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弱い者いじめ

 NHKの「国際報道2025」でイスラエルにおけるテレビ局の報道姿勢に関する特集があった。 https://www.web.nhk/tv/an/kokusaihoudou/pl/series-tep-8M689W8RVX 自由主義の国なので、政府寄りのテレビ局もあれば政府に批判的なニュース番組もあるとのことだが、総じて視聴者の世論に従って報道しているという印象を受けた。その世論とは「ホロコーストの時代から我々ユダヤ人は被害者で、危害を加えようとする者は力で叩き潰す」というものだ。おそらく、俺らがNHKスペシャル「サラームの戦場」で見るようなパレスチナ人が泣き叫ぶ映像を視聴するイスラエル人は少数派なのだろう。民主主義国家であるイスラエルではネタニヤフ首相は国民の支持が続く限りいくらでもパレスチナ人を殺せるのだ。 ハマスが人質に取った20人の遺体を返還しないことへの報復でネタニヤフ首相は空爆を命じ100人を超える死者が出た。四万六千人の犠牲者に百が加わってもさして大きなニュースにはならない。それだけ俺らは「誰がどう見てもおかしい、親が犯罪を犯したからその子を殺める、弱い者いじめのような」行為の連続に感覚が麻痺している。 誰かイスラエルとパレスチナの両国民を救い、憎悪の連鎖から解放してくれる人はいないのだろうか?歴史的停戦協議に寄与した人物であれば、恒久的停戦が実現するまで睨みを利かせてほしいと思うし、その能力もあると思う。

のだめカンタービレを視聴した

 Netflix配信のドラマ「のだめカンタービレ」の全話を視聴した。以下はその感想だ。 1)このドラマがテレビ放映された年が2006年、そのときは視聴できず、ネットで大きく取り上げられていたのでその斬新なタイトルが記憶に残っていて、数年後に原作の漫画を読み始めたが、物語に引き込まれてしまい漫画喫茶で全巻読破した。その当時は「数ある面白い漫画の一つ」という位置付けだったが、今は「聞こえるはずのない旋律が聞こえてくるような表現で描かれた、音大、グルーブ感溢れるオーケストラ、クラシック音楽における才能、の世界を疑似体験したような気になる名作」と評価している。原作者は音大出身でさぞかしクラシックに精通している人なんだろうなと思っていたが、ウィキペディアに「楽譜が読めないどころか、クラシックの知識が全くない」状態で連載を開始したという記述があり、非常に驚いた。 2)ドラマは原作の漫画を忠実に再現していて、漫画を読み返すような感覚に陥るほど違和感がなかった。その上、漫画にはない「音」があり、物語と音楽の相乗効果を味わうことができた。瑛太が演じる峰龍太郎は漫画から飛び出してきたような再現度で、漫画同様に「個人の情熱や空回りしてるように見える頑張りが組織を動かす」役割を完璧に演じていた。 3)漫画での三木清良は普段はツンツンしていて、お目目ぱっちりのかわい子ちゃんとは対極に位置するクールビューティーとして描かれているが、時に感情を露わにすることがあり、その様子が実に無防備でエロいのだ。彼女を演じる女優は目を細くする化粧をしていて「誰だろう、この人?この人には隠そうとしても隠せ美とエロスを感じるなあ」と思っていたが、クレジットで水川あさみということがわかり、大いに納得した。 4)主人公の野田恵の千秋真一に対する態度を観察してると、恋人同士というよりも推し活をし続けるファンと言う方がしっくりくる。男女を逆転させれば、足軽がお姫様を「お慕い申し上げる」という態度だ。だからこそ、福岡県大川市の川原で二人が最接近した場面がリアリティを伴う感動を引き起こしたと思う。 5)理屈で動く千秋真一は世の男性の代弁者でもある。感情のまま動く野田恵は世の女性の極端な一面を極大化する存在だ。ジ原作に忠実であるが故に、野田恵が千秋真一に暴力的にも見える突っ込みを喰らうシーンも多い。ジェンダー問題に配慮...

