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36年前の新歓コンパ

 今から36年前のことだ。俺は新歓コンパの会場にいた。「新歓とは新入生歓迎という意味だろう。しかし、コンパとは一体何だろう?」と思いつつ、場の雰囲気から「コンパとは飲み会のことか」と合点がいった。理学部の新入生は物理と数学や数学と生物のように二つの学科が合わさったクラスで履修することになっていて、その区分で新歓行事も進行していた。 新入生全員が自己紹介することになった。最初の奴のスピーチがすごかった。短く簡潔でありながら爆笑を誘発していた。「これが基準になるのか。なんとかして面白いことを言わなきゃ」と思ったのは俺だけではなかった。その後も名前と出身地で終わらない面白スピーチもしくは口下手な者が場を繋ぐ一気飲みが相次いだ。全員の自己紹介が終わった後に「最初の奴は二年生で、事前の行事から偽名を使い新入生のふりをしていた」ことが明かされた。 「そこまでして盛り上げようとするなんて!」と呆れるやら感心するやら、同級生より数学科の先輩たちを観察するようになった。「派手で個性的な人ばかりだ。一年後に同じようになるとは到底思えない」という感想を抱いた。サクラを見事に演じ切ったのは大野さん、吟遊詩人のような雰囲気の藤本さん、スカジャンが似合う西村さん、ジョンレノン眼鏡の古澤さん、のように今になっても名前を覚えていること自体がその日の印象が鮮烈だったことを物語っている。 その後も一年上の先輩方との交流が続き、福本さんと箕牧さんに「ガロアの夢」の輪読会に誘われたし、留年した西村さんはインターネット黎明期にシンディクロフォードの白黒写真を壁紙にしてくれたものの解除の仕方がわからず女性技官から白い目で見られたし、鹿児島大学に就職した古澤さんは俺を集中講義の講師として招待してくれた。「全ては36年前のあの日から始まっているんだ」と思うと感慨深い。

決戦は日曜日

 棋王戦五番勝負第五局の藤井聡太棋王対増田康宏八段の生中継を視聴している。素人目には馬を作っている後手の増田八段が有利のように見えるが、AIによる形勢評価は藤井棋王の有利を示している。手数が進むごとに藤井棋王の優位が拡大し、「ここまで来たら藤井棋王が勝ちを逃すことはないだろう」という局面に差し掛かった。結局、藤井棋王の圧勝で棋王戦四連覇を達成した。土壇場での勝利は「藤井聡太が飛び抜けた存在である」ことを改めて印象付けた。 話題は変わって、サッカー日本代表がスコットランド代表に1対0で勝利した。三日後のイングランド代表戦を見据えての主力を温存した先発メンバー、敵地グラスゴーでの試合、負傷者続出でベストメンバーが組めない日本代表、などの悪条件が重なっていて、ボロ負けすることもあり得ると予想していたが、後半から主力を投入して勝ち切ったことは大きいし、弱かった時代の日本代表を知る者として隔世の感がある。 コメント欄に「大学院生時代の俺を記憶している」という投稿があった。光栄なことだし、身が引き締まる思いだ。俺の名前を覚えていることも、そこからどうやって本ホームページに到達したのかも気になるところだ。こういう偶然の出会いがあると、「インターネットは時代を超えて全世界に繋がっているんだなあ」と思う。

