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36年前の新歓コンパ

 今から36年前のことだ。俺は新歓コンパの会場にいた。「新歓とは新入生歓迎という意味だろう。しかし、コンパとは一体何だろう?」と思いつつ、場の雰囲気から「コンパとは飲み会のことか」と合点がいった。理学部の新入生は物理と数学や数学と生物のように二つの学科が合わさったクラスで履修することになっていて、その区分で新歓行事も進行していた。 新入生全員が自己紹介することになった。最初の奴のスピーチがすごかった。短く簡潔でありながら爆笑を誘発していた。「これが基準になるのか。なんとかして面白いことを言わなきゃ」と思ったのは俺だけではなかった。その後も名前と出身地で終わらない面白スピーチもしくは口下手な者が場を繋ぐ一気飲みが相次いだ。全員の自己紹介が終わった後に「最初の奴は二年生で、事前の行事から偽名を使い新入生のふりをしていた」ことが明かされた。 「そこまでして盛り上げようとするなんて!」と呆れるやら感心するやら、同級生より数学科の先輩たちを観察するようになった。「派手で個性的な人ばかりだ。一年後に同じようになるとは到底思えない」という感想を抱いた。サクラを見事に演じ切ったのは大野さん、吟遊詩人のような雰囲気の藤本さん、スカジャンが似合う西村さん、ジョンレノン眼鏡の古澤さん、のように今になっても名前を覚えていること自体がその日の印象が鮮烈だったことを物語っている。 その後も一年上の先輩方との交流が続き、福本さんと箕牧さんに「ガロアの夢」の輪読会に誘われたし、留年した西村さんはインターネット黎明期にシンディクロフォードの白黒写真を壁紙にしてくれたものの解除の仕方がわからず女性技官から白い目で見られたし、鹿児島大学に就職した古澤さんは俺を集中講義の講師として招待してくれた。「全ては36年前のあの日から始まっているんだ」と思うと感慨深い。

NBAプレイオフの展望

 NBAプレイオフについての展望を述べる。ただしレギュラーシーズンに視聴した試合とチームに偏りがあるので、公平性や客観性や信憑性が全くない極私的展望である。 1)優勝候補の筆頭は今シーズンの最高勝率を叩き出したオクラホマシティサンダーだ。エースであるSGAの得点力は去年のプレイオフで証明済みで、負傷などの不測の事態がなければ普通に二連覇達成しそうだ。チームとして組織的守備が確立されているのも強味で、積極的にスリーポイントシュートを狙うスタイルは強かった時期のウォリアーズを彷彿させる。唯一の欠点は前半で大差がついて、後半の観戦意欲が減退することだ。攻守に高いレベルを備えたカルーソのような名脇役がいるし、ウィリアムズのようなイケイケ野郎もいるのが心強い。 2)その対抗馬はサンアントニオスパーズだ。エースであるウェンビーにはデビュー当時の「線が細くリーダーシップに欠ける」という印象を脱し、今シーズンは守備ではブロックショット、攻撃ではアリウープで制空権を握り、チームメイトを鼓舞し、アシストパスを供給する、実に魅力的な選手に変貌していた。怪我で欠場することが多いのが玉に傷で、そういう試合を2試合観戦した。そこで活躍していたのがキャッスルだった。最初は「髪型が独特だ」と外見に注目していたが、シュートの上手さやドリブル時の間合いなどの実力に目が向くようになった。ハーパーやジョンソンなどの脇を固める選手も充実していて、ウェンビー抜きでも結構強いことがわかった。 3)レイカーズ、ナゲッツ、ロケッツ、ウルブズは団子状態で、それぞれ、ドンチッチ、ヨキッチ、デュラント、エドワーズのエースがいるのだが、チームの総合力は上記の2チームには及ばないと見る。西地区決勝では上記の2チームが雌雄を決すると予想するし、両エースが万全の状態で臨んでほしいと思う。 4)東地区はデトロイトピストンズが最高勝率で、ボストンセルティックスがそれに続く。ピストンズの試合は見ていないし、「なぜ急に強くなったのか」もわからずじまいだ。セルティックスのエースであるテイタムはアキレス腱断裂でチームを長期離脱していた。それでこの成績なのだから恐れ入る。テイタムが復帰した今、東地区を制するのはテイタムと新エースのブラウンを擁するセルティックスと予想する。

