記憶の記録媒体

 


昨晩、消化不良で苦しくなった。そういうときは上体を起こして胃液を体外に出すことにしている。これは胃瘻があるからこそできる技だ。しかし、3時間座り続けても一向に安寧は訪れない。「おかしい。胃液は出尽くしたはずだ。それでも回復しないのは精神的理由に依るものだろうか?」と思い、気分転換しようと次男に頭を掻いてもらう。その最中に隣の部屋から長女の嬌声が聞こえた。妻が寝室に入って来て「今、昔の動画を見てるのよ。明日、見せてあげるね」と言った。俺は「今、ここで一緒に見ようよ」と言いたかったが、文字盤の機会を与えずに妻は退出した。戻って来た妻は梅ジュースを胃瘻に注入し始めた。


それから数分後、胃の圧迫感が嘘のように消え去り脂汗も収まり、心と体に平穏が訪れた。更に長女がノート型パソコンを抱えてやって来た。俺の心の叫びが聞こえたのだろうか、長女はパソコン画面の角度を調節して昔の動画を見せようとした。そこで妻が寝台に取り付けられた読書台にパソコンを置くことを提案した。普段はアヒルのおもちゃを固定する役割の読書台が使用されることは皆無で、妻の提案はコロンブスの卵的発想に思えた。


昔の動画と写真のスライドショーが始まった。傍らにはいつもより興奮気味の長女が居て、画像を選別し感想を話してくれる。奇しくも、三男が修学旅行中で不在なので夜更かしが可能だ。俺は「この至福の時間がいつまでも続けばいい」と考え、痰が詰まっても必死で耐えていた。


「自分が動いてるよ。新年の挨拶で長々と話してるよ。なんか仮想現実にいるみたいだ」「長男も次男も今の三男くらいの歳の写真か。長女は幼稚園生でピンクの服が好きだったなあ。妻はカメラマンだから声だけ出てくるなあ」「三男が産まれたばかりの頃、家族全員が団結していたなあ」などの思いが交錯した一時間だったが、5分を超える動画が出てきたときに吸引の要求してしまい、妻の「もう遅いから明日にしましょう」という一声でお開きになった。


追伸)昔の動画や写真は外付けのハードディスクのみに記録されている。そのハードディスクは20年前に購入した年代物だ。俺が就寝の準備をしていると、長男がやって来て「突然、ハードディスクのデータが読めなくなった」と言った。今現在復旧の見通しは立ってないし、妻は「サービスセンターに修理を頼むつもり」と言っている。

コメント

  1. I hope the hard disk will be repaired well so that prof. Hirasaka and his family can enjoy the family video!

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  2. イニシャルじゃ書きづらいやろうけど子供の名前の由来を聞きたいな

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