投稿

9月, 2025の投稿を表示しています

学科長日誌 4)

 学科長会議は水曜日の午前11時に開催される。その頻度は月1回だ。通常、学科長会議の直後の一週間内に数学科教授会議が開催されて、学科長会議の報告と本部から降りてくる案件に数学科としての見解や 議決事項を話し合う。 この学科教授会議を主導するのも学科長の役割の一つだ。率直に言うと、俺にとって学科教授会議が悩みの種でありストレスの原因だった。その理由を以下に述べる。 1)数学科に赴任したばかりの頃、会議とはただ沈黙を保つ場所だった。紛糾して揉めている様子でも正確な内容はわからないし、意見を述べる立場でもなかった。韓国語が上達して飛び交う会話の内容がわかるようになると、本当に揉めているだけでなく、会議を主導する学科長が吊るし上げられていることが把握できた。その頃になると数学科内の人間関係も見えてくる。A案を推す急進派とB案を推す穏健派が対立し、折衷案であるC案を提案した学科長が両派から叩かれるなんてこともあった。要するに学科長とは名ばかりで、年輩の教授の顔色を見ながら学科の意見を集約するだけの奉仕者なのだ。仮にA案が通った場合、会議終了後穏健派の教授の研究室を訪問してなだめることも学科長の役割だった。 2)司会進行も学科長の役割で、昼休み終了後講義のために退席する教員もいるので迅速な進行が求められた。外国人である俺は会議資料を作成するのにも、それらを紹介する文言を考えるのにも、揉めそうな案件に一押し加えて中立の立場を装いながら議決するための準備をするのにも、膨大な時間と労力を費やした。 3)紛糾して議決できないときは後日再度会議を開くことになる。ちなみに議決と言っても多数決による投票で決めるわけではない。発言力の強い教員が「どうしても受け入れられない」と拒否権を発動することがある。そんなときは長老格の教員が「そこまで言うなら仕事は全部お前がやれ」と政治決着することもある。国連の安全保障理事国会議よりもはるかに複雑な議決方式で成り立つ数学科、その学科長を任されているのは何かの悪い冗談としか思えなかった。 俺が学科長になってから初めての学科教授会議を迎えた。会議の冒頭で俺は「これまでやって来れたのは皆さんが私によくしてくれたからです。でも、それは利害関係がなかったからです。これからは皆さんに憎まれることが仕事だと思って学科長の務めをやっていくつもりです」と演説した。

自動運転大国への道

 自民党総裁選挙の各候補は具体的な政策を掲げると票が逃げると思っているのだろうか、「世界の真ん中に日本を立たせる」「所得を倍増させる」という希望を語るだけで「どのように実現するか」についての主張は聞こえて来ない。マスコミが見出しにするようなわかりやすい政策を掲げることは他の候補との差別化に繋がるし、次回の選挙で「信念を持った政治家」として捉えられる効果があるのに、不思議と誰もやらない。 「そんな政策があるのか」と言われそうなので、以下の看板政策を考えてみた。 自動運転大国を目指す。米国では自動運転のタクシーが公道を走っているそうだ。つまり、技術的には実用化されている段階だ。必要なのは法整備、もし大型トラックが高速道路を無人運転できる環境が整えば物流革命が起こり、世界に輸出される新幹線と同様に日本発の自動運転システムが世界を席巻するだろう。そのための大規模な投資を行い、一大産業を構築し、お年寄りが気軽に買い物や病院に行ける社会を目指す。その礎に身を捧げる覚悟だとでも言えば、人気出そうなんだけどなあ。 現実的には米国や中国が日本の遥かに先を行っている状況で出し抜くのは容易じゃなさそうだ。それでも、AI、量子コンピュータ、宇宙開発に比べたら遥かに望みがあると思う。

学科長日誌 3)

