一枚の写真

 ミラーブログに俺の顔写真をアップロードしている。あれでも妻に「最近の写真で一番よく撮れているものを送って」と頼んだ選りすぐりの一枚なのだ。以前であれば、あのような呼吸器を付けていかにもALS患者然りの写真を公開したいとは思わなかった。その辺りの心境の変化を分析していこう。


ALSに罹患してから「弱っていく自分の姿を晒して同情を買う」ようなことはしたくなかった。ブログでは正直な気持ちを綴っていたが、お涙頂戴一辺倒の展開になるのを避けてきたし、今でもそれは心掛けている。その一方で、減衰していく体の機能と増大していく妻の介護負担と「家族を養っていかなければ」という責任感と減っていくだけの貯金と思うようにいかない現実との狭間にいた俺は、「呼吸器装着して延命するより、この世からいなくなることが家族のためになるのではなかろうか」と本気で考えるようになった。


転機が訪れたのは胃瘻と人工呼吸器を付けるようになってからだ。体の機能の衰えは緩やかになり、介護負担も家族で分担することと対処の工夫を共有して積み上げることで慣れが生じるようになった。年金も日韓両国から入るようになり、月々食べていけるほどの経済状況になった。そうなると、生きることが家族を養うことになり、生きる理由になった。


自己肯定感の高まりと共にパソコンの操作は不便になった。その間、言いたいことが言えないストレスが溜まり続けていたが、視線入力の導入はそれらを解き放った。だからこその「視線入力時代」であり、より多くのALS患者にこの変化を伝えたいと思い、ミラーブログの拡散を目指すことにしたというわけだ。


追伸)豊昇龍が強くなっている。

コメント

このブログの人気の投稿

まだ六割残っている!

取説(コメント投稿に関する注意書き)

九州の女