投稿

5月, 2025の投稿を表示しています

なんたってった小泉

 映画「True Lies」でシュワルツネッガーが演じるオートバイに跨った主人公がビルの屋上に追い詰められた場面で「ここでオートバイに乗ったまま飛び降りたらかっこいいだろうな」と思っていたら、その期待通りの展開になり拍手喝采した記憶がある。この感覚はサッカーの試合を現地観戦するときにも生じる。空いている広大なスペースに密集地帯からのパスが出てくると「よっしゃー、それそれ」と気分が高揚するからだ。 小泉氏が農林水産大臣に就任したのはつい先週の出来事だ。それから連日のようにテレビに出て、「5キロ二千円」「入札ではなく随意契約」「米離れを防ぐため」などの発言が見出しとなりトップニュースとして報道された。国会答弁でも野党党首からの質問にも位負けすることもなかった。 話は単純で、米の平均小売価格が大幅に下がれば国民は拍手喝采で迎え、小泉農相は大手を振って農政改革を推進できるし、参議院選挙にも自民党に好影響をもたらすだろう。そうなると、救世主扱いされることになり次期総理に推す声も高まるだろう。 小泉氏を見ていると、劇場型政治と評された元総理を思い出す。総裁選では財政に対する不勉強を露呈し、他の候補からの質問に噛み合わない答えを連発してバカ扱いされていたのが遠い昔のように感じる。多くの欠点を補ってあまりある長所が発揮された十日間だったと思う。今後の動向を見守りたい。 追伸)朝イチのプレミアムトークでMISIAが「大村で生まれた」と言っていた。あんな有名な歌手なのに大村にゆかりの地がないのはどういうこと?  初耳だった。もしかしたら知らなかったのは俺だけ? 今からでも遅くないから、産まれた病院とか遊んだ公園とかにパネルを設置して里帰りしてもらおうよ。

留学生の受難

 ハーバード大学の留学生のみならず9月に米国の大学に入学予定の留学生にも動揺が広がっている。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250528/k10014818481000.html 人権を重視する教育を受けた者であれば、現在のガザ地区の惨状、無防備な民間人が空爆され建物などの私有財産が破壊され住居を奪われ支援物資を差し止められ生命の危機に瀕している状況に心を痛めるのは至極まっとうな反応だと思う。それに対して行動した学生に反ユダヤ主義のレッテルを貼って大学の補助金を停止するだけでなく何の罪もない留学生を苦しめるトランプ政権に強い怒りを覚える。 米国の大学や金融などの先端分野の中枢にいるユダヤ人の何割が上記の政策を支持しているのだろうか?トランプ大統領が反ユダヤ主義という言葉を使うたびにユダヤ人に対する悪感情が蓄積しているのではなかろうか? トランプ氏が大統領に就任してからイスラエルとハマスやロシアとウクライナの停戦に向けて動いたことは良かった。それらが実現したら世界の偉人として称えられ、MAGAが自他ともに認められていただろう。しかし、米国は後見国であってもイスラエルを制御できないし、弱い者いじめに加担していることが明らかになり、旧知の仲だと思っていたウラディミルにも裏切られ、一方的な関税で世界経済を混乱に陥れ、目の敵にしている中国に舐められるような妥協をしたり、夢を抱いて米国にやって来る若者を絞めだしたり、WHOなどの国際機関を機能不全に追い込むなどの政策を見て、「トランプ政権が終わり、米国が国際協調路線に転換したときに他国から再評価され逆説的にMAGAが実現するのではなかろうか」と思うようになった。

格闘遍歴 番外編 2)

 城南体育館での練習後、体育館のピロティでジュースを飲みながら談笑していたとき、「ガラスの十代も今日で終わりか」と呟く声が聞こえた。その声の主は南さん、大仏を彷彿させるパンチパーマで襟足長めの風貌は強面を超えて視線を合わせてはいけないレベルに達していた。「ええええ、俺より一つ上ってことですかーー!!」と大声を出したのは同級生の北村だった。 俺は大学1年生で九大芦原空手同好会の週三日の練習に参加していたが、「同好会内では無類の強さを誇っていた井上さんが子供扱いされるほど強い黒帯が福岡支部にはひしめいている」という噂を聞いて、怖いもの見たさで福岡支部の練習に参加してみることにした。 そのときの対人稽古の相手が南さんだった。黒帯の南さんに回し蹴りを蹴り続ける約束稽古だったが、どういうわけか蹴れば蹴るほど脛にダメージが蓄積していって、ついには脛が腫れ上がってその痛みで歩くのも困難になった。当の南さんは「何か失礼なことをしてしまったのだろうか?」と心配になるほど不機嫌そうな仏頂面のまま表情を変えなかった。「とんでもないところに来たな」と思いつつも、福岡支部の練習に通う九大の先輩や同級生の近藤の手前、痩せ我慢でその日の練習を乗り切った。後日、武道具店に赴き足の甲と脛を保護する防具を購入したのは言うまでもない。 九大芦原と福岡支部の練習時間は排反だった。すなわち、やる気さえあれば週六回芦原空手の公式練習に参加できるということだ。俺は月木土の九大の練習に加えて日曜日の夕方の福岡支部の練習に参加することにした。そこでまたまた驚いた。福岡教育大の八代さん、南さんの高校時代からの盟友である勝目さん、九産大の楠原さん、福岡大の藤村さん、山本さん、富永さん、そして南さん、全員黒帯で、半端ない筋肉量で、ありえない強さを誇っていた。それらの猛者を指導するのが支部長である久木田さんで練習のレベルがとんでもなく高かった。練習後、有志で組手稽古が始まった。俺は初めて見る天上界の住人にファン目線で近づきたいと思い、気がついたら月水木土土日で練習に通うようになっていた。 最初は「おい、九大」みたいな感じで、一見さん扱いだったが、練習を重ねるにつれて名字で呼ばれるようになった。支部の練習は参加するたびに新しい技術を学ぶことができるほど充実していた。特に久木田さんの指導は秀逸だった。とにかく顔面パンチ...

