広島屋
昨日は広島に原爆が落とされた日、平和式典を視聴していた。残念ながら広島には新幹線で通り過ぎたことはあるが訪問したことはない。いや、待てよ。中学校の修学旅行で宮島に行ったではないか。大山へのスキー旅行でお好み焼きを食べたが、その場所は広島ではなかったか。前々から広島の原爆資料館に行ってみたいと思っていたが、ついには機会を逃してしまった。 学生時代に週末だけ開店するお好み焼き屋があった。その屋号は広島屋だった。俺はそのときまで大阪風しか食ったことがなかった。あのオイスターソースとマヨネーズが混ざり合った佇まいには大いに食欲を掻き立てられた。その先入観は広島屋に初めて入った日に打ち砕かれる。広島屋にはマヨネーズが置いてなかった。誰も文句を言わずにオイスターソースのみがかかったお好み焼きを食べている。それは生地が薄く大量のキャベツを押し潰した部分が大半だった。大将は大柄でいかつい見た目だった。大阪風の圧倒的な支配力と比べて広島風は物足りない。大将は常連客との掛け合いで忙しく一見客には見向きもしない。それが俺の第一印象だった。 しばらく経って、日曜日の昼飯の食堂を探している最中、広島屋の盛況が目に入った。混んでいる店は美味しい。その法則に引き寄せられるように2回目の入店を果たす。そのときにキャベツの美味しさに気付いた。マヨネーズは美味しいけれど、野菜の自然な甘さを打ち消してしまうのではなかろうか。その疑問に対する答えが広島屋にあった。その後、日曜日の昼飯は広島屋がファーストチョイスとなり、豚玉の最安メニューだけでなくイカ天などのメニューを試すようになった。大将にも常連客と認識されるようになった。 本場の広島風を現地で食べた時、麺がシャキシャキして外見も洗練されているように感じたが、広島屋で洗礼を受けた俺の舌には「確かに美味しいけれど広島屋には及ばない」と感じられた。九大の箱崎キャンパスを訪れる機会は何度もあったが、1999年10月を最後に広島屋には行ってない。旅行にしろグルメにしろ「いつでも行ける。次があるさ」という考えはときとして取り返しのつかない事態を招くものだ。