5年早く生まれていたら

 大阪関西万博が開幕した。韓国でも麗水万博が2012年に開催されたが、その時期は日本に住んでいたので行けなかった。過去には日本で3回、大阪、筑波、名古屋で開催されたが、同じく行けなかった。TDLやUSJにも行ったことがないし、行ったことがあるテーマパークは地元のハウステンボスだけだ。「どうせ行列ばかりで並ぶのに時間の大半が費やされるんだろう」と思いつつも内心では「機会があれば行ってみたい」と思っていた。特に1970年開催の大阪万博は太陽の塔に象徴される人々の熱狂を感じるだけでも行く意義があると思う。


しかし、それは不可能だった。なぜなら俺が生まれたのは1971年だからだ。仮面ライダーの放送が始まったのも1971年、当然ながら仮面ライダー一号、二号をテレビで見た記憶はなく、毎週チャンネルを合わせられるようになったのは仮面ライダーX以降だ。ウルトラマンシリーズも毎週見るようになったのはウルトラマンレオ以降で、ウルトラマンタロウやセブンは図鑑で眺めるだけだった。月面着陸の映像もライブで見れなかった。そう考えると「5年早く生まれていたら今とは異なる世界観を持つようになったかもしれんな」という思いが湧いてきた。同時に「5年違うだけでこんなに違うのか」と思った。実際、俺が大学に入学した年に5歳上の連中は社会人としてバブル全盛期を迎えていて、5歳下の連中は後の就職氷河期を迎えることになる。


もっと長い期間で考えると、1920年前後に生まれた世代は軍国主義的な教育を受け、徴兵され戦死し、未亡人になった人も多数で、生き延びた人々は焼け野原となった日本を復興するために懸命に働いた最強にして最も苦労した世代なのだが、戦後教育を受けた世代から右翼扱いされる最も報われない世代でもある。一方で、その子供世代は日本経済が右肩上がりの時代と歩調を合わせるかのように成長し、終身雇用と正社員が当たり前の職場で定年まで勤め、退職後は年金で暮らせる恵まれた世代もある。


妻は「最近は地下鉄の中でも歩道でもスマホに集中している人が大半で人間に関心がないように見える」と言っている。たしかにスマホは便利だし扱える情報も飛躍的に増大した。しかし、上の世代に遡るほど「食って寝て子作りして育てる」原始的な営みに幸福を見出す人の割合が増えるような気がする。それしか娯楽がない人の割合が多かったという見方もできるが。俺の子供世代はどうなるのであろうか?願わくば戦争とは無縁な自由主義社会でスマホに支配されない環境で一生を終えてほしいな。


追伸)約10年前島根大学を訪問した。そこで知り合ったばかりの大学院生が広島出身だと言うのを聞いて「それは南斗聖拳から北斗神拳に転向するようなもんだね」と言った。内心、「北斗と南斗を山陰と山陽に置き換える会心の一撃が炸裂したかーー」と思っていたが、その大学院生は「は、何言ってんの?」という表情を浮かべていた。俺には漫画「北斗の拳」を全く知らない世代がいることに衝撃を受けていたが、「冷静に考えるとそれはそうだよな。これからは気をつけないと」と意識を更新するに至った。



コメント

  1. 100年前は母方の祖母がまだ少女、90年前はこの都市の中心部で新婚生活を送っていました。
    そしてその同じ頃、大阪では父方の祖父が暮らしていました。
    戦後、二つの家族は故郷に帰り、その故郷が私の故郷でもあります。

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  2. 北斗の拳知っていても「はっ何いってんの?」でしょ

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