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1月, 2026の投稿を表示しています

ミックスリスト

視線入力で文字入力するとき、正に今、この瞬間、大抵の場合、Youtubeを別のウィンドウで起動して音楽を聴くようにしている。つい一年前までは思春期に聴いていた歌を繰り返し流していた。俺は保守的で変化を好まない。スナック菓子の新商品には一瞥もせず、伝統的なえびせん、サッポロポテト、ポテトチップス、コンソメ味などの「冒険して失敗するより従来の定評があるもので十分満足」という思想の商品ばかりを買い続けてきた。音楽に関しても同様で、「何の思い入れもない歌を聴く理由が見つからない」という理由から流行の曲を避ける傾向があった。 その風向きが変わりつつある。きっかけは長女からの影響で聴き始めたOfficial髭男dism、略してヒゲダンだ。ボーカルの藤原聡は作詞作曲も手掛けている。俺は音楽に疎いので評論できないのだが、とにかく耳心地が良く楽曲も多様なのだ。ヒゲダンのミックスリストをクリックすれば、自動再生でほぼ全曲を流してくれる。その選曲がどのようになされるのか不明だが、そのミックスリストにはヒゲダンの楽曲に混じって他の歌手の楽曲も含まれている。そんなわけで自動再生によって名も知らぬアーティストの楽曲が耳に刻まれることになった。 俺はNHKの「のどじまん」を毎週視聴しているし、「歌コン」の再放送と「SONGS」も同様だ。それだけでも、数年という年月が積み重なると結構な情報量になる。おかげでテレビに出てくるようなアーティストの楽曲が脳裏に記憶されるようになった。サッカー関連で「魂レボリューション」経由でsuperflyにたどり着き、二週間前に彼女のミックスリストを流すに至った。彼女の楽曲は素晴らしいのだが、ある楽曲のカバーが心に沁みた。それは玉置浩二の「メロディー」だ。通常、カバーを聴くときはオリジナルの歌い方を思い出してカバーを歌う歌手にもの足りなさを感じるものだ。ましてや情感たっぷりの声で歌われる玉置浩二の「メロディー」だったら尚更だろう。ところが、彼女は全く新しい価値を提示するような「メロディー」を歌い上げた。違和感は皆無で魂がこもっているように聞こえた。 その流れで「もしかして、食わず嫌いだったのでは?」という思いが湧いてきて現在は邦楽のミックスリストを流している。まだ一周回ってないが、小室時代、ジャニーズ全盛時代、AKB時代と比べて、シンガーソングライターの質量共に圧倒し...

わからないことだらけの日本経済

 経済のことはわからないことばかりなので、生成AIに尋ねるノリで疑問を書き出してみた。 1)インフレは年金生活者を苦しめるらしい。それは物価が上昇しても年金は据え置かれることを意味するのだろうか?さすがにそれはないだろう。年率100%のハイパーインフレが起こったら年金生活者は路頭に迷うことになる。だとしたら、物価上昇率に連動して年金額も変動するのだろうか?その場合、年金の総額が上昇して、それまで積立て来た額を越えてしまい、年金制度が崩壊するのではなかろうか?その辺りの制度設計について知りたい。 2)第二次安倍政権の時、「インフレターゲット」という言葉が出てきた。これは意図的に年率2%程度の物価上昇を引き起こしデフレスパイラルから抜け出し、賃金上昇を伴う経済の好循環を促す金融政策だ。日銀主導で様々な金融緩和策が試行されたが、インフレターゲットは実現されなかったと記憶している。ところが、ここ数年はインフレターゲットが実現されているような気がする。欧米の賃金上昇率と比べて日本のそれは停滞したままで、インフレターゲットが実現することは喜ばしいことだと思っていた。それなのに、インフレターゲットに対する肯定的評価は皆無で物価高に対する否定的見方がマスコミを賑わす理由が知りたい。 3)1ドルが80円台という時代があった。あの頃は学科長だった俺の給料が母の年金受給額ほどだった。それから徐々に円安に振れ、それに伴って日経平均株価は上昇した。輸出企業は過去最高業績を更新し続けた。それは国民のドルベースの個人資産を目減りさせた結果なのではなかろうか?株価上昇で資金を調達しやすくなり、設備や人材の投資が加速され革新的商品が生まれることを狙っての円安誘導であれば理解できる。果たしてそんなイノベーションが起こっているのかが知りたい。 4)前項目に関連して、中国のアリババやTikTokのような世界的インターネットプラットフォームを有する企業が日本で生まれてない理由を知りたい。バブル崩壊後、日本は他国より有利な立場に居たはずなのに、半導体事業から撤退し、液晶パネルの競争に敗れ、ロボット産業はAI技術にとって代わられ、日本で最も使用されているSNSは海外資本の企業が運営しているし、押さえることができたはずの分野まで奪われている。その凋落の原因を知りたい。

