世界史万歳

 高校では世界史を選択した。覚えることが多すぎて受験科目としての負担は大きかった。しかし、その選択に一片の後悔はない。その理由の一つが世界史担当のH先生の名講義だ。「虞や、虞や」の名調子で始まる虞美人草の逸話、フランス革命の話で高々と歌い上げられる「ラマルセイユエーズ」のように長年に渡って繰り返されたであろう伝家の宝刀が炸裂する様を授業ごとに目にすることができた。H先生が自慢気に語っていた「お前らの一年上のMは授業ごとにテープレコーダーで録音して私の授業を繰り返し聴いていたんだよ」の話も納得の豊富な知識量に裏打ちされた圧巻の授業内容だった。


もうひとつの理由は間接的に「歴史は史料という証拠をもって形成される。その史料を管理できる側、すなわち勝者が歴史を作る。なぜ全世界的に西暦を使っているのか?経度の基点はどこなのか?学問の世界で英語が共通語である理由」を知ることができたことだ。ローマ人が水道橋を建設し公衆浴場で風呂に入っていた時、日本は弥生時代で縦穴式住居に住んでいた。卑屈になっているのではなく、客観的に世界と日本の歴史を比較することができた。


ただ歴史を学ぶのは楽しいけれど、香港、ミャンマー、チベット、ウイグル、アフガニスタン、ウクライナ、パレスチナ、スーダンで起こっていることに絶望的に無力だ。それは世界史に限ったことではないけれど。


H先生は現代をどのように捉え批評されるのだろうか。録音したテープがあったら聞いてみたいものだ。

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