政局ウォーズー高市の逆襲

 NHKで日米首脳会談前の様子が中継されていた。トランプ大統領を出迎える高市総理、これまでは「握手の時、日本の総理の態度が謙りすぎて格下に見られないか?」と心配になったが、今回は初の女性総理ということでその心配は皆無だった。女性に対してマウントを取ってくる男性はよくは見えないし、お辞儀しても女性のたおやかな振る舞いに見えるからだ。高市総理は変に肩肘張ることなく自然体のもてなしをしていたと思う。 大学生の頃、九大数学科の男女比率は9対1だった。数学科の飲み会があって二次会はカラオケとなったとき、女子学生が全員帰ってしまった状況を想像してほしい。男ばかりのカラオケは羞恥心も「かっこいいところを見せよう」という気持ちが生じないので気楽ではあるが、モテない自分を確認する作業である種の虚しさがある。逆に女子学生が一人でもいる状況を想像してほしい。その娘が歌うと、男子学生全員が立ち上がりやんややんやの大合唱が起こり、その二次会は大盛り上がり大会となり、まるでアイドル歌手のコンサート会場と化す。平塚らいちょうの「原始、女性は太陽だった」の意味を実感する場面でもある。 日米首脳会談の席に座る高市総理と片山財務相を見てそんなことを思い出した。さて、公明党の連立離脱で窮地に陥った高市総裁だったが、維新の会との連立合意で主班指名され総理大臣にまで上り詰めた。しかし、議員の定数削減という「誰がやっても揉めそうで党内合意さえ形成できないような法案を連立維持の絶対条件として約束してしまい、前途は多難である。維新の会は「どうせできっこない」という見込みで約束させたのだろう。そのことを盾に政策を実現し、内閣支持率が下がってきたら、改革政党の看板で連立離脱して内閣不信任案を提出して総選挙に臨めばいい、どう転んでも構わない維新の会のしたたかさが垣間見える。 それでは高市政権はどうすればいいのか?ずばり、来週から始まる臨時国会の会期中に「衆議院議員の比例枠176議席から50議席を削減する」法案を提出することだ。小選挙区の調整は利害が衝突するので不可能に近いと思う。これは「トランプ政権のようなスピードで改革を断行する内閣」という印象を世間に与え、その法案への賛否がリトマス試験紙の役割を果たし、高市内閣の現在の支持率は法案成立を後押しするだろう。否決もしくは議決が延期になっても、「維新の会への義理は...

水の声が聞こえる

 昨日、Netflix配信のドラマ「のだめカンタービレ」をテレビで視聴していたら、隣の寝台でスマホをいじっていた長男が「今、流れている曲はラフマニノフのピアノ協奏曲だね」と言った。長男は大村で過ごした二年間、大村高校の吹奏楽部に所属し、家ではエレキギターでレッドツェペリンの「天国の階段」の同じフレーズを繰り返し奏で、ピアノとエレキギターの個人レッスンに週1で通う音楽漬けの毎日を送っていた。そのときから今まで蓄えた知識でクラシックにも詳しいのだろうくらいに思っていた。ドラマでシュトレーゼマンの指揮で千秋がピアノを弾く場面が出てくると、長男は「この曲のこの部分を弾くときは叩きつけるように弾くんだ。この俳優の演技はよくない」みたいなことを言い出した。 趣味や思考回路が俺と似通っている次男とは対照的に、長男はしばしば俺の知識や理解を超えた言動をする。古くは、長男が3歳の時、俺と手を繋いで近所の川原を散歩して橋の下の暗闇にさしかかると長男は「水の声が聞こえる」と言った。俺は親バカ全開で「水の音ではなく、水の声と表現するとは。もしかして、詩人?」と驚いた。思春期は妻との衝突が激しく、「どうなることやら」と心配の種だったが、兵役を経て妻との関係も改善されて現在に至る。 最近では、俺がYouTubeでビートルズを聴いていると、長男が「お父さんが聴いてるのはビートルズによく似た声の人歌で本物じゃないよ」と指摘された。妻によると、長男は料理の隠し味を言い当てることがあるそうで、鋭敏なのは聴覚だけではないらしい。俺の客人が来ると、下の3人の子供は挨拶だけして自室に引きこもるが、長男だけは初対面でも積極的に会話に参加する。社交的とは言えない環境で育った俺にとっては長男の積極性は驚きだった。 長男はインドア派と思っていたが、大学のサークルはパラグライダーらしい。文字通りぶっ飛んだ選択だが、これまで経験から俺の短いものさしで測れるものではないようだ。そのうち「この人と結婚することになったよ」と言われた時に慌てない準備をしておかなきゃな。

学科長日誌 10)

 LYH教授が自然科学大学の学長に就任した。学科長である俺の立場はより明確になった。「アメポチ」という言葉は米国の飼い犬のように無条件に追従する日本の態度を自虐するために用いられるが、俺の立場は「学長ポチ」そのものだった。 研究開発に費やされる韓国の国家予算はGDP比で5%に上る。日本が3.5%だから、5%という数字は韓国が科学技術の発展に力を入れていることを意味する。大統領から科学技術庁ヘ、その長官の意向を反映した政策が各大学の総長を動かし、総長から各学長に伝わり、学長から各学科長へ、学科長から各教員に、というプロセスを経て政府の意向が末端まで行き渡るようになっている。その結果、大学の国際的なランキングを上げるために「留学生を受け入れよう」「英語の講義の比率を増やそう」「国際会議を増やそう」「世界各国の大学と提携しよう」「国際的に認められている学術雑誌に掲載されるような論文を書こう」などの活動が是とされる。 その大きな流れに「大学のランキングを上げることが目的となるなんて本末転倒だ。やらされる研究では良い研究はできない」と異を唱える者は少数派で、「研究しないで既得権益に浸かっている抵抗勢力」と見なされた。俺もその流れに身を任せた。数学科内では学長派とそれ以外の教員で分裂が加速した。俺が数学科に赴任したばかりの頃は家族のような雰囲気で全教員で昼飯を食い、食後はコーヒーを飲みながら学科事務室横の休憩室で談笑するのが当たり前の日常だった。誰のせいでもなく、時代のせいだと言う他ない。 お金の力はバカにできない。釜山大学数学科は数学分野で全国六大学しか選定されない七年の大規模研究費を取得した。その支出の大半は大学院生への給与に近い奨学金で教員の研究費として使用できない。教員の立場からすると雑用ばかり増えて研究時間が削られていいことはひとつもないように見える。しかし、大学院生の水準は大幅に上がり、学部生にも「ウチの大学院に来い」と自信を持って言えるようになったし、留学生が増え、教員の士気も上がった。お金の力をまざまざと見せつけられ、学生のために馬車馬のように働き、なおかつ、意気に感じる時代だった。

