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黄砂の青空

 昨日の午後、外出した。雲一つない快晴だったが、昨年の秋に見た青空とは異なり、黄砂の影響なのか霞がかりややくすんでいた。三男は友達と遊びに行った。土曜日の午後でも子供たちは外出することが多い。しかし、昨日に限っては三男以外の全員が家にいた。受験を終えた長女と大学生の長男と次男、忙しいようには見えない。俺の外出準備を手伝う流れで一緒に行くことになった。このメンバーでの外出は三男の誕生以来初かもしれない。ムードメーカーは長女で、皆に話しかけ自身も楽しんでいる様子だ。 いつものように区役所の広場で日向ぼっこをして、いつものコースで帰ろうかというときに事件が起きた。三男からの電話を受けた妻が突然金切り声を上げ「今すぐ家に帰って来い」と叫び出した。「ははーん、友達と遠出していることを責めているのかな?以前は自転車で海雲台まで行ったからなあ」と思っていると、突然目の前に三男が現れた。三男は電話口で「東来女子高校の陸橋にいる」と言っているのを妻が「東来駅の陸橋にいる」と誤解したのが原因だ。ちなみに東来女子高校は長女が通う学校で、区役所の近くにある。理不尽な罵倒を浴びた三男は「精神的衝撃が大きい。謝罪してほしい」と冗談めかして妻に詰めよるが、妻は相手にしない。 その後、三男の中学校の制服の採寸を済ませ、お開きになった。自宅アパートの前で家族全員の集合写真を撮ったのがこの日のハイライトだった。長男と次男はつるぺの関係でお互いの不在を補完するかのように介護してくれるし、三男にとっての父親の役割を果たしてくれる。 昨晩は長女の提案で「天気の子」というアニメーション映画を観ることになった。友達と食事に行った長男以外の全員で視聴した。俺の寝室はミニシアターに早変わりして、俺以外の全員が買ってきたスナック菓子やチョコレート菓子を美味そうに食べていた。「誰か一人がいないと大きな穴が開いたように感じる」とは妻の弁である。ウチは家族旅行やレストランで食事なんてことはできないけど、こんなに安上がりに一体感を味わえることがわかった一日だった。

百年後の火星

 先週の土曜日、NHKのドラマ「火星の女王」を視聴した。今から百年後に火星の地下に住む人類の物語なのだが、30年前に制作された映画「トータルリコール」を見たときのような「放射線を浴びて奇形となった人類、氷のかたまりを溶かして火星に新たな大気が生じる、実は主人公の精神世界を覗き見ているだけかもしれない」などのぶっ飛んだ驚きを全く感じなかった。それでいて、百年後の未来を近似しているわけでもなく、惑星を破壊できるほどの物質が発見されたりというトンデモ設定があったりして、素直にドラマを楽しめない上に「実際はどうだろうか?」というモヤモヤが残った。 今日は百年後の火星開発について生成AIと壁打ちしてみた。以下はその議事録もどきだ。 俺の「百年後、火星に住むことはできる?」という問いには「火星の大気の95%は二酸化炭素で、真空に近いほど薄く、そのために放射線が降り注ぐ。砂嵐も発生するので、地中の閉鎖された空間で電力と酸素と水分の制限の下での生活が予想される」という答えが返ってきた。俺の「大量のロボットから成る社会は可能ですか?」という問いには「技術的に可能ですが、それが社会と呼ばれるかは疑問です」という答えが返ってきた。俺の「地球人のアバターとしてのロボット社会はどうですか?」という問いには「これはSF路線というより、かなり現実的です。ただし通信速度が10分かかるので即時操作は不可能」という答えが返ってきた。俺の「自給自足できる火星でのロボット社会は可能ですか?」という問いには「エネルギーに関しては可能、材料に関しては部分的には可能だが、高性能半導体は無理」という答えが返ってきた。 俺は「300年後は都市ができてロボットの代表が地球に来るかもしれない」と想像した。それにしても、こんなことを議論できる人は限られているのに、生成AIはもっともらしい答えを返してくれるし、こちらの想像力を掻き立てるような意見を提示してくれる。少なくとも、俺の知識をはるかに超えているし、議論していて楽しかった。こうやって、飲み込まれていくんだろうな。