戦慄の占領地を視聴した。

 NHKスペシャル「戦慄の占領地」を視聴した。この番組ではマリウポリのようにロシアが占領したウクライナの都市に対する同化政策を伝えている。以下はその感想だ。 1)学校ではロシア国歌 が流され、ソビエト連邦がナチスドイツの侵攻を阻んだとか西側諸国の経済制裁への憤りとかウクライナへの派兵の正当性などの思想教育が徹底されているようだ。ウクライナ侵攻が始まってから四年が経とうとしている。その間、子供たちへの影響は甚大だと思われる。親ロシア派ではないウクライナ人の家庭に生まれた子弟でも「自分はロシア人だ」と思うようになるだろう。ウクライナのテレビ放送は遮断されロシアの放送だけ視聴できるそうだ。改めて、思想教育って恐ろしいと思う。大なり小なりの思想教育はどの国でもやっていることだが、西側諸国と決定的な違いは反体制派の弾圧の度合いだ。 2)占領後、全ての住民はロシア旅券の取得を求められ、断れば病院等の行政サービスが受けられないそうだ。占領政策に反対する報道関係者は収容所に送られるか、国家反逆罪で十年以上の禁固刑に処せられるそうだ。ロシア各地から移住者を募り、現在では住民の二割が移住者で、職業や住居で優遇されているそうだ。「自分はウクライナ人だ」と頑なにロシア国籍を拒否してきた人もいくら待っても戦況が変わらない現実に絶望している人も少なくないだろう。 3)あるウクライナ人の家庭にロシア兵が入って来て食べ物や金品を要求されたという話が紹介された。警察に抗議しても受けあってもらえなかったそうだ。占領地の住民の人権はあってないようなものだ。 4)このまま同化の既成事実が積み重なったら、占領地の若者がロシア兵としてウクライナに攻め込むということも起こりそうだ。結果論であるが、ウクライナ侵攻初期の段階でウクライナが押し気味だった時に西側諸国が戦力の出し惜しみをしたのが悔やまれる。あの頃はロシア軍も混乱していたし、西側の最新兵器が投入されれば余裕で蹴散らせると思っていたのにな。

大相撲とサッカーU-23

 先週のスポーツイベントに関する雑感を述べる。 1)大相撲初場所千秋楽をテレビ観戦した。贔屓力士の平戸海は若自身のロールモデルである若隆景に負けて9勝6敗で今場所を終える。現在の幕内上位は若手の台頭で実力者揃いなので、勝ち越すだけでも大変なのだ。来場所は番付が上がるのでより厳しい戦いが予想される。義乃富士は横綱を破っての8勝7敗で来場所の三役昇進が期待される。安青錦は優勝決定戦で熱海富士を破り二場所連続で優勝。あの低い姿勢を保つ取り口は強靱な背筋とバランス感覚が必要なはずだ。しかも「どこで身につけたんだ!」と驚くほど相撲が上手いし、理に適っている。大の里に弱く、豊昇龍に強く、豊昇龍は大の里に強い、という三すくみがどのように変化するかも興味深い。伯乃富士、怪我で休場した尊富士、熱海富士が所属する伊勢ケ浜部屋の勢いは若貴時代の藤島部屋を彷彿させる。 2)サッカーのU-23のアジア選手権がサウジアラビアで開催されて、日本が優勝した。準決勝の日本対韓国の試合だけは生中継を観戦することができた。日本は五輪を見据えて21歳未満の選手たちで構成されているが、欧州で活躍している選手は召集されてない。韓国は今年日本で開催されるアジア大会で優勝すれば兵役免除されるのでベストメンバーで挑んできている。気になったのは両チームとも飛び抜けた選手が一人もいないことだ。昔は何人かのスター選手がいて、彼らの成長を見守ることが見所の一つだった。サッカーの試合は相対的なものだから、昔だったら注目選手だったが、全体の水準が上がったが故に平凡に見える可能性は否定できない。確かにトラップ一つとっても昔より格段に上手くなっているし、球際やヘディングも強くなっている。しかし、昔ならどのカテゴリーでもアドレナリンが出まくった日韓戦なのに、今回は試合自体も淡白で山場もなく、何より「どんなことをしても絶対に勝つ。日本に負けたら一生の恥」という闘志を韓国の選手から感じることはなかった。

七割問題の補足の補足

 以下の投稿で https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/01/blog-post_12.html 一日の痰吸引の回数が20〜30回と書いた。「それは多すぎるんじゃあないか?一時間に1回っていうことだぞ」と自問自答してみた。ごく稀に痰が出てこないでカフアシストと吸引を繰り返すこともあるので、吸引回数が30回を越える日もある。しかし、それを読んだ人の印象と実際の生活とで乖離があるような気がするので、補足することにした。 先ず、一週間分の吸引回数を数えてみた。18, 13, 7, 16, 12, 9, 12である。 強調したいのが、「あ、痰が詰まっているかな?」くらいで吸引を頼むので呼吸困難になるはるかに手前の段階ということだ。気管切開したばかりの頃は夜中に熟睡中の妻を何度も起こして吸引を頼んでいたが、今は夜中に吸引を頼むのは一週間に一回程度だ。 補足の話はここまでで、次の段落では今日の出来事を述べる。 子供たちは全員冬休み期間中で、妻は俺の介護と子供たちの食事の準備と片付けをすることになる。そんな中、妻は散髪と洗髪と全身のアカスリをしてくれた。湯舟に浸かることができない俺が清潔にしていられるのは妻の不断の努力によるものだ。

