学科長日誌 2)

 学科長になることを事務のKYHさんに伝えると「えっ!?」という返事が返って来た。その背後には「ただでさえ忙しいのにこれ以上仕事を増やしてどうするの」という驚きと疑問があった。ちなみに数学科の事務室はKYHさんと雑用専門のアルバイトの二人だけで、学部と大学院に渡る膨大な書類業務はKYHさんが担っていた。サラッと書いたが、これは凄いことで、1学年に約50名の学生と16名の教員を抱える学科の書類業務と窓口業務を実質一人で担うことができるのはKYHさんの能力の高さに起因していた。俺がいなくなっても数学科への影響はごくわずかだが、KYHさんの場合は数学科に恐慌と飢饉と災害が同時に発生するような事態に陥るだろう。それほど彼女の役割は重要だった。

それがわかるようになったのは学科長になって書類に携わるようになってからだ。大学内には無数の公文書が出回っている。KYHさんはそれらの中で学科長である俺に関連するものだけを選別して送ってくれる。その数は日によって様々だが、学期末や学期始めは一日あたり30通の公文書が送られてきた。その全てが韓国語でPDFファイル化されたものだった。その当時もネット翻訳はあったが、現在のような使い勝手の良さはなかった。俺は後学のためにと思って自力で読み始めた。一通に5分としても公文書を読むだけで午前中が終わってしまう。講義は減免されるが、週3時間の講義があるし、5人の学生の論文指導も疎かにできないし、研究そっちのけで論文が出版されないと解雇されてしまう。

俺は一日三時間を公文書を読む時間の上限に設定して、研究を含めたあらゆる業務の効率化を図った。すると、絵本を読むより漢字由来の単語が多く使用されている公文書の方が遥かに理解しやすいことに気付くようになった。そして送られてくる公文書の重要度を判別できるようになった。

KYHさんの業務に外国人学科長のお守りが加わった。申し訳ないと思いはしたが、有能な彼女の助けなしでは学科が立ち行かなくなると考え、公共の利益のために彼女を研究室に呼び出して、業務連絡と今後の計画に関する質疑応答をしてもらった。数学しか興味がなかった俺が社長気分を味わう日々が始まった。



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