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アジア大会サッカー男子決勝

 アジア大会サッカー男子決勝の生中継を観戦した。韓国在住の俺が日本代表の試合を視聴できることはめったにない。ワールドカップ、アジアカップ、日韓戦のいずれかだ。今回は兵役免除が懸かった日韓戦ということで韓国内でも注目されていたようだ。一方の日本は自国開催とは言え、五輪予選突破のための準備という位置付けで、21歳以下で代表選考されていた。ただし、21歳以下でもA代表に選ばれている四選手はアジア大会のメンバーには選ばれていないし、何人かの有力選手もクラブ事情を考慮してなのか選ばれていない。 要するに、日本は負けても言い訳たっぷりの二軍で臨んでいる。しかし、そんなことは会場に集まった大観衆や代表戦を心待ちにしている俺のような視聴者にとって関係のない話だ。俺は日本が優勝する姿を期待して試合を見ていた。 前半は韓国の圧迫守備に対して日本のビルドアップが阻害されロングボールで逃げる展開が続いた。「そんな志の低い戦い方をしてどうする?」と憤っていたが、時間が進むにつれそれは日本の作戦であることが明らかになる。 後半は韓国の運動量が落ち、日本優勢で推移する。俺が「韓国は攻め手がないな」と思ったくらいだから、ピッチ上の選手たちも手応えを感じていたことだろう。そんな慢心の最中に韓国のカウンターが発動する。日本の選手が頑張っていれば、あるいは反則で止めていれば、というプレイが続いて、日本は失点をきっする。日本の反発力に期待していたが、ポストを叩くシュートが精一杯で、韓国の守備を崩す場面もなく、試合はそのまま終了した。 久しぶりに感じる日韓戦の悔しさだった。次はアジアカップで言い訳ができないA代表同士のぶつかり合いが見たい。

チューブ外出

 今日の午後、外出した。同伴者は妻と長男だ。青空に浮かぶ白い雲が変化に富んでいる。空が高く見えるのは空気が澄んでいるからだろうか。日差しは強いが、暑さは感じない。長男は半ズボンでサマーセーターという出で立ちだ。10月というのに暖かい。自分が経験した季節感と現実の気候にはズレがある。 区庁前の公園で日光浴をした。その間に長男は飲み物を買いに行った。韓国伝統の楽器の演奏が聞こえた。見物しようと近づくと、彼らは庁舎の中に入って行き、演奏の音も止んだ。引き返して妻がくるりの「Remember me」をYoutube再生した。妻は「次の曲を決めてね」とルール設定した。俺は玉置浩二の「メロディー」を選んだ。長男が戻ってきた。俺が長男に推薦曲を促すと、長男は自らのスマホで再生し俺の腹の上に置いた。その曲は耳覚えのないピアノ演奏で、長男は「アラベスク」と言っていた。 いつものように消防車の前を抜け、川沿いに家に向かった。その途中、愛犬を散歩中の見知らぬオジサンが妻に話しかけてきた。彼は俺の病気について質問を繰り返し、俺の腕をさすりながら「自分も原因不明の病気で苦しんだ時期があった」と言った。彼は励ましと心配の言葉をかけて去っていった。 自宅に帰り、車椅子から寝台へ移乗しようとするとき、人工呼吸器の警告音が鳴り響き、空気が漏れる音と共に鳴り続けた。俺は「チューブが外れただけだろう」と思っていたが、顔面蒼白となった妻は人工呼吸器の会社に電話させて、原因を尋ねるのと手動の呼吸器に切り替えるのに必死で、なかなか警告音は収まらない。そのうち誰かが車椅子に固定したチューブの一端が外れているのに気付いて事無きを得た。 ユーチューブに始まり、チューブに終わり、心配が身に沁みる小旅行だった。

