格闘遍歴 番外編 2)

 城南体育館での練習後、体育館のピロティでジュースを飲みながら談笑していたとき、「ガラスの十代も今日で終わりか」と呟く声が聞こえた。その声の主は南さん、大仏を彷彿させるパンチパーマで襟足長めの風貌は強面を超えて視線を合わせてはいけないレベルに達していた。「ええええ、俺より一つ上ってことですかーー!!」と大声を出したのは同級生の北村だった。

俺は大学1年生で九大芦原空手同好会の週三日の練習に参加していたが、「同好会内では無類の強さを誇っていた井上さんが子供扱いされるほど強い黒帯が福岡支部にはひしめいている」という噂を聞いて、怖いもの見たさで福岡支部の練習に参加してみることにした。

そのときの対人稽古の相手が南さんだった。黒帯の南さんに回し蹴りを蹴り続ける約束稽古だったが、どういうわけか蹴れば蹴るほど脛にダメージが蓄積していって、ついには脛が腫れ上がってその痛みで歩くのも困難になった。当の南さんは「何か失礼なことをしてしまったのだろうか?」と心配になるほど不機嫌そうな仏頂面のまま表情を変えなかった。「とんでもないところに来たな」と思いつつも、福岡支部の練習に通う九大の先輩や同級生の近藤の手前、痩せ我慢でその日の練習を乗り切った。後日、武道具店に赴き足の甲と脛を保護する防具を購入したのは言うまでもない。

九大芦原と福岡支部の練習時間は排反だった。すなわち、やる気さえあれば週六回芦原空手の公式練習に参加できるということだ。俺は月木土の九大の練習に加えて日曜日の夕方の福岡支部の練習に参加することにした。そこでまたまた驚いた。福岡教育大の八代さん、南さんの高校時代からの盟友である勝目さん、九産大の楠原さん、福岡大の藤村さん、山本さん、富永さん、そして南さん、全員黒帯で、半端ない筋肉量で、ありえない強さを誇っていた。それらの猛者を指導するのが支部長である久木田さんで練習のレベルがとんでもなく高かった。練習後、有志で組手稽古が始まった。俺は初めて見る天上界の住人にファン目線で近づきたいと思い、気がついたら月水木土土日で練習に通うようになっていた。

最初は「おい、九大」みたいな感じで、一見さん扱いだったが、練習を重ねるにつれて名字で呼ばれるようになった。支部の練習は参加するたびに新しい技術を学ぶことができるほど充実していた。特に久木田さんの指導は秀逸だった。とにかく顔面パンチ有りの実戦の攻防を想定していて、型にはまった対人での約束稽古も久木田さんの口を介すると、相手の側面に移動して自分だけが攻撃できる体勢を作る実戦に早変わりした。後にミドル級のプロボクサーになる勝目さんが「あの右ストレートは凄かった」と述懐するほど久木田さんのパンチにはスピード、キレ、パワーの三拍子が揃っており、「これが福岡支部の猛者どもを従わせる力の源泉か!」と納得すると共に「あんなパンチを食らったらどうなるだろう?」と想像するだけで戦慄と悪寒が走った。キックボクシングの試合でよく見られる高い蹴りは出さず、パンチとローキックで捌くのが久木田さんの実戦空手だった。ただし膝蹴りは多用していて、相手の蹴り足を破壊する膝ブロックやカウンターで合わせる膝蹴りを黒帯相手に決めていた。

パンチの練習法は肩甲骨から肩全体をグラインドさせて腕に伝える方法で、これも久木田さんから教わった。このように完全無欠に見える久木田さんだが、社会人であるが故に毎回欠かさず練習に参加するわけではなかった。そして、ある時期から姿を見せなくなった。あれほど大勢いた黒帯も大学卒業のたびに減少の一途を辿り、ついには俺より強い人が一人もいなくなった。

さて、そろそろ話を南さんに戻そう。練習後のピロティでの団欒は空手の技術論を語る上でも重要だった。ある日、「相手の首を抑えての膝蹴りは有効か?」という議論になった。俺は井上さんからの受け売りで「ガラ空きの急所にパンチされませんか?」と疑問を投げかけると、南さんは堰を切ったかのように「首を固定されたら防御に必死で腰の入ったパンチは打てない。そもそも、ルールがある中で戦ってこそ周囲から認知されるんじゃないの?そういう実戦だからなんでも有りという思想ならピストルも有りだから格闘技をやる必要ないじゃん」とまくし立てた。あまりにも正論でぐうの音も出なかったし、南さんの競技性に重きを置く矜持が垣間見られる思いだった。

その矜持を裏付けるように南さんはプロ志向で、ウェイトトレーニングの合間にプロテインを飲むような生活を続けバッキバキにバルクアップした肉体を維持していたし、芦原会館では御法度である試合への出場もお忍びで実現させているし、上京する直前には白蓮会館の大会で優勝して雑誌に掲載されたりもした。

プロボクサーを目指して上京した勝目さんの後を追うように南さんも上京して渋谷で最安値の部屋を間借りして、所属するキックボクシングのジムも決まり、ムエタイの本場であるバンコクのルンピニースタジアムでデビューする予定で、入ってくる情報は順風満帆なものばかりだった。

しかし、突然の怪我でデビュー戦は延期になり、デビューしたという報せがないまま時だけが過ぎて行った。ある日、珍しく南さんから電話がかかってきて、待ち合わせ場所の福岡空港に行ってみると、南さんは女連れで現れ、その女性を自慢したいがだけのために呼ばれたことがわかり憤慨して帰った記憶がある。それが現在までで最後の南さんとの対面になるとは夢にも思わなかった。その後の噂で「南さんが非常に時給が高い駐車場管理のアルバイトを始めた」と聞いて「それは果たしてまっとうな仕事だろうか?」という疑念を抱いた。その後の消息は不明で、勝目さんに聞いても「知らない」というばかりだった。

長渕剛の熱狂的なファンだった南さん、長渕剛は歌では放浪して無軌道に生きているが、実生活では志穂美悦子と結婚して社会のルールを逸脱することなく活躍している。格闘技に対する矜持を語った南さんがどのような人生を歩んだのか、怖いもの見たさで覗いてみたい気持ちがあるし、俺の近況を知らせたいと思っている。南さんがそれを知って嫉妬することは決してないと思うから言えることだが。



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