運動会と体育祭
前回の投稿に書き足したいことがある。以下はその投稿だ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_21.html 母校である郡中は荒れていた。俺が中2の時、「勇気ある生徒会長、殴られる」という見出しで新聞沙汰になったこともある。大村市内の中学校は「男子生徒は丸刈り」が強制されていたが、郡中だけが校則の範囲内での髪型の自由が認められていた。当時は不良がモテる文化があり、「派手な髪型をキメて教師に折檻されて男を上げる」ということが繰り返されていた。その雰囲気は末端にも伝播し、「教師に咎められないギリギリの範囲で髪型を工夫する」という文化があった。運動会のクラス別に編成された応援団にはクラスの中心派閥が集結していて、先輩から伝承された独特の応援形態の博覧会という様相を呈していた。 そんな郡中で生活していたので、似た者同士が集まる大村高校での日常は楽だと感じた。その一方で、喜怒哀楽が激しかった郡中時代を懐かしむ気持ちもあった。「進学校というフィルターでここまで丸くなってしまうのか? 自転車通学で新進気鋭の志も削られていくのか?」という思いだ。 大村高校の体育祭は学年対抗だ。競技の総合点では一年生に勝ち目はないのだが、応援合戦や大絵画というコンペがあり、誰もが最後まで楽しめるように設計されていた。さて、一年生全員が集められて応援の練習をするとき、応援団長は郡中出身で「フレーフレー」と大声を出すも大衆からは「部活と勉強で疲れてるのに暑い中余計なエネルギーを使わせるな」と言いたそうな冷たい反応しか返って来ない。気まずい雰囲気が支配する中、光のごとく颯爽と団長の元に駆け寄ったのがTだった。Tは郡中バレー部の主将で、郡中の運動会では応援団長の一人だった。なんと、その場でのやりとりで応援団長はTに禅譲され、前任者は団員としてサポートすることになった。明治維新の無血開城を想起させる劇的な政権交代にわくわくしたのは俺だけではなかった。一部の女子、おそらくは郡中出身、から声援が起こり、全体に波及していった。そこからはTの独壇場だった。 応援団と言ったら、三三七拍子とかコンバットマーチを思い浮かべるものだが、Tの応援形態はそれらの従来のスタイルとは全く異なる。言うなれば、郡中の運動会で行われていた応援を抽出してT独自のアイ...