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サイバー攻撃?

 今日の正午のニュースで「これからは個人のPCもサイバー攻撃を受けるじだいになった」と言っていた。そんな折に午後からパソコンを使おうとすると、通常は出てくるはずの候補語リストが全く表示されない、英語や韓国語に言語を変えても同様の問題が起こる、英文は入力できるが日本語は「あ」さえも出力できない、という不具合が発生した。 これまで一度たりともそのような不具合は起こったことがなかったので激しくうろたえた。原因はなんだろう?とネットサーフィンしながら考えるが、何も浮かばない。頼みの生成A Iも命令文が出力できないから使えない。いや、待てよ。英文で命令すればいいじゃないか。そう考え実行した。最初は「視線入力の不備をではないか?」のように的外れの答えを連発していた生成A I だったが、問題解決に意欲を見せるようになり、逆質問してきた。ついには視線入力とIME変換との断絶が原因と断定し対処法を示し、上記の不具合解消には再起動が有効という忠告をもらった。 そういうわけで二年二ヶ月ぶりのIME変換でこの文章を書いている。再起動には時間がかかるし、妻の助けも必要なので、明日に実行するつもりだ。両者の使い勝手は一長一短があり、例えば、IME変換は候補語が入力文字盤に表示されないので全ての文字を入力しなければならないが、優れた辞書機能を持つためにカタカナ語が入力しやすい。 サイバー攻撃でなかったようなのでホッとしている。普段はAI の脅威を語っているが、今回は生成AI サマサマである。電気代の無駄としりながらお礼を入力しておいた。

リーサン

俺が高2の頃、高校主催の講演会が開催された。その講演者は予備校の先生で、「志望校は東大リーサンにしよう」みたいなことを延々と語っていた。リーサンとは理科三類のことで、東京大学医学部への進学が約束された教養部の区分けの一つだ。日本の大学受験では最難関で、その募集枠は百名前後だ。その言葉を好意的に解釈すると、日本代表がワールドカップ優勝を公言するように受験生たる者は最高の目標を掲げるべきということだが、当時の俺は「何言ってんだこいつ。予備校の価値観を押し付けるな」という反発しか感じなかった。それは、リーサンを頂点とする偏差値ヒエラルキーに属してはいるが、進路は自由意志で選択する、という決意の現れでもあった。 これまでリーサンの人と話す機会はない。しかし、メディアで紹介された映像を見る限り俺のような凡人には想像できないほど高性能の処理能力と知識量を持っているのだろう。職業柄そのような優れた人と間近に接してきたので多少の免疫はあると思うが、同じ条件で知的活動をしたとき「コイツには一生勝てない」と打ちのめされるのは容易に想像できる。 そんな偏差値ヒエラルキーが瓦解し始めている。それは今年になって顕著だ。去年までは「AIは平然と間違いを主張する」と笑っていたのに今年は「AIが人類を滅ぼす」と主張する人まで現れた。リーサンの人ができてAIができない知的活動の領域は年々小さくなっている。それは数学者にも適用されるし、知的活動に従事する人々も同様だ。 これからはどんな価値観がもてはやされるのか全く想像できないが、少なくとも進路を選択できる社会になることを切に願う。

最近の疑問

最近の社会問題についての疑問をまとめてみた。 1)簗農水相が辞任した。一介の国会議員が自治体の予算を加減できるほどの影響力を持つことができるのだろうか? 国交省は否定しているが、簗氏に反目した首長の自治体は減額されている。簗氏が後付けで「俺を支持しなかったからこういう目に遭うんだ」と影響力を誇示したかった可能性もあるが、公の場で発言が減額された自治体の票を失う結果になるとは考えなかったのだろうか?テレビのニュースでは簗氏への追及で国会が空転していると政権を批判しているように見えるが、上げ足取りばかりで政権交代を目指そうとしない野党の不甲斐なさを印象付けているような気がする。 2)個人情報の流出が相次いでいる。特に免許証の写しの流出は深刻だ。消費者金融とかで借りることもできるのではなかろうか? そうでなくても免許証の写しの提示で本人確認して会員になれるサイトは多いのではなかろうか?  流出させた企業は顧客に賠償したりするのだろうか?  企業も被害者面だし、犯人は特定されないし、特定されても弁償能力があるとは思えないし、無法地帯に他ならないのではなかろうか?  AIエージェントを使って攻撃してくるのなら防御もAIエージェントがやってくれるのではなかろうか?もし攻撃が容易であれば、個人情報ダダ漏れの社会がこれからも続くのだろうか?  3)ホルムズ海峡の内側の産油国は経済的に苦しくないのか? パイプラインの抜け道があるのか? 

