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6月, 2025の投稿を表示しています

リンパ腺マッサージ

 キムじユ、二十歳に改名 午後3時に物理療法士の方が来た。前回と同じ方だったので、妻に以下の投稿を翻訳してもらってその方の名前を聞くことができた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/06/blog-post_17.html   備忘のために書いておこう。その方の名前はKJY で、二十歳の時に改名した名前だそうだ。韓国では改名はよくあることではないが、特別に珍しいことでもない。生成AIによると年間14万人が改名しているらしい。ちなみに韓国では結婚しても姓は変わらないの。 脚の筋肉をほぐすマッサージから始まった。左脚のあちこちに痛みが走り、「やはり左脚は全力でアヒルを蹴る動作を遂行しているんだ」と思った。 前回のリクエスト通り両脇のリンパ腺マッサージが始まった。これが最高に気持ちよかった。凝り固まったリンパ腺が柔らかくなるような感覚だった。次回の訪問が待ち遠しい。 マッサージを受けている間、傍らには妻がいてKJY 先生のマッサージの方法を学んでいた。驚いたのが二人の会話だ。世間話から始まってプライベートの話までわずか50分の間に友人同士のような関係性を構築していた。これは共感力が高いと言われる女性同士だからか、あるいは、人間同士の距離が近いと言われる韓国人だからか、あるいは、明るくオープンマインドな二人の人格が共鳴し合った結果なのか、そのいずれにも該当しない俺には摩訶不思議な現象だった。 二人の会話が俺と妻の馴れ初めに推移し、俺にイエスかノーでは答えにくい問いが投げかけられた。俺は「待ってました」とばかりに準備しておいた機械音声で「便秘に良いマッサージを教えてください」と入力して話を逸らした。

海外放浪記 11)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/05/10.html   11)イスラエル、カエサリア。1999年7月。日本に住んでいたが、無職の研究生で金にも困っていた。それなのによく大枚を叩いて呼ばれもしない場所に行く決断をしたのか謎のままだ。合宿形式の集中講義を受講して、下宿していた家の大家さんに会いに行った。大家さんは「あなたが残した置手紙には心を動かされた」と言ってくれた。拙い英語でも思いを伝えることができることがわかり自信になったし嬉しかった。下宿にはイタリアからの留学生であるジャコモが滞在していた。ジャコモは英語もヘブライ語も堪能で社交的だった。大家さんともヘブライ語で会話していたし、料理などの家事も分担している様子だった。その日の夕食はジャコモがリーダーとなって3人で作ったニョッキだった。俺にとっては初めて住んだ外国で下宿先にはいろいろな思い入れがあるのに大家さんにとっての俺はゲストの一人にすぎないという当たり前すぎる現実を突きつけられて我に返った。 M教授夫妻と食事した翌日にイスラエルを発ってパリに向かった。二泊三日のトランジットを利用してパリ観光を楽しんだ。エッフェル塔、ルーブル美術館、ピカソ美術館を観覧した。円が強い時代だったので物価に臆することなく食べ歩きを楽しむことができた。ただのバケットサンドでも信じられない美味しさだった。夕暮れ時にオープンカフェでエスプレッソを注文して苦虫を噛み潰したような表情を作ってすすった。なぜなら周りのフランス人もそうしていたからだ。空港に向かう地下鉄でスーツケースを持った老夫婦に立っていた。ある駅で停車している時に事件は起こった。老夫婦のスーツケースが何者かによって車両外に持ち出された。自動扉が閉まる直前の出来事だったので老夫婦はなす術がなく途方に暮れるだけだった。「酷いことをするなあ」と憤ったが、老夫婦に対してできることは何もなく空回りした正義感が未だに記憶させている。 帰りの経由地の香港でも一泊二日のトランジットを設定していた。ここで人生初のキャンプ以外の野宿を体験することになる。その詳細は以下のリンクに記されている。 https://hirasakajuku.blogspot.com...

泳げる、それが何?

 ウチの子供たちが通った小学校にはプールがないし、水泳の授業もない。中学校、高校も同様だ。スイミングスクールに通わせることもなかった。そのせいでウチの子供たちは25メートルさえ泳げない。それでもウォーターワールドという大規模プールに行ったり、海水浴にも行く。ただし、足がつかない場所には行かないし、救命胴衣着用が基本だ。妻も泳げないからこそ子供たちの安全対策を徹底していた。 俺は小学校と中学校で水泳の授業を受けたおかげで足がつかない場所でも平泳ぎで浮くことができたし、クロールなら50メートルは泳げた。だからこそ救命胴衣を着用するなんて発想すらなかった。海では遊泳可能区域を示すブイまで泳いだし、監視員がいない入り江でも平気で泳いでいた。川遊びは実家の近くの郡川を皮切りに水量が桁違いの球磨川まで今振り返ると「よく無事だったなあ」と思うほど命知らずな遊び方をしていた。 日韓両国の水泳文化を直接的または間接的に体験して思うことは「水難事故を防ぐために必要だと信じていた日本の水泳教育は水に対する過信を生んでいるのではないか?」という疑念だ。川下りの船を操る船頭だけが死亡して、救命胴衣を着用していた乗客は無事だった事件はその疑念を裏付ける事件の一つだろう。 水泳が出来るが故に海や川で水遊びしたいという欲求には抗い難いものがあるのだろう。猛暑日が続く昨今では尚更だ。水難事故のニュースを見るたびに、幼い命を奪われた親の無念さを想像するとやりきれない気持ちになる。