合唱団哀歌

 NHKの音楽番組で歌手の背後にいた群集が合唱で歌い始めた。その歌声は大地が鳴動するかのように迫力があり、歌手との対比を際立たせる演出だった。しかし、この番組に限らず合唱団が視界に入るたびに蘇る苦い記憶のために心がかき乱され、時には後悔の念にさいなまれることもある。以下は懐古録からのシングルカットで、その後悔の理由を綴ったものだ。 大村高校柔道部夏合宿の最終日、総仕上げの乱取りで巻き込み投げを喰らい鎖骨を折った。その一週間後、学級のHRで文化祭での学級対抗合唱コンクールに関する話し合いが行われた。俺は「面倒くさい事には関わりたくない」と思っていたのだが、それは休み時間も惜しんで予習復習に励む級友達と「行事で浮かれる期間を最小化したい」担任教諭との共通の思いでもあった。そうでなければ、立候補者が一向に現れない指揮者をジャンケンで決めたりはしないはずだ。 放課後の教室で茫然と立ち尽くしている男が誰かは言うまでもないだろう。 俺は鎖骨の痛みを抱えながら覚束ない足取りで音楽室に向かった。 「今度、指揮者をやることになったんですけど、鎖骨が折れていても出来ますかね?」 「無理です」と言われることを期待して切り出したが、音楽の先生からは 「指揮者とは巨人軍の監督と並び称されるほど名誉があり、やりがいのある仕事だ」と返され、三拍子の熱血指導が始まった。そのおかげか、俺の胸に青き炎が宿った。 一回目の全体練習は音楽の時間に行われた。 「あんまり声は出てないけど最初にしてはまずまずなのでは」と言う感想を抱き、何の心配事もなく時だけが過ぎた。 その当時、俺は学級内スクールカーストの最下層に属していた。中学校からの同級生は女子ばかりで、相談に乗ってくれるような級友はまだできてなかった。要するに俺が何を言っても他人事なのだ。そんな雰囲気の中、二回目の男女別練習を行った。 案の定と言うべきか、指導者不在の状態で声を出そうとする者はほとんどいなかった。俺は無言で両手を振り続けるだけの所謂空回り状態で、 「早く終わんないかなあ」という白けた空気の蔓延を肌で感じていた。何を隠そう、俺も同じことを考えていた。 その時、ピアノの音が止まった。驚いて振り返ると、伴奏者のHさんが悔しさを噛み殺したような表情で大粒の涙をこぼしている姿が目に入った。 そこから先の記憶は曖昧なのだが、 「ちゃんと声出し...

学科長日誌 9)

 俺が学科長になって3ヶ月も経たない頃、自然科学大学の学長が突然の辞任を表明した。その辞任の理由について研究費の不適切使用疑惑などの憶測が流れたが、本人からの弁明がないまま新しい学長を選ぶ選挙の日程が公示された。これまでの学科長会議で俺の後見役だったJIH教授もその選挙が終わり次第、副学長を辞任することになる。 その辞任から立候補受け付けのわずかな期間に、立候補を画策する教員が数学科にいた。俺とJIH教授はLYH教授の研究室に呼ばれ、「立候補するかどうか迷ってる。どうしようか?」と相談された。「そんなこと言っても出馬する気満々なくせに」と思ってはいても口に出せるはずもなく、「負ける選挙はやるべきではない。勝算はあるのでしょうか?」と答えた。JIH教授は「立候補の動きがあるのは統計学科のCYS教授だけだから年齢や知名度を考慮すると当選する公算が高い」と分析していた。 CYS教授は若いながらもリーダーシップがあり、後輩の面倒見もよかった。飲み会で爆弾酒を飲んで嘔吐している俺を介抱してくれたのもCYS教授だった。LYH教授は行動力があって、先見の明を持っていた。数学科の大規模研究費選定もLYH教授の推進力に依る部分が大きかった。その二人の一騎討ちとなった学長選挙の渦中に俺はいた。教員食堂に「選挙運動中」と書かれたタスキをつけて現れ、声をかけてきた教員に「LYH教授をよろしくお願いします」と伝えた。その道化師的行動は瞬く間に広まり、その日のうちに数学科の先輩教授から「みっともないからやめろ」と禁止令を出された。数学科内の票を固める焼き肉パーティーでも俺の行動は非難されたが、LYH教授は「外国人である学科長があれほど応援する姿勢は数学科の結束力を示すのに一役買ったはずだ」と擁護してくれた。 投票日は病気で自宅療養中の数学科の教員を迎えに行って投票してもらうほど万全の準備で迎えた。数学科の教員が投票箱の先頭に並び、その後ろに他学科の教員が続いた。何故かしら開票係は数学科と統計学科の学科長で開票して読み上げる作業を続けた。残り数枚となった時点ではCYS教授がリードしていた。俺は負けを覚悟した。「教授テニスサークルを掌握するLYH教授が圧勝すると思っていたけれど、まさか負けるなんて!これは夢であってほしい。一体、何が起こっているんだ?」と誰の目にも狼狽した様子で票を読み上げ...