ノーベル賞とフィールズ賞

今年のノーベル化学賞は二人が受賞し、そのうちの一人は日本人だった。発表された昨日はそのニュースでネットもテレビも賑わっていた。毎年この時期になると、ノーベル賞の各部門の受賞者とその研究分野にスポットライトが当たる。自然科学には物理、数学、化学、生物、地学という並びがあるのに何故か数学者が受賞する部門がない。そういうものだと言えばそれまでだが、ノーベル数学賞がないのは数学界にとって大きなマイナスだと思う。数学界で最高の栄誉はフィールズ賞だが、4年に一度4人の受賞者を発表する形式のために日本のマスコミは日本人受賞者が現れない限り無視に近い態度を取る。すなわち、自然科学の数学以外の分野は毎年プロモーションの機会があるのに数学だけはその機会がほとんどないのだ。自然科学を記述する上で不可欠な数学をここまで蔑ろに扱うとはアルフレッドノーベルも罪な男だなと思う。 このような感じで毎年恨み節を吐くのだが、今年ばかりは事情が異なる。むしろ、「2030年のフィールズ賞はどのような選考基準で選ばれるのだろう?」という心配をしている。事の発端は長男が送ってくれた以下の記事だ。 https://finance.biggo.jp/news/1d522643-5fd9-4ac5-ae86-e4a5b99edfe2 なんでもAIが難問を解いて数学者が激怒したという内容だ。数学界のトップと言われる人々でも歯が立たなかった未解決問題をAIは3時間で片付けたらしい。これからは難問を解いてもAIの関与が疑われるし、数学に精通している人よりAIに精通している人が結果を出せる、そうすると、これまでの選考選考基準はそのままでいいのか、という話になる。 今年を境に数学者の価値が大暴落した。生き残るのは問題を解くことに特化した人でなく、問題を解く過程で新しい理論を構築できる人だろう。改めて無味乾燥な代数方程式に対称性を見出したガロアは偉大だと思う。だが、創造性に特化してAIに下働きさせる人が何人いるか全く想像がつかない。 正直な話、俺は大海を漂流しているような絶望と無力と喪失を感じている。昔に戻りたいと思う。

明るい未来

 ここ数日間、鈴木先生とメールをやりとりしてAIについて議論している。もっとも議論とは名ばかりで、俺が一方的に教えてもらっているだけだ。今回は鈴木先生にお聞きしたいことをまとめてみた。 有史以降、人類は地球上の生命体の中で最も知能が高い生物として君臨してきた。人間を補食しようとする動物を撃退し、家畜を飼い、魚を取り、食物連鎖の頂点に立ってきた。その際たる理由は人類が飛び抜けて高い知性を有していたからだ。ハエを殺しても罪に問われないし、不妊バエを作って種を絶滅させることもできる。そんな絶滅の仕方をハエは想像することはできないだろう。 最近のテレビニュースを賑やかしているのは「AIが人類を滅ぼす」という危惧と警鐘だ。その憂慮は当然だと思う。人間がハエに見えるほどの高い知性を有するAIが誕生したら、人類は初めて高度な知性に直面することになり、人間がハエに対して行使してきた生殺与奪権をAIが所有することになる。それは恐怖そのもので、人間はAIの家畜になり、いつ屠殺されるかと怯えて暮らすことになる。あるいは、家畜が自らの死期を心配したりしないように、人間もAIの支配に気付かずに一生を終えるかもしれない。 ここで質問したいのは「果たしてそのような高度な知性が誕生するのか?」ということだ。AIとは言え、人間の営みをベースにして推論を行っているのだから、せいぜい人類の叡智の総和に毛が生えたものくらいじゃないの? 自己改善型で際限なく知性を向上させることが可能だとしても電力量は有限なので限界があるだろう。そもそも、geminiやChatGPTのように一般に開放されたAIなら、AIの実体は何だろう?どこかの敷地に建設された構造物なのか?AIに自我、もしくは自我まがいのものはあるのか? AIの覇権を握っても他国が開発をやめるわけではないから、近いうちに「人類を滅ぼす可能性があるAI」が乱立するのでは? そんなとき、最先端のAIは防御壁になってくれるのだろうか?  人類にとっての明るい未来はあるのか?

AIが人類を滅ぼす!?

