海外放浪記 9)
これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。
https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/8.html
9)米国、シカゴ。おそらく、1998年9月。イスラエルからパリ経由でシカゴに空路で向かった。今回の目的はアメリカ数学会の分科会に出席して発表することだ。その当時は何も考えずに行くことを決めたが、今振り返ると、そんな権威のある学会で何の実績もない俺が発表するなんてそうそう起こる機会ではなかった。その分科会の世話役が俺の兄弟子にあたる方で、おそらく俺の指導教官経由で繋がったのだろう。改めて、「人の縁って大事だなあ。俺の知らないところで七光の恩恵を受けていたんだなあ」と思う。分科会の会場はシカゴだが、俺はグレイハウンドバスに乗ってアイオワ州に向かった。なぜなら、その兄弟子であるSSY教授が自宅に招待してくれたからだ。バスは市街地を抜けて小麦とトウモロコシ畑から成る田園地帯に入った。「これが正にフィールドオブドリームスの世界か!」と感動していたが、その景色があまりにも長く続くものだから途中から見るのも嫌になった。夜中にバスの乗り換えを命じられた。俺は飛行機のトランジットと同様に荷台に置いたスーツケースは自動的に振り替えられると思っていた。しかし、現実はそうではなく、さらに悪いことに、パスポートはスーツケースの中に入れていた。朝にアイオワに到着してからその事実に気付き、迎えに来てくれたSSY教授に事情を話した。結局、スーツケースは戻って来たのだが、それは幸運だったとしか言いようがない。SSY教授の家は広く、リモコンでドアが開閉する車庫が付いていた。アイオワ州立大学の数学教員たちと乗り合わせて車でシカゴに向かった。それから3日間学会に参加して、その間、日本から来られたS教授が宿泊するホテルの一室に居候させてもらった。改めて、宿を無料で貧乏博士に提供してくれたSSY教授とS教授のご厚意に感謝申し上げたい。
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