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3月, 2025の投稿を表示しています

読み聞かせの記憶

幼い頃に読んでもらった絵本の記憶がまるでない。普通は何度も繰り返して読んだ絵本というのがあるはずなんだけど一冊も思い浮かばない。俺の幼少時に父が肝炎で入退院を繰り返していたし、俺が5歳の時に弟が産まれたから、読み聞かせの余裕が母になかったのかもしれないし、俺が忘れているだけなのかもしれない。今度、母に聞いてみることにしよう。しかし、7歳以降の記憶ははっきりしている。読み聞かせで最も夢中になったのが「アリババと40人の盗賊」で、召使いのモルジアナが盗賊を皆殺しにするなどのR指定になってもおかしくない内容なのだが、とにかく面白かった。 次点は「三つの宝」、「杜子春」、「蜘蛛の糸」の芥川竜之介作品を子供向けに仮名遣いや表現を改訂したものだ。原文の青空文庫でのリンクを以下に貼っておく。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1126_14251.html https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43015_17432.html https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html 「三つの宝」を読んでみた。昔はアフリカの王は最強の悪役という印象だったが、今読むと非の打ちどころがないほどのナイスガイでびっくりした。昔は無理矢理婚約させられる王女が可哀想と思っていたが、今は見た目重視の性格の悪い女という印象に変わった。王子なんだから護衛くらい付けろよと突っ込みを入れたくなった。 「杜子春」を読んでみた。さすが文豪と感心するほどのリズム感だった。杜子春は全てを鉄冠子に与えてもらう恵まれた人生だなと思った。俺はこの話で親孝行の大切さを刷り込まれた。そういう人は多いと思う。 「蜘蛛の糸」を読んでみた。昔は何が教訓になるのかがわからなかった。カンダタにとっての蜘蛛とお釈迦様にとってのカンダタという階層構造の対比が面白い。蜘蛛がどうあがいても人間社会に住むことはできないのと他の生物を殺傷しまくっている人間の象徴として描かれているカンダタはどんな選択をしようが天上界の住人にはなれない。それをわかっていながら蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様は相当に性格が悪いと思った。

自問自答の日々

  入院していたとき、動物愛護を訴える番組がテレビで流れていた。その番組の中で車庫に侵入した子猫を蹴飛ばし踏みつける男の映像が流れた。「威嚇じゃなくて本当に踏みつけるとは。俺にはできない、というか、人としてやってはいけないことだろう」と思ったが、その一方で「そう思う基準は何だろう?」という疑問が湧き、自問自答が始まった。 今は虫一匹殺せない体になってしまったので、これから書くことは健康だった時を想定している。先ず、蚊は躊躇なく殺すことができる。蚊の立場からすると圧殺されて全身から体液を吹き出して絶命するというこの上なく悲惨な死に方なのだが、俺は全く気にならない。しかし、てんとう虫は殺せない、カブト虫やバッタなどの昆虫も同様に殺せない、というかその行為は人間性の欠落と考える。それなら昆虫採収をやっている人を非難することになるぞと言われそうだが、潰すとかバラバラにするとかの殺し方でなければ構わない。ちなみにゴキブリも躊躇なく殺すことができる。同じ昆虫なのにこの差は何だろう? その答えは「自分に危害を与える生物か否か」だろうと考えた。しかし、よく考えたらその答えに疑問が生じてきた。 俺らは肉を食べる。それはすなわち鶏や豚や牛を屠殺する過程を経て店頭に並ぶということだ。俺らは魚を食べる。水の中にいる魚を陸に上げれば死んでしまう。それから、包丁で三枚に切り分けられる。昆虫をばらばらにすることは人道に反すると主張する俺だが、魚に関しては「かわいそう」とは露ほども思わないし、躊躇なく包丁で切り刻める。屠殺はやりたくないけど、「どうしてもダメだ」というわけでもない。「仕事だからやれ」と言われればやると思う。 他の動物を殺すことができる基準は自らの生存のためという理由が付けばどこまでも拡大しそうだ。人間同士でも「危害を与える存在か否か」というのがその条件に大きく関わっているような気がする。俺が蚊全てを同一視して、罪のない蚊まで圧殺してしまうような事例が世界中且つ現在進行形で起こっている。「害虫だから殺してよいは果たして正しいのか」が最新の自問自答だ。

大谷の試合を観戦してみた

  ドジャース対タイガースの試合を5回裏から観戦した。以下はその感想である。 1)元々はケーブルテレビのスポーツチャンネルを月額2万ウォンで契約していたが、いつでも視聴できるネット契約は半額なので、次男が気を利かせてネット契約に切り替えた。今日のNHKの12時のニュースでその試合のことを知り、テレビを見るのをやめてパソコンに移行した。 2)期待の大谷は三振、続くベッツが塁に出て、フリーマンのホームランで同点に追いつく。ニュースでは大谷だけが活躍している印象を受けるが、大谷、ベッツ、フリーマンと続く打順は強力で、相手投手からは悪夢に見えると思った。この日はベッツが大活躍で、その後の勝ち越しホームランと九回に同点に追いつかれ、延長に入ってからのサヨナラスリーランを決めたのもベッツだった。改めてMVPトリオは伊達じゃないと思った。 3)キャッチャーのエドマンの本塁上でのクロスプレイも見事だった。やっぱり、試合で活躍する選手には親しみが湧くもんだ。 4)攻守が変わるたび、投手が交代するたびに同じCMが流れるのにはうんざりした。CMがないNHKを見続けているせいか、サッカー観戦に慣れているせいなのか、野球の休みの多さが気になった。 5)野球の面白さが伝わってくるいい試合だった。ただ、次回にまるまる一試合を観戦するかと言うと、そうではないような気がする。

胃もたれとアーベル賞

  昨晩、消化不良に陥った。先週の消化不良と同じ症状だが、今回は梅ジュースを飲んでも回復しない。寒気に襲われ毛布を三枚重ねて横になるも眠気は訪れない。結局、胃のもたれに苦しみこと2時間、ようやく眠ることが出来た。朝、目が覚めると胃もたれの苦しみが嘘のように消えていた。 消化不良とは何の関係もないのだが、NHKの朝のニュースで「柏原正樹教授がアーベル賞を受賞した。アーベル賞は数学界のノーベル賞とされていて、日本人の受賞は初」と報道されていた。「物凄い偉業だ」と思い、続報を期待していたが、9時のニュースでも12時のニュースでも言及されなかった。「おかしいな」と思い、13時からパソコンを操作してネットのニュースを探すと、そのニュースは昨日の正午が初報だということがわかった。「おかしい。ヤフーニュースのヘッドラインにもNHKの21時のニュースでも言及されなかったぞ。なんて軽い扱いなんだ」と憤っているのが現在の状況だ。 柏原教授は韓国によく来ていた。ソウル大学のKSJ教授が柏原教授に師事していて、頻繁に共同研究を行う関係だったからだ。KSJ教授は韓国数学界のアイコンとも言える存在で、新聞にコラムを持っていたり、テレビ出演したり、何より論文実績が凄まじく、ICM等の韓国で開催される国際会議にはお偉方として参加していた。そんなKSJ教授が信奉してやまないのが柏原教授で「どんだけすごいのか」と思っていた。しかし、正直なところ、柏原教授の学問的実績が凄まじいことはわかっても、その内容はわからないし、「一年の時間をやるから、柏原教授の論文を読んで実績を整理しろ」と言われても「できない」と答えるだろう。 余談になるが、京大数学科出身の友人が柏原教授と世間話をしているのを見て「すごいな」と思った記憶がある。俺の指導教官もすごい方なので、もしかしたら俺もそう思われていたのかもしれない。ちなみにその友人の専攻はグラフ理論だ。言いたいことは「学問を志す者にとって所属する大学のネームバリューは無視できない」ということだ。