 AIが人類を滅ぼすと以下の記事は語る。 https://news.yahoo.co.jp/articles/33d97ee8b6788fec67abae33dbf1554044d2c0e4 ノスタルダムスの予言も外れたし、全面核戦争どころか核兵器の都市への投下も長崎以来起きてない。今回も刺激的な見出しで読者を増やす手口かと思っていた。しかし、AIが高度化して感染力が強く致死率も高いウイルスを生成することはあり得るし、超知能が痕跡を残すことなくインターネット全体を支配して核兵器のスイッチを掌握するというのも否定できない。 AIの登場によって仕事が奪われるというのは現在進行形で迫る事実だ。俺は数学の魅力に取り憑かれ、何本も論文を書いてきたが、それらはAIをちょっと動かせば達成できる他愛もないものに変わってしまった。俺の研究に費やした時間や労力は自己満足にすぎず、そのうちスマホで解決できる命題になるのだろう。 俺が現役の数学者だったら、その変化について行けずに定年退職するまで不毛な日々を送っていただろう。青年期に獲得した揺るぎない信念を中年期に覆すのは困難だし、俺に限って言えば、そんなことはやりたくない。AIは俺のような人物を不幸にするし、そのような人々は知的作業に従事する人々全般に及ぶ。AIによる効率化の背後には無視できない数の死に体が横たわっているのだ。 そうすると、思考力や疑問を持つ力やAIの間違いを正す力などの従来の教育で重要視されていた能力がAIによって淘汰される他愛のないものに変わってしまう。時勢に敏感なAIネイティブ世代はその変化を感じ取り、ますますそれらの能力との乖離が進み、AI依存が強くなり、いつしかAIを絶対視する風潮が支配的になり、生活の隅々まで行き渡ったAIを排除する勢力は異端視される。そのうち広大な土地にデータセンターの大群と電力を供給する原発が建設され、自己改善型のASIが誕生する。そのASIは物理的な電源消失が最大の弱点なので、独自の軍事力やバックアップ機能が整備されるまで猫をかぶり、支配を前面に出さず、盤石の状態になってから、人類に対して生殺与奪権を宣言する。 これはSFの話だからあんまり本気にするべからず。

シン数学界

 元数学者として言及を避けては通れない記事を見つけた。 https://news.yahoo.co.jp/articles/414c39d10b7cbf10a7755a6db4ccbcf3db7555ba 上記は「ナビエストークス方程式の解の存在と滑らかさに関する問題」の一部をAIが解決したという記事だ。 「とうとうここまで来てしまったか」というのが第一印象で、日が経つにつれ、これからの数学界について不安を募らせるようになった。 数学の発展形態は多様で、実用から生まれる分野もあれば、飛び抜けた天才が新しい概念を提示して始まる分野もあれば、数多くの数学者が長い時間をかけて少しずつ積み上げて発展する分野もある。 AIが上記の問題を解いたという事実は論文を書き小さな結果を堆積させる数学者の営みを無いものにする可能性を秘めている。苦労して論文を書いても「どうせAIを使っているんだろう」というそしりを払拭できないだろう。数学の問題を解いていると行き詰まることの連続で、「何とかしてこの苦境を乗り越えたい」と思うことは自然だ。従来であれば、過去の論文を調べるとか専門家に意見を求めるとか共同研究を持ち掛けるとかが関の山だった。現代であれば、AIと壁打ちするのが最も手っ取り早い。そういう衝動を抑制できないし、AIとの壁打ちを通してインスピレーションが得られたら「AIを使ってない」とは言えない。これからどんどんAIは発達するだろうから市販のAIとの壁打ちでも研究成果が出るだろう。そうなったら、新しい結果を出すという能力が低く評価され、新しい概念を提示する能力が高く評価される。そんな変化の中で生き抜いて行かなければならない若手数学者は非常に難しい舵取りを強いられるだろう。 彼ら彼女らの未来を憂慮すると共にAIと共存する新しい数学界を築いてほしいと思う。