山上被告に無期懲役

 安倍元首相銃撃事件の裁判の一審で山上徹也被告に無期懲役の判決が下された。弁護側の「旧統一教会に多額な献金を繰り返した母を持つ山上被告の家庭環境を考慮するべき」という主張は反映されない判決となった。 俺が統一教会という名称を聞いたのは大学に入学したばかりの頃だ。親元を離れて一人暮らしを始めた学生の心の隙間を狙って親切な態度で接近して来るから注意するようにという内容が生協の冊子に書いてあったし、サークルの勧誘と思ってついて行ったらビデオを見せられ洗脳されるという噂や実体験を何度も聞いた。「どうしてそんな団体がのさばっているのか?」という疑問は「大学構内も中⚪派とか革⚪派とか左に翼が生えた団体のビラが溢れているもんな。都会ってそういうもんだろ」という考えに打ち消された。その二年後、アイドルだった桜田淳子が統一教会の信者で教祖が決めた相手と合同結婚式を挙げると大々的に報道された。霊感商法や多額の献金も報道されていたが、統一教会の勢力は衰えることはなかった。 その理由がわかったのはインターネット黎明期を迎えてからだ。なんでも反共産主義で日韓の保守的政治家と統一教会が結託しているとのことだが、「まさかそんなことはないだろう。所詮、陰謀論」と思っていたが、それは当たらずとも遠からずということが時代を追うごとに明らかになっていった。安倍元首相がその中心的存在だったというのは山上被告の弁だが、それも当たらずとも遠からずで、安倍元首相の死後坂道を転がるように旧統一教会の勢力が削がれていった事実はそれを証明しているかのように見える。 たった一発の弾丸で恨みの対象にこの上ない打撃を与えたことに拍手喝采している人も多いと思う。「山上被告がやったことは決して許されることではない」と誰もが使う但し書きが、軍事作戦と称してミサイルを打ち込み民間人を殺害する事例を見ていると、正論だけど虚しく響く昨今だ。

いじめ動画

先週から ツイッター(現在のX)のタイムラインに中高生のいじめ暴行動画群が上がるようになった。加害者が被害者を一方的に殴ったり蹴ったりして、加害者の取り巻きが笑みを浮かべながら傍観している動画が多い。撮影者も取り巻きの一人と思われる。 先ず、加害者の視点に立って視聴してみる。総合格闘技で使用される飛び膝蹴りや背後から首を絞める等の攻撃が目についた。攻撃の大半は手加減しているのか技量不足なのか軽いものばかりだった。時折、勢いに任せた蹴りが入ることもあるが、腕のガードの上とか足とかだ。おそらく、加害者は「もし昏倒するような打撃や外傷を与えると親や学校に知られることになる」ということを熟知している。そうであるが故の行動原理で動いているようだ。要するに、弱いものいじめだ。 次に、被害者の視点に立って視聴してみる。下手に反撃したらどんな報復が返ってくるかわからないので、絶望的な表情でひたすらいじめが終わるのを待っている。逃げようにも取り巻きがいるから逃げられない。仮に逃走に成功しても次の日の学校でまたいびられるだろう。そんな逃げ場のない絶望感を経験したSNSユーザーがいじめ動画の拡散を促し、加害者の学校や実名を晒す「私刑」が執行される。 最後に、撮影者の視点に立って視聴してみる。おそらく、その動画は仲間だけが閲覧できるグループラインに投稿される。弱いものいじめの常習である加害者が仲間内で崇拝されているとは思えない。加害者を快く思ってない奴もいるだろう。そういう輩が匿名で公共のネット上に流出させたら、「これはけしからん」と正義感に燃える人がリポストを繰り返し、その動画は拡散の一途を辿る。撮影者はいじめを傍観していた幇助者でもあるのに、その姿は動画には出てこないし、流出させた犯人扱いされることもない。 どの視点で見ても、どんよりとした気分になる動画群だ。そうであるのについつい見てしまう心理は何なんだろう?