学術的遺伝

 指導教官へのメールを書いている時に気付いたことがある。俺の指導教官、正確に言うと、学生時代に指導教官だった方、過去も現在も未來も師と仰ぐので、これからは師匠という名称で統一する、もとい、俺の師匠は弟子が多い。数学分野における学術的師弟関係を調べるには以下のURLが便利だ。 https://www.mathgenealogy.org/ 英文で名前を入力すると、その人の弟子一覧が出力される。ただし、最新情報に更新されているわけではないようだ。俺の師匠は日米中の三大学で32人の弟子がいる。孫弟子まで含めると69人の学術的子孫を持つ。それだけでなく、長年の学術活動を通して得られたコミュニティも多種多様で、その延べ人数は膨大な数になりそうだ。 しかし、それらのコミュニティを束ねるSNSは一つもないことに気付いた。もしかしたら、俺が知らないところで、そういうSNSがあるかもしれないが、少なくとも俺は属してないし、俺の師匠も属してないと思われる。その理由は師匠はスマホを持ってないし、ご自身が「機械に弱い」と言うほど古きを大事にされる方だからだ。そうは言っても、Macでメールも打つし論文も書いてるから、必要に迫られればできるはずだ。 俺は兄弟子や弟弟子の動向や私的な話題を知りたいと思ったが、そういう場や連絡網が一つもないことに気付いた。もちろん、フェイスブック等のSNSでプライベートに触れることはできるが、「ここに師匠が参加してくれたら皆がフェイスブックに登録して盛り上がるだろうに」というないものねだり感に襲われたりもする。 今、この文章を書いていて気付いたことがある。それは俺も俺弟子たちが集うSNSに参加してないという事実だ。「これが学術的遺伝か!?」と思った次第だ。

球技大会

昨日の福岡の最高気温は30度を超えていた。10月下旬でこの暑さだ。福岡から玄海灘を隔てたここ釜山の我が家の寝室に吹く隙間風は生温かく秋の気配が感じられない。そのせいで、というわけでもないのだが、昨晩は体温調節がうまくいかず一睡もできなかった。そのせいで、パソコンを操作する今現在、目が疲れて一向に作業がはかどらない。そういうわけでシングルカットすることにした。以下は懐古録に収録されてる ゴール列伝から抜粋したもので高校時代の思い出を綴っている。 大村高校では二年生から理系と文系に分割され、その各専攻ごとに成績別でクラス編成がなされる。旧校舎が取り壊され、同じ場所で新校舎の建設が始まるために、仮設のプレハブ校舎で授業を受けた思い出がある。 その頃の俺は全く勉強が手につかなかった。何しろ、部活の柔道の練習がきつかった。高総体で燃え尽きようとする三年生の気合は凄まじく、俺の両耳がレレレのおじさんの様に腫れ上がっても病院で血を抜いた翌日の練習に志願して出ていたほど影響されていた。三年生が引退した後も部活内の最上級生としての責任感から練習で手を抜くことが出来なかった。当時の俺の体重は55Kgで、部活内では最軽量、その俺が80~90Kgもある部員と乱取りをこなすのである。若かりし頃の無尽蔵のスタミナはこの時に培われたのは事実であるが、その代償として、学校の授業時間は常に睡魔との闘いを強いられることになる。 今思い出しても、この時期に何を習ったのか全く思い出せないのである。中間、期末、実力、あらゆる試験で点数は下降線を辿り、中学校までは得意であった国語と英語は悲惨な状態になっていた。 このような状況は俺だけでなく、クラスの誰もが抱えていた倦怠感だった。皆、部活で疲れ果てていたので休憩時間でも会話することもなく、仲良くなることもなく、ただ時間だけが過ぎていった一年だと記憶している。 ところがだ、大村高校の良いところは補習で勉強させるだけでなく、体育大会、文化祭、修学旅行等の行事によって適度な気分転換を促すと共にクラスの連帯感さえも高めてくれるのである。 そのような行事の一つが学期末試験後に実施される球技大会である。運動部に所属する生徒にとっては定期試験の一週間前は部活が休みになるので、心身を癒し、遊び呆ける絶好の機会だったのである。俺もその典型例の一人で勉強そっちのけで球技大会の練習...

