学科長日誌 9)
俺が学科長になって3ヶ月も経たない頃、自然科学大学の学長が突然の辞任を表明した。その辞任の理由について研究費の不適切使用疑惑などの憶測が流れたが、本人からの弁明がないまま新しい学長を選ぶ選挙の日程が公示された。これまでの学科長会議で俺の後見役だったJIH教授もその選挙が終わり次第、副学長を辞任することになる。
その辞任から立候補受け付けのわずかな期間に、立候補を画策する教員が数学科にいた。俺とJIH教授はLYH教授の研究室に呼ばれ、「立候補するかどうか迷ってる。どうしようか?」と相談された。「そんなこと言っても出馬する気満々なくせに」と思ってはいても口に出せるはずもなく、「負ける選挙はやるべきではない。勝算はあるのでしょうか?」と答えた。JIH教授は「立候補の動きがあるのは統計学科のCYS教授だけだから年齢や知名度を考慮すると当選する公算が高い」と分析していた。
CYS教授は若いながらもリーダーシップがあり、後輩の面倒見もよかった。飲み会で爆弾酒を飲んで嘔吐している俺を介抱してくれたのもCYS教授だった。LYH教授は行動力があって、先見の明を持っていた。数学科の大規模研究費選定もLYH教授の推進力に依る部分が大きかった。その二人の一騎討ちとなった学長選挙の渦中に俺はいた。教員食堂に「選挙運動中」と書かれたタスキをつけて現れ、声をかけてきた教員に「LYH教授をよろしくお願いします」と伝えた。その道化師的行動は瞬く間に広まり、その日のうちに数学科の先輩教授から「みっともないからやめろ」と禁止令を出された。数学科内の票を固める焼き肉パーティーでも俺の行動は非難されたが、LYH教授は「外国人である学科長があれほど応援する姿勢は数学科の結束力を示すのに一役買ったはずだ」と擁護してくれた。
投票日は病気で自宅療養中の数学科の教員を迎えに行って投票してもらうほど万全の準備で迎えた。数学科の教員が投票箱の先頭に並び、その後ろに他学科の教員が続いた。何故かしら開票係は数学科と統計学科の学科長で開票して読み上げる作業を続けた。残り数枚となった時点ではCYS教授がリードしていた。俺は負けを覚悟した。「教授テニスサークルを掌握するLYH教授が圧勝すると思っていたけれど、まさか負けるなんて!これは夢であってほしい。一体、何が起こっているんだ?」と誰の目にも狼狽した様子で票を読み上げていた。すると残り2枚になったところで統計学科の教員の顔色が変わり始めた。なんと残り数枚は全てLYH票だったのだ。俺は即座に廊下に出て座り込んで呼吸を整え、再び入室して新学長就任演説を聞いた。
それから数年後、LYH教授は大韓数学会会長選挙に出馬して見事当選する。CYS教授は念願の学長に就任する。百数十人規模の小さな選挙でもこれだけ熱くなれることを学んだ二週間だった。負けたら全てを失う、と言いながら実は復活の機会がある過酷な格闘技の世界に似てると思った。だからこそ政治家は声を枯らし手が腫れるほど握手に応じ日光に晒され真っ黒になりペコペコとお辞儀することができるのだ。それまでと異なる見方で選挙や政治家を見るようになった。
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