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3月, 2025の投稿を表示しています

引きこもり新記録

  以前のホームページの視線入力時代の記録によると、昨年10月29日に外出して以来、一日も欠かさず自室に引きこもっていたことになる。 「寒くて外出する気が起きないし、視線入力という楽しみを見出した今、何を好き好んで意志疎通ができない実空間に出て行かねばならんのだ」という心理が働いたのがその原因だ。この性格は昔から変わってない。例えば、スナック菓子の新商品に購買欲は一切湧かず、「ポテトチップスの薄塩味とかコンソメ味とか満足度の高い商品があるのにわざわざ冒険する必要がどこにあるのか」と思っていた。 昨日は2ヶ月に一度の通院日だった。と言っても、通常は俺の代わりに妻が病院に行って治療費を払ってくる。家族の誰かが行かないと訪問看護が打ち切られるからだ。ところが、子供たちは全員学校に行く日で、俺の見守りが妻だけという状況になった。妻は苦肉の策として講義の空き時間に長男に病院と大学を往復させる作戦をとった。たまたま長男が受講する午後の講義が休みになり作戦成功となった。ただし次回の通院日には別の作戦をとるべきだろう。 折りしも、胃瘻チューブの交換の時期だ。ここは大将自ら出陣して施術を受けるときだろう。そのときには引きこもり最長記録が更新されて、七ヶ月という新記録が刻まれるかもしれない。

あの日からの記憶

  2011年3月11日は金曜日だった。そのとき俺は釜山大学数学科の新入生歓迎行事に参加していた。「日本で地震が起こった」と学生が教えてくれた。「日本ではよくあることだ」と最初は気に留めてなかったが、時間が経っても学生が心配してくれる様子から尋常ならざる気配を感じ、韓国のニュースで津波の映像を見て事の重大さに気付き愕然とした。 その翌朝、帰宅するやいなやメールや電話で知人の安否を尋ね、テレビの映像に言葉を失い、ネットで情報収集を長時間やった。まるで何かに取り憑かれたかのように一ヶ月間ネットに釘付けとなり、色々なことを考えた。その中心の話題が福島第一原子力発電所だった。テレビに出てくる学者は何か口に詰まったような言い回しでメルトダウンという表現を避けていた。そのこと余計に不安を掻き立てた。 今となっては、放射性物質は格納容器内に収まっていて、冷却水を供給し続ければ安全が確保され、原発敷地内で作業が出来る状態だが、それはいくつかの幸運が積み重なっただけで、ベントが遅れたらとか、給水が遅れて空焚きが続いたらとか、作業員が逃げ出したらとか、一歩間違えばデブリが外部に漏れ出し、そのデブリが致死量の放射線を発し続け、誰も近づけなくなり、放射能は風と雲によって運ばれ各地に黒い雨を降らしめ、東京に住む人がいなくなり、国家の存亡に関わる大惨事に発展したかもしれないのだ。 あの日から14年経った今、NHKを始めとする報道機関が伝えるべきことは福島第一原子力発電所に関する政府とマスコミの対応とその検証だと思う。