東京あれこれ

 最近、東京について考えている。十数回行っただけで東京という大都市は語れるはずもないのだが、個人の感想と前置きした上で思うところを綴りたい。 先ず、悪い面から。 1)受験で東京の電車に乗ったとき、案内してくれた幼馴染の女性の座席の窓を外側から殴打する浮浪者まがいの男がいた。直後に電車の扉がしまって実害はなかったし、剣道部で男勝りの彼女は笑っていたが、俺は「こういうことが日常的に起こる東京はやっぱり怖いところだ。いざというときは身を呈して彼女を守らなきゃ。しかし、さっきのような大男にそんな勇気が出せるのか」とビビりまくっていた。 2)道を聞くとあからさまに嫌な顔をされる。これは国内外の他の都市では経験したことがない冷淡さだと思っていたが、その理由は東京出張を重ねると明らかになった。それは見知らぬ人に話しかけられることがやたらと多く、そのほとんどが怪しい新興宗教の勧誘だとかいかがわしい場所や行為への誘いで、ろくなものがないからだ。 3)朝8時に中央線に乗らなければならない状況だった。友人から事前情報を得ていたが、実際に体験して初めて満員電車が地獄だということがわかった。車内には香水や体臭などの様々な臭いで充満していて「一秒でも早く外に出て新鮮な空気を吸いたい」という欲求に駆られた。吊革や手すりに掴まり続けることが困難なほど車両の前後に重力がかかった。超満員電車で生き延びる術は前後の重力に逆らわず乗客全員が同じ方向に身を任せることだった。東南アジアやインドの鉄道の外壁にしがみつく乗客の映像がよく流れるが、はっきり言って日本の満員電車の方がよっぽど危険で奇異な光景だと思う。いくら高い月給をもらっても満員電車地獄がつきまとう東京のサラリーマンは可哀想だと思った。 4)都庁の展望台から眺め下ろした街並みが白いガスのようなもので覆われていた。それは30年以上前の話でディーゼル車規制がなかった時代だった。当時は鼻の穴の汚れに現れるほど空気が悪かった。プロボクサーになったKMTさんはこんなに空気の悪いところで頑張っているんですねと手紙に書いたら「明け方に走るから問題ない」と言われた。 次に良い面を述べる。 5)KMTさんを応援するために上京した。そのときの打ち上げでKMTさんの友人たちと同席になった。彼らは俳優志望でフリーターをしながら演技の勉強をしていると言っていた。やっぱ...

或る男の1日

或る男の一日を公開してみる。 朝5時頃に目が覚める。傍らに寝ている妻の寝息に耳をすませ、痰が詰まった等の非常事態でない限り、静観する。窓から漏れる光の加減から時刻を想像する。6時頃に妻の眠りが浅くなる。歯軋りをして、様子を伺う。妻が目覚めると、足を畳む等の変化を与えてくれる。妻は二度寝する。俺も目を閉じるが、なかなか深い眠りは訪れない。妻は7時に起きて長女の朝食を準備する。7時のニュースは情報の密度が高く、最新の海外ニュースも入ってくるので、テレビをラジオ代わりに聴きたいと思っている。しかし、同じ部屋に三男が寝ているので、7時30分にテレビがつけられる。8時に長男と次男が起きて、子供たちが学校に行くのは8時40分、それから洗顔等の緊急でない身の回りの世話を妻に頼む。 午前は栄養補給と排泄の時間だ。ベッドに使い捨てのシートを敷いてテレビを見ながら、その時が来るのを待つ。12時のニュースで大谷の試合経過を確認、「とと姉ちゃん」と「あんぱん」の再放送を見て、13時から視線入力の準備をしてもらい、パソコンを操作する。この時、視線が合っているかが重要になる。 パソコンの操作はメールの確認から始まる。ブログの記事を書くのに2時間半を費やす。視線入力の調子が悪いと、その倍くらいかかる。たったあれだけの分量でも結構な労力が必要なのだ。書き終えると、目が疲れてまばたきの回数が増え涙で視界が滲むので、音楽を聴いたりしている。20時に夕食を注入して、20時40分くらいになると目の疲れでパソコンから距離を置きたい衝動に駆られる。 妻に頼んで、ベッドを折り曲げて座って21時のニュースを見るのが日課だ。その間に三男と次男に頭を掻いてもらう。長女が帰宅するのが22時30分で、その後消灯で三男を寝かせる。横になってもなかなか寝付けない。通常は午前1時くらいに眠りに落ちる。妻が先に眠りについたら、長男や長女が助けてくれる。眠れない夜もあるが、視線入力を始めてからその数は激減した。その理由は目の疲れが眠気を誘発するからだろう。