卒業式

 俺はモテない。モテたことがない。言っておくが、「あばたもえくぼに見える」恋愛とモテるという概念は異なる。モテる奴が浴びる視線と俺へのそれは明らかに違う。喩えて言うなら、芸能人と俺を比べるようなものだ。人々はスターを追い求めるものだ。背が低い、糸くずのような細目、気の利いたことも言えない口下手にして無口、髪型にも服装にもセンスがない上に関心もない、俺にはモテ要素を見出すのが困難で、モテる奴を羨望の眼差しで見ていた。 そんな俺にも一筋の光が当たった瞬間がある。あれは忘れもしない中三で迎えた卒業式の日だ。ここで本題とは離れるが、当時の卒業式の様子を振り返ってみる。在校生は「ご卒業、おめでとうございます」などの全員で発する掛け声や合唱の練習に結構な時間を費やす。高校受験の時期が過ぎたら卒業生も合流して入念なリハーサルを重ねて本番に臨む。卒業式を見に来る保護者の印象を良くするための練習だし、リハーサルを重ねると本番の感動が薄れそうだが、練習をしたからこそ生まれる独特な緊張感があり、俺としては嫌いではない。ただし、指導する先生方の労力や責任感は並大抵ではなさそうだ。卒業式当日は高村光太郎の詩が朗読され、練習では披露されることがない先生一同の合唱が始まる。普段は強面の先生方が「空の青さが好きだ」という歌詞で始まる歌を野太い声で歌うのを聞くと涙腺が崩壊する生徒が続出する。盗難防止のために学校中の壁掛け時計が撤去されることと体罰教師に対する復讐を敢行する風習が残っていたことも付け加えておく。新聞沙汰になるほど荒れた中学校だった。 さて、本題に戻ろう。卒業式後、各学級でのホームルームが終わるといよいよお別れとなる。そのとき、同じクラスのS子さんからセーラー服のスカーフを渡された。S子さんとは中三の一年間だけ同じクラスで、まともに会話したこともない。そもそも、S子さんは副担任の先生に片思いしていたはずだ。卒業後一度も会ってないので、S子さんの真意はわからないままだ。推測するに「S子さんはスカーフを渡す相手を探していて、本気の好意と思われないで受け取ってもらえる人がその条件だった」のではなかろうか。俺は非モテの本領を発揮して、スカーフを受け取るだけで何のお返しもしなかった。その後、スカーフは俺の学習机の鍵付の引き出しに保管されることになる。大学に入学してからもその机を使っていたし...

ガラスの砂浜

 NHKの「有吉のお金発見突撃カネオ君」で大村市の森園公園の海岸部に敷き詰められたガラスの砂浜が紹介された。生成AIによると2016年に完成したそうだ。俺は2019年に森園公園で過ごしたことがあった。妻に「ガラスの砂浜があるから行ってみる?」と誘われたが、車椅子だったことと「ガラスの破片が無造作に捨てられているだけだろう」という勝手な想像で拒否した。 その番組では「大村湾の浄化のために最適な大きさに丸型に加工したガラスを敷き詰めていて、インスタ映えする人気スポットになっている」との説明があった。タイミングよく妻が寝室に入ってきたが、「テレビに大村が出ている」と短い時間に文字盤で伝えられるはずもなく、妻はその説明の最中に部屋を出た。 今日は日曜日、次男は風邪をひいて部屋から出てこない。大村滞在中の長男、長女、三男はそれぞれの興味で楽しくやっているらしい。妻は「最近、周囲によくないニュースが多くて私まで気が滅入る」と言っていた。 冬期五輪も終わったし、なんかさえない日曜日だなあ。そうだ、ガラスの砂浜の動画を撮影してくるように子供たちに頼んでみようかな。

長女がのどじまんに

 先週、NHKの「のどじまん」が大村で開催されるということを伝える記事を投稿した。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/12/blog-post.html そのコメント欄を見ると、sakkさんの「息子、応募すませております。予選がんばります」とある。これに触発されて、予選会開催時期に大村に滞在する予定の長女に頼んで応募してもらうことになった。長女は最初嫌がっていたが、俺が「どうせ書類選考で落とされるよ」などと執拗に勧誘した結果、「じゃあ、お父さんのしたいようにしていいよ」のお墨付きを得た。 俺は仮応募の準備を始めた。登録は郵便不可で、全てウェブ上で完結する。そりゃあそうだろうな。郵便だと資料を整理するだけでも莫大な労力が必要になるもんな。ということは、応募のハードルが下がった分、大量の応募者がいて、書類選考の倍率も上がるということだ。 俺は「自分の病気で同情を買う」行為を避けてきた。しかし、今回ばかりはその禁断の果実を貪ることにした。ウェブ上に選曲の理由を百字以内で述べよという項目で「父はALS患者で、歩くことも食べることも話すこともできません。父も私もヒゲダンの楽曲が好きで、特にこの曲を歌うと父は喜んでくれます。父が毎週欠かさず見るのどじまんに出場して父を元気付けたいです」と書いてしまった。そもそも、俺のメールアドレスで仮登録して、長女になりすまして登録作業を遂行している。その贖罪を兼ねて、本欄で白状することにした。 果たして書類選考の結果はどうなるのか?予選会という大舞台で長女が歌う動画を見たら本当に元気になる気がするんだよな。本選でテレビに出たら気絶して、そのまま昇天してしまうかもしれない。

