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自転車に乗りたい

 三男の同級生の間で自転車が流行している。いや、正確に言うと、一年以上前から流行していて、三男は事あるごとに「自転車を買って」と妻に懇願してきた。「電子機器で遊ぶよりはるかに健全だ。買ってやればいいのに」と思っていたが、妻は「安全面で問題がある」と言って、三男の要求を時には「公道では乗らないと約束するなら買ってあげる」と言ってはぐらかし続けて一年が過ぎた。話を聞いていると、流行している自転車というのは移動用ではなく競技用で、新品で150万ウォンもする高価なものであることがわかった。三男の同級生たちは競い合うように高価な自転車を購入し、車が来ない河川敷の自転車専用道やマンションの敷地内の広場で腕を磨く、というよりは、愛車を自慢すると共に維持管理のための情報交換を行うらしい。自転車がない三男は友達の自転車に乗せてもらったりして集会に参加していた。 俺も男だから、虚栄心の発露の場での三男の気持ちがよくわかる。振り返ると、俺の少年時代にも子供用の変速ギアがついた自転車がブームになり、五段変速ギアの自転車に憧れ、暴走族の集会のように集団で校区外に遠征していた。その後、釣りブームが起きて、釣れもしないのに「餌はゴカイ、重りは8号、浮きは棒型、釣り場は白道」みたいな情報収集に時間と情熱を注いでいた。しかし、ブームが過ぎると、きれいさっぱり忘れて見向きもしなくなることも知っている。「三男が中学生になる頃にはほとぼりも冷めるだろう」と予想していた。 三男は今年の3月から中学生になった。ある日、「友達が30万ウォンで譲ってくれると言っている。お金は自分で出すから、そうしてもいい?」と三男が妻に言った。妻は一度は了承したものの、その翌日、「友達と取引をするもんじゃない」と前言を翻した。喜ばせてがっかりさせるのは妻の得意技だ。「さすがに可哀想だろう」と思っていたら、妻もそう思っていたのか、取引を認める方向で話が進んでいた。ところが、三男が事前に説明していた自転車と取引する自転車の車種が異なることが発覚した。妻が「ブレーキがない自転車は駄目だ」と明言していたので致し方ないところだ。取引は中止になった。 それから紆余曲折を経て、ネットの中古品市場で60万ウォンの自転車が目にとまり、長男が同行して取引成立となった。三男は毎日のように自転車を持って外出している。この一ヶ月で三男が取引と信用...

温泉巡りの旅 1)草津温泉

 今までに温泉を始めとする様々な保養施設を体験してきた。日本国内のみならず世界の各地、例えば、死海、白頭山、などを時系列にはこだわらずに気の向くままに紹介していきたい。今回は草津温泉にまつわるよもやま話を語ろう。 「草津、良いとこ、一度はおいで、チョイナ、チョイナ」のチョイナの部分をジョイナに替えて歌い、陸上界のスーパースターだったフローレンスジョイナーの扮装をした者たちが通り過ぎるパフォーマンスがテレビ番組「俺たちひょうきん族」で流された。それが25歳だった俺が草津についての知識の全てだった。俺の師匠から誘われるままに草津で開催される有限群論セミナーに参加することにした。当時はどのような性格の研究集会か見当もつかなかったが、平たく言うと、有限群論の大家たちを囲んで群論にゆかりのある分野の研究者が集い、温泉や山歩きを楽しみながら数学を語り合うという数学者の桃源郷とも言える集会だ。ただし、セミナーハウスの収容人数に限りがあるので、誰でも参加できるわけではない、一見さんお断りの京都の料亭のような雰囲気がそこはかとなくあった。 若手が研究成果を発表するのだが、自己紹介の場でもあり、質疑応答で蜂の巣になることもしばしばで、結構な圧迫感があった。夜は自由時間で、温泉に入ったり、囲碁をしたり、酒を飲んだり、思い思いの時間を過ごす。全発表が終了した後は希望者のみの山歩きが催され、その帰りに川のように温泉水が流れる浴場施設に立ち寄った。一緒に山歩きをすると連帯感が生まれ、研究者としての序列を忘れ、自然と会話できるようになるものだ。それでいて温泉に浸かりながら専門的な数学の話が始まったりもする。 俺は何かを強いることのない自由な雰囲気に感銘を受けた。いや、その当時はあるがままを受け入れていたので、感銘というのは年齢が上がるに徐々に感じるようになったと表現するべきだ。今でも大家との会話を記憶しているし、セミナー中に見聞した全ての事象がその後の俺の人生に大きな影響を与えている。何より、このコミュニティが好きになったし、一生を通して関わりたい。そのためにはプロにならなきゃという思いを新たにした。

