海外放浪記 10)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/05/9.html

1999年3月にイスラエルから帰国した俺を待っていたのは無職の研究生という現実だった。それまでは日本学術振興会から月額三十万円の返済義務のない奨学金が支給されていた。4月からは無収入で、しかも学生ではないので学割は使えない。当面の生活費は貯金でなんとかなるが、半年後には無一文になる額しか残っていない。数学を続けるためには単発のアルバイトを週末だけやれば可能だ。しかし、「それは完全な片想いではないか。必要とされないのに数学の研究を続ける意味があるのか」という葛藤が常に立ちはだかる。結局、学術的な職は研究者であり続けるためのパスポートなのだ。それ故、博士は就職活動に血眼になるのだ。その当時、就職活動中の同門の先輩が4人いた。俺はある種の閉塞感を感じていたが、イスラエルで過ごした経験からある種の開き直りの境地に至っていた。その心境に符合するようにMMA先生とのセミナーが再開した。今、振り返ると、MMA先生が東北大学に栄転する前だったことは幸運だった。MMA先生には何のメリットもないのにセミナーの指導役を引き受けてくれたのはひとえにMMA先生のご厚意によるものだ。このセミナーのおかげで、数学という中心軸をブラすことなかったし、俺の研究の方向性を左右する重要な示唆を受けることができた。それからもお世話になり続けるのだが、それらへの感謝は直接お伝えしようと思う。

10)ドイツ、とある地方都市。1999年、5月。この辺りから記憶が曖昧になる。数名の著名数学者による集中講義を受講することが目的で、現地での宿泊費は支給されたと思う。しかし、都市名やどういう空路で行ったのかは覚えてない。覚えているのは、チャンピオンズリーグの決勝でマンチェスターユナイテッドが劇的な勝利を収めたことと最終日に最も流暢でない英語で話す講演者が最も大きな拍手で称賛されていたことだ。

コメント

  1. Netflixてベッカム見たけど面白かったよ。イメージよりベッカム夫妻は飛んでた

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