雛祭りを知らない
今日は3月3日の雛祭りだ。今気付いたことだが、俺の人生で雛祭りを家庭で実践したことが一度もない。俺と弟の二人兄弟だったし、結婚後、長男、次男、長女の順で生まれた。そういうわけで2007年までは雛祭りをしない正当な理由があったのだが、2008年以降はただ失念していた。そもそも韓国には雛人形を飾る文化がなかったし、3月3日は新学期が始まったばかりで俺も子供たちも忙しくて雛祭りをしようという気分にはならなかった。
俺の祖母は女の子が家系に加わるのを心待ちにしていた。長女が生まれた時は喜びのあまりに女児用の着物を仕立て、それを赤子だった長女にかぶせて写真を撮っていた。その後、祖母の容態が悪化して天寿を迎える。祖母が健在だったら、雛祭りごとに何らかのお祝いの品を準備して曾孫娘と電話で話す口実を作っただろうに。
2012年3月から一年間、サバティカル(有給で一年間大学業務を免除される制度)で大村に移り住んだ。その年の長女が通った幼稚園の学芸会で、長女は同じ組の女児たちと一緒に日本舞踊を踊った。そのときの着物が正に祖母がその晴れ姿を夢見て仕立て、そして叶わなかった着物だった。長女の舞は素晴らしく、親バカ上等と開き直って離席し舞台までの通路の前の方に移動して長女だけを見つめていた。
長女は俺の唯一の娘だ。もし他に娘がいたら公平を重んじるあまり、呼び出す順番やかける言葉にも気を遣っていたことだろう。そんな気兼ねとは無縁に全力で表現できるのが一人娘の良いところだ。昨晩も就寝時に長女を呼び出した。長女は目を閉じ頭を下げ「病気が早く治りますように」というお祈りをしてくれる。その姿を見るとあの学芸会での光景が蘇り、長生きして娘の晴れ姿を見なきゃなという気になる。
追伸)こころ旅は期待が大きすぎて期待はずれだった。
わかる
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