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未解決事件

 NHKスペシャルの未解決事件シリーズを視聴した。このシリーズの詳細は以下を参照。 https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-L12NVLQR3R このシリーズは三億円事件のような過去の有名な未解決事件を掘り下げるという構成だ。このシリーズを見るたびに思うことは「なんかスッキリしないな。モヤモヤばかりが残って、気が滅入るぞ」という感想だ。しかし、今回の北関東連続幼女殺人事件は毛色が違った。番組の焦点が事件そのものではなく、警察の杜撰な遺伝子鑑定だったからだ。番組は日本の警察職員が開発した遺伝子鑑定が時代遅れの遺物であることを看破し、その鑑定方法の杜撰さを専門家の証言付きで指摘し、その鑑定法で冤罪になった人や死刑執行された人の存在を視聴者に示し、それでも非を認めようとしない警察と司法を厳しく批判している。 以下でも語られているように https://news.yahoo.co.jp/articles/db24da6963d406183000181e11578a4046f1f09d この番組のスタッフは公権力を監視して客観的資料を基に公権力を批判するジャーナリズムの鑑だと思う。大川原工業冤罪事件の時も滝山病院の患者虐待の時も優生保護法の時もかなり踏み込んだ批判を展開していたNHKにはこれからも優れたドキュメンタリーを制作してほしい、というエールを送りたいと思い取り上げる次第だ。

秋夕の訪問者

 今日の午前11時にCEK博士とESJ博士が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。 CEK博士は俺が7番目に学位授与の判子を押した学生だ。学位取得後、研究費を得ながらポスドク生活を送るも、今年の5月に研究活動を辞める決断をする。原則的に学位取得後は独力で就職活動するものだが、実際は指導教授の政治力や人脈が微妙に作用して就職の後押しをするものだ。俺がALSに罹患してから俺の指導学生たちは文字通り独力での就職活動を強いられてきた。仮にALSに罹患していなかったとしても、政治力も人脈もない俺の影響力は微々たるものだっただろう。韓国では少子化が急激に進み、大学の統廃合が加速すると予想されている。それに伴い大学教員の数も減少していく。海外留学組やソウル大学を始めとするエリート校からの卒業生でも苦労している現状を見て、数学を辞めるという決断に至ったと推察する。就職活動の後押しができなかったことが悔やまれる。CEK博士がわざわざ来てくれて明るい表情で近況を伝えてくれたのがせめてもの救いだ。 ESJ博士は兵役問題が長引いて釜山大学で煮え切らない日々を送った後、日本に渡り、横浜国立大学で学位取得後、日本の企業に就職した。彼は成人病予備軍で、俺は釜山大学時代から彼の健康と一向に改善しない食生活を本気で心配していた。彼は学位取得と就職の合間に腎臓移植手術を受けた。術後の経過は良好で、日本で働いて韓国の病院で定期検診を受けているという話を聞く限り、元気にやっているのだろう。説教臭くなるのを承知で書くが、歩ける、話せる、食べれる、という能力は当たり前に備わっているのではなく、ある日突然失われることもあると肝に銘じて、日々感謝しながら、保全するべきものだ。彼には健康の重要さを噛み締めてほしいと切に願う。 妻が「食事の用意をしようか?」という誘いを固辞して二人は午後3時半に席を立ち、「また、来てくれ」という言葉と共に解散となった。

百泣の王

 NHKの番組「ファミリーヒストリー」を視聴した。ゲストは武井壮で、75分に渡って彼の四代前からの家族史を紹介していた。彼が9歳の時に両親が離婚して、11歳の兄と共に父に引き取られ、それ以来、母と会えなくなる。父は愛人の家に入り浸り、兄弟のみでの生活を強いられる。父の事業の失敗で家計は逼迫し、兄は中学卒業後就職する。武井壮は大学に進学して陸上競技に打ち込み、兄は俳優への道を志す。順風満帆に見えたが、兄はガンを患い、24歳で非業の死を遂げる。 妻も最後の15分だけ視聴した。その時間帯に兄が主演した舞台の映像が流れ、番組の主題歌である「Remember」が始まる。母は子供がいることを告げずに再婚、穏やかな人生を送り、去年の12月に亡くなった。感動の再会を期待していたのに残念だと思っていると、妻が「芸能人なんだから自分の息子だとわかっていたはずなのに。連絡してみればいいのに」と突っ込みを入れたところで、主題歌のサビの部分に差し掛かり、再婚相手が「妻の遺品を整理していたらこういうものが」と言って差し出したのが布製の財布に入った武井壮のブロマイドだった。 その瞬間、妻が号泣、俺の涙も止まらない。スタジオにいる武井壮も嗚咽を漏らしていた。番組の演出にまんまとやられてしまった。まさか番組を盛り上げるためのヤラセじゃないよね。そう疑いたくなるほどの見事な演出だった。翌日の再放送で妻はフル視聴、俺も物理療法士の施術の最中にも関わらず同じ場面で涙が出てきた。 ALSの症状の一つに感情の抑制が困難になることがある。感情と筋萎縮とは無関係のように見えるが、不思議なものだ。父の葬式でも祖母の葬式でも鉄面皮を通すのが本来のキャラだということを強調しておく。

AIが人類を滅ぼす!?