10月のトリセツ

 今月の俺の取り扱い説明書を作ってみた。 1)シーツを交換するとき、俺が寝たままの状態で遂行される。妻は俺の体を反転して半分ずつベッドメイクを行うのだが、その際に首が少々捻れることがある。客観的に見ると、落床の心配なく安全にシーツ交換しているように見える。しかし、首が全く動かせない俺には脊髄が捻切られるような感覚に襲われて、精神的な圧迫を感じている。面倒を承知でお願いするが、目を見て大丈夫かどうか確認してほしい。 2)これまた些細なことだが、マスクに付いているゴムが耳の後ろに食い込んで痛い。どういうわけか右耳だけが痛い。対策はマスクの口の部分を引っ張らないことと右耳の後ろに軟膏を塗ることだ。 3)俺の左手は浮腫みやすい。普段は枕に左手を載せて血行が良くなるようにしている。しかし、食事の時はその枕が邪魔になるので、一旦隣の寝台に枕を移動することになる。問題は食後になっても左手は放置されたままだということだ。些細で面倒であることは百も承知だが、左手にとっては深刻な問題であることを理解してほしい。 4)俺はよく「尋ねたことに返事をしないで、他のことを要求する」と非難されるが、それには理由がある。歯ぎしりが鳴らなくなってしまってから、誰かに助けを求めるのが困難になった。誰かが来て目を合わせてくれるのは千載一遇の機会で、その誰かが尋ねたいことをわかって去ってしまうのを恐れる心理が作用しているからだ。その対策は去り際に「他の用事はあるの?」と尋ねることだ。 5)「ヒザが痛い」と言ったとき、両足の膝関節の曲げ伸ばしを繰り返してほしい。 6)こちらの要求ばかり書いたが、「いつも介護してくれてありがとう」と思っているし、「迷惑ばかりかけてごめんね」と思っている。

明るい未来

 ここ数日間、鈴木先生とメールをやりとりしてAIについて議論している。もっとも議論とは名ばかりで、俺が一方的に教えてもらっているだけだ。今回は鈴木先生にお聞きしたいことをまとめてみた。 有史以降、人類は地球上の生命体の中で最も知能が高い生物として君臨してきた。人間を補食しようとする動物を撃退し、家畜を飼い、魚を取り、食物連鎖の頂点に立ってきた。その際たる理由は人類が飛び抜けて高い知性を有していたからだ。ハエを殺しても罪に問われないし、不妊バエを作って種を絶滅させることもできる。そんな絶滅の仕方をハエは想像することはできないだろう。 最近のテレビニュースを賑やかしているのは「AIが人類を滅ぼす」という危惧と警鐘だ。その憂慮は当然だと思う。人間がハエに見えるほどの高い知性を有するAIが誕生したら、人類は初めて高度な知性に直面することになり、人間がハエに対して行使してきた生殺与奪権をAIが所有することになる。それは恐怖そのもので、人間はAIの家畜になり、いつ屠殺されるかと怯えて暮らすことになる。あるいは、家畜が自らの死期を心配したりしないように、人間もAIの支配に気付かずに一生を終えるかもしれない。 ここで質問したいのは「果たしてそのような高度な知性が誕生するのか?」ということだ。AIとは言え、人間の営みをベースにして推論を行っているのだから、せいぜい人類の叡智の総和に毛が生えたものくらいじゃないの? 自己改善型で際限なく知性を向上させることが可能だとしても電力量は有限なので限界があるだろう。そもそも、geminiやChatGPTのように一般に開放されたAIなら、AIの実体は何だろう?どこかの敷地に建設された構造物なのか?AIに自我、もしくは自我まがいのものはあるのか? AIの覇権を握っても他国が開発をやめるわけではないから、近いうちに「人類を滅ぼす可能性があるAI」が乱立するのでは? そんなとき、最先端のAIは防御壁になってくれるのだろうか?  人類にとっての明るい未来はあるのか?

