学科長日誌 1)
俺が約20年間勤務していた釜山大学数学科にはある鉄の掟があった。それは席次順に二年任期の学科長の奉職に就くという不文律だ。この席次というのが年齢でもなく採用年度でもなく、職階と昇進時期によって決まるもので、大学の統廃合が起きると複雑になる。蜜陽大学が釜山大学に吸収合併されたときに数学科に編入された教授は席次のために着任早々学科長になる羽目になった。その当時は「ふーん、そういうものか」と気にも留めずにいたが、今考えると「学科の人間関係もわからない中で、重鎮たちの意見を汲んで学科の運営をやっていくのは至難の技だ。いくら鉄の掟であっても柔軟に対応するのが受け入れる側がするべき配慮だったんじゃないのか」と傍観者だった自分も含めた学科の対応に憤りを感じている。
その教授は泣き言も言わずに二年間の任期を立派に務め上げた。次の席次は同期のJIH教授だった。俺は「二年後は学科長が回ってくるのか。高度な読み書き能力と意見調整力が要求される学科長の職務を外国人で研究一筋の俺が遂行できるとは誰も思わないだろう。そのときが来れば何らかの対処がなされるはず」と鷹をくくっていた。
事態は年度末に急転直下を迎える。新任学長 ( 日本で言うところの理学部長) が副学長に指名したのはJIH教授だった。ちなみに副学長は官房長官のように実務を一手に担う役職で、その多忙さは学科長の比ではない。つまり、席次が俺に回って来たのだ。狼狽する俺に先輩教授が「順番通りやらなきゃな」と呟いた。「そんな殺生な。定年保証を得るために論文実績が必要な准教授の期間に学科長の業務に忙殺されるなんて非合理の極みだろう」と思ったが、数学科では四代続けて准教授が担当しているという事実の前に口をつぐむしかなかった。もちろん、俺の韓国語能力を疑問視して反対する先輩教授もいた。不思議なことに反対されると反発心が湧いてきて決意が固まるものだ。
俺はその反対する教授を夕食に誘い、マグロ料理の専門店で接待して「やると決まったら一生懸命にやります」みたいなことを言って懐柔策に打って出た。数学しか興味がなかった俺が政治の世界に足を踏み入れた日だった。
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