何のために学ぶのか?
宇宙のどこかには光さえ到達できない闇、時間が経っても何の変化もない場所があるかもしれない。あるいは地中の深い場所はそれと似た状況だろう。そういう場所にふさわしい数学は無しか出てこない、無以外のものは産み出さない数学に相違ない。何もないことを象徴する数字として0が挙げられる。0を何回掛けても何回足しても0だ。その状況こそが何の変化もない世界を近似している。
人類は、いや、もっと対象を拡大して、生物は、養分があるかないかを認識できる。ミジンコや大腸菌のような微小な生物が果たして認識という知性を持つか否かは議論が分かれるところだが、少なくとも養分の有無に応じて行動を変えることはできる。ということは、無以外のものが生じた、それを存在と呼ぼう、無とは異なるものとして認識することだ。
我々は地球に住んでいる。日が昇り、日が沈み、一日として同じ日が繰り返すことがない世界だ。そんな世界にふさわしい数学はやはり自然数を含む必要がある。太陽光は我々に無限に伸びる直線の存在を示唆し、広がる平野や床などの人工物は平面の存在を示唆する。これらは目視できない。にも関わらず、脳内では「当然、存在すべきもの」として扱われている。
数学を学ぶ意義の一つとは我々が住んでいる自然を学ぶことだ。しかし、数学は一般化を繰り返し、時としてあらぬ方向に突き進むことがある。線形代数におけるn次元ベクトル空間がその好例だ。nが1,2,3のときは何が行われているかの幾何的イメージが得られるが、4以上になるとお手上げだ。一見、自然から離れて数学独自の進化を遂げているように見えるが、さにあらず、実は「自然とは何か」を問い掛ける極めて自然な一般化なのだ。
もうひとつの数学の特性は「数学は信用できる」という学問全分野の共通認識だ。ある意味で奴隷のように使われているのが数学の立場だが、見方によってはコンピュータのOSのように全分野を統合する唯一の存在なのだ。
だからこそ、数学科に入って来た皆さんは数学の信用を損なうことなく数学の使用を促す立場なのです。そのことを心に留めて数学を学んで下さい。
釜山大学数学科で講義を思い出しながら、数学を学ぶ意義について考えてみた。
大変そうな講義を取ってしまった
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