ツーマは気まぐれ

 NHKの「ダーウィンが来た」という動物ドキュメンタリーの再放送を視聴した。その回はマダガスカルに生息するカメレオンの話だった。その一種であるラフォードカメレオンは雨季に孵化してカマキリなどの昆虫に怯えながらハエなどの小型昆虫を補食して体を大きくして3ヶ月で体長20cmに成長する。 妻は寝室と台所を行ったり来たりして家事をこなしている。妻はカメレオンがハエを舌で絡め取る映像に釘付けとなるものの、ずっといることはなく出て行ってしまう。 カメレオンのオスは繁殖期になると同じメスを狙うライバルとの争いに勝って求婚する権利を得る。しかし、テレビにはライバルに打ち勝ったオスがメスに迫ろうとすると、そのメスは真っ黒に体を変色させて拒否の意を示す。それでも諦めないオスを噛みつきで追い払っていたメスを見て、漫画「北斗の拳」のユリアを思い出した。 乾季になると森林の環境が激変して餌となる昆虫は姿を消す。他の爬虫類は乾季の間は冬眠して生き長らえるが、ラフォードカメレオンは遺伝的に寿命が半年で、その間に次世代に命を繋ぐ行動が凝縮されているとのことだった。「卵を地中に産んだメスは我が子の姿を見ることはないのです」というナレーションが流れると、涙が溢れ出した。罰の悪いことに妻が突然入って来て「ハエが可哀想で泣いてるの?」と聞いてきた。事情を説明できない状況が恨めしい。いつの時代であっても繁殖期を終えたオスは孤独なのかもしれない。

物理療法士の品格

 昨日、物理療法士のKJYさんが来てくれた。両脚と両肩のストレッチが施術内容だ。KJYさんは寝台に片足を乗せて俺の片足を膝の上に引き上げ、足の指から足の根元までの曲げ伸ばしを入念にやってくれる。時折、筋肉に痛みが走るが、何も伝えなくてもKJYさんはその痛みを察して無理なストレッチは行わないので、安心感があるし可動域が広がっていく。肩回しではむくみが出る左脇の方が痛い。施術後はリンパ腺の流れがよくなったような気がして非常に気持ちがいいし、体が楽になる。やっぱり、プロは違うなと思う。 施術の間はKJYさんと妻との会話を聞くことになる。今週末、KJYさんは下関まで一人旅をするそうだ。小倉と門司を周遊して一日五食のペースで日本食を満喫するそうだ。話を聞いていると、KJYさんはかなりの日本通ということがわかった。接するうちに親近感や情が生じるのは日本の医療介護従事者と同じだなと思う。残念なことにKJYさんは現在勤務している会社との契約が来月までで、ウチに来てくれるのも来月までだそうだ。 中園ミホ脚本のドラマ「ハケンの品格」をNetflixで視聴している。同氏脚本のドラマ「やまとなでしこ」と同様に馬鹿馬鹿しいけど面白いからついつい見てしまう。そのドラマで語られるのは派遣社員の現実と悲哀で、篠原涼子が演じる主人公が超人的な活躍を見せて毎回丸く収まる。 KJYさんも契約職の悲哀を味わっているのかなあとふと思った。いや、ドラマの主人公のように3ヶ月だけ働いて好きなことをやる場合もあるなあ。今度、妻に聞いてもらうことにしよう。

ブラジル撃破

2025年10月14日に開催されたサッカーの日本対ブラジルの親善試合で日本が3対2で勝利した。韓国では同じ時間帯に韓国対パラグアイがあるので、日本対ブラジルの中継はない。韓国対パラグアイは韓国が終始圧倒していて2対0で勝利した。日本がやっとこさ引き分けたパラグアイに圧勝するとはやはり永遠のライバルと思って、NHKのニュースに切り替えると「日本、やりました!」の音声が流れた。なんてこった、約30年間、日本代表の試合を観戦して来たのに、この歴史的勝利に立ち会えないなんて。 ブラジルが韓国に5対0で勝利した試合のハイライトを見ると、ゴール前で憎らしいほど冷静で遊び心を持ったブラジルが復活していて「さすが名将アンチェロッティ、日本も虐殺されるかもしれない」と不安に慄いていた。現在の日本代表は主力の三苫、遠藤、守田、板倉、町田、高井が不在で、頼みの久保も足首を負傷していて、万全とは程遠い状況だ。そんな状態でフルパワーのブラジルに勝てるとは露ほども想像できなかった。 日本対ブラジルの前半のスコアは0対2で内容も圧倒されていたらしい。後半は日本のハイプレスが炸裂してラッキーゴールに見える背後には森保監督の戦術と采配があったらしい。サッカーの試合は退屈な試合や期待を裏切ることも多いけど、たまに訪れる輝きに満ちた試合が忘れられないから中毒になるんだよなあ。その内の一回を逃してしまったことへの後悔は尽きない。 カタールでのドイツ戦、スペイン戦、ドイツでのドイツ戦、日本でのブラジル戦、もしかしたら我々ファンが思い描く代表よりも実物は先を進んでいるのかもしれない。俺が生きている間のワールドカップ優勝も夢物語ではなくなってきた。

