食べるとは?
朝の情報番組で「豚肉の生姜焼き」の名店の調理法を紹介していた。豚肉を平たく伸ばしてフライパンの上に置いて両面を三割ほど火を通した秘伝のタレを注ぎ、生姜のすりおろしは最後に入れて生姜の風味を保つという内容だった。見るだけでニンニクと生姜の香りが漂ってきそうで大いに食欲をそそられた。その調理法で作ってやったら子供たちも喜んでくれるだろうなと思った。
空想の話はさておき、一度食べた料理を再現させることに長けた妻に頼んで、口の中だけで味わうことは可能だ。しかし、それはあまり気が進まない。何故そう思うのか?自問自答してみた。気管切開後は誤嚥を気にすることなく食事が出来ると聞いていた。実際、そういうALS患者に会ったこともある。その方の話では飲み込むときにコツが要ると言っていた。自分のツバさえ飲み込めない俺にはそのコツが皆目見当つかないし、到底飲み込める気がしなかった。食べるという行為は舌で味わうことと歯で噛み砕いて飲み込むことだ。味わうだけで飲み込めず吐き出すのでは「食べた」という満足感が得られないし、食べ物に姿を変えた生命体にも申し訳ない気がする。
書いていて気付いたが、他の生命を取り込んで満足感を覚えるというのはずいぶん野蛮な話だと思った。映画「銀河鉄道999」で人間の生命力から抽出される燃料をアンドロイドのメタルメナが自分の体に入れていた場面を思い出した。主人公の鉄朗は幽霊列車で連れさせられた友人ミャウダーを想ってメタルメナを非難する。今考えると、「鉄朗、お前も同じようなことをやっているんだぞ」という気持ちが湧いてきた。
胃瘻を造設してから一度たりとも食べ物を口に入れてない。それは申し訳ない気持ちより満足できない気持ちのほうが大きいと思う。それでいて食べ物に対する興味は尽きない。つくづく俺という人間は煩悩の塊だし、それを一切否定的に感じない俗物だなと思う。
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