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京都ALS患者嘱託殺人事件 5)

 「京都ALS患者嘱託殺人事件」という映画が10月31日に公開される。俺とこの映画との関わりを数回に分けて紹介しようと思う。 この映画のタイトルは、京都在住のALS患者である林優里さんが大久保医師に依頼して胃瘻から薬物を注入することで安楽死を成就したことと、その場に立ち合った大久保医師と山本医師が嘱託殺人の容疑で逮捕されたことに、由来している。 ALS患者は物理的に自殺ができない。噛む力も衰えるので舌を噛み切ることもできない。林優里さんは高齢の父に頼りたくないという理由で一人暮らしをしていた。彼女は人生に絶望して死を模索していた。俺も同じ病気を患っているからそのことは理解できる。しかし、大久保医師の行動は理解できない。それは人道的観点からではなく、大久保医師の思考に整合性がないという意味だ。 薬物が体内に残っているし、マンションの防犯カメラによって訪問時間が特定され、真っ先に疑われるはずだ。彼らは危ない橋を渡っている自覚があったはずだ。発覚すれば、それまでの経歴は消えてなくなるどころかブタ箱にぶち込まれることも想像できたはずだ。それは彼女が準備した百数十万円の報酬で引受けられる仕事ではない。彼らが殺人願望に取り憑かれたサイコパスか、はたまた、彼女に同情し共感した上での人助けなのか、そのどちらでもないのか、皆目見当が付かない。 この映画は彼女のツイートを軸に関係者たちのインタビューで構成されている。それを視聴したからと言って答えがわかるわけではない。しかし、少なくとも俺はこの事件と大久保医師について深く考える機会を得たし、「もしかしてこうだったんじゃないか」という仮説にたどり着いた。

今週末のスポーツ観戦

 今週末のスポーツ観戦を時系列順にまとめてみた。 1)将棋の竜王戦第二局は藤井竜王が挑戦者服部七段に勝利した。投了2時間前から中継を視聴していた。いつものことだが、藤井竜王の終盤の構想力と読みの正確さに舌を巻いた。本局は「歩」が大活躍した。金銀が密集している穴熊囲いが歩の連打で崩壊させる様は芸術的でもあった。こんな偉大な棋士の全盛期にリアルタイムで立ち会えるのは幸運という他ない。なお、俺の脳内では将棋はスポーツに分類されている。 2)NBAが開幕した。土曜日の午前にスポーツチャンネルをつけると、ヒート対ピストンズの中継があった。ヒートに移籍したヤニスが猛威を奮っていたが、チーム力に勝るピストンズの牙城を崩すには至らなかった。その直後にレイカーズ対クリッパーズを観戦した。八村塁にとっては古巣と新天地の対決、前半は堂々たる活躍で「周りのスーパースターに気を使いながらプレイしていた頃と比べて成長したな」と感心していたが、後半に失速した。レイカーズは得点源がドンチッチとリーブスに偏った地味なチームになってしまったという印象。 3)Jリーグでは鹿島対柏の試合があったが、観戦できない。ここで負けているようでは今季の鹿島の優勝はないな。野球の日本シリーズも観戦できない。学生時代は雀荘で日本シリーズを観戦するのが風物詩だった。もし健常で独身だったら、今週末はスポーツ観戦廃人になっていたに違いない。月曜日午前5時に開始のバルセロナ対レアルマドリーの試合を見終わってからSNSを巡回した後に永遠と思えるほど深い眠りについただろう。 4)20時半開始のアストンビラ対マンチェスターシティを観戦した。普通は知っている選手が多いシティを応援するが、今回ばかりは鈴木が先発出場するビラを応援した。鈴木は速い反応で3本の決定機を余裕を持って防いだ。フィードは正確でビルドアップでもミスがなかった。このパフォーマンスが当たり前になったら、世界一のGKとして名前が挙がるようになるだろう。シティは戦力は豪華だが、去年までの強さは感じないな。一方のビラは攻守共にハードワークを貫徹したベストゲームだった。

京都ALS患者嘱託殺人事件 4)

