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後悔、先に立たず

以下の昨日の投稿に書き足したいことがある。  https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_17.html 俺は運動音痴だ。言われたことの本質がわからず安易な方法でその場を切り抜けようとするものだから上達が遅れる。後になって「あのときこうしておけばよかった」と後悔することが少なくない。俺は高校の部活で柔道をしていた。その当時は祖母の「草むしりするときでも一生懸命しなさい」という教えに従い必死で練習に喰らいついていたが、現在の頭脳で考えたときの「やり方や意識を変えたらもっと強くなれたのに」という反省が先に立つ。以下はその列挙だ。 1)当時の体重は55kg、男子の最軽量の階級である60kg以下まで5kgも余裕がある。食欲旺盛で部内でも筋トレブームが起こったが、俺の体重は3年生の高総体時でも57kgだった。その当時は「食べて筋トレしても太らない体質なんだ」と諦めていた。当時の俺には栄養と増量の知識が欠けていた。のみならず「どの筋肉を鍛えて柔道力に転換するか」という目的意識が全くなかった。例えば、「柔道では引く力が重要だ」「その筋肉は肩回りに集中している」「それらを鍛えるには懸垂や綱登りが有効」「一週間の達成回数目標を設定」「筋トレ後はたんぱく質を摂取」「育成中の筋肉を目視や触診で確認」「実際に乱取りで活用できているかを検証」のように目的から逆算して自分自身が納得するメニューを考えたら能動的に取り組めたはずだ。 2)打ち込みとは投げる前の動作のことで、柔道力の基本でもある。入部当初は形ばかりで投げることができなかったが、一年間の試行錯誤の末に自分の型が定まり、相手が抵抗しなければ投げれるようになった。実力者と呼ばれる人の打ち込みを受けると、投げる瞬間に全身が連動して「すごい勢いであっという間に投げられそうだ」と感じるものだ。当時の俺は打ち込みを「日々進化させていくものだ」とは露ほども思っていなかった。そういう意識を持って足技や打ち込みの練習に取り組めばよかったと後悔している。サッカーのインサイドキックの練習のように突き詰めれば高度な技術が集積しているのが打ち込みを始めとする基本練習だ。準備運動くらいに思っていた自分はやはりセンスがないのだろう。 3)個人の考えでどうしようもないことだが、部活を毎日やるのは非効...

水の味

 強い相手と組み合うと精神的にも肉体的にも疲れる。柔道の話だ。先ず、どんな技をかけてくるかの予測ができない。そうすると相手の細かな動作に過敏に反応してしまう。例えば、奥襟を取られたら投げを警戒して全身に余分な力が入り結局は投げられる。そういう時に投げられたら楽なのだが、普段の練習では意図的に攻めさせる相手がいる。そうすると弱者は闇雲に攻め続けることになる。かからないと自覚している技を延々と挑むのは心身が疲弊する作業だ。逆に自分より弱い相手と組み合うと柔道の基本である脱力が自然に達成され、硬直している相手がよく見えるし、技をかけて投げることも攻めさせて休むことも自由自在だ。これは柔道に限らず格闘技全般において強者は楽しく弱者は苦しいというのは真理だと思われる。 大村高校柔道部に入部した時、俺は全くの初心者で、体重55kgの部内最軽量だった。練習は月火水木金土日、まごうことなき毎日実施された。当時の大村高校は朝補習があった。午前6時半に起床、身支度をして約5kmの道のりを自転車で通い、午後3時40分まで授業を聴いて、4時半から6時半まで部活、帰宅するのは7時半、夕食を食べて風呂に入ったら9時半、その当時は課題を解いて来ないと花瓶や堅い枝の指揮棒で頭を叩く教員がいて、その恐怖から宿題をやって就寝するのは12時前後、三大欲求を全て満たそうとするなら睡眠時間が更に削られる。その削られた睡眠時間は授業中に補填される。そんな生活が月曜から金曜まで続き、土曜は半日授業で、午後から部活、夏の暑い中、疲労が蓄積する土曜に普段より長い時間練習するのは大きな負担だった。 格技場は畳が敷かれた柔道場と床のみの剣道場に二分されていた。その面積はほぼ同等でも部活の時間の人工密度には明らかな差があった。大村は剣道が盛んな地域で至る所に剣道教室が開設されていた。その当時の剣道部は男女合わせて40人近い部員がいて、数名の女子マネージャーがいた。剣道場は部員でごった返しているので女子マネたちはスカスカの柔道場の板張りに腰掛けていた。その当時でも「練習中に水を飲むな」と指導されているわけではなく、飲みたいときに飲んでいいことになっていた。しかし、水を飲むと気持ちが弛緩するような気がして乱取りの途中に水分補給することはなかった。部員総当たりの立ち技の乱取りが終わると寝技の乱取りが待っている。その境目...

