セルジオ越後が大村にやって来た

 セルジオ越後が大村にやってきた。

御存知ない方のために説明すると、サッカー解説や辛口批評で有名なセルジオ越後はサッカー選手としての晩年を日本で過ごし、引退後、手弁当で日本全国を行脚し長年に渡って少年サッカー教室を開いていたのである。

そのセルジオ越後が大村市浄水管理センターに相棒のカルロスを連れて少年サッカー教室の講師として現れたのだ。

炎天下の中、カルロスがリフティングを披露する。ボールを空中に浮かせて、その蹴り足でボールを跨ぐ技であった。その当時はそんな高等技術を見るのは生でもテレビでも初めてだったので度肝を抜かれた。

試技が終わった後、セルジオの講演が始まった。
「みんな、階段よりエスカレーターに乗りたいだろ?楽したいだろ?」
その当時はスポ根全盛時代だったので、その場の全員が「だけど、試合で楽をしちゃいけない」という結論が来るかと思いきや、セルジオはそんな予定調和を見透かすかのように
「どんどん楽をすればいいんだよ。そうやって人類は発展してきたんだ。サッカーだって同じだよ。楽しようと思って考えるから、いいプレーが生まれるんだ」と言った。
「みんな、学校でずるいことをしちゃいけないと教わるだろう?」
「でも、サッカーは相手を欺きゃなきゃいけない」
のようなマリーシアの進めも当時は斬新だった。

ミニゲームでは大勢の子供が群がってセルジオのボールを奪おうとするが、ただの一度も取れなかった。なにしろ、セルジオがボールを地面に押し付ければ誰が蹴ってもビクともしないのだ。その後はボールを上空に蹴り上げてテーブルクロスのように広げたシャツの上に落として笑いながら歩いていくのである。

この間、セルジオが座談会で話している動画を見て驚いた。白髪が増え完全なお爺さんになっていたからだ。日本代表の試合後の辛口コメントでネット上で「セル塩」と揶揄されるのも日常的な風景になって久しいが、一方で「サッカーファンにとって本当にいい時代になったなあ」と思う。

喩えは悪いけど、セルジオはネズミ講の親玉だったんだ。セルジオの指導を受けた子供たちが大人になり、そのまた子供たちにサッカーの楽しさを伝えているわけだ。セルジオの少しへそ曲がりな性格は子供たちにも受け継がれ、セル塩の解説に異を唱えながらもその当時を懐かしんでいるかのようにも見える。

セルジオにはそんな幸せな時間をずっと味わってほしい。心からそう思う。

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