学科長日誌 8)

 事務のKYHさんが「奨学金の選定基準はどうしましょうか?」と聞いてきた。韓国の奨学金は返済義務のない真の意味での奨学金だ。随時募集広告が掲示されていて、数学科が選定を担うものも多い。各種の奨学金に対して定員を超える応募があるときは何らかの基準で選抜することになる。俺は「学科長の権限って意外と大きいな」と思った。極端な話、俺が「この学生の実家は財政状況がよくなさそうだから彼を選抜しよう」と言えば、そのまま通ってしまうのだ。何の予備知識もない状態で突然の決断を迫られた俺深く考えずに「成績順で決めよう」と答えた。

釜山大学ではペーパーレス化が進んでいて、公文書の決済には電子署名が用いられる。つまり、研究室でパソコンを操作して決済ボタンをクリックすれば予算の執行や学科での決定事項が決済書類として大学本部に送信される。例えば、学科の教員から「パソコンが故障したから新しいのを買ってくれ」と要求されたとき、最新型の高価なものを学科の予算で購入して貸しを作ることも、逆に適当な理由をつけて購入を先延ばしにして嫌がらせすることもできる。断っておくが、そんなことはやったことがないし、やろうとも思わないし、復讐が怖いのでやれない。そもそも、数学科のほとんどの教員が大学外の研究費を当てているので、そんな要求は出てこない。

毎日のように決済ボタンをクリックしているが、その手軽さとは裏腹に執行権の重みを実感する日々だった。「学科長とは名ばかりで奉仕者にすぎない」という認識はそのままに「実は本当の意味での拒否権を発動できるのは学科長だけなのだ」という発見が上書きされた。同時に歴代の学科長が若手教員に任されている理由がわかった。学科の中核に位置する教員が強大な権力を有する学科長になってしまうと、独裁や深刻な分断を生みかねない。それを未然に防ぐための知恵が若手の登用なのだ。

とある日の学科教授会議の議題の一つが「学部生に課している卒業試験の厳格化について」だった。現行の卒業試験は形骸化していて、欠席する者もいれば、不合格者には再試があるものの同じ問題を出して全員合格させることが常態化していた。厳格化推進派は「卒業論文の代わりの試験なのだから、厳格化して勉強させるべきだ」と主張して、現状維持派は「進学や就職が決まっている学生が落ちたらどうなる?一人でも例外を認めたら制度が崩壊する」と主張し、両派の対立が続いた。議論が出尽くしたところで俺が「いっそのこと廃止しましょう。必修科目の合否を厳格化すれば卒業資格の篩として機能するのでは?卒業試験作成の手間も省けるし、何より次の進路に向かおうとしている学生の足首を掴むようなことはしないのが道理」と廃止論をぶち上げた。驚くべきことに俺の意見が通って、その年から卒業試験は廃止になった。数学にしか興味がなかった俺が学科長の権力の強大さに目覚める瞬間だった。

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