新学期の懺悔

 


昨日は3月1日の祝日の代替休日だった。そんなわけで今日から韓国の小中高大全ての学校の新学年が始まった。本来であれば俺も大学に赴いて新しい出会いを繰り返す緊張感に満ちた時間を過ごしていたことだろう。俺はその緊張感が好きだったし、仕事にもやり甲斐を感じていた。


しかし、釜山大学に赴任した初年度はとてもそんな余裕はなかった。その当時は、俺の韓国語の実力は5歳児水準(それでも一年前と比べると2歳分向上している)、初の正式採用された外国人教員として好奇の目に晒され(韓国の新聞やテレビの取材を受け広告塔の役割を果たした)、台湾から引越して来たばかりで、妊娠8ヶ月の妻と釜山大学近くの新居を借り(住宅の二階でシャワーを浴びる浴室がなかった)、講義は韓国語でやると決意して妻の前で練習し(妻は居眠りをしていた)、数学科の先輩教授からの会食の誘いには皆勤で、学部生や大学院生とのコミュニケーションを欠かさず、研究費申請にも挑戦し(初年度は落選)、新しい教会での人間関係が始まり、「ここで研究を疎かにしたら志半ばで研究者の道を絶つ選択をした仲間に顔向けできない」と研究時間を捻出し、そうこうしてると長男が産まれ、日韓ワールドカップが開幕し、とにかく、怒涛の展開だった。


今となって当時を振り返ると後悔していることと悔い改めたいことがいくつかある。


1)新居は妊婦にとって過酷な環境だった。釜山の住宅事情を知らず、貯金が30万円くらいであっても、もうちょっと良い条件の部屋を探すべきだった。エアコンも浴室もなく、トイレは屋外に設置とかで新生児を迎えるなんて狂気の沙汰としか思えない。

2)言われるが誘われるがまま会食の席に出向いていた。新しい職場での人間関係を把握するとか居場所を確保する意味はあったかもしれない。このことは後悔していないが、妻には申し訳なかった。

3)5歳児水準の韓国語の講義を学生に聴講させた。俺の練習に付き合ってもらう形になり本当に申し訳ない。

4)教会の青年部の方々が自宅を訪れ、お祈りしてくれた。そのとき俺は「アポ無しで自宅を訪れるのか?ということは妻一人の時に押し入って来ることもあるんじゃなかろうか?」と警戒して険しい表情を意図的に作っていた。

5)大学院の講義でピザの差し入れと学生たちに思わせて、開けるとレポートの問題用紙が入っていたという茶目っ気を発揮してしまった。更には大学院の成績の慣例があるとは知らず、C、C+、B、B+、A、A+と細かく等級分けしてしまった。



なんか、書いていると当時の面々や出来事が蘇ってきた。みんな元気にしてるかな。

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