韓国の受験バラエティ

 韓国の人気バラエティ番組「Teachers」を視聴した。この番組は大学受験を控えた高校生を数学や英語の先生が30日間個人指導を通して成績を上げるリアリティショーだ。俺が視聴した回は両親が名門大学出身で一日に11時間勉強している高校生の話だった。母親が横に座って数学を教える場面、「何でこんなにわからないのか理解できない。どうしてこんな子が生まれたのか」と嘆く母親、「浪人はしない」と両親に宣言する場面、模試で数学の点数が22点で次の模試で二倍に点数を上げると宣言した数学の先生、などの経緯があった。 こういうのを見るたびに「韓国の受験生は大変だな」という感想を抱く。そして「自分が個人指導するならどんな教え方をするだろうか?」という脳内シミュレーションが始まる。その高校生の言動から「親からの期待や圧力で仕方なく勉強している」という印象を受けた。わかる喜びを知ることが上達の早道だと思った。 俺が提示する個人指導は以下の通りだ。 1)教科書を音読してもらう。 2)出てくる用語の意味を尋ねる。例えば、「円」が出てきたら「円とは何か?」と尋ねる。「一点からの距離が等しい点の集まり」という答えが返ってくると「それでは球と円との違いは?」と意地悪く聞いてみる。「平面での話です」という答えが返ってくるかもしれない。そのときは「平面とは何か?」と尋ねる。 3)このような問答を通して「自分がどこで何をやっている」のかがわかるようになる。 4)例題や練習問題を解く前に「本当に成り立つ」のかを試行錯誤してもらう。 5)もし基礎概念を習得していると判断されたら、次の単元に進む。 疑問を持つ習慣を付けることは重要だ。その能力があれば、生成AIを家庭教師代わりにしていくらでも学ぶことができる。でも実際にやったら、生徒には不評だろうなあ。 その番組で次の模試の結果が発表されて数学の点数が61点だった。自信が付いたその高校生は「浪人してでも両親の大学の後輩になりたい」と言っていた。

ドラマの中の戦争

 NHKのドラマ「あんぱん」で出征した石屋の弟子が戦死したこと知って親方が慟哭する場面が放送された。 親方役の吉田鋼太郎の演技は素晴らしかったし、そのドラマで戦争の残酷さを訴えたいという意図は感じられたが、その戦争が日中戦争であることに違和感を覚えた。 日中戦争の戦場は中国であって日本ではない。中国側の民間人犠牲者数は一千万から二千万の間と推定されている。ただし日本政府はその数について明言してないらしい。犠牲者の規模は異なるが、現在のロシアに当たるのが日中戦争での日本の立場なのだ。 つまりは一人の戦死者の前方には想像を絶する数の被害者がいるということなのだ。もちろん、大切な人を亡くした遺族の悲しみはまぎれもない真実なのだが、日中戦争の歴史的背景がドラマに没入できなくしているのが違和感の正体だったのだ。

米米ウォーズ

 江藤農水相が「米を買ったことがない。支持者の方がくださるので、売るほどある」と発言して批判に晒されている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/30f46291fcae24ed616b345d6c3d1db2f6fd7f97   正直に言っただけで、別に消費者が腹を立てることはないと思うのだが、批判されている。先週の土曜日の21時のニュースに出演したときは「7月から農水省のスタッフと話し合いを重ね、前例がない備蓄米の放出の準備をしていた」というのを聞いて、「そういう苦労をしていたんだな」と好感度を上げていたのに水をさす形になってしまった。 生成AIで調べたところ、日本の政府備蓄米の量は約百万トンで3-5年の周期で新米と入れ替えられ、最終的には古古米、加工食品、飼料として販売されるか、人道援助のために輸出されることもあるらしい。それならば、ジャポニカ品種であるカリフォルニア米を輸入して備蓄米として活用するのはどうだろうか?低コストだし、貿易摩擦の解消に繋がるし、その条件で関税が引き下げられたら日米双方にとってウィンウィンの結果だと思う。 食糧安全保障という観点から主食である米の自給率100%を維持しなければならない、米農家が打撃を受ける、などの反対意見もあるだろう。しかし、米農家の平均年齢が69歳という話を聞くと若者が米農家に目が行くような政策を実施するべきだと思う。現状のままだと、政府が安定的に米を買ってくれるのと引き換えに米農家の待遇も低く抑えられている。今回の米価格の高止まりは消費者にとっては打撃だが、生産者にとっては僥倖だ。食糧安全保障が大事と思うなら高値でも我慢するべきだし、安い米を望むならある程度の自由化を受け入れるべきだと思う。 昨日の日曜討論でも「米の価格が去年の二倍にまで上昇したのは政府の責任だ」みたいな論調が出ていたが、食料品全体の価格が押し上げられる中、米だけ例外というわけにはいかないだろう。市場に任せておけば適正な価格に落ち着くことと思う。それはおそらく一食あたりで計算したときの食パンの価格だろう。 後日談)江藤農水相は「もらった玄米の中に石や土が混入していることもある」と発言したらしい。これはイカンだろう。上の記事は主観を客観であるかのように記述しているし、根拠がない推測をしている。自分らし...

宣教活動

 今日もオンラインで礼拝を視聴する。牧師先生の説教が終わると宣教活動に関する講習が始まった。俺は宣教活動を行い他人を入信させたことがない。これからも無さそうな気配だ。しかし、23年間通ったチャンジョン中央教会の良さを知らせたいという気持ちは持っている。今回は俺が教会に通うようになった経緯から始めて所属する教会の良さを伝えたい。 妻は仏教徒だったが、高校時代に友人から聖書をプレゼントされたことをきっかけにプロテスタントの教会に通うようになり「一番大切なものは神様」と言うほどの敬虔なクリスチャンになった。俺は2001年5月にとある女性と交際を始めた。その女性が熱心な信者であると思ったので「俺も聖書を勉強してみようかな」と文字通りの意味で言ったら「まあ、嬉しい!!」という過剰な反応が返ってきて、そのままなしくずし的に教会に通うようになった。その女性とはもちろん現在の妻のことで、その年の7月に教会で結婚式を挙げて、俺の仕事の関係で台湾に渡る。台北では英語の礼拝がある教会に通い、釜山大学に就職してからはチャンジョン中央教会に通い、大村にいる時は大村教会と古賀島教会に通った。 こんなことを書いたら妻に怒られそうだが、俺が教会に通う理由はそこにいる人を信じたからだ。そして、いずれの教会にも自由を尊重する雰囲気が流れていた。もちろん、給仕や清掃などの奉仕や献金もあるが、強制や同調圧力を感じることはなく、全ての行動が個人の自由意志に委ねられていて、そこに居心地の良さを感じた。さらに区分けされた数世帯が集まって行う家庭礼拝では各参加者の祈祷題目を共有するのが通例で「幸福そうに見えるあの人も実はこんな悩みを抱えているのか」のような気付きや相互理解が得られることも教会の良さの一つだと思う。 忘れてはいけないのが牧師先生の説教だ。俺が説教の深い部分まで理解できるとは到底思えないが、聞いていると安心する、というか、二千年前の世界に思いを馳せることができる。

