投稿

ハングルの日

 韓国で今日は「ハングルの日」という祝日だ。ハングルを韓国固有の文字として開発させた創始者は世宗大王で、国民から絶大な尊敬を集めている。日本語のひらがなのように発音を記す文字だが、ハングルはローマ字表記のように子音と母音の組み合わせで一つの文字が形成される。ひらがなの場合は五十音全ての文字を記憶する必要があるが、ハングルの場合は母音と子音の表記を覚えるだけだ。ただし、韓国語は日本語よりはるかに多い母音と子音を用いる。 ハングルを説明していると、「日本語ってどうしてこんなに複雑で難解なんだ」という日本語に対する疑問が湧いてきた。ひらがなとカタカナを覚えなきゃならないし、「は」を「わ」と、「へ」を「え」と言うことがあるし、「ン」と「ソ」、「シ」と「ツ」、「ヘ」と「へ」は区別しにくいし、「エ」と「工」、「タ」と「夕」、「ニ」と「二」、「ハ」と「八」のように漢字との区別が曖昧だし、膨大な数の漢字があるし、「日」などのように一つの漢字に多様な読み方があるし、人名と地名の読み方は自由すぎるし、日常会話と文章は全くの別物だし、敬語や丁寧語があるし、「匹」のように前の語句に対応して読み方が「ひき、びき、ぴき」と変化するし、ここまで魑魅魍魎でカオスな言語は珍しいと思う。 俺は韓国語が全くわからない状態で浦項工科大学にやってきた。そこは韓国の中でも特殊な場所で、英語だけで生活できて学術活動も英語で事足りた。しかし、現地の学生と交流するうちに簡単な単語や言い回しが聞き取れるようになり、二歳児水準と言われたが話せるようになっていた。その発音はめちゃくちゃで、日本語訛りが抜けなかった。結婚して釜山大学に就職して語彙力はついたが発音はそのままだった。ハングルを読むことはできるが字幕を追えるほど速くない。やっぱり俺には語学の才能がない。苦労している様子もなく日本語を駆使する妻と長女を見ると余計にそう思う。 ハングルの合理性と発音の困難さと語学の才能の無さに気付いた一日だった。

ノーベル賞とフィールズ賞

今年のノーベル化学賞は二人が受賞し、そのうちの一人は日本人だった。発表された昨日はそのニュースでネットもテレビも賑わっていた。毎年この時期になると、ノーベル賞の各部門の受賞者とその研究分野にスポットライトが当たる。自然科学には物理、数学、化学、生物、地学という並びがあるのに何故か数学者が受賞する部門がない。そういうものだと言えばそれまでだが、ノーベル数学賞がないのは数学界にとって大きなマイナスだと思う。数学界で最高の栄誉はフィールズ賞だが、4年に一度4人の受賞者を発表する形式のために日本のマスコミは日本人受賞者が現れない限り無視に近い態度を取る。すなわち、自然科学の数学以外の分野は毎年プロモーションの機会があるのに数学だけはその機会がほとんどないのだ。自然科学を記述する上で不可欠な数学をここまで蔑ろに扱うとはアルフレッドノーベルも罪な男だなと思う。 このような感じで毎年恨み節を吐くのだが、今年ばかりは事情が異なる。むしろ、「2030年のフィールズ賞はどのような選考基準で選ばれるのだろう?」という心配をしている。事の発端は長男が送ってくれた以下の記事だ。 https://finance.biggo.jp/news/1d522643-5fd9-4ac5-ae86-e4a5b99edfe2 なんでもAIが難問を解いて数学者が激怒したという内容だ。数学界のトップと言われる人々でも歯が立たなかった未解決問題をAIは3時間で片付けたらしい。これからは難問を解いてもAIの関与が疑われるし、数学に精通している人よりAIに精通している人が結果を出せる、そうすると、これまでの選考選考基準はそのままでいいのか、という話になる。 今年を境に数学者の価値が大暴落した。生き残るのは問題を解くことに特化した人でなく、問題を解く過程で新しい理論を構築できる人だろう。改めて無味乾燥な代数方程式に対称性を見出したガロアは偉大だと思う。だが、創造性に特化してAIに下働きさせる人が何人いるか全く想像がつかない。 正直な話、俺は大海を漂流しているような絶望と無力と喪失を感じている。昔に戻りたいと思う。