 日韓で大学の組織の名称の漢字表記は微妙に異なる。例えば、九州大学理学部数学科と釜山大学校自然大学数学科という具合だ。 学科長の仕事の一つが自然大学に属する学科の代表が集まる学科長会議に出席することだ。その会議では学長会議の内容を伝達することと自然大学内での意見集約等多岐に渡る。俺は「会議の内容を聞き漏らして数学科の不利益となる議決が成されることがあってはならない」と思い、会議前は配布される資料を全集中で読み込み、会議中も全集中で聴き耳を立て発言の全てを日本語で要約して書き込んだ。実はそんなに心配する必要はなかった。数学科同期のJIH教授が副学長として学科長会議に参加していたからだ。そうは言っても、俺は外国人学科長として好奇の目に晒されていた。「突然、韓国語能力が向上することはないが、そのための努力を見せることはできる。俺の態度や評判は数学科の先輩教授たちにも伝わるはずだ」と考え、そのパフォーマンスを続けた。 学科長会議は当たり障りのない話題ばかりで終わる日もあったが、基本的には学科間の利害が衝突する場だ。その年度は特にそうだった。「新任教員に供給する研究室が足りない、各学科は占有する空間の容積に応じて使用料金を徴収される、そうすると空間の適正使用が促される」という議題が本部から出されたときは領土問題さながらの自らの学科ファーストの議論がまき起こったし、「年棒制への移行が決定、自然大学内教員を評価、論文実績と学生による講義評価と奉職実績で評価しよう、その点数配分だとウチの学科が不利になる、そもそも異なる分野を一律に評価できるはずもない」みたいな議論が延々と繰り返された。 それまで無関心だった学内行政の世界にどっぷり浸かることになった俺はバランスを保つために数学を拠り所とした。指導する学生とのセミナーを通して「今は時間がなくて取り組めないけど、後に挑戦したい数学の問題」をストックするようになった。数学者としては停滞していたが、社会人として大いに勉強させてもらった時期だった。

不調一覧

 最近の体の不調をまとめてみた。 脚の筋肉の衰え。以前は両足でアヒルの玩具を押すことができたが、徐々に筋力が低下していって、今は右足を寝台の外に投げ出して左足でアヒルを押すようにしている。この際の足の位置に音が鳴りにくいアヒルが配置されていると、「プシュー、プシュー」と空気が漏れる音が聞こえるばかりで部屋の外にSOS信号が伝わらず窮地に陥る。そんなときは歯ぎしりを鳴らし続けて救助を待つしかない。 歯ぎしりができないときがある。その重要な役割を担う歯ぎしりが響かないときがある。何が原因かよくわからないのだが、それは座っているときに頻繁に起きる。真横に人がいるのに気付いてもらえないのは悲しいものがある。 視力の低下。視線入力時にパソコンの画面が滲んで見えるようになった。画面右下に表示される時刻が判別不能になった。可能であれば画面の位置を3センチほど近くに調整してほしい。 食事後の異変。胃瘻に食べ物を入れた後に痰が詰まったり動悸が速くなったりすることが多い。動悸の乱れがこれほど不安を掻き立てるとは思わなかった。 左耳の不調。以前から聞こえにくい状態になることはあったが、鼻吸引を徹底することによってその頻度は激減していた。以前は座ると耳抜きが起こり、聞こえるようになったが、今回はそれが起こらず慢性化している。

自民党総裁選演説会

 自民党総裁選の候補者5人による演説会の生中継がNHKで放送された。以下は各候補に対する寸評である。 小林氏。この人は背が高い。他の候補と並ぶと頭一個分くらい上にある。いずれ総理大臣になる人だと目される。G7などの外交の舞台で各国の首脳たちと並び立ったらさぞかし絵になるだろうし頼もしく感じるだろうと思った。今回は当選することはないだろうけど、実務経験と人心掌握術を磨ききたるべき外交デビューの日に備えてほしい。こういうことを書くと「ルッキズムに囚われている」と非難されそうだが、感じ方は人それぞれだし、最近のコンプライアンス厳守の風潮は行き過ぎだと思うので、敢えて書いた。 茂木氏。トランプ大統領からタフネゴシエイターと評されたが、政界入りする前の経歴と閣僚としての実務経験に裏打ちされた言葉にはその評まんまの重みを感じた。年齢的にも最後の機会と思っての出馬なのだろうが、前回の総裁選での得票状況を見ると全国的な人気はないように見える。安心して総理大臣を任せられる候補の一人なので、世間の耳目を集める派手な選挙運動に期待する。 林氏。茂木氏と同様に官房長官を務めるほどの実務派だ。毎日記者会見をやってテレビに出て知名度は高いはずなのに何故か国民から総理に推す声が上がらない。個人的には茂木氏か林氏のどちらかが当選してほしいと思っているが、派閥が解消された現在の状況ではキングメーカーが票を集められないので党員票を稼げない二人は不利だと思う。 高市氏。いつものように安全保障の話が中心かなと思ったが、「奈良の鹿を蹴る外国人観光客」の話から始まって参政党の劣化コピーのような主張が続いた。しかも、総裁になってからの政策も現実離れしたものばかりだった。「まだ衆参両院で自民党が過半数を占めてるの?」と錯覚させるほどズレていた。はっきり言って彼女のスピーチライターは無能を通り越して背任だと思う。初の女性総裁誕生の期待は撤回することにした。 小泉氏。事前に準備していたのか定かではないが、彼の演説の前半部分は高市氏の演説の意趣返しと言った内容で、自身が初当選した選挙で自民党は野党に転落して谷垣総裁の掛け声で地方を回り国民の声を聞くことから始めたという話だった。やっぱり、この人は人の心や空気の流れを読むことに関して天賦の才能を持っているなあと思った。ただ、あの若さで総理の座に就くのは怖すぎる。閣...