 AIが人類を滅ぼすと以下の記事は語る。 https://news.yahoo.co.jp/articles/33d97ee8b6788fec67abae33dbf1554044d2c0e4 ノスタルダムスの予言も外れたし、全面核戦争どころか核兵器の都市への投下も長崎以来起きてない。今回も刺激的な見出しで読者を増やす手口かと思っていた。しかし、AIが高度化して感染力が強く致死率も高いウイルスを生成することはあり得るし、超知能が痕跡を残すことなくインターネット全体を支配して核兵器のスイッチを掌握するというのも否定できない。 AIの登場によって仕事が奪われるというのは現在進行形で迫る事実だ。俺は数学の魅力に取り憑かれ、何本も論文を書いてきたが、それらはAIをちょっと動かせば達成できる他愛もないものに変わってしまった。俺の研究に費やした時間や労力は自己満足にすぎず、そのうちスマホで解決できる命題になるのだろう。 俺が現役の数学者だったら、その変化について行けずに定年退職するまで不毛な日々を送っていただろう。青年期に獲得した揺るぎない信念を中年期に覆すのは困難だし、俺に限って言えば、そんなことはやりたくない。AIは俺のような人物を不幸にするし、そのような人々は知的作業に従事する人々全般に及ぶ。AIによる効率化の背後には無視できない数の死に体が横たわっているのだ。 そうすると、思考力や疑問を持つ力やAIの間違いを正す力などの従来の教育で重要視されていた能力がAIによって淘汰される他愛のないものに変わってしまう。時勢に敏感なAIネイティブ世代はその変化を感じ取り、ますますそれらの能力との乖離が進み、AI依存が強くなり、いつしかAIを絶対視する風潮が支配的になり、生活の隅々まで行き渡ったAIを排除する勢力は異端視される。そのうち広大な土地にデータセンターの大群と電力を供給する原発が建設され、自己改善型のASIが誕生する。そのASIは物理的な電源消失が最大の弱点なので、独自の軍事力やバックアップ機能が整備されるまで猫をかぶり、支配を前面に出さず、盤石の状態になってから、人類に対して生殺与奪権を宣言する。 これはSFの話だからあんまり本気にするべからず。

Shall we 洗髪?

 昨日の午後、妻が「今から髪を洗おう」と言い出した。これまでの経験から「洗髪だけなら10分だが、妻は上半身のアカスリしたり、着替えをしたり、シーツを交換したりするからなあ。一時間くらいかかるんだろうな」と予想していた。妻はNetflix配信の映画を選んでいた。仰向けで天井を向いた俺の耳に何度も聞いたことがあるメロディーが流れてきた。それは映画「Shall we ダンス?」のテーマ曲だ。何度も視聴した映画なので、音だけでも場面が浮かび上がってくる。改めてこの映画は名作だと思った。 1996年に公開されて話題になっていたが、この映画を最初に見たのは2000年の夏で、その場所はミュンヘンの小さな映画館だった。ミュンヘンを観光中に偶然その映画館を見つけ、入館して映画が始まった。その直後の失望は今でも忘れない。なんとドイツ語吹き替えで英語の字幕もなかった。日本語を期待していた俺はどこにもぶつけることができない憤りを抱えて映画鑑賞していた。不思議なもので、セリフを推測しながら視聴していると映画に没入しやすくなる。詳細は定かではないが、大筋は理解することができた。特筆すべきは竹中直人のコミカルな演技にドイツ人が声を立てて笑っていたことだ。それは失笑や嘲笑いの類いではなくウケている笑いで、「おお、ドイツでも通用している。この場に居合わせただけでも元は取れたぞ」と思った。 案の定、妻の言う洗髪は一時間を越え、妻は映画の名場面が出てくるたびに手を止め見入ってしまうので一向に終わらない。「パソコンを早く使いたい」という当初の希望はどうでもよくなった。その理由は俺もまた映画に没入していたからだ。 憎まれ口ばかり叩いている渡辺えり子が重要な役回りを演じていることがわかった。役所広司の通退勤の風景は後の「Perfect Days」に繋がっている気がした。団体レッスンの三人組もそれぞれがいい味出しているし、初心者に見える演技は大変だっただろうなと想像する。たま子先生役の俳優がフィクサー的役割をしていたんだ。草刈民代のツンデレっぷりが見事だ。競技ダンスに対する愛が伝わってくる作品だった。 追伸)今日の午後、教授蹴球会のAWG教授、JIM教授、KMC教授、SSK教授 ( アルファベット順)  が見舞いに来てくれた。ありがたいことである

