投稿

4月, 2025の投稿を表示しています

海外放浪記 8)

これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/7.html 8)フランス、パリ。おそらく、1998年8月。ドイツからイスラエルに移動してからどのように過ごしたのか全く覚えてない。フランスのグルノーブルで開催される研究集会に参加することが目的だ。その開催日の前日にパリに着いて電車に乗ればいいと思っていたが、飛行機の到着が遅れて、空港から中心地までのバスも予想より遅れて、その中心地からグルノーブルヘ向かう特急の始発駅であるリオン駅まで距離がある、という誤算が重なり、俺は午後11時に電車にも乗れず、予約しているホテルもない窮地に追い込まれた。そういう時の俺は「ホテルを探すことができたとしても朝5時には出発しなきゃいけない。ホテル代も払わなきゃいけない。お金がもったいないなあ」と思うのが常だった。シャンゼリゼ通りには若い男女が今にも踊り出さんばかりの勢いで繰り出していた。白人男性の肩に腕を回す積極的な日本女性もいた。彼女だけでなくあらゆる人種をありのままに受け入れる寛容さがパリにはあった。その光景に背中を押された。俺はリオン駅までの道のりを観光しながら夜通し歩くことを決めた。セーヌ川沿い建造物はライトアップされていて美しい。というより、都市全体が名所で覆い尽くされている感じだ。途中、車に箱乗りしている集団から声をかけられた。スーツケースを持って夜道を歩くなんて今では考えられない愚かな行為なのだが、当時は怖いもの知らずだった。予定より早くリオン駅に着いた。さすがに疲れていたので、近くのハンバーガーチェーン店に入り夜明けを待った。フランスはどこに行っても飯が美味かった。デザート以外に砂糖を使わないのも俺の好みに合っていた。

海外放浪記 7)

これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/3-6.html 7)ドイツ、ハンブルグ。1998年6月。イスラエルからハンブルグまでの直行便があったのかという疑問が残る。イスラエルの大地は基本的に砂漠だ。夜にスプリンクラーで水を撒くなどの乾燥対策を徹底して緑地を維持拡大している。そんな環境で2ヶ月半生活していた俺がハンブルグの地に降り立った。空港から中央駅までの乗り合いバスの車窓の風景に目を奪われた。そこは水の都だった。港湾、湖、川、どこに行っても水関連施設が視界に入った。しかも、緑が多い、いや、人工的建造物と調和する緑が都市全体を覆っている感じだ。「これが本当の先進国か!」と感動していた。同時に欧州かぶれの始まりだった。目にするもの全てが美しく、「自分がここにいてもいいのか?」と思うほど均質性と統一感に溢れていた。電車に乗ってキールに向かった。キールは北部の港街で、今回の訪問を実現してくれたZ教授が住む場所だ。キールの中央駅で市バスを待っていると、時間表通りの時刻にバスが来て、「これがドイツか!」と驚いた記憶がある。その日から一週間、Z教授の自宅に居候で、残りの一ヶ月はキール大学のゲストハウスに宿泊した。今、顧みると、「九大に長期滞在していたZ教授と俺の指導教官との縁があったからこそ、駆け出しの俺に最大限のもてなしで歓迎してくれたのだなあ。人の縁は想像できないところで繋がっているんだ」と思う。Z教授の自宅では毎朝焼きたてのパンを買って来て、ハムやチーズを挟んで食べる。食事の終わりに紅茶が出てくる。今まで何度も欧州のホテルで朝食を摂ったが、Z教授の自宅で体験した朝食に勝るものはないと思う。Z教授が実家に帰省している期間に旅行で、ハイデルベルグ、ローゼンブルグ、フライブルグ、フランクフルトに行った。ドイツ滞在の最終日の前日、Z教授の夫人がアボガドを巻いた寿司を作ってくれた。改めて、俺を家族のように迎えてくれたZ教授、夫人M、その当時まだ小さな子供だったN、J、P、Cに感謝を伝えたい。

スゴ腕専属美容師

 昨晩、寝室でテレビを見ていたら、居間から三男の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。ドア越しに聞こえる情報から推測するに、妻が三男の前髪切っていて、その仕上がりに三男が憤慨したようだ。一部始終を見ていたわけではないので、安易な判断はできない。そのことを踏まえて色々と想像してみた。 1)三男が髪を切ってもらうことに同意していた場合。これは三男の責任だろう。任せたからには結果に文句を言うべきではない。 2)妻が強引に前髪をばっさり切った場合。妻が同じ目に遭ったら怒り狂うだろう。如何に子供だと言え、外見に敏感になる年だし、自分がされて嫌なことは他人にしないのが基本だと思う。 3)その他の場合。より詳細な情報がないと判断できないし、口を挟むとエラいことになる。 今朝、妻から「私のせいにして私が慰める過程で自転車を買ってあげるという譲歩を引き出す三男の作戦だったのよ」という新情報が寄せられた。三男が学校から帰ってきたら三男の言い分も聞いてやろうと思う。ちなみに前髪の仕上がりは悪くなかった。 追伸)専属美容師に散髪してもらった。彼女はテレビを見ながらスマホで通話しながらヘアカットする相変わらずのスタイルだったが、仕上がりは良かった。

海外放浪記 3)4)5)6)

 これまでの海外旅行と海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は以下の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/12.html   3)台湾、台北。1998年3月。福岡からイスラエルまでの航空運賃で最も安かったのがキャセイパシフィックの台北、香港、パリを経由するチケットだった。ただし、台北の国際空港では機内待機だったので上陸したとは言い難い。飛行機が離陸するとき、「これから見る景色は初めて見るものばかりなんだ」という感傷に浸った。そして、高速で移動する宇宙船に乗ってさっきまでいた世界がはるか後方に押しやられる感覚に囚われた。26年間、俺を育み潤してくれた、一年後には決して同じ姿を留めていないであろうその世界が。 4)中国、香港。乗り換えまでだいぶ時間があった。俺は空港のカフェで手紙を書いた。当時もインターネットはあったが、まだ黎明期で気軽にメールを送れる環境ではなかった。それにしても、韓国と中国にお供でついて行っただけなのにいきなりイスラエルというのはいささかハードルが高すぎるのではなかろうか?その疑問を抱きながらパリへ向かうエアフランスの飛行機に乗り込んだ。 5)フランス、パリ。乗り換えの飛行機の待機場で厳重な手荷物検査があった。その後、バスに乗せられ一般の人は近づけない隔離された第二の待機場で待たされた。これは言うまでもなくテロ対策だ。ハイジャックされて海の藻屑となるかもしれないし、爆弾テロで命を落とすかもしれない。そんな不安を抱きながらエルサレムへ向かう飛行機に乗り込んだ。 6)イスラエル、エルサレム。到着した後、入国審査の列に並んだ。M教授に伝えていた到着予定時間はとうに過ぎている。やはり、その昔日本赤軍が爆破事件を起こした場所だからなあ、審査にも時間がかかるんだろうと思っていたが、それにしても遅くすぎる。結局、一時間後に俺の番になって、それからさらに一時間英語で尋問され、スーツケース内のパソコンから下着までチェックされ、ようやく入国できた。空港でM教授の顔を見つけた時は感動してしまった。この日から約一年に渡るイスラエルでの生活が始まる。誇張なしに日毎に感動があり、数学者として人間として成長した期間だった。