心の叫び

  手持ちのクレジットカードの課金記録を確認していると身に覚えのない課金があった。カード会社のホームページにはカスタマーセンターという項目がある。しかし、どこを探してもオペレーターのメールアドレスは出てこない。代わりにAIによるチャットサービスが見つかった。案内に従ってAIチャットを進めていくと、フリーダイヤルの番号が出てきて「そこに電話して必要事項を口頭で伝えろ」という内容だった。「そう言われても電話をかけることも音声で話すこともできない人はどうすればいいのか」という心の叫びを押し殺して他の方法を考えることにした。 課金した会社名を検索したら俺と同じ請求額で同じ被害に遭っている人たちの不満を集めたサイトに行き当たった。そこを読むと課金された原因がわかった。あるイベントの割引プランをクリックすると自動的に会員登録がなされ、年会費が課金されたというわけだ。「こんなことが許されるのか。アプリもダウンロードしてないし、会員になったことを知らせる告知もなかったし、年会費の金額も表示されてなかった。これは詐欺とは言えないけどダークパターンではないか。人気商売である会社の信用を根底から覆す行為ではないか。少なくとも俺はその会社のあらゆる事業への興味が失せたし、もう二度と関わるまいと思った」という心の叫びを押し殺して他の方法を考えることにした。 その会社のホームページを眺めてみた。そこにもAIチャット機能があり、選択肢の一つに「身に覚えのない課金をされた」というのがあった。それをクリックすると、課金された経緯の説明と「差額を返金する」と書いてあった。「返金してくれるなら話は別だ」と思い直し、読み進んで行くと「下記の情報を添えてオペレーターにお問い合わせください」の文字が待っていた。しかもそのページにはオペレーターのメールアドレスや電話番号は記されてなかった。 心の叫びはまだまだ続きそうだ。

素通りされる現代史

  歴史の授業で現代史は軽く流されることが多い。俺が受けた歴史の授業はそうだった。受験で出題されることは稀、教師の中立性を担保できない、時間が足りない、等が理由だと思われる。しかし、義務教育で現代史を学ぶ機会を与えないというのもおかしな話だと思う。むしろ、第二次世界大戦からの流れを重点的に教える、というより事実関係を知るべきだと思う。もちろん、興味を持ったら自ら学べば良いし、資料も自由に閲覧できるが、歴史の教員が判で押したような行動を取ることにある種の不気味さを感じる。 第二次世界大戦が起こった理由は、軍事、外交、科学技術、経済、思想、宗教などの観点ごとに様々な立場からの様々な解釈があり、それらが複雑に絡み合って形成されている。それだけで一年分の歴史の授業が終わってしまうほどの分量になる。教える時間が足りないというのはもっともらしい理由に聞こえるが、受験に出題されないとか、なんか国家が戦前戦後の諸問題に背を向けている、もしくは国民に背を向けさせているように見えて、嫌な感じがする。 長崎県の小中学校の登校日は原爆が投下された8月9日で、その日は平和教育の時間で原爆の被害の大きさや悲惨さを映画や被曝者の証言から学ぶ。これは重要な伝承で日本が再び加害国にならないためのストッパーの役割を果たしている。しかし、再び被害国にならないための教育にはなり得ているようには見えない。 話の流れ的には再び被害国にならないために現代史に正対する教育を導入して前段落冒頭で述べた総合的な思考力を養うべきと結論付けるのだが、いかんせん、現行の教育で戦後80年間平和を享受できたという実績があるからなあ。それはもしかして現代史を教えて来なかったからなのかもしれない。