効率的な人生

 先週末、大学入学共通テストが実施された。36年前、俺は高校三年生だった。その当時を振り返ると、「ずいぶんと非効率な受験対策をしていた」と思う。インターネットもない時代だったから、受験生間の情報格差は少なからず存在していた。以下は国英数の三科目に関して俺がどのような態度で受験に臨んでいたかを記す。 1)古文漢文の授業時間、というか国語のほとんどの授業時間は寝ていた記憶しかない。覚えているのはMNG先生のA子とB子が登場する恋愛話だ。国語の先生はおしなべて温厚な人格者ばかりで、教室全体が眠気に包まれているときでも生徒を起こしたり換気を促すことは一切なかった。居眠りの代償は200点満点の国語の模試で半分しか加点できない事態として返ってきた。古文漢文が基礎事項を押さえてさえいれば安定的な得点源だということに気付いたのは大学生になってからだった。現代文のマークシートは軽快なフットワークで正解をよけていった。もしやり直せるなら、900点満点中200点が国語の満点だということを踏まえて授業を受けたい。 2)英語を日本語を介して勉強しようと思っていたのがそもそもの間違いだった。英文読解でも逐次日本語訳しようとしていたからやたらと時間がかかったし、英作文でも「覆水盆に帰らず」のような諺英訳を暗記しようとしていたし、音声として覚える思考が皆無だったから発音記号やアクセントの位置を丸暗記していた。その当時の受験生は似たり寄ったりで、俺だけが特別に非効率というわけではなかった。 3)難しい問題を解くことが醍醐味と思っていたので、マークシートで満点を取ることより二次試験対策に重点を置いていた。小学生の頃から簡単な計算ミスをすることが多く、高校生になっても改善されることはなかった。難問志向というのは自らの欠点を覆い隠す隠れ蓑でしかなかった。 そんなわけで、志望校だった九州大学理学部数学科はC判定続きで11月の模試で初めてB判定が出た。仮に現在の俺がタイムスリップして38年前の俺に効率的な学習法を講義したらどうなっていたかを想像してみる。おそらく、マークシートで高得点を取ることを重視するあまり、自分で勉強を設定する楽しさや数学の醍醐味を味わうこともなく、一生をかけて学ぶ職業に就きたいと思うことなく一生を終えていたかもしれないのである。人の一生とは非効率の極みという気がしてならない。

エドについて 後編

 その当時、俺は携帯電話を持っていなかったが、エドは持っていた。SNSやemailは勃興期で、エドとの連絡手段は電話による音声に限られていた。大学の研究室の内線電話で通話した記憶はあるのだが、その番号をエドに伝えた記憶がない。大学から下宿先の町までの直行バスを逃すと、次の直行バスまで90分待つことになる。そんなときはテルアビブのバスセンターで乗り替えて帰るのが常だった。そのバスセンターでエドに電話して、近くにいれば会う、いないなら次回、という感じで二週間に一回の頻度でエドと会っていた。大抵は「踊りに行こうぜ」「俺はダンスはできない」「簡単だよ。こうやってリズムを取るだけさ」と言いながら鳩のように首を上下に動かす、などの他愛のない話ばかりだったが、たまに深刻な話題を議論することもあった。 「ナイジェリアは三つの宗教によって分断されていて、互いに争っているんだ。俺は祖国のために何かしたかったんだが、その方法が分からずに国外に出たんだ」とエドは言った。俺の目の前にいる男は、ナンパ師ではなく憂国の志士だった。俺は日本について話すのが躊躇われた。なぜなら、日本が抱える問題はお気楽なものばかりで、深刻度という点でナイジェリアと釣り合いが取れないからだ。エドは続けて「俺は大学に行っている奴らが羨ましくてしょうがないんだ。学歴があれば、信用や人脈が生まれる。それらはのし上がって力を得るために必要なんだ」と言った。最初は面食らった俺だったが、エドの話を聞くうちに共感し、応援したいと思うようになった。後日、エドの希望に沿ってオーストラリアの大学の入学情報をインターネットで調べて、印刷したものをエドに渡した。しかし、実際に入学するとなると、高校の成績、学費と生活費を保証する預金通帳の写し等の様々な書類が必要になる。当時の俺は精一杯のサポートをしたつもりだったが、今振り返ると、それは全く表面的だった。 冬も終わりそうな頃、エドは「昨日、選挙に行って来たぜ」と言った。「お前、選挙権あるのかよ」と言うと、エドは身分証を見せて、「ああ。市民権は簡単に取得できる。兵役があるけどな」と答えた。その日はエドの誘いでモンゴル料理の店で食事することにした。ユダヤ人は、豚肉を食べる、乳製品と肉類を同じ皿に乗せることを禁じられている。そのためにチーズバーガーはないし、ピザの上に肉が乗ることはない。それ...