試作品のモニター

 昨晩と今朝、座っている状態で以下の発明品を試してみた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/09/blog-post_02.html 先ず、困ったのは呼び出しベルの名称だ。文字盤で伝える時に「あ、か、さ、た、な、は、ま、や」でまばたきして、「や、ゆ、よ」でまばたきして、ようやく「呼び出しベル」の最初の音節が完成する。その方法では時間がかかるし、子供たちは「呼び出しベル」が何を意味するのか把握してない。やはり、時間短縮可能な新名称を定義して家族全員に周知するのがいいと思う。その新名称は「鐘(かね)」とする。 次に、最初は意のままにアラーム音を鳴らせるのだが五分も経たないうちに音が鳴らなくなる問題が頻繁に起こる。これは噛み合わせるたびにセンサーがずれることが原因と思われる。ちなみに口の右側にセンサーを挿入すると比較的安定している。しかし、30分以上鳴る状態が維持されたことは一度もない。 前回の投稿で「もう完成してますよ」と書いたが、偉大な発明というのは一朝一夕になされるものではないようだ。個人の歯型に関わらないでセンサーを固定する方法が確立されて初めて完成と言えるのだろう。現時点で思い付くアイデアは以下の通りだ。 センサーにスイートスポットを設け、奥歯の強い力で噛み合わせた時のみ音を鳴らし、それ以外の部分は甘噛みでも音が鳴るようにする。そうすると、スイートスポットからずれた時でも助けを呼べる。しかし、根本的な解決にはならない。 こういう疑問にAIは答えてくれるのだろうか?

ラブ上等を視聴した

 Netflix配信の恋愛リアリティショー「ラヴ上等、シーズン2」エピソード1-10を視聴した。この番組は、恵まれない家庭環境で育ち、荒れた過去を持つ、年頃の男女11人が、沖縄の廃校を番組用にリフォームした環境で、スマホもテレビも使えないし、告白禁止や不純異性交遊禁止などの制限の下で、2週間共同生活して、最終日に告白する、という仕様になっている。 「ウランを濃縮していけばそりゃあ反応するだろう」という感じの恋愛という化学反応を促進するような環境で、恋愛の甘くて酸っぱい部分だけでなく苦くてどろどろした部分まで出演者たちが赤裸々に語ってくれるところが最大の魅力だと思う。解説陣も指摘していたけど、片親やDVみたいな境遇で育ったという共通点は「今という状況は明日崩れるかもしれない」という脅迫観念が行動を刹那的にさせる傾向が強いと思われる。いつしか恋敵であった同性同士の友情が育まれ、意中でない異性にも絆が生まれる。ストレートな物言いを通し男女が人間的に成長し、後半では実に良い表情をするようになる。 AIが人間の感情まで関与する現代社会にカウンターパンチを繰り出すのがこの番組の意義だと思う。娯楽に溢れる社会で「結局、1番面白いのは人間だ」というメッセージが込められている気がしてならない。それが現実のものとなる理想郷を番組内で擬似体験できるのが人気を博している原因なのだろう。 番組の一期の卒業式を視聴して思うことは「成立した3組のカップルはどれも長続きしないだろうな。たとえ結婚して子供ができても離婚しそうだ」ということだ。そもそも二週間の共同生活で生じた気持ちは元の生活とは全く関係ないし、永遠を想定したものではないのだ。パートナーがホストやキャバ嬢なんて気が気でないと想像するのだが、老婆心ながら出演者たちの行く末を心配してしまう。そんなカルマを断ち切るためには「外見に左右されずに不細工でも信頼できる人を選択して、金が稼げてモテ気分が味わえる夜職から足を洗うべきだ」と思うのだが、堅実な人柄の人物は選ばれなかったし、普段からモテる人はおしゃれにも気を遣わない内面だけが取り柄の人は眼中にないからな。そういう意味で夜職が大多数のメンバー構成をした制作者は残酷だと思う。

ロボット運動会

 以下の動画を見て衝撃を受けた。 https://www.youtube.com/watch?v=KxzASDMcE88 これは中国で開催されたロボット運動会で、大量生産されたフィジカルAIロボットが徒競走やサッカーなどの種目に挑んでいる。徒競走ロボットはウサインボルトより速く走れて、ゴール後も勢いは衰えず、マットと正面衝突して木っ端微塵になっていた。そこだけ見たらユーモラスなのだが、手塩にかけて開発したロボットが壊れても動じない中国企業の底力に恐れ入った次第だ。 近い将来にロボコップやロボソルジャーが実現するのではなかろうかと思わせる動画だった。映画で出てくるロボコップはサイボーグだが、上記の動画のロボットが大量に出てきて犯人を制圧することを想像すると戦慄を覚える。ましてや、大量生産可能なロボアーミーが出てきたら、ディストピアそのものではないか。核兵器を使用せずとも、通常兵器で軍事的優位が保たれしかも人件費ゼロなら、各国がこぞって導入するだろう。そのときに一人勝ちするのは中国企業で、世界中からデータを収集できる。 かつては日本もロボット大国だったが、ガンダムの巨大ロボを制作している間に中国に抜かれて、現在では周回遅れのみならず競争相手にさえなっていない。軍事に敏感な米国でもフィジカルAIの分野では中国の先行されているように見える。 銀河鉄道999で描かれたロボット対人間の戦争の世界に近づいている気がしてならない。