効率的な人生

 先週末、大学入学共通テストが実施された。36年前、俺は高校三年生だった。その当時を振り返ると、「ずいぶんと非効率な受験対策をしていた」と思う。インターネットもない時代だったから、受験生間の情報格差は少なからず存在していた。以下は国英数の三科目に関して俺がどのような態度で受験に臨んでいたかを記す。 1)古文漢文の授業時間、というか国語のほとんどの授業時間は寝ていた記憶しかない。覚えているのはMNG先生のA子とB子が登場する恋愛話だ。国語の先生はおしなべて温厚な人格者ばかりで、教室全体が眠気に包まれているときでも生徒を起こしたり換気を促すことは一切なかった。居眠りの代償は200点満点の国語の模試で半分しか加点できない事態として返ってきた。古文漢文が基礎事項を押さえてさえいれば安定的な得点源だということに気付いたのは大学生になってからだった。現代文のマークシートは軽快なフットワークで正解をよけていった。もしやり直せるなら、900点満点中200点が国語の満点だということを踏まえて授業を受けたい。 2)英語を日本語を介して勉強しようと思っていたのがそもそもの間違いだった。英文読解でも逐次日本語訳しようとしていたからやたらと時間がかかったし、英作文でも「覆水盆に帰らず」のような諺英訳を暗記しようとしていたし、音声として覚える思考が皆無だったから発音記号やアクセントの位置を丸暗記していた。その当時の受験生は似たり寄ったりで、俺だけが特別に非効率というわけではなかった。 3)難しい問題を解くことが醍醐味と思っていたので、マークシートで満点を取ることより二次試験対策に重点を置いていた。小学生の頃から簡単な計算ミスをすることが多く、高校生になっても改善されることはなかった。難問志向というのは自らの欠点を覆い隠す隠れ蓑でしかなかった。 そんなわけで、志望校だった九州大学理学部数学科はC判定続きで11月の模試で初めてB判定が出た。仮に現在の俺がタイムスリップして38年前の俺に効率的な学習法を講義したらどうなっていたかを想像してみる。おそらく、マークシートで高得点を取ることを重視するあまり、自分で勉強を設定する楽しさや数学の醍醐味を味わうこともなく、一生をかけて学ぶ職業に就きたいと思うことなく一生を終えていたかもしれないのである。人の一生とは非効率の極みという気がしてならない。

黄砂の青空

 昨日の午後、外出した。雲一つない快晴だったが、昨年の秋に見た青空とは異なり、黄砂の影響なのか霞がかりややくすんでいた。三男は友達と遊びに行った。土曜日の午後でも子供たちは外出することが多い。しかし、昨日に限っては三男以外の全員が家にいた。受験を終えた長女と大学生の長男と次男、忙しいようには見えない。俺の外出準備を手伝う流れで一緒に行くことになった。このメンバーでの外出は三男の誕生以来初かもしれない。ムードメーカーは長女で、皆に話しかけ自身も楽しんでいる様子だ。 いつものように区役所の広場で日向ぼっこをして、いつものコースで帰ろうかというときに事件が起きた。三男からの電話を受けた妻が突然金切り声を上げ「今すぐ家に帰って来い」と叫び出した。「ははーん、友達と遠出していることを責めているのかな?以前は自転車で海雲台まで行ったからなあ」と思っていると、突然目の前に三男が現れた。三男は電話口で「東来女子高校の陸橋にいる」と言っているのを妻が「東来駅の陸橋にいる」と誤解したのが原因だ。ちなみに東来女子高校は長女が通う学校で、区役所の近くにある。理不尽な罵倒を浴びた三男は「精神的衝撃が大きい。謝罪してほしい」と冗談めかして妻に詰めよるが、妻は相手にしない。 その後、三男の中学校の制服の採寸を済ませ、お開きになった。自宅アパートの前で家族全員の集合写真を撮ったのがこの日のハイライトだった。長男と次男はつるぺの関係でお互いの不在を補完するかのように介護してくれるし、三男にとっての父親の役割を果たしてくれる。 昨晩は長女の提案で「天気の子」というアニメーション映画を観ることになった。友達と食事に行った長男以外の全員で視聴した。俺の寝室はミニシアターに早変わりして、俺以外の全員が買ってきたスナック菓子やチョコレート菓子を美味そうに食べていた。「誰か一人がいないと大きな穴が開いたように感じる」とは妻の弁である。ウチは家族旅行やレストランで食事なんてことはできないけど、こんなに安上がりに一体感を味わえることがわかった一日だった。

中道改革連合について

 立憲民主党と公明党が来たる衆議院議員選挙に備えて新政党を結成するそうで、その名称は中道改革連合に決定したそうだ。以下で分析と感想を述べる。 1)公明党の議員は小選挙区で議席を獲得することが困難だ。元々、小選挙区制は二大政党制を実現するために導入された制度で、選挙区での知名度や支持基盤が強力な候補が勝つようになっている。全国の公明党員を特定の選挙区に移住させるというのが与党時代の公明党の選挙戦術だったが、連立を解消したことで解散の時期が通達されず、今回は移住のための準備期間が足りず、その戦術が使えない。自民党総裁に就任した直後に連立与党のハシゴを外された高市氏の壮大な報復が炸裂したようにも見える。窮地に陥った公明党に救いの手を差し伸べたのが立憲民主党だ。新政党を結成して比例代表の名簿上位に公明党の候補者を連ねる代わりに、小選挙区での立憲民主党の候補者に選挙協力するらしい。公明党は比例代表での議席の上積みが期待できるし、立憲民主党はそれまで自民党に流れていた公明党員票を取り込むことができる。それゆえ、選挙の票読みだけを考えると極めて合理的判断のように見える。 2)しかし、両党の基本政策と理念は隔たりがある。同じ中道と自称しても「なんでそんなに違うのに同じ政党の中にいるの?」と心配になるほどだ。私見ではあるが、今回の野田代表の判断は救いようのない悪手に見えた。小選挙区で負け続けることは十分にあり得ることだし、比例代表も公明党に明け渡し、今まで培ってきた確かな野党という印象を与える立憲民主党という名称も捨て、立憲民主党内部でも疑問や反発の声が聞こえる中、若者から支持される高市総理率いる自民党と対決することになるのだ。もちろん、「勝てば官軍」で、選挙で議席数を維持するだけでも称賛に値すると思う。 3)高市総理の就任から今までの流れをおさらいしてみる。高市総理の就任演説の時、野次を飛ばした議員がいた。その野次がうるさくて品がないとネット上で話題になった。トランプ大統領との首脳会談を無難にまとめ、APECなどの外交でも中国と韓国との首脳会談をこなし、その直後の国会答弁で台湾有事に関する質疑応答があり、中国の日本叩きがマスコミを賑わし、ガソリン税の撤廃が決まり、物価高対策の補正予算が通り、国民民主党との年収の壁引き上げに関する同意が結ばれ、今の解散騒動に至る。この間、高市...