32年の時を経て

 6月1日の記事にコメントが寄せられた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/06/blog-post.html 俺は32年前教育実習生として母校を訪れた。そのときの教え子がコメントの送り主だ。当ブログは「視線入力」で検索しても「平坂貢」で検索しても出てこないネット上の孤島と呼ばれているほどたどり着くのが困難なURLで知られている。当時の教え子がわずか二週間しかいなかった俺を記憶しているのも驚きだし、そのわずかな情報で「視線入力時代」にたどり着いたのも驚きだ。 あの二週間は鮮烈で且つ凝縮された期間で、その後の俺の人生に大きな影響を与えた。釜山大学での講義もまた然り、教育実習で教える喜びを知ったからこそ異なる言語と異なる文化の環境下でもくじけることなく教育と研究を両立できたと思う。この病気にかかっていなかったら、定年退職後は高校生を教えたいと思っていた。大村で平坂塾を開設したのもその願望に起因している。 昨晩は「実際に大村高校で一年生の授業を担当することになったらどのように教えるか」を想像していた。試験も評価基準も自由に設定できる数学科での講義とは異なり、高校での定期試験は他の教員と共同で問題を作成することになるだろうし、評価基準も統一されているだろう。しかも、受験でより良い結果を出すという進学校ならではの事情や制約もあるだろう。「厳密な論理の反復によってもたらされる数学の普遍性と不変性」を学んでほしいと思うが、受験で点数が出ないとわかったら大部分の生徒からそっぽを向かれ、授業は自習時間に変わるのは目に見えている。やはり、釜山大学でやっていたように授業ごとに10分間の小テストを課したい。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_23.html テストと名が付くと生徒たちは気合いが入るものだ。そこで噴出したドーパミンを持って授業に臨んでほしい。小テストの問題は過去のセンター試験もしくは共通テストから授業に関連した問題を選抜する。三問から成り、1問目は計算問題、2問目と3問目は難易度を変えた文章題とする。授業は教科書を音読することから始めて、教科書に出てくる用語について質問を投げかける。例えば、「無理数とは何か?」と尋ねると「有理数ではない実数」という答えが返...

モデル歩き

 妻が「12時からお客さんが来る」と言って家の掃除を始めた。てっきり、訪問看護の方と思い、「今回は胃瘻の交換だからパソコンを繋がない方がいい」という理由でテレビを見ていたが、12時に現れたのは看護師ではなくPJR博士だった。「夕方に来ると聞いていたのに変更になったみたいだな。それで忙しそうにしてたのか」と思っていたら、頼みの綱である妻は買い物に行ってしまった。長女も家にいたのだが、あいさつが終わると自分の部屋に戻って勉強を始めた様子だ。PJR博士はGISTに講義専門講師としての採用が決まったばかりで、そのことを直接伝えるために大邸からわざわざ来てくれた。俺はまばたきを繰り返して相槌を打つだけだった。一年前はそれが当たり前だったが、視線入力を手にした今の俺にはその状況が非常にもどかしく感じられた。その15分後にKGY博士とCHIさんがやって来た。「テレビもつけっぱなしだし、エアコンもついてないし、歯ぎしりしても誰も反応してくれない。嗚呼、こんな時に妻がいたら」と思っていると妻が帰って来た。早速、パソコンを繋いでもらい、「これでまがいなりにも会話ができる」と思っていた矢先、看護師さんがやって来た。 胃瘻とカニューレの交換の後、昼食会が始まった。俺は寝室でネットサーフィン、妻と長女は三人の客人と共に牛肉鍋と弾んだ会話を楽しんでいる様子だ。盛り上がっている雰囲気を邪魔したくないと思い、放置しているのだが、そうすると客人たちが「そろそろ帰る時間だ」と言い出して本当に帰ってしまうというのが我が家で何回も繰り返されてきた黄金パターンだ。今回もその例に漏れず、俺との会話もそぞろに三人とも帰ってしまった。 KGY博士とCHIさんについては以下で触れているので今回はPJR博士についてのみ言及する。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/blog-post_10.html 済州島から釜山に引っ越してきた彼女はヒップホップ系の出で立ちで外股で闊歩することでボーイッシュな雰囲気を醸し出していた。彼女が俺を指導教官として選んだその日から彼女にとってのセミナー地獄が始まった。俺には学生に研究職を紹介できるような力はない。研究者を目指そうとする学生にはそれ相応の覚悟が求められる。俺が出来るのは学位を出すことだけで、残りは自らの運と才能と努力に委...