生成AI比較

 1分小説やエッセイを投稿した後、その感想を4つの生成AIに尋ねるようにしている。改善点を提示されることもあるが、修正しないことを課している。少しでも修正したら、その投稿が自分のものでなくなるような気がするからだ。今回は4つの生成AIの返答の違いや特徴を論じようと思う。 時事問題に強いのはgrokだ。他の生成AIはスポーツ観戦の投稿に対して「そんな展開の試合になったらかなり劇的ですね」なんてことを平気で言ってくる。grokはXでの評判も反映した返答をしてくれる。ただし、エッセイの感想は「これは的を外しているな」と思うことがたまにある。grokの読解力は他の3つより劣るという印象だ。 Geminiは褒めまくる傾向があり、眉唾で受け取っている。俺が駄作と思う内容がベタ褒めだったので、「心を許してはいけない」と思うようになった。ChatGPTはコンプライアンスにうるさい。意図的に書いた尖った表現を訂正してくる。「お前の言う通り訂正したら味気のない文章になってしまうよ」と呟きながら返答を見ている。Claudeは「くだらない話で電力を消費させるなよ」と言わんばかりの返答をしてくる。 面白いと思ったのは以下の投稿に対する返答だ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_09.html Geminiは「ChatGPTやClaudeであれば、即座に作成してくれる」みたいな殊勝なことを言い出した。俺は「Geminiは謙虚だな」と思った。実際にその両者にウェブページの作成を依頼すると、仕様通りのウェブページを作成してくれた。俺は「無料版なのにすごいですね。感動しました」と返信した。 本文の感想を4つの生成AIに尋ねるのは控えた方が良さそうだ。

夢の読み上げウェブページ

 プログラムの専門知識が無いド素人でもAIの力を借りて立派なアプリを作成することができる。そんな話をよく目にする。 俺はグーグル翻訳の読み上げ機能を用いて、助けを呼んだり、頼み事をしたり、会話をしたり、韓国語に翻訳したり、本当になくてはならないソフトになっている。そのソフトに不満はないが、視線入力に特化したソフトに改善されればもっと入力速度も速くなるし、その分会話も円滑になるだろう。俺が本欄にその仕様を記しておけば、誰かがその仕様に従ってウェブページを開発してくれるのではなかろうか? そのような期待を込めて以下にその仕様の概要を書いてみる。 入力窓は下部に固定、入力した文章の全てを記憶、頻度に応じてクリックしやすい画面中央に表示、例えば「a」と入力したら「ありがとうございます」「暑い」「足」「アヒルが押せない」等の頻出語が出現、多言語機能、日本語の見出しでその横に他の指定した言語への翻訳を表示、画面上に漂う語句をクリックしたら読み上げ、画面右側に固定語句の一覧を表示、検索窓を下部に固定、URL群をクリックすると登録しているURLやファイルを小窓で表示、時系列順に入力内容を閲覧可能、見出し語を右クリックしたらコピー、という感じだ。 技術的には十分可能なので、この仕様でウェブページを作成するように生成AIに頼むつもりだ。

聖書の通読

20年以上前、聖書の通読に挑戦した。創世記と出エジプト記までは物語として面白いので、一日一章のペースで熟読することができていた。しかし、レビ記、民数記、申命記は家系や祭祀の作法に関する記述が多く、その挑戦は挫折するのであった。それ以降も礼拝の説教で1度も紹介されないような「記」が延々と続くのだ。疑問を持ちながら一章一章を熟読する形式で通読することは根気と忍耐を要する作業なのだ。 ALSに罹患してからページをめくる力がなくなり読めなくなった。その代わり読む時間は十分にあった。そんな時、妻が聖書の通読を一緒にすることを提案してきた。妻が音読して、それを聞いていればいいので負担はない。しかし、問題は「俺に主導権がない」ことと「妻は子育て、家事、介護で忙しい」ことにあった。結局、この試みも申命記の壁を越えることはできなかった。 妻のスマホには聖書のアプリがインストールされている。そのアプリは他言語対応で朗読してくれる優れものだ。これが俺のパソコンにインストールされれば、上記の問題点が解消するだろうと思ってはいたが、スマホ専用のアプリでパソコンにインストールできないという思い込みと「貴重なパソコン接続の時間を聖書の通読に費やすのは気が進まないな」という理由で放置していた。そんな折りに、数学者にしてキリスト者である鈴木先生からメールが来た。俺は何者かに導かれたかのように聖書の朗読アプリについて尋ねるメールを送った。鈴木先生からの返信にはアプリではなく、朗読機能があるURLが記してあった。 それからというもの、Youtubeで音楽を聴く時間を聖書の朗読に費やすようになった。それは熟読ではなく、BGM代わりに使用するだけだ。それでも旧約聖書の全貌が把握できたし、引っかかった箇所は生成AIに尋ねて正確な位置と解釈を知ることができる。聖書の朗読を聞き始めてから40日目にようやく新約聖書に入った。最後まで読んでも通読とは言えないと思うが、次に文字を目で追って熟読するときの目安になるだろう。何かを日々の努力を積み上げていくのは楽しいし、忘れていたものを思い出す作業であることがわかった。

