海外放浪記 3)4)5)6)

 これまでの海外旅行と海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は以下の通り。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/04/12.html 

3)台湾、台北。1998年3月。福岡からイスラエルまでの航空運賃で最も安かったのがキャセイパシフィックの台北、香港、パリを経由するチケットだった。ただし、台北の国際空港では機内待機だったので上陸したとは言い難い。飛行機が離陸するとき、「これから見る景色は初めて見るものばかりなんだ」という感傷に浸った。そして、高速で移動する宇宙船に乗ってさっきまでいた世界がはるか後方に押しやられる感覚に囚われた。26年間、俺を育み潤してくれた、一年後には決して同じ姿を留めていないであろうその世界が。

4)中国、香港。乗り換えまでだいぶ時間があった。俺は空港のカフェで手紙を書いた。当時もインターネットはあったが、まだ黎明期で気軽にメールを送れる環境ではなかった。それにしても、韓国と中国にお供でついて行っただけなのにいきなりイスラエルというのはいささかハードルが高すぎるのではなかろうか?その疑問を抱きながらパリへ向かうエアフランスの飛行機に乗り込んだ。

5)フランス、パリ。乗り換えの飛行機の待機場で厳重な手荷物検査があった。その後、バスに乗せられ一般の人は近づけない隔離された第二の待機場で待たされた。これは言うまでもなくテロ対策だ。ハイジャックされて海の藻屑となるかもしれないし、爆弾テロで命を落とすかもしれない。そんな不安を抱きながらエルサレムへ向かう飛行機に乗り込んだ。

6)イスラエル、エルサレム。到着した後、入国審査の列に並んだ。M教授に伝えていた到着予定時間はとうに過ぎている。やはり、その昔日本赤軍が爆破事件を起こした場所だからなあ、審査にも時間がかかるんだろうと思っていたが、それにしても遅くすぎる。結局、一時間後に俺の番になって、それからさらに一時間英語で尋問され、スーツケース内のパソコンから下着までチェックされ、ようやく入国できた。空港でM教授の顔を見つけた時は感動してしまった。この日から約一年に渡るイスラエルでの生活が始まる。誇張なしに日毎に感動があり、数学者として人間として成長した期間だった。

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