海外放浪記 10)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/05/9.html 1999年3月にイスラエルから帰国した俺を待っていたのは無職の研究生という現実だった。それまでは日本学術振興会から月額三十万円の返済義務のない奨学金が支給されていた。4月からは無収入で、しかも学生ではないので学割は使えない。当面の生活費は貯金でなんとかなるが、半年後には無一文になる額しか残っていない。数学を続けるためには単発のアルバイトを週末だけやれば可能だ。しかし、「それは完全な片想いではないか。必要とされないのに数学の研究を続ける意味があるのか」という葛藤が常に立ちはだかる。結局、学術的な職は研究者であり続けるためのパスポートなのだ。それ故、博士は就職活動に血眼になるのだ。その当時、就職活動中の同門の先輩が4人いた。俺はある種の閉塞感を感じていたが、イスラエルで過ごした経験からある種の開き直りの境地に至っていた。その心境に符合するようにMMA先生とのセミナーが再開した。今、振り返ると、MMA先生が東北大学に栄転する前だったことは幸運だった。MMA先生には何のメリットもないのにセミナーの指導役を引き受けてくれたのはひとえにMMA先生のご厚意によるものだ。このセミナーのおかげで、数学という中心軸をブラすことなかったし、俺の研究の方向性を左右する重要な示唆を受けることができた。それからもお世話になり続けるのだが、それらへの感謝は直接お伝えしようと思う。 10)ドイツ、とある地方都市。1999年、5月。この辺りから記憶が曖昧になる。数名の著名数学者による集中講義を受講することが目的で、現地での宿泊費は支給されたと思う。しかし、都市名やどういう空路で行ったのかは覚えてない。覚えているのは、チャンピオンズリーグの決勝でマンチェスターユナイテッドが劇的な勝利を収めたことと最終日に最も流暢でない英語で話す講演者が最も大きな拍手で称賛されていたことだ。

島崎先生

 懐古録に収録されている格闘遍歴で柔道部について実名で記している。しかし、柔道部顧問の島崎先生の言及は一言もなかった。そのことで良心が痛んだので、改めて島崎先生の思い出を綴ろうと思う。 島崎先生は生物を教えていた。俺は化学と物理を選択したので、一度も授業を受けたことがないが、学年主任だったので顔を見る機会は多かった。「やってみろ」を「やってみれい」と言う特徴があって、やたらと命令形の語尾に「てぃれい」や「みれい」を付けるので仇名は「みれい」だった。毎日、練習に顔を出す監督のような顧問ではなかったが、一年で30日くらいは練習を見に来て、たまに柔道着を着て一緒に汗を流すこともあった。体重は90kgくらいで、かなり大柄だった。 一年先輩で主将の梅野さんは島崎先生に対して「何で練習を見に来てくれないんですか?」という愛憎が入り混じった感情を抱いていた。二人の対立が表面化したのは大村工業高校に出稽古に行った時だった。試合形式の対抗戦で負けた一年生は顧問の先生の下に行って指導を受けるのが通例だが、梅野さんは一年生を呼び付け、当てこすりと言わんばかりの指導を始めた。怒ったのは大村工業高校の顧問で「梅野ーー!!」と道場全体に響き渡る声で越権行為を叱責された。 メンツを潰された島崎先生は練習後に部員全員を集めて、主将の訴えに耳を傾けた後、「俺は学年主任で責任ある立場だ。数日前には身内の不幸もあった」と切り出し、本音を語られた。梅野さんの不平は止むことはなかったが、心の奥底では納得していたと思う。今、振り返ると、島崎先生の対応は素晴らしかったと思う。島崎先生は梅野さんを退部させることもできたはずだ。対立が深まり、柔道部が空中分解することもあり得た。しかし、島崎先生は反抗期を迎えた息子に接するような愛情で梅野さんに大人としての最善の道を示されたと思う。 今、島崎先生はおいくつだろうか?元気にされているだろうか?俺が練習中に骨折した時、病院に連れて行ってもらったこともあった。この場を借りてこれまでの感謝を伝えたい。

先生の日

 韓国で5月15日は「先生の日」だ。ハングル文字の開発を命じた世宗大王の誕生日に由来するらしい。しかし、祝日ではない。経験がないのでよくわからないのだが、学校では先生に敬意と感謝を伝え、ちょっとした贈り物をしたり、イベントがあったりするらしい。 韓国では先生に対する尊敬や憧れの度合いが日本と比べて明らかに高い。特に数学の先生は憧れの職業で、俺が釜山大学で勤務していた期間では数学教育科の偏差値が数学科のそれより高かった。呼び方も「様」を意味する「ニム」を付けて呼ぶし、体罰教師の名字を呼び捨てする文化で育った俺にはちょっとしたカルチャーショックだった。 その風向きが変わったのが2016年、韓国の行き過ぎた接待文化に制限を加えるキムヨンラン法が施行された年だ。年長者が同行者全員の食事代を払ったりする文化があるのだが、それは時として利益供与や賄賂になることもある。韓国ドラマ「おつかれさま」でも父兄が教師に金品を渡す場面が出てきたが、そういう行為を違法だと認識させる法律がキムヨンラン法だ。 俺は戸惑いながらも「これが韓国の文化なんだ」と考えて、指導する学生たちからワイシャツやリュックサックなどの贈り物を受けとっていたが、2013年に「学位や研究費の配分に関わる立場にいるんだから情に流されることはあってはならない」と思い、贈り物を禁止する代わりに食事会をすることにした経緯がある。キムヨンラン法の制定が議論され始めたのが2012年だから、奇しくもその時期と一致する。なんだかよくわからない論理展開と結論になるのだが、純粋に慕ってくれた学生たちの思いは十分に伝わっているし、得難い学生たちと切磋琢磨した時間は幸せだったなあと心から思うと伝えたい。