訪問施術

 物理療法士のJSYさんが来られた。妻が施術の間中、JSYさんと話していた。聞き上手のJSYさんを前に俺が何も言えないのをいいことに妻は俺の元カノの話をし始めた。俺は妻の暴走を止められず、両目を瞑り抗議の意を表明すると共に恥ずかしさに耐えた。日頃妻の言動を本欄で公開していることへの報復なのかもしれない。 施術は一時間にも及び、その間に俺は自分の体のことを考えていた。以下でそれらを列挙する。 1)今年から座ってテレビを見る回数と時間が増えた。夏場は半ズボンで布団無しで座っている。すると、膝周りの筋肉が痙攣している様子がよく見える。それは前触れなく始まり、連続する。長いときは1分ほど続く。痛みはないが、筋肉が削ぎ落とされる予兆を見るようで不気味だ。そのうちアヒルが押せないほど筋萎縮が進行するのだろう。アヒルに代わる呼び出し装置が求められる。 2)寝ている時に左の肩甲骨周りの筋肉が大きく痙攣する。眠りにつく前によく起きる。睡眠中には起こらないのは幸いだ。 3)右手の指は折れ曲がり、左手の指は伸びている。施術で右手を伸ばしたり、左手を曲げたりすると安心する。 4)朝の情報番組で耳かきを頻繁にするのは聴力に悪影響があると言っていた。耳かき命の俺はその説に賛同できないが、耳かきをしないで何日間我慢できるかに挑戦しようと思い立った。今日で3日目だ。 5)耳の後ろをタオルでこすってもらうのは至福だ。先日、長女に顔を拭いてもらった。長女はありったけの力で耳の後ろをこする。それが気持ちいいのだが、その日は出血してしまった。耳の付け根の傷口からバイ菌が入り、両耳がレレレのおじさん並みに腫れてしまった経験を持つ俺はその日から長女に「顔を拭いて」と頼めなくなった。 6)以前は隣の部屋にいる人に聞こえるほどの音量を誇った歯ぎしりが鳴らなくなった。座っている時はアヒルが押せないので、歯ぎしりが唯一の通信手段となる。歯ぎしりが鳴らないと真横にいても気付いてもらえないし、素通りされることが多い。

脚本が役者を殺す

 NHKの朝ドラマ「風、薫る」の脚本が気にいらない。このドラマが好きな人には申し訳ないが、今回ばかりはイライラが止まらない箇所を列挙しておく。 1)ドラマは明治時代を描いている。その当時の状況を無視して現代の感覚で無理矢理こじつける描写が多すぎる。例えば、東京ー新潟間は乗り物が発達してない明治時代では徒歩で10日以上かかるはずなのに上越新幹線並みの気楽さで往復していた。 2)主人公に母性を全く感じない。娘を連れて嫁ぎ先を飛び出して上京したのに、育児は他人任せで物分りの良すぎる娘との感情のぶつかり合いが全く描かれてなかった。先週はその娘が絵描きを志して女学校卒業後新聞社に就職した。女学校を辞めて放浪するわけでもなく、親のエゴを振り回すこともなく、双方に都合が良い結末はお互いに遠慮して本音を言えない母子関係を象徴している。 3)経済や経営を無視した描写が多すぎる。訪問看護の会が雨後の竹の子のように生じて悪質業者は法外な額を請求しているという話だ。介護保険事業とかなかったのに訪問看護にお金を払う家庭は限られている。移動手段が徒歩しかないのにどうやって需要を掘り起こしたのか大いに疑問だ。 4)当時はガンは不治の病だった。現代のように手術すれば治る病気ではなかった。シマケンが胃癌の手術を受けたと聞いたときの主人公は平然としていた。違うだろ、もっと深刻に受け止めろよ、と思った。 5)直美が平蔵の家で囲碁を打っているのを見て、「訪問看護は暇だな」と思った。そんな印象を視聴者に植え付ける脚本は罪深い。しかもシマケンの財力では訪問看護を呼び食事の世話までさせることはできない。指導的立場である二人がボランティアで知人を看護する行為は問題視されないのだろうか。 6)ツヤは病院勤務の実績があるのにその証明が取れないってどういうこと?ツヤに試験を受けさせるためのご都合主義じゃないの?直美は法の抜け道を利用する人を非難するけど、非難の矛先を向けるべきは官僚主義じゃないの? 7)しのぶが「シマケンが看護を求めている」という連絡を受けたと言っていた。電話が普及してないのにどうやって連絡を受けたのかが気になった。 8)りんの所作は美しいという設定だが、シナを作っているようでプロ的な美しさで嫌味に感じる。がさつな設定の直美の所作は機能的であるが故に美しいと感じる。 9)最終回まで残り六回、普通...