韓国の入試制度

 6月21日に韓国の釜山で痛ましい事件が起きた。3名の女子高校生が飛び降り自殺した。見つかった遺書には学業のストレスと進路への不安が綴られていた。高三の娘を持つ親としては他人事とは思えない事件だ。実際、長女が泣きながら高校の課題の多さを妻に訴えたことがあった。そのときは妻が「そんな事を気にするのはおかしい」みたいなことを言って長女の怒りの炎に油を注いでいた。長女の訴えは韓国の受験制度を知らないと理解できないと思うので、以下で簡単に説明しておく。 日本のテレビでもよく出てくるのが韓国の修学能力試験 (スヌンと呼ばれる) 当日の光景だ。それは日本の共通テストに該当する一発勝負の試験で、その成否で合格可能な大学と学科が決まると思われがちだが、話はそう単純ではない。韓国には正規入試、随時入試、論述の3つの選考がある。正規入試は高校の内申書とは無関係の選考で、スヌンのみの成績で合否が決定される。随時入試は高校の内申書と成績に依存するが、大学ごとにスヌンの最低基準点が設定されている。論述は大学ごとに出題する記述型の試験を課して内申書との総合点で合否が決まる。3つの選考の定員は大学ごとに異なるが、人気が高い大学ほど正規入試の割合が増える傾向がある。日本の入試制度と大きく異なるのが推薦入試とも言える随時入試の割合の高さで、全大学の平均が約75%らしい。この制度は「高校での成績が重要」「高校の授業を疎かにできない」「高校教師の権威と権力の増大」を意味しており、このことは講受験科目に偏りがちな高校教育を是正する効果がある一方で、スヌンの勉強に集中したい生徒には不必要な負担を強いることを意味する。 長女は高二の秋に正規入試一本で受験に臨むことを宣言した。長女の訴えの詳細は「スヌンまで半年を切っている時期にグループ評価という一人がサボったら友達に迷惑がかかるような評価方法はおかしい。他の高校ではもっとテキトーにやってるのに」というものだ。 飛び降り自殺のニュースの後、妻は「私らの時代とは完全に違う。ストレスを受けている生徒たちが可哀想」と長女が置かれている状況に対する不満に理解を示した。 「お前の考えはどうなんだ?」という声が聞こえて来ないだろうが、もし来たら「俺はいつだって長女の味方だ」と答えることにしている。

萎縮する排泄

今日は便秘の4日目である。筋萎縮は排泄を司る筋肉にも襲いかかる。この事実は全てのALS患者が避けては通れない問題だ。下の世話を誰かに委ねるというのは、人間の尊厳に関わる、状況によっては「人工呼吸器による延命を拒否する」ほど深刻な問題なのだ。俺は気管切開して延命する道を選択した。それは排泄の問題にも正面から向き合うということだ。そのことを宣言するつもりで書いたのが以下の心野動記からのシングルカットである。  「 おかしい、ここ4日間、何の音沙汰もないぞ」 これは便秘の話である。しかし、今回は気持ちに余裕があった。前回で猛威をふるった下剤も残っているし、最悪の場合はそれを使用して、楽になればいいという読みがあったからである。後遺症の下痢を心配した妻は乳酸菌やすりリンゴを食べさせて最終兵器の使用に抗った。しかし、苦労して車椅子から便器までの移乗を繰り返しても空振りばかりの俺の状況に根負けし、おむつを着用した上での下剤の使用に踏み切った。 「これで心のモヤモヤから解放される」という淡い期待を抱き、下剤が直腸に到達する瞬間を寝床で横になって待った。これは5日目の夕方の話である。おならも出るし、腸が動いているのを感じるし、希望を膨らませ、期待値が最大になった時、妻を呼び、便器に直行した。 「おかしい。出るのはおならばかりで、必要なモーメントが一向に訪れない」 「そうか、以前、泉さんが『下剤は効く時間が読めない』と言っていたぞ」 「少し待てば、来るべき世界がやって来るさ。止まない雨はないさ」と心に言い聞かせ、トイレを後にした。しかし、心の動揺は隠せない。急に食欲がなくなり、便秘のことで頭がいっぱいになり、憂鬱になった。 その晩、下剤を服用し何もないまま朝を迎え、更に下剤を服用するも、まるで気配を感じないし、空振り三振の山を築くだけであった。これは6日目の昼の話である。 「どうするんだ。もうすぐで一週間だぞ。この焦燥感は一体何なんだ」 「治療してくれる病院はあるのか?」 「薬が効かないってことがあるのか?」 「たかがうんこでここまで悩むことになるとは!」 「死んだ方がましだ」のように心を病みながら時だけが過ぎていった。 事態を重く見た妻は俺を病院に連れて行くことを決断する。 助手席に乗せられた俺はさめざめと泣いた。 「自分が情けない」 「俺のために妻は身動きが取れず、休まる...

