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萎縮する排泄

今日は便秘の4日目である。筋萎縮は排泄を司る筋肉にも襲いかかる。この事実は全てのALS患者が避けては通れない問題だ。下の世話を誰かに委ねるというのは、人間の尊厳に関わる、状況によっては「人工呼吸器による延命を拒否する」ほど深刻な問題なのだ。俺は気管切開して延命する道を選択した。それは排泄の問題にも正面から向き合うということだ。そのことを宣言するつもりで書いたのが以下の心野動記からのシングルカットである。



 「おかしい、ここ4日間、何の音沙汰もないぞ」

これは便秘の話である。しかし、今回は気持ちに余裕があった。前回で猛威をふるった下剤も残っているし、最悪の場合はそれを使用して、楽になればいいという読みがあったからである。後遺症の下痢を心配した妻は乳酸菌やすりリンゴを食べさせて最終兵器の使用に抗った。しかし、苦労して車椅子から便器までの移乗を繰り返しても空振りばかりの俺の状況に根負けし、おむつを着用した上での下剤の使用に踏み切った。

「これで心のモヤモヤから解放される」という淡い期待を抱き、下剤が直腸に到達する瞬間を寝床で横になって待った。これは5日目の夕方の話である。おならも出るし、腸が動いているのを感じるし、希望を膨らませ、期待値が最大になった時、妻を呼び、便器に直行した。
「おかしい。出るのはおならばかりで、必要なモーメントが一向に訪れない」
「そうか、以前、泉さんが『下剤は効く時間が読めない』と言っていたぞ」
「少し待てば、来るべき世界がやって来るさ。止まない雨はないさ」と心に言い聞かせ、トイレを後にした。しかし、心の動揺は隠せない。急に食欲がなくなり、便秘のことで頭がいっぱいになり、憂鬱になった。

その晩、下剤を服用し何もないまま朝を迎え、更に下剤を服用するも、まるで気配を感じないし、空振り三振の山を築くだけであった。これは6日目の昼の話である。
「どうするんだ。もうすぐで一週間だぞ。この焦燥感は一体何なんだ」
「治療してくれる病院はあるのか?」
「薬が効かないってことがあるのか?」
「たかがうんこでここまで悩むことになるとは!」
「死んだ方がましだ」のように心を病みながら時だけが過ぎていった。
事態を重く見た妻は俺を病院に連れて行くことを決断する。

助手席に乗せられた俺はさめざめと泣いた。
「自分が情けない」
「俺のために妻は身動きが取れず、休まる暇がない」
「こんな不幸を背負わせた上に俺は更なる負担を強いている」という涙である。


車で20分の距離にある総合病院はがらがらで受付した後、即座に受診できた。その内科医は
「浣腸をするか、強い下剤を処方して家で出すか選んでください。出ない場合はまた外来に来てもらって段階的に強い下剤を処方します」と言った。俺は、薬が効かずに一夜を過ごす可能性を排除したいという一心で浣腸を選んだ。問題は浣腸液注入後10分間排便を我慢してトイレに向かうことである。俺は病院の応急室の寝台に横向きに寝かされ、尻を出した無防備な状態で外部に晒されていた。声かけ無しで看護士が尻の穴に指を入れかき回し、「グリセリン注入で出そうだ。移動は無理だから、おむつで出そう。奥さん、もっと厚手のおむつを買って来て」と言った。

浣腸を選んだ以上、あれこれ言う資格はなかったし、意思伝達も出来ないのである。買って来たおむつをあてがわれ、グリセリン注入後、液が漏れないように肛門に栓をするのは妻の役割だった。
「死にたい」と本気で思った。自我を支えるのは
「うんこがもうすぐ出る」と言う希望のみであった。

ところが、である。10分経って、出していい状態になってもうんこが出てこないのである。この時の絶望感と言ったらなかった。
「これだけ苦労して、これだけ苦労をかけて、『出ない』とかありえんだろう」
「お腹はゴロゴロ鳴いて苦しいのに一線を越えられないのは何故だ?」
「さっきの看護士は帰ってしまったのか?」
「失敗したみたいだから諦めて帰れなんて、むごすぎるだろう」
「もう、今すぐ、死にたい。こんな恥ずかしい目にあうのはもう嫌だ」
どれだけ時間が経ったかわからないが、絶えることのない悲鳴と行き場を失った唾液がマスクの横から泡となって噴きこぼれる状況で、妻の
「諦めて家に帰ろう」という提案に従う心境に行き着いた。

結果的に自宅までの移動の際に上下動によるモーメントが生じ、到着後自宅のトイレでうんこを出すことに成功した。妻はお風呂に入れてくれて、全身を清めた後、俺が頼んだ塩おにぎりとお茶を食べさせてくれた。俺は寝る前に文字盤で
「きようはありがとう」と伝え、妻の寝息を聞いてから眠りについた。

今日は隠匿しておくべきうんこの話をあえて書いてみた。普段、当欄でカッコつけた御託を並べている俺が実がうんこまみれで生きているということを隠していては、本当の「心の動き」を描けないと思ったし、人工呼吸器による延命を忌避したい心境も理解されないと思ったからである。

綺麗ごとだけではない、うんんこまみれの自分を認め、しぶとく生きる力を得るために必要な宣言文だと理解していただければ幸いである。

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