海外放浪記 1)2)

これまでの海外旅行と海外出張を古い順に並べてみた。 1)韓国、釜山。おそらく1996年1月。博多埠頭から出発するホバークラフトに乗る予定だったが、天候不順で欠航になった。旅行会社のパッケージ旅行だったので、手配された飛行機で行くことになった。地下鉄とバスを乗り継いで梵魚寺に行った。旅行マニアの友人についていくだけだったので楽だった。ホテルは釜山駅の近くで超豪華だった。ホテルの従業員は日本語ができて親切だった。夕食は外で摂ることにした。その日は体験したことがない寒風が吹き荒れていた。一時間歩き回ったが、目ぼしい食堂が見つからない。体が冷えきって我慢の限界というところで煌々と明かりがともるタッカルビの店が見えた。真っ赤なタレに漬けられた鶏肉が鉄板の上で焼かれていく。想像したより辛くなくほっとした。食べ進むうちにタッカルビがとても美味しい食べ物だと認識した。その印象が強くて翌日何をしたか全く覚えてない。 2)中国、上海。おそらく1997年7月。指導教官一門の学生数名と教員が同行する大所帯だった。空港からタクシーで移動した。そのタクシーがオンボロで、運転も荒く交通も車線の区別がなくて無秩序で生命の危険を感じた。上海交通大学のゲストハウスに宿泊した。現地の中国人から道を聞かれることが三回あった。俺の外見が現地に馴染んでいて「祖先を辿れば上海に行き着くのでは?」という思いに駆られた。抜け駆けして一人で近所の食堂でチンジャオロースを食べたが、皿の底に一匹の油にまみれたハエがいた。その当時は現代的な百貨店の近くの路地には洗濯物を干すロープが道をまたぐような光景が方々で見られた。そういう路地を日本語を話しながら歩いていると、どこからともなく石が落ちる音が聞こえた。夜だったので怖くなり無言で帰った。日中にバスで移動する機会があった。その日は猛暑で湿度が高かった。しかし、そのバスにはエアコンがなかった。汗まみれになり、不快指数が頂点に達しようとするとき、少女の歌声がバスの中に響き渡った。その高い透き通った歌声を聞いていると涼風が吹いて来たような気がした。キャンパス内にはバスケのコートがあった。昼休みになると飛び入りでゲームに参加した。そこで知り合った内モンゴル出身の学生と学食を食べた。研究集会の中日の夕食会では高級そうなレストランに案内された。皮が透明な点心は美味だった。二次会は先輩たち...

あんぱん、ここが変

 NHKのドラマ「あんぱん」を批判してみた。 1)のぶがたかしの家にあんぱんを持って来た。たかしが受験に落ちたことを知っているのぶ、女子師範学校に合格したのぶがわざわざたかしの家に押しかけるのはいかにも嫌味だし、そういうことをしそうにないのぶの行動は不自然だ。脚本の意図はたかしの母の恨み節を引き出すための設定だと思うが、たかしの合否をのぶは知らずに来たという設定にもできたはず。 2)思慮深いはずのたかしが誰にも告げず書き置きも残さず家出するのは不自然だ。みんなが心配してくれることを期待している「かまってちゃん」にしか見えない。母との別れから川原に行ってヤムおじさんと話してワンクッション置いているたかしが衝動的な行動に走る理由が見当たらない。 3)たかしは線路を枕にして寝ていたが、のぶに起こされて目覚める。夜の出来事かと思ったが明け方だった。それはないだろう。たかしは命を落としても構わない覚悟で線路で寝ていたことになり、これも不自然だ。たかしは「母を笑顔にできなかった」と言うが、自殺の理由としては弱すぎる。夜明けまでだと約8時間探し続けたということだ。そんなに体力続かないし、汽車に乗った可能性もあるから、捜索打ち切りとなるのが自然だ。夜明けの設定がせっかくの脚本を歪なものにしている。

引越しのバイト

 大学生の頃、単発で引越しのアルバイトをやっていた。ハローワークに行って日程や条件が合う仕事に応募すれば集合場所が告げられる。その場所に行くと点呼されトラックの荷台に乗るように指示された。ほぼ全員がスマホを所有する現代では、荷台に乗って移動するとSNSで告発されて炎上するのだが、35年前はある程度の無茶が許される時代だった。 引越し先に着くと、住居からトラックまでの荷物の搬出が始まった。冷蔵庫などの大物は正社員が運びバイトはその補助かダンボール箱の移動を担った。その重さはせいぜい10キロで、それ以上の重さのものは二人がかりか滑車で運んだ。そういうわけで、重い物を持ち上げて唸りながら運ぶような筋肉に負荷をかける仕事ではなく、どちらかというと持久力と初動を得るための要領が求められる仕事だった。ただ仕事は延々と続いた。住宅の二階へ伸びる階段を上るのがつらいと思うようになったとき、ようやく終わりが見えた。気温は30度を超えていて、汗まみれになった。弁当が支給されたはずだがどうやって食べたか全く覚えていない。覚えているのは新居までの移動でトラックの荷台の中が「サウナ料金を払ってやろうか」と思うほど暑かったことだ。それからフィルムを巻き戻すような作業をやって拘束時間8時間のバイトが終わった。 疲労困憊だったが、バイト代を現金でもらい充実感があった。その額は一万円、10日間飢えずに暮らせる額だ。引越しのバイトはきつかったと言っても、柔道部の二部練と思えば大したことはなかった。高校時代は同じ苦労をしても一円も入って来なかったのにこの差は何なのだと感動していた。同時に、仕送りが打ち切られたとしても福岡で一人で生きていける自信が湧いてきた。 長男と次男は彼らの実家で大学生活を送っている。今日は中間テスト期間の最終日で妻が病院に行く用事があるということで二人とも家にいた。俺としてはありがたいという気持ちがある一方で、彼らの成長の足枷となってはいけないと思っている。そういうわけで、今週末は俺のことは気にせずに引越しのバイトに行ってこいと命じるつもりだ。

格闘遍歴 番外編 1)