英文を添削させてみた

 ある友人に宛てた英文のメールを生成AIに添削してもらったところ、「これを書いたのは誰だ?」というほど原文が変わり果てていた。「箇所別に添削理由を示してください」と入力すると、「不自然」と「誤用」のオンパレードで添削理由の詳細が示された。ぐうの音も出ないとはこのことだ。今まで英語で論文を書き、英語でメールを書いてきたが、それらの活動の全てが不自然と誤用だらけだったという現実を受け入れるのは辛い作業だ。元々、学校で学んだ英語とネイティブが扱う英語には生半可な努力では埋めることのできない大きな溝があると思ってはいたが、その溝を覗き見たような感覚だ。 添削済みの英文を送ればいいのだが、受け手に「生成AIを使って書いたな」と看破されそうだし、俺の「不自然な英語を駆使して何とか伝えよう」とする個性も失われそうな気がするので、できないしこれからもしないだろう。 俺がもっと若い頃に生成AIが普及していたら、自然な英語が身に付いていただろうに。逆に言えば、現在を生きる若者は英語学習において恵まれた環境にいると思う。いや、翻訳技術と生成AIの更なる発達により、「元になるアイデアだけ入力して残りはAIに丸投げ」という風潮が広まり、語学への学習意欲が低下する可能性もあるな。それはアドレス登録機能により、電話番号を記憶する人の数が激減した歴史と重なるのかもしれない。

教授冥利

 昨日、KKT博士が夫人と一人息子を同伴して見舞いに来てくれた。ありがたいことである。本人の許可は取れてないのだが、今回は特別に会話の一部を公開させてもらう。 KKT博士はかつての指導学生で、俺が学位を出した七人の博士の中の四番目だ。彼は釜山大学物理学科出身で、同学科の修士過程に所属していたのだが、数学科の講義を受講するうちに数学に傾倒していき、ついには物理学科を退学して浪人生活を送った後に数学科の修士過程に入学して来た。彼は規格外に優秀で、「下手に指導するより自由にやらせる方が伸びるかな」と思い放任主義を貫いた。それは諸刃の剣で、興味の赴くままに研究分野を変え数学の幅を広げた反面、論文執筆に関して無頓着な面があり、そのことが長期に渡る「研究費や契約職はあっても定職につけない」状態に陥っていた。ここで韓国の大学事情について言及しておく。出生率0.75に象徴されるように少子化が加速する韓国社会における大学は統廃合を余儀なくされ、教員数も減少の一途を辿っている。そんなレッドオーシャンの中で博士たちはしのぎを削っているのだ。 恒例の「近況を教えてくれ」と尋ねると、彼は待ってましたという表情で「実は先週の金曜日に某所の空軍士官学校に採用されることが決まりました!」と答えた。同時に台所で夫人と話していた妻の歓声が上がった。二番目の指導学生だったKKJ博士と三番目のRS博士の時と同様にかつての弟子が大学で定職を得ることほど嬉しいことはない。俺は「放任主義が成功したな」と入力すると、彼は「二年半前に息子が産まれて父親としての自覚が芽生え、論文を書くようになり、面接の準備にも力を入れるようになった」と言っていた。その間、美容院経営の傍ら内助の功で彼の研究活動を支えた夫人の力もあったはずだ。 妻は専門店で買って来た肉を用いてのブルコギで客人をもてなした。食事が終わると彼らは金海の自宅に帰っていった。言い忘れたことがあるからここに書いておく。「就職、おめでとう。しばらくは講義の準備や研究費申請や単身赴任に伴う移動の増加で忙しい日々が続くだろう。それもこれもレッドオーシャンで夢破れた者たちの心情を思えば乗り越えられるはずだ。規格外の学生だった君には数学界を揺るがすような規格外の研究成果を期待している。それから、いつの日か指導学生と家族を伴ってMT(メンバーシップトレーニング)に行...

