日までだ。繁忙期だからなのか、旅費が高くなっている。10年前の6人家族全員のフェリー代とほぼ同額の請求額を見て、物価高騰、コロナ禍後の海外旅行ブーム、ホルムズ海峡封鎖後の原油高、などの歴史が蘇り、時代の流れを感じた。 子供たちを通して旅行気分に浸ることができる。美味しいものを食べる前に写真を撮って送ってほしい。やはり、冷やしソーメンは食べてほしいな。麺つゆではなく出汁に塩味を追加したつゆが好みだ。 猛暑で子供たちが移動できる場所は限られていると思うが、行ってほしいところがある。俺が生まれた頃からお世話になっている叔母が入院している。その病院に行って俺の代わりにお見舞いしてほしい。その叔母は母の姉で、良い意味でキリギリスのように独身生活を楽しむ人だった。母が口癖のように言っていたのは、「H姉ちゃんは勉強せんくせに成績は良かったもんね」という評価だ。高校の家庭科の教員で、購入した自宅には絵画等の美術品が飾ってあった。母に連れられてよく遊びに行った。そのときのBGMは決まって「山口さんちのつとむ君」から始まる「みんなのうた」のLPレコードだった。母方の親戚が集まる新年会ではブーツがこれ見よがしに脱ぎ捨てられていて、俺のいとこの間でのH叔母さんの存在感は絶大だった。大人は酒盛りで忙しいのだが、子供の面倒を一手に引き受けていたのがH叔母さんだった。トランプや百人一首や麻雀牌を用いた絵合わせゲームなどがH叔母さんの司会で進行していった。尚、H叔母さんではなくH姉ちゃんと呼ぶのがルールだった。子供好きで面倒見もよく、生みの両親を亡くした従姉妹には親身になってサポートして、彼女らの子供を孫のように可愛いがった。 H叔母さんは認知症が進行して、母と訪問介護のサポートを受けながらなんとか一人暮らしを続けてきた。しかし、先日、外出中に倒れて入院中で、母が言うには「これを機に施設への入所を相談してみる」という状況だ。何にもできない自分がもどかしい。あれだけ一緒に遊んだいとこの集まりも大人になってそれぞれの家庭を形成する過程ですっかり疎遠になってしまった。この記事がH叔母さん、もとい、H姉ちゃんを思い出し恩返しの言葉を伝える機会になることを切に願っている。

帰って来た長い夜

 昨日の夕方、妻が体調不良を訴え、ベッドで寝ていた。一眠りすれば直るだろうと思っていたが、2時間、3時間と眠り続け、次男に店屋物を頼むように指示して、俺の夕食を作ることを諦めて、次男に胃瘻から栄養剤を注入するように命じた。 俺は23時半に就寝した。胃に違和感があったが、「液体である栄養剤で胃もたれすることはないだろう。一眠りすれば違和感も解消するはずだ」と思い、実際に1時間ほど眠った。しかし、その違和感は増幅し、そこから長い夜が始まった。胃の中は胃液しかないはずなのに、軽い吐き気に襲われる。眠りたいし、眠気も来ているのに、吐き気のために眠れない。頼みの妻は熟睡中で、「慢性的な睡眠不足が原因かも」と言っていたので起こせない。そうやって悶々としていると目が冴えて来て、覚醒してしまった。窓の外はまだ暗い。他のことを想像して気を紛らわせようとするが、結局は吐き気に戻る堂々巡りが繰り返される。外からは鳥の鳴き声が聞こえる。 そうしていると、妻の寝息が聞こえなくなった。「夕方から8時間以上寝ているから自然と起きる時間になったのかも」と思い、アヒルを鳴らして「ピー」という音を響かせた。妻は微動だにしなかった。代わりにやってきたのは次男だった。なんでも「暑くて目が覚めた」そうだ。用を足すと緊張がほぐれるものだ。俺は1時間眠ることができた。しかし、違和感は解消しないままだ。俺は背中への圧迫感に耐えられなくなりアヒルを鳴らした。妻は眠そうな顔で「昨日より良くなっているけど、まだ頭痛が残っている」と言った。妻は俺を座らせ、その態勢で2時間眠ることができた。 時刻は9時半、ようやく違和感が消えた。俺は妻の体調が回復傾向にあるのを喜び、長い夜の終わりに安堵し、家族の介護のおかげで生きていることを再認識した。