影山ショック

 10月2日のニュースなんだけど、日本サッカー協会の技術委員長を務める影山雅永氏が機内で児童ポルノ画像を自身のパソコンで閲覧していたところを添乗員に通報され到着地で逮捕され、その後の簡易裁判で有罪の判決が下された。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d7536e17afc0c68036037bc7b8acde3f14c66398 同氏に対する非難は上記の記事やコメント欄で語られているし、俺もその非難に同意する立場だ。今回はいくつかの気付きを書いてみる。 1)「影山ってもしかしてジェフ市原で試合に出ていたあの影山?」と思ったが、その通りだった。1993年に創設されたJリーグだが、初期の頃はテレビ中継を凝視して選手全員の名前を記憶するほど集中して視聴していた。当時のジェフはリトバルスキーを中心とした攻撃が魅力のチームだったが、失点も多かった。往年の名選手の名前をこのような形で聞くのは至極残念だ。 2)俺の記憶では、日本のコンビニや本屋でエロ本が子供の目に入る場所に陳列されていた。性に寛容な日本文化は誇るべきことかもしれないが、児童ポルノ禁止法との整合性を鑑みれば制服が出てくるエロ本やどう見ても成人に見えない少女キャラが出てくるエロマンガは世に出すべきではないと思う。 3)「成人ポルノだったら問題なかったのか?」という疑問がある。影山氏が乗っていたのはエアフランスでフランスの法律に基づいて逮捕された。調べてみたら成人ポルノの閲覧と所持が禁止されている国は多い。中国、イラン、UAEがその例だ。つまり、それらの国の航空会社の機内でポルノを閲覧していたら逮捕されるかもしれないし、滞在先に持ち込んだパソコンをガサ入れされることもなくはないということだ。 追伸)YGYさんが見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

「支持率を下げてやる」事件

 偶数に奇数を足すと奇数になる。しかし、2は偶数、1は奇数、1+2=3は3の倍数だからと言って、偶数に奇数を足したら3の倍数になるわけではない。数学では簡単に理解できる明らかなことでも、それが社会に流通する言葉に変換されると正常な判断ができなくなることがしばしば起こる。 例えば、韓国の飲食店で狼藉を働いた中国人観光客のニュースを見て「中国人はけしからん」と中国人全員に矛先が向いたり、イスラム過激派が起こしたテロ事件のニュースを見て「イスラム教徒=テロリスト」の等式が頭の中で描かれている人はゼロではない。政治家は意図的にこの手の印象操作をよく使う。例えば、某大国大統領が「犬を食う不法移民がいる」「大学には反ユダヤ主義が蔓延している」「左翼がテロを引き起こす」などのレッテル貼りによる印象操作は全世界で知られているし、某国某党の総裁選の演説会でも「奈良公園の鹿を蹴る外国人がいる」という発言があった。受け取り側が起こった事実をそのまんまに理解するのが理想だが、俺も含めた多くの人々は知らず知らずのうちに。マスメディアやネットに流れる言論に影響を受けている。 そんな中「支持率下げてやる」事件が起きた。 https://news.yahoo.co.jp/articles/f0599b0e9e39f1a24f6433c8805b459bbd7d152c 共同通信社のカメラマンが高市総裁の記者会見時に雑談で放った言葉らしいが、俺も印象操作を受けやすい国民なので「もしかしてマスメディア全体がこの人みたいに事実を自分たちの都合の良いように捻じ曲げて伝えているのか?」と思うようになった。 常にニュースを鵜呑みにせず為政者の言動には是々非々で臨む姿勢を貫きたいと思う。その意味で今後の高市総裁の動向を注視しているし、ガザ地区で恒久的な停戦が実現したときのトランプ大統領の貢献を讃えようと思う。

学科長日誌 8)