学科長日誌 2)

 学科長になることを事務のKYHさんに伝えると「えっ!?」という返事が返って来た。その背後には「ただでさえ忙しいのにこれ以上仕事を増やしてどうするの」という驚きと疑問があった。ちなみに数学科の事務室はKYHさんと雑用専門のアルバイトの二人だけで、学部と大学院に渡る膨大な書類業務はKYHさんが担っていた。サラッと書いたが、これは凄いことで、1学年に約50名の学生と16名の教員を抱える学科の書類業務と窓口業務を実質一人で担うことができるのはKYHさんの能力の高さに起因していた。俺がいなくなっても数学科への影響はごくわずかだが、KYHさんの場合は数学科に恐慌と飢饉と災害が同時に発生するような事態に陥るだろう。それほど彼女の役割は重要だった。 それがわかるようになったのは学科長になって書類に携わるようになってからだ。大学内には無数の公文書が出回っている。KYHさんはそれらの中で学科長である俺に関連するものだけを選別して送ってくれる。その数は日によって様々だが、学期末や学期始めは一日あたり30通の公文書が送られてきた。その全てが韓国語でPDFファイル化されたものだった。その当時もネット翻訳はあったが、現在のような使い勝手の良さはなかった。俺は後学のためにと思って自力で読み始めた。一通に5分としても公文書を読むだけで午前中が終わってしまう。講義は減免されるが、週3時間の講義があるし、5人の学生の論文指導も疎かにできないし、研究そっちのけで論文が出版されないと解雇されてしまう。 俺は一日三時間を公文書を読む時間の上限に設定して、研究を含めたあらゆる業務の効率化を図った。すると、絵本を読むより漢字由来の単語が多く使用されている公文書の方が遥かに理解しやすいことに気付くようになった。そして送られてくる公文書の重要度を判別できるようになった。 KYHさんの業務に外国人学科長のお守りが加わった。申し訳ないと思いはしたが、有能な彼女の助けなしでは学科が立ち行かなくなると考え、公共の利益のために彼女を研究室に呼び出して、業務連絡と今後の計画に関する質疑応答をしてもらった。数学しか興味がなかった俺が社長気分を味わう日々が始まった。

学科長日誌 1)

 俺が約20年間勤務していた釜山大学数学科にはある鉄の掟があった。それは席次順に二年任期の学科長の奉職に就くという不文律だ。この席次というのが年齢でもなく採用年度でもなく、職階と昇進時期によって決まるもので、大学の統廃合が起きると複雑になる。蜜陽大学が釜山大学に吸収合併されたときに数学科に編入された教授は席次のために着任早々学科長になる羽目になった。その当時は「ふーん、そういうものか」と気にも留めずにいたが、今考えると「学科の人間関係もわからない中で、重鎮たちの意見を汲んで学科の運営をやっていくのは至難の技だ。いくら鉄の掟であっても柔軟に対応するのが受け入れる側がするべき配慮だったんじゃないのか」と傍観者だった自分も含めた学科の対応に憤りを感じている。 その教授は泣き言も言わずに二年間の任期を立派に務め上げた。次の席次は同期のJIH教授だった。俺は「二年後は学科長が回ってくるのか。高度な読み書き能力と意見調整力が要求される学科長の職務を外国人で研究一筋の俺が遂行できるとは誰も思わないだろう。そのときが来れば何らかの対処がなされるはず」と鷹をくくっていた。 事態は年度末に急転直下を迎える。新任学長 ( 日本で言うところの理学部長) が副学長に指名したのはJIH教授だった。ちなみに副学長は官房長官のように実務を一手に担う役職で、その多忙さは学科長の比ではない。つまり、席次が俺に回って来たのだ。狼狽する俺に先輩教授が「順番通りやらなきゃな」と呟いた。「そんな殺生な。定年保証を得るために論文実績が必要な准教授の期間に学科長の業務に忙殺されるなんて非合理の極みだろう」と思ったが、数学科では四代続けて准教授が担当しているという事実の前に口をつぐむしかなかった。もちろん、俺の韓国語能力を疑問視して反対する先輩教授もいた。不思議なことに反対されると反発心が湧いてきて決意が固まるものだ。 俺はその反対する教授を夕食に誘い、マグロ料理の専門店で接待して「やると決まったら一生懸命にやります」みたいなことを言って懐柔策に打って出た。数学しか興味がなかった俺が政治の世界に足を踏み入れた日だった。

総裁選は誰が勝つ?