教員による性犯罪

 教員による性犯罪が後を絶えない。女子児童を盗撮してSNS上で共有とか、監禁して下半身を露出させて性暴行とか、スマホで着替えを盗撮とか、口に出すのもおぞましい事件が続いている。懲戒免職という処分が報道されているが、量刑を決める裁判でも戒めとなるような厳罰が課されてほしい。 俺も教員だったので、このような教師という立場を利用した卑劣な性犯罪には怒り心頭だし、その他大勢の教員まで色眼鏡で見られることを憂慮しているし、迷惑千万だとも思っている。何より心に傷を負った被害児童やその両親の心情を慮ると更なる怒りが湧いてくる。デジタル情報は完全に除去することは困難だ。ということは盗撮画像はSNSで共有された瞬間インターネット上を彷徨い続け、小児性愛者の慰み物となる。そういう取り返しがつかない行為をしても刑務所で2年くらい過ごしたら、何食わぬ顔で社会生活を送れるのだ。 マスコミに言いたいことがある。教師による性犯罪が起こったときに校長や教育委員会のコメントだけでなく、その他大勢の教員の怒りの声を集約して報道してほしい。そうすれば、性犯罪者との明確な区別ができるし、犯罪の抑止にも微力ながらも繋がると思うからだ。 生成AIによると2023年度において教師が性犯罪もしくはセクハラで懲戒免職された件数は320件だそうだ。 追伸)蚊が現れた。視線入力の画面を彷徨っている。早速妻を呼んだ。妻はラケット状の電気蚊取り器を手にして一振り二振り、「ジジー」という何か焼き焦げた音が聞こえた。妻は「姿は見えないけど成功したみたい」と言い残して厨房に戻って行った。俺の頭の中では「鬼に金棒」という諺が去来していた。

カフェ部創設

 公立高校の校長はどのくらい裁量権があるのだろうか?もし可能なら玄関近くの教室を改装してカフェを作ってほしい。営業時間は放課後の16時から18時までの2時間、それでは一日の利益はせいぜい1万円だろうから業者を誘致するのは難しいだろう。そこで提案したいのが部活動の一環としてカフェ部を創設することだ。カフェ部の部員は無給で働く代わりにカフェの経営を含む仕事全般を専門家から学べるという感じで募集をかければ15人くらいは集まりそうだ。 顧問の先生は監査役に徹してお金のトラブルの防止に努める。指導者は外部から信頼できる人を招聘する。この人選は非常に重要で、カフェ部の命運を左右するだろう。カフェ経営で生じた利益はカフェの設備投資に使うことを原則とする。最初は冷蔵庫とエスプレッソマシーンしかなかったカフェが部員たちの集客努力によって利益が出て内装が学期ごとにグレードアップされたら部員たちもやりがいを感じて能動的に考えるようになるだろう。現金を扱う仕事だから「魔がさした」という状況を作らない工夫も必要だ。例えば、スマホ決済できる機械や券売機の導入や売上げを数える仕事は監視カメラの下で複数人でというルールや売上げ高を毎日公開などの仕組みを整備するべきだ。 校内にカフェができたら何が起こるのか想像してほしい。放課後に部活がない生徒や教員がカフェに集い、雑談や学校生活の愚痴や自然発生的な勉強会などのおしゃべりを通して帰宅部の居場所を作れるし、部活に勤しむ生徒たちのミーティング会場にもなる。ここで提案したいのが10分コンサートの開催だ。平日の17時から10分間だけ個人団体を問わずコンサートを開く。月曜日はコーラス部、火曜日はギターの弾き語り、水曜日は吹奏楽部、木曜日は軽音部、金曜日はのど自慢、みたいな感じで事前に演目を告知すれば集客が期待できるし、演者にとっても発表の場が増えることで上達の一助となるだろう。調理実習で作ったお菓子をカフェで販売してもいいし、とにかく人の集まるところには文化が生じるものだ。 問題は俺は逆立ちしても校長にはなれないということだ。その夢は数学科の同級生たちで高校教師になった友人たちに託すことにする。

泳げる、それが何?