今週のスポーツとエンタメ

最近、俺が知ったスポーツとエンタメを列挙してみた。 1)大相撲9月場所は大の里が優勝した。千秋楽の結びの一番は見応えがあった。立ち合いの一瞬で勝負が分かれた。大の里の両手突きを安青錦は直角に近い角度で受けてしまった。いや、安青錦は「止められるだろう。真っ向勝負できなければ苦手を克服できない」という矜持だったのかもしれないが、大の里の馬力は凄まじく、好調時のフォームを取り戻していた。長崎県出身の平戸海も9勝を挙げた。 2)サッカー日本代表はウルグアイとベネズエラの南米勢相手に連勝した。ハイライト映像しか見てないが、日本はGKの3人を実戦で試し、若手を抜擢し、Jリーグ勢も試合で使い、後半から主力を投入して勝ちをホームのファンに届けるという、育成と結果を両立させる離れ技をやってのける。映像を見る限り、相手が手を抜いた風でもなく、アジアカップに向けての良い準備になったと思う。 3)朝の連続ドラマ「ブラッサム」の一回と二回を視聴した。小説家である宇野千代がモデルのドラマで、小学生時代を村上蘭、それ以降を石橋静河、晩年を加賀まり子が演じている。先ず、加賀が宇野を知らない俺にとっては本物より本物っぽい、というか、流石の存在感を示していた。オープニングの主題歌にしか登場してない石橋だが、過去の出演作品での演技の上手さから今回の期待が高まっている。特筆すべきは村上だ。なんか引き付けられる。父親の理不尽な仕打ちに明るく耐え忍ぶ姿は継母から愛情を注がれていた所以だと納得させられる。このままずっと出演し続けてほしいと思うほどの大物感を醸し出していた。明日のドラマが待ち遠しい。こんな思いになるのは半年ぶりだ。

未解決事件

 NHKスペシャルの未解決事件シリーズを視聴した。このシリーズの詳細は以下を参照。 https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-L12NVLQR3R このシリーズは三億円事件のような過去の有名な未解決事件を掘り下げるという構成だ。このシリーズを見るたびに思うことは「なんかスッキリしないな。モヤモヤばかりが残って、気が滅入るぞ」という感想だ。しかし、今回の北関東連続幼女殺人事件は毛色が違った。番組の焦点が事件そのものではなく、警察の杜撰な遺伝子鑑定だったからだ。番組は日本の警察職員が開発した遺伝子鑑定が時代遅れの遺物であることを看破し、その鑑定方法の杜撰さを専門家の証言付きで指摘し、その鑑定法で冤罪になった人や死刑執行された人の存在を視聴者に示し、それでも非を認めようとしない警察と司法を厳しく批判している。 以下でも語られているように https://news.yahoo.co.jp/articles/db24da6963d406183000181e11578a4046f1f09d この番組のスタッフは公権力を監視して客観的資料を基に公権力を批判するジャーナリズムの鑑だと思う。大川原工業冤罪事件の時も滝山病院の患者虐待の時も優生保護法の時もかなり踏み込んだ批判を展開していたNHKにはこれからも優れたドキュメンタリーを制作してほしい、というエールを送りたいと思い取り上げる次第だ。

秋夕の訪問者

 今日の午前11時にCEK博士とESJ博士が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。 CEK博士は俺が7番目に学位授与の判子を押した学生だ。学位取得後、研究費を得ながらポスドク生活を送るも、今年の5月に研究活動を辞める決断をする。原則的に学位取得後は独力で就職活動するものだが、実際は指導教授の政治力や人脈が微妙に作用して就職の後押しをするものだ。俺がALSに罹患してから俺の指導学生たちは文字通り独力での就職活動を強いられてきた。仮にALSに罹患していなかったとしても、政治力も人脈もない俺の影響力は微々たるものだっただろう。韓国では少子化が急激に進み、大学の統廃合が加速すると予想されている。それに伴い大学教員の数も減少していく。海外留学組やソウル大学を始めとするエリート校からの卒業生でも苦労している現状を見て、数学を辞めるという決断に至ったと推察する。就職活動の後押しができなかったことが悔やまれる。CEK博士がわざわざ来てくれて明るい表情で近況を伝えてくれたのがせめてもの救いだ。 ESJ博士は兵役問題が長引いて釜山大学で煮え切らない日々を送った後、日本に渡り、横浜国立大学で学位取得後、日本の企業に就職した。彼は成人病予備軍で、俺は釜山大学時代から彼の健康と一向に改善しない食生活を本気で心配していた。彼は学位取得と就職の合間に腎臓移植手術を受けた。術後の経過は良好で、日本で働いて韓国の病院で定期検診を受けているという話を聞く限り、元気にやっているのだろう。説教臭くなるのを承知で書くが、歩ける、話せる、食べれる、という能力は当たり前に備わっているのではなく、ある日突然失われることもあると肝に銘じて、日々感謝しながら、保全するべきものだ。彼には健康の重要さを噛み締めてほしいと切に願う。 妻が「食事の用意をしようか?」という誘いを固辞して二人は午後3時半に席を立ち、「また、来てくれ」という言葉と共に解散となった。