32年の時を経て

 6月1日の記事にコメントが寄せられた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/06/blog-post.html 俺は32年前教育実習生として母校を訪れた。そのときの教え子がコメントの送り主だ。当ブログは「視線入力」で検索しても「平坂貢」で検索しても出てこないネット上の孤島と呼ばれているほどたどり着くのが困難なURLで知られている。当時の教え子がわずか二週間しかいなかった俺を記憶しているのも驚きだし、そのわずかな情報で「視線入力時代」にたどり着いたのも驚きだ。 あの二週間は鮮烈で且つ凝縮された期間で、その後の俺の人生に大きな影響を与えた。釜山大学での講義もまた然り、教育実習で教える喜びを知ったからこそ異なる言語と異なる文化の環境下でもくじけることなく教育と研究を両立できたと思う。この病気にかかっていなかったら、定年退職後は高校生を教えたいと思っていた。大村で平坂塾を開設したのもその願望に起因している。 昨晩は「実際に大村高校で一年生の授業を担当することになったらどのように教えるか」を想像していた。試験も評価基準も自由に設定できる数学科での講義とは異なり、高校での定期試験は他の教員と共同で問題を作成することになるだろうし、評価基準も統一されているだろう。しかも、受験でより良い結果を出すという進学校ならではの事情や制約もあるだろう。「厳密な論理の反復によってもたらされる数学の普遍性と不変性」を学んでほしいと思うが、受験で点数が出ないとわかったら大部分の生徒からそっぽを向かれ、授業は自習時間に変わるのは目に見えている。やはり、釜山大学でやっていたように授業ごとに10分間の小テストを課したい。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_23.html テストと名が付くと生徒たちは気合いが入るものだ。そこで噴出したドーパミンを持って授業に臨んでほしい。小テストの問題は過去のセンター試験もしくは共通テストから授業に関連した問題を選抜する。三問から成り、1問目は計算問題、2問目と3問目は難易度を変えた文章題とする。授業は教科書を音読することから始めて、教科書に出てくる用語について質問を投げかける。例えば、「無理数とは何か?」と尋ねると「有理数ではない実数」という答えが返...

住みよい街ランキング

 まずは以下のURLをクリックしてほしい。 https://www.nikkeibp.co.jp/atcl/newsrelease/corp/20250825/ これは日本経済新聞社が調査した「住みよい街」に関する記事だ。2025年の調査で日本全国の住みよい街ランキングの4位に見慣れたような見慣れないような市町村名があるのにお気付きだろうか?東京都の千代田区、港区、中央区のようなそうそうたる大都会の洗練された街の次点に我が故郷である大村市が燦然と輝いているではないか。 もう1度繰り返すが、長崎県内4位ではなく日本全国で4位なのだ。関西弁で表現したら「ヤバない?」を連発する場面だ。しかも、福岡市や札幌市のような住みやすい地方都市として外せない都市より上位にいるのだ。「全てを疑う」ことが習慣として染みついている数学者という職業柄から「何かの間違いだろう。いくら住みやすいと言っても、大村の人口は10万人前後なのだ。住んだことがある人自体が少ないのにどうして上位に食い込めるのだろうか?」という疑いの目で見ていた。 ランキングの算出方法は約2万人のビジネスパーソンを対象に住みやすさに関する項目への回答を点数化するらしい。20人以上の回答があった街のみがランキングされるらしい。ということは20人が大村市について最高評価の回答をしたら上位にランクされるわけだ。 空港、新幹線駅、高速道路のICが揃っている都市は全国でも数箇所しかないらしい。大村市はその中の一つで、交通の便が良さそうに見えるが、市内の移動には車が不可欠である。住んだことがある人ならわかると思うけど、治安も良いし、自然災害も少ないし、子育てもしやすいし、自然が豊かで、人口も増えていて発展が見込まれる一方で、もの足りない部分や長所の裏返しの部分もあるんだよなあ。それらを含めての郷土愛で、全国4位に「どこか居心地が悪いなあ」と感じる次第だ。