 NHKのニュースで自民党総裁選に立候補した小林鷹之氏の演説が放送された。彼は「力強く成長する日本、自らの手で守り抜く日本、結束する日本」というスローガンを掲げ、「AI、量子、宇宙の分野で国が投資していく。中略。もう1度世界の真ん中に日本を立たせる」みたいなことを言い始めた。「駄目だ、こりゃあ」と思った。その三つの分野は米国と中国に比べたら、投資額と人材育成という面で天地ほどの差があるのだ。世界中から優秀な頭脳が集まってくる米国、十億人の人口から選抜されるエリートたちが湯水のように湧いてくる中国、それらに少子高齢化が止まらない日本がどうやって世界の真ん中に立てると言うのか。あまりにも現実と剥離した演説は逆効果だと思う。 今回の総裁選は高市氏、小泉氏、林氏、茂木氏、小林氏が出馬を表明している。俺の見立てでは小泉氏が圧倒的有利な立場にいると思う。その理由を以下で述べる。 1)小泉氏が農相に就任してから連日のように備蓄米と小泉氏がテレビに出るようになった。米の平均価格は下がったし、小泉氏の瞬発力は広く国民の知るところとなった。言わば、3ヶ月という大幅なフライングで総裁選に臨んでいるようなものだ。 2)国民からの人気はあっても投票権を持つのは自民党員のみであるが、国会議員の多くは「誰が総理大臣になれば選挙で有利に戦えるか?」という心理が働いて投票先を決めると思う。自民党で影響力を持つと言われる人々が一致団結して小泉氏以外の候補を推すとは考えにくい。だとしたら、他の候補はどんぐりの背比べで票が分散し、勝馬に乗りたい心理から小泉氏が有利になると予想する。 参議院選挙の敗北を受けて、自民党の両院部会で様々な敗因が上げられたらしいが、以下の三党合意で国民に期待を抱かせて反古にした事実は表立った敗因には上がってこない。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/03/103.html 誰が総裁になっても、国民とのボタンの掛け違いに気付かないままだと党勢回復は難しいと思う。

同級生、来たる

 高校の同級生であるMTKとKGSが見舞いに来てくれた。ありがたいことである。「ブログに書いてもいいぞ」と言われたので遠慮なく書かせてもらう。 MTKとは三年間同じクラスで過ごした。彼は覆い隠さないモロ出しの下ネタを得意技にしていた。その一方で政治や社会に対して深い見識と洞察に裏打ちされた独自の批評を披露していた。そのギャップが好感度を上げたのか、定かではないが、彼は生徒会長に選出された。その路線で政治家を目指していると思っていたが、現実はさにあらず、青年期の紆余曲折を経て彼は学者を志す。彼の鋭利で俯瞰的な視点で物事を捉える習慣の積み重ねが評価されたのだろうか、現在は九州大学法学部教授の職に就いている。下ネタが評価の対象になったかどうかは定かでない。 KGSは柔道部で苦楽を共にした戦友とも言える存在だ。柔道部の相関図は懐古録に収録された格闘遍歴を参照されたし。昨日も「若い頃は浮いた話とか一つもなかったし、会社でも出世できないし」とネガティブワードを連発していた。そう、そうなのだ。5人の一年生部員のうちで最も浦山先輩から怒鳴られていたのがKGSだった。浦山先輩の切れ味鋭い投げで転がされ続けた彼はいつしか自他共に認める心の弱さを補って余りある推進力を伴う大外刈りと切れとタイミングを伴った払い腰を会得していく。団体戦で彼よりでかい格上の相手に一本勝ちして周囲を唖然とさせたことは一度や二度ではなかった。浦山先輩の引退後、彼はポイントゲッターの座を引き継いだ。このように負の感情を噴射して推進力に変えるロケットのような経験を繰り返してきたのが彼の半生なのだ。でなければメガバンクの行員は務まらないだろう。 生徒会長と柔道部のエースが我が家に来てくれて俺にとっては夢のような時間を過ごすことができた。もしかしたら、以下の記事で後ろ向きな発言をしたことに端を発しているのかもしれない。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/08/blog-post_19.html だとしたら、たまに噴射してみるのも悪くない。下ネタは覆い隠すつもりだけど。