平坂塾の卒業式

  以前のホームページの編集画面を訪問してみた。そこには閲覧数を日毎に表示してくれる機能がある。驚いたことに3月は一日平均30回の閲覧が確認された。全く更新してないのに、そのことを告知しているのに、4月以降は閉鎖されるのに、そんな多くの人がアクセスしてくれる理由がわからない。 思えば、以前のホームページを介して様々な出会いがあったし、俺の近況を伝えることができて、見守られている感覚があった。何より文章を書くことで自分の気持ちが落ち着くだけでなく張りも出てきた。お金には変えられない価値があったはずなのに月額料金の値上げを理由に乗り替えるとは、浅ましい性格だと自分でも思う。 駄文を書き並べてきたが、お付き合いしていただいた読者の皆様には本当に感謝している。以前のホームページが消滅する節目にそのことを伝えたい、伝えなければならないと思った。 以前のホームページを俺が卒業するということで、今回はその卒業式である。丁度、釜山でも桜が咲き始めた。窓からはアパート敷地内の桜が見えるだろう。

入院顛末記

  胃瘻の交換を終えて帰って来た。以前とは異なる方式の胃瘻だそうで、胃瘻チューブが短くなり、三種類のチューブが束ねられているそうだ。施術は10分で終わる簡単なものだった。以下は昨日から今日にかけての雑感を網羅したものだ。 1)「病院に行くときは救急車」が定番になった。片道10万ウォンの費用がかかるが、精神的にも肉体的にも他の方法よりはるかに楽なのだ。久しぶりに見た外の世界はストレッチャーの上で仰向けになって眺めた青空から始まった。近くの建物に視線を移すがなかなか焦点が定まらない。そうこうするうちに俺と妻と2名の隊員を乗せた救急車はとある大学病院までの旅路に向かった。妻が俺の頭を起こして釜山駅周辺の景色を見せてくれた。 2)病室は8階の6人部屋だった。窓からの眺めは壮観だったが、黄砂の影響でやや黄色がかっていた。6人部屋だが、入院患者は俺を含めて二人だけだった。しばらくすると、看護師がやって来て一人部屋に移るように言われた。それを聞いた妻は「吸引の音がうるさいからクレームが来たんだわ」と落ち込んでいた。一人部屋はテレビもあるし、騒音を気にする必要はないので快適だった。もし俺が自由に話せたら「人を疑うなんて君らしくないな。結果として双方の利益になったのだから良しとしようよ」と励ましたはずだ。 3)施術前に血圧、尿、レントゲンの検査があって、俺の右腕は点滴に左腕はバイタルモニターに繋がれた、そのたびごとに担当者が来て妻と会話を交わして去っていった。俺は「こんなに大掛かりになるのか?外来でもできると言ってたのに話が違うなあ」と思う一方で、「これは秦の始皇帝でも受けられない待遇だぞ。皇帝の言葉は専門の女官を介して臣下に伝えられるそうだが、正に今の状況に酷似しているではないか」とも思った。 4)施術は内視鏡を使うと聞いていたので、口の中に内視鏡を突っ込まれると思い恐れおののいていた。しかし、実際の施術は局部麻酔後に以前の胃瘻チューブを引っこ抜き、新しい胃瘻チューブを挿入すると言う呆気ないものだった。手術室を妻が待っていて、今にも泣きそうな表情だった。「施術が簡単だった」と言えない雰囲気がそこにあった。 5)施術後は暇だった。しかし、20時からサッカーワールドカップ最終予選の韓国対ヨルダンが放送されるという情報が次男から入った。その試合を観戦した。ちなみに妻はスポーツ観戦...

石破首相を魔改造してみた

  商品券配布問題を受けて石破内閣の支持率が急落した。首相のポケットマネーではなく官房機密費からの支出疑惑も出ている。個人的には「高級ワイン一本分の価格で政局になんてさもしい話だな。政治家としてやるべきことをやっていれば、清廉潔白であることは二次的要素だろう。せっかく総理の座に就いたのにやりたいことが見えてこないからなあ。国会運営だけでなく行政府の長として権力をふるえるところはいくらでもあるだろうに。結局、政治家としてやるべきことをやっているように見えないから批判されるんだろうな」と思う。 例えば、トランプ大統領は就任初日から大統領令を次々と発令した。その内容には賛否が分かれるだろうが、国や世界を変えて行こうと意志は伝わってきた。そんな政治家をたかが150万円分の商品券で退陣に追い込んだりするだろうか?翻って今の日本の政治家は萎縮してしまって全然魅力を感じない。外交でも内政でも総理大臣に指導力や存在感を示してほしいと思うのは俺だけだろうか? それでは石破首相はどうすればよかったのか?このことについて極私的意見を開陳してみる。 1)総裁選挙で地方創生を謳っていた。長崎県だけでも、ハウステンボスにカジノを誘致(何故かIR事業の候補地に落選した)、長崎空港の海外便を誘致、長崎空港とハウステンボスを結ぶ豪華海上タクシーを整備、原爆資料館の別館を島原に建設して本館では展示できない生々しい写真や映像を展示、五島発の海産物運搬専用の航空便の就航、風力発電と蓄電池技術を駆使して電力を自給自足できる離島を実現、マグロの養殖業に補助金を付けて規模を拡大、長崎新幹線の鳥栖までの延伸、などのアイデアには事欠かない。これを各都道府県で知事と協力してやろうと宣言するだけでも地方創生の強力な推進力となるだろう。 2)国際会議等の外交の場ではホタテやナマコなどの海産物をトップセールスを行い販路拡大を図ると共に輸入禁止中の中国に圧力をかける、容易いことではないが国際情勢に関与しているプレイヤーとしての存在感を示す、北朝鮮との首脳会談を実現して拉致問題解決ヘの脚がかりとする、などの外交目標を掲げてほしい。 3)石破首相の師匠である田中角栄が提唱した日本列島改造論にならって公共工事を推進する。能登半島の公費解体事業のテコ入れ、リニア工事のテコ入れ、札幌から各地に伸びる鉄道網の高速化、災害対策を兼...