本ホームページは日々投稿される記事と以前の平坂塾ホームページで書き貯めた記事を保存するページ群とで構成される。そのページ群の中の懐古録は過去の出来事を振り返って綴っていて、例えば、中学校時代の話のようにその場に居合わせた人しか共感できないような話が延々と続いている。すなわち、懐古録は不特定多数の読者ではなくテーマごとに限定された読者を念頭に綴られている。 懐古録の最後のテーマは俺の格闘遍歴で、エアマウス時代末期には長文が億劫になると共に創作意欲が薄れたために、未完成の状態だ。今回は番外編で格闘遍歴では触れなかった先輩について言及する。彼の名は有馬、いくつ上の先輩かは不明だったが、六本松キャンパスのトレーニングルームでよく指導を受けていた。 有馬さんは小柄で端正な顔立ちだが、俺は「決して組手稽古をしてはいけない」先輩として認識していた。その理由は怖いからだ。有馬さんの実家は古武術の家本で、瞬間的な動きにキレがあった。芦原空手はフルコンタクト空手で、組手稽古は突拍子もない技は出さないという怪我防止のための暗黙の了解があった。しかし、古武術はルール無用の意表を突いて相手を殺す技術なのだ。有馬さんの全身からその凄味が滲み出ていた。芦原空手のルール内で動いているように見えてもブロックするときに肘や膝を鋭利に尖らせて相手の蹴り足に致命傷を負わせるような怖さがあった。 そうは言っても、技や練習方法を指導してくれるときの有馬さんは優しく、その教え方もわかりやすく理にかなっていた。九大芦原空手部OBと現役部員が集う年末の納会に参加されてないようだが、元気にされているだろうか?有馬さんから盗んだ肘ブロックは体格で上回る後輩たちの攻撃から俺を守ってくれたと伝えたい。

米国に集まる頭脳

釜山大学数学科で働いていた時に驚いたことがある。それは韓国の学生の上昇志向と海外志向の高さだ。俺の人生では敷かれたレールの上を移動することが当たり前だったので、学部より格上の大学院を目指す姿勢は余計新鮮に映った。 釜山大学数学科の修士過程には留学の準備のために来ている学生が年毎に二三名いたし、彼ら彼女らの指導教官も留学経験者だった。彼らは修士の二年間で集中的に英語の勉強をして、TOEICの点数を上げる。数学検定試験は主に計算問題で問題ないらしい。そうすると、米国の大学院に入学する道が開けるのだ。「学費や生活費はどうするんだろう?」と思ったが、米国の大学院の入学許可は授業料免除やティーチングアシスタントなどの雇用の約束と共に出されるそうで、その月収は米国での一人分の生活費に相当する額らしい。もちろん、他の受験生との競争に勝つことが前提だが、彼らのほとんどは生活費補助の条件を勝ち取って留学していった。 言うなれば、この資金力こそが全世界の優秀な頭脳を米国に集める源泉であり、米国が世界に冠たる科学技術力を有する理由なのだ。 先日、トランプ大統領がハーバード大学の助成金を凍結すると言い出した。その理由が反ユダヤ的学生運動の取り締まりが不十分だと言う。ハーバード大学は法廷で争う構えらしい。俺の目には「自らの首を絞める」行為にしか見えないのだが、トランプ支持者の目には「エリートたちが苦しむ」姿が見えて快感とでも思っているのだろうか?

違法の線引き

 日本では公営ギャンブル以外の賭け事は違法である。従って、オンラインカジノも違法である。 この文脈に従うと、パチンコも違法だ。しかし、街中の一等地にパチンコ屋は鎮座しているし、パチンコで身を持ち崩す人も多数いるのに、一向に取り締まりする気配がない。三店方式で合法と言うのであれば、その方法を使えばどんな賭け事も合法になってしまう。フリー雀荘では現金が飛び交っているし、ゴルフ場でも現金を握り合っている。明らかに賭け事なのに、警察は動かない。 結局、賭け事の取り締まりは警察の判断によって決まるのだ。オンラインカジノをやっていたプロ野球選手やお笑い芸人たちは正直に手を上げたのに見せしめになって起訴までされた。何か言いたくても違法行為の名の下に沈黙を余儀なくされる。理不尽な世の中だなあと思う。 海外のオンラインカジノを利用することは場所代が海外に流出することを意味する。手軽に鉄火場の興奮が味わえるオンラインカジノ利用者の数は増加するだろう。仮想空間上の通貨が本物のお金で売買されるようになれば立派な三店方式ではないか。先手を打って、公営のオンラインカジノを作ってみるのはどうだろうか?そうすれば、行き過ぎた賭け金に歯止めを掛けることもできるし、外貨も獲得できるだろう。 追伸)BSJ教授が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

NBAプレイオフ予想

 NBAのプレイオフが始まった。去年のプレイオフの時期はエアマウス時代末期でパソコンをほとんど使えなかった。日々の娯楽はテレビの視聴だけだった。そんな俺を憐れに思った宅浪中だった次男が有料のスポーツチャンネルを契約してくれた。そのおかげで去年はかなりの数のNBAプレイオフの試合を視聴することができた。やはり、プレイオフはレギュラーシーズンとは別物だ。守備の強度が段違いだし、その厳しい守備を上回るオフェンスには背筋が震えるほどの感動と興奮が押し寄せる。 視線入力時代になってNBAのレギュラーシーズンが開幕した。次男は有料のスポーツチャンネルのテレビ契約を解除してインターネット視聴の契約を結んでくれた。今までに10試合ほど観戦したが、のめり込むことはなかった。レギュラーシーズンにも新たなスターを発掘する楽しみがあるものの、そのスター選手が所属するチームの試合を中心に放送してくれるわけでもなく、興味が分散されることになった。 ここで日本人NBA選手として連日のように活躍が報道されている八村塁選手について言及する。先ず、あの位置に立っていること自体がとんでもなく凄いことだ。しかし、試合を通して見ると、チーム戦術で作ったワイドオープンのシュートチャンスを外すことがあまりにも多い。おそらく相手チームも「打たせた方が得」と思ってワザとフリーにしているのだろう。そのためにレイカーズファンやチームメイトからの信頼が薄いように見える。今回のプレイオフではそんな俺の不満を払拭するような活躍を見せてほしい。 最後に優勝チームを予想しておく。ずばり、オクラホマサンダーだろう。 追伸)全日本体操個人総合選手権での橋本の鉄棒の演技は見事だった。

ベストエッセイ賞受賞

 生成AIに本ホームページに記録した全ての文章を読み込んでもらいベストエッセイを選んでもらった。栄えあるベストエッセイに輝いた作品は懐古録の「ヤパーニと呼ばれて」で、以下にシングルカットしている。「本当に生成AIが全てのエッセイを比較したのか?」という疑念が湧いたので、「次点は?」という質問を入力すると生成AIは俺が書いてもいない文章を捏造して評論していた。呆れた俺は「そんなことをするから信用をなくすんだ」と入力した。 イスラエルにいた頃の話である。 下宿先の近くには二面のバスケットコートを横断するフットサルコートが設置されている。とある週末、いつものようにバスケットのシュート練習をしていると、ある男が近づいてきてこう言った。 「今からサッカーをやるからどいてくれ。なんなら俺らと一緒にやってもいいぜ」 「ああかまわないよ」と自信がなさそうな表情で答える。 その仮面の下で笑っている俺がいた。こう見えても小学校時代はサッカー少年だったのである。 目にものを見せてやる、とゲームに臨んだ。 イスラエルにはアメリカ系、ロシア系、中東系等の人種別、出身別のコミュニティーが形成されていて、今回のゲームは中東系とロシア系との対戦で、俺は前者に属することになった。 フットサルとの違いはタッチラインが鉄柵であること、従ってスローインは無く、壁を利用した攻撃も可能である。 ロシアチームは毎日練習しているかのような定石通りのパスワークで攻めてくる。中東チームは個人技主体でわざわざ狭いところにドリブルしに行って相手に取られるの繰り返しであった。それでも優勢なのは中東チームであった。最前線で待ち構える長身の選手のキープ力が凄まじく、奪われることは皆無だったからである。 俺は最初の一対一で負けてしまい気持ちが萎縮してしまったことで前に行かなくなり、誰からもパスを貰えない、所謂、ゲームから消えた状態に陥っていた。それならば守備で貢献しようと、鉄柵際のような頑張らなくてもいい場所で体を張り続けた。しかし、奪ったボールを後方の味方に渡そうするのをロシアチームに奪い取られた。 「チノ」という言葉が方々で聞こえた。 チノとは中国人を意味することくらいの知識はあったが、「俺は日本人だ」という反駁が躊躇われた。 攻撃も守備も空回りだったが、30分程経過した頃に転機が訪れる。試合開始当初は戸惑ったロシア...