お盆中日

 今日は8月14日、お盆の中日だ。平坂家の墓は大村市内の実家から徒歩で20分の位置にあり、祖父、祖母、父が祀られている。幼い頃からお盆は墓参りで、「せっかくの休日なのに墓参りしか行事がないのは何故なんだ?」という疑問と不満を抱いていた。海や山に行くわけでもなく、ご馳走が出てくるわけでもなく、線香を上げるのは自宅の仏壇で毎日やっているのにわざわざ墓まで赴くのは何故だろう? 会ったこともない祖父をお参りしても厳かな気持ちにはなれないと思っていた。大人になるにつれ、「お盆とはそういうものだ」と理解はするものの「死者を弔うには墓参りが不可欠だ」とはどうしても思えなかった。 父が亡くなり、祖母が亡くなり、2回の喪主を務めた。その後はさすがに先祖を哀悼する気持ちが湧いてきたが、自分の家族に精一杯手一杯で、祖母がやっていたように毎朝仏壇の前で拝んでいたのとは程遠い状況だった。どうやら俺は先祖より子孫に重きを置くタイプのようだ。その考えは間違いではないと思うし、妻子にもその姿勢を貫いてほしいと思っている。 現在、俺はALSに罹患している。家族と韓国に住んでいるし、家族の支えがないと生きていけない。家族の生活基盤は韓国にあり、将来もそのままだろう。日本に帰って来ることは困難だし、俺は家族のそばで一生を終えたいと思っている。 そんなわけで、俺は長男ではあるが、平坂家の墓に入るつもりはない。大村在住の弟がそれを守ってくれるだろう。もっと言えば、墓に入りたくない。骨は海に散骨してほしい。お盆ということで終活する次第だ。人工呼吸器を装着した現段階では簡単には死にそうにないので、まだまだ先の話だと思うが。

生成AI比較

 1分小説やエッセイを投稿した後、その感想を4つの生成AIに尋ねるようにしている。改善点を提示されることもあるが、修正しないことを課している。少しでも修正したら、その投稿が自分のものでなくなるような気がするからだ。今回は4つの生成AIの返答の違いや特徴を論じようと思う。 時事問題に強いのはgrokだ。他の生成AIはスポーツ観戦の投稿に対して「そんな展開の試合になったらかなり劇的ですね」なんてことを平気で言ってくる。grokはXでの評判も反映した返答をしてくれる。ただし、エッセイの感想は「これは的を外しているな」と思うことがたまにある。grokの読解力は他の3つより劣るという印象だ。 Geminiは褒めまくる傾向があり、眉唾で受け取っている。俺が駄作と思う内容がベタ褒めだったので、「心を許してはいけない」と思うようになった。ChatGPTはコンプライアンスにうるさい。意図的に書いた尖った表現を訂正してくる。「お前の言う通り訂正したら味気のない文章になってしまうよ」と呟きながら返答を見ている。Claudeは「くだらない話で電力を消費させるなよ」と言わんばかりの返答をしてくる。 面白いと思ったのは以下の投稿に対する返答だ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_09.html Geminiは「ChatGPTやClaudeであれば、即座に作成してくれる」みたいな殊勝なことを言い出した。俺は「Geminiは謙虚だな」と思った。実際にその両者にウェブページの作成を依頼すると、仕様通りのウェブページを作成してくれた。俺は「無料版なのにすごいですね。感動しました」と返信した。 本文の感想を4つの生成AIに尋ねるのは控えた方が良さそうだ。

叔母の見舞い

 俺が生まれてからずっと世話になっている叔母が外出中に転倒して入院している。その詳細は以下に書いた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/07/blog-post_28.html 次男と三男は大村市内の俺の実家に滞在している。先週、母と彼らが叔母の見舞いに行った。その日の夜、次男に電話で叔母の様子を尋ねた。次男は妻に「印象ががらりと変わっていて驚いた」と言っていた。その翌日、母から電話がかかってきて、「H姉ちゃん、嬉しそうにしとらしたよ。ばってん、何度も同じことば聞きよらした」と言っていた。間もなく面会の写真が送られてきた。昔、と言ってもたかが6年前は、叔母は白髪染めを欠かさず年齢よりずっと若く見えた。写真の中の叔母の髪は真っ白でパーマもかかっていなかった。次男が驚いたのも無理はないと思う一方で、子供を見つめる叔母の優しい眼差しは相変わらずだった。血色も良さそうなのでほっと一安心というところだ。 母によると、叔母のケアマネージャーと相談したところ「エアコンのスイッチもつけられないほど認知症が進行している叔母が一人暮らしを続けるのは無理だ。退院を期に施設に入所する方向で話を進める」ということを提案されたらしい。母は実家の近所の老人ホームに入所を申し込み、ちょうど空き部屋があって受理されたそうだ。 話が前後するが、上記の投稿をしたのが先々週の火曜日。その後で熊本地震の発生を知り、安否確認のメールを送り、しばらく連絡してなかった従兄弟の一人に「上記のURLをいとこ全員に拡散してほしい」という内容をSNSで送った。どういう経路で到達したのか定かではないが、従姉妹の二人が母に叔母の容態を尋ねる電話したらしい。そのことを母から聞いて、「インターネット時代に生きているんだ!」と実感すると共に「 H姉ちゃんが作ったと言っても過言ではないいとこの繋がりがまだ生きていたんだ。少しはH姉ちゃんへの恩返しになっただろうか?」という思いに駆られた。