 事務のKYHさんが「奨学金の選定基準はどうしましょうか?」と聞いてきた。韓国の奨学金は返済義務のない真の意味での奨学金だ。随時募集広告が掲示されていて、数学科が選定を担うものも多い。各種の奨学金に対して定員を超える応募があるときは何らかの基準で選抜することになる。俺は「学科長の権限って意外と大きいな」と思った。極端な話、俺が「この学生の実家は財政状況がよくなさそうだから彼を選抜しよう」と言えば、そのまま通ってしまうのだ。何の予備知識もない状態で突然の決断を迫られた俺深く考えずに「成績順で決めよう」と答えた。 釜山大学ではペーパーレス化が進んでいて、公文書の決済には電子署名が用いられる。つまり、研究室でパソコンを操作して決済ボタンをクリックすれば予算の執行や学科での決定事項が決済書類として大学本部に送信される。例えば、学科の教員から「パソコンが故障したから新しいのを買ってくれ」と要求されたとき、最新型の高価なものを学科の予算で購入して貸しを作ることも、逆に適当な理由をつけて購入を先延ばしにして嫌がらせすることもできる。断っておくが、そんなことはやったことがないし、やろうとも思わないし、復讐が怖いのでやれない。そもそも、数学科のほとんどの教員が大学外の研究費を当てているので、そんな要求は出てこない。 毎日のように決済ボタンをクリックしているが、その手軽さとは裏腹に執行権の重みを実感する日々だった。「学科長とは名ばかりで奉仕者にすぎない」という認識はそのままに「実は本当の意味での拒否権を発動できるのは学科長だけなのだ」という発見が上書きされた。同時に歴代の学科長が若手教員に任されている理由がわかった。学科の中核に位置する教員が強大な権力を有する学科長になってしまうと、独裁や深刻な分断を生みかねない。それを未然に防ぐための知恵が若手の登用なのだ。 とある日の学科教授会議の議題の一つが「学部生に課している卒業試験の厳格化について」だった。現行の卒業試験は形骸化していて、欠席する者もいれば、不合格者には再試があるものの同じ問題を出して全員合格させることが常態化していた。厳格化推進派は「卒業論文の代わりの試験なのだから、厳格化して勉強させるべきだ」と主張して、現状維持派は「進学や就職が決まっている学生が落ちたらどうなる?一人でも例外を認めたら制度が崩壊する」と主張し、両...

学科長日誌 7)

 数学科の学生が就職活動をしようとすると様々な困難が立ちはだかる。当時の韓国では純粋数学を学ぶ意義が産業界に露ほども浸透していなかった。専門性を認めてもらえない彼ら彼女らには書類選考の段階でさえ大きな関門だった。地方大学の地理的不利は明らかで、ソウルで開催される就職説明会に参加するにも時間と費用がかかる。工学部では当たり前のように行われる推薦制度も数学科にはなかったし、企業に就職した卒業生がリクルート活動のために在学生と接触するという伝統もなかった。要するに学科の支援なしに自助のみで就職活動しろと言っているようなもので、就職率40%という数字の理由が透けて見えた。ただし例外は存在した。それは保険経理士で、唯一と言っても差し支えないほど進路状況に燦然と輝く職種であった。 当時の釜山大学数学科は保険経理士養成のための事業に選定されていて、確率論が専攻のKJH教授がそのための講義を担当していた。毎年二、三名が保険会社に就職していて、給料をもらいながら段階別の保険経理士の試験に挑戦していた。その試験の内容は数学だから、数学科の学生には有利に働く。正に数学という専門性が武器となる就職先で、待遇も社会的地位も申し分なかった。毎年、釜山大学では「輝ける卒業生」として20名前後の卒業生を表彰するのだが、俺が学科長に就任した年度の表彰者の一人が保険経理士として有名企業の要職に就いているPJJ氏だった。表彰式後の立食パーティーでKJH教授は俺をPJJ氏に紹介した。以前ならば、外国人ということで話が続かない、共通の話題もない、立食パーティーは長話に不向き、という理由で社交辞令の挨拶だけ終えただろう。しかし、学科長になって学生の就職難を知った俺には話したいことや聞きたいことが山のようにあった。結局、長話をした後、「いつでも学生を連れて会社に来てください」という言質を引き出してから別れた。 PJJ氏にとっては社交辞令だった言葉を俺は実行することにした。事務のKYHさんに頼んで会社訪問計画を学生たちに告知してもらった。その当日、10人以上の学生が参加してくれることを期待していたが、実際に釜山駅にやってきた学生は2名だけだった。往復6時間かけてソウルにあるPJJ氏の会社を訪問して会社見学もなしに一時間の昼食を一緒に食べて釜山に戻って来た。非効率極まりないし、貴重な時間を削ってやることでは...

学科長日誌 6)

俺は学生と交流していた方だと思う。講義も双方向型で学生とのやりとりを楽しんでいたし、講義後は自動販売機の前でコーヒーを飲みながら学生たちの反応を調査していた。恒例の新入生歓迎行事である一泊二日の合宿も山登り遠足もほぼ皆勤で参加していた。年ごとに学部生三人の自主ゼミを主宰していたし、数学科サッカーサークルの顧問で練習や試合にも参加していたし、学科長の任期を終えた後には新設の数学サークルの顧問も務めていた。 その交流を通してわかったことがある。釜山大学数学科は企業で活躍できる人材の宝庫だということだ。様々な個性が混在しているが、総じて礼儀正しい。約20年の在籍期間で酒に酔って暴れたり暴言を吐いたりする学生を見た試しがない。韓国特有の儒教思想とも関係しているのかもしれないが、長幼の序を逸脱しない範囲で場を盛り上げるのが非常に上手い。歌や司会でプロ顔負けの技量を持つ者も多かった。経理ではなく営業畑で活躍しそうな学生がうじゃうじゃいた。 だのに何故就職率40%なのか?俺は統計学科の学科長だったSKT教授に統計学科の就職を促す取り組みに関して根掘り葉掘り聞き出すことにした。それでわかったことは統計学科では企業関係者と卒業生を講師として招いた合宿を開催していて学生も教員もほぼ全員参加になるほど力を入れている、普段から企業との繋がりを大事にして企業の需要に応える人材を育成している等の、研究者を育成することを主眼に置いた数学科の教育課程とは一線を画すものばかりだった。そうは言っても、わずか数%の優秀な学生のために数学科があるのではないし、その優秀な学生であっても研究者として大学で定職を得る可能性は低い時代なのだ。俺の同級生がそうだったように「高校の数学は楽しかったけど、大学での数学はもうこりごり」という学生を大量に生み出しているのではなかろうかという疑問が湧いてきた。 やるべきことは二つ、米国で数学科の学生がIT企業に引き手数多という状況を韓国でも創り出すことと数学科の学生にそんな時代が到来することを信じて就職のための意識を高めることだ。前者は一個人でできることではないが、後者は十分可能だ。このようにして俺の学科長としての中長期目標が定まった。