NBAファイナルゲーム7

 NBAファイナルゲーム7の生中継を視聴した。ちなみにNBAとはNational Basketball Association の略語で、そのファイナルとはレギュラーシーズンの成績で選抜された16チームが争う1ヶ月半に渡るトーナメントの決勝戦のことで、4戦先勝が優勝の条件なので、このゲームの勝敗で優勝が決まる大一番である。 下馬評は圧倒的な勝率でレギュラーシーズンを終えたオクラホマシティサンダーの圧勝で、対戦相手のインディアナペイサーズはエースのハリバートンの勝負所での活躍でゲーム7まで漕ぎ着けるも右足に負傷を抱えていることと会場がサンダーのホームということからペイサーズの不利が囁かれている。 試合は第1クォーターから厳しい守備合戦で、ハリバートンの3本のスリーポイントシュートでサンダーの守備に脅威を与えた。サンダーのエースのシェイギルガスアレクサンダー( SGA と呼ばれている) はレギュラーシーズンのMVPらしい活躍で名勝負を予感させる展開だった。 第2クォーターが始まってすぐの出来事だった。ハリバートンにボールが渡る瞬間に脚を組み換えようとした。その着地の衝撃に右足が耐えきれず前のめりに倒れこんだ。その直後にハリバートンが手のひらで床を叩き事態の深刻さを伺わせた。彼は両脇を支えられて退場してコートに戻ってくることはなかった。 長距離砲を失ったペイサーズが瓦解するのは時間の問題と思われた。しかし、突き放そうとするサンダーのスリーポイントシュートはことごとく外れ、逆にペイサーズのそれは高確率で入った。スコアは拮抗していて「このまま終盤まで接戦が続いたらゲーム1の再現もあるかも」というホームアリーナを埋め尽くすサンダーのファンに不穏な空気が漂った。頼みのSGAのシュートも入らない。一方のペイサーズはハリバートンの代役で入ったマコーネルの奮闘とシアカムのマルチな活躍とターナーのスリーポイントシュートで前半を一点リードで終える。 第3クォーター中盤まで接戦が続いた。拮抗を破ったのはサンダーのジェイレンウィリアムスのラインから遠く離れたスリーポイントシュートだった。空気を読まない彼の積極性はチームに忘れていた推進力をもたらした。得意の「相手のボール保持者をサイドに追い込んで苦しまぎれに出した縦パスをスティールする」というチーム戦術が決まり始め、SGAのプレイもキレ...

やる気がない妻

 昨日の夕方は俺と妻だけが家にいた。「あなたはなんでも美味しそうに食べてくれたから料理にも気合いが入ったけど、今はやる気がない」と妻が言った。三男は好き嫌いが激しく外遊びの時は買い食いするので夕食が進まない。長女は高校で昼夕の給食を食べてから自習して22時に帰宅する。次男は遅く帰る時は外食と相場が決まっている。長男は体重増加が気になるようでダイエットと称して夕食をスキップすることが多い。俺は胃瘻から栄養を流し込むだけで味わうことは皆無だ。 「もったいないな」と思う。餓狼宴で記した通り妻は「韓国料理の真髄は家庭料理にあり」と思わせるほどの薄味で健康的で美味しい料理を日常的に作れる。であるのに妻の料理に対する子供たちの評価は極めて低い。 妻が野菜中心のメニューを出す、外食に慣れて肉が好きな子供たちは食べない、妻のやる気が低下、子供たちの外食依存度が高くなる、妻が健康に考慮して野菜中心のメニューになる、という悪循環の結果だと分析している。補足すると、韓国の学校給食は日本とは比較にならないほど量が多く肉類も充実しているらしい。俺は大学の学食しか知らないが、それは確かに当たっていると思う。すなわち、子供たちは給食や外食で味の濃い肉類のメニューに満足しているので、妻の薄味メニューとは相性が悪いのだ。 繰り返しになるが「本当にもったいない。宝の持ち腐れだ」と思う。金曜日の夜は「早く寝ろ」と急かされない特別な雰囲気がある。23時に家族全員が揃って、隣の部屋でわいわいガヤガヤと楽しそうに話す声が聞こえる。俺は一人でテレビを見ている。こういう時ばかりは「健康だったら、妻の料理をたらふく食べて満たされた胃袋と心で週末の夜を家族と共に楽しんでいたんだろうな」と思う。ないものねだりは精神衛生上よくないので、来週は家族全員で見ることを提案してみようかな。

「不適切にもほどがある」を視聴した

 Netflix でドラマ「不適切にもほどがある」を視聴した。以下はその感想である。 タイムスリップで1986年と2024年を行き来する話で、パワハラ昭和とコンプラ令和の衝突が物語の主題の一つとなっている。昭和をリアルタイムで体験している世代には「あの頃は至る所に灰皿があってどこでも喫煙してたよな」などの昭和あるあるのエピソードがてんこ盛りでそれだけでも見る価値があると思う。実際、俺は1986年には中三だったので、「ミスしたら連帯責任で全員ケツバット」「中森明菜、近藤真彦、小泉今日子のアイドル文化」「不良っぽい格好がモテる」「タイマン張ったらダチ」という話の一つ一つが琴線に触れた。 脚本は宮藤官九郎、自分の言いたいことをしっかりと主張し、視聴率という数字を残し、出演した俳優の輝かせる、やっぱりこの人は天才だと思った。 「毎度お騒がせします」風味のツっぱり明菜という役柄の純子を演じたのは河合優美、昭和にかすりもしない世代なのにあの再現度の高さには恐れ入った。純子の年齢はそのまんまで、他の登場人物との兼ね合いで、娘、妻、母の面をさりげなく出すという要求に見事に応えていた。 阿部サダヲは最高に面白い。この人が主役でよかった。 仲里依紗の魅力が全開だった。「おむすび」では似合わない若作りの服とギャルの扮装で「かわいそう」と思っていたが、このドラマでは輝いていた。やっぱり脚本って大事だなと思った。 全十話を見終わってから二周目である。面白いドラマは二回目でも伏線の張り方や名場面が予めわかるから楽しめる。