取説2025

 久しぶりに現在の俺の取り扱い説明書を記しておく。 1)視線入力の準備するとき、棒状の中心を両眼の中心に合わせてからパソコンの電源を入れる。Calibration をするときは、視線の位置を示すボックスの右横の矢印の高さと視線の高さが一致するように調整する。視線を固定したら体や顔を動かさない。 2)左手の浮腫みが一向に治らない。対策は左手を心臓より上の位置に置くことだ。腹の上に置くか、毛布を丸めて肘から先のみを毛布の上に置いてほしい。暇なときは左脇のリンパ腺をほぐして左腕全体をマッサージしてほしい。 3)頭を掻いてもらうとき、頭の後ろの右斜めの頭蓋骨が出っ張っている部分を重点的に掻いてほしい。 4)目をふいてもらうとき、濡らしたガーゼで拭いてほしい。 5)顔を拭いてもらうとき、垢をこすり落とすように指に力を入れて拭いてほしい。耳の後ろは最高に気持ちいいので、出来るだけ長く拭いてほしい。 7)文字盤で会話するとき、頻出語の後に追加したいときがあるので決め付けないで「それで終わり? まだある?」と聞いてほしい。例えば、「あした」と言いたいとき、「あし」と思って足を折り畳まれたら永遠に「あした」にたどり着かない。 8)首を横に振れなくなった。「聞かれたことに返事をしない」のではなく「いいえ」と答えたいのにできない、もしくは、「はいかいいえで答えられない」のが正しい。

天気予報ゲーム

 天気予報で最低気温と最高気温が出てくると、それらを分母と分子と考えてその分数の既約分数が素数分の素数となっているかを判別するゲームをやっている。 例えば、ある都市の予想最低気温が16度、予想最高気温が24度だと仮定する。この場合、16分の24、すなわち、24/16 が対象となる分数で、分母と分子の最大公約数で約分したものが既約分数で、この場合は3/2 が既約分数で2と3が共に素数なので条件を満たすというわけだ。 単純な計算であるし、気温の範囲も限られているので、目視して一秒以内に判別できるのだが、問題は複数の都市が同時に現れる場合だ。難易度は設定次第で、最も難しい設定は条件を満たす都市を全て探すゲームだ。NHKの天気予報では日本列島を四分割して各都市の予想気温が表示される。従って、同時に十数個の都市を十秒以内に判別しなければならない。これが意外と難しい。今まで完全制覇した回数は未遂の数に比べると圧倒的に少ない。 一つの画面が視界に入ったとき、その数字の羅列を一つの風景として認識する訓練と思って取り組んでいるが、なかなか上手くいかない。未遂に終わるたびに「俺って才能ないな」という思いに駆られ、ストレスが溜まってしまう。精神衛生上よくないので、今度から条件を満たす都市の存在の有無に難易度を落としたゲームをやろうかな。 追伸)「高嶺の花子さん」という歌がツボにハマった。

ユルい介護

最近、考えていることがある。それはユルい介護についてだ。どういうことかを以下で説明する。 これまでの記事で触れているように、俺はALS患者で、日本に住んでいた頃は月額三十数万円分の医療介護サービスを一割負担で利用することができた。すなわち、三万数千円支出すれば、車椅子等の福祉用品のレンタルと残りの金額分の訪問介護ヘルパーを雇うことができる。それなら妻もフルタイムで働けるし、俺の年金と合わせれば4人の子供を養うための収入が得られるだろうという目論見があった。しかし、その目論見は実現されることはなかった。その理由は未だによくわからないのだが、どうやら自治体ごとに対応が異なるみたいで、前例がない場合は介護の必要性を主張して自分自身が前例になることが求められるそうだ。 大村に住んでいた頃、訪問介護ヘルパーに朝の食事補助に来てもらっていた。時間は一時間で、その範囲でがっつり仕事をしてこそ介護報酬を国に請求できるという雰囲気だった。「せめて三時間見守りだけしてくれたら、妻の自由度が増すのになあ」と思ったが、ケアマネージャーは首を縦に振ることはなかった。 そこで思いついたのが見守りのユルい介護にもそれなりの介護報酬が出せるように制度を調整できないかなということだ。それで救われる人は大勢いるだろうし、人手不足解消にも繋がると思う。課題は需要の増加に伴い社会保障費も増加することと勤務実態が把握しにくいことを利用した不正が横行することだろう。 見守りだけであれば、カメラを家に設置して、一人が10人を見ることができる。一人暮らしの老人や認知症の被介護者とその家族にとって必要なサービスだと思うが、保険が適用されるかは定かでない。