 ウチの子供たちが通った小学校にはプールがないし、水泳の授業もない。中学校、高校も同様だ。スイミングスクールに通わせることもなかった。そのせいでウチの子供たちは25メートルさえ泳げない。それでもウォーターワールドという大規模プールに行ったり、海水浴にも行く。ただし、足がつかない場所には行かないし、救命胴衣着用が基本だ。妻も泳げないからこそ子供たちの安全対策を徹底していた。 俺は小学校と中学校で水泳の授業を受けたおかげで足がつかない場所でも平泳ぎで浮くことができたし、クロールなら50メートルは泳げた。だからこそ救命胴衣を着用するなんて発想すらなかった。海では遊泳可能区域を示すブイまで泳いだし、監視員がいない入り江でも平気で泳いでいた。川遊びは実家の近くの郡川を皮切りに水量が桁違いの球磨川まで今振り返ると「よく無事だったなあ」と思うほど命知らずな遊び方をしていた。 日韓両国の水泳文化を直接的または間接的に体験して思うことは「水難事故を防ぐために必要だと信じていた日本の水泳教育は水に対する過信を生んでいるのではないか?」という疑念だ。川下りの船を操る船頭だけが死亡して、救命胴衣を着用していた乗客は無事だった事件はその疑念を裏付ける事件の一つだろう。 水泳が出来るが故に海や川で水遊びしたいという欲求には抗い難いものがあるのだろう。猛暑日が続く昨今では尚更だ。水難事故のニュースを見るたびに、幼い命を奪われた親の無念さを想像するとやりきれない気持ちになる。

イランからの留学生

 「俺はパワハラしてない」と自信を持って宣言できるだろうか? 眠れない夜に上記の主題を考えてみた。俺は釜山大学数学科の教授だった。指導学生にとってはまさしく権力者で、こちらが冗談で言ったことでも学生は深刻に捉えていたかもしれない。いや、かもしれないではなく、そういう事例があった。 イランからの留学生だったR君に学部4年で習うガロア理論の演習問題を解かせた。ちなみにR君は博士過程の学生だ。俺は発破をかける意図で「これを解けないようなら学位も無理だ」と言ったら、R君はしばらく考え込んだ後「学位は要らない」と捨て台詞を残して立ち去ってしまった。後日、「自ら放棄するようなことを口にするべきではない」と説教して丸く収めたが、俺も「学位の授与に関することを軽口にするのは慎もう」と反省した。 時は過ぎ、R君はイランの母校大学の専任教授となり活躍中だ。 2年前に「妻が妊娠した」という連絡が来たが、赤ん坊が産まれたという連絡は来ていない。無事に産まれていればいいのだが、そうでないときのことが心配になり、こちらから連絡するタイミングを逸してしまった。 R君、この記事を読んでいるのなら、近況報告を兼ねたメールを送ってくれ。

教育実習生だった!!

今から32年前、俺が大学4年生の時、母校である大村高校に教育実習生としてお世話になった。九州大学には教育学部がない。しかし、教職に必要ないくつかの単位を取得して教育実習に行けば教員免許が取得できる。実は、大学院に進学して研究者になりたいと決心していたのにも関わらず二股をかけていた。結果的にせっかく取得した教員免許は一度も使うことなくなりそうだ。指導していただいた谷川先生、受け入れていただいた大村高校の皆様、朝電話で起こしてくれた数学科の同級生に多少の後ろめたさを感じつつも教育実習での思い出を振り返ってみる。 俺が高校生だった頃、数学の授業は龍尾先生が担当していた。その頃から谷川先生はいらしたが、一度も授業を受けたことがなく人柄も性格も未知だった。教育実習期間前の打ち合わせで、谷川先生が担任の一年生のクラスで授業してもらうと告げられた。そのときに渡されたのが約40名分の名前入りの顔写真で「完璧に覚えてくるように」と指導された。昔から暗記が苦手な俺だったが、谷川先生の「教育実習生たる者、全力で生徒に接するべし。名前を覚えてくれてると生徒が認識すれば悪い気はしないはず」という無言の圧を感じ、実行することにした。 教育実習の期間は二週間、大村高校では高総体を挟んだ期間に実施されるのが慣例だった。おそらく、部活に集中して勉強が疎かになりがちな時期にぶつけることで教育実習生による未熟な授業で生じる教育被害を最小限にしようという意図が作用しているからだろう。 初日、約10名の教育実習生と対面した。彼らの大半は高校の同級生で懐かしくもあり、「高校時代は〜〜だったあいつがずいぶんと立派になって」という驚きがあった。その日は授業を参観するだけだったが、自己紹介や授業計画の作成、先生方への挨拶回りで大忙しだった。放課後には柔道部の見学に行った。なんと部員が増えていて女子部員もいた。 二日目以降も気の休まる暇はなく常に緊張を強いられた。三日目、初の授業に臨んだ。俺は双方向の授業を標榜していたので、生徒の顔を見て名前を呼んで質問することで授業を組み立てていった。途中、ある生徒が「1/p+1/q」の式変形で詰まって沈黙が生じた。俺は「1/2+1/3はどうやって計算した?」と助け舟を出したら、クラス全体から「おおー!!」という歓声が上がった。「こんな些細なことにあれだけ大きな反応、正に快感。もし...