聖書の通読

20年以上前、聖書の通読に挑戦した。創世記と出エジプト記までは物語として面白いので、一日一章のペースで熟読することができていた。しかし、レビ記、民数記、申命記は家系や祭祀の作法に関する記述が多く、その挑戦は挫折するのであった。それ以降も礼拝の説教で1度も紹介されないような「記」が延々と続くのだ。疑問を持ちながら一章一章を熟読する形式で通読することは根気と忍耐を要する作業なのだ。 ALSに罹患してからページをめくる力がなくなり読めなくなった。その代わり読む時間は十分にあった。そんな時、妻が聖書の通読を一緒にすることを提案してきた。妻が音読して、それを聞いていればいいので負担はない。しかし、問題は「俺に主導権がない」ことと「妻は子育て、家事、介護で忙しい」ことにあった。結局、この試みも申命記の壁を越えることはできなかった。 妻のスマホには聖書のアプリがインストールされている。そのアプリは他言語対応で朗読してくれる優れものだ。これが俺のパソコンにインストールされれば、上記の問題点が解消するだろうと思ってはいたが、スマホ専用のアプリでパソコンにインストールできないという思い込みと「貴重なパソコン接続の時間を聖書の通読に費やすのは気が進まないな」という理由で放置していた。そんな折りに、数学者にしてキリスト者である鈴木先生からメールが来た。俺は何者かに導かれたかのように聖書の朗読アプリについて尋ねるメールを送った。鈴木先生からの返信にはアプリではなく、朗読機能があるURLが記してあった。 それからというもの、Youtubeで音楽を聴く時間を聖書の朗読に費やすようになった。それは熟読ではなく、BGM代わりに使用するだけだ。それでも旧約聖書の全貌が把握できたし、引っかかった箇所は生成AIに尋ねて正確な位置と解釈を知ることができる。聖書の朗読を聞き始めてから40日目にようやく新約聖書に入った。最後まで読んでも通読とは言えないと思うが、次に文字を目で追って熟読するときの目安になるだろう。何かを日々の努力を積み上げていくのは楽しいし、忘れていたものを思い出す作業であることがわかった。

胃瘻ウォーズ、再び

 日曜日の夕食時、胃瘻チューブが詰まった。前回は水も透過しないほど深刻な詰まり方だったが、 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/05/blog-post_30.html 今回はそれほどではなかった。水分であれば速度は落ちるものの無事に透過した。ただし、流動食は透過しなかった。妻は「無理して押し込んで水さえも透過できない状況」を恐れて、夕食はワカメ汁の代わりに栄養剤を入れることを提案した。月曜日になれば、訪問看護の方が胃瘻チューブを交換してくれるはずだ。しかし、月曜日の朝に突然詰まりが解消するかもしれないし、訪問看護の方のスケジュールが合わない可能性もある。胃瘻チューブを交換しても詰まり問題に怯えることになる。そこで妻に提案したいのが、プラスチック製の極細の管を購入して、動脈硬化をほぐす要領で詰まりを解消することだ。もし上手くいけば、詰まりの恐怖とストレスから解放されるだろう。 今日は月曜日、ありがたいことに訪問看護の方が午後2時に来られて胃瘻チューブを交換してくれることになった。それまで禁食なので、腹ペコだったが、胃瘻チューブは新品に交換された。それはチューブが透明で弾力性があるものだ。これなら詰まっている場所がわかるし、外部からの刺激により詰まりを解消することができるかもしれない。医療用品の進化を感じる今日このごろだ。 お忙しい中、わざわざ自宅まで訪問してくださりありがとうございました。 追伸)明日のベルギー対米国では全力でベルギーを応援する。その理由は以下の通り。 https://news.yahoo.co.jp/articles/3ee546c9a6f94e8bb7bbf64b22cba2136c9f03e4

