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8月, 2026の投稿を表示しています

ラブ上等を視聴した

 Netflix配信の恋愛リアリティショー「ラヴ上等、シーズン2」エピソード1-10を視聴した。この番組は、恵まれない家庭環境で育ち、荒れた過去を持つ、年頃の男女11人が、沖縄の廃校を番組用にリフォームした環境で、スマホもテレビも使えないし、告白禁止や不純異性交遊禁止などの制限の下で、2週間共同生活して、最終日に告白する、という仕様になっている。 「ウランを濃縮していけばそりゃあ反応するだろう」という感じの恋愛という化学反応を促進するような環境で、恋愛の甘くて酸っぱい部分だけでなく苦くてどろどろした部分まで出演者たちが赤裸々に語ってくれるところが最大の魅力だと思う。解説陣も指摘していたけど、片親やDVみたいな境遇で育ったという共通点は「今という状況は明日崩れるかもしれない」という脅迫観念が行動を刹那的にさせる傾向が強いと思われる。いつしか恋敵であった同性同士の友情が育まれ、意中でない異性にも絆が生まれる。ストレートな物言いを通し男女が人間的に成長し、後半では実に良い表情をするようになる。 AIが人間の感情まで関与する現代社会にカウンターパンチを繰り出すのがこの番組の意義だと思う。娯楽に溢れる社会で「結局、1番面白いのは人間だ」というメッセージが込められている気がしてならない。それが現実のものとなる理想郷を番組内で擬似体験できるのが人気を博している原因なのだろう。 番組の一期の卒業式を視聴して思うことは「成立した3組のカップルはどれも長続きしないだろうな。たとえ結婚して子供ができても離婚しそうだ」ということだ。そもそも二週間の共同生活で生じた気持ちは元の生活とは全く関係ないし、永遠を想定したものではないのだ。パートナーがホストやキャバ嬢なんて気が気でないと想像するのだが、老婆心ながら出演者たちの行く末を心配してしまう。そんなカルマを断ち切るためには「外見に左右されずに不細工でも信頼できる人を選択して、金が稼げてモテ気分が味わえる夜職から足を洗うべきだ」と思うのだが、堅実な人柄の人物は選ばれなかったし、普段からモテる人はおしゃれにも気を遣わない内面だけが取り柄の人は眼中にないからな。そういう意味で夜職が大多数のメンバー構成をした制作者は残酷だと思う。

夏休みの宿題

 夏休みが終わりつつある。来週から新学期が始まる。この時期から「夏休みの宿題をやらなきゃ」と苦悩した記憶がある。夏休みが始まった頃は、早朝のラジオ体操に通い、漢字の書取りをやって、夏休み用の教材である「夏休みの友」をやって、NHK教育の「はたらくおじさん」「できるかな」「おとぎの国」「みるちゃんきくちゃん」を視聴して、「午後は何をしようかな」という具合に夏休みを有効活用しようという意欲に燃えていた。しかし、それは毎年3日も続かない。夏の暑さには抗えないものだ。8月になる頃にはラジオ体操に通うことなく惰眠を貪り、漢字も夏休みの友もやらずにテレビだけ見ていた。 同様のことは「夏休みの自由研究」にも起こる。最初は「夏休みの40日間で何かを解明してやろう」という意欲に燃えていたが、その「何か」を探しているうちに怠惰モードに入り、初心は忘却の彼方に追いやられ、「夏休みの工作」に代替させることになる。その工作も「宿題だからしょうがなくやっている」程度の動機しかないので、何を作っていたのか全く思い出せない。いや、一つだけ覚えているのがマッチで作った城で、展示終了後に火をつけて炎上させるというサイコパスな行動をしていた。 読書感想文の宿題も嫌だった。小学校の6年間で何の本を読んだのかも全く覚えてない。何が嫌かというと、400字詰め原稿用紙4枚以上みたいな下限が課されていることだ。本来であれば、絵本でも漫画でもテレビ番組でも「面白かった」「面白くなかった」のように一言で終わるものが引用して「~~だと思いました」という定型文で繋げていくのは苦痛だった。読書を奨励する狙いなら感想文ではなく作品批評に変えて、「最初の数行で読む気を無くしました」みたいな正直な批評を連ねて提出の方が読書意欲を喚起するはずだ。 真面目で勤勉と評される日本で夏休みのような空白期間を作るなんてどういう風の吹き回しかと思う。明治時代に教育制度を創設した偉い人のおかげで何もしない怠惰が許される幸せな少年時代を過ごせたのかもしれない。