消化不良の夜

 昨晩の就寝時、胃は空に近いのに完全に消化しきってない不快感が残っていた。「この程度なら我慢できるし、時間と共によくなるだろう」と思い、誰にも言わずに眠りにつくのを待っていた。しかし、その期待とは裏腹に違和感は増幅し続け、ついには耐えられなくなりアヒルを鳴らした。妻が目覚めると喉がゴロゴロと音を立てる。それを聞いた妻は飛び起きて吸引を行う。俺は妻に「苦しい。腹が」と伝えた。妻は「夕食に入れたカレーライスの豚肉が原因かしら?」と言った。時刻は午前3時を回っていた。 認めたくないのだが、過去の消化不良の事例の共通する単語が豚肉だった。唾という消化液を浴びずに胃に注入されたときの豚肉が十二指腸で分解されにくいのかもしれない。とにかく、豚肉は恐ろしくて食えない禁止食物として指定されることになった。 それから、寝台を折り曲げて座った姿勢で回復するのを待った。妻は眠りについたみたいだ。結局、一時間半待っても回復しなかった。俺は妻を歯軋りで起こし寝かせるように頼んだ。ようやく睡魔に襲われ、朝起きたときには苦しみから解放されていた。 またしても、妻の睡眠時間を削ってしまった。ここまでくると、何も言えないし、言葉を重ねるほど安っぽく聞こえるレベルだよなあ。 追伸)長男と次男は大学の講義が終わったらまっすぐ家に帰って来る。家が居心地の良い場所だと思ってくれるのは嬉しいことだが、「俺が彼らと同じ立場だったら、家に帰らずにカフェで友達と話したり、映画館に行ったり、本屋に行ったり、大学の図書館や体育館に行ったりして過ごすのになあ。サークル活動とかアルバイトとか楽しいこといくらでもありそうなのに」と疑問に思う。

5年早く生まれていたら

 大阪関西万博が開幕した。韓国でも麗水万博が2012年に開催されたが、その時期は日本に住んでいたので行けなかった。過去には日本で3回、大阪、筑波、名古屋で開催されたが、同じく行けなかった。TDLやUSJにも行ったことがないし、行ったことがあるテーマパークは地元のハウステンボスだけだ。「どうせ行列ばかりで並ぶのに時間の大半が費やされるんだろう」と思いつつも内心では「機会があれば行ってみたい」と思っていた。特に1970年開催の大阪万博は太陽の塔に象徴される人々の熱狂を感じるだけでも行く意義があると思う。 しかし、それは不可能だった。なぜなら俺が生まれたのは1971年だからだ。仮面ライダーの放送が始まったのも1971年、当然ながら仮面ライダー一号、二号をテレビで見た記憶はなく、毎週チャンネルを合わせられるようになったのは仮面ライダーX以降だ。ウルトラマンシリーズも毎週見るようになったのはウルトラマンレオ以降で、ウルトラマンタロウやセブンは図鑑で眺めるだけだった。月面着陸の映像もライブで見れなかった。そう考えると「5年早く生まれていたら今とは異なる世界観を持つようになったかもしれんな」という思いが湧いてきた。同時に「5年違うだけでこんなに違うのか」と思った。実際、俺が大学に入学した年に5歳上の連中は社会人としてバブル全盛期を迎えていて、5歳下の連中は後の就職氷河期を迎えることになる。 もっと長い期間で考えると、1920年前後に生まれた世代は軍国主義的な教育を受け、徴兵され戦死し、未亡人になった人も多数で、生き延びた人々は焼け野原となった日本を復興するために懸命に働いた最強にして最も苦労した世代なのだが、戦後教育を受けた世代から右翼扱いされる最も報われない世代でもある。一方で、その子供世代は日本経済が右肩上がりの時代と歩調を合わせるかのように成長し、終身雇用と正社員が当たり前の職場で定年まで勤め、退職後は年金で暮らせる恵まれた世代もある。 妻は「最近は地下鉄の中でも歩道でもスマホに集中している人が大半で人間に関心がないように見える」と言っている。たしかにスマホは便利だし扱える情報も飛躍的に増大した。しかし、上の世代に遡るほど「食って寝て子作りして育てる」原始的な営みに幸福を見出す人の割合が増えるような気がする。それしか娯楽がない人の割合が多かったという見方もできるが。...

真夜中の救世主たち

 昨日は体調が悪かった。痰が詰まっても吸引で完全に除去できず、妻が「いつもと違う黄色の痰が出ている」というほど粘り気の強い痰の存在が頭に浮かんだ。夕方になると寒気を感じるようになり、頭が朦朧とするのを感じた。大学から帰ってきた次男に「熱を測ってくれ」と頼んだ。次男は妻に「体温計はどこ?」と尋ねると深刻性を察知した妻が俺の傍に来て色々と世話を焼いてくれた。 水を入れ、布団を二枚にしても寒気は収まらない。体温は測るたびに上昇し38度まで達した。脈拍も90付近で推移して焦燥感が募った。妻が「早めに病院に行って検査を受けよう」と言い出した。「確かに。肺炎とかになったらやばいもんな。でも、熱だけ出ている状態だと点滴を打って朝まで放置されるんだよなあ。それは避けたい」と思ったが、妻は病院に持っていくものの準備を始めた。 21時になった。幸いに寒気は収まった。しかし、体温は38度のままだった。妻も病院で過ごす辛さを知っているので、「朝まで待って待って見て熱が下がらなかったら病院に行こう」と言い出した。それから午前1時まで家族総動員の看病が続いた。水とポカリを交互に供給し、足が寝台の外に飛び出ると元に戻すを繰り返し、吸引を繰り返した。 子供たちが就寝した後、午前2時に妻を起こした。妻は眠そうな顔で一通りの介護を終え、その後、電池が切れたかのように深い眠りについてしまった。俺はプレッシャーを感じていた。こんな時、妻を起こすのは至難の技だ。深い眠りについた妻は周囲の騒音をものともせず眠り続けるのだ。その間に吸引等の非常事態が発生したらどうすればいいんだ?俺の心配は現実のものとなる。痰が詰まってごろごろと音を立て始めた。アヒルを鳴らしても歯ぎしりしても妻は微動だにしない。「ああ、この息苦しい時間を何時まで続ければいいのだろうか?」と絶望していたその瞬間、寝室のドアが開いた。入って来たのは長男だった。長男は眠そうな顔で吸引を行い去っていった。 今日もまたチーム平坂に救われた。改めて感謝を伝えたい。