大相撲三月場所プレビュー

  大相撲三月場所が明日初日を迎える。俺が大相撲に興味を持ったのは北の海の全盛期だ。組み止めて寄り切りで勝つ取り口は相撲の王道だが、子供の俺の目には退屈に映ったし、「憎たらしいほど強い」という表現がぴったりの横綱だった。その次に興味を持ったのが千代の富士だ。きっかけは貢という名前だ。小さな体で大きな力士を投げ飛ばす取り口に自分の願望を重ね合わせた。曙、若乃花、貴乃花、武蔵丸の時代は横綱とそれ以外の力士に厳然たる壁があり、金星の頻度も低かった。朝青龍は素行が悪いとマスコミに叩かれたが、無邪気で相撲一途な人柄と闘志溢れる取り口が魅力の横綱だった。白鵬は俺の肉眼で捉えた唯一の横綱で、とにかくデカかった。 さて、今場所の見所をいくつか挙げてみよう。 1)横綱に昇進したばかりの豊昇龍は初日に阿炎という難敵を迎える。この一番に勝って波に乗りたいが、阿炎は立ち合いの変化もやってのける力士だ。そんなことをあれこれ考えるようになると阿炎の術中にハマるだろう。 2)一時期の勢いに翳りが見られる大の里だが、体格と当たりの強さは群を抜いている。普通にやれば優勝争いできる力士。 3)長崎県出身の唯一の幕内力士である平戸海は負け越しが続いている。しかし、この人は負けても将来に繋がる相撲を取り続けているので、いつか這い上がってくるだろう。 4)先場所横綱昇進を期待されながらも負け越してしまった琴櫻は今場所も負け越せば大関陥落となる。あの無類の強さを誇った霧島でさえちょっとしたボタンのかけ違いで大関の地位を失った。琴櫻にとって正に正念場である。 5)先場所に優勝争いを演じた王鵬は関脇に昇進した。この人はゆっくりでも確実に強くなっている。今場所は勝ち越して三役定着を狙いたい。 6)先場所に優勝を逃した金峰山は体格にも恵まれ、横綱を狙える大器と目されてきた。本当に覚醒したかどうかは初日の平戸海戦で試される。 7)昨年、新入幕で優勝を飾った尊富士は立ち合いでの速攻を武器にする力士だ。盛り上がった僧帽筋を見るだけで期待が高まる。今場所優勝したとしても俺は驚かないだろう。 8)安青錦は新入幕を果たしたウクライナ出身の力士だ。俺も外国人として暮らしてきたから、異国からやってきて日本語を話しまわしを締めちょんまげをゆう力士は無条件に応援したくなる。どんな相撲を見せてくれるのか楽しみだ。

弟と会話してみた!

  昨日、俺の弟が家族総出で見舞いに来てくれた。ありがたいことである。以前はできなかった会話も視線入力のおかげで形を成すようになった。いくつかの会話を紹介しよう。 1)「明日の計画は?」「何もない。行き当たりばったり。ガイドブックには海雲台がお勧めと書いてある」「俺のブログ、ちゃんと読めよ」「いや、読んだけど頭に入ってなかった」 2)「お前の営業力でブログの読者を増やしてくれ」「最近、営業成績、悪くてさ」「以前のやつは今月末で閉鎖になる」「人に紹介するときのキーワードは?以前のやつは平坂塾で一発だったのに」「………」 3)弟の息子と娘も将来の夢を語ってくれたが、ここでは言えない。弟の妻とは介護の話で盛り上がり、昨日の投稿に繋がった。 4)弟の息子は高校時代の県大会でハットトリックを記録し、エースとして大村高校をベスト8まで導いた。しかし、大学に進学してからサッカーと距離を置いているそうだ。以下は闘病記からのシングルカットである。 俺には大村に住む五歳下の弟がいて、弟には中2の息子がいる。その子は小学生の時からサッカーをやっていて、左サイドを主戦場とする走力に優れた選手だと聞いていた。伝聞形を用いたのはその子が出ている試合を一度も見たことが無かったからである。その理由は中総体が終わる六月まで先発の座を勝ち取れなかった事と十月に膝の手術で入院したことに起因する。 今回は大村市の中学校が県大会への切符を賭けて総当たりで競う新人戦で、今日は二試合が古賀島サッカー場で行われるとのこと。スポーツ観戦なんて時間の無駄としか思わない妻にあの手この手を使って頼み込み、15時20分からの第二試合の観戦にこぎつけた。 と言っても、到着して相手側ゴールに最も近い観客席に陣取ったのは前半終了間際だった。甥の背番号は9番でワントップを務めている。すなわち、俺と同じ名字の子が点取り屋という花形ポジションにいるのだ。これは応援にも熱がこもると言うものだと思っていたら、自チーム10番の豪快なミドルシュートがポストに当たってゴールに入り先制に成功した。 後半は前半とは反対側の位置に移動、カムコーダーを構える弟嫁とも合流した。弟嫁は部活動を支援する父兄として午前中から運営に参加している。弟夫婦は9番にボールが渡る度に興奮を隠せない声援を送っている。俺もそうしたいのはやまやまであるがALSという病...