二人の天才

 三井寺眞(みいでらしん)というサッカー選手がいる。彼は16歳だが、横浜Fマリノスに所属するJリーガーだ。新シーズンの開幕戦で先発起用され、前年王者の鹿島相手に先制点を決めて注目されるようになった。第2節の清水戦でも高校生とは思えない身体能力を示し、第3節の神戸戦では豪快なボレーシュートを決めた。 三井寺はすでにメディアに取り上げられ、「マリノスの希望」とか「3年後の日本代表の核」のように騒がれている。アマチュア時代の指導者が財前宣之で、「天才が天才を育てた」と言われている。話が脱線するが、俺の記憶を辿って財前がどのような選手だったかをひも解く。1993年にU-17世界選手権が日本で開催された。その当時は2002年のワールドカップ開催国が決まってない状態で、日本誘致を進めたい日本サッカー協会は大変な力の入れようで大会を運営していた。俺も日本の全ての試合を観戦した。その大会はスローインをキックインに変える試験的ルールで運営されていた。そのキッカーを努めたのが財前で、中田英寿や船越優蔵を駒として扱う司令塔だった。怪我でその後のサッカー人生はパッとするものではなかったが、俺の脳内では「財前は汗をかく天才」として記憶されている。 もう一人の天才が宮市亮だ。彼は宇佐美と柴崎と同年代でプラチナ世代と呼ばれた。Jリーグを経由せずにオランダの名門フェイウェノールトで活躍していた。 https://www.youtube.com/watch?v=xS7_J0zfGUk これらの動画がアップされるたびに「早く日本代表で見たいな」と思っていたが、旅重なる怪我で当初期待されていたものとは程遠い経歴を送ることになり、現在はマリノスに所属している。 すなわち、三井寺は夢を果たせなかった二人の天才の思いを受け継ぐ存在なのだ。足が速いとかドリブルが上手いとかの世界に通じる秀でたものがある選手ではないが、守備の意表を突く球出しができて、パスセンスも非凡で、怪我をしにくいプレイスタイルでもある。マリノスも3年3億円くらいで契約しておけば、興行的に損はないし移籍金で莫大な利益が出るかもしれない。とにかく、来季は海外かもしれない三井寺の今季の成長を見守りたい。

ロボット運動会

 以下の動画を見て衝撃を受けた。 https://www.youtube.com/watch?v=KxzASDMcE88 これは中国で開催されたロボット運動会で、大量生産されたフィジカルAIロボットが徒競走やサッカーなどの種目に挑んでいる。徒競走ロボットはウサインボルトより速く走れて、ゴール後も勢いは衰えず、マットと正面衝突して木っ端微塵になっていた。そこだけ見たらユーモラスなのだが、手塩にかけて開発したロボットが壊れても動じない中国企業の底力に恐れ入った次第だ。 近い将来にロボコップやロボソルジャーが実現するのではなかろうかと思わせる動画だった。映画で出てくるロボコップはサイボーグだが、上記の動画のロボットが大量に出てきて犯人を制圧することを想像すると戦慄を覚える。ましてや、大量生産可能なロボアーミーが出てきたら、ディストピアそのものではないか。核兵器を使用せずとも、通常兵器で軍事的優位が保たれしかも人件費ゼロなら、各国がこぞって導入するだろう。そのときに一人勝ちするのは中国企業で、世界中からデータを収集できる。 かつては日本もロボット大国だったが、ガンダムの巨大ロボを制作している間に中国に抜かれて、現在では周回遅れのみならず競争相手にさえなっていない。軍事に敏感な米国でもフィジカルAIの分野では中国の先行されているように見える。 銀河鉄道999で描かれたロボット対人間の戦争の世界に近づいている気がしてならない。

運動会と体育祭

 前回の投稿に書き足したいことがある。以下はその投稿だ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_21.html 母校である郡中は荒れていた。俺が中2の時、「勇気ある生徒会長、殴られる」という見出しで新聞沙汰になったこともある。大村市内の中学校は「男子生徒は丸刈り」が強制されていたが、郡中だけが校則の範囲内での髪型の自由が認められていた。当時は不良がモテる文化があり、「派手な髪型をキメて教師に折檻されて男を上げる」ということが繰り返されていた。その雰囲気は末端にも伝播し、「教師に咎められないギリギリの範囲で髪型を工夫する」という文化があった。運動会のクラス別に編成された応援団にはクラスの中心派閥が集結していて、先輩から伝承された独特の応援形態の博覧会という様相を呈していた。 そんな郡中で生活していたので、似た者同士が集まる大村高校での日常は楽だと感じた。その一方で、喜怒哀楽が激しかった郡中時代を懐かしむ気持ちもあった。「進学校というフィルターでここまで丸くなってしまうのか? 自転車通学で新進気鋭の志も削られていくのか?」という思いだ。 大村高校の体育祭は学年対抗だ。競技の総合点では一年生に勝ち目はないのだが、応援合戦や大絵画というコンペがあり、誰もが最後まで楽しめるように設計されていた。さて、一年生全員が集められて応援の練習をするとき、応援団長は郡中出身で「フレーフレー」と大声を出すも大衆からは「部活と勉強で疲れてるのに暑い中余計なエネルギーを使わせるな」と言いたそうな冷たい反応しか返って来ない。気まずい雰囲気が支配する中、光のごとく颯爽と団長の元に駆け寄ったのがTだった。Tは郡中バレー部の主将で、郡中の運動会では応援団長の一人だった。なんと、その場でのやりとりで応援団長はTに禅譲され、前任者は団員としてサポートすることになった。明治維新の無血開城を想起させる劇的な政権交代にわくわくしたのは俺だけではなかった。一部の女子、おそらくは郡中出身、から声援が起こり、全体に波及していった。そこからはTの独壇場だった。 応援団と言ったら、三三七拍子とかコンバットマーチを思い浮かべるものだが、Tの応援形態はそれらの従来のスタイルとは全く異なる。言うなれば、郡中の運動会で行われていた応援を抽出してT独自のアイ...