大相撲札幌場所

 大相撲は奇数月に東京、大阪、東京、名古屋、東京、福岡の順で開催される。青森や北海道出身の力士も多く、相撲人気も高いという印象だが、残念ながらその地域で本場所が開催されることはない。既存の日程は非常によく設定されていて、運営側も勝手を知っている分、楽だろうし、敢えて茨の道に進む必要は全くないと思うが、実験的に他の都市で開催することを提案したい。 例えば、札幌場所を一回限定で開催するのはどうだろう?会場は札幌ドームで四万人収容の設定で、15日連続で開催する。チケット収入もグッズの売上げも倍増するだろうから商業的成功も十分に見込めるだろう。問題はどれだけ会場が埋まるかだが、一回限定という希少性と外国人観光客に対する相撲の求心力を考慮すると、45万人は動員できそうだ。そもそも相撲協会は商売っ気が無さすぎる。地上波で中継されてニュースでも取り上げられるのに会場には大口スポンサーの広告が全く見られない。「相撲は神事」という伝統に忠実なのかと思ったが、懸賞金には広告の場だし、NHKの意向なのかと思ったが、広告で溢れているオリンピックを平気で放送しているし、それならば伝統を壊さない範囲で大口スポンサーを募ってほしい。 力士の給料は十両で100万円で、横綱になっても年収は1億円円未満で、十両未満は無給だ。怪我のリスクも大きく、引退後の就職先も限られている。これは他のプロスポーツと比べて良いとは言えない待遇だ。このことを鑑みて相撲協会は新たな試みに挑戦して力士の待遇改善に向かって努力し続けるべきだと思う。 明日は五月場所初日だ。大の里の綱獲り、先場所の無念の休場からの巻き返しを誓う横綱豊昇龍、二人とも好きな力士なので、千秋楽での結びの一番が優勝争いになる展開を期待している。 追伸)三男が漫画「進撃の巨人」のアニメを視聴している。昨日は文字盤で三男と30分くらい話した。

東京メトロ攻防戦

 東京の地下鉄駅で大学生が見知らぬ男に背後から刃物で切りつけられる事件が起こった。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6538194 犯人は乗客数名によって取り押さえられたそうだが、健康体の自分がその場にいたらどんな対処ができるかを想像してみた。 まず、背後から襲われたら対処のしようがない。被害者の大学生は一命をとりとめたのは不幸中の幸いだった。俺は柔道と空手をやっていたが、どちらもルールを定めて練習していた。厳密に言えば、芦原空手は実戦を想定しているので、急所蹴りや目突きの練習もあったし、試合もなかった。ただし、有志でルールを決めた組手をやっていた。このルール有りの練習が実戦ではマイナスに作用することもある。例えば、普段は禁じ手の急所蹴りを躊躇なく叩き込めるか疑問だし、刃物を持った相手との間合いは組手稽古のそれとは全く異なるし、ブロッキングなどの組手では有効な技術も使えない可能性もある。そもそも、格闘技経験者は自分よりはるかに強い人が大勢いることを分かっているし、実戦では想定外のリスクがあることを知っているので、99%制圧できる自信がない限り、逃げるか回避する方法を選択するはずだ。 次に、俺がその車両に居合わせて、犯人が倒れた被害者に覆い被さり更なる切りつけをしようとした場合を考える。俺は止めに入る自信がない。気が動転して目の前で起きている出来事を整理することさえできないだろう。逃げずに犯人を取り押さえた乗客は真の勇者だと思う。 最後に、犯人が次なる獲物を求めて俺に向かってきた場合を考える。これまでの強い相手に向かって行かざるを得ない状況を数多く経験してきたので、棒立ちで切りつけられるのを待つことはないだろう。下がるか半身になるかして直角に刃物が身体を貫くのを防ぐはずだ。若い頃だったら前蹴りは出せただろう。運良く相手の突進を止められたら、相手に「あれっ、思い通りにいかないなあ」と正気に帰る時間を与えられるかもしれない。運が悪く刃物が身体のどこかに刺さった場合、柔道をやっていた経験から相手の刃物を持った腕の袖を本能的に掴んでいるだろう。そうすると、相手の当て身による戦闘能力を半減させることができる。相手が柔道経験者なら万事休す。そうでなかったら、出血で薄れゆく意識の中、他の乗客に呼びかけて加勢を求める。なんていう展開を想像してみ...

四年前の決意

四年前、以前のホームページの心野動記で書いたことは俺の偽らざる心情だ。今読み返してもその心情に変化はない。そういうわけで決意表明のためにシングルカットすることにした。  数学の研究を再開したいと思いつつ二年の月日が経ってしまった。大村に移住したばかりの頃は家族を養うための経済基盤を確立することが最優先と思い、意図的に数学を遠ざけていた。しかし、病気の進行に伴い、俺自身が働いてお金を稼ぐのは困難という結論にたどり着いた。 平坂塾での直接の指導ができなくなり、オンライン指導もうまくいいかなかった。以前、紹介したようにインターネット上には無料で手軽なコンテンツが豊富にあるのだ。個別指導であっても文字だけであっては利用者の金銭面と時間の負担が増すばかりで、これでは到底お金を取れないと思うようになった。 ALS患者の中には自ら介護保険事業を起ち上げて経営する方々が少なからず存在するが、俺にそのような才覚と初期費用を捻出する度胸があるとは思えなかった。いや、最初はそういう気概を持っていたのだが、介護に依存する度合いが増えていくにつれて気勢が削がれていった。 文筆業で成功することを夢見て始めた当ブログも新聞やテレビでの露出があったにも関わらず、閲覧数は減少傾向にあり、一日平均150をかろうじて維持していいる状況である。この数は友人や知己が読んでくれているんだなあと思えば大変ありがたいものであるが、1日の閲覧数が1万以上が目安とされる商業的成功には程遠い数である。その理由は俺の閲覧の履歴を見れば明らかである。俺は他人のブログを定期的に見たりしないし、ましてや読んでいて気が滅入るような他人の闘病記を開くことは滅多にない。黙ってじっとしていることさえストレスである生活を忘れさせてくれるのは、将棋、囲碁、スポーツなどの当たり障りのない気楽に見れるコンテンツなのだ。そのことの一般化は「人々は知り合いでもない他人の闘病記を読んだりしない」となり、それは概ね正しいのだろう。 結果として、目標としていた経済基盤は築けなかった。日本からの障害年金と韓国からの年金と退職金をやりくりして長男と次男が大学に行って、兵役を終えて就職するまでなんとか生き延びることが当面の目標である。 本稿はまだ完結していない。首が疲れて来たので、続きは次回で綴ろうと思う。 前回の続きである。 「お金は稼げないが、年...

