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イチョウは都会によく似合う

 今日の午後、NBAカップのスパーズ対キングスの生中継を観戦していた。前半残り1分のところで妻が布団を剥いで「日を浴びに行こう」と言い出した。ゲームに熱中していた次男も寝耳の水の話だったようで「突然言われても困る。午後から勉強しようと思っていたのに」という声が聞こえてきた。妻は俺と次男の不満を意に介さず着々と外出の準備を始めた。妻は「先週、外出したから早く準備ができる」と言っていたが、NBAの試合の第3クォーターが終わる頃に出発となった前半が終わった時点でスパーズの勝利を確信していたので、観戦が中断しても構わなかったが、先週に続き次男の優しさに甘えるのはよくないと思った。 車椅子の角度がやや仰向けで、外に出た瞬間、高層アパートのそびえる先に水色の空が見えた。通りにはイチョウの並木があって、真っ黄色に紅葉していた。イチョウの下から見上げると、黄色の葉っぱが少々くすみ、樹木の輪郭が青空に投影された。「もしかしてこの風景を見せたくて外出を強要したのか?」と考えていると、妻は次男にカードを渡し、「好きな飲み物を買っておいで。お母さんはミカンがあるから大丈夫」と言った。 いつものように区役所前の広場で日光浴をした。妻は俺の顔と腕と足を日光に晒し、ビタミンDを生成しようとする。俺はあまりのまぶしさに目をつぶっていた。時刻は14時半くらいなのだが、日が傾き区役所の建物の影が伸びてきて日なたを覆ってしまう。次男が勉強すると言うので、妻は後ろ髪を引かれる思いで帰宅を促す。区役所の出口付近で妻は大きなカナヅチを発見した。次男は「誰かの持ち物かもしれないから放っておくのがいい」と主張、妻は「凶器になるかもしれないから区役所に届けるのが筋」と主張、結局、来た道を引き返し、区役所に届けることになった。カナヅチを肩に抱える次男に「指紋がついたら容疑者として疑われるよ」と冗談を言う妻は建物に入りブツを届けた。 帰宅してベッドへの移乗を手伝った次男は「家で勉強する」と言いながら、部屋に戻って行った。次男が本当に勉強をしていたのかは定かではない。

AI時代の数学教育

AI時代の数学教育を提案してみよう。これからどのような時代になってどのような人材が必要とされるのか全く予測が付かない。そんな状況で教育の雛形を提示することは意味を成さないことは百も承知だが、ある日突然数学教育が打ち切られるわけでもなく現状維持を続けるよりは良いと思われる提案をしていきたい。なお、以下の提案はあくまで叩き台であって、批判と改善が求められる。 1)日が昇り、日が沈む。毎日同じことを繰り返しているようで実は同じ日は現れない。そんな地球で暮らしている我々は自然数の概念を生まれながらに獲得している。ひとつ、ふたつ、みっつ、とものを数えることで生じる概念に対して上記のような様々なアプローチを用いて、小学生から大学生まで数学の基礎概念への理解と愛を高める。この「愛」というのは「俺が元数学者で、多くの人に数学を好きでいてほしい。そうすれば文化としての数学は失われることはないだろう」という自己保身に由来している。 2)AIとの壁打ちは噛み合えば学習効果が高い。この噛み合わせをよくするために教育資源を注ぐべきだろう。宿題は廃止して、授業では「何故、1/2=2/4なの?」等のように単元に沿った素朴で好奇心をくすぐる質問を投げかけ、生徒たちに議論させる時間を作る。 3)紙と鉛筆で計算もしくは作図する時間も確保。希望者のみ筆記試験による評価を行う。現在の受験制度は筆記試験が基盤になっている。これが変わらない限り現状維持のままだろうな。 4)大学での数学教育は現状維持で、学生がAIを活用して理解を深めていく。その評価は筆記試験にする。しかし、問題点が山ほど浮かんで来た。実際に携わった者として無責任なことは言えないな。そういうわけで保留にしておく。