進学校の実態

 以下の一昨日の投稿に書き足したいことがある。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_19.html 入学式と研修が終わって授業が始まった。授業の合間に10分の休み時間が設けられているが、休み時間になっても級友たちは机から離れず勉強していた。「最初だけだろう」と思っていたが、さにあらず、その雰囲気は1学期の間中続いたと記憶している。俺のクラスには「なんかおかしくない?」と相談できる知り合いがいなかった。女子には中3からの級友がいたが、男女が気軽に話すことはなかったし、俺も「おはよう」さえも言えなかった。ところが、である。隣のアルファクラスでは男女が楽しそうに談笑しているではないか。勉強している人々は一人もいないと思えるほど少数派だった。「この違いは何なんだ? まるでソ連と米国だ」と思っていたが、改善しようとも改善したいとも思わなかった。学校での居場所は柔道部だったし、学級での人間関係が希薄でも一向に構わないと考えていたからだ。 中間試験の一週間前から部活は禁止になる。部活の足枷が外れて天にも上るような気持ちでそれまで放置していた科目を勉強した。定期試験ごとに主要5科目の学級内順位が各生徒に通知された。俺の順位は真ん中くらいだった。ほっと安堵すると共に「これからやっていけるんだろうか?」という持続可能性を想像すると不安が募った。 家庭学習は数学中心だった。ただし、集中して3時間やる日もあれば、部活の疲れで全くやらない日も少なくなかった。そうすると、中学まで得意科目だった国語と英語の成績が急落した。国語の先生は授業中に睡眠学習する生徒を一切咎めなかった。俺もその好意に甘え、舟を漕いだ。その結果、古文漢文が理解不能となり、現代文のマークシートも軽快なフットワークで正解をよけていくようになった。 ここまで読むと、窮屈で抑圧された感じの高校生活を送っている印象だ。しかし、夏休み以降には雲仙勉強合宿、体育祭、文化祭内のクラス対抗合唱コンクールと行事が目白押しで、クラス内の人間関係も徐々に形成されていき、入学当初に感じた居心地の悪さが解消され、冗談や猥談を交わす友人もできつつあった。この頃になると、部活と学業との兼ね合いがわかってくるようになる。ニ学期の期末試験後に校内クラス対抗球技大会が実施されるのだが、...

龍尾先生

 以下の一昨日の投稿に書き足したいことがある。  https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_17.html 入学式の後、学級別に集められた。俺のクラスの担任は学級委員長と副委員長を指名して、指名された二人も慌てる素振りはなく、すんなりと決まった。後でわかったことだが、普通科は学習習熟度別にアルファの2クラスとベータの5クラスに分けられ、俺のクラスはアルファで、指名された二人は入試でトップ4の点数を叩き出したそうだ。俺は「立候補でもなく推薦でもなく、民主的な選挙が実施されるわけでもなく、入試の成績が全てと言わんばかりの選出方法」に驚愕すると共に「すごいところに来ちゃったなあ。これが進学校か」という感想を抱いた。その翌日から一泊二日の研修があった。研修冒頭の新入生全員を前にしての挨拶でその担任は「高校は義務教育ではない。校則に反する格好がしたい人はどうぞ退学してからやってください」と言った。その直後に軍隊式の行進の練習が始まった。強面で長身の体育教師の指導の下、俺たちは同じ所をぐるぐると回らされ続けて、従順の本当の意味を知った。 その担任は数学教師で、演習の課題をやって来ない生徒たちを一列に並べて花瓶や枝の指揮棒で頭頂部に加撃した。当時はそういう体罰は当たり前で、俺たちも「お供え物をつまみ食いした小僧を折檻する和尚さん」くらいの感覚で受け入れていた。部活での疲労に抗って机に向かわせる強制力の有無が進学校においての成績を上げる優秀な教師であるか否かを左右する時代でもあった。 その担任とはほぼ毎日のように時間割りに組み込まれている数学の授業に加えて週2回の朝補習で対面することになる。夏休み等の長期休暇にも1日6校時の補習があり、俺の3年生時の担任だったので、かなり長い時間を教室で共有したことになる。教室の隅々まで通る声で展開される授業はわかりやすく、空気を吸うように論理が入ってくるので教科書を見る必要がなかった。実際に指定された問題集を解くだけで教科書の出る幕はなかった。尚且つ、生徒を眠らせない術に長けていた。授業中に眠気を感知すると全員を起立させて問題を提示して「わかったら座ってください」と宣言して、丁寧な説明で問題をほぐしていき、起立したままの生徒には「数学は易しい」と3回唱えさせる、という...