雪氷

  「今まで食べた甘いもので一番美味しかったものは?」と聞かれた時、真っ先に頭に浮かぶのが、きな粉雪氷(ソルビン)である。 あれは灼熱の太陽が照りつける夏の日だった。 妻の実家の近所で数学の研究をする場所を探して歩くこと数分、眼前に新装の韓国伝統茶菓子店が現れた。涼を得るために入ったが、珈琲一杯の価格もやや高めである。 致し方ない。最も安い珈琲を注文し席に着いた。 しばらくして、妻からの携帯電話が届く。 「そっちに上の子二人を送るから。勉強させてね」 待つこと十数分、汗だくになった長男と次男、だけでなく、妻と長女が三男を乳母車に乗せてやってきた。 その当時、妻は節約の鬼であった。 風呂の残り水を洗濯に用いて水道料金が5千ウォン下がった、と言っては喜ぶほどの入れ込みようだった。 しかし、ここは決して安くないカフェである。 一人一品注文するというのはマナーではないのか? そんな散財を妻が許すはずがない、と恐れおののいていたが、意外や意外、その日の妻は太っ腹であった。 「雪氷を二杯注文して分ければいいんじゃない?」 「一杯8千ウォンで高いけど、今日は特別に、と言うことで」 出てきたのは、最も安いきな粉雪氷とブルーベリー雪氷であった。 雪氷とは牛乳を凍らせたものを細かい粒子にしたもので、匙を入れると新雪を踏み抜くような感触がある。まぶされているのは大量のきな粉であるが、決して侮ってはならない。 この両者が合わさると眉が吊り上るほどの美味しさなのである。 そして、ブルーベリーの脇に隠れたチーズも見逃してはならない。 チーズのほのかな塩味が全体の甘みを引き立てて、非常に高尚な味に仕上がっているのである。どんぶりに山盛りになった雪氷は六人の体に瞬く間に吸い込まれていき、久しぶりに贅沢をした満足感だけが残った。

三男との抗争

 三男が携帯用のホワイトボードにひらがなの五十音を書き始めた。全部書き終えたのを見届けてから文字盤で「す」と伝えると三男が「すごい?」と聞いてきたのでゆっくりと目をつぶった。 話は2ヶ月前に遡る。夏休みに入り、大村滞在が近づいてきた頃、隙あらばipadでゲームをし始める三男を呼び付けて「麻雀のゲームをするか、本を読みなさい」と指導していた。敵もさるもので一旦は従うもののすぐに他のゲームをし始めたり、トイレに行って戻って来ないなどの対抗策を講じてきた。大村から帰ってきた後は「カタカナを兄に教えてもらいなさい」と指導していたが、「宿題を先にしなきゃいけない」とはぐらかさたり、忙しい兄たちを見越して「兄さん、教えて」と言ったりでうまくいかなかった。 三男は小6だ。小1の頃は日本の学校に通っていた。ひらがなとカタカナは習っているはずだ。忘れていたとしても、毎日五十音の書取りをやれば一週間で書けるようになるはずだ。俺は三男以外の家族が参加しているSNSにそのことを投稿して協力を促した。一昨日も、三男が同級生と外食することを許す交換条件として五十音の書取りを要求して、冒頭の状況に至るというわけだ。 昨日、三男が「文字盤?」と聞くので、「し」と伝えると三男は「しんげきのきょじん?」と聞いてきた。俺が目を閉じると、漫画「進撃の巨人」の単行本を持って来て俺の目の前で読み始めた。その直後に三男が「うわあ、今、読める!!」と歓声を上げた。 不覚にも感動してしまった。継続は力なり。次はカタカナだ。

