15年前の記憶
東日本大震災から15年が経とうとしている。福島第一原子力発電所の電源が喪失し、冷却水が供給されず、格納庫内が空焚き状態になり、建屋が吹き飛ぶほどの爆発が起こった。俺はインターネットとテレビを交互に見て、原発の動向を見守りながら日本の将来を憂いていた。テレビでは学者が「メルトダウン」という言葉を避けながら苦しい説明を繰り返していた。その様子を見て「準公務員の集まりと思っていた電力会社が言論統制できるほど強大な権力を持っているんだ!?」という感想を抱いた。 現在の「放射能が格納庫内に閉じ込められ、原発敷地内で作業できる」状況だからこそ、他の原発の再稼働が議論されているが、一歩間違えば「格納庫外に放射能が出てきて、高い放射線が飛び交って作業員が近づけなくなり、福島県全体が死地となり、周辺地域に黒い雨を降らせ、関東地方に健康被害を訴える人が続出し、首都移転となり、国力が半分未満になる」という未来も十分あり得た。 そのことをすっかり忘れて、「円安で石油価格が高騰し電気代が上がる」「二酸化炭素排出量を減らすために」「原発ゼロを志向したドイツの電気代は凄まじい高さ」「メガソーラーの建設は環境破壊」「洋上風力発電は採算が合わない」「AIのデータセンターは莫大な電力を消費する」等の理由で原発の再稼働を容認することはいかがなものかと思う。もしかしたら15年もの間に電力会社が原発を容認するように世論を誘導してきたからかもしれないのだ。少なくとも、自然災害に加えて、テロ、ミサイル攻撃、原発の急所や盲点を知り尽くしたサイコパスな原発職員、等のリスクが上記の大惨事を引き起こすことを念頭に原発容認するかどうかの態度を決めるべきで、「原発ゼロは非現実的だ」という思考停止に陥ってはいけないと思う。 俺の立場はどうかと言うと、揺れている状態だ。人類が火の使用を始めたとき火傷や山火事や一酸化炭素中毒等のリスクに直面したはずだ。人類が原子力を使用し始めて90年も経っていない。願わくば、これ以上原発事故が起こらずに、クリーンと言われる水素核融合発電に速やかに移行してほしい。