高校教育の無償化

  NHKの日曜討論で与野党の担当者が新年度予算で盛り込まれる高校教育の無償化を踏まえて今後の教育の在り方について議論していた。というより、事前に渡された質問の答えを読み上げるだけで、与野党共に総論賛成なので論点が曖昧だった。それを見ていた妻が「今ごろ無償化?」と呟いた。 韓国では授業料の無償化はとうの昔に達成されているし、長女が通っている高校では昼食はもちろんのこと放課後の夜間自習のための夕食も給食として無料で提供されるし、釜山市からの支援で教科書と制服も無料だし、タブレットパソコンも無料貸し出しで、返済義務がない奨学金制度も充実している。 これは国民が大きな政府を望むか小さな政府を望むかの選択に依存する差だと思うが、日本が若者の教育に予算を割く方向に舵を取るなら韓国の事例を参考にするべきだと思う。 教育には先見の明が必要だ。AIの発達により急激な変化が予想される近未来に対応できる人材を模索しながら教育制度と教育方針を更新していく時代に入りつつあるのかもしれない。

落合信彦と湾岸戦争

  ケネディ大統領暗殺事件に関する公文書が公開された。これはトランプ大統領による大統領令に従い実現したことだが、オズワルド単独犯行という従来の見解を覆すものではなかった。このニュースを聞いて真っ先に思い浮かんだのが落合信彦だ。 俺が大学に入学した年が1990年、その年の夏、イラクがクウェートに侵攻して、翌年湾岸戦争が起こった。多国籍軍の戦力はイラク軍を圧倒していて、暗闇に光の光線が飛び交う映像を見て「これが戦争なのか?俺たちが学校で習ってきた悲惨で残酷なイメージには程遠く、むしろきらびやかな感じがするぞ」という感想を抱いた。余談だが、体育の授業でバレーボールのチーム分けをする時、相手チームが多国籍軍と名乗ったために俺らのチーム名はイラク軍になった。試合の最中に俺は「アラブ魂を見せてやろうぜ」とチームメイトを鼓舞して試合にも勝った。 湾岸戦争はすぐ終わり、何かしらの釈然としない気持ちを抱えながらも「秩序が保たれたのだから良しとしよう」と自分を納得させていた。そんな時に出会ったのが落合信彦作「2033年の真実」という本だった。その本は「国際情勢の裏にはCIAのような国家諜報機関、オイルメジャーのようなエネルギーを扱う企業、軍産複合体の意向が複雑に絡み合っている」と主張していた。俺はその本にかなりの影響を受けた。湾岸戦争に関する疑問も氷解したような気がした。例えば「サダムフセインとアメリカは内通していて、湾岸戦争は古くなった弾薬を一掃して最新の武器を宣伝し冷戦後のアメリカ一強を印象付けるために仕組まれたものだ。その証拠にフセインはまだ最高権力の座にとどまっているではないか」ということを本気で信じていた。 落合信彦の功罪はその後に語られ、そのどちら側にも頷くところがあるのだが、俺の青春時代を彩ったエンターテイナーとして尊敬の念を抱いている。特に軍産複合体という概念や「アメリカは数年ごとに戦争を起こさなきゃいけない体質を有している」ことやCIAのえげつなさを大衆に広めたのは大きいと思う。さて件の書名は2033年にケネディ大統領暗殺事件の公文書が公開されることに由来している。どこかの報道機関が落合信彦氏のインタビューしに行ってくれないかなと思っているのは俺だけではないはずだ。 追伸)3月25日から一泊二日で入院して胃瘻チューブの交換施術を受けることになった。

最終予選を観戦してみた

  サッカーワールドカップ最終予選の日本対バーレーンを観戦した。ただし昨日の生中継ではなく、ネット動画を今日の午後に視聴した。以下はその感想である。 1)前半は日本の選手の動きが悪かった。というより、ギアを意図的に落としている風情だった。日本の最終ラインまで圧迫守備を続けるバーレーンに並々ならぬ決意を感じた。そんな全力でぶつかってくるバーレーンをいなしつつロングパスで好機を作ろうとする日本という構図だった。 2)後半に入ると、ボールを左右に散らし中央ではリスクを恐れず縦パスを入れていく日本の意図が感じられた。オープンな攻めあいになったら決定力がある選手が揃っている方が有利になる。「こんなに攻め続けているのに何故点が取れないのか?」というカタルシスを期待していたのだが、日本はあっさりと先制点を上げる。それは久保のフリックから脱力を信条とする鎌田が決めた見事なゴールだった。 3)久保のセンタリングを匂わせてのニアをぶち抜くシュートに痺れた。幼い頃からサイドネットに突き刺さるシュートを練習してきた賜だろう。A代表の肝心な試合で活躍できなかったイメージも払拭されただろう。これからは「困った時は久保に預けろ」と言われるほど代表チームでの存在感を高めてほしい。 4)ザッケローニジャパンの頃の最終予選は高視聴率連発で正に国民的行事だった。今回は3試合を残して予選突破が確定した。本来であれば、次のサウジアラビア戦、その次のオーストラリア戦が山場になり大いに盛り上がっていたはずなのに、強くなりすぎるのも考えものだと思った。 5)ワールドカップで優勝を狙うという声が選手や監督の口から出始めている。ドイツやスペインに勝てるのだから、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したときのような幸運に恵まれれば不可能とは言いきれない。とりあえずはFIFAランキング12位以内を目指して、ワールドカップ抽選会でのシード権を確保してほしい。そのためには最終予選の残りの試合を全勝で終えたいところだ。 追伸)地下鉄サリン事件と掛けて5の平方根と解く。 その心は ふじさんろくにおうむなく。

記憶の記録媒体

  昨晩、消化不良で苦しくなった。そういうときは上体を起こして胃液を体外に出すことにしている。これは胃瘻があるからこそできる技だ。しかし、3時間座り続けても一向に安寧は訪れない。「おかしい。胃液は出尽くしたはずだ。それでも回復しないのは精神的理由に依るものだろうか?」と思い、気分転換しようと次男に頭を掻いてもらう。その最中に隣の部屋から長女の嬌声が聞こえた。妻が寝室に入って来て「今、昔の動画を見てるのよ。明日、見せてあげるね」と言った。俺は「今、ここで一緒に見ようよ」と言いたかったが、文字盤の機会を与えずに妻は退出した。戻って来た妻は梅ジュースを胃瘻に注入し始めた。 それから数分後、胃の圧迫感が嘘のように消え去り脂汗も収まり、心と体に平穏が訪れた。更に長女がノート型パソコンを抱えてやって来た。俺の心の叫びが聞こえたのだろうか、長女はパソコン画面の角度を調節して昔の動画を見せようとした。そこで妻が寝台に取り付けられた読書台にパソコンを置くことを提案した。普段はアヒルのおもちゃを固定する役割の読書台が使用されることは皆無で、妻の提案はコロンブスの卵的発想に思えた。 昔の動画と写真のスライドショーが始まった。傍らにはいつもより興奮気味の長女が居て、画像を選別し感想を話してくれる。奇しくも、三男が修学旅行中で不在なので夜更かしが可能だ。俺は「この至福の時間がいつまでも続けばいい」と考え、痰が詰まっても必死で耐えていた。 「自分が動いてるよ。新年の挨拶で長々と話してるよ。なんか仮想現実にいるみたいだ」「長男も次男も今の三男くらいの歳の写真か。長女は幼稚園生でピンクの服が好きだったなあ。妻はカメラマンだから声だけ出てくるなあ」「三男が産まれたばかりの頃、家族全員が団結していたなあ」などの思いが交錯した一時間だったが、5分を超える動画が出てきたときに吸引の要求してしまい、妻の「もう遅いから明日にしましょう」という一声でお開きになった。 追伸)昔の動画や写真は外付けのハードディスクのみに記録されている。そのハードディスクは20年前に購入した年代物だ。俺が就寝の準備をしていると、長男がやって来て「突然、ハードディスクのデータが読めなくなった」と言った。今現在復旧の見通しは立ってないし、妻は「サービスセンターに修理を頼むつもり」と言っている。