学科長日誌 5)

 学科長になって間もなくの頃、事務のKYHさんに頼んで昨年度の予算執行に関する資料の要約を作成してもらった。その内訳はコピー用紙やプリンターのインクなどの資材購入費と施設管理費と新入生歓迎や遠足などの行事のための費用と会議費だった。そのうち学科長の権限が反映されるのは会議費のみで残りは毎年自動的に算出されるという説明を受けた。俺は監査役になったつもりで不審な点を指摘して「甘く見てはならない上司」を演出しようとしたが、そんな点はあるわけがない。これ以上探すのは時間の無駄だと言うことがわかりその目論見は頓挫した。 余計な仕事を押し付けた仕返しということでもないだろうが、直後にKYHさんから学科の中長期計画を提出という宿題をもらった。俺は数学科の教員の中で最年少だった。書類作成の雑用は外国人である俺には回されず他の若手教員が俺の代わりにやることが常態化していた。そんな状況でA4用紙二枚分の作文を頼むことはできなかった。「一人で作成するしかない。それを学科教授会議にかけて承認してもらおう」と考えた俺はKYHさんに頼んで過去の中長期計画を見せてもらった。そこに共通して挙げられていた課題が就職率の向上だった。またしてもKYHさんに頼んで過去の数学科の学部生の進路を出力してもらった。 それを見て驚いた。なんと就職率は40%前後で、一学年約50名の卒業生のうち15名が大学院進学、わずか5名が企業に就職、残りの30名は家庭教師や公務員試験準備などの公的な進路が定まってない状態で卒業していく。日本の大学の90%前後という就職率が当たり前だと思っていた俺にとっては衝撃の事実だった。どうしてこんなことになってしまったのか俺なりに分析してみた。 1)数学科だけでなく他の自然科学大学の学科の就職率もまた60%以下で低迷している。一般的に工学大学や商科大学などの一部を除いた学科の就職率は低い。これは釜山大学だけでなく全ての地方大学が抱える問題で、偏差値的な意味でのソウル一極集中の要因となっている。 2)数学科には教員を目指して数学教育科に行けなくて数学科に来る学生が多かった。その一方で就職を念頭に置いた学生は統計学科に行く傾向がある。その結果として数学科に来る学生は就職意識が低い。 3)「何歳までにはどこそこにいなきゃいけない」という制約が日本ほど強くないので、新卒でなくとも採用される。...

体調不良

 一昨日は体調が悪かった。昼間に突然息苦しくなり、吸引を繰り返しても酸素飽和度が91から上がらなかった。妻は体を傾けて背中を叩くなどの方策を試みたが、その効果はなかった。痰が詰まっている感覚はなく、息苦しさも感じない、だのに何故、酸素飽和度が正常値に戻らないのかと疑問に思っていたが、しばらくすると酸素飽和度が95まで上がった。 夕方に胃瘻に流動食を入れた後、動悸が激しくなり体が熱を帯びるようになった。妻が体温を測ると37度8分まで上昇した。就寝前に熱は下がったが、寝ている時に体が熱っぽくなり、布団を跳ねのけようとしても悲しいかなできない。助けを呼んでも体温調節はどうにもならない。結局、腹だけシーツを掛けた状態で眠れない夜を過ごした。 昨日は睡眠不足で体調が悪かった。午後に訪問診療の医師と看護師が来てくれた。このサービスは今年度から始まったもので、妻の情報網に入って来たのが先週だった。妻は俺の最近の体調を説明して、対処法や常備薬について質問していた。 昨晩はよく眠れた。起きたら8時22分、隣の寝台では三男がすやすやと寝息を立てている。おかしいな、普段なら学校に行く準備で忙しい時間なのにと思ったが、ああそうか中秋を祝う連休の初日かと思い直した。正確には今日の10月3日は開天節で始祖である檀君を記念する祝日で、なんと7連休の初日らしい。心なしか体調も回復したような気がする。