高校の同窓会

 先週の土曜日、大村高校1990年卒業生の同窓会が開催された。もちろん、参加できなかったのだが、SNSを通して投稿される写真や動画に映る同級生の楽しそうな表情を眺めていると「何でこんな変な病気にかかったのだろう?」という後ろ向きの気持ちが湧いてきた。そのことを参加していた友人に伝えると、「後ろ向きになるのは当たり前の感情だと思うよ」と慰めてもらった。 よく写真を見たら、クラスあたり10人前後の参加者数で、出席してない人が圧倒的に多い。俺もその一人になっただけでくよくよ考える必要は全くないのだが、どうにも気が晴れない。この感情の正体は何だろう?その問いに接近するために同窓会の特性を分析してみる。 卒業して35年、家庭を持ち子供が成人する年齢だ。職場では要職に就いている者も多いだろう。同窓会のいいところは、そういう経歴がリセットされて高校時代の人間関係がそのまま維持されて会話が始まることだ。毎日顔を合わせていた高校時代と異なり、35年経った今は各人が独立した社会で生活しているものだし、普段は遠慮して連絡するのも憚られるものだ。同窓会に参加するということは時間を同級生のために費やしたいという意志の発露であり、時間を気にすることなく旧交を温めることができる。数年に一度開催される集まりなので、それは盛り上がるだろう。 そんな貴重な時間を逃しただけでなく今後も参加できそうもない。まるで高校時代の交友関係が消失したように感じたのが後ろ向きの理由だと思う。コロナ禍とエアマウス時代末期を経て、俺も以前のような自信がなくなり、連絡を取るのが億劫になった面もある。慰めてくれてた友人は漢気がある女性で、俺が大村に住んでいた時に同級生を集めて飲み会を催してくれた。直接感謝を伝えるのは照れ臭い。しかし、表現することが前向きの一歩目だと思うので、本欄にて「ありがとう。いつも」と伝えたい。

甥っ子の冒険

 甥っ子が婦人用自転車で九州一周旅行に挑戦している。福岡が出発地で時計回りに九州を南下し、二日前に延岡を通過したらしいので今は鹿児島辺りだろう。俺の弟からその話を聞いた時、大雨による土砂崩れ、猛暑による熱中症、などの心配が先に立ち、子を持つ親の立場から「そんな危ないことをするなんて!」と思うと同時に、「俺も若い頃は冒険心に駆られたことがあるなあ」と思った。 23歳の夏、福岡ローカル局の深夜番組でお笑い芸人が42.195kmのマラソンに挑む企画が放送された。それを見た俺は「一生に一度はフルマラソンに挑戦してみたい。やるなら体力がある今しかない」と感化され、その翌日に海の中道( 福岡市東部に位置する半島のように陸続きになった島までの通り道)を往復することにした。地図で確認したらその経路の道のりは42kmほどだった。 俺は原動機付自転車を海の中道の根元に停め、ヘルメットケースに財布を入れて、キーホルダーと千円札を短パンの紐で結びつけてポケットに収納して出発した。時刻は13時、気温は30度前後、海風が吹いているせいで走っていて快適に感じる湿度だった。最初の一時間は余裕だった。「このペースなら三時間半くらいで完走できるんじゃないか?」と思っていたら、陽向しかない道に出て、直射日光に晒されるようになると突然疲労を感じるようになった。それからは時間と共に疲労が蓄積していくような感覚だった。海の中道の往路は過ぎたが、問題は島の外周だ。「マラソン選手だって水分補給するだろう。おや、向こうに見えるのは自動販売機ではないか。キンキンに冷えたアクエリアスを飲めば新たなエネルギーが湧いてくるんじゃないかな」と思い、その考えを実行した。その瞬間、メロスのように走り出すという期待とは裏腹に、全身の力が抜け、その場に座り込んでしまった。「どうしよう。まだ半分も来ていない。とりあえずはバス停留所まで歩いてバスで帰るか」と思い、それを実行した。しかし、時刻表を見ると、次のバスが来るまで30分ほど待たなきゃいけないことがわかった。「せめて半分は走破してからリタイアしよう。ハーフマラソンを完走したと自慢できるではないか」と思い、再び走り始めた。ジョギングだったが、確実にゴールに近づいているという実感があった。水分補給の効果なのか、新たな気力も湧いてきた。そのうち、島の外周の半分を越え、博多湾越しの...

MISIAの里帰り

 MISIAが4歳まで大村に住んでいたらしい。しかし、大村でコンサートを開催したという話も聞かないし、この衝撃の事実を知っている大村市民は少ない、少なくとも俺は知らなかったし、俺の弟もそうだ。あんなに偉大な歌手と同郷である事実を知らなかったことへの罪滅ぼしも兼ねて、彼女に里帰り凱旋コンサートを開催してもらうまでのロードマップを提示したい。 1)Yoshiki の出身地である館山では夕方の時報で「Forever Love」が流されている。それに倣ってMISIAの「Everything」を流すのはどうだろうか? 2)大村市長とMISIAの対談を企画する。その対談は大村弁でやって、お馴染みの「とっとっと」「すーすーす」「なかなかなか」の方言ネタで彼女の笑顔が見られたら大成功だろう。対談は大村ローカルのケーブルテレビで繰り返し放送する。 3)MISIAが産まれた病院、遊んだ公園、育った家を紹介するパネルを作って、大村の公共施設に設置する。 5)シーハット大村のメインアリーナでMISIAにコンサートを開催してもらう。それが一年後であれば、市政便りでカウントダウンして告知する。単なる音楽イベントではなく、大村市民がMISIAを歓迎する雰囲気を醸成したい。 後日談)弟は知っていたそうだ。