白と黒のスプーン

 Netflix配信の「白と黒のスプーン」シーズン1を見終わった。長女だけでなく妻も興味を示し、一緒に視聴した。同じ作品を多人数で視聴するのは楽しいし一体感も生まれる。家族全員でテレビを見ていた昭和後半は幸せな時代だったのだなあとの思いを強くした。俺の実家では、家族全員が同じ番組を見るということはなく、父はプロ野球、母は読書、祖母はドラマ、のように住み分けが明確だった。それでも父母と見た銀河テレビ小説や祖母と見た「おあねえさん」や弟とのチャンネル争いなどのテレビに関する出来事は懐かしい記憶として保存されている。 今週から「白と黒のスプーン」シーズン2を見始めたが、肝心の長女は寄って来ないし妻もシーズン1ほどの関心は示さない。そんなわけで以前のように一人で見てあれこれ考えている。その番組の魅力は出演する料理人の個性が豊かで、料理対決に敗れて退場になっても決して悪態をつかないことだ。そして、審査員を務めるペクジョンウォンとアンソンジェの実績に裏打ちされた批評の率直さと巧みさが挙げられる。前者は明るく豪快な人柄で韓国で愛されているタレント兼実業家で、大衆料理が専門と言いながらも和洋中のあらゆる料理に精通している。後者はミシュランの三ツ星を韓国で初めて獲得したフレンチシェフとしてつと有名だ。韓国の料理界の二大巨頭とも言える二人の審査だからこそ名だたる料理人も敗北を受け入れられるのだろう。 1999年から20年に渡って韓国の食文化を観察してきた。韓国の調味料は優秀で、大衆食堂であっても学食であっても高い満足度と満腹感を得ることができるが、価格帯が高い店に行っても味がついて来ないという欠点があった。特に和食と洋食にその傾向が強く、高級店で出されたマグロが凍っていることがよくあった。転機となったのが前述のペク氏がテレビに出始めた頃だ。その当時はサムソンが半導体とスマホ事業で躍進し、海外旅行やインターネットで現地の情報が入ってくるようになった時期と一致する。すなわち、「白と黒のスプーン」で出てくる見事な創作料理の数々はそのまんま韓国の食文化と経済の発展を物語っているのだ。 シーズン3では日韓の巨匠と新進気鋭の料理人を集めてやってほしいな。そうすると、審査員をどうすれば公平性を保てるかという問題が生じる。個人的にはペク氏とアン氏の審査体制はそのままにして、彼らを唸らせる日本の...

七割問題の補足説明

 以下の投稿に関連して、 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/01/blog-post_10.html 気管切開と人工呼吸器について補足説明を書き加える。 先ず、気管切開の必要性を述べる。ALSは全身の筋肉が衰える病気だが、まぶたや心臓の筋肉は例外で、症状に現れない人が大半だと思われる。しかし、呼吸に必要な筋肉は確実に衰える。気道に詰まった痰を巻き上げて吐き出す筋肉が衰えると、痰が詰まったまま呼吸困難に陥る。そんなときは吸引器で痰を除去すればいいのだが、口から吸引チューブを入れて気道に挿入する作業は、口の中は雑菌だらけで気道は無菌状態であることを考慮すると、専門的な知識と熟練した技能が要求される。それができる人がその場にいないときは救急隊員を呼ぶことになる。気管切開はこの痰吸引の難易度を劇的に下げる効能を持つ。それこそ、小学校低学年の児童でも安全に吸引できる。すなわち、気管切開は人工呼吸器装着のために行うのではなく、痰吸引を容易にするために行うのだ。 次に、人工呼吸器装着後の介護者の負担について述べる。俺も妻も一体どんな変化が起こるのか全くわからなかったので、日々の生活を通して手探りですり合わせるしかなかった。人工呼吸器が喉から外れると、けたたましいアラーム音が鳴り続ける。装着したばかりの頃は人工呼吸器なしでも普通に呼吸できた。しかし、痰が詰まる回数が増えた。妻は寝るときも目覚ましアラームを一時間ごとにセットして不測の事態に備えた。家族全員が口文字盤での意思疎通を覚え、パソコンの機械音声を用いて込み入ったことを話すようにした。 最後に現在の状況について述べる。現在は呼吸器なしでは生きていけない。それでも呼吸器なしで30分は苦しいながらも呼吸は維持できると思う。痰吸引の回数は一日で10〜20回で、それでも年々減ってきている。症状は進行しても、何もかもが不安だった四年前と比べて精神的に安定しているし、家族もタフになった。慣れとは恐ろしいものだ。