仁義なき国際社会

 トランプ大統領がG7の会議の途中で米国に帰国した。ニュースを見る限りでは「そういうこともあるさ」という感じでスルーしていたが、議長国カナダのカーニー首相は心中穏やかではないと想像する。俺なら「いくら中東情勢が緊迫していると言っても、本国に帰ったらどうにかなる問題ではないだろう。米国がいない中でG7の共同声明とかを掲げても意味がないだろう。結局、アイツは途中退席することで米国はG6より強固であることを誇示したかっただけなのだ」と思っていただろう。 イスラエルとイランの戦争は収まる気配がない。ハマスに先制攻撃されたときにはあれほど怒り狂っていたのに自国が先制攻撃するのは問題ないらしい。その後見国は「全面降伏するしかない」と言っているし、G7の共同声明でも片方を非難する文言は出なかった。イランほどの中東の大国の最高指導者でも生存権を脅かされるなんて。 まだ核関連施設への空爆は続いている。濃縮されたウランが爆撃されたらどうなるか? 復讐に燃えるイランが他の核保有国から核兵器を譲り受けることはないのか? 時代が進めば核兵器が簡単に製造できるようになるのでは?などの心配事は尽きない。 国際社会とは法律のない弱肉強食の原始社会であることを再認識した出来事だった。

消化不良、再び

 一昨日の夜は連続4時間眠れた。俺にとってはよく眠れた方だ。目覚めた時に爽快感があり、睡眠の素晴らしさを実感した。その反動で昨晩は午前6時まで眠れなかった。目覚めたのは7時半で、気だるさを感じた。 昨晩は消化不良で胃に違和感があった。一眠りすれば解消すると思っていたが、11時から12時半までじっとしていても苦しさは増すばかりだった。そのとき妻はゴミ出しの準備をしていた。俺は妻に「座る」と告げ、消化不良であることを間接的に伝えた。座るとアヒルが押せなくなる。座った姿勢のまま妻が寝入ってしまうと妻が目覚めるまで身動きが取れなくなる。そう思って、妻が就寝する午前1時に「寝る」と告げた。 それから午前6時まで我慢できるほどの胃の違和感に耐えながら夜を明かした。目を閉じても頭の中は覚醒していた。いつまで待っても眠気が来ない。結構辛い作業だ。 今夜も消化不良に襲われたらと思うと恐怖で夜も眠れない。

療法士たちの訪問

 昨日、保健所から物理療法士と歯科療法士の二人が来た。どういう経緯で来るようになったのかはよくわからない。後で妻に聞いてみようと思う。自己紹介もしてもらったが、一日経ったら名前が思い出せなくなった。今度来てくれた時に聞いてみようと思う。 歯磨き指導はすぐ終わった。歯の外側をブラシでなぞるだけだった。口を大きく開けることができないので、普段は歯の内側を磨けないでいる。今度は専門家の知恵を総動員して歯の内側を磨く方法を教えてもらいたい。 手足のストレッチは講義時間が長く、実際のストレッチする時間は短かった。左手の浮腫みを解消するために左脇のリンパ腺をほぐしてもらったが、これが実に気持ちよかった。今度はリンパ腺マッサージの時間を長くしてほしい。 二人とも明るい性格で、話を聞いているだけで元気が出るような方々だった。彼女らと接して大村でお世話になった医療介護従事者の方々を思い出した。皆さん、元気だろうか? もしこの文章を読んでいたらコメント欄に書き込んで下さい。

何のために学ぶのか?

 宇宙のどこかには光さえ到達できない闇、時間が経っても何の変化もない場所があるかもしれない。あるいは地中の深い場所はそれと似た状況だろう。そういう場所にふさわしい数学は無しか出てこない、無以外のものは産み出さない数学に相違ない。何もないことを象徴する数字として0が挙げられる。0を何回掛けても何回足しても0だ。その状況こそが何の変化もない世界を近似している。 人類は、いや、もっと対象を拡大して、生物は、養分があるかないかを認識できる。ミジンコや大腸菌のような微小な生物が果たして認識という知性を持つか否かは議論が分かれるところだが、少なくとも養分の有無に応じて行動を変えることはできる。ということは、無以外のものが生じた、それを存在と呼ぼう、無とは異なるものとして認識することだ。 我々は地球に住んでいる。日が昇り、日が沈み、一日として同じ日が繰り返すことがない世界だ。そんな世界にふさわしい数学はやはり自然数を含む必要がある。太陽光は我々に無限に伸びる直線の存在を示唆し、広がる平野や床などの人工物は平面の存在を示唆する。これらは目視できない。にも関わらず、脳内では「当然、存在すべきもの」として扱われている。 数学を学ぶ意義の一つとは我々が住んでいる自然を学ぶことだ。しかし、数学は一般化を繰り返し、時としてあらぬ方向に突き進むことがある。線形代数におけるn次元ベクトル空間がその好例だ。nが1,2,3のときは何が行われているかの幾何的イメージが得られるが、4以上になるとお手上げだ。一見、自然から離れて数学独自の進化を遂げているように見えるが、さにあらず、実は「自然とは何か」を問い掛ける極めて自然な一般化なのだ。 もうひとつの数学の特性は「数学は信用できる」という学問全分野の共通認識だ。ある意味で奴隷のように使われているのが数学の立場だが、見方によってはコンピュータのOSのように全分野を統合する唯一の存在なのだ。 だからこそ、数学科に入って来た皆さんは数学の信用を損なうことなく数学の使用を促す立場なのです。そのことを心に留めて数学を学んで下さい。 釜山大学数学科で講義を思い出しながら、数学を学ぶ意義について考えてみた。