ディープフェイクの時代ヘの備え

  昨晩放送された「NHKスペシャル、創られた真実、ディープフェイクの時代」は見ごたえがあった。ディープフェイクとは生成AIを用いて作成された偽動画のことで、ドラマ仕立てで近未来に頻発するであろう生成AIの可能性と課題を紹介していた。以下はその感想である。 1)主人公と悪役の演技が素晴らしかった。特に悪役のセリフが良かった。やっぱり脚本だな。 2)保険会社の顧客名簿を管理する職員が上司3人とのリモート会議に出席して、上司の命令に従い顧客名簿ファイルを上司との共有フォルダに転送する。しかし、リモート会議での上司たちは悪役が操るアバターで、ならず者同士で売買が行われるダークウェブに顧客名簿が流出する。この描写はディープフェイクの課題を俺のような素人にもわかりやすく伝えていると思った。 3)近い将来、オレオレ詐欺の手口も巧妙化すると思った。自分の子供がテレビ電話に出てきて「お金を振り込んで」と言ってきたら、信じてしまうだろう。 4)死人のアバターがチャットを重ねることで学習して遺族との話相手になるという近未来予想には説得力があった。生前のデータを揃えれば本人より本人らしいアバターができそうだ。 5)未成年を性の対象にするディープフェイクは全世界的に取り締まるべきだと思った。SNSに自分の写真を上げただけで、悪意を持つ者がディープフェイクの動画を作り、それが全世界にばらまかれるとか恐ろしすぎる。 追伸)通っていた教会の牧師先生御一行が家族礼拝をしに訪問してくれた。ありがたいことである。

不法滞在寸前

  普段は、NHKばかり視聴して、子供たちとは日本語で意志疎通して、韓国語も日本の方言に聞こえるくらい上達したし、外国に住んでいる感覚は全くない。しかし、俺は外国人だ。そう強調するのには理由がある。ビザの期限が切れそうだからだ。来週の水曜日を過ぎると、俺は不法滞在者となり、場合によっては強制送還されるかもしれないのだ。さすがにそれは現実的ではないが、医療保険が使えないなどの問題が出てくる。 それは断固回避しなければと結成されたのがチーム平坂だ。その本人はもちろん俺で、妻は助演で監督でカメラマンだ。まず妻が出入国管理局に電話をかけた。本来であれば、本人である俺が出入国管理局に出向いて諸手続きを遂行しなければならない。2019年の更新時の様子は闘病記(釜山編)に記録されている。2021年の更新時は俺の体調を考慮してもらい、自宅にいながら滞在ビザを延長することができた。「今回も妻に任せておけば大丈夫だろう」と鷹をくくっていたが、電話中の妻の声は深刻そうで少々心配になった。電話を終えた妻は心底安堵した面持ちで「一週間後に必要書類を提出しに行けば更新してもらえるそうよ」と言った。その一週間後が今日である。 必要書類は申請書、旅券、顔写真だ。俺の旅券の期限は2027年だ。本来であれば、4年ごとに更新すればいいのだが、旅券の期限までの延長しかできないそうだ。それはこの際仕方ない。ただし、旅券とビザの期限が切れる2年後は心しておかなければいけない。これで顔写真さえあれば必要書類が完成する。ところが、その一枚の写真が家中どこを探しても出てこなかった。焦った妻は写真館に電話をかけ交渉を始めた。なんと、スマホで撮影した現在の俺の写真を送れば証明写真用に加工してくれるというのだ。 妻は俺の顔を念入りに拭いた後、俺を寝かせたままでシーツを背景にした写真をスマホで撮影した。チーム平坂の最終走者は長男だ。いつもより早く帰ってきた長男に必要書類を託し、片道50分の出入国管理局まで行ってもらい、「書類が受領された」という連絡が先ほど入った。本人である俺は何もしてないのに、チーム平坂の活躍で事無きを得た。この場を借りて妻と長男に感謝を伝えたい。

スマホと自転車

  三男の修学旅行出発日が目前に迫っている。話は一週間前に遡る。次男が妻に「修学旅行のとき、自分だけ携帯電話がなくて寂しい思いをした。今もそのときの心の傷が残っている」と言い出した。それを真に受けた妻は今日になって「スマホを買ってあげようと思うんだけど、どの価格帯にしようか?」と俺に詰め寄ってきた。 ちょっと待ってくれ。三男は小学生で、次男が言っているのは中学校の修学旅行だ。わざわざ新しい電話番号を取得するより、俺のスマホを持たせれば解決する話ではないか。妻は自らの経験から子供に肩身の狭い思いをさせたくないのだろう。確かに小学生とはいえ、三男以外の全員がスマホを持っているのは事実らしい、知らんけど。 俺も小学生の頃に変速ギア付きの自転車を買ってもらったもんなあ。その当時は自転車で暴走族のように徒党を組んで校区外の施設や海や川に遠征するのが遊びの一環だったからなあ。一人だけ自転車がなかったら、誰かに二人乗りの負担を課すことになり、自然と仲間外れになるんだよなあ。 結論はまだ出てないが、我が家では「重要なことは俺が決めて、些細なことは妻が決める」ことになっている。しかし、何が重要かを決めるのは妻なんだよなあ。 追伸)英語や韓国語のコメントが増えて国際色豊かになってきた。ありがたいことである。

酸素飽和度を巡る攻防

  俺の生存に不可欠なものは人工呼吸器だ。外れたら警告音が鳴る、停電に備えて7時間のバッテリー機能が付いている、持ち運べる、緊急時には呼吸器を提供している会社の職員が駆けつける、等の安全弁が張り巡らされている。 次に重要なのは吸引器だ。これがないと痰を取り出せず酸素飽和度が下がり呼吸困難に陥り救急車を呼ぶことになる。我が家には二台の吸引器が有り、そのうちの一台にはバッテリー機能が付いている。その次に重要なのはカフアシスト(咳誘発器)だ。これはのどの奥にこびりついた痰を除去するときに有効で、吸引器と併用されることが多い。 昨晩、そのカフアシストが突然作動しなくなった。電源は入っているが、空気を吸い込む音が聞こえてこない。妻は担当者に電話して故障の原因を探していたが解決には至らない。結局、その担当者が別のカフアシストを持ってくることになった。到着まで1時間、吸引器もあるし大丈夫だと思っていたが、酸素飽和度が80まで下がり救急車を呼ぶ一歩手前まで行った。 そのとき、家族全員が俺の寝床の周りに集まり、心配そうな表情を浮かべていた。忌の瞬間を疑似体験しているような気分は束の間で、酸素飽和度が92まで上がると安心してハイテンションになったのか、家族全員が俺の周りでワイワイガヤガヤ、相互にふざけあい冗談が飛び交う、臨終とは程遠い雰囲気に変わってしまった。担当者がやって来て、カフアシストを施すと酸素飽和度は正常値の98まで回復した。 本当に大切なものが何かを再認識した夜だった。