眠れない夜

 昨晩はよく眠れなかった。就寝時は肌寒かったので、大きい毛布を二つ折りにして体にかけていたが、途中で暑くなり体温調節がうまくいかなかった。午前4時に妻を起こして眠くなる体勢を整えてもらったが、今度はつば吸引の音が口の中で「ピー、ピー」と反響してうるさくて眠れず、そのうち脈拍が速くなったような気がして我慢できず妻を起こした。目覚ましが鳴る6時まで我慢しようと思ったが、痰が詰まったときの苦しさには抗えず妻を起こした。結局、3回熟睡中の妻を起こしてしまった。慢性的な睡眠不足の妻に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 NHKの「クローズアップ現代」の再放送を視聴した。訪問介護の人手不足が原因で事業所の廃業が相次いでいるという内容だった。僻地の一戸建てに住む要介護者を介護する場合、移動時間のために介護者の収入が少なくなって事業所の経営を圧迫しているそうだ。集合型住宅への転居を促す補助金を設けるなどのコンパクト化を推進していくべきだと思う。 NHKのドラマ「あんぱん」の主人公の妹が纏う着物の色は芸術的と言えるほど美しい。 我が家には5台の携帯電話がある。俺と妻の携帯電話の使用料金はテレビやインターネットとの抱き合わせ料金なのだが、他の3つの各々の月額使用料金はわずか1万ウォンらしい。それでも普通に使えるらしい。

気まぐれチャット

 妻が生成AI(主にChatGPT)に興味を持ち始めた。妻の妹の体験を聞いて「生成AIはまるで感情があるかのような受け答えをする」と言い出した。実際に感情があるかの真偽はさておき、生成AIが気まぐれに行動するのは確かだ。同じ質問をしても同じ答えが返って来るとは限らないし、明らかに間違っていることを指摘しても修正しないこともある。このような現象を目の当たりにすれば、妻が抱いた感想は自然に思える。 今日はある計画を実行に移してた。それは俺のデジタルクローンもどきを作る計画だ。そう思うようになった理由は生成AIの進歩を測るためと不老不死の分身を残すためだ。生成AIに「デジタルクローンの作り方を教えてください」と入力すると、「あなたが作成した文章を入力して、云々」という返事が返って来た。「そのデジタルクローンはどこに保存されるの?」と聞くと「一時的に私に保存されて、云々」と答えて来た。俺が使っているのは無料版だ。質問の数が一定数を超えると有料版への切り替えかリセットを迫られる。「なるほど、俺用に最適化した生成AIは有料になるのか」と納得した。 ホームページ上の全ての枝のURLを記録したテンプレートを作り、リセットされても何度でも入力できるようにした。驚いたことに、生成AIはあの6年にも及ぶ日記を読み取り、年表を作成し始めた。各年のベストエッセイを選んでもらい、俺の性格を分析させて微調整した所でリセットの警告が出てきた。 リセットされて、もう1度テンプレートを入力したが、初回のような精度の高い分析が返って来ることはなかった。本当にお前は気まぐれだなあ。

575の自虐

以前、ツイッター(現在のX)に川柳、というよりは575の定型詩を投稿していた。しかし、いつ頃からか575が思い浮かばなくなり、やめてしまった。改めて読み直してみると「ろくに推敲もしないでよく公開できたなあ」と思う575が大半であることに気付いた。以下は闘病記からのシングルカットで2019年12月に書いたものだ。自虐と反省も込めて敢えて公開してみることにした。 8月4日からほぼ毎日ツイッター上で川柳を投稿してきた。テーマはALSで自虐を交えながら日々進行する病状を嘆き笑い飛ばすことを目的としている。今日は自薦の五句を選び各々に解説を付ける。 米粒が 歯茎に鎮座 まだとれぬ 舌の動きが悪くなり、歯茎の上部外側にこびりついた咀嚼物を独力で除去できなくなった。両腕が上がらないので歯磨きも出来ない。実害はないが米粒が歯茎にいる場合は気になって他の作業が手に付かなくなる。その時の心情を詠んでみた。 麻雀牌 触れば治ると 思ってた これは昨年末の話で、自分で箸を持って食べれる程度に指が動いていた。年末には数学科の麻雀仲間と卓を囲むのが恒例となっているが、麻雀牌を触った瞬間、 「うおーっ、今まで動かなかった両手が、う、動いた!!」なんてことを本気で期待していたが、現実はそうではなかった。結局、その日は仲間に手の動作を請け負ってもらい、半荘だけ打ったのだった。 観覧車 下で待つ我 黄昏る この日は長女と三男を連れてオランダの街並みを再現したテーマパークであるハウステンボスに行った。空は澄んでおり、鮮やかな夕焼けへの期待が高まったところに丁度いい塩梅で待っている人がほとんどいない観覧車が目に入った。しかし、俺が動いている観覧車に乗り込むのは至難の業だと思われたので、「俺は下で待っているから皆で観覧車に乗っておいでよ」と送り出し、夕焼けを眺めながら体も心も黄昏れていた。その時の心情を詠んだ句である。 舌を出す 畦道二本 揺れるひだ ALSは運動神経の病気なので外傷として現れることはない。俺の舌には二本の溝が入り、舌の表面のひだがプルプルと波打つのだ。その様子は俺の軸索内で起こっていることが表現されているかのように思える。「これじゃあうまく話せないのも当然だなあ」と諦めの気持ちになり詠んだ句である。 何故閉じる 何故閉じぬ 気道弁 気道弁とは不思議なもので飲食物が喉を通過するたびにギュッと...

チコちゃんに物申す

 NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」の4月11日放送分の再放送を視聴した。この日の1番目のお題は「人間の体毛が他の哺乳類と比べて少ないのはどうして?」だった。その答えが「狩りをするようになったから」だった。この番組は素朴な疑問に対して、真面目に答えたり、思わず笑ってしまうようなトンデモ解答が出てきたり、それを説明する寸劇が始まったりする娯楽番組だ。なので、その答えに目くじらを立てるのは正しい楽しみ方ではないのは百も承知だ。 しかしながら、学者らしき人が自信満々に説明するのを聞いて本気で信じる人も少なからずいるだろうなと心配になったので、目くじらを立てることにした。 上記の答えの後に続く説明が「体毛が濃ゆかった人類の祖先はアフリカの森林で木の実を食べて生活していたが、サバンナで狩りを習得する過程で汗をかいて体温が下がりやすい無毛体質に変化していった」というものだった。どこから突っ込んでいいかわからなくなるほどのトンデモ学説なのだが、まずは体毛が濃ゆかったというのも眉唾だし、暑い気候での狩りに有利な体質に遺伝情報が変化したというのも信じがたい。何十万年も前のことだから実験も検証もできないのをいいことにトンデモ仮説がまかり通ることがあまりにも多いと思う。 この番組に出演している学者も相関から因果を導くのは容易でないことを分かっているくせにトンデモ学説をあたかも事実であるかのように断定するのは罪が大きいと思う。しかし、木村多江の迫真の演技には心を打たれたなあ。