唖然、心痛

 イスラエルがイランに空爆を行い、イランの司令官を殺害して、核関連施設に被害を与えた。死傷者の数は200人を越えると報道されている。イランは無人機で反撃を試みるも、優れた防空システムを備えるイスラエルの被害は軽微であることが予想される。 この件に関しては情報を集めているが、どれも突発的なイスラエルの行動に戸惑うものばかりで、俺自身も唖然としている状態だ。ただ、心を痛めている。 空爆に対して無力であることが明らかになったイラン、国際社会にイスラエルの非道さを訴えることもしたくないだろうし、陸海空いずれも有効な反撃はできないし、打つ手がない。おそらく、それを見越しての空爆だったのだろう。 ウクライナを侵攻したロシアが国連で非難されて、イスラエルが何の咎めも受けなければ、ダブルスタンダードのそしりを免れることはできないだろうし、無秩序な国際社会が今後も続くのだろう。

不法移民の数

 米国に滞在する不法移民の数を生成AIに聞いてみた。俺は百万人くらいかなと思ったが、答えを見て驚いた。なんと、一桁違いの千百万人がその答えだった。米国の人口は約3憶5千万人だそうだ。その中に不法移民は含まれないと思っていたが、生成AIによると、米国の国勢調査は住居実態に応じて実施されるので含まれるそうだ。ということは約3%が不法移民だ。 不法という言葉からならず者という印象を抱きがちだが、実際はどうなんだろう?トランプ大統領が主張するように麻薬や強盗殺人などの温床になっているのだろうか?そういう側面もあるのだろうが、不法移民の全員が犯罪歴があるというわけではなく、むしろ大半は米国の低賃金労働を下支えする存在ではなかろうか? 一部を全体に拡大して訴える方法は人類の歴史の中で、特に戦争や人種差別において繰り返されてきた。人々は無意識のうちにその影響を受け、後の時代の常識や道徳に反する行為をしてしまう。 皆が数学を学んで「well-defined」の概念を習得することが解決の第一歩だと思う。

イランからの留学生

 「俺はパワハラしてない」と自信を持って宣言できるだろうか? 眠れない夜に上記の主題を考えてみた。俺は釜山大学数学科の教授だった。指導学生にとってはまさしく権力者で、こちらが冗談で言ったことでも学生は深刻に捉えていたかもしれない。いや、かもしれないではなく、そういう事例があった。 イランからの留学生だったR君に学部4年で習うガロア理論の演習問題を解かせた。ちなみにR君は博士過程の学生だ。俺は発破をかける意図で「これを解けないようなら学位も無理だ」と言ったら、R君はしばらく考え込んだ後「学位は要らない」と捨て台詞を残して立ち去ってしまった。後日、「自ら放棄するようなことを口にするべきではない」と説教して丸く収めたが、俺も「学位の授与に関することを軽口にするのは慎もう」と反省した。 時は過ぎ、R君はイランの母校大学の専任教授となり活躍中だ。 2年前に「妻が妊娠した」という連絡が来たが、赤ん坊が産まれたという連絡は来ていない。無事に産まれていればいいのだが、そうでないときのことが心配になり、こちらから連絡するタイミングを逸してしまった。 R君、この記事を読んでいるのなら、近況報告を兼ねたメールを送ってくれ。

日本対インドネシアの感想

 ワールドカップ最終予選の日本対インドネシアの動画を見終わった。以下はその感想だ。 インドネシアの中盤の守備がスカスカだった。しかし、中央に人数をかけるとサイドが手薄になる。そこでドリブル突破できる人材が豊富にいるのが日本の強みだ。2014年にザッケローニが率いた日本代表でさえそういうサイドアタッカーは皆無だったことを鑑みると隔世の感がある。今回の試合で左サイドに起用された三戸は見事なクロスで鎌田の先制点をアシストしたし、右サイドで起用された森下はゴールという結果を残した。後半に三戸との交代で出場した俵積田もイキが良く将来性を感じさせた。 先日対戦した豪州と比べると力が劣るとは言え、33年前のアジアカップなら優勝するレベルのインドネシアに6対0で勝つのはたいしたものだと思う。しかも、相手からのシュート数は0だった。鎌田と久保のゴール前での冷静さはさすがだ。町野の森下へのアシストにブンデスリーガ12ゴールの余裕と優しさを感じた。 来年の強化試合は未定だそうだ。可能であれば、ロドリ、ペドリ、ニコウィリアムス、ヤマルのいるスペイン代表と対戦して「世界一になるとはどういうことか」を体感してほしい。

武藤氏も読んでるのだろうか?

