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漫画の原画

 日本には漫画の原画を所蔵している施設がいくつかある。秋田県横手市のまんが美術館はその代表格で、「釣りキチ三平」の作者である矢口高雄氏は次のように述べている。 https://manga-museum.com/aboutus/ なるほど、浮世絵の原版まで海外に流出してしまったことを教訓として日本の文化を守るための取り組みかあ。しかし、浮世絵が流出したからこそ、ジャポニズムが欧州で認知され、日本でも浮世絵の価値が再認識されたこともまた事実である。「美術館に保存しておくなんてもったいない。公式オークションの運営団体を開設して、原画が唯一無二だというお墨付きを与えたら、高値で取り引きされ、原作者に還元できるんじゃないの?」と思い、それをテーマにして生成AIと壁打ちしてみた。 俺は三種類の生成AIを使っている。しかし、同じ質問を投じても返ってくる答えは微妙に異なる。例えば、「漫画の原画の所有権は誰に?」という質問には、「契約次第」「原則的には原作者」「グレーゾーン」と互いに矛盾してないように見えて主張の力点が異なる答えが返ってきた。 原画の所有権が原作者に属するという前提で話を進める。出版社連合が主導して公式オークションを開催して、利益の還元率を設定して皆が儲かる仕組みを作れば、原作者の自宅や出版社の倉庫で眠っている原画が巨万の富を産み出すに違いないと思うのだが、生成AIはその試みに対して慎重である理由を並べるだけで、ゴーサインを出してはくれない。 ちなみに、現在までの日本の漫画の原画の最高取引額は「鉄腕アトム」の1ページで三千五百万円らしい。

ドカベンの名場面

 前日のブログで漫画「ドカベン」について言及した。それは明訓高校野球部の物語で、同学年の山田、岩鬼、殿馬、里中の活躍が描かれている。ちなみにその題名は主人公の山田がドでかい日の丸弁当を持参することにに由来している。今回は多少マニアックになるが、俺の心に残った名場面を列挙していく。尚、俺の記憶力のみが頼りなので、名前などのの間違いがあるかもしれない。 1)白新学院の不知火は隻眼の弱点を突く配球を逆手に取って本塁打を放つ。塁間を回る際にサングラスをかけた観客が歓声を送る。不知火は「やったぞ。父さん」とその歓声に応える。そこで不知火が父から眼球を譲り受けたことが明かされる。超スローボールで山田をスランプのどん底に落とした投手の不知火が見せた唯一の感情を爆発させた場面として印象的だった。 2)夏の甲子園の決勝の九回裏ランナー三塁の場面で三塁のはるか後方にファウルフライが上がる。周囲の「取るな」の声が聞こえないのか岩鬼は観客席間際のボールをキャッチしてしまう。すると三塁ランナーはタッチアップで本塁に向かって走り出す。明訓高校の初優勝か同点かが分かれる場面で、岩鬼の送球は山田のミットに収まり、ランナーの目の前に白球が立ちはだかるという劇的な結末だった。作者の水島新司は野球のルールブックの見落としがちな部分を題材に話を作ることが多い。俺もこの話を読む前は「ファウルフライでタッチアップできる」ということを知らなかった。 3)記憶喪失になった山田が満塁の場面で打席に立ち、本塁打を放つという正にマンガオブマンガの展開に痺れまくった。その後の敬遠の指示を無視して背負い投げ投法で山田との最後の勝負に挑んだ影丸に感動した。ライバルが魅力的に描かれているのがドカベンの特徴だ。 4)投手の里中が肩と肘の故障で地区予選に出場できないとき、岩鬼、殿馬、山田が投手を命じられて、殿馬は意表を突く牽制球で、山田は捕手の構えからの豪速球で抑えていたのがよかった。低学年の頃に見たアニメでは「岩鬼は口ばっかりでちっともチームの役に立ってない」と否定的な見方をしていたが、高学年になって漫画を読み出すと「ハチャメチャな岩鬼がいるからこそ面白い」と全肯定するようになった。 5)かつて明訓高校を優勝に導いた徳川監督がスター選手不在の信濃高校を率いて甲子園で激突した戦いも印象深い。無死満塁のピンチで山田が「やっぱ...

冬物語

 今から35年前、俺は受験生だった。受験で思い出すのは原秀則作の漫画「冬物語」だ。主人公の森川光は滑り止めの八千代商科大学にも落ちて浪人した後に合格したのが同大学のみという現実に直面する。 それは漫画だけの話ではなかった。団塊の世代ジュニアと呼ばれる俺の年代は常に競争に晒されてきた。受験はその際たるもので、光のように浪人しても志望校が遠のくことはよくあった。だからこそ光に自分の姿を重ね合わせて共感を呼んだのだろう。光は片想いもすれば恋もする。その葛藤で勉強に身が入ったり入らなかったりする。俺が冬物語を読んだのは大学に入ってからだが、光の心理描写は心に刺さった。 話の展開として、俺の受験での苦労話が出てきそうなのだが、年を重ねたこともあり、むしろ楽しい思い出として記憶されている。冬物語の舞台は東京の予備校だったが、俺は地方の進学校の高校三年生だった。受験という同じ目標に向かって収束するも受験が終わったらそれぞれの進路に発散していき、もう二度と戻ることはない刹那的な空間を同級生たちと共有したことは忘れ難い思い出となっている。 何が言いたいのか自分でもわからなくなった。冬物語を読み返して、俺がどう感じるか試したいと思う反面、そっとしておいた方がいいような気もする。 追伸)講演開始時間の午前と午後を間違えた。