効率的な人生
先週末、大学入学共通テストが実施された。36年前、俺は高校三年生だった。その当時を振り返ると、「ずいぶんと非効率な受験対策をしていた」と思う。インターネットもない時代だったから、受験生間の情報格差は少なからず存在していた。以下は国英数の三科目に関して俺がどのような態度で受験に臨んでいたかを記す。
1)古文漢文の授業時間、というか国語のほとんどの授業時間は寝ていた記憶しかない。覚えているのはMNG先生のA子とB子が登場する恋愛話だ。国語の先生はおしなべて温厚な人格者ばかりで、教室全体が眠気に包まれているときでも生徒を起こしたり換気を促すことは一切なかった。居眠りの代償は200点満点の国語の模試で半分しか加点できない事態として返ってきた。古文漢文が基礎事項を押さえてさえいれば安定的な得点源だということに気付いたのは大学生になってからだった。現代文のマークシートは軽快なフットワークで正解をよけていった。もしやり直せるなら、900点満点中200点が国語の満点だということを踏まえて授業を受けたい。
2)英語を日本語を介して勉強しようと思っていたのがそもそもの間違いだった。英文読解でも逐次日本語訳しようとしていたからやたらと時間がかかったし、英作文でも「覆水盆に帰らず」のような諺英訳を暗記しようとしていたし、音声として覚える思考が皆無だったから発音記号やアクセントの位置を丸暗記していた。その当時の受験生は似たり寄ったりで、俺だけが特別に非効率というわけではなかった。
3)難しい問題を解くことが醍醐味と思っていたので、マークシートで満点を取ることより二次試験対策に重点を置いていた。小学生の頃から簡単な計算ミスをすることが多く、高校生になっても改善されることはなかった。難問志向というのは自らの欠点を覆い隠す隠れ蓑でしかなかった。
そんなわけで、志望校だった九州大学理学部数学科はC判定続きで11月の模試で初めてB判定が出た。仮に現在の俺がタイムスリップして38年前の俺に効率的な学習法を講義したらどうなっていたかを想像してみる。おそらく、マークシートで高得点を取ることを重視するあまり、自分で勉強を設定する楽しさや数学の醍醐味を味わうこともなく、一生をかけて学ぶ職業に就きたいと思うことなく一生を終えていたかもしれないのである。人の一生とは非効率の極みという気がしてならない。
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