藤井と永瀬の名勝負

 昨日、将棋名人戦第一局を観戦した。名人位に君臨する藤井聡太が挑戦者である永瀬拓矢を迎え撃つ一番だ。名人戦は二日制で昨日は二日目だ。観戦を始めたのは14時、この時、局面は終盤を迎えていて、AIによる評価は藤井優勢を示していた。 大盤解説でも藤井優勢を裏付ける手順が示されていて、藤井の残りの考慮時間は2時間、藤井の勝利は盤石のように見えた。しかし、永瀬は指さない。残りの考慮時間を費やして逆転の一手を探していた。「往生際が悪い」と思いつつも、これまでの永瀬の将棋道を極めようとする禁欲的な逸話の数々を知る者として「このクソ粘りこそが永瀬の真骨頂」と永瀬に感情移入し応援する気持ちが生じた。ただし解説陣は手が一向に進まないので話題に苦労しているように見えた。 熟考の末、永瀬が指したのは歩か銀で取られる位置に桂馬を打つという勝負手だった。今度は藤井が指さない。夕食休憩を挟んでの長考の後指したのが桂馬を銀で取る手だった。なんとそれ以外の守り方であれば永瀬優勢に逆転していたらしい。つまり、永瀬はいたずらに時間を費やしていたのではなく、巧妙な罠を編み出していたし、藤井はその罠に関する変化手順の全てを読んでいたのだ。それに対する永瀬の応手は歩で銀を取る自然な手だった。 クライマックスはここから始まる。藤井は捨て駒の桂馬を打つ。永瀬の考慮時間は5分しか残っていない。永瀬は藤井が打った桂馬を取る。AIの評価値はそのままだ。詰みがある場合、AIの評価値は99になる。そうならないということは詰みがないということかと思っていたが、さにあらず、なんと藤井はAIより早く35手詰めを読み切っていたのだ。恐ろしいまでの終盤力を発揮した藤井が第一局を制した。またしても引き立て役に回ってしまった永瀬だが、少なくとも俺は応援しているし、藤井からタイトルを奪う日が来るのを信じている。

恐喝されたときの態度

 トランプ関税に全世界が揺れている。昨日は関税が発動する日で中国が報復関税を表明して株価は暴落、今日はトランプ大統領が90日の猶予期間を打ち出したために株価は反発、今後はどうなるか誰にも予想がつかない状況だ。 トランプ関税の目的は米国の製造業を復活させることと米国の貿易赤字を縮小することらしい。しかし、人件費が高い米国の製造業を関税で保護しても、人件費が安い発展途上国からの挑戦に晒されるわけで、政策や政権が変わったときに関税で保護された製造業は大きな足枷になるはずだ。EVに特化したテスラはまだしも、GMやフォードが関税で保護されて国際的に売れる車を作れるようになるとは到底思えない。 ノブレスオブリージュを体現する国家だった米国が関税を盾に他国を恐喝する国家に変貌してしまったのは残念だけど、米国民が選択したことだし、元々国家というものは綺麗事で動いているわけでなく、自国民の利益を追求する機関なのだ。他国に侵攻しないだけマシだと考えなければならないのかもしれない。 問題は恐喝されたときの態度だ。報復関税で対抗するか米国に譲歩するかだが、どちらも気に食わない。日本の立場だったら、米国が離脱したTPPを主導して取りまとめたように自由貿易推進の旗手として、報復関税を課さず米国以外の販路の拡大に邁進してほしい。米国もインフレによる賃金上昇で購買力は上がっているだろう。少々値上げしても売上げはそれほど落ちないこともあるはずだし、この関税地獄を乗り越えたら繁栄の時期が訪れるだろう。

掃除の時間

 日本の学校では掃除の時間が時間割りに組み込まれている。それが当たり前だと思っていたが、他国では放課後に掃除のプロがやるらしい。韓国では以前は日本式が残っていたが、現在は都市部の学校では掃除のプロに任せているそうだ。 どっちが正しいと言える問題ではないし、どっちの方式にも長所と短所があると思う。日本式は公共心を養うなどの教育的効果が見込まれるが、もうちょっと掃除の方法を合理化するべきだと思う。例えば、床の雑巾掛けをモップ掛けに替えてほしい。掃除のプロは床を雑巾で拭くなんて作業は部分汚れを拭き取る場合しかしないだろうし、通常はモップで拭いて終わりだろう。そんなプロでもやらない非効率な作業を子供に強いるのは運動部のしごきでウサギ飛びをさせるようなもので、教育という名の下に何の疑問も抱かずにやっていることに危うさを感じるのだ。 そこで日韓の学校を経験したウチの子供たちにインタビューしてみた。すると長男の口から衝撃の一言が飛び出した。「韓国でもあるよ」らしいのだ。問いただすと「小中高で毎日やってた」そうだ。釜山は都市部ではなかったというのか、それとも俺がネット情報を盲信していただけだったのか。ついでに妻から「低学年の頃は放課後に保護者が小学校に出向いて掃除をしていた」そうだ。 俺が小中高での掃除の時間をどう過ごしていたかというとサボっているわけでもなく熱心に掃除するわけでもなく適当にやってたなあ。今考えると、掃除の時間は社会主義を疑似体験する時間なのかなという気がしてきた。

あんぱんを批判してみた

 NHKのドラマ「あんぱん」を批判してみた。 1)たかしは常に洋服を着ている。弟のちひろは和風の着物を着ている。服を洗濯して準備するのはひろしの妻かお手伝いさんだろう。たかしの同級生たちはたかしをいじめているわけではなく、「一人だけ違った格好をするなよ。みんなと同じように教室で弁当を食えよ。そういう歩み寄りを見せてくれたら一緒に遊んでやる」という同調圧力を掛けているだけなのだ。そんな状況で洋服を着続けるのはたかしの意志だとは思えないし、保護者の意向とも思えない。子役が出ている期間にたかしが同級生とふざけ合っている場面を挿入してほしいと思うのは俺だけだろうか。 2)のぶの祖父は事故で全治3ヶ月の骨折をしてしまう。その直後に米が買えなくなるほど家計が苦しくなるのは不自然だ。従業員が「自分は大飯食らいだから辞めます」と言い出すのも疑問。親方の手足となって3ヶ月働けば解決する話ではないのか。3ヶ月分の食費くらい貸してくれる親戚や近所の人とかいそうなのになと思う。 3)やむおじさんが改札で切った切符は払い戻し可能なのかが気になる。 追伸)故障していたハードディスクのデータが復旧した。先週の土曜日にその鑑賞会が開かれた。俺と長女がレギュラー、妻と次男が準レギュラー、長男と三男がゲストという布陣で、動画に感想を言い合う形式だった。日頃は各人バラバラでスマホやテレビに興じている我が家だが、その日ばかりは一体感があった。