米国戦の雑感

先日の日本対米国戦は視聴できなかったし、ハイライトしか見ていない。メキシコ戦の先発メンバー総入れ替えで臨んだ米国戦だったが、結果は2対0で、決定的な場面を何度も作られての惨敗だった。負けたら批判されるのは代表チームの宿命だ。実際、ベストメンバーを温存して負けた試合を視聴していたならば「俺の時間を返してくれ」と憤っていただろう。 代表戦をどう捉えるかは議論が分かれるところだ。常に全力で挑むべきというのは正論だが、予選突破が決まった後の消化試合や親善試合のように監督の裁量によって本気度が落ちる試合も少なからず存在するというのが現実だ。ただFIFAランキングが上の国との親善試合での総入れ替えというのは議論が分かれるところだし、前代未聞と言える。 一昔前は「先発メンバーの固定化で補欠メンバーとの間に溝がある」と批判されていた。今回の敗戦は長い目で見たら若手に経験を積ませ代表チームの底上げに繋がるものと信じたい。 本職のセンターバックが荒木だけでサイドバックに適性がある関根と長友で急造スリーバックを組むのは無謀だと思った。

住みよい街ランキング

 まずは以下のURLをクリックしてほしい。 https://www.nikkeibp.co.jp/atcl/newsrelease/corp/20250825/ これは日本経済新聞社が調査した「住みよい街」に関する記事だ。2025年の調査で日本全国の住みよい街ランキングの4位に見慣れたような見慣れないような市町村名があるのにお気付きだろうか?東京都の千代田区、港区、中央区のようなそうそうたる大都会の洗練された街の次点に我が故郷である大村市が燦然と輝いているではないか。 もう1度繰り返すが、長崎県内4位ではなく日本全国で4位なのだ。関西弁で表現したら「ヤバない?」を連発する場面だ。しかも、福岡市や札幌市のような住みやすい地方都市として外せない都市より上位にいるのだ。「全てを疑う」ことが習慣として染みついている数学者という職業柄から「何かの間違いだろう。いくら住みやすいと言っても、大村の人口は10万人前後なのだ。住んだことがある人自体が少ないのにどうして上位に食い込めるのだろうか?」という疑いの目で見ていた。 ランキングの算出方法は約2万人のビジネスパーソンを対象に住みやすさに関する項目への回答を点数化するらしい。20人以上の回答があった街のみがランキングされるらしい。ということは20人が大村市について最高評価の回答をしたら上位にランクされるわけだ。 空港、新幹線駅、高速道路のICが揃っている都市は全国でも数箇所しかないらしい。大村市はその中の一つで、交通の便が良さそうに見えるが、市内の移動には車が不可欠である。住んだことがある人ならわかると思うけど、治安も良いし、自然災害も少ないし、子育てもしやすいし、自然が豊かで、人口も増えていて発展が見込まれる一方で、もの足りない部分や長所の裏返しの部分もあるんだよなあ。それらを含めての郷土愛で、全国4位に「どこか居心地が悪いなあ」と感じる次第だ。

極私的麺類ランキング

 最近は気候が涼しくなってきたせいかよく眠れるようになった。以前は2時間熟睡できたら御の字で残りの時間は悶々と過ごしていたが、今は一晩に二回もしくは三回の熟睡が出来るようになった。昨晩はその例外で、最初の目覚めから朝まで眠っているのかいないのかわからないような状態で過ごした。その間に考えたことがある。それは極私的麺類ランキングの選定だ。 とりあえずは、うどん、そば、ラーメン、パスタのように麺類をエントリーすることから始めた。しかし、それぞれ範囲が広すぎてどこまで細分化すればいいのかという問題に直面した。例えば、ラーメンでは即席麺とそれ以外で分けるべきだと思ったし、スープの種類や麺の形状や地域や店舗によって味は千差万別だし、パスタではスパゲティやマカロニやペンネなどの多種多様な形状のものがあり、具材やソースによってまるで異なる食べ物になってしまう。うどんではカレーうどんも含まれるし、そばではざるそばとかけそばは別物だし、ガレット料理も含めるかという議論もある。その四種類だけで終わるはずもなく、ソーメン、ちゃんぽん、焼きそば、が続き、世界に目を向けると、中国における坦々麺やパーコーメンなどのたくさんの中華麺類群、韓国のカルグクスやネンミョンなどのように、地域ごとに麺類は豊富で、俺の海外経験の範囲に限定しても膨大な数の麺類がエントリーされることになる。エントリーが完了したとしてもどのような基準で順位をつけるのかという問題がある。山形で食べたざるそばは美味しかったけど長崎ではうどんしか食べないという場合、どっちが上にランクされるのか基準がないと決められない。極私的なのだから好きなように決めれば良いのだが、元数学者という肩書きが明確な基準を要求して来る。 幼い頃に染み付いた味という基準であれば、断然、ちゃんぽんである。故郷の大村でラーメンは専門店ではなく中華料理屋で食べるものだった。そばは大晦日に食べるもので通常はうどんを食べていた。そのうどんも讃岐のような腰の強い麺ではなく、ご馳走という感じではなかった。パスタはナポリタンとミートソースしかない時代で特別美味しいものではなかった。ちゃんぽんについてはリンガーハット大村高校前店が開店したとき親父が連れて行ってくれたのを鮮明に覚えている。野菜嫌いだった小食の俺が汁まで平らげるほど美味かった。大人になってから長崎市の中華街...