海外放浪記 18)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/11/17.html 18)オランダ、アムステルダム。2005年7月。アムステルダム郊外の合宿所のような施設で開催された集中講義に参加するために弟子だったKHG君とKKJ君を同伴しての出張だった。当時の俺は年間1800万ウォンほどの研究費を取得していた。その内の1000万ウォンは二人の弟子への人件費で残りは旅費やパソコンなどの機材費とセミナー開催費だった。俺は研究費として支給されたものだから人件費も研究のために使われるべきだろうと思い込んでいた。その結果、二人の弟子に「毎月支給している人件費をオランダまでの旅費に当てるように」と指示した。しかし、この類の指示は研究費流用の温床となるので言ってはいけないことなのだ。知らなかったとは言え、二人の弟子に自費で参加させたことに謝罪し、倫理に反する行為を深く反省している。遡及されたら司直の裁きを受ける覚悟だ。 帰りの道中はBSJ博士も合流して四人でアムステルダム観光を楽しんだ。アムステルダム駅の近くはアル中や薬中としか思えない輩がうろついていて、身の危険を感じるほどだった。飾り窓地区は隔離された区画に位置しているわけでなく普通に歩いていたら紛れ込むような場所にあった。通りの至る所にマリファナなどの合法ドラッグの喫煙所があった。道路脇には性器を連想させる装飾物が並んでいた。欲望が渦巻く街アムステルダムに文化的衝撃を受けた。日本のエロ本だらけのコンビニや中洲などの歓楽街が可愛く見えた。 それでもいくつもの運河が連なり、それらの両岸を結ぶ多くの橋を讃える景観は美しいの一言で、街を歩くだけで楽しかった。夕方に着いた初日はホテルに荷物を置いた後、映画館に行き、ブラッドピットとアンジェリーナジョリーが結婚する前に夫婦役で共演した「Mr. & Mrs. Smith」を鑑賞した。二日目はゴッホ美術館を見学して、小舟に乗って運河巡りをした。 二人の弟子には「ここは自転車専用だから歩くな」とか「麺類を啜るな。韓国では公の場でこれ見よがしに鼻をかんだりしないだろう。それと同じ目で見られるから気をつけろ」と注意していたのを思い出す。BSJ博士とも何が原因だったか思い出せないが、行き違...

「はたらく細胞」を視聴した

 Netflix で映画「はたらく細胞」を視聴した。実は3週間前に視聴したのだが、模試が終わったばかりの長女と2回目の視聴をした。長女は仮面ライダーオタクでそのシリーズに出演している俳優が「はたらく細胞」にも出ているということで興味津々だった。 体の中の白血球や赤血球などの細胞を擬人化した話で、例えば、病原菌が気管支に侵入して来た時にナイフを持った白血球が怪物化した病原菌を撃退したり、ロケットに誘導して、人間が咳をする時にそのロケットが打ち上げられる描写がある。それらを見ると、「自分の体の中でもこのようなことが日常的に起きているんだ」という気持ちになるし、原作者の想像力に感嘆するのだ。 長女は場面ごとに感想を述べる。例えば、主人公が死にそうな時に「ええー、悲しい。本当に死んじゃったの?」みたいに言葉にしてくれる。物語はある女子高生が白血病にかかり、体内の血球細胞が変異していく。抗がん剤はミサイルに放射線治療はオーロラに喩えられて描写される。そんな中で正常な細胞もバタバタ死んでいく。生き残った赤血球は酸素を運ぶという使命感でボロボロになっても働き続ける。そういう時の俺は感動して涙を流していることが多いのだが、長女は映画に没入していてこっちに目を向けることはないので、助かっている。 死生観が全く異なる体内の世界をエンターテイメントとして昇華させたこの映画は単純に楽しめる一方で、いろんなことを考えさせられた。

なんたってった小泉

 映画「True Lies」でシュワルツネッガーが演じるオートバイに跨った主人公がビルの屋上に追い詰められた場面で「ここでオートバイに乗ったまま飛び降りたらかっこいいだろうな」と思っていたら、その期待通りの展開になり拍手喝采した記憶がある。この感覚はサッカーの試合を現地観戦するときにも生じる。空いている広大なスペースに密集地帯からのパスが出てくると「よっしゃー、それそれ」と気分が高揚するからだ。 小泉氏が農林水産大臣に就任したのはつい先週の出来事だ。それから連日のようにテレビに出て、「5キロ二千円」「入札ではなく随意契約」「米離れを防ぐため」などの発言が見出しとなりトップニュースとして報道された。国会答弁でも野党党首からの質問にも位負けすることもなかった。 話は単純で、米の平均小売価格が大幅に下がれば国民は拍手喝采で迎え、小泉農相は大手を振って農政改革を推進できるし、参議院選挙にも自民党に好影響をもたらすだろう。そうなると、救世主扱いされることになり次期総理に推す声も高まるだろう。 小泉氏を見ていると、劇場型政治と評された元総理を思い出す。総裁選では財政に対する不勉強を露呈し、他の候補からの質問に噛み合わない答えを連発してバカ扱いされていたのが遠い昔のように感じる。多くの欠点を補ってあまりある長所が発揮された十日間だったと思う。今後の動向を見守りたい。 追伸)朝イチのプレミアムトークでMISIAが「大村で生まれた」と言っていた。あんな有名な歌手なのに大村にゆかりの地がないのはどういうこと?  初耳だった。もしかしたら知らなかったのは俺だけ? 今からでも遅くないから、産まれた病院とか遊んだ公園とかにパネルを設置して里帰りしてもらおうよ。

