海外放浪記 11)
これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。
https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/05/10.html
11)イスラエル、カエサリア。1999年7月。日本に住んでいたが、無職の研究生で金にも困っていた。それなのによく大枚を叩いて呼ばれもしない場所に行く決断をしたのか謎のままだ。合宿形式の集中講義を受講して、下宿していた家の大家さんに会いに行った。大家さんは「あなたが残した置手紙には心を動かされた」と言ってくれた。拙い英語でも思いを伝えることができることがわかり自信になったし嬉しかった。下宿にはイタリアからの留学生であるジャコモが滞在していた。ジャコモは英語もヘブライ語も堪能で社交的だった。大家さんともヘブライ語で会話していたし、料理などの家事も分担している様子だった。その日の夕食はジャコモがリーダーとなって3人で作ったニョッキだった。俺にとっては初めて住んだ外国で下宿先にはいろいろな思い入れがあるのに大家さんにとっての俺はゲストの一人にすぎないという当たり前すぎる現実を突きつけられて我に返った。
M教授夫妻と食事した翌日にイスラエルを発ってパリに向かった。二泊三日のトランジットを利用してパリ観光を楽しんだ。エッフェル塔、ルーブル美術館、ピカソ美術館を観覧した。円が強い時代だったので物価に臆することなく食べ歩きを楽しむことができた。ただのバケットサンドでも信じられない美味しさだった。夕暮れ時にオープンカフェでエスプレッソを注文して苦虫を噛み潰したような表情を作ってすすった。なぜなら周りのフランス人もそうしていたからだ。空港に向かう地下鉄でスーツケースを持った老夫婦に立っていた。ある駅で停車している時に事件は起こった。老夫婦のスーツケースが何者かによって車両外に持ち出された。自動扉が閉まる直前の出来事だったので老夫婦はなす術がなく途方に暮れるだけだった。「酷いことをするなあ」と憤ったが、老夫婦に対してできることは何もなく空回りした正義感が未だに記憶させている。
帰りの経由地の香港でも一泊二日のトランジットを設定していた。ここで人生初のキャンプ以外の野宿を体験することになる。その詳細は以下のリンクに記されている。
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