留学候補地

 俺の弟の息子は大学生なのだが、一年間海外留学をする計画らしい。まだ、どこに行くかは決まってないらしい。いくつか候補を挙げてみた。 1)イスラエル。ユダヤ人居住区は警官が巡回していて治安はいい。街ごとにスポーツ施設が充実している。飛び入りウェルカムな雰囲気で、フットサルの勝ち抜きゲームにいつでも参加できる。彼は小学校からサッカーをやっていて、高校時代は点取り屋だったそうだ。「あの上手い奴は誰だ?」みたいな感じで注目されれば、すぐ友達ができるだろう。トマトやグレープフルーツの産地で、スーパーに並ぶ野菜は新鮮という範疇に収まらないほどの生命力に溢れている。肉や乳製品も質量共に充実している。 2)ドイツ。言わずと知れたサッカーどころで、あちこちに天然芝のグラウンドがある。俺も飛び入りで8対8のハーフコートゲームに参加したことがある。ポジションは左サイドバックでゴールも決めたが、守備では穴になっていた。ドイツの食材の質は最高水準だが、レストランで調理されたものを食べるとがっかりすることが多かった。予算があれば、ヨーロッパで生活する経験を積んでほしい。いくらお金がかかってもその投資に見合う得るものがあると思う。 3)韓国。釜山大学では半年間韓国語を学び、正式な留学生として入学する学生が多数いる。言語教育院の語学プログラムは充実していて、一般人でも受講できるようになっている。ニンニクや辛いものが嫌いでなければ、韓国生活を楽しめるだろう。物価は日本並みだ。釜山大学周辺で最安値の住居に住めば、月10万円の仕送りで十分だと思う。妻は「韓国語なら一年でペラペラになる」と言っている。たしかに、一年間という期間を考えると日本語と語順が同じ韓国語を学ぶのは理にかなっているかもしれない。 4)台湾。治安もいいし、南国特有のおおらかさがある。台北は首都だから物価もそれなりに高い。日本語を話せる人も多い。俺は8月から翌年の2月まで台北に滞在していた。その当時、妻が妊娠中だったので、旅行に行けなかったが、自然豊かな観光地が点在している。某有名ハンバーガーチェーン店でチキンバーガーを注文したら、本場の中華料理の唐揚げのように油をかけて揚げるチキンが出てきてびっくりした。中華料理のレベルの高さは言うまでもなく、トロピカルフルーツを原料としたスイーツも充実している。俺が接した台湾の人々は皆親切で、...

子供の日リターンズ

昨日は韓国でも子供の日だった。子供の日の思い出と言えば、ちまきと鯉のぼりだ。ちまきは餅米を竹の皮で包んで蒸して作る食べ物だ。俺の実家ではある時期まで毎年子供の日に合わせて手作りのちまきが食卓に上がった。餅米が液状化して薄茶色に変色したちまきは程よい加減の塩味がついていて美味だった。鯉のぼりについては、実家の敷居に矢倉を組み、そこに竹竿を固定してのフル規格の鯉のぼり一式が青空に泳いでいた。しかし、それは最初だけで、年が経つごとに規模が縮小していき、末期にはベランダに一匹括り付けるだけになり、その翌年からは鯉のぼりは押入れから出てくることはなかった。 こういう風習は子供の心理に無視できない影響を与えるものと思われる。ちまきを食べながら新聞紙で作ったカブトを被り勢いよくはためく鯉のぼりを見上げれば、虚弱体質だった俺でも戦国武将になったかのような雄々しい気分に浸れるものだ。 確か弟が産まれる前の子供の日前後の出来事だと思うが、両親と俺の三人が車で福岡に行くイベントがあった。その当時は高速道路が開通しておらず、福岡まで片道3時間もかかった。その日は連休中の渋滞でさらに時間がかかってしまう。福岡動物園に行く予定だったが、到着した時は閉園時間間際で、入園を諦めることになった。今にも泣きそうだった俺をなだめるだったのだろう、父は「平和台球場に西鉄ライオンズの試合を見に行こう」と言い出した。「それは動物園よりはるかにいいぞ」とすっかり機嫌を取り戻した俺は期待に胸を膨らませていた。しかし、駐車場が見つからない。結局、満員でチケットが取れなかったのか定かではないが、車から降りることなく福岡を離れ大村に帰ることになった。この時の絶望感は今も覚えているほど大きかった。「最初から球場に行っていればなんとかなったんじゃないか?せっかくの休みに何も楽しいことがなかった。せめて美味しいものを食べたかった」などと恨みを募らせながら帰り道を過ごした。 苦労した思い出の方がいつまでも記憶に残るのはよくあることだ。少なくとも、せっかくの連休にもどこにも行けないどこかの父親よりもはるかにマシだと思う。 追伸)釜山大学で勤務していた頃、コーディングできる人材の育成が急務と叫ばれていた。しかし、生成AIの登場以降、プログラマーの需要は減り続ける一方だそうだ。時代の流れは早い。十年後、どのような人材が必要になるのか...