格闘遍歴 番外編 2)

 城南体育館での練習後、体育館のピロティでジュースを飲みながら談笑していたとき、「ガラスの十代も今日で終わりか」と呟く声が聞こえた。その声の主は南さん、大仏を彷彿させるパンチパーマで襟足長めの風貌は強面を超えて視線を合わせてはいけないレベルに達していた。「ええええ、俺より一つ上ってことですかーー!!」と大声を出したのは同級生の北村だった。 俺は大学1年生で九大芦原空手同好会の週三日の練習に参加していたが、「同好会内では無類の強さを誇っていた井上さんが子供扱いされるほど強い黒帯が福岡支部にはひしめいている」という噂を聞いて、怖いもの見たさで福岡支部の練習に参加してみることにした。 そのときの対人稽古の相手が南さんだった。黒帯の南さんに回し蹴りを蹴り続ける約束稽古だったが、どういうわけか蹴れば蹴るほど脛にダメージが蓄積していって、ついには脛が腫れ上がってその痛みで歩くのも困難になった。当の南さんは「何か失礼なことをしてしまったのだろうか?」と心配になるほど不機嫌そうな仏頂面のまま表情を変えなかった。「とんでもないところに来たな」と思いつつも、福岡支部の練習に通う九大の先輩や同級生の近藤の手前、痩せ我慢でその日の練習を乗り切った。後日、武道具店に赴き足の甲と脛を保護する防具を購入したのは言うまでもない。 九大芦原と福岡支部の練習時間は排反だった。すなわち、やる気さえあれば週六回芦原空手の公式練習に参加できるということだ。俺は月木土の九大の練習に加えて日曜日の夕方の福岡支部の練習に参加することにした。そこでまたまた驚いた。福岡教育大の八代さん、南さんの高校時代からの盟友である勝目さん、九産大の楠原さん、福岡大の藤村さん、山本さん、富永さん、そして南さん、全員黒帯で、半端ない筋肉量で、ありえない強さを誇っていた。それらの猛者を指導するのが支部長である久木田さんで練習のレベルがとんでもなく高かった。練習後、有志で組手稽古が始まった。俺は初めて見る天上界の住人にファン目線で近づきたいと思い、気がついたら月水木土土日で練習に通うようになっていた。 最初は「おい、九大」みたいな感じで、一見さん扱いだったが、練習を重ねるにつれて名字で呼ばれるようになった。支部の練習は参加するたびに新しい技術を学ぶことができるほど充実していた。特に久木田さんの指導は秀逸だった。とにかく顔面パンチ...

大村はストロー!?

  故郷である長崎県大村市は空港、新幹線駅、高速道路のICを有する。特に空港は大村湾上の島に建設されていて、市内からのアクセスも良く、騒音問題とは無縁で、充実した国内線のみならず韓国や中国への国際線も就航している。つまり国内外からの空路で来る観光客は皆大村市に立ち寄るということだ。ところが、観光客のほとんどは長崎市内のホテルかハウステンボスに宿泊する。大村市はそれらの地点に伸びるストローの役割を果たすだけで、甘い汁を飲む立場ではない。このことは生活者である大村市民にとっては「観光客が殺到して不便になるのはごめんだ」と気にも留めないだろう。その一方で、海外からの富裕層の受け皿が大村にないというのはもったいないと思う。例えば、貸切バスで移動する観光客が立ち寄って食事をしたり土産を買ったりする施設があれば少なからぬ経済効果が期待できる。 そこで提案したいのが三彩の里周辺地域の再開発だ。三彩の里は元々陶磁器の制作と販売を行う施設で、障害者の就労支援のために創設された。立地は大村ICから車で5分の位置にある。近年はベーカリー、カフェ・レストランが建設され、知る人ぞ知る存在になっている。注目してほしいのは立地だ。高速道路から降りて飛行機の出発時間までの暇を潰そうと思ったら、渋滞の恐れがある場所には行きずらいだろう。すると、市内中心部は除外される。三彩の里は立地も良く、駐車場も広いし、必要とあらば拡張可能である。このようにハード面では申し分ないのだが、ソフト面の「何が何でも立ち寄りたい」という求心力を有するまでには至っていない。 そこで提案したいのが養鶏場の設置と大村愛が強い料理人の発掘もしくは育成だ。その養鶏場はレストランで提供する最高水準の品質を誇る鶏肉と鶏卵を少量生産することを目的に運営される。その最高品質の肉と卵を名のある山奥のレストランで修行を積んだ料理人が調理する。一流シェフが見つからない場合でも、卵かけご飯とかポーチドエッグとかを前面に出していけば黒字経営できるのではなかろうか。そのレストランで三彩の里制作の器を用いてブランド化すれば相乗効果で陶磁器の売上げの伸びるのではなかろうか。 大村にはまだまだ使っていない筋肉があるはずと思い夢想してみた。