解散宣言

 JIM教授から妻へ電話がかかってきた。そういう場合、妻はスピーカー機能をオンにして通話内容を聞こえるようにしてくれる。JIM教授は釜山大学教授蹴球会の創立者であり、長年に渡って会長としてチームをまとめてきた。俺も含めて自己主張の強い個性派揃いの会員たちを御していくには「全てを包み込む皮袋」に徹することもできる人格のJIM教授が適任だった。 「教授蹴球会の中核メンバーが定年退職してしまって、これを機に解散することにしたよ。平坂教授に伝えなきゃと思い電話したんだ」という内容が妻のスマホから聞こえた。俺が蹴球会に参加できなくなって丸7年になる。その当時も最年少メンバーだったし、新しいメンバーが入って来ないという高齢化問題を抱えていた。「ついに来るべき時が来た」というのが感じで受け止めていた。 金曜日の15時に陸上競技場に行くのが楽しみで、全力で走り全力でプレイして終了時間の17時には疲労困憊になって研究室に戻るのが心地よかった。ゴールを決めたチームメイトに駆け寄ってハイタッチの後胸を合わせて祝福するのが俺の流儀だったし、そうやってサッカーの持つ一体感を味わっていた。遠征試合前日の飲み会も出陣式みたいな雰囲気で楽しかったし、試合終了後にサウナで汗を流し別会場に移動しての飲み会も楽しかった。何も喋らなくても居場所があるような気がした。 釜山大学教授蹴球会で過ごした時間は俺の青春だったし、それと似たようなことを俺以外のメンバーも感じていると思う。そんな時間を共有していたメンバー全員に感謝を伝えたい。

復活祭の朝

 起床してテレビを見始めた30分後、妻が「今日は復活祭だから聖書を読もう」と言ってテレビを消した。「五分後に「日曜討論」が始まるのになあ。せめて断りを入れてから消してほしかった。反論もできない俺に己の無力さを自覚させるムゴい仕打ちだ」と思ったが、「どうしても見たい番組でもないし、毎日の介護で苦労をかけていることに比べたらなんでもないことだ。そして聖書を朗読してもらうのは嫌いではない」と思い直し、妻に従うことにした。 マタイの福音書のキリストが処刑される前日からの部分が朗読された。日本語の聖書の朗読で、合間に水分補給や痰吸引が入るので、朗読は一時間経っても終わらなかった。俺が歯ぎしりをして一時中断して「そろそろ三男に教会に行く準備をさせなきゃ」みたいな内容を文字盤で伝えると、妻は気分を害したようで「一体いつになったらあなたに信仰が授かるのか」と嘆かれた。 妻の信仰は筋金入りだ。その水準を俺に要求されても「ぐぬぬ」としか言えない。こんなこと書いたら妻の更なる怒りを買うかもしれないが、俺の信仰は薄っぺらで円満な夫婦関係のためだけのものだ。そうは言っても、四半世紀に渡る教会での体験からの影響は無視できない。信仰に殉ずる人々の心の純粋さ、牧師先生の無償の愛に触れたこと、聖書をノートに書き写していた義母、悩みを共有し祈祷したこと、日韓と台湾で出会った人としてのスケールが大きい人々、いずれも感銘を受けたし、薄っぺらな俺を教会に向かわせた。 それだけでも物凄い進歩だと思うのだが、肝心の妻は認めてくれないんだろうなあ。

日本対イングランド戦

 ユーロ2024でイングランド代表の試合を見たが、「これだけスター選手が集まっているのに、なんでこんなにつまらないサッカーしかできないんだろう?」という感想を抱いた。その後、監督がチャンピオンズリーグを制した名将トウヘルに交代して、北中米ワールドカップ予選を8戦全勝で突破して新生イングランドを印象付けた。 今回の日本対イングランドの親善試合でサカやケインなどの主力の離脱が相次いでいることが報道されていた。そうは言っても、残りの選手がイングランドプレミアリーグのスターであることは変わらない。試合会場はサッカーの聖地ウェンブリースタジアムで、九万人の大観衆が押し寄せることも報道されていた。わかりやすく喩えると、国立競技場で日本対インドネシアの親善試合に日本のゴールラッシュを期待するファンとサポーターが集結するようなものだ。 スコットランドに1対0で勝った日本であるが、富安の離脱が報道され、久保と南野という攻撃の核が不在の中、「今まで何度も経験した期待して裏切られる試合が再現されるか否か? 昨年のブラジル戦での逆転勝利みたいなこともあるからなあ。しかし、生中継が見れないのが悔やまれる」なんてことを考えながら眠りについた。 朝、起きて7時のニュースで日本が1対0で勝ったと聞いてびっくりした。ニュースでは静止画しか出ないので、ネットでハイライトと戦評動画をハシゴした。三苫、中村、三苫のパス交換からのゴールは美しかった。その後から試合終了まで、イングランドの猛攻に守備が破綻することなく無失点に抑えたのは称賛すべきだし、ワールドカップ本選に向けての自信と経験になったと思う。悩ましいのは今回の勝利で警戒されるようになり、本選でロングボール主体や堅守速攻のような日本が苦手とする戦術を徹底されることだ。そのような意味で初戦にオランダとガチンコ勝負できることはよかったと思う。決勝トーナメントで勝ち進むことを考えたら、3位抜けの方がブラジルとモロッコを回避できるので望ましいと思う。