先生の日

 韓国で5月15日は「先生の日」だ。ハングル文字の開発を命じた世宗大王の誕生日に由来するらしい。しかし、祝日ではない。経験がないのでよくわからないのだが、学校では先生に敬意と感謝を伝え、ちょっとした贈り物をしたり、イベントがあったりするらしい。 韓国では先生に対する尊敬や憧れの度合いが日本と比べて明らかに高い。特に数学の先生は憧れの職業で、俺が釜山大学で勤務していた期間では数学教育科の偏差値が数学科のそれより高かった。呼び方も「様」を意味する「ニム」を付けて呼ぶし、体罰教師の名字を呼び捨てする文化で育った俺にはちょっとしたカルチャーショックだった。 その風向きが変わったのが2016年、韓国の行き過ぎた接待文化に制限を加えるキムヨンラン法が施行された年だ。年長者が同行者全員の食事代を払ったりする文化があるのだが、それは時として利益供与や賄賂になることもある。韓国ドラマ「おつかれさま」でも父兄が教師に金品を渡す場面が出てきたが、そういう行為を違法だと認識させる法律がキムヨンラン法だ。 俺は戸惑いながらも「これが韓国の文化なんだ」と考えて、指導する学生たちからワイシャツやリュックサックなどの贈り物を受けとっていたが、2013年に「学位や研究費の配分に関わる立場にいるんだから情に流されることはあってはならない」と思い、贈り物を禁止する代わりに食事会をすることにした経緯がある。キムヨンラン法の制定が議論され始めたのが2012年だから、奇しくもその時期と一致する。なんだかよくわからない論理展開と結論になるのだが、純粋に慕ってくれた学生たちの思いは十分に伝わっているし、得難い学生たちと切磋琢磨した時間は幸せだったなあと心から思うと伝えたい。

掃除の時間

 日本の学校では掃除の時間が時間割りに組み込まれている。それが当たり前だと思っていたが、他国では放課後に掃除のプロがやるらしい。韓国では以前は日本式が残っていたが、現在は都市部の学校では掃除のプロに任せているそうだ。 どっちが正しいと言える問題ではないし、どっちの方式にも長所と短所があると思う。日本式は公共心を養うなどの教育的効果が見込まれるが、もうちょっと掃除の方法を合理化するべきだと思う。例えば、床の雑巾掛けをモップ掛けに替えてほしい。掃除のプロは床を雑巾で拭くなんて作業は部分汚れを拭き取る場合しかしないだろうし、通常はモップで拭いて終わりだろう。そんなプロでもやらない非効率な作業を子供に強いるのは運動部のしごきでウサギ飛びをさせるようなもので、教育という名の下に何の疑問も抱かずにやっていることに危うさを感じるのだ。 そこで日韓の学校を経験したウチの子供たちにインタビューしてみた。すると長男の口から衝撃の一言が飛び出した。「韓国でもあるよ」らしいのだ。問いただすと「小中高で毎日やってた」そうだ。釜山は都市部ではなかったというのか、それとも俺がネット情報を盲信していただけだったのか。ついでに妻から「低学年の頃は放課後に保護者が小学校に出向いて掃除をしていた」そうだ。 俺が小中高での掃除の時間をどう過ごしていたかというとサボっているわけでもなく熱心に掃除するわけでもなく適当にやってたなあ。今考えると、掃除の時間は社会主義を疑似体験する時間なのかなという気がしてきた。

高校教育の無償化

  NHKの日曜討論で与野党の担当者が新年度予算で盛り込まれる高校教育の無償化を踏まえて今後の教育の在り方について議論していた。というより、事前に渡された質問の答えを読み上げるだけで、与野党共に総論賛成なので論点が曖昧だった。それを見ていた妻が「今ごろ無償化?」と呟いた。 韓国では授業料の無償化はとうの昔に達成されているし、長女が通っている高校では昼食はもちろんのこと放課後の夜間自習のための夕食も給食として無料で提供されるし、釜山市からの支援で教科書と制服も無料だし、タブレットパソコンも無料貸し出しで、返済義務がない奨学金制度も充実している。 これは国民が大きな政府を望むか小さな政府を望むかの選択に依存する差だと思うが、日本が若者の教育に予算を割く方向に舵を取るなら韓国の事例を参考にするべきだと思う。 教育には先見の明が必要だ。AIの発達により急激な変化が予想される近未来に対応できる人材を模索しながら教育制度と教育方針を更新していく時代に入りつつあるのかもしれない。