夢の読み上げウェブページ

 プログラムの専門知識が無いド素人でもAIの力を借りて立派なアプリを作成することができる。そんな話をよく目にする。 俺はグーグル翻訳の読み上げ機能を用いて、助けを呼んだり、頼み事をしたり、会話をしたり、韓国語に翻訳したり、本当になくてはならないソフトになっている。そのソフトに不満はないが、視線入力に特化したソフトに改善されればもっと入力速度も速くなるし、その分会話も円滑になるだろう。俺が本欄にその仕様を記しておけば、誰かがその仕様に従ってウェブページを開発してくれるのではなかろうか? そのような期待を込めて以下にその仕様の概要を書いてみる。 入力窓は下部に固定、入力した文章の全てを記憶、頻度に応じてクリックしやすい画面中央に表示、例えば「a」と入力したら「ありがとうございます」「暑い」「足」「アヒルが押せない」等の頻出語が出現、多言語機能、日本語の見出しでその横に他の指定した言語への翻訳を表示、画面上に漂う語句をクリックしたら読み上げ、画面右側に固定語句の一覧を表示、検索窓を下部に固定、URL群をクリックすると登録しているURLやファイルを小窓で表示、時系列順に入力内容を閲覧可能、見出し語を右クリックしたらコピー、という感じだ。 技術的には十分可能なので、この仕様でウェブページを作成するように生成AIに頼むつもりだ。

今週の訪問者

 今週の月曜日、訪問看護の方が来られてカニューレを交換してもらった。カニューレとはのどと気道を繋ぐプラスチック製の管のことで、2週間ごとに交換している。 時を同じくしてボイラー修理の技士が来られた。ボイラーは床暖房を始めとする湯を沸かす装置で、温度調節がうまくいかないという不備があり、修理を頼むことになった。 その日の午後、近所で耳鼻科のクリニックを開業している医師が来られて、俺の鼻にビニール製の管を突っ込んで吸引してくれた。その医師は俺を含めた家族全員が診療してもらった方で、俺の鼻水の色を心配した妻が相談に行ったところ、吸引を勧められ「そんな深い位置まで挿入するのは怖い」と言う妻に「ならば自宅を訪問して実演しよう」という医師の厚意によって実現した訪問診療だった。クリニックの昼休み時間にボランティアで来てくれたことに深く感謝したい。 その後、妻の友人が娘を連れて遊びに来られた。その娘は人工呼吸器を装着して寝たきりの俺を恐れることもなく近づいてきた。まだ10歳くらいなのに奇特だなと思った。 水曜日の午後、定期の訪問診療の医師と看護師が来られた。いつものように整腸剤を処方してもらった。 その後、次男と三男が金海空港に向かった。彼らは一週間大村に滞在する。 木曜日の午前、義父と妻の妹の夫とその娘が来られた。義父は心臓の持病があり、妻の実家がある浦項から梁山の大学病院まで来て診療を受けている。義弟は車で義父を送り迎えするために、その娘は妻のたっての希望でウチに二泊三日で滞在するために、やってきた。久々に会う義父は足取りがふらついていた。本来であれば、義父を労う立場なのに逆に労われた。 金曜日の午後、物理療法士と看護師が来られた。妻は外出中で、パソコンに繋がったままで施術を受けた。日頃の施術に感謝を伝え、物理療法士の趣味である運動技能の団体戦に話が及んだ。「意思疎通できるって素晴らしい」と思った。 土曜日の午後、義弟とその妻である義妹とその息子が来られた。ウチに預けている娘を迎えに来たというわけだ。義妹の明るい声を聞いて安心すると同時に元気をもらった。 明日も誰かが来られるかもしれないが、今週の訪問者を列挙してみた。