偉業達成

 モロッコで開催されている女子サッカーu-17ワールドカップで日本代表が準決勝で北朝鮮を破り決勝進出を決めた。年代別代表の北朝鮮は滅法強い。今大会でも、6-0、6-1でグループリーグ突破を決め、決勝トーナメント一回戦では開催国に6-0、準々決勝では米国に3-0、という四回の優勝経験を裏付けるような点差で勝ち上がってきた。 準決勝はロングハイライトしか見てないが、日本はまともにパスが繋げず縦ポンを繰り返している印象、ハイライト映像だけでもチーム力の差は伝わってきた。前半は無失点でしのいだ。後半早々、北朝鮮が先制、必死の粘りで追加点を許さなかった日本は試合終了間際に猛攻を仕掛け、北朝鮮のオウンゴールを誘発して同点に追いつく。PK戦を制した日本は大舞台でのジャイアントキリングを達成する。 サッカーファンの俺には奇跡的な偉業なのだが、テレビ報道が冷淡だと感じている。NHKには夜のニュースで大々的に報道し、決勝戦を生中継するくらいの気概を見せてほしい。ちなみに決勝の相手はナイジェリアで、グループリーグで北朝鮮を3-1で破っている。 しかし、この結果は、二連勝で首位通過が決まり左手ウチワの北朝鮮と一勝一敗で後がないナイジェリアとの戦いなので、あまり参考にならない。独身時代だったら深夜に目をギラギラさせて見る試合なのに。年は取るものではないなあ。

魔法の布団

 自宅の押入れには厚い冬用羽根布団がしまってある。この羽根布団はとにかく気持ちがいい。体からの熱を受け止め、体温に近い温度を維持してくれる。ずっとそこに居たい、朝まで同じ姿勢でも苦じゃない、これから何の想像をしようか、このまま眠りについたら素敵な夢が見られそうだ、というほど快適だ。 その甘美な記憶から10月初旬以来虎視眈々と羽根布団を使用する機会を伺ってきた。しかし、気温が一向に下がらない。10月ともなれば寒暖差が激しく夜は肌寒く感じるものだ。しかし、最近の10月は俺らが慣れ親しんだ10月とは異なり、夜でも薄めの布団でも間に合うし、毛布だと暑くて眠れないほどだ。 先週、今秋初めての羽根布団を被って寝た。その夜は底冷えして深く長く眠ることができた。それからずっと羽根布団を被って寝ているが、昨晩はフラッシュホットみたいになり、アヒルで妻を起こした。妻は布団を下半身だけ剥いだ。そうすると寒さが気になって眠れなくなった。その間、「体が動いたら、空気の通り道を作るとか、布団の掛け方を調整するとか、横向きに寝るとか、睡眠のために最も快適な姿勢と環境を作れるんだ。健康だった時は気付かなかったけど、こんなにすごい最適化能力を人間は持っているんだ!」と考えた。 朝方に再度妻を起こし、布団を体全体に掛けてもらった。妻の「夜中に起こされても、すぐ眠れる体質でよかった」というのが救いだ。妻に羽根布団をプレゼントしたいな。

時の流れ

 一昨日の土曜日、外出した。長男は朝早くから出掛けた。長女も受験が近いので同伴できない。このようなとき次男が駆り出される。妻が次男に「土曜日に友達と遊ぶ予定があるの?」と聞くと、俺との外出には男手が必要と考え新たな予定を作らないところが次男の優しいところだ。暇そうにしている三男は寝巻きのままで一向に外出の準備をしようとしない。次男が「せっかくお父さんが外出するのに行かないつもりか?」と詰めても三男は動かない。親と一緒にいるのを友達に見られたくないと考える年齢だもんな。少々の寂しさを感じながら妻と次男と共に家を出た。 いつものコースは安心感があるのだが、今回に限っては冒険心が偉大なるマンネリズムを凌駕した。次男を視聴で呼び止めて「はんしん」と文字盤で伝えると、ハンシンアパート方面に向かうことになった。久しぶりに昼間に六車線の産業道路を反対向きに歩いた。すると、今まで見たことがなかった高層アパートが道路の向こう側に見えた。五階建ての大規模量販店が取り壊されて更地になっている。中古車販売店が焼肉屋になっている。8年間の時の流れとその間の街並みの変化を感じた。 横道に入り、ハンシンアパートの敷地に入る。遊び場では子供たちが半袖のTシャツではしゃぎ回っている。布団と毛布をかけて外出したので気付かなかったが、外は暖かく、陽だまりでは暑いと感じるほどだった。地上を走る地下鉄の路線の下に川が流れている。その両岸は整備されて憩の場として活用されている。この日は祝祭期間でバンド演奏などのイベントが開催されていた。健康だった時は30mダッシュを繰り返した場所だ。ここでも変化があった。自転車道と同じ幅だった歩道が三倍ほどに拡張されている。川の魚が増えている。すすきの植え込みが川沿いに整備されている。車椅子でも対岸に行けるようにアーチ型の橋が増設されている。 この調子なら地下鉄にも乗れそうだ。せっかくの休日に時間を割いてくれた妻と次男に感謝したい。

京都ALS患者嘱託殺人事件 6)