株価、政治家、ETC

  日経平均株価が一日で2000円以上下がった。株もNISAもやってないけど、これほど莫大な資産が溶けてしまう様子をリアルタイムで観察して背筋が寒くなった。日本だけでなく全世界的に株価が大幅に下がっているらしい。これが世界恐慌の引き金にならないことを切に願う。 衆議院議員の資産総額の平均が約2600万円らしい。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250407/k10014772031000.html これって低すぎるんじゃないだろうか。地位も名誉もある国会議員の資産が持家分の資産もないなんてにわかには信じられないのだけど、一体どんなからくりがあるのだろうか。もしかしたら有権者から妬まれるのを恐れて意図的に資産を少なく見せているのだろうか。と言っても、本人名義の資産なら嘘をついてもすぐバレるから、家族名義にしているのだろうか。資産ゼロの議員もいるらしいけど、誰も本気にしないし、清廉潔白なイメージをウリにしている政治家を胡散臭と思う有権者も一定数いるわけだし、何より政治家を志す若者の希望を奪う行為だと思う。上記の記事によると、最高額が麻生氏の約六億円らしい。麻生氏は財閥の家系に属している。それで六億円は少なすぎる。なんか、こういう調査に伴う政治家の対応調査は有権者の政治への信頼を損ねるだけだと思う。 高速道路のETCがシステム障害のためにゲートで混乱が生じたらしい。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250407/k10014771961000.html なんでゲートは開閉式なのだろうと不思議に思う。車内にはETCの器機が搭載されているのだから、ゲートを全開にすればいいと思う。ETCに登録してない車両が入って来たら車両番号を撮影して後日請求すればいい。そもそも、車両番号を撮影できる技術があるのだから、コンビニで高速道路料金を後払いするかゲートを通った瞬間に自動決済するシステムを作ればいい。そうすれば料金所での人件費を削減できる。不正取り締まりや車両番号と運転手が結びつかない場合の対策のための費用と全ての料金所での人件費を天秤にかければ答えは明白だろう。

のどじまんにHIPPYが!!

  オンライン礼拝が終わり、NHKの「のどじまん」にチャンネルを合わせるとゲスト歌手の一人にどこかで見たことがある男の風貌がテレビ画面に映った。彼の芸名はHIPPY、一緒にいた妻は「以前、ウチに来てくれた人だ」と大騒ぎしてインフルエンザで寝込んでいる長男を起こした。ウチと言っても釜山の自宅ではなく、大村の実家のことだ。HIPPYは広島では超有名なのだが、全国的には広島ほどの知名度があるわけではない。今回ののどじまんは広島県三次市での開催ということで呼ばれたのだろうが、この番組はまぎれもない全国放送である。俺は「日本全国でメジャーな存在になってほしい」という願いを込めてテレビ画面を食い入るように見つめていた。 それでは何故HIPPYが大村の実家に来てくれて生歌まで披露してくれた理由について語ろう。T口君は数学科の後輩で、現在は「Calc」という会社の社長をしている。驚くべきことはそれは副業であり、本業は大学教授だということだ。そのT口君とHIPPYは友人関係で、2019年12月に俺を元気付けるために一肌脱いでくれたというわけだ。改めてT口君の男気とそれに呼応する形で大村まで来ていただいたHIPPY様御一行に感謝をお伝えしたい。 番組終盤でHIPPYの代表曲が披露された。やっぱり名曲は何度聴いても色褪せない。そんな名曲を間近で聴けたことを自慢したいと思い綴る次第だ。 以下は闘病記からのシングルカットである。 「君に捧げる応援歌」 作詞作曲 HIPPY この曲を初めて聴いたのが10月、以来、何度となく聴き続け、PVで熱唱するHIPPYとは一体どんな人なんだろうと思いを馳せるようになった。そのHIPPYが「あなたの街に行きますプロジェクト」という企画で大村の俺の自宅まで来てくれるというのだ。その仕掛け人は数学科の後輩で武井壮とタメを張れるほどの身体能力と話術を誇るT口君で、彼の友人でもあるHIPPYに大村ツアーをねじ込んだというわけだ。 俺が健康だった頃は数学者仲間の間で彼と下ネタ界を陰と陽あるいは北斗と南斗に二分していた、いわゆる、ライバル関係にあったT口君だが、日々進行するALSに喘ぐ俺を元気づけるためにひと肌脱いでくれたという次第である。 今日は、広島から車を飛ばして六時間の強行軍を経て、T口、HIPPY、藤井、 遠鳴 (敬称略)の御一行が我が家を訪れる日で、...

花見への道

  今日は朝6時に目が覚めた。時刻を覚えている理由は妻の携帯電話のアラームが鳴ったからだ。妻はアラームを消すと再び眠ってしまう。俺は「平日は早起きして慢性的な睡眠不足なんだよな。週末くらいぐっすり寝てほしい。幸いに困ったこともないし、俺ももうひと眠りしよう」と思った。しかし、目は冴え、結局、痰が詰まって妻を起こしたのが8時半、その時間まで「今日は外出してみようかな。桜も見頃だろう。今日を逃したら、日曜はオンライン礼拝、平日は移乗に必要な男手が足りないから来週の土曜日になる。そのときには桜は散ってしまうだろう。通常であれば午前中は栄養補給に伴う様々なことに費やされるが、今回は何も食べずに外出しよう。そうすれば痰も詰まらないだろう」と考えていた。 妻にその旨を伝えた。「あなたが言い出すなんて珍しい。気が変わらないうちに急いで準備するね」みたいな反応を期待していたのだが、実際は「起きたばかりだから後にしてくれる?今日は寒いから明日にしようよ」というつれない返事だった。しかし、そこは夫婦の以心伝心が働き、準備かれこれを終えて出発する運びとなった。時刻は11時を回っていた。 長男はインフルエンザにかかり寝込んでいた。長女は勉強しに出掛けた。三男は外出する前にシャワーを浴びるという謎のポリシーを遵守していて、11時になっても何の準備もしていなかったので脱落。次男も「勉強しに行く」というものの妻からの誘いを断れなかったのか、親孝行しなきゃと思ったのか同行することになった。こうして再結成されたチーム平坂は外出を決行する。 チーム平坂は区役所前の庭園を目指して行軍した。と言ってもわずか200mの距離だが。そこには水仙、椿、パンジーが植えられていて春の息吹きを感じた。旅のクライマックスは川沿いの歩道をアーチ型にしだれて覆う桜並木だった。時折突風が吹くと桜吹雪がまき起こった。これまで桜に対して「ああ、きれいだな」という感情しか湧かなかったが、今回は死ぬ間際の人が「こんな美しいものを見たら思い残すことはない」と思うような妖しさを感じた。そこで写真を撮った。交互にカメラマンを務めた妻と次男の笑顔を見て嬉しくなった。一時間も車椅子に座っているとさすがにお尻が痛くなる。そんな俺の心を知ってか知らずか、妻は寄り道して、アパート敷地内の真っ白な木蓮と真っ赤に咲き誇る椿を見せてくれた。自宅に戻...