幻のテンジャンチゲ

  昨日の晩餐は四人の客人をもてなすために妻が料理を準備した。その写真には、刺身、グァメギ(イワシやアジなどの青魚を寒風に晒して乾燥させた浦項名物)、エビの煮付け、そしてカニが入ったテンジャンチゲが並んでいる。カニの出汁が利いて見るからに美味そうだと思った。同時に昔の記憶が蘇った。その記憶は幸いに餓狼宴に記録されている。文末にそのシングルカットを貼り付けておく。 追伸)昨日、CIK、PJR、OSM、CEK (敬称略)が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。 幾つかの例外を除くと、我が家で供される料理は外食よりもはるかに美味しい。 その例外の一つがテンジャンチゲと呼ばれる韓国味噌汁である。(韓国味噌は日本味噌とは製法が異なるらしい) おそらく健康に気を使ってのことであろうが、妻が作るテンジャンチゲは味噌の量が少なく、 主要な具材がズッキーニ、唐辛子、豆腐であるために食するときに希薄感があり辛さのみが印象に残るのである。 一方で、食堂で出てくるものはアサリやカニ等の海産物からの出汁とテンジャンの濃厚な風味が絡まりあって、ご飯との相性が抜群なのである。 あまりにも美味しくて、若かりし頃は三杯おかわりしていたほどである。 材料が異なるので比較することは公平でないかもしれない。 妻もその気になれば濃厚なテンジャンチゲを簡単に作れるのかもしれない。 現在は、触らぬ神に祟りなし、という心境である。

孤独な総理

  石破首相が一年生議員15名を招待した会食でお土産と称して一人あたり10万円相当の商品券を配り、それを渡された15人全員が後日返却したらしい。 https://news.yahoo.co.jp/articles/3b28641c9e5181fa0251f2500bff3d9aa1d3f61b 親分が子分に「これでうまいもんでも食え」と小遣いを渡すような感覚だったのだろう。俺としてはそういう任侠の世界の延長であるかつての政治の世界に浪漫を抱くのだが、現代の世相は「政治資金問題を国会で議論しようというときに全くけしからん。庶民の感覚とズレてる。どうせ裏金も餅代に使っていたんだろう」という調子で四面楚歌の様子だ。しかも、15名全員が返却したとか、親分の威厳の欠片も感じられない首相のメンツ丸潰れの最悪の結果ではないか。 総理大臣って孤独だなあと思う。側近が「今、それをやるのはまずいですよ」と諌めるべきではなかったのか。首相自らが商品券を購入して封筒に入れたわけではないだろう。その一連の過程で異を唱える者が一人もいない、それが日本の最高権力者を取りまく状況だと考えると「本当に大丈夫か?その程度の危機管理能力で国家の安全を任せられるのか」と心配になる。 予算を通したら首をすげ替えて参議院選挙を画策している旧派閥のボスたちがほくそ笑む顔が思い浮かぶなあ。

コメントが急増

  コメント欄が賑わっている。コメントしてくださった全ての方々に御礼申し上げる。 やはり、投稿した記事に反応があると、嬉しい、励みになる、異なる視点にはっとする、ありがたい、コメントしてくださった方に思いを馳せる、という感情が同時に湧いてくる。 コメント欄がブログ全体に及ぼす影響も測り知れない。アキラさんのようなコメントはブログの敷居を低くする効果があるし、彼もしくは彼女の率直なコメントはブログの風通しの良さを感じさせるし、そのコメントを通して話の輪が広がり小さなコミュニティが生まれブログに愛着が生じる効果が見込める。sakkさんの「ナクゴプセおいしすぎました」というコメントは全ての読者の食欲を掻き立てたことだろう。 この場で言いたいことは唯一つ、皆様のコメントをお待ちしていますということだ。現在、一日平均の閲覧数が80ほどで、まずはその80人に喜んでもらえるブログの記事と雰囲気を醸成していくつもりだ。

引きこもり新記録

  以前のホームページの視線入力時代の記録によると、昨年10月29日に外出して以来、一日も欠かさず自室に引きこもっていたことになる。 「寒くて外出する気が起きないし、視線入力という楽しみを見出した今、何を好き好んで意志疎通ができない実空間に出て行かねばならんのだ」という心理が働いたのがその原因だ。この性格は昔から変わってない。例えば、スナック菓子の新商品に購買欲は一切湧かず、「ポテトチップスの薄塩味とかコンソメ味とか満足度の高い商品があるのにわざわざ冒険する必要がどこにあるのか」と思っていた。 昨日は2ヶ月に一度の通院日だった。と言っても、通常は俺の代わりに妻が病院に行って治療費を払ってくる。家族の誰かが行かないと訪問看護が打ち切られるからだ。ところが、子供たちは全員学校に行く日で、俺の見守りが妻だけという状況になった。妻は苦肉の策として講義の空き時間に長男に病院と大学を往復させる作戦をとった。たまたま長男が受講する午後の講義が休みになり作戦成功となった。ただし次回の通院日には別の作戦をとるべきだろう。 折りしも、胃瘻チューブの交換の時期だ。ここは大将自ら出陣して施術を受けるときだろう。そのときには引きこもり最長記録が更新されて、七ヶ月という新記録が刻まれるかもしれない。

あの日からの記憶

  2011年3月11日は金曜日だった。そのとき俺は釜山大学数学科の新入生歓迎行事に参加していた。「日本で地震が起こった」と学生が教えてくれた。「日本ではよくあることだ」と最初は気に留めてなかったが、時間が経っても学生が心配してくれる様子から尋常ならざる気配を感じ、韓国のニュースで津波の映像を見て事の重大さに気付き愕然とした。 その翌朝、帰宅するやいなやメールや電話で知人の安否を尋ね、テレビの映像に言葉を失い、ネットで情報収集を長時間やった。まるで何かに取り憑かれたかのように一ヶ月間ネットに釘付けとなり、色々なことを考えた。その中心の話題が福島第一原子力発電所だった。テレビに出てくる学者は何か口に詰まったような言い回しでメルトダウンという表現を避けていた。そのこと余計に不安を掻き立てた。 今となっては、放射性物質は格納容器内に収まっていて、冷却水を供給し続ければ安全が確保され、原発敷地内で作業が出来る状態だが、それはいくつかの幸運が積み重なっただけで、ベントが遅れたらとか、給水が遅れて空焚きが続いたらとか、作業員が逃げ出したらとか、一歩間違えばデブリが外部に漏れ出し、そのデブリが致死量の放射線を発し続け、誰も近づけなくなり、放射能は風と雲によって運ばれ各地に黒い雨を降らしめ、東京に住む人がいなくなり、国家の存亡に関わる大惨事に発展したかもしれないのだ。 あの日から14年経った今、NHKを始めとする報道機関が伝えるべきことは福島第一原子力発電所に関する政府とマスコミの対応とその検証だと思う。