長女の話

 長女に頭を掻いてもらうとき、長女は日本語で思っていることを思うままに話してくれる。これは他の子供たちには無い特性だ。俺の子供たちの中で長女は唯一の女性であること、長女の日本語能力はピカイチであることがその理由として挙げられる。しかし、一般的に年頃の娘は父親とは距離を置いて近づかないものだ。現在、というか数年前から、いや、生まれてからずっと、長女との関係は良好で、目の中に入れても痛くないどころではなく「長女のためになら死ねる」と本気で思えるほどだ。そう言えるのも一人娘だからこそだ。二人以上娘がいると、贔屓してはいけないという意識が働いて対面したときに褒めることが憚られるに違いない。もうひとつの理由がある。それはALSに関することだが、言及しないほうが良さそうだ。 長女は受験終了後東京旅行に行きたいと言っている。その目的は仮面ライダーの主演俳優の十周年イベントに参加することだ。俺と妻は「一人は危ないから友達と一緒に行きなさい」と言っているが、その同伴してくれる友達が見つからないと嘆いていた。こんなときは、健康だったらボディガードとして同行して、「お母さんには内緒だぞ」と言いながら美味しいものや仮面ライダーグッズを買ってあげるのになあ。人生、損しているなあ、と後ろ向きな気持ちになる。 長女は富の原小学校に一年通って卒業した。それは俺の母校でもある。長女はそのときの担任の先生の話をよくする。帰りの会の時にギターを弾いてジュンスカやブルーハーツの曲を全員で歌った思い出を熱く語っていた。俺も授業参観に行ったことがあるが、そのときの様子を以下でシングルカットする。確か山口先生だと思う。  長女が通う小学校の下駄箱置き場の壁面には数十枚の板が設置され、その各々には彫刻刀で凹凸をつけた自画像が浮かんでいる。その中の一つが第一期卒業生である俺によって制作された事を長女が知っているかは定かでない。 今日は今年度二回目の授業参観の日で、前回同様先生方の助けを借りて二階までの階段を上った。長女の席は教室の中央だ。長女の横顔が見える廊下の位置に車椅子を移動していると、担任の先生の号令で集中力を高めるための深呼吸が始まった。 先生が何らかの数字を黒板に書いたが、すりガラスに遮られてよく見えない。その五桁の数は何かと児童に問うと一斉に手が上がり、大村市の人口、交通事故の件...

アジア大会サッカー男子決勝

 アジア大会サッカー男子決勝の生中継を観戦した。韓国在住の俺が日本代表の試合を視聴できることはめったにない。ワールドカップ、アジアカップ、日韓戦のいずれかだ。今回は兵役免除が懸かった日韓戦ということで韓国内でも注目されていたようだ。一方の日本は自国開催とは言え、五輪予選突破のための準備という位置付けで、21歳以下で代表選考されていた。ただし、21歳以下でもA代表に選ばれている四選手はアジア大会のメンバーには選ばれていないし、何人かの有力選手もクラブ事情を考慮してなのか選ばれていない。 要するに、日本は負けても言い訳たっぷりの二軍で臨んでいる。しかし、そんなことは会場に集まった大観衆や代表戦を心待ちにしている俺のような視聴者にとって関係のない話だ。俺は日本が優勝する姿を期待して試合を見ていた。 前半は韓国の圧迫守備に対して日本のビルドアップが阻害されロングボールで逃げる展開が続いた。「そんな志の低い戦い方をしてどうする?」と憤っていたが、時間が進むにつれそれは日本の作戦であることが明らかになる。 後半は韓国の運動量が落ち、日本優勢で推移する。俺が「韓国は攻め手がないな」と思ったくらいだから、ピッチ上の選手たちも手応えを感じていたことだろう。そんな慢心の最中に韓国のカウンターが発動する。日本の選手が頑張っていれば、あるいは反則で止めていれば、というプレイが続いて、日本は失点をきっする。日本の反発力に期待していたが、ポストを叩くシュートが精一杯で、韓国の守備を崩す場面もなく、試合はそのまま終了した。 久しぶりに感じる日韓戦の悔しさだった。次はアジアカップで言い訳ができないA代表同士のぶつかり合いが見たい。

チューブ外出

 今日の午後、外出した。同伴者は妻と長男だ。青空に浮かぶ白い雲が変化に富んでいる。空が高く見えるのは空気が澄んでいるからだろうか。日差しは強いが、暑さは感じない。長男は半ズボンでサマーセーターという出で立ちだ。10月というのに暖かい。自分が経験した季節感と現実の気候にはズレがある。 区庁前の公園で日光浴をした。その間に長男は飲み物を買いに行った。韓国伝統の楽器の演奏が聞こえた。見物しようと近づくと、彼らは庁舎の中に入って行き、演奏の音も止んだ。引き返して妻がくるりの「Remember me」をYoutube再生した。妻は「次の曲を決めてね」とルール設定した。俺は玉置浩二の「メロディー」を選んだ。長男が戻ってきた。俺が長男に推薦曲を促すと、長男は自らのスマホで再生し俺の腹の上に置いた。その曲は耳覚えのないピアノ演奏で、長男は「アラベスク」と言っていた。 いつものように消防車の前を抜け、川沿いに家に向かった。その途中、愛犬を散歩中の見知らぬオジサンが妻に話しかけてきた。彼は俺の病気について質問を繰り返し、俺の腕をさすりながら「自分も原因不明の病気で苦しんだ時期があった」と言った。彼は励ましと心配の言葉をかけて去っていった。 自宅に帰り、車椅子から寝台へ移乗しようとするとき、人工呼吸器の警告音が鳴り響き、空気が漏れる音と共に鳴り続けた。俺は「チューブが外れただけだろう」と思っていたが、顔面蒼白となった妻は人工呼吸器の会社に電話させて、原因を尋ねるのと手動の呼吸器に切り替えるのに必死で、なかなか警告音は収まらない。そのうち誰かが車椅子に固定したチューブの一端が外れているのに気付いて事無きを得た。 ユーチューブに始まり、チューブに終わり、心配が身に沁みる小旅行だった。