介護革命前夜

  厚生労働省の予測によると、2025年には約32万人の介護職員が不足するそうだ。今後も介護を必要とする人は増え続けるが、介護職員の数は減ることが予想され、その差はさらに拡大する見通しだ。介護職員の平均月収は全体平均に比べ10万円ほど安い。しかも、精神的にも肉体的にも負担が大きく、割に合わない職種の一つとされる。 日本は外国人労働者の受け入れに消極的だし、介護職員の給料を上げる気も無さそうだ。しかし、このまま放置されれば壊滅的な状況になるのは火を見るよりも明らかだ。そうすると、考えられる方策は介護サービスの簡素化と省力化と合理化である。以下はその具体的方策である。 1)完全栄養食の導入。食は人生の楽しみの一つだが、歯が抜け嚥下能力も落ちた老人にとっては食べることが苦痛になることもあるし、誤嚥性肺炎を引き起こすこともある。そんな老人に食べさせる介護職員の負担は大きい。いっそのこと、粉末を水に混ぜて飲む完全栄養食を三食中N食導入することを提案する、ただしNは1か2か3で、被介護者の希望や状態によって決まる。朝は原則として完全栄養食を摂取する。昼と夕で、普通の食事をするグループ分けをして介護職員の負担を分散する。 2)風呂サービスの大幅な削減。日本では毎日風呂に入る文化がある。しかし、一人を風呂に入れるために二人以上の介護職員が必要になる。人目を気にしながら風呂に入って体を洗ってもらうのは本当に幸せなことだろうか?それは必要なサービスだろうか?俺は四年間風呂に入ってないし、二年間シャワーを体に浴びてないが、清潔に生活できている。いっそのこと、風呂サービスを停止して介護付きの週1回のシャワーに切り替えることを提案する。海外での介護施設の状況を参考にして洗浄サービスの簡素化を推進するべきだと思う。 3)ベッドのシーツ替え、洗濯物の整理、食器の片付けなどの身体接触を伴わない業務は比較的元気な入居者に委託。施設の介護職員が専門的な業務に集中できる環境を整備していくべき。 4)サービスの低下と引き換えに介護職員の負担も低減される。それは施設の介護職員の待遇改善に繋がり、心の余裕が生まれ心の介護の時間が確保され、結果として総合的な介護サービスの向上が実現すると見込んでいる。

人類にとってのトランプ

  トランプ大統領の施政方針演説の生中継を視聴した。以下はその感想である。 1)1時間40分もの間、観衆の方を向いて話し続けたのはすごいと思った。途中で人名や予算の金額がが出てくるが、資料を確認するそぶりも見せずに淀みなく演説していた。 2)「そこにいるイーロンだ」みたいな感じで議場内の閣僚を名指しで称賛していた。他にも娘を誘拐されて殺害された母親が招かれていて、「その犯人はベネズエラからの不法移民だ」と言っていた。自分の政策の正当性を訴えるために遺族を利用するのはあざといというかしたたかだと思った。 3)トランプ氏が銃撃されたときに巻き添えになった犠牲者にも言及していた。その人は身を盾にして家族を守ったらしい。 4)青から赤へこのような短期間で変われるんだなあと驚いた。性的マイノリティとか持続可能性とかつい最近まで幅を利かせていたのになあ。 5)ウクライナ情勢やガザ地区についての言及はなかった。外交は関税の話だけだった。 6)トランプ大統領は俺の常識を遥かに超えている人で、人類にとって有益な仕事をしてくれるのかそうでないのか皆目見当がつかない。というか、見当がつく人がいるのかなと思う。