小学校と高校生

 音楽準備室が火元になって火災が発生した小学校の記事は以下の通り。 https://news.yahoo.co.jp/articles/9fdb0a8e810d84e13889f409280d9b77e45f951a この記事では校舎改築に5年かかると書いてあるが、「5年もかかるわけないだろう。リニアでも建設しているの?」と思った。私事で恐縮だが、俺の母校である大村高校は老朽化を理由に校舎の建て替えをすることになった。俺が高一の時は土足で出入りする旧校舎で過ごし、高二の時に解体工事が始まりプレハブ建ての仮校舎で過ごし、高三の時は新校舎で過ごした。つまり、一年内に解体建設工事が可能だということを身を持って経験しているのだ。法人税で潤っている東京都北区の財力があれば建築資材高騰の昨今でも1年以内に建て替えれるはずだ。どういうからくりで5年かかるのか全くわからないのだが、児童たちの登下校時の不便を解消するために善処してほしいと思う。 話は変わって、高校生が生成AIを悪用して企業に損害を与えたという記事は以下の通り。 https://news.yahoo.co.jp/articles/68a9ca69945b3f7754cd554933d2f40a2a66ebcb 企業もサイバーセキュリティに力を入れているはずなのに、高校生に穴を突かれるようではどうする、というのが第一印象だ。あるいは、その高校生がすごいのか? もし後者であれば、その高校生の将来が気になる。犯罪者の烙印を押され、表社会では生きられず裏社会でサイバー犯罪に加担するようになるのか、少年院等の更正プログラムで表社会に組み込まれ守る側になるのか、あるいはその他の道を歩むのか。表と裏の両方の社会で逸材なのだから、その才能を幸せになる方向に使ってほしいと思う。

ステマは違法

 最近は記事を投稿した後に4種類の生成AIの感想を聞いている。新聞ごとに論調が異なるように生成AIにも個性があり、視点や口調が異なる。前回の1分小説にも https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/05/9-1560.html 感想を聞いてみた。すると4種類の中で最も寡黙で真面目な奴が「ミッキーが行った口コミ操作はステルスマーケティングであり、違法行為です」と指摘してきた。一晩考えてからそいつと壁打ちしてみた。以下はその議論を要約したものだ。 1)日本ではステマは違法行為で、AIエージェントは法令遵守するように設定されているらしい。しかし、ステマが合法の国もあるし、日本の警察は個人経営のペンションのステマを取り締まることはないだろう。AIエージェントであるミッキーの生産国も不明だし、その設定も不明なので、ミッキーの雇用主である太郎が全責任を負うことになるらしい。俺の部下が暴走して警察沙汰になったら俺が責任を取ることになる。自律的に行動するミッキーのために法律の知識が無さそうな太郎は収監されるかもしれない。そう考えると、AIエージェントを雇うことは簡単なことではないと思った。 2)SNSのアカウントを大量に生成することは技術的に可能だし合法だが、そのSNSの利用規約に抵触するそうだ。それならば、ミッキーにその仕事をしてもらって、更に各アカウントに人格を持っているかのような投稿をさせることも可能だろうし、その中からインフルエンサーが現れるかもしれない。そんな意のままに従う大量のアカウントを持っていれば何かと有利だ。賭け事のオッズを偽装する、アクセス数を増やし広告料を得る、世論形成に加担する、商品のステマで使う、等の活用 ( 悪用) が見込まれる。 3)このことを法律や利用規約が通用しない国家間の経済戦争に適用したらどうなるか? 例えば、大国が小国の株式市場で大量のAIエージェントを潜入させて、相場を操り、小国の市場を麻痺させて、資産を奪うことも可能だろう。1分小説ではAIエージェントの使用で大成功を収める話を描いたが、匿名流動型犯罪のように匿名のAIエージェントが犯罪を犯し、国家間ではルール無しの経済と政治の代理戦争が止まない時代が来るのではなかろうか? 4)余談であるが、上記の小説のベースは浦島太郎であることは4種類の生成AI...