10月のトリセツ

 今月の俺の取り扱い説明書を作ってみた。 1)シーツを交換するとき、俺が寝たままの状態で遂行される。妻は俺の体を反転して半分ずつベッドメイクを行うのだが、その際に首が少々捻れることがある。客観的に見ると、落床の心配なく安全にシーツ交換しているように見える。しかし、首が全く動かせない俺には脊髄が捻切られるような感覚に襲われて、精神的な圧迫を感じている。面倒を承知でお願いするが、目を見て大丈夫かどうか確認してほしい。 2)これまた些細なことだが、マスクに付いているゴムが耳の後ろに食い込んで痛い。どういうわけか右耳だけが痛い。対策はマスクの口の部分を引っ張らないことと右耳の後ろに軟膏を塗ることだ。 3)俺の左手は浮腫みやすい。普段は枕に左手を載せて血行が良くなるようにしている。しかし、食事の時はその枕が邪魔になるので、一旦隣の寝台に枕を移動することになる。問題は食後になっても左手は放置されたままだということだ。些細で面倒であることは百も承知だが、左手にとっては深刻な問題であることを理解してほしい。 4)俺はよく「尋ねたことに返事をしないで、他のことを要求する」と非難されるが、それには理由がある。歯ぎしりが鳴らなくなってしまってから、誰かに助けを求めるのが困難になった。誰かが来て目を合わせてくれるのは千載一遇の機会で、その誰かが尋ねたいことをわかって去ってしまうのを恐れる心理が作用しているからだ。その対策は去り際に「他の用事はあるの?」と尋ねることだ。 5)「ヒザが痛い」と言ったとき、両足の膝関節の曲げ伸ばしを繰り返してほしい。 6)こちらの要求ばかり書いたが、「いつも介護してくれてありがとう」と思っているし、「迷惑ばかりかけてごめんね」と思っている。

明るい未来

 ここ数日間、鈴木先生とメールをやりとりしてAIについて議論している。もっとも議論とは名ばかりで、俺が一方的に教えてもらっているだけだ。今回は鈴木先生にお聞きしたいことをまとめてみた。 有史以降、人類は地球上の生命体の中で最も知能が高い生物として君臨してきた。人間を補食しようとする動物を撃退し、家畜を飼い、魚を取り、食物連鎖の頂点に立ってきた。その際たる理由は人類が飛び抜けて高い知性を有していたからだ。ハエを殺しても罪に問われないし、不妊バエを作って種を絶滅させることもできる。そんな絶滅の仕方をハエは想像することはできないだろう。 最近のテレビニュースを賑やかしているのは「AIが人類を滅ぼす」という危惧と警鐘だ。その憂慮は当然だと思う。人間がハエに見えるほどの高い知性を有するAIが誕生したら、人類は初めて高度な知性に直面することになり、人間がハエに対して行使してきた生殺与奪権をAIが所有することになる。それは恐怖そのもので、人間はAIの家畜になり、いつ屠殺されるかと怯えて暮らすことになる。あるいは、家畜が自らの死期を心配したりしないように、人間もAIの支配に気付かずに一生を終えるかもしれない。 ここで質問したいのは「果たしてそのような高度な知性が誕生するのか?」ということだ。AIとは言え、人間の営みをベースにして推論を行っているのだから、せいぜい人類の叡智の総和に毛が生えたものくらいじゃないの? 自己改善型で際限なく知性を向上させることが可能だとしても電力量は有限なので限界があるだろう。そもそも、geminiやChatGPTのように一般に開放されたAIなら、AIの実体は何だろう?どこかの敷地に建設された構造物なのか?AIに自我、もしくは自我まがいのものはあるのか? AIの覇権を握っても他国が開発をやめるわけではないから、近いうちに「人類を滅ぼす可能性があるAI」が乱立するのでは? そんなとき、最先端のAIは防御壁になってくれるのだろうか?  人類にとっての明るい未来はあるのか?