学科長日誌 3)
日韓で大学の組織の名称の漢字表記は微妙に異なる。例えば、九州大学理学部数学科と釜山大学校自然大学数学科という具合だ。
学科長の仕事の一つが自然大学に属する学科の代表が集まる学科長会議に出席することだ。その会議では学長会議の内容を伝達することと自然大学内での意見集約等多岐に渡る。俺は「会議の内容を聞き漏らして数学科の不利益となる議決が成されることがあってはならない」と思い、会議前は配布される資料を全集中で読み込み、会議中も全集中で聴き耳を立て発言の全てを日本語で要約して書き込んだ。実はそんなに心配する必要はなかった。数学科同期のJIH教授が副学長として学科長会議に参加していたからだ。そうは言っても、俺は外国人学科長として好奇の目に晒されていた。「突然、韓国語能力が向上することはないが、そのための努力を見せることはできる。俺の態度や評判は数学科の先輩教授たちにも伝わるはずだ」と考え、そのパフォーマンスを続けた。
学科長会議は当たり障りのない話題ばかりで終わる日もあったが、基本的には学科間の利害が衝突する場だ。その年度は特にそうだった。「新任教員に供給する研究室が足りない、各学科は占有する空間の容積に応じて使用料金を徴収される、そうすると空間の適正使用が促される」という議題が本部から出されたときは領土問題さながらの自らの学科ファーストの議論がまき起こったし、「年棒制への移行が決定、自然大学内教員を評価、論文実績と学生による講義評価と奉職実績で評価しよう、その点数配分だとウチの学科が不利になる、そもそも異なる分野を一律に評価できるはずもない」みたいな議論が延々と繰り返された。
それまで無関心だった学内行政の世界にどっぷり浸かることになった俺はバランスを保つために数学を拠り所とした。指導する学生とのセミナーを通して「今は時間がなくて取り組めないけど、後に挑戦したい数学の問題」をストックするようになった。数学者としては停滞していたが、社会人として大いに勉強させてもらった時期だった。
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