575の自虐
以前、ツイッター(現在のX)に川柳、というよりは575の定型詩を投稿していた。しかし、いつ頃からか575が思い浮かばなくなり、やめてしまった。改めて読み直してみると「ろくに推敲もしないでよく公開できたなあ」と思う575が大半であることに気付いた。以下は闘病記からのシングルカットで2019年12月に書いたものだ。自虐と反省も込めて敢えて公開してみることにした。
8月4日からほぼ毎日ツイッター上で川柳を投稿してきた。テーマはALSで自虐を交えながら日々進行する病状を嘆き笑い飛ばすことを目的としている。今日は自薦の五句を選び各々に解説を付ける。
米粒が 歯茎に鎮座 まだとれぬ
舌の動きが悪くなり、歯茎の上部外側にこびりついた咀嚼物を独力で除去できなくなった。両腕が上がらないので歯磨きも出来ない。実害はないが米粒が歯茎にいる場合は気になって他の作業が手に付かなくなる。その時の心情を詠んでみた。
麻雀牌 触れば治ると 思ってた
これは昨年末の話で、自分で箸を持って食べれる程度に指が動いていた。年末には数学科の麻雀仲間と卓を囲むのが恒例となっているが、麻雀牌を触った瞬間、
「うおーっ、今まで動かなかった両手が、う、動いた!!」なんてことを本気で期待していたが、現実はそうではなかった。結局、その日は仲間に手の動作を請け負ってもらい、半荘だけ打ったのだった。
観覧車 下で待つ我 黄昏る
この日は長女と三男を連れてオランダの街並みを再現したテーマパークであるハウステンボスに行った。空は澄んでおり、鮮やかな夕焼けへの期待が高まったところに丁度いい塩梅で待っている人がほとんどいない観覧車が目に入った。しかし、俺が動いている観覧車に乗り込むのは至難の業だと思われたので、「俺は下で待っているから皆で観覧車に乗っておいでよ」と送り出し、夕焼けを眺めながら体も心も黄昏れていた。その時の心情を詠んだ句である。
舌を出す 畦道二本 揺れるひだ
ALSは運動神経の病気なので外傷として現れることはない。俺の舌には二本の溝が入り、舌の表面のひだがプルプルと波打つのだ。その様子は俺の軸索内で起こっていることが表現されているかのように思える。「これじゃあうまく話せないのも当然だなあ」と諦めの気持ちになり詠んだ句である。
何故閉じる 何故閉じぬ 気道弁
気道弁とは不思議なもので飲食物が喉を通過するたびにギュッと締まり、呼吸をする時には開放されているのである。その閉める力が弱くなり飲食物に対する反応が遅れると誤嚥になり、肺に入った異物が肺炎を引き起こす。それが長引けば、呼吸が困難になり、生命に関わると判断されれば人工呼吸器が装着される。「何故」は「なぜ」「なにゆえ」と読まれる。咽が続いてお粥を食べている時に詠んだ句である。
五七五初めてこの場で作って見ました!
返信削除はなきせつ
あめふりおわり
ことりなく
なみだかな
よるのまんげつ
みどりあさ
何だか小1年生の童詩みたいだけど面白いですね❗
座布団いちまい
削除はなまつり
返信削除あめふりおわり
ことりなく
修正したい!