 若くしてALSを発症した武藤氏と結婚した女性の記事を読んだ。 https://news.yahoo.co.jp/articles/1455e8de2b757f2cc91a883cf7bbd0b8aceeec8b ALS界隈で武藤氏は超有名人だ。俺が発症したときからメディアで取り上げられ、ALS患者を代表して発信する存在だった。同じALS患者でも症状、状況、心境は千差万別だと改めて思う。この女性は妊活を経て女児を出産する。そのことに関してヤフーのコメントが寄せられた。その中でいくつか気になるコメントがあったので、それらを引用して、言及してみた。 1) 今回の話は素晴らしいが、安楽死や尊厳死は認めるべきだと思う。 ある程度の年齢になれば、自分の行く末が見えてくるものだし、逆転の見込みが無いことも自然と悟る様になる。 生きるも死ぬのも個人の選択だし、詰んでる方に無理に生きろというのもそれはそれで、辛いだけ。 私は、認知症や加齢による衰えのために、家族や周りに迷惑や負担を掛けるぐらいなら、自分の命は自分自身でコントロールしたい。 上手くいっていない時の励ましの言葉など、皮肉にしか聞こえないし、安易な「生きろ!!」という言葉など無責任でしかないと思う。 俺も尊厳死という制度があったらいいなと思った時期もあったが、今は死にたいとは微塵も思わない。健常者の目にはALS患者でいる状態を地獄の苦しみが続くように見えるかも知れないが、実際はそうではない。動けなくても、それなりに楽しいことはあるものだ。 2) 悪いけど、この男性からのプロポーズって無責任さを感じた。 苦労するのは女性なのにこれからも一緒に頑張ろうってアナタが最初に言う言葉かなと思った。 2人が納得しているならいいけど これが一般の感覚なんだと思うと、揺るぎないと思っていたものが揺らぐのを感じた。 3) 割合は少ないにしても遺伝性ALSがあります。ご両親はお子さんが生まれて幸せかもしれないですが、あくまでも私の個人的な意見ですが、この子が発症したらどうしようと言う恐怖を感じながらの育児は精神的に厳しいと思ってしまいます。 この意見には反発を覚える。突き詰めれば「障害者は子孫を残すな」という優生思想に繋がるからだ。

少子化対策ドラマ

 日本の昨年度出生数が70万人を下回るそうだ。これは団塊の世代の四分の一にあたる数字だ。異次元の少子化対策と銘打って何兆円もの予算を計上して、この結果だ。子育てに関する諸費用を支援するのは大事なことだが、「それがあるから子作りしよう」とか「支援が足りないから子作りしない」という思考になるとは到底思えない。 出生数を増加させるために重要なのは世の中の雰囲気だと思う。SDGsやLGBTQなどのは10年前まで馴染みが薄い言葉だったが、メディアがキャンペーンを張った結果、これらは定着した。同様に「産めよ育てよ」キャンペーンを官製であることを伏せて各メディアが展開すれば、ある程度の効果は期待できるだろう、知らんけど (責任を取りたくないときに使う便利な言葉)。 その第一弾として以下のように設定されたドラマを制作したい。 1)九州男と東北女のカップルが主人公で、男は医薬品メーカーの営業で、女は有能な銀行員、二人は入社二年目に結婚して、夫婦の営みを毎日欠かさないことを誓う。 2)2年ごとに子供が生まれる。最初は余裕のあるシティライフを送っていた二人だが、子供が生まれるたびに住居費と食費がかさみ、節約生活を強いられる。 3)物語は実家のサポートなしの共働き夫婦の子育てを舳に進行する。子供が熱を出して欠勤したら「これだから子持ち様は」という会社の同僚の陰口が耳に入ったり、子供が電車で騒ぎ出して白い目で見られたり、行楽地に行って気分が大きくなってファミレスで食事したら1万円が飛んでいった、などの子育てアルアルをふんだんに盛り込み視聴者の共感を誘う。 4)都市部での子育ての現実を描きつつ、子供に囲まれて幸せに過ごす場面をエンディングに流し、潜在意識に吸い込む。 実際にドラマを制作するとなったら、綿密な取材、立案、プレゼン、制作費の確保、脚本家と演出家の選定、キャストのオーディション、撮影、宣伝、などの業務が山積みだ。ここはWさんにお任せかな。 追伸)昨日は体調が悪かった。酸素飽和度が90で、カフアシストと吸引を何度やっても回復せず2時間が経過した。結局、喉の奥にこびりついた痰が除去され事なきを得たが、苦しみの後遺症は長く尾を引いた。

日本対豪州の感想

 ワールドカップ最終予選の日本対豪州フルマッチの動画を見終わった。以下はその感想だ。 日本にとっては消化試合、豪州にとっては勝てば予選突破がほぼ確実になる重要な試合だ。日本は若手主体のCチーム、大観衆の後押しを受けて猛犬のように襲いかかる豪州を想像していたが、さにあらず。守備ラインとGKで悠然とパスを回す日本に豪州はプレッシャーをかけることもなく、陣形が間延びしないように自陣に引きこもっていたし、試合を通してその戦術は続いた。ケーヒル、ビドウガ、キューウェルという名前を聞いただけでビビっていた時代の豪州を知っている者として今回の豪州の凋落は寂しい限りだ。 消化試合とは言っても、出場している若手選手には来年開催のワールドカップのメンバーに食い込むための重要なアピールの場だ。そのような視点で観戦していたが、残念ながら目を引いたのは藤田、中村、久保のような代表定着している選手ばかりだった。あえて名前を挙げるなら、鈴木だが、前半にドリブルで見せ場を作るも激戦区のトップ下あるいはウイングに割って入るほどの出来ではなかった。 最終盤に豪州にワンチャンスを決められ日本の敗戦となった。スタッツを見ても試合内容を見ても、なぜ負けたのかが不思議に思える試合だった。 追伸)世界一の権力者と世界一の富豪がいがみ合っている。野次馬としては面白いが、西側経済に悪影響が出るのではなかろうかと本気で心配している。

新幹線が爆破?