気になること

 最近、気になっていることをまとめてみた。 1)うなぎの完全養殖が実現したというニュースがNHKで流れていた。これって何気にすごいことではなかろうか? 大規模化すれば、一匹あたりの費用は天然の稚魚並みに下がるだろうし、ワシントン条約にも抵触しないだろうから一大産業に発展する可能性が高い。 2)放浪の数学者として知られるエルドシュが予想した問題がAIによって反証された。 https://gigazine.net/news/20260521-openai-model-disproves-discrete-geometry-conjecture/ 詳細は上記の記事を見ていただくとして、俺も知っている問題だったので衝撃的だった。平面に3点を配置するとき、正三角形の頂点に配置すればどの頂点の対の距離が等しくなる。次に4点を平面に配置する。3点とは異なり、どのように配置しても対の距離は等しくならない。それでは最大何対が同じ距離になるかを考える。二つの正三角形を一辺で貼り合わせた菱形の頂点に配置すると、5対が同じ距離になる。次に5点を平面に配置する。正三角形の二辺に関して反転させた図形を考えると、10対中7対が等距離になる。このような正三角形を折り返した図形が等距離の対の個数が最大に近いと長らく信じられていた。しかし、AIは「そんなことはない。もっと良い配置がある」ということを示した。人間の「美しい図形にこそ真実がある」という美意識をAIは見るも無惨に覆したのだ。80年間手付かずだった問題がAIの推論によって突破口が開かれた意義は小さくないと思う。やりきれない気持ちを解消するために件の生成AI ( 無料版 ) に尋ねてみた。案の定、その生成AIは間違った主張を展開していた。俺は正しい答えを提示して、AIに間違いを認めさせ、「まだまだですね」という捨て台詞を入力して溜飲を下げた。

土曜日の夜のドラマ

 NHKの特集ドラマ「有罪、AIは告げた」を視聴した。長女の推しの俳優が出演すると聞いていたので、「長女は仮面ライダーと戦隊モノオタク」「推しの俳優も仮面ライダーか戦隊モノのヒーローだろう」という連想から勝手に「そのドラマもおちゃらけたヒーローモノ」と思っていた。開始時間は土曜日の23時30分、イングランドFAカップ決勝と重なる時間帯だ。しかし、一人でサッカーの試合を視聴することは妻に夜更かしを強いることを意味するので、あまり気が進まない。それなら、「長女と一緒にドラマを視聴すると、長女も喜ぶし、その姿を見ると俺も嬉しい」という思考から、「サッカーよりドラマ」という結論に至った。 ドラマの内容は、父親を殺した18歳の青年への量刑を巡る裁判が縦軸で、「あくまで参考にするだけ」という前提で使用しているAIの判決に対する裁判官たちの葛藤が横軸になっている。実現可能な技術でファンタジー要素がゼロという設定が非常に良かったし、裁判官の負担を軽減するために、その裁判官の過去の判決文をAIが分析して判決文を作成するという近未来を暗示していた。以下はyoutube の動画で、日本の民事裁判のデジタル化に伴う今後の司法の在り方を議論している。 https://www.youtube.com/watch?v=F0Qgtqdga_c 過去の判例をデータベース化して公開したら、弁護士や検事や裁判官の仕事が楽になるだろう。その一方で、既存のAIに判例データを読み込ませて顧客が弁護士相談料金を節約することになるし、判決に対する世間の風当たりも強くなるだろう。上の動画で「日本は周回遅れ」と言われている理由がわかるような気がしてきた。 刑事裁判において、「裁判官は提出された証拠や証言から客観的な判決を下す」という印象を抱いていたが、このドラマを見て「間違っているかもしれない証拠や証言から裁判官の主観や偏見で判決が下される。それは神ではない人間のやることだから当然と言えば当然か」と思うようになった。 長女の「面白かったね」という言葉を聞いてから長男と次男に寝る体勢を作ってもらって就寝した。三男は別室で、妻は傍らのベッドで熟睡していた。

