海外放浪記 7)

これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/3-6.html

7)ドイツ、ハンブルグ。1998年6月。イスラエルからハンブルグまでの直行便があったのかという疑問が残る。イスラエルの大地は基本的に砂漠だ。夜にスプリンクラーで水を撒くなどの乾燥対策を徹底して緑地を維持拡大している。そんな環境で2ヶ月半生活していた俺がハンブルグの地に降り立った。空港から中央駅までの乗り合いバスの車窓の風景に目を奪われた。そこは水の都だった。港湾、湖、川、どこに行っても水関連施設が視界に入った。しかも、緑が多い、いや、人工的建造物と調和する緑が都市全体を覆っている感じだ。「これが本当の先進国か!」と感動していた。同時に欧州かぶれの始まりだった。目にするもの全てが美しく、「自分がここにいてもいいのか?」と思うほど均質性と統一感に溢れていた。電車に乗ってキールに向かった。キールは北部の港街で、今回の訪問を実現してくれたZ教授が住む場所だ。キールの中央駅で市バスを待っていると、時間表通りの時刻にバスが来て、「これがドイツか!」と驚いた記憶がある。その日から一週間、Z教授の自宅に居候で、残りの一ヶ月はキール大学のゲストハウスに宿泊した。今、顧みると、「九大に長期滞在していたZ教授と俺の指導教官との縁があったからこそ、駆け出しの俺に最大限のもてなしで歓迎してくれたのだなあ。人の縁は想像できないところで繋がっているんだ」と思う。Z教授の自宅では毎朝焼きたてのパンを買って来て、ハムやチーズを挟んで食べる。食事の終わりに紅茶が出てくる。今まで何度も欧州のホテルで朝食を摂ったが、Z教授の自宅で体験した朝食に勝るものはないと思う。Z教授が実家に帰省している期間に旅行で、ハイデルベルグ、ローゼンブルグ、フライブルグ、フランクフルトに行った。ドイツ滞在の最終日の前日、Z教授の夫人がアボガドを巻いた寿司を作ってくれた。改めて、俺を家族のように迎えてくれたZ教授、夫人M、その当時まだ小さな子供だったN、J、P、Cに感謝を伝えたい。

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九州の女