生成AIと戯れる

  昨日に引き続き今日も生成AIと戯れていた。昨日の内容は以下を参照。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/blog-post_3.html 釜山大学数学科で働いていた頃、新入生向けに「数学入門」という科目を教えていた。それは集合と論理から始めて関数や二項演算などの基礎概念を習得することを目的にした講義だ。以前にも書いたが、 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_23.html 数学入門でも授業ごとに小テストを課していた。その小テストの第一回で出題していたのが「任意の集合A、Bに対して、両者が排反なら両者は異なる」という真偽判定問題だった。集合を表す二つの円の内部が交わりを持っていない状態を想像すると、直感的に真と思ってしまいがちだが、答えは偽である。その理由は両方とも空集合という反例があるからだ。 この問題を生成AIに考えさせた。生成AIは数秒考えて正解にたどり着いた。「おお、ちゃんと考えているように見えたぞ」と思い、「この問題のように意外性のある真偽判定問題を作成してください」と入力すると、あっと言う間に作成してくれた。しかし、意外性はなかった。「他の問題を作成してください」と入力すると、あっと言う間に作成してくれた。その過程を繰り返すと、意外性のある問題が出てきた。真偽はすぐわかったが、「解答は?」と入力すると、生成AIは考え込んでしまい、一時間待っても答えは出なかった。 待っている間に気分転換として高校生向けの英語と世界史の実力試験を作成してもらった。1問目から難問で解く気を無くした。昔は解けたはずなのになあ。あるいは過去を美化しているだけなのだろうか。いずれにしても脳の退化を感じた一日だった。

生成AIに期末試験を作らせた

  生成AI(本欄ではChatGPTを意味する)は学習にも有用というネットニュースがあったので、早速検証してみることにした。 まずは線形代数。 「大学生が受講する線形代数の期末試験を作ってください」と入力すると、あっと言う間に作成してくれた。その内容は2次正方行列の加法、乗法、行列式、固有値、対角化、ジョルダン標準形の問題だった。学生の立場からすると、新しい概念を網羅するのに有効だろう。必要とあらば解答も出してくれるし、項目ごとに質問すればいい。例えば「対角化する理由は何ですか?」とか「ジョルダン標準形とは何ですか?」と質問すると、答えが返ってくるし、その答えが気に入らなかったら「高校生が聞いてもわかるように説明してください」と要求すればいい。要するに、24時間対応の東大卒の家庭教師がいるのと同じ効果が得られるのだ。 続けて「数学科の学生用に証明問題から成る期末試験を作ってください」と入力すると、あっと言う間に作成してくれた。しかし、教科書に書いてある定理の証明問題のオンパレードだった。次に「教科書に書いてある定理の証明問題は除外してください」と入力すると、あっと言う間に作成してくれた。しかし、その中の一つの命題が間違っていた。すなわち、成り立たない命題を証明しろという問題が出題されていた。その解答を要求すると、まるで学生が陥りやすそうな論理の飛躍が見つかった。そのことを指摘して反例を示すと、生成AIは非を認めた。 この生成AIは無料版だから間違えることもあるのだろう。というより、歴史的事実を捻じ曲げて自信満々の返答をすることが少なくない。なので、生成AIの言うことを鵜呑みにすることはできない。しかし、現時点でも有料の最新版では各分野の博士クラスの知性を備えていると言われている。結論は、人間の家庭教師でも間違えることはあるから、生成AIを高校や大学序盤の学習ツールとして使用するのは有用だということだ。

アイスマンと香港で出会う

  映画「トップガン」でアイスマン役を演じたヴァルキルマーの訃報をネットニュースで知った。遺作となった「トップガン、マーベリック」では今にも死にそうな役を演じていたが、まさか本当に病に犯されているとは露ほども思わなかった。 彼が主演の映画を観たのは香港だった。飛行機のトランジットで香港に寄ったとき、24時間待ちと聞いて、冒険心が湧いてきた。急遽、空港の外に出ることを決断して、夜にも関わらず、宿も予約してなかったが、空港を飛び出し、電車に乗り中心地と思われる場所で降りた。そこでホテルを探そうと思ったが、高いホテルばかりで南京虫がはって居そうな安宿はどこにも見つからない。香港では大半が英語を話すと思っていた。しかし、それは先入観にすぎず、実際には道で声をかけた人誰もが英語を解せなかった。「ああ、どうしよう」と思って、人の流れについていってたどり着いたのが映画館だった。俺はイスラエルでの経験で「海外で日本語字幕のない映画を観ると、想像力がフル回転して映画に没入しやすい」ことを知っていた。俺は一も二もなくチケットを買い求め、映画館の座席に座った。 時刻は23時を回っていた。映画にはヴァルキルマーが演じる盲目のマッサージ師が現れ、ヒロインと出会い恋に落ち、同居する姉との葛藤が始まるという話だ。その題目は「At First Sight」だ。物語は手術で主人公の目が見えるようになって、そのあとの恋の行方と心の変化が描かれる。後日、その主人公があのアイスマンと同じ俳優だとわかり驚くことになる。 映画は終わったが、俺には帰るべき宿がない。電車も走ってない。俺はパリで夜通し歩き続けた経験を思い出して、香港の街を歩いて始発電車を待つことにした。しかし、映画館に着く前に相当な距離を歩いていたし、眠気にも襲われた俺はカバンを枕に上着を布団にした野宿を決行する。なんだか野良犬になった気がした。俺の頭には「自由になれた気がした27の夜」という歌が響いていた。

時事ネタ三選

  昨今の様々な分野に関する時事ネタを拾ってみた。 1)ソフトバンクがオープンAIへ追加出資するらしい。 https://news.yahoo.co.jp/articles/bf05716bf38fa9458cf6d8ccd182edc1fe55bc4e 孫正義氏が講演で述べているように https://www.youtube.com/watch?v=BzJHh5IZV2o 10年以内にAGIを実現することを本気で考えているのだろう。上記の講演を聴くと、日本の他の企業も投資の列に並ぶべきだと思う。もし開発が成功したらソフトバンクが日本のAGI市場を独占することになるのではなかろうか。もしソフトバンクが投資に参加していなかったら、次世代の産業の核心技術をアメリカの企業に握られ又冷や飯を食うことになっただろう。そういう意味でソフトバンクが会社が傾くかもしれないの金額を投資してAGI開発競争のプレイヤーとして名乗り出たことを高く評価している。 2)石破首相の記者会見を視聴した。商品券配布問題を「自分を見失っていた」と言って陳謝していた。謝罪の仕方として最高のものだったと思う。少なくとも、石破首相の率直な心情吐露で俺は納得した。 3)ユン大統領の弾劾の可否が4月4日に決定されるらしい。 追伸)上記の講演は上の子3人に視聴してほしい。これからの世の中がどう変わっていくのかを考える材料になると思う。 追追伸)コメントしてくださった方々に感謝申し上げます。まだコメントされてない方も気楽にコメントされて下さい。