視聴できなかったメキシコ戦の雑感

 昨日はサッカーの日本対メキシコの代表戦がNHK総合で放送されたが、ここではなかった。次男にその試合の視聴方法を尋ねたが、わからずじまいでオンライン礼拝の時間帯とも重なっていたので視聴を諦めることにした。 10分間のハイライト映像しか見てないが、それだけでも本気度の高い緊迫した好ゲームだったことがわかった。しかし、せっかくの日曜午前の地上波放送でスコアレスドローというのはいかがなものだろう。コアとは限らない一般層に史上最強と目される日本代表を印象付ける絶好の機会だったのに「90分視聴してゴール無し」という結果は残念と言う他ない。人々をサッカー沼に導く原動力はゴールの魔力なのだ。いくら良いゲームをしても、それがないともの足りなさを感じてしまうだろう。森保ジャパンが実績の割に人気がないのは、そういう注目を集める時間帯の試合で期待を裏切る結果が多いことと無関係ではないと思う。 最終予選のバーレーン戦での久保と鎌田の連係は特筆すべきものがあった。ダブルボランチの一角を守備力が高いとは言えない鎌田に担わせたのは森保監督の期待の表れだろうし、メキシコのような強豪にも攻撃的布陣で勝ちに行くというメッセージだったと推測している。ケガ人続出のセンターバック陣にも渡辺という売り出し中の新戦力が使える目途が立ったようだし、GKの鈴木も安定感が出てきたようだし、ワールドカップの決勝トーナメントの1回戦を想定した良いシミュレーションになったし、収穫の多いゲームだったと思う、見てないけど。 驚いたのがメキシコの選手のほとんどがメキシコ国内リーグ所属だったことだ。メキシコリーグの水準が高いと聞いてはいたが、ヨーロッパでプレイする選手が少なくてもFIFAランキング13位の座にいるんだということとヨーロッパ並みの年棒が払えるほど国内リーグが潤っているんだという二つの意味で驚いた。Jリーグから海外に流出する選手が多いのは年棒格差があるのが原因の一つに挙げられる。Jリーグもメキシコのように資金力をつけて世界中の名選手が集まるようなリーグになってほしい。 次戦は10日の米国戦だ。韓国に2対0で負けている相手だが、開催国でフィジカルに定評のあるチームだ。視聴できない可能性が高いが、これまでの経験から平日の朝のような視聴率が低そうな時間帯の試合では勝つことが多いので注視したい。

好き嫌いキムチ

 次男はキムチが苦手だ。というより、キムチが材料として含まれる料理には手をつけない、もしくはキムチだけ残すほどのキムチ嫌いだ。次男以外の家族全員がキムチ好きで幼い頃から「水で洗ったキムチを食べさせて、徐々に慣れさせる」教育を受けていたはずなのに、どういうわけか、韓国に住む上で最も嫌いになってはいけない食品の筆頭格を嫌いになってしまった。 日本を代表する漬物と言えばたくあんか梅干しだろうが、それらを嫌いでも食生活に支障をきたすことはないだろう。しかし、韓国でキムチを嫌うことは死活問題と言えば大袈裟だが、それに準ずる生き辛さが付きまとうだろう。例えば、軍隊でキムチ鍋が出たらとか、将来結婚した時にキムチが原因で夫婦喧嘩になったらとか、色々と想像してしまう。 俺も幼い頃に焼きナスを食べて「ナスが胃の中で膨張している」ような感覚に襲われ吐いてしまった経験があり、それ以降、ナスが嫌いになった。40代になって、我慢して食べれるようにはなったが、未だに好んで食べる水準には程遠い。ヨーグルトも食わず嫌いだったが、嚥下能力が低下する過程で心から美味しいと思えるほど好きになった。納豆も韓国のチョングクチャン (納豆汁)を経由することによって克服することができた。 好き嫌いは人それぞれで、強制しようとは思わないし、強制できるものでもない。ただ親として次男に豊かな食生活を送ってほしいと思っている。どこからか「大きなお世話だよ」という声が聞こえてきそうだが。

食べるとは?