心の叫び

  手持ちのクレジットカードの課金記録を確認していると身に覚えのない課金があった。カード会社のホームページにはカスタマーセンターという項目がある。しかし、どこを探してもオペレーターのメールアドレスは出てこない。代わりにAIによるチャットサービスが見つかった。案内に従ってAIチャットを進めていくと、フリーダイヤルの番号が出てきて「そこに電話して必要事項を口頭で伝えろ」という内容だった。「そう言われても電話をかけることも音声で話すこともできない人はどうすればいいのか」という心の叫びを押し殺して他の方法を考えることにした。 課金した会社名を検索したら俺と同じ請求額で同じ被害に遭っている人たちの不満を集めたサイトに行き当たった。そこを読むと課金された原因がわかった。あるイベントの割引プランをクリックすると自動的に会員登録がなされ、年会費が課金されたというわけだ。「こんなことが許されるのか。アプリもダウンロードしてないし、会員になったことを知らせる告知もなかったし、年会費の金額も表示されてなかった。これは詐欺とは言えないけどダークパターンではないか。人気商売である会社の信用を根底から覆す行為ではないか。少なくとも俺はその会社のあらゆる事業への興味が失せたし、もう二度と関わるまいと思った」という心の叫びを押し殺して他の方法を考えることにした。 その会社のホームページを眺めてみた。そこにもAIチャット機能があり、選択肢の一つに「身に覚えのない課金をされた」というのがあった。それをクリックすると、課金された経緯の説明と「差額を返金する」と書いてあった。「返金してくれるなら話は別だ」と思い直し、読み進んで行くと「下記の情報を添えてオペレーターにお問い合わせください」の文字が待っていた。しかもそのページにはオペレーターのメールアドレスや電話番号は記されてなかった。 心の叫びはまだまだ続きそうだ。 後日談)その会社のXのカスタマーセンターに本記事を貼付して抗議の意思を示すと、2025年3月17日に全額返金されていた。個人的な憤りは水に流し、これまで通りその会社の活動を応援しようと思う。

素通りされる現代史

  歴史の授業で現代史は軽く流されることが多い。俺が受けた歴史の授業はそうだった。受験で出題されることは稀、教師の中立性を担保できない、時間が足りない、等が理由だと思われる。しかし、義務教育で現代史を学ぶ機会を与えないというのもおかしな話だと思う。むしろ、第二次世界大戦からの流れを重点的に教える、というより事実関係を知るべきだと思う。もちろん、興味を持ったら自ら学べば良いし、資料も自由に閲覧できるが、歴史の教員が判で押したような行動を取ることにある種の不気味さを感じる。 第二次世界大戦が起こった理由は、軍事、外交、科学技術、経済、思想、宗教などの観点ごとに様々な立場からの様々な解釈があり、それらが複雑に絡み合って形成されている。それだけで一年分の歴史の授業が終わってしまうほどの分量になる。教える時間が足りないというのはもっともらしい理由に聞こえるが、受験に出題されないとか、なんか国家が戦前戦後の諸問題に背を向けている、もしくは国民に背を向けさせているように見えて、嫌な感じがする。 長崎県の小中学校の登校日は原爆が投下された8月9日で、その日は平和教育の時間で原爆の被害の大きさや悲惨さを映画や被曝者の証言から学ぶ。これは重要な伝承で日本が再び加害国にならないためのストッパーの役割を果たしている。しかし、再び被害国にならないための教育にはなり得ているようには見えない。 話の流れ的には再び被害国にならないために現代史に正対する教育を導入して前段落冒頭で述べた総合的な思考力を養うべきと結論付けるのだが、いかんせん、現行の教育で戦後80年間平和を享受できたという実績があるからなあ。それはもしかして現代史を教えて来なかったからなのかもしれない。

大相撲三月場所プレビュー

  大相撲三月場所が明日初日を迎える。俺が大相撲に興味を持ったのは北の海の全盛期だ。組み止めて寄り切りで勝つ取り口は相撲の王道だが、子供の俺の目には退屈に映ったし、「憎たらしいほど強い」という表現がぴったりの横綱だった。その次に興味を持ったのが千代の富士だ。きっかけは貢という名前だ。小さな体で大きな力士を投げ飛ばす取り口に自分の願望を重ね合わせた。曙、若乃花、貴乃花、武蔵丸の時代は横綱とそれ以外の力士に厳然たる壁があり、金星の頻度も低かった。朝青龍は素行が悪いとマスコミに叩かれたが、無邪気で相撲一途な人柄と闘志溢れる取り口が魅力の横綱だった。白鵬は俺の肉眼で捉えた唯一の横綱で、とにかくデカかった。 さて、今場所の見所をいくつか挙げてみよう。 1)横綱に昇進したばかりの豊昇龍は初日に阿炎という難敵を迎える。この一番に勝って波に乗りたいが、阿炎は立ち合いの変化もやってのける力士だ。そんなことをあれこれ考えるようになると阿炎の術中にハマるだろう。 2)一時期の勢いに翳りが見られる大の里だが、体格と当たりの強さは群を抜いている。普通にやれば優勝争いできる力士。 3)長崎県出身の唯一の幕内力士である平戸海は負け越しが続いている。しかし、この人は負けても将来に繋がる相撲を取り続けているので、いつか這い上がってくるだろう。 4)先場所横綱昇進を期待されながらも負け越してしまった琴櫻は今場所も負け越せば大関陥落となる。あの無類の強さを誇った霧島でさえちょっとしたボタンのかけ違いで大関の地位を失った。琴櫻にとって正に正念場である。 5)先場所に優勝争いを演じた王鵬は関脇に昇進した。この人はゆっくりでも確実に強くなっている。今場所は勝ち越して三役定着を狙いたい。 6)先場所に優勝を逃した金峰山は体格にも恵まれ、横綱を狙える大器と目されてきた。本当に覚醒したかどうかは初日の平戸海戦で試される。 7)昨年、新入幕で優勝を飾った尊富士は立ち合いでの速攻を武器にする力士だ。盛り上がった僧帽筋を見るだけで期待が高まる。今場所優勝したとしても俺は驚かないだろう。 8)安青錦は新入幕を果たしたウクライナ出身の力士だ。俺も外国人として暮らしてきたから、異国からやってきて日本語を話しまわしを締めちょんまげをゆう力士は無条件に応援したくなる。どんな相撲を見せてくれるのか楽しみだ。

弟と会話してみた!