大村での初診断

 2019年3月、一家が釜山から大村に引っ越したばかりの頃の話だ。ALS患者として公的支援を受けるためには大病院に行って診断を受けることが必要になる。そのときの心情を綴ったのが以下の闘病記(大村編)からのシングルカットである。 午後からは妻と弟嫁の付き添いで病院に赴いた。 神経内科の医者は満面の笑顔で俺にALSの確定診断を下し、介護保険、特定指定難病の医療費補助、身体者障害者年金申請のための書類を作成してくれた。その医者は過去の検査記録を見るや否や 「呼吸器を付けるか、付けないかの決断をされてください。その決断によって対応が変わってきます」と言った。 なんだか、郵便局で配送先に仕分けられて、最後の目的地は自分で選べと言われている感じがした。あるいは、人様の税金で生かされる道を選ぶか、潔い死を選ぶか、というようにも聞こえた。 ALS患者の7割は呼吸器を付けないで死ぬ選択をするらしい。その選択は本人の死生観や介護に対する家族の負担を熟考した上でなされたものだと思う。 俺はつい昨日まで人工呼吸器を付けて延命するのが当たり前だと思っていた。ところが、上記の医者の言葉を聞いて、 「そんなに自分が可愛いのか?」 「『今、死んでも悔いはない』と公言してくせに」 「自分一人が思考に費やす時間を確保するために他人による24時間の労力が必要になるんだ」 「末期で植物人間状態になって莫大な医療費を消費しているのと同じでは?」 「子供たちは俺がいなくても逞しく成長するだろう」 「妻は悲しんでくれるかもしれないな」 「一体誰が垂れ流しになった糞尿の処理をするんだ?」 のような考えが頭を駆け巡り、信念が大きく揺らいだ。 人間というのは弱いものだな。

七割問題

 以前から言い続けていることだが、今回も「ALS患者の七割が人工呼吸器を装着しない選択をする」問題を考察してみる。 ALS患者の苦悩を一通り経験した立場から言わせてもらうと、「気管切開しない」と宣言をすることは「自然死と偽装した自殺」を意味すると主張したい。そして、人工呼吸器の装着を推奨しない医師は合法的な自殺幇助に加担していると自覚してほしい。 もちろん、ALS患者の症状、介護環境、経済状況は千差万別で、各々の死生観や事情も異なり、一概に言えることではないと思うが、七割は多過ぎる。きっとその中には「前もって知っていたら気管切開に同意したのになあ」と考える人が多数いるに違いないのだ。 気管切開したら声を失うし、人工呼吸器を装着したら24時間の介護が必要になる。前者は正しい。意思伝達手段の最たるものがなくなるのは恐怖だろうが、技術の進歩で補えることも多い。俺の場合は、パソコンに接続している間は自由に助けを呼べるし、そうでないときもアヒルのおもちゃと歯ぎしりで対応している。後者も正しいのだが、「介護者が目を光らせているわけではない」ことを強調したい。俺の場合は、痰吸引できる家族の誰かが自宅にいるというルールがあるだけで、その誰かも別室で好きなことをやっている。痰吸引も気管切開の効能で小学生もできる手軽さだ。俺も家族に迷惑をかけるくらいなら死んだ方がマシだと考えた時期もあったが、今では生きていてよかったと思っている。皆さんも後者を額面通りに受け取ることはゆめゆめしてはいけない。「気管切開の向こう側にある生き甲斐や幸せの可能性を閉ざすことなかれ」と声を大にして言いたい。

海外放浪記 19)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/11/18.html 19)オーストラリア、パース。2006年1月。置換群論の専門家が集う西オーストラリア大学のゲストハウスに一週間滞在してセミナーに参加して研究結果を説明した。。今考えると、かなり身のほど知らずの行為だった。その理由は置換群論の結果を使っただけでその道のプロにとっては興味がある話ではなかったからだ。バケーション期間だったので、一人でいる時間が大半で共同研究に誘われることもなかった。自分が暇なときに一方的に行くことを決めたのがそもそもの間違いだった。 到着初日、パースの中心部を散策して夕食を摂るための店を探した。2時間くらい歩いて入った店は聞いたことがないハンバーガーチェーン店だった。その翌日、大学でそのことを話すと、「代表的なオージーキュイジーヌね」と言われた。某有名ハンバーガーチェーン店は商標権の問題でオーストラリア国内では本来の名称は使えずに改名したそうだ。その日の昼食は大学関係者と一緒に海産物の店に行った。そのときに食べた「カラマーリ」というイカリングが美味だった。 週末はビーチを散策した。海インド洋に面していて、そう思って眺めると広大に感じた。背中を凧の揚力で引っ張るウィンドサーフィンに興じる人がいた。そこで1時間くらいいたあと、周辺を散策していると一軒の住宅が目に入った。「ずいぶんと立派な屋敷だなあ」と思い、近くに行ってみると、その遠方に新たな邸宅を発見した。その地区は高級住宅街で「これでもか」というほどの豪華な住宅が立ち並んでいた。それらを見物しているうちに山間部の集落に紛れ込み、迷子になってしまった。歩いても歩いてもバス停留所などの公共交通機関に繋がるものは見当たらないばかりか、同じところをぐるぐる回っている本格的な迷子になった自覚が芽生え始めた。疲労困憊を顔に滲ませ歩いていると、祝祭行事の衣装に身を包んだ少女の集団とすれ違った。その中の一人が踵を返して俺のそばにやってきて一斤のパンを差し出した。俺は呆気に取られてそのパンを受けとったが、数秒後に「もしかして乞食と思われたのかも」という疑念が湧いてきて確信に変わった。 結局、バス停留所にたどり着いて事無きを得たが、この事件に象...