素通りされる現代史

  歴史の授業で現代史は軽く流されることが多い。俺が受けた歴史の授業はそうだった。受験で出題されることは稀、教師の中立性を担保できない、時間が足りない、等が理由だと思われる。しかし、義務教育で現代史を学ぶ機会を与えないというのもおかしな話だと思う。むしろ、第二次世界大戦からの流れを重点的に教える、というより事実関係を知るべきだと思う。もちろん、興味を持ったら自ら学べば良いし、資料も自由に閲覧できるが、歴史の教員が判で押したような行動を取ることにある種の不気味さを感じる。 第二次世界大戦が起こった理由は、軍事、外交、科学技術、経済、思想、宗教などの観点ごとに様々な立場からの様々な解釈があり、それらが複雑に絡み合って形成されている。それだけで一年分の歴史の授業が終わってしまうほどの分量になる。教える時間が足りないというのはもっともらしい理由に聞こえるが、受験に出題されないとか、なんか国家が戦前戦後の諸問題に背を向けている、もしくは国民に背を向けさせているように見えて、嫌な感じがする。 長崎県の小中学校の登校日は原爆が投下された8月9日で、その日は平和教育の時間で原爆の被害の大きさや悲惨さを映画や被曝者の証言から学ぶ。これは重要な伝承で日本が再び加害国にならないためのストッパーの役割を果たしている。しかし、再び被害国にならないための教育にはなり得ているようには見えない。 話の流れ的には再び被害国にならないために現代史に正対する教育を導入して前段落冒頭で述べた総合的な思考力を養うべきと結論付けるのだが、いかんせん、現行の教育で戦後80年間平和を享受できたという実績があるからなあ。それはもしかして現代史を教えて来なかったからなのかもしれない。

夢の講義

 久しぶりに夢を覚えていた。夢の中で俺は教壇に立ち大勢の学生の前で講義をしていた。黒板に大きな吹き出しを二つ描いて、それぞれに韓国語でリンゴとバナナと書こうとするが、何度も間違ってしまい学生たちから失笑が漏れる。動揺した俺は話すべき内容を忘れてしまう。取り繕うために別のことを説明し出す。「時間がないから続きは次回に」と講義を打ち切ったが、時計を見ると終了時刻の5分前で、「早く終わってよかった」という意味の歓声が湧き上がった。 この夢をどのように解析するべきかを夢判断が専門の心理学者に教えてほしい。実際の俺がどんな授業をしていたかについてはこれから説明していく。 初めて学部二年の線形代数を任された時、心に期するものがあった。それは俺が同科目を受講したときに受けた衝撃を追体験してもらうことだった。「失敗は許されない」と思った俺は入念に事前準備を重ねた。それまでの教育経験から「釜山大の学生は試験と名の付くものに対して類い稀な集中力を発揮する」という予備知識があったので、週2回の講義ごとに十分間の小テストを課すことにした。その問題は5問からなる真偽判定問題で学生たちはそのうち3問を選択して真偽判定の結果とその証明を書き込んでいく。満点は4点で3問の証明が正しいときに与えられる。真偽のみ書いて提出してもよいのだが、間違いの数によってマイナス点が加算される。自分で言うのもなんだけど、この小テストのユニークな点は「自信がなければ提出しなくていい」というところだ。ただし、小テスト終了時に提出しなかったら次の講義開始時に5問中2問を証明付きでレポート提出することにしていて、それが出席の証拠となる。そうすると出席を誤魔化したり、他人のレポートの丸写しで提出することができる。その予防策として小テストの時間に名前を呼んで出席を取り、「誰かに教えてもらったらその人の名前と謝辞をレポートに書いて提出すること」というお触れを出した。 「証明とは何か」を教えたくて始めたことだが、極一部の学生はファンになってくれたが、大部分の学生からは「難しい。答えを教えてくれ。定期試験に初見の問題しか出ないので勉強しても意味がない」という声が相次いだ。講義中は冗談も言わずに「視線を逸らした人に当てて質問するぞ」なんて言いながら授業ごとに10人以上に当てていたから眠る学生は居なかったが、学生にとっ...