  昨日、俺の弟が家族総出で見舞いに来てくれた。ありがたいことである。以前はできなかった会話も視線入力のおかげで形を成すようになった。いくつかの会話を紹介しよう。 1)「明日の計画は?」「何もない。行き当たりばったり。ガイドブックには海雲台がお勧めと書いてある」「俺のブログ、ちゃんと読めよ」「いや、読んだけど頭に入ってなかった」 2)「お前の営業力でブログの読者を増やしてくれ」「最近、営業成績、悪くてさ」「以前のやつは今月末で閉鎖になる」「人に紹介するときのキーワードは?以前のやつは平坂塾で一発だったのに」「………」 3)弟の息子と娘も将来の夢を語ってくれたが、ここでは言えない。弟の妻とは介護の話で盛り上がり、昨日の投稿に繋がった。 4)弟の息子は高校時代の県大会でハットトリックを記録し、エースとして大村高校をベスト8まで導いた。しかし、大学に進学してからサッカーと距離を置いているそうだ。以下は闘病記からのシングルカットである。 俺には大村に住む五歳下の弟がいて、弟には中2の息子がいる。その子は小学生の時からサッカーをやっていて、左サイドを主戦場とする走力に優れた選手だと聞いていた。伝聞形を用いたのはその子が出ている試合を一度も見たことが無かったからである。その理由は中総体が終わる六月まで先発の座を勝ち取れなかった事と十月に膝の手術で入院したことに起因する。 今回は大村市の中学校が県大会への切符を賭けて総当たりで競う新人戦で、今日は二試合が古賀島サッカー場で行われるとのこと。スポーツ観戦なんて時間の無駄としか思わない妻にあの手この手を使って頼み込み、15時20分からの第二試合の観戦にこぎつけた。 と言っても、到着して相手側ゴールに最も近い観客席に陣取ったのは前半終了間際だった。甥の背番号は9番でワントップを務めている。すなわち、俺と同じ名字の子が点取り屋という花形ポジションにいるのだ。これは応援にも熱がこもると言うものだと思っていたら、自チーム10番の豪快なミドルシュートがポストに当たってゴールに入り先制に成功した。 後半は前半とは反対側の位置に移動、カムコーダーを構える弟嫁とも合流した。弟嫁は部活動を支援する父兄として午前中から運営に参加している。弟夫婦は9番にボールが渡る度に興奮を隠せない声援を送っている。俺もそうしたいのはやまやまであるがALSという病...

介護革命前夜

  厚生労働省の予測によると、2025年には約32万人の介護職員が不足するそうだ。今後も介護を必要とする人は増え続けるが、介護職員の数は減ることが予想され、その差はさらに拡大する見通しだ。介護職員の平均月収は全体平均に比べ10万円ほど安い。しかも、精神的にも肉体的にも負担が大きく、割に合わない職種の一つとされる。 日本は外国人労働者の受け入れに消極的だし、介護職員の給料を上げる気も無さそうだ。しかし、このまま放置されれば壊滅的な状況になるのは火を見るよりも明らかだ。そうすると、考えられる方策は介護サービスの簡素化と省力化と合理化である。以下はその具体的方策である。 1)完全栄養食の導入。食は人生の楽しみの一つだが、歯が抜け嚥下能力も落ちた老人にとっては食べることが苦痛になることもあるし、誤嚥性肺炎を引き起こすこともある。そんな老人に食べさせる介護職員の負担は大きい。いっそのこと、粉末を水に混ぜて飲む完全栄養食を三食中N食導入することを提案する、ただしNは1か2か3で、被介護者の希望や状態によって決まる。朝は原則として完全栄養食を摂取する。昼と夕で、普通の食事をするグループ分けをして介護職員の負担を分散する。 2)風呂サービスの大幅な削減。日本では毎日風呂に入る文化がある。しかし、一人を風呂に入れるために二人以上の介護職員が必要になる。人目を気にしながら風呂に入って体を洗ってもらうのは本当に幸せなことだろうか?それは必要なサービスだろうか?俺は四年間風呂に入ってないし、二年間シャワーを体に浴びてないが、清潔に生活できている。いっそのこと、風呂サービスを停止して介護付きの週1回のシャワーに切り替えることを提案する。海外での介護施設の状況を参考にして洗浄サービスの簡素化を推進するべきだと思う。 3)ベッドのシーツ替え、洗濯物の整理、食器の片付けなどの身体接触を伴わない業務は比較的元気な入居者に委託。施設の介護職員が専門的な業務に集中できる環境を整備していくべき。 4)サービスの低下と引き換えに介護職員の負担も低減される。それは施設の介護職員の待遇改善に繋がり、心の余裕が生まれ心の介護の時間が確保され、結果として総合的な介護サービスの向上が実現すると見込んでいる。

人類にとってのトランプ

  トランプ大統領の施政方針演説の生中継を視聴した。以下はその感想である。 1)1時間40分もの間、観衆の方を向いて話し続けたのはすごいと思った。途中で人名や予算の金額がが出てくるが、資料を確認するそぶりも見せずに淀みなく演説していた。 2)「そこにいるイーロンだ」みたいな感じで議場内の閣僚を名指しで称賛していた。他にも娘を誘拐されて殺害された母親が招かれていて、「その犯人はベネズエラからの不法移民だ」と言っていた。自分の政策の正当性を訴えるために遺族を利用するのはあざといというかしたたかだと思った。 3)トランプ氏が銃撃されたときに巻き添えになった犠牲者にも言及していた。その人は身を盾にして家族を守ったらしい。 4)青から赤へこのような短期間で変われるんだなあと驚いた。性的マイノリティとか持続可能性とかつい最近まで幅を利かせていたのになあ。 5)ウクライナ情勢やガザ地区についての言及はなかった。外交は関税の話だけだった。 6)トランプ大統領は俺の常識を遥かに超えている人で、人類にとって有益な仕事をしてくれるのかそうでないのか皆目見当がつかない。というか、見当がつく人がいるのかなと思う。