新学期の懺悔

  昨日は3月1日の祝日の代替休日だった。そんなわけで今日から韓国の小中高大全ての学校の新学年が始まった。本来であれば俺も大学に赴いて新しい出会いを繰り返す緊張感に満ちた時間を過ごしていたことだろう。俺はその緊張感が好きだったし、仕事にもやり甲斐を感じていた。 しかし、釜山大学に赴任した初年度はとてもそんな余裕はなかった。その当時は、俺の韓国語の実力は5歳児水準(それでも一年前と比べると2歳分向上している)、初の正式採用された外国人教員として好奇の目に晒され(韓国の新聞やテレビの取材を受け広告塔の役割を果たした)、台湾から引越して来たばかりで、妊娠8ヶ月の妻と釜山大学近くの新居を借り(住宅の二階でシャワーを浴びる浴室がなかった)、講義は韓国語でやると決意して妻の前で練習し(妻は居眠りをしていた)、数学科の先輩教授からの会食の誘いには皆勤で、学部生や大学院生とのコミュニケーションを欠かさず、研究費申請にも挑戦し(初年度は落選)、新しい教会での人間関係が始まり、「ここで研究を疎かにしたら志半ばで研究者の道を絶つ選択をした仲間に顔向けできない」と研究時間を捻出し、そうこうしてると長男が産まれ、日韓ワールドカップが開幕し、とにかく、怒涛の展開だった。 今となって当時を振り返ると後悔していることと悔い改めたいことがいくつかある。 1)新居は妊婦にとって過酷な環境だった。釜山の住宅事情を知らず、貯金が30万円くらいであっても、もうちょっと良い条件の部屋を探すべきだった。エアコンも浴室もなく、トイレは屋外に設置とかで新生児を迎えるなんて狂気の沙汰としか思えない。 2)言われるが誘われるがまま会食の席に出向いていた。新しい職場での人間関係を把握するとか居場所を確保する意味はあったかもしれない。このことは後悔していないが、妻には申し訳なかった。 3)5歳児水準の韓国語の講義を学生に聴講させた。俺の練習に付き合ってもらう形になり本当に申し訳ない。 4)教会の青年部の方々が自宅を訪れ、お祈りしてくれた。そのとき俺は「アポ無しで自宅を訪れるのか?ということは妻一人の時に押し入って来ることもあるんじゃなかろうか?」と警戒して険しい表情を意図的に作っていた。 5)大学院の講義でピザの差し入れと学生たちに思わせて、開けるとレポートの問題用紙が入っていたという茶目っ気を発揮してしまった。更...

雛祭りを知らない

  今日は3月3日の雛祭りだ。今気付いたことだが、俺の人生で雛祭りを家庭で実践したことが一度もない。俺と弟の二人兄弟だったし、結婚後、長男、次男、長女の順で生まれた。そういうわけで2007年までは雛祭りをしない正当な理由があったのだが、2008年以降はただ失念していた。そもそも韓国には雛人形を飾る文化がなかったし、3月3日は新学期が始まったばかりで俺も子供たちも忙しくて雛祭りをしようという気分にはならなかった。 俺の祖母は女の子が家系に加わるのを心待ちにしていた。長女が生まれた時は喜びのあまりに女児用の着物を仕立て、それを赤子だった長女にかぶせて写真を撮っていた。その後、祖母の容態が悪化して天寿を迎える。祖母が健在だったら、雛祭りごとに何らかのお祝いの品を準備して曾孫娘と電話で話す口実を作っただろうに。 2012年3月から一年間、サバティカル(有給で一年間大学業務を免除される制度)で大村に移り住んだ。その年の長女が通った幼稚園の学芸会で、長女は同じ組の女児たちと一緒に日本舞踊を踊った。そのときの着物が正に祖母がその晴れ姿を夢見て仕立て、そして叶わなかった着物だった。長女の舞は素晴らしく、親バカ上等と開き直って離席し舞台までの通路の前の方に移動して長女だけを見つめていた。 長女は俺の唯一の娘だ。もし他に娘がいたら公平を重んじるあまり、呼び出す順番やかける言葉にも気を遣っていたことだろう。そんな気兼ねとは無縁に全力で表現できるのが一人娘の良いところだ。昨晩も就寝時に長女を呼び出した。長女は目を閉じ頭を下げ「病気が早く治りますように」というお祈りをしてくれる。その姿を見るとあの学芸会での光景が蘇り、長生きして娘の晴れ姿を見なきゃなという気になる。 追伸)こころ旅は期待が大きすぎて期待はずれだった。