アイスマンと香港で出会う

  映画「トップガン」でアイスマン役を演じたヴァルキルマーの訃報をネットニュースで知った。遺作となった「トップガン、マーベリック」では今にも死にそうな役を演じていたが、まさか本当に病に犯されているとは露ほども思わなかった。 彼が主演の映画を観たのは香港だった。飛行機のトランジットで香港に寄ったとき、24時間待ちと聞いて、冒険心が湧いてきた。急遽、空港の外に出ることを決断して、夜にも関わらず、宿も予約してなかったが、空港を飛び出し、電車に乗り中心地と思われる場所で降りた。そこでホテルを探そうと思ったが、高いホテルばかりで南京虫がはって居そうな安宿はどこにも見つからない。香港では大半が英語を話すと思っていた。しかし、それは先入観にすぎず、実際には道で声をかけた人誰もが英語を解せなかった。「ああ、どうしよう」と思って、人の流れについていってたどり着いたのが映画館だった。俺はイスラエルでの経験で「海外で日本語字幕のない映画を観ると、想像力がフル回転して映画に没入しやすい」ことを知っていた。俺は一も二もなくチケットを買い求め、映画館の座席に座った。 時刻は23時を回っていた。映画にはヴァルキルマーが演じる盲目のマッサージ師が現れ、ヒロインと出会い恋に落ち、同居する姉との葛藤が始まるという話だ。その題目は「At First Sight」だ。物語は手術で主人公の目が見えるようになって、そのあとの恋の行方と心の変化が描かれる。後日、その主人公があのアイスマンと同じ俳優だとわかり驚くことになる。 映画は終わったが、俺には帰るべき宿がない。電車も走ってない。俺はパリで夜通し歩き続けた経験を思い出して、香港の街を歩いて始発電車を待つことにした。しかし、映画館に着く前に相当な距離を歩いていたし、眠気にも襲われた俺はカバンを枕に上着を布団にした野宿を決行する。なんだか野良犬になった気がした。俺の頭には「自由になれた気がした27の夜」という歌が響いていた。

映画「Mommy」の感想

 映画「Mommy」を鑑賞した。この映画は和歌山カレー事件を扱ったドキュメンタリーだ。この事件が起きたのは1998年7月だ。その頃、俺はドイツかイスラエルにいた。日本のニュースはインターネットで閲覧することができたので、事件名は記憶しているがその詳細を気に留めることはなかった。以下はその感想である(ネタバレ注意)。 1)海の青と空の青との対比、地面に置かれた花束、道路を真上から撮影したときの意外性、被害者の遺族が手を合わせ祈っているときにシャッター音を響かせるマスコミの無神経さ、序盤から観客を惹きつける映像美とカメラアングルが秀逸だった。 2)林容疑者の手紙の朗読者はまさか本人ではないだろうが、本人の雰囲気を醸し出していた。本作には引用映像と役者が演じている部分が混在していて、境界線を意識することを促す構成になっている。 3)夫の林健治氏が主役だった。「こんなこと話していいのか」というくらい保険金のことを語っていた。長男の方は「結婚は諦めているし、子供も作るつもりはない」と言っていた。長女の方は事件を隠して家庭を持つが娘と心中してしまった。そのことを冷静に客観視する長男は吹っ切れているのかなと思う一方で映画には現れない心の闇があるかもしれないと思った。 4)学者の鑑定は当てにならないと思った。カレー鍋に残っていたヒ素と容疑者の自宅にあったものの成分が一致するかどうかで二人の学者の見解が分かれた。どっちが正しいのか一般人には判別できないだろうな。 5)映画の中で度々監督が登場する。アポ無し玄関突撃取材や道行く人にインタビューする場面があったが、被取材者はあからさまに嫌そうな顔をしていて、大変な作業だと思った。インタビューするだけではなく映画の出演交渉もしなきゃいけない。 6)真相はわからない。判断材料を提供して結論を強要しないのがこの映画の良さだと思う。