 Netflix 配信の映画「新幹線大爆破」を視聴した。以下でネタバレ有りの感想を述べる。 青森発東京行きの新幹線の車輪側に爆弾が仕掛けられ、時速100km以下になったら爆発するというハリウッド映画の名作「スピード」を彷彿させる設定だった。「スピード」ではバスを飛行場に誘導して並走する車両に乗客を移動させたが、新幹線でもそれが可能なのかと思いながら見ていた。 田園風景を駆け抜ける新幹線は実に絵になる。沿線各地を紹介する紀行映画としての需要に応える映像美だった。 飽きさせない演出と脚本で、上映時間の2時間20分が短く感じた。 乗客の救出方法について推理を巡らせていたが、本作で示された方法は正直想定外で意外性があった。 追伸)長嶋茂雄が引退したのは1974年。あと5年早く生まれていたら、希代のスーパースターに対する思いも深まっただろうにと思う。 追追伸)NBAファイナル第一戦はとんでもない結末で終わった。こういう試合を生中継で視聴できたのは本当に幸せなことだ。

白鵬は後を濁さず

 元白鵬の宮城野親方が日本相撲協会に退職願いを提出して受理された。朝青龍、貴乃花に続いて、他を圧倒する実績を残した横綱が日本相撲協会を不本意な形で去ることになった。宮城野親方は大金を投じて相撲部屋のインフラを整え、慕って入門してくる弟子も多く、白鵬杯という相撲大会を主催するなどの相撲界に多大な貢献をして、辛口解説で知られる北の富士が褒めるほどのナイスガイで、解説も理論的で、相撲協会に残ってほしい得難い人材だったのに返す返すも残念でならない。 事の発端は北青鵬の新弟子いじめで、本人は引退を余儀なくされ、宮城野親方も監督責任を問われ、宮城野部屋で指導する権利を剥奪され、宮城野部屋の力士は伊勢ケ浜部屋に一時的に編入されるという処分が下された。それは一年前の出来事で、一年経っても宮城野部屋への処分が覆ることはなかった。 この相撲協会の態度の背後に「理事長の顔色を伺わない者は排除も止むなし」みたいな雰囲気を感じる。一年放置するとかありえないだろう。宮城野親方と相撲協会との間に修復し難い溝があると邪推されても仕方ない状況だ。 そもそも、相撲部屋の親方は苦労の割りには実入りが少ない、所謂、やり甲斐搾取される職業なのだ。宮城野親方のように現役時代に華々しい活躍した方にとっては尚更で、朝青龍のように実業家になって祖国の発展のために尽力したり、貴乃花のようにタレント活動で高収入を得るのを見たら、相撲部屋の親方の仕事がばかばかしいと感じるのは無理からぬことだと思う。

保守派の自滅

 韓国の大統領選挙は革新派のイジェミン氏の勝利に終わった。妻に韓国の政治にもっと関心を持てと言われたので、その結果を自分なりに分析してみた。的外れなことを書くかも知れない。そのときはろくに知りもしない外国人の戯言と思い、ご容赦願いたい。もしくはコメント欄に書き込んで批判していただければ幸いに思う。 結論から言うと、保守派の自滅だ。そもそも、不正選挙や野党の横暴を告発したいなら非常戒厳以外の方法があったはずだ。様々な公職の人事権を握っている大統領はそれだけでも絶大な権力者なのだ。たとえ少数与党でレイムダック化したとしても任期を全うすべきだった。 ユン前大統領の支持率は非常戒厳後急落するも徐々に回復している。これはユン前大統領の狙い通りに事が進んでいることの現れだろう。しかし、それは弾劾が可決された後だった。しかも、与党は一枚岩になれず三分の二以上の賛成を許してしまった。 非常戒厳にアレルギーを持つ中道層は多数いる。保守派が主張する不正選挙疑惑についても同様だ。不動産価格の高騰などの現状に不満を持つ若者も多数いる。そういった層を取り込む努力を片方はして、もう片方はしなかった。 野党のイ候補は大統領選挙を睨んで知名度を上げてきた。その一方で保守派は候補者の一本化にも失敗し、与党の候補者選びでもゴタゴタがあった。 捻れ国会が解消し、行政権を失った保守派の受難は今後も続く。

大統領選挙に行ってきた!!