イランからの便り

 テヘランの大学が空爆されたというニュースが目に入った。俺のかつての弟子がイランの大学で教鞭を取っていることは以下で触れた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/06/blog-post_12.html その後、R君から「第一子が無事に産まれて幸せに暮らしている」という便りが来たイランが最初に空爆されたとき、イランで反政府デモが起きて粛清されたときにメッセージを送り合った。しかし、一ヶ月前から始まった空爆後は連絡できないでいた。その理由は、日本は米国の同盟国で空爆を加担する立場だったこと、R君が反政府か政府寄りかの立場が不明だったこと、以下で触れているように俺の考えも曖昧だったことが相まっていたからだ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/03/blog-post.html 更に、この一ヶ月間本欄で大相撲、WBC、将棋、サッカーなどのエンタメを紹介してきたことが「本当に心配なら、そんなことを見る気持ちにならないはずだ」という自己矛盾に陥っていた。冒頭のニュースを見て、衝動的にR君に連絡するに至った。 その翌日、R君から「無事だが、何万人の同胞を殺した政府は………」という複雑な心境が垣間見える返信が来た。 安心した。 自己矛盾は解決してないが、「本当に心配なら笑う気持ちになれない。飯を食う気持ちにもなれない」というわけでもないと思うので今まで通りに綴ることにする。 追伸)前回の投稿の最後の段落が気にいらなかったので以下のように書き直した。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/03/blog-post_31.html

醬油が甘い

九州の醬油は甘い。その理由は醤油の原液に砂糖を混ぜて製造されるからだ。和食の味付けの基本となる醬油が甘いのだから一品料理も甘くなるのは推して知るべしだろう。実際、酢飯、煮付け、肉じゃがなどの「甘味料がないと成立しない」和食が多数存在する。九州の中でも長崎は料理に砂糖を用いることで有名だ。カステラを始めとする菓子も甘いし、皿うどんのあんも甘辛いし、大村寿司にも大量の砂糖が入っている。それが当たり前だと思っていたので、大村を出る前までは何の疑問も抱かなかった。しかし、福岡で自炊するようになってから「実は自分が暮らした地域が特殊だった」ことに気付き始める。 初めての一人暮らしで初めての自炊だったので、料理はレシピ本通りに作ることになる。出汁を取るのが面倒だったので、洋食中心に作っていた。そのレシピに砂糖が出てくることはなかった。出来上がった料理を食べると「悪くない」と思った。自分で苦労して作った料理だったからかもしれないが、素朴でいい味だと思った。そのときに気付いたことは「口の中がベタベタすることがない」ということで、自炊を重ねるたびに「あのベタベタは砂糖によるものだったんだ」とか「料理って砂糖を一切使わなくてもできるんだ。いや、そっちの方が断然美味しいだろう」という考えが芽生えてきた。 博士号取得後、イスラエル、韓国に長期滞在することになる。日本では甘い炭酸飲料を好んで飲むことはなかったが、イスラエルでは「ハンバーガーにはコーラが合う」というように味覚も変化した。これは湿度の違いもあるだろうが、料理に含まれる糖分量にも関係していると思う。ちなみに韓国料理は日本ほどではないが結構な量の砂糖を用いる。ただし、韓国の玉子焼きは甘くない。 歴史をひも解けば、江戸時代に唯一の海外貿易港だった長崎出島の影響で砂糖が庶民にも流通し、お客さんをもてなすときには砂糖をふんだんに使って料理する文化が定着したことが現代にも受け継がれているらしい。その呪縛から逃れた俺は「砂糖を料理に使うと、一定の満足度は得られるが、素材本来の甘さが砂糖の甘さに負けてしまい単調な味になる」という結論に至った。外に出て気付くことは多い。その一方で「あの甘い醬油に浸して食べるハマチの刺身を味わいたい」とも思う。