後悔、先に立たず

以下の昨日の投稿に書き足したいことがある。  https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_17.html 俺は運動音痴だ。言われたことの本質がわからず安易な方法でその場を切り抜けようとするものだから上達が遅れる。後になって「あのときこうしておけばよかった」と後悔することが少なくない。俺は高校の部活で柔道をしていた。その当時は祖母の「草むしりするときでも一生懸命しなさい」という教えに従い必死で練習に喰らいついていたが、現在の頭脳で考えたときの「やり方や意識を変えたらもっと強くなれたのに」という反省が先に立つ。以下はその列挙だ。 1)当時の体重は55kg、男子の最軽量の階級である60kg以下まで5kgも余裕がある。食欲旺盛で部内でも筋トレブームが起こったが、俺の体重は3年生の高総体時でも57kgだった。その当時は「食べて筋トレしても太らない体質なんだ」と諦めていた。当時の俺には栄養と増量の知識が欠けていた。のみならず「どの筋肉を鍛えて柔道力に転換するか」という目的意識が全くなかった。例えば、「柔道では引く力が重要だ」「その筋肉は肩回りに集中している」「それらを鍛えるには懸垂や綱登りが有効」「一週間の達成回数目標を設定」「筋トレ後はたんぱく質を摂取」「育成中の筋肉を目視や触診で確認」「実際に乱取りで活用できているかを検証」のように目的から逆算して自分自身が納得するメニューを考えたら能動的に取り組めたはずだ。 2)打ち込みとは投げる前の動作のことで、柔道力の基本でもある。入部当初は形ばかりで投げることができなかったが、一年間の試行錯誤の末に自分の型が定まり、相手が抵抗しなければ投げれるようになった。実力者と呼ばれる人の打ち込みを受けると、投げる瞬間に全身が連動して「すごい勢いであっという間に投げられそうだ」と感じるものだ。当時の俺は打ち込みを「日々進化させていくものだ」とは露ほども思っていなかった。そういう意識を持って足技や打ち込みの練習に取り組めばよかったと後悔している。サッカーのインサイドキックの練習のように突き詰めれば高度な技術が集積しているのが打ち込みを始めとする基本練習だ。準備運動くらいに思っていた自分はやはりセンスがないのだろう。 3)個人の考えでどうしようもないことだが、部活を毎日やるのは非効...

水の味

 強い相手と組み合うと精神的にも肉体的にも疲れる。柔道の話だ。先ず、どんな技をかけてくるかの予測ができない。そうすると相手の細かな動作に過敏に反応してしまう。例えば、奥襟を取られたら投げを警戒して全身に余分な力が入り結局は投げられる。そういう時に投げられたら楽なのだが、普段の練習では意図的に攻めさせる相手がいる。そうすると弱者は闇雲に攻め続けることになる。かからないと自覚している技を延々と挑むのは心身が疲弊する作業だ。逆に自分より弱い相手と組み合うと柔道の基本である脱力が自然に達成され、硬直している相手がよく見えるし、技をかけて投げることも攻めさせて休むことも自由自在だ。これは柔道に限らず格闘技全般において強者は楽しく弱者は苦しいというのは真理だと思われる。 大村高校柔道部に入部した時、俺は全くの初心者で、体重55kgの部内最軽量だった。練習は月火水木金土日、まごうことなき毎日実施された。当時の大村高校は朝補習があった。午前6時半に起床、身支度をして約5kmの道のりを自転車で通い、午後3時40分まで授業を聴いて、4時半から6時半まで部活、帰宅するのは7時半、夕食を食べて風呂に入ったら9時半、その当時は課題を解いて来ないと花瓶や堅い枝の指揮棒で頭を叩く教員がいて、その恐怖から宿題をやって就寝するのは12時前後、三大欲求を全て満たそうとするなら睡眠時間が更に削られる。その削られた睡眠時間