 朝の情報番組で「豚肉の生姜焼き」の名店の調理法を紹介していた。豚肉を平たく伸ばしてフライパンの上に置いて両面を三割ほど火を通した秘伝のタレを注ぎ、生姜のすりおろしは最後に入れて生姜の風味を保つという内容だった。見るだけでニンニクと生姜の香りが漂ってきそうで大いに食欲をそそられた。その調理法で作ってやったら子供たちも喜んでくれるだろうなと思った。 空想の話はさておき、一度食べた料理を再現させることに長けた妻に頼んで、口の中だけで味わうことは可能だ。しかし、それはあまり気が進まない。何故そう思うのか?自問自答してみた。気管切開後は誤嚥を気にすることなく食事が出来ると聞いていた。実際、そういうALS患者に会ったこともある。その方の話では飲み込むときにコツが要ると言っていた。自分のツバさえ飲み込めない俺にはそのコツが皆目見当つかないし、到底飲み込める気がしなかった。食べるという行為は舌で味わうことと歯で噛み砕いて飲み込むことだ。味わうだけで飲み込めず吐き出すのでは「食べた」という満足感が得られないし、食べ物に姿を変えた生命体にも申し訳ない気がする。 書いていて気付いたが、他の生命を取り込んで満足感を覚えるというのはずいぶん野蛮な話だと思った。映画「銀河鉄道999」で人間の生命力から抽出される燃料をアンドロイドのメタルメナが自分の体に入れていた場面を思い出した。主人公の鉄朗は幽霊列車で連れさせられた友人ミャウダーを想ってメタルメナを非難する。今考えると、「鉄朗、お前も同じようなことをやっているんだぞ」という気持ちが湧いてきた。 胃瘻を造設してから一度たりとも食べ物を口に入れてない。それは申し訳ない気持ちより満足できない気持ちのほうが大きいと思う。それでいて食べ物に対する興味は尽きない。つくづく俺という人間は煩悩の塊だし、それを一切否定的に感じない俗物だなと思う。

胃もたれ日記

 昨晩もまた消化不良に陥った。夕食はビビンバと味噌汁をミキサーにかけたもので主要なたんぱく質は目玉焼きしかない。原因が分からないまま突然現れる消化不良の病にほとほと手を焼いている。昨晩も胃もたれに苦しみ、妻にそのことを伝えた。普段は冗談めかして「あいご、忙しいから呼ばないで」と言っている妻が豹変して親身になって看護してくれるのが有難かった。なにしろ、消化不良は自分の体内の出来事なので外部からの刺激は全く解決にならない。そうは言っても、苦しみを分かってくれる人がいるというのは精神の安定をもたらすものだ。 しかし、医薬品を入れても、消化を助けると言われるキウイを入れても、胃の中にあるものを注射器で吸い出しても、事態は一向に改善の方向には向かわない。座っている状態でいくら待っても回復の兆しが見えて来ない。それで消灯と共に横になることにする。それからが地獄だった。胃もたれのせいで眠れない。子供たちは全員学期中で起こすわけにはいかない。仮に誰かが起きていたとしても胃もたれ解消にはならない。俺は午前4時までムカつきに耐えながら孤独な時間を過ごした。舌を前歯の裏側に当て続けると軽い吐き気が誘発され、ほんの数秒の間はムカつきが和らぐ。その動作を繰り返していると胃酸過多のような状態になって、ますます眠れなくなった。 もうひとつ気付いたことがある。多くの唾液が分泌されると、それが潤滑油のような役割をして歯軋りの音がほとんど響かないのだ。俺はそのことを逆手にとってスヤスヤと眠る妻の横で鳴らない歯軋りを繰り返して時間が過ぎるのを待った。午前4時になり、妻が起き上がったのを幸いにアヒルを鳴らし妻に「苦しい」と伝えると、妻は「脂汗もかいてないし、胃の中には何もないはずよ。もう治ったんじゃないの?」と診断を下し、水を注入するという処方箋を実行した後、再び深い眠りについた。 そのとき既に咽の奥でゴロゴロと痰が蠢く音が聞こえたが、せっかく眠りについた妻を起こすのは忍びないと思いギリギリまで我慢することにした。その臨海点は午前5時に訪れた。息苦しさに耐えられなくなりアヒルを鳴らしまくったが、妻は寝息を立てるだけで微動だにしない。「もうダメだ」と思った瞬間、寝室に入ってくる人影が見えた。それは眠い目をこすりながら歩いてくる長男だった。吸引を施し、妻が起きたのを確認すると、長男は部屋を出た。妻の処...