 「京都ALS患者嘱託殺人事件」という映画が10月31日に公開される。俺とこの映画との関わりを数回に分けて紹介しようと思う。 2026年8月、上記の映画の配給会社からストリーミング再生の案内のメールが来た。俺の家族限定で期限付きの視聴ができるという内容だった。俺は5回見た。妻は「日本語のニュアンスを確認するため」と言って俺以上に見ている。インタビューの内容が濃密で、見るたびに新たな発見があった。 林優里さんはALS患者でありながら一人暮らしを貫き通した。それは本人の意向と介護保険の制度に起因している。要介護の等級が上がると、月ごとに三十数万円の介護費用が一割負担で使える。すなわち、月3万円払えば30万円分のヘルパー費用が国庫から支出される。しかし、無制限にヘルパーを雇えるわけではなく、同居する家族や要介護度に見合った使い方を行政側から指導される。ALS患者の場合、地域の自治体の支援制度を活用すれば、24時間他人介護が可能になる。介護保険と支援制度をフル活用するために、あえて一人暮らしを選択したと推測している。 彼女の父親のインタビューでは彼女の幼少期を懐かしむ言葉が出てきて親子の絆を感じさせる。その一方で、ALS発症後の親子の断絶を匂わせる内容でもあった。彼女のツイートを見る限り、その父親が頻繁に彼女の自宅を訪問していたとは考えにくい。そのインタビューでは彼女の「誰にも頼れないし、誰にも頼りたくない」という孤高な姿勢が強調されているように感じた。 彼女に携わった看護師は主治医にダメ出しする等のぶっちゃけ話をインタビューで連発していた。俺はヘルパーを使わない24時間家族介護なのだが、彼女自身が望んだこととは言え、眠っている時間以外は気心が知れたとは限らない他人に見守られているのは監視されているに近いストレスがあったに違いないと思う。中には彼女を邪険に扱うヘルパーもいたらしいが、代わりが見つからないという理由で甘んずる以外なかったそうだ。 映画の後半は大久保医師に焦点が移る。彼の母は昔ながらの肝っ玉母さんという風情で、率直な受け答えが印象的だった。ただ、どちらかというと繊細で傷つきやすい大久保医師の少年時代と母の教育方針は絶望的に乖離しているような気がした。医者になって社会的に成功したように見えた大久保医師の内面では少年時代からの歪みが増幅されているように見えた...

あしたのジョーを読みたくなった

 漫画家のちばてつや氏が他界した。彼の代表作はなんと言っても「あしたのジョー」だろう。ゴルフ漫画の「あした天気になあれ」もほぼ全巻持っていて愛読していたが、社会的影響を考慮するとやはり「あしたのジョー」に軍配が上がる。というか、「あしたのジョー」は日本の漫画史に燦然と輝く名作中の名作なのだ。数多の良作ではたちうちできるはずがない。しかし、「あしたのジョー」は彼単独で描かれた作品ではない。原作は梶原一騎、作画はちばてつや、二人の稀有な才能が交わったからこそ生まれた作品と言える。 俺もこの作品から多大な影響を受けた。彼の追悼を兼ねて「あしたのジョー」で印象に残っている場面を列挙してみる。 1)喧嘩っ早いのに子供に慕われる矢吹丈は当時小学生だった俺には新たなヒーロー像だった。少年院での生活も未知の世界を覗き見る新鮮さがあった。マンモス西がパラシュート部隊と称して腹の上に降ってくる場面には肝を冷やした。丈が豚に跨って脱走を試みた時、力石が豚の大群を華麗なバックターンでかわし、丈を殴り倒した場面は美しすぎて見とれてしまった。丈とは対極の生い立ちの白木葉子が見守る中でのクロスカウンターも美しかった。ああいう一瞬の静寂を描く画力はちばてつやならではだと思う。 2)丹下段平の葉書による通信教育はボクシングという競技への理解を高めた。丈も次第に競技愛が芽生えてくる。少年院で青山が丹下の指導を受け、めきめきと強くなり因縁をつけてきた奴を血祭りにした場面に狂気を感じた。丹下は丈を意図的に無視して青山を通してフットワークの重要性を教えようとする。その過程での丈の表情の変化もちばてつやの画力の賜物だと思う。 3)丈に負けたウルフ金串はプロボクサーを引退した後にヤクザの用心棒になる。裏社会と直結していた当時の雰囲気を少年漫画誌でよく伝えられたなと思う。力石の減量やその減量が原因で死に至るとか、パンチドランカーになったカーロスリベラとか、ハリマオに潰されて再起不能になる滝川とか、ボクサーの負の面をよく描いたなと思う。 4)紀子は丈に気があったが、丈の「真っ白に燃え尽きたいんだ」発言に愛想をつかしマンモス西と結婚する。その過程で紀子の表情が雄弁に状況を物語っていた。 5)ホセメンドーサの強さは至る所で現れる。カーロスを廃人にしたコークスクリューパンチ、打たれても平然としている不死身の肉体、...