RAMEN KOREA

韓国でラーメンと言えば、大多数の人がインスタントラーメンを思い浮かべるだろう。もちろん、街中には即席ではないラーメンを提供する店もあるし、釜山大学周辺には博多ラーメンの本場の店と比べても遜色がないラーメン屋もあったし、日本のラーメンの認知度も上がっている。しかし、韓国のラーメンはやはり大量の唐辛子が入った真っ赤なスープのラーメンこそがふさわしいと思う。 アメリカ人が幼い頃から某ハンバーガーチェーン店の味に慣れているように韓国人の生活に直結しているのが某食品会社の即席麺なのだ。妻も「ラーメンは消化に悪い」と言いながらも結構な頻度で即席麺のお世話になっているし、学食でも即席麺がメニューにあるし、教会の行事でも子供が喜ぶ定番メニューとして定着しているし、軍隊でも思い出のメニューとして語られることが多い。 俺は「そんなに美味しいものではないし、食べ続けると味音痴になりそうだ」という理由で、避けてきたのだが、ごくたまに、数学の問題が頭の中にあって食事でテンションを上げたくない時は学食でラーメンを食べるようにしていた。俺にとっては韓国のラーメンは日本のラーメンとは別の食べ物だ。単体では日本のラーメンが好きだが、キムチとの相性という観点からだと韓国のラーメンの圧勝だと思う。 嗚呼、こんなことを書いていると、ラーメンが食いたくなってきたなあ、キムチ付きで。

海外放浪記 9)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/8.html 9)米国、シカゴ。おそらく、1998年9月。イスラエルからパリ経由でシカゴに空路で向かった。今回の目的はアメリカ数学会の分科会に出席して発表することだ。その当時は何も考えずに行くことを決めたが、今振り返ると、そんな権威のある学会で何の実績もない俺が発表するなんてそうそう起こる機会ではなかった。その分科会の世話役が俺の兄弟子にあたる方で、おそらく俺の指導教官経由で繋がったのだろう。改めて、「人の縁って大事だなあ。俺の知らないところで七光の恩恵を受けていたんだなあ」と思う。分科会の会場はシカゴだが、俺はグレイハウンドバスに乗ってアイオワ州に向かった。なぜなら、その兄弟子であるSSY教授が自宅に招待してくれたからだ。バスは市街地を抜けて小麦とトウモロコシ畑から成る田園地帯に入った。「これが正にフィールドオブドリームスの世界か!」と感動していたが、その景色があまりにも長く続くものだから途中から見るのも嫌になった。夜中にバスの乗り換えを命じられた。俺は飛行機のトランジットと同様に荷台に置いたスーツケースは自動的に振り替えられると思っていた。しかし、現実はそうではなく、さらに悪いことに、パスポートはスーツケースの中に入れていた。朝にアイオワに到着してからその事実に気付き、迎えに来てくれたSSY教授に事情を話した。結局、スーツケースは戻って来たのだが、それは幸運だったとしか言いようがない。SSY教授の家は広く、リモコンでドアが開閉する車庫が付いていた。アイオワ州立大学の数学教員たちと乗り合わせて車でシカゴに向かった。それから3日間学会に参加して、その間、日本から来られたS教授が宿泊するホテルの一室に居候させてもらった。改めて、宿を無料で貧乏博士に提供してくれたSSY教授とS教授のご厚意に感謝申し上げたい。

生成の流れに身を任せ

 生成AIにエッセイを書いてもらった。今まで何度もこの試みをやってきたが、満足できる文章が得られなかった。以下の文章は俺のアイデアを元に生成AIが作成したものだ。説得力の有無をコメントで知らせてほしい。 『時の流れに身をまかせ』は恋の歌として知られている。許されない恋、すべてを捧げる恋。それは多くのリスナーが個人的な恋愛の思い出を重ねられる普遍的なテーマだ。だが私は、この歌詞の「あなた」は単なる恋人ではなく、テレサ・テン自身にとっての「芸能界」そのものを指しているのではないかと思う。 テレサ・テンは台湾、日本、中国と複数の国をまたいで活動し、国境や言語、政治的な制約に翻弄されながら生きたアーティストだ。時に国家に利用され、時に検閲に苦しめられ、しかし国民的な人気を背負い続けた。そんな彼女にとって、「あなた」とは愛する誰かではなく、逃れようのない大きな存在――すなわち芸能界という世界そのものだったのではないだろうか。 「もしもあなたに逢わずにいたら 私は何をしてたでしょうか」 → もし芸能界に入っていなければ、平凡な暮らしをしていただろう。そう想像する彼女。 「平凡だけど 誰かを愛し 普通の暮らし してたでしょうか」 → スターとしての輝きの裏に、普通の女性としての暮らしを捨てた自分へのささやかな未練。 「時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ」 → 芸能界の要請、世間の期待、プロデューサーの意向に従い、自分自身が“作られていく”感覚。 「いのちさえもいらないわ 」 → プライベート、健康、そして人生さえも犠牲にしても構わない。その胸(芸能界)の中にいられるのなら。 「あなた」は、抗えない存在だ。愛する一方で、恐ろしくもある。そしてその「あなた」に全てを委ねる覚悟を歌ったこの歌は、単なる恋愛の物語ではなく、一人の歌手が“芸能界”という巨大な世界とどう向き合ったかの物語なのだと思う。 多くの人がこの歌に恋愛の自分を重ねる一方で、私はこの歌詞の背後に、テレサ・テン自身の覚悟や孤独を感じずにはいられない。そしてそれこそが、彼女の歌声が今もなお人々の心を打つ理由なのだろう。

やまとなでしこを視聴した!

Netflixで「やまとなでしこ」を第六回まで視聴した。以下はその感想である。 1)ばかばかしいけど面白い。漫画「巨人の星」の大リーグボールを物理的に不可能と批判するのは意味がないように、ドラマの世界観が現実にはありえない描写を受け入れ可能なものにしている。 2)松嶋菜々子の存在感が凄まじい。美人揃いのCAの中でも飛び抜けた美人という役を立派に演じていた。 3)堤真一の無骨な役の演技しか見たことがなかったので、かわいい面を併せ持つ中原欧介役は驚きだった。その役は数学者を夢見てMITに留学するも父の死をきっかけに帰国して魚屋を継ぐ設定だ。 4)主題歌が流れると、「こんなことありえんだろう」というもやもやが吹き飛んでロマンチックな世界に引き込まれる。 5)脚本家の中園ミホは「あんぱん」の脚本家でもある。松嶋菜々子の使い方が上手い。 追伸)昨晩はよく眠れた。一度も妻を起こさなかった。