気になること

 最近気になることを書き出してみた。 1)歯ぎしりの音量は日によってまちまちだ。どのようなメカニズムで歯ぎしりの音量が変わるのか全くわからないのだが、今朝は全く鳴らなくなった。座ってテレビを見ているとき、つばチューブが外れた。そのまま放置しても唾液が溢れるだけでそれを我慢すればいい。そう思い、家族の誰かが来るのを待っていた。ちなみに俺が過ごす寝室のドアは開放されているし、座っているときの連絡手段は歯ぎしりのみだ。しかし、長男はドアの前を往来するものの俺の助けを求める表情には気付いてくれないし、床をモップ掛けするために寝室に入って来た妻も同様だった。いつも「何か言いたいことがある?」と尋ねてくれる次男はまだ目覚めてないようだ。結局、「何か用事があれば歯ぎしりで呼ぶはずだ」という思い込みが招いた事態で、実害はなかった。今朝の歯ぎしりの不調は一過性のものと信じたい。 2)視線入力で文章を書くとき、視線入力ソフトの専用日本語入力システムを用いている。それはKANA入力で候補単語を選択して入力する形式なのだが、候補単語がソフトの辞書に無いと苦労することになる。例えば、「しゅくんしょう」は辞書に無い。syukunsyouと入力しても、主君小、主君賞のような的外れな候補単語しか現れない。そういう時は漢字の一つ一つを入力することになる。しかも、ローマ字で入力した通りのひらがなやカタカナの候補単語が出てこないことが多い。例えば、辞書に登録されてない外国人名を入力するときは細切れにしたカタカナで入力することになる。通常のパソコン入力よりも優れている部分は多いので、辞書機能を充実させるとか候補単語選択を改善させることで最上を目指してほしい。 3)世界の大学の格付けにはいくつかの指標があるが、東京大学のランクはこれらの指標で30位から40位に位置している。ちなみに世界のトップ5は、MIT、スタンフォード、ロンドン帝国、オックスフォード、ハーバードだ。東京大学がこれらの大学に追いつくためには、給与体系、研究費、研究環境を大幅に改善して世界中から優秀な頭脳が集まるようにする必要がある。実際問題としてこれは不可能に近い。サッカー日本代表はワールドカップ優勝という目標を公言しているが、夢があっていいと思う。もちろん、スポーツの勝敗と大学の格付けは根本的に異なるものだが、「いつかそうなったら...

夜の散歩道

 昨晩の19時、妻が「外は涼しいし快適だから外出しよう」と言い出した。俺にとっては「今さっき思いついたような突然の申し出」なのだが、妻にとっては「虎視眈々と外出に連れ出す機会を伺っている故の申し出」なのだ。妻の「蚊が出る季節の前に行こう」という勢いに押され、俺は「準備に時間がかかって出発が遅れ、同行する長男と次男から行く行く詐欺と言われそうだ」と思いつつも、渋々ゴーサインを出した。 長女は図書館で勉強中、三男は林間学校で不在、そんなわけで、俺、妻、長男、次男という珍しい組み合わせで20時40分に出発となった。アパート敷地の勝手口から出るのはいつもと同じ、今回はいつものコースを逆回りすることになった。 夜の外出は久しぶりだ。一昨年に救急車で搬送されて以来だ。車椅子に乗っての夜の外出は釜山に戻ってから初めてだ。久しぶりに月を見た。夜の街並みには昼とは異なる趣がある。産業道路を走る自動車の群れが発する光の流れは決して再現されないイルミネーションだ。古代人が現代に連れて来られたら、息を飲んで見入ってしまう光景であり、現代人であってもドバイに展示された有名アーティストの作品だと言われたら見入ってしまうと思う。歩いていると、「ここは千五百ウォンのコーヒー代で3時間勉強したハンバーガーチェーン店だ」とか「よく行ったあの店がパン屋に変わっているなあ」とか「この川の下の遊歩道を走っていたのに」とか「ここの鮟鱇鍋は激辛だったけど美味かった」という思い出に浸っていた。 妻は「長女とこの道を歩きながら色々なことを話すのよ」と言って、「楽しくて仕方ない」という様子で長男に話しかけていた。そんなとき次男ははるか前方を一人で歩いている。それは妻子を置いて一人で目的地まで行ってしまう20年前の俺の姿で、そのたびごとに妻から非難されたのだった。自宅に戻ったのは21時40分、やはり外出すると視覚と聴覚が刺激され、色々な考えが浮かんでくるものだ。