103万円の壁について

昨年末の視線入力時代で「103万円の壁」について書いた。来年度の予算は与党案に維新が賛成する形で成立する見通しだ。今日はその記事をシングルカットする。  103万円の壁を巡っての自民、公明、国民民主の三党の攻防を見て、大相撲の貴景勝と熱海富士が千秋楽で優勝をかけて戦った取り組みを思い出した。真っ向勝負を期待していた観客を裏切るかのように大関で先輩でもある貴景勝が立ち合いで変化して勝利した。その中継の解説者は「変化について行けない熱海富士が悪い」と前置きした上で「大関は優勝と引き換えに大切な何かを失ってしまった」と貴景勝を酷評していた。 壁は123万円に引き上げられたが、三党合意の「178万円を目指す」には程遠い上げ幅だ。国民民主が来年度予算案への協力撤回を盾に抗議するも教育費無償化を予算案に盛り込むことを条件に協力を申し出た維新の横槍で三党合意は骨抜きになりそうな勢いだ。 壁の引き上げは単なる減税ではなく人手不足を解消し最低賃金や物価の上昇幅に見合う所得の引き上げを狙った経済対策で、国民の期待も高まっていた。それに冷水を浴びせるような与党の決定が残念でならない。たとえ赤字国債を刷ることになろうと大衆迎合と揶揄されても国民民主の一人勝ちであっても、与党には「国民が動けば政治は変わる」という夢を見せて欲しかった。 予算と引き換えに失った大切な何かの代償は来年の国政選挙に反映されるだろう。

大村はストロー!?

  故郷である長崎県大村市は空港、新幹線駅、高速道路のICを有する。特に空港は大村湾上の島に建設されていて、市内からのアクセスも良く、騒音問題とは無縁で、充実した国内線のみならず韓国や中国への国際線も就航している。つまり国内外からの空路で来る観光客は皆大村市に立ち寄るということだ。ところが、観光客のほとんどは長崎市内のホテルかハウステンボスに宿泊する。大村市はそれらの地点に伸びるストローの役割を果たすだけで、甘い汁を飲む立場ではない。このことは生活者である大村市民にとっては「観光客が殺到して不便になるのはごめんだ」と気にも留めないだろう。その一方で、海外からの富裕層の受け皿が大村にないというのはもったいないと思う。例えば、貸切バスで移動する観光客が立ち寄って食事をしたり土産を買ったりする施設があれば少なからぬ経済効果が期待できる。 そこで提案したいのが三彩の里周辺地域の再開発だ。三彩の里は元々陶磁器の制作と販売を行う施設で、障害者の就労支援のために創設された。立地は大村ICから車で5分の位置にある。近年はベーカリー、カフェ・レストランが建設され、知る人ぞ知る存在になっている。注目してほしいのは立地だ。高速道路から降りて飛行機の出発時間までの暇を潰そうと思ったら、渋滞の恐れがある場所には行きずらいだろう。すると、市内中心部は除外される。三彩の里は立地も良く、駐車場も広いし、必要とあらば拡張可能である。このようにハード面では申し分ないのだが、ソフト面の「何が何でも立ち寄りたい」という求心力を有するまでには至っていない。 そこで提案したいのが養鶏場の設置と大村愛が強い料理人の発掘もしくは育成だ。その養鶏場はレストランで提供する最高水準の品質を誇る鶏肉と鶏卵を少量生産することを目的に運営される。その最高品質の肉と卵を名のある山奥のレストランで修行を積んだ料理人が調理する。一流シェフが見つからない場合でも、卵かけご飯とかポーチドエッグとかを前面に出していけば黒字経営できるのではなかろうか。そのレストランで三彩の里制作の器を用いてブランド化すれば相乗効果で陶磁器の売上げの伸びるのではなかろうか。 大村にはまだまだ使っていない筋肉があるはずと思い夢想してみた。