三男の卒業式

 三男が通う小学校の卒業式に参加しようとしたが、講堂が満杯で参加できなかった。2020年12月に釜山に引っ越してきたとき、三男は一年生だった。月日が経つのは早いものだ。 事の詳細を話そう。その小学校は自宅アパートの敷地の隣りに位置する。住宅密集地の学校だからなのか、校庭も狭いし、体育館もない。そんなわけで卒業式などの式典は当該児童のみを集めて校舎内の講堂で行われる。午前8時30分に三男が登校してから俺を外出させるための準備が始まった。卒業式が始まるのは午前10時、大村滞在中の長男以外の家族を総動員して準備するも冬の防寒対策と痰吸引に時間を取られ自宅を出たのは午前10時だった。外気は冷たいが、寒さを感じるほどではなかった。同行の次男と長女はその小学校の卒業生だ。いつものようにお互いを非難し合う仲良し喧嘩をする様子は微笑ましかった。妻は珍しく化粧をしているが、いつものように明るい。そんな日常のようで特別な雰囲気の中、卒業式への期待が高まっていた。 校舎の中は冷蔵庫の中に入ってるかのように冷風が吹いてきて体全体が急速に冷やされた。「あれ、おかしいな。外より寒いじゃないか」と思った。講堂がある5階には卒業生の父母でごった返していた。どうやら、講堂に入れる人数には限りがあって、午前9時くらいに来て場所取りしなきゃいけないらしい。卒業式が終わるのは午前11時30分、「こんな寒いところで75分待つのか」と絶望的な気持ちになった。それを察した妻が長女を自宅にさし向け、使い捨てカイロと毛布を持って来させた。そのおかげで寒さに震えることなく時間を費やすことができた。 卒業式が終わると、各教室で最後のホームルームがあるものと思い込んでいたが、卒業生たちは校庭に降りていき、そのまま解散となった。俺らも校庭に降りると、そこは日光に照らされ暖かかった。三男がいつものように「お父さん」と日本語で言って駆け寄ってきた。その後は写真を撮って、自宅に戻った。次男が俺を寝台に以移乗して、子供たちだけで外食に出掛けた。妻は俺に食事を注入した後、インスタントラーメンを食べていた。今日くらいは皆で美味しい店に行って「お父さんのおごりだ。好きなだけ食べなさい」と言ってやりたかったな。

変わりゆく国際情勢

 ベネズエラの大統領が米国に移送された。そのニュースを知ってから様々な論評を読んで事態の把握と自分の考えを整理することに務めたが、正直なところ「よくわからない」というのが結論だ。多くの記事の中で、以下の https://news.yahoo.co.jp/articles/99a649fa7fd809ef1813b87f13aa37cee2148ca8 「世界はもう、日本人が信じているようなお行儀の良い法律で動いてない」という節が心に刺さったので記しておく。 中国やロシアのように一人のリーダーが長期に渡って強力な権力基盤を維持できる国が有利になる時代になっていくのかもしれない。国際社会という枠組みが崩壊して大国が意のままに行動する時代になったら、日本のような衰退中の小国は今より更に肩身の狭い思いをすることになるのであろう。

豊臣兄弟の初回を視聴した

 NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」の初回を視聴した。以下はその感想だ。 1)前作の「べらぼう」は、吉原で働く遊女の悲哀、花魁の栄華、江戸時代の出版業界、田沼意次の政、等の主人公を取りまく背景が同じ回に複数個詰め込まれていた。1ヶ月も経たずに脱落した理由はその複雑な構成に辟易したからだ。喩えて言うなら、マグロの切り身にウニとイクラを載せてカニ味噌をかけて食べるような感じで、美味しいかもしれないけど個別に味わいたかったなという感覚だ。その点において「豊臣兄弟」は「べらぼう」を反面教師にしたかと思うほど単純で、主人公の目線を追うだけで物語に感情移入できるように作っている意図を感じた。 2)「べらぼう」と比較してばかりで申し訳ないのだが、眉を剃り落として見分けがつかなかった「べらぼう」の女性キャストに比べて「豊臣兄弟」のそれは普通に美しく普通に魅力的だ。主人公の笑顔の回数も前作より格段に増えた印象だ。 3)藤吉郎役の池松壮亮は野心家で人たらしで後の天下人である豊臣秀吉の若かりし姿をよく表現していた。歴代大河ドラマで秀吉を描いた作品は数多いが、信長に認められる期間までが一番面白いと個人的に思っている。創作でいいからその辺りの逸話を挿入してほしい。小一郎役の仲野太賀はとにかく愛嬌がある。それでいて調整役として秀吉を支えた理性的な秀長の片鱗を出せていた。この二人のコンビは古くは破天荒な岩鬼をたしなめる殿馬を、新しくは大谷とベッツを彷彿させる。 4)坂井真紀が演じる母が8年ぶりに現れた藤吉郎を抱きしめた場面、信長が馬に乗って登場する場面が良かった。 5)まだ初回だから何とも言えないが、少なくとも次回を楽しみにしている俺がいる。