新学期の懺悔

  昨日は3月1日の祝日の代替休日だった。そんなわけで今日から韓国の小中高大全ての学校の新学年が始まった。本来であれば俺も大学に赴いて新しい出会いを繰り返す緊張感に満ちた時間を過ごしていたことだろう。俺はその緊張感が好きだったし、仕事にもやり甲斐を感じていた。 しかし、釜山大学に赴任した初年度はとてもそんな余裕はなかった。その当時は、俺の韓国語の実力は5歳児水準(それでも一年前と比べると2歳分向上している)、初の正式採用された外国人教員として好奇の目に晒され(韓国の新聞やテレビの取材を受け広告塔の役割を果たした)、台湾から引越して来たばかりで、妊娠8ヶ月の妻と釜山大学近くの新居を借り(住宅の二階でシャワーを浴びる浴室がなかった)、講義は韓国語でやると決意して妻の前で練習し(妻は居眠りをしていた)、数学科の先輩教授からの会食の誘いには皆勤で、学部生や大学院生とのコミュニケーションを欠かさず、研究費申請にも挑戦し(初年度は落選)、新しい教会での人間関係が始まり、「ここで研究を疎かにしたら志半ばで研究者の道を絶つ選択をした仲間に顔向けできない」と研究時間を捻出し、そうこうしてると長男が産まれ、日韓ワールドカップが開幕し、とにかく、怒涛の展開だった。 今となって当時を振り返ると後悔していることと悔い改めたいことがいくつかある。 1)新居は妊婦にとって過酷な環境だった。釜山の住宅事情を知らず、貯金が30万円くらいであっても、もうちょっと良い条件の部屋を探すべきだった。エアコンも浴室もなく、トイレは屋外に設置とかで新生児を迎えるなんて狂気の沙汰としか思えない。 2)言われるが誘われるがまま会食の席に出向いていた。新しい職場での人間関係を把握するとか居場所を確保する意味はあったかもしれない。このことは後悔していないが、妻には申し訳なかった。 3)5歳児水準の韓国語の講義を学生に聴講させた。俺の練習に付き合ってもらう形になり本当に申し訳ない。 4)教会の青年部の方々が自宅を訪れ、お祈りしてくれた。そのとき俺は「アポ無しで自宅を訪れるのか?ということは妻一人の時に押し入って来ることもあるんじゃなかろうか?」と警戒して険しい表情を意図的に作っていた。 5)大学院の講義でピザの差し入れと学生たちに思わせて、開けるとレポートの問題用紙が入っていたという茶目っ気を発揮してしまった。更...

雛祭りを知らない

  今日は3月3日の雛祭りだ。今気付いたことだが、俺の人生で雛祭りを家庭で実践したことが一度もない。俺と弟の二人兄弟だったし、結婚後、長男、次男、長女の順で生まれた。そういうわけで2007年までは雛祭りをしない正当な理由があったのだが、2008年以降はただ失念していた。そもそも韓国には雛人形を飾る文化がなかったし、3月3日は新学期が始まったばかりで俺も子供たちも忙しくて雛祭りをしようという気分にはならなかった。 俺の祖母は女の子が家系に加わるのを心待ちにしていた。長女が生まれた時は喜びのあまりに女児用の着物を仕立て、それを赤子だった長女にかぶせて写真を撮っていた。その後、祖母の容態が悪化して天寿を迎える。祖母が健在だったら、雛祭りごとに何らかのお祝いの品を準備して曾孫娘と電話で話す口実を作っただろうに。 2012年3月から一年間、サバティカル(有給で一年間大学業務を免除される制度)で大村に移り住んだ。その年の長女が通った幼稚園の学芸会で、長女は同じ組の女児たちと一緒に日本舞踊を踊った。そのときの着物が正に祖母がその晴れ姿を夢見て仕立て、そして叶わなかった着物だった。長女の舞は素晴らしく、親バカ上等と開き直って離席し舞台までの通路の前の方に移動して長女だけを見つめていた。 長女は俺の唯一の娘だ。もし他に娘がいたら公平を重んじるあまり、呼び出す順番やかける言葉にも気を遣っていたことだろう。そんな気兼ねとは無縁に全力で表現できるのが一人娘の良いところだ。昨晩も就寝時に長女を呼び出した。長女は目を閉じ頭を下げ「病気が早く治りますように」というお祈りをしてくれる。その姿を見るとあの学芸会での光景が蘇り、長生きして娘の晴れ姿を見なきゃなという気になる。 追伸)こころ旅は期待が大きすぎて期待はずれだった。

103万円の壁について

昨年末の視線入力時代で「103万円の壁」について書いた。来年度の予算は与党案に維新が賛成する形で成立する見通しだ。今日はその記事をシングルカットする。  103万円の壁を巡っての自民、公明、国民民主の三党の攻防を見て、大相撲の貴景勝と熱海富士が千秋楽で優勝をかけて戦った取り組みを思い出した。真っ向勝負を期待していた観客を裏切るかのように大関で先輩でもある貴景勝が立ち合いで変化して勝利した。その中継の解説者は「変化について行けない熱海富士が悪い」と前置きした上で「大関は優勝と引き換えに大切な何かを失ってしまった」と貴景勝を酷評していた。 壁は123万円に引き上げられたが、三党合意の「178万円を目指す」には程遠い上げ幅だ。国民民主が来年度予算案への協力撤回を盾に抗議するも教育費無償化を予算案に盛り込むことを条件に協力を申し出た維新の横槍で三党合意は骨抜きになりそうな勢いだ。 壁の引き上げは単なる減税ではなく人手不足を解消し最低賃金や物価の上昇幅に見合う所得の引き上げを狙った経済対策で、国民の期待も高まっていた。それに冷水を浴びせるような与党の決定が残念でならない。たとえ赤字国債を刷ることになろうと大衆迎合と揶揄されても国民民主の一人勝ちであっても、与党には「国民が動けば政治は変わる」という夢を見せて欲しかった。 予算と引き換えに失った大切な何かの代償は来年の国政選挙に反映されるだろう。

大村はストロー!?

  故郷である長崎県大村市は空港、新幹線駅、高速道路のICを有する。特に空港は大村湾上の島に建設されていて、市内からのアクセスも良く、騒音問題とは無縁で、充実した国内線のみならず韓国や中国への国際線も就航している。つまり国内外からの空路で来る観光客は皆大村市に立ち寄るということだ。ところが、観光客のほとんどは長崎市内のホテルかハウステンボスに宿泊する。大村市はそれらの地点に伸びるストローの役割を果たすだけで、甘い汁を飲む立場ではない。このことは生活者である大村市民にとっては「観光客が殺到して不便になるのはごめんだ」と気にも留めないだろう。その一方で、海外からの富裕層の受け皿が大村にないというのはもったいないと思う。例えば、貸切バスで移動する観光客が立ち寄って食事をしたり土産を買ったりする施設があれば少なからぬ経済効果が期待できる。 そこで提案したいのが三彩の里周辺地域の再開発だ。三彩の里は元々陶磁器の制作と販売を行う施設で、障害者の就労支援のために創設された。立地は大村ICから車で5分の位置にある。近年はベーカリー、カフェ・レストランが建設され、知る人ぞ知る存在になっている。注目してほしいのは立地だ。高速道路から降りて飛行機の出発時間までの暇を潰そうと思ったら、渋滞の恐れがある場所には行きずらいだろう。すると、市内中心部は除外される。三彩の里は立地も良く、駐車場も広いし、必要とあらば拡張可能である。このようにハード面では申し分ないのだが、ソフト面の「何が何でも立ち寄りたい」という求心力を有するまでには至っていない。 そこで提案したいのが養鶏場の設置と大村愛が強い料理人の発掘もしくは育成だ。その養鶏場はレストランで提供する最高水準の品質を誇る鶏肉と鶏卵を少量生産することを目的に運営される。その最高品質の肉と卵を名のある山奥のレストランで修行を積んだ料理人が調理する。一流シェフが見つからない場合でも、卵かけご飯とかポーチドエッグとかを前面に出していけば黒字経営できるのではなかろうか。そのレストランで三彩の里制作の器を用いてブランド化すれば相乗効果で陶磁器の売上げの伸びるのではなかろうか。 大村にはまだまだ使っていない筋肉があるはずと思い夢想してみた。