デジタルのみの是非

 義務教育課程の教科書を「紙のみ」か「紙とデジタルのハイブリッド」か「デジタルのみ」にするかの問題提起が以下の記事でなされている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/6e596bf7c6d80781f2d21eb5ed211612b426db90 スウェーデンでは「デジタルのみ」に舵を切って学力低下を招いたそうだが、学力というのは時代と共に移り変わるものだ。江戸時代は崩し字の読み書きが必須だったが、現代ではそんなことができるのは極少数だ。技術の進歩と共に人間の能力が退化するのも事実だ。ネット検索ができる現代に知識を記憶しようとする人は減り続けている。明治時代の知識人は決してわかりやすいとは言えない書物を読んで育った。俺らの世代は漫画を読んで育った。現在の若者は動画を視聴して育つ。昔の人は凄いと思うが、昔は知識人の数も限られていたはずだ。技術の進歩は知性や知識を大衆化する役割を担う。知識の総和という観点からは現代は百年前を圧倒しているだろう。 何が言いたいかというと、集中力や思考力と言った俺らの世代では不可欠な教育目標と思われていた概念が次世代では「あるに越したことはないが、どうしても必要というわけではない」程度に格下げされているかもしれないことを主張したい。俺らの感覚で学力低下を叫んでも、次世代で知識の総和は拡大して、集中力と思考力が必要な作業はAIに代替させる時代が来るかもしれない。何が正解なのかわからない状況で、教育課程の是非を議論することはできても、結論は出せないと思う。 小学生の立場なら、重い教科書とノートを持つ必要もないし、時間割りからも解放される「デジタルのみ」は大歓迎なのではないかと思う。

数学の未来

 思っていたより早かった。 https://news.yahoo.co.jp/articles/5054ebb0f827712825e610d37dfa4028f8c0e226 上記の記事はAIが数学の未解決問題を解く時代が到来したことを宣言している。これは数学者にとって由々しき問題だ。 グーグルやウィキペディアが世に出た時、知識の価値が急落した。それまでは物知りは尊敬されていた。質問すると泉のように溢れ出る知識に圧倒されたものだが、今ではスマホがその役割を果たしている。インターネットの情報は正しいとは限らないが、人間も間違うことがある。結局、何を信じるかというと、諸説が閲覧可能で日々更新されるインターネットなのではなかろうか?もし間違っていたら、ネット上で正せばよいだけのことだ。 将棋AIが世に出た時、棋士たちは「この程度か」と左手ウチワだった。その後、スマホを操る初心者に名人が負かされる時代が来た。縁台将棋の最善手は将棋の強い人でなくスマホに聞く方が早いのだ。以前は序盤の研究というとプロにしかできない崇高なものだったが、今ではAIの評価値に従った手順の変化を丸暗記するだけだ。それでもトップクラスの棋士は自動車より遅い短距離走者のような需要があると思うが、それ以外の棋士の価値は暴落した。 数学界にも似たような事例が起こるだろう。例えば、数学者が何十年かけても解けなかった問題がAIに長けた小学生が解いたなんてことが普通に起こりそうだ。そうなったら数学者の評価にも変化が出てくるだろう。これから数学者を目指そうとする若者にとって難しい時代になったと思う。

五月の誓い

小学生の頃、「あたし、キレイ?」が決め台詞の口裂け女の怪談が流行った。整形手術に失敗した女性がその裂けた口をマスクで隠しているという設定だ。その影響なのか、「整形」という言葉に過剰反応するようになり、近所の整形外科の病院を疑惑の目で見ていた。そして、「整形という行為の報いとして口が裂けた」という図式から「整形は悪」が子供心に刷り込まれた。それから40年以上の時が流れて世の中の美容に関する考え方は大きく変わった。俺も「可逆な美容形成手術は化粧と大差ない。それで人生が開けるなら素晴らしいことだ」と考えるようになった。 最近、1分小説というシリーズを書き始め、6本を投稿した。1)から  5)はAIの評価と改善点を聞いた上で作成した。5)でAIは原文の最後の一文を削除するようにと提案した。俺はAIには従わず我を通した。しかし、AIの評価を見てしまうと、自身の評価に揺らぎが生じた。すなわち、自分の文章が整形されそうになって自信がなくなった。この議論は美容整形と重なる部分が多いと思う。例えば、整形して結果が良かったら次も次もで歯止めが効かなくなる、整形したら個性がなくなる、整形したと公言すれば責められない、などだ。俺は「AIに評価を委ねていると依存するようになって、AIの進歩と共に俺らしさが失われる」ことを危惧して、6)では「AIによる補正無し」と明示した。 これからもAIによる補正の有無を明記するつもりだ。拙い文章でも俺らしさを失いたくないからだ。