コーヒー中毒

 大晦日の午後から元日の正午まで妻が体調不良で寝込んでいた。最初は「昼寝すれば気分もよくなるだろう」と思っていたが、時間の経過と共に悪化していき、就寝前に「オエー」という音と共に跳び上がって厠に駆け込み嘔吐を繰り返した。妻は「昼からミカンしか食べてないけど、消化不良と頭痛が酷くてミカンまで吐いてしまった。これはコーヒー中毒の症状かも」と言って、「あれだけ長く昼寝して眠気が来るの?」と不思議に思うほどの深い眠りについた。 コーヒー中毒なら俺にも経験がある。韓国ではコーヒーが紙コップに注がれるタイプの自動販売機がいたる所に設置されていて、そこから出てくる甘いミルクコーヒーを飲みながら喋ることが定着していて、いつ頃からか俺もそのコーヒーを好んで飲むようになった。勝手な推測だが、自動販売機のコーヒーは中毒になるように成分調整してあると思えてならない。タイマーが作用するかのように禁断症状に襲われ、俺の場合は、頭痛が続いて何の仕事もできなくなる。俺は「もう二度とこんな辛い思いはしたくない」と思い、自動販売機のコーヒーを避けるようになった。 今日、妻は完全に回復して三男と遊びに来ている姪っ子を連れて映画館に出掛けた。今日からコーヒーの代わりに緑茶を飲むそうだ。一時は本気で心配していたが、元気になって本当によかった。 話は大晦日の夜に遡る。朝倉未来の惨敗から現実逃避するためにパソコンを終了して、電動寝台を起こして紅白歌合戦を視聴することにした。テレビ画面に映るのは久保田利伸だった。彼は80年代後半に現れ、米米クラブを始めとするアーティストから「最もファンキーな歌手」として絶賛されていた。作詞作曲もこなし、抜群の声量と歌唱力でブラックミュージックと歌謡との融合を試みる、「何でこんなに才能の塊が日本に生まれたのだろう?」と思うほどの突然変異の天才に魅了された人は多い。しかし、紅白歌合戦での彼のステージは往年の名歌手という扱いで、尺も演出も「せっかく紅白に出てくれたんだから、もっと大物感を出して若者の琴線に触れるように演出してくれよ」と言いたくなるほどもの足りないものだった。 その翌日、どこかで聞いたようなメロディが流れてきた。この声は長女の声、長女が口ずさんでいるのは久保田の代表曲ではないか。恐るべし久保田、最も影響を与えてほしい若者にピンポイントで爪痕を残すとは。やっぱり、お...

大晦日の惨敗

 朝倉未来がラジャブアリシェイドラエフにTKO負けを喫した。背後を取られ、二回三回と投げられ、最後は後ろから鉄拳を浴びてレフリーストップという「どれだけ練習しても一生勝てない」と敗者に思わせるのに十分な惨敗だった。ヤフーニュースのコメントを見ると、 https://news.yahoo.co.jp/articles/8e852bfd8741d8aaa60d6545dc636f10cda9f79d/comments 「所詮はビジネスマン、寝技の練習が足りない。Breaking Down に費やす時間を格闘技に注ぐべき」という意見が多いが、それらに対して「鈴木千裕やクレーベルコイケに勝ったことを無視するのか?」と反論したい。売れっ子の歌手やアイドルはドーム球場を満杯にするほどの集客力を誇るが、格闘技の大会でそれを実現するのは簡単ではない。約30人もの選手たちが負傷のリスクを顧みず練習や試合に臨んでいるのにその集客力は数人のアイドルグループの足元にも及ばない。そんな小さい格闘技市場を少しでも拡大しようと奮闘しているのが朝倉未来であり、Breaking Down なのだ。 今回のように夢みたいなことが起こるのを期待してチケットを買うもののあっさり現実に引き戻されるのも格闘技で、ごく稀に起こる奇跡が忘れられず性懲りもなくチケットを買うのが格闘技ファンなのだ。 朝倉未来のすごいところは年収30億円と言われる成功を収めても違法行為やスキャンダルとは無縁なことだ。心が弱い人であれば、大麻や違法薬物に重圧からの解放を求めてしまいがちだが、それが公になった時点でそれまでに築いた名声も瓦解する。そのことを熟知しているのが朝倉未来であり、刺青が全くない肉体と相まって日本格闘技界のアイコンになっているのだ。 今回の惨敗はシェイドラエフが異次元の強さだったことが原因で、正々堂々と挑んで負けた朝倉未来の評価を貶めるものではないと思う。