 今日は韓国の大統領選挙の投票日だ。火曜日で何の祝日でもないが、公休日である。俺は外国人なので投票権はない。妻、長男、次男が入れ替わりで投票所に行くのを寝て待てばいいと思っていたが、妻が「天気が良いから外出しよう」と言い出し、俺がこうやってパソコンで文字を打っている間に妻は着々と外出の準備を始めた。 時刻は15時、投票を終えた長男と次男の力を借りて寝台から車椅子への移乗を果たした。しかし、それからが長かった。準備が整って出発という時に痰が詰まって、吸引とカフアシストを繰り返しツバでびちゃびちゃになったマスクを付け替えた。三男は遊びに行って家にはいない。残り三人は明日試験で忙しいと言ってお供について行かないと言う。妻の頼みにも互いに牽制し合って誰も応じない。痺れを切らした俺は文字盤で「みんなで行こう」と伝えた。すると、長男が着替え始め、妻の「すぐ帰って来るから一緒に行こう」という鶴の一声で、五人揃って外出することになった。 何度も車椅子からずり落ちてそのたびに三人で持ち上げられた。俺以外の四人が楽しそうに話しているのを聞いているだけで幸せな気持ちになった。歩いて5分の位置にある区庁が投票所だ。投票所の前には10人ほどの列ができていた。保守と進歩の分裂が危惧される熾烈な選挙と聞いていたが、投票所の雰囲気は和やかに見えた。ひなたぼっこして、スマホで写真撮影して帰宅することになった。 家に帰ってからルームツアーが始まった。長女の部屋は模様替えされていて、長男と次男の部屋にはデスクトップのパソコンが設置されていた。長男がピアノを弾く姿を久しぶりに見た。拍手ができないのが残念だった。夕食は妻の大盤振る舞いでピザを注文することになった。現在、食卓での笑い声を聞きながらこの文を書いている。

MISIAの里帰り

 MISIAが4歳まで大村に住んでいたらしい。しかし、大村でコンサートを開催したという話も聞かないし、この衝撃の事実を知っている大村市民は少ない、少なくとも俺は知らなかったし、俺の弟もそうだ。あんなに偉大な歌手と同郷である事実を知らなかったことへの罪滅ぼしも兼ねて、彼女に里帰り凱旋コンサートを開催してもらうまでのロードマップを提示したい。 1)Yoshiki の出身地である館山では夕方の時報で「Forever Love」が流されている。それに倣ってMISIAの「Everything」を流すのはどうだろうか? 2)大村市長とMISIAの対談を企画する。その対談は大村弁でやって、お馴染みの「とっとっと」「すーすーす」「なかなかなか」の方言ネタで彼女の笑顔が見られたら大成功だろう。対談は大村ローカルのケーブルテレビで繰り返し放送する。 3)MISIAが産まれた病院、遊んだ公園、育った家を紹介するパネルを作って、大村の公共施設に設置する。 5)シーハット大村のメインアリーナでMISIAにコンサートを開催してもらう。それが一年後であれば、市政便りでカウントダウンして告知する。単なる音楽イベントではなく、大村市民がMISIAを歓迎する雰囲気を醸成したい。 後日談)弟は知っていたそうだ。

教育実習生だった!!

今から32年前、俺が大学4年生の時、母校である大村高校に教育実習生としてお世話になった。九州大学には教育学部がない。しかし、教職に必要ないくつかの単位を取得して教育実習に行けば教員免許が取得できる。実は、大学院に進学して研究者になりたいと決心していたのにも関わらず二股をかけていた。結果的にせっかく取得した教員免許は一度も使うことなくなりそうだ。指導していただいた谷川先生、受け入れていただいた大村高校の皆様、朝電話で起こしてくれた数学科の同級生に多少の後ろめたさを感じつつも教育実習での思い出を振り返ってみる。 俺が高校生だった頃、数学の授業は龍尾先生が担当していた。その頃から谷川先生はいらしたが、一度も授業を受けたことがなく人柄も性格も未知だった。教育実習期間前の打ち合わせで、谷川先生が担任の一年生のクラスで授業してもらうと告げられた。そのときに渡されたのが約40名分の名前入りの顔写真で「完璧に覚えてくるように」と指導された。昔から暗記が苦手な俺だったが、谷川先生の「教育実習生たる者、全力で生徒に接するべし。名前を覚えてくれてると生徒が認識すれば悪い気はしないはず」という無言の圧を感じ、実行することにした。 教育実習の期間は二週間、大村高校では高総体を挟んだ期間に実施されるのが慣例だった。おそらく、部活に集中して勉強が疎かになりがちな時期にぶつけることで教育実習生による未熟な授業で生じる教育被害を最小限にしようという意図が作用しているからだろう。 初日、約10名の教育実習生と対面した。彼らの大半は高校の同級生で懐かしくもあり、「高校時代は〜〜だったあいつがずいぶんと立派になって」という驚きがあった。その日は授業を参観するだけだったが、自己紹介や授業計画の作成、先生方への挨拶回りで大忙しだった。放課後には柔道部の見学に行った。なんと部員が増えていて女子部員もいた。 二日目以降も気の休まる暇はなく常に緊張を強いられた。三日目、初の授業に臨んだ。俺は双方向の授業を標榜していたので、生徒の顔を見て名前を呼んで質問することで授業を組み立てていった。途中、ある生徒が「1/p+1/q」の式変形で詰まって沈黙が生じた。俺は「1/2+1/3はどうやって計算した?」と助け舟を出したら、クラス全体から「おおー!!」という歓声が上がった。「こんな些細なことにあれだけ大きな反応、正に快感。もし...