色弱テスト

 NHKのドラマ「True Colors」の主人公は世界的な写真家として活躍していたが、錐ジストロフィーという目の病気にかかり、それまでの仕事を放棄せざるを得ない状況に陥った。その主人公は生まれつき色弱なのだが、かく言う俺も色弱だ。 小学生だった時、小さなマルの模様の色弱テストを受けた記憶が蘇った。先生が「なんて書いてあるの?」と聞くのだが、俺はその質問の意味がわからず沈黙するだけだった。親からも「あんたは普通と違うけん服ば選ぶときは注意せんば」と言われていた。敢えて方言を使ったのには理由がある。傷心の主人公は故郷の天草に帰省するのだが、毎熊克哉が演じる主人公の幼馴染の話す九州弁があまりにも自然で驚くほどだったからだ。彼は広島出身なのだが、「努力だけであれだけ長い会話を違和感なく話せるのか。やっぱり俳優ってすごいなあ」と思った。 色弱であることは俺の人生に微妙な影響をもたらした。適性検査で「顕微鏡や望遠鏡を使う仕事は避けた方が良い」というコメントが返ってきたし、「それなら自然科学分野では数学しかないな。数学、好きだし、志望学科にしようかな」という結論に至った。俺の場合はたまたま色弱と数学が結びついたが、声を大にして言いたいことは「色弱であっても顕微鏡や望遠鏡を見る仕事はできるし諦める必要は1ミリもない」ということだ。 このドラマの結末は知らないが、色弱者の応援歌として最終回まで見届けるつもりだ。 追伸)昨晩は非常に寒かった。布団を重ね床暖房を最高にして就寝した。夜中に暑すぎるということで、布団は一枚にして床暖房を中レベルに落とした。今度は寒さで目が覚めた。なんと寝室の窓が開いていて冷気が入り込んでいた。窓際で寝ていた三男は容疑を否認している。

九州の女

 九州は男尊女卑が根強く残っているらしい。日本の他地域に住んだことがないので比較できないし、時代と共に変化するものなので 一概には言えないが、俺の体験に限って言えば、確かにその傾向はあるように思われる。 例えば、俺にとって正月はおせち料理をたらふく食べて、炬燵に寝そべりテレビを見て過ごすのが定番だった。その間、母と祖母は料理の準備、配膳、片付け、皿洗いに追われていたはずだ。ところが、俺、弟、父は何の感謝もなく当たり前のようにその待遇を享受していた。小学生のときは、フォークダンスで女子の手を握るのが嫌で小指同士で手を繋いでいたし、女子に邪険な態度を取るのがかっこいいという謎の文化があった。これを真に受けた俺は「お前ん家、鏡ないだろ。お前のブス顔が映ったら鏡が割れるからな」みたいなことを同級生の女子に言っていた。思春期になってからは別世界の住人という感じで、男尊女卑という概念は消え去った。 よく言われることだが、九州の女は他人の前では夫を立てて慎ましく振る舞うが、家庭の実権を握っているのは嫁だそうだ。これも個人差がある話だし、一概には言えないが、個人的体験に限って言えば当たっているような気がする。おそらく、幼い頃は父の真似をして男尊女卑に傾くものの分別がつく年齢になると権力の在処に気付き是正されるのではなかろうか。 我が家はどうなのという疑問が聞こえてきそうだが、その件に関してはノーコメントを貫くことにする。