 「京都ALS患者嘱託殺人事件」という映画が10月31日に公開される。俺とこの映画との関わりを数回に分けて紹介しようと思う。 二村監督からの最初のメールに返信した。即座に二村監督から釜山訪問の打診が来た。俺は「会いに来られても、口頭で会話できるわけではなく、視線入力での亀のように遅い文字入力を待つことになるから、メールでやりとりする方が効率的なのでは? 日本から海を渡って釜山に宿泊する費用と時間を考慮すると、お断りした方がいいのでは?」と思ったが、二村監督の熱意と行動力を意気に感じ、妻とのLINE交換を促した。 その一週間後、二村監督は下関からフェリーに乗り釜山にやってきた。俺は「せっかく来られたのだから全面的に取材に協力しよう」と思い、林優里さんについての気持ちを正直に語った。なお、二村監督はドキュメンタリー制作を生業としている。以下は和歌山カレー事件を扱った二村監督の前作だ。 https://mommy-movie.jp/ 俺も上段の映画を鑑賞して以下の感想を残している。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/02/blog-post_6.html 法律や裁判に全く関心がなかった俺だが、「Mommy」を視聴して以来、「証拠が不十分で、一歩間違えば冤罪になり兼ねない被告に死刑の判決を下す必要があるのか?」という疑問と共に日本の司法の在り方を疑いの目で見るようになった。このように関心を向けさせて考えるきっかけを提供するのがドキュメンタリーの意義だと思った。 その2ヶ月後、二村監督はカメラマンの方と共に俺の自宅を再訪する。

京都ALS患者嘱託殺人事件 3)

 「京都ALS患者嘱託殺人事件」という映画が10月31日に公開される。俺とこの映画との関わりを数回に分けて紹介しようと思う。 この映画を語る上で避けては通れないのが「安楽死」というキーワードだ。安楽死と言えば漫画「ブラックジャック」に出てくるドクターキリコを思い出す。作中ではブラックジャックにやり込められるのだが、悪役ではあるけれど必要悪という感じ描かれていた。大人になっても意見が分かれる問題を少年誌にぶっこむ作者の手塚治虫は偉大だと思う。 安楽死は日本では違法だ。しかし、合法の範囲で自然死に見える医療行為は日常的に行われている。例えば、助かる見込みのない危篤状態の患者に新たな管を繋いで延命することを避ける医師もいるし、それはある意味で人道的な判断に見える。自殺ができないALS患者に積極的に人工呼吸器の装着を勧めないマニュアルも同様だ。末期のがん患者を退院させて自宅で最期を迎えてもらうのも「長く生きる」ことより「生きている間の充実」を優先した判断なのだろう。 つまり末期医療に関わる医師は安楽死に対して表向きは「絶対、やってはいけないこと」と言うものの内心ではその線引きに複雑な思いを抱いていると想像する。俺は幸いにALS以外の疾患とは無縁だが、仮に、虫歯が痛んで、五十肩に苦しみ、片頭痛が頻発し、酸素飽和度が上がらず、食事のたびに胃もたれが起こり、股間の痒みが止まらず、膝の痛みが続き、その全てが回復の見込みがないなら、「今すぐ死んでこの苦しみから解放されたい」と思い、医師に安楽死を懇願しただろう。 2025年1月30日、見知らぬ人からメールが来た。その人は一週間後に俺の自宅を訪問してくれ、安楽死についての議論を交わした。それはこの映画の監督との初対面でもあった。

京都ALS患者嘱託殺人事件 2)

 「京都ALS患者嘱託殺人事件」という映画が10月31日に公開される。俺とこの映画との関わりを数回に分けて紹介しようと思う。 ALSは発症してから平均5年以内に全身の筋肉が萎縮して人工呼吸器のお世話になる難病だ。胃瘻と人工呼吸器を装着して症状の進行が落ち着いた現在だから言えることだが、ALSの症状はたいしたことはない。どこかが恒常的に痛むわけでもなく、抗がん剤の副作用で頭痛や気だるさを感じるわけでもなく、余命宣告された人のように死に怯えることもない。ただ、動かず食べれず話せないだけだ。 その一方で人工呼吸器を装着する前は「死にたい」と思いがちだ。やはり、健康だった頃との落差に絶望するものだし、排泄を他人に委ねることは自尊心を激しく傷つけるものだし、自分が周囲に迷惑をかけ続ける存在であることに敏感になるものだ。俺もそう考えた時期があった。ALS患者の七割が人工呼吸器を装着しないのは「家族に迷惑をかけることなく速やかにこの世を去りたい」と思う所以だろう。 この映画の主人公である林優理さんも前述の七割のALS患者の一人だ。彼女の場合はツイッターで知り合った医師に依頼しての安楽死を選択したために日本中を揺るがす大ニュースとなった。俺の実家にもテレビ局の取材が来たし、俺もNHKの「クローズアップ現代+」に出演した。 林優理さんは俺を含むALS患者の心情を代弁していた。それは「こんなに辛い思いをしているんだ」というアピールではなく、「自らの人生を自らが望む形で全うしたい」という潔さに他ならない。この映画には彼女の孤独で気高い魂が宿っていると思う。

京都ALS患者嘱託殺人事件 1)

  「京都ALS患者嘱託殺人事件」という映画が10月31日に公開される。俺とこの映画との関わりを数回に分けて紹介しようと思う。 2019年にそれまで手付かずだったツイッター(現、X)を再開した。その目的はALSに関する情報収集とALS患者からの生の声を聞くことだ。その頃の俺は胃瘻も人工呼吸器も装着しておらず、電動車椅子で動き回り、普通に食事ができたし、言葉を発することもできた。今と比べたら遥かに健常者に近い状態だ。それだから余計に自分の未来像でもある他のALS患者の動向が気になった。その一方で自分の未来を直視したくないという感情が同居していた。 ツイッターの検索窓で「ALS」を打ち込むと、ALS患者でつぶやいている人がズラリと表示される。その中で最も毒を吐いていたのが以下のtangoleoさんだった。 https://x.com/tangoleo2018 彼女は「今すぐ死にたい」と公言し、安楽死の方法を探していた。ヘルパーへの不満をつぶやき、思い通りにならない環境と自らの体を嘆いていた。それを読んだ俺は「毒を吐くことで精神のバランスを保つ人もいるからな。字面通りに受け取るのは考えものだ」と冷めた見方をしていた。彼女が栄養失調で死ぬ方法についてツイートした時、俺が「自分の未来を見ているようだ」と返すと、「人により随分進み方が違うので 参考程度に、なぜか他の患者さんには治る希望を持って欲しいと思う。勝手なものですね」と返信が来た。それからというもの、「もしかして彼女のツイートは嘘偽りのない本心なのかも」という半信半疑の気持ちで彼女のツイートを追い続けた。 ところが11月を境に彼女のツイートが途絶えた。こちらからツイートを送っても返信はなかった。ずいぶん後になってから彼女の本名が林優里で、この映画のタイトルのように2名の医師に安楽死を依頼して亡くなったことを知った。あれから7年の時が流れて、彼女は映画のセリフがない主人公として描かれている。

リーサン

俺が高2の頃、高校主催の講演会が開催された。その講演者は予備校の先生で、「志望校は東大リーサンにしよう」みたいなことを延々と語っていた。リーサンとは理科三類のことで、東京大学医学部への進学が約束された教養部の区分けの一つだ。日本の大学受験では最難関で、その募集枠は百名前後だ。その言葉を好意的に解釈すると、日本代表がワールドカップ優勝を公言するように受験生たる者は最高の目標を掲げるべきということだが、当時の俺は「何言ってんだこいつ。予備校の価値観を押し付けるな」という反発しか感じなかった。それは、リーサンを頂点とする偏差値ヒエラルキーに属してはいるが、進路は自由意志で選択する、という決意の現れでもあった。 これまでリーサンの人と話す機会はない。しかし、メディアで紹介された映像を見る限り俺のような凡人には想像できないほど高性能の処理能力と知識量を持っているのだろう。職業柄そのような優れた人と間近に接してきたので多少の免疫はあると思うが、同じ条件で知的活動をしたとき「コイツには一生勝てない」と打ちのめされるのは容易に想像できる。 そんな偏差値ヒエラルキーが瓦解し始めている。それは今年になって顕著だ。去年までは「AIは平然と間違いを主張する」と笑っていたのに今年は「AIが人類を滅ぼす」と主張する人まで現れた。リーサンの人ができてAIができない知的活動の領域は年々小さくなっている。それは数学者にも適用されるし、知的活動に従事する人々も同様だ。 これからはどんな価値観がもてはやされるのか全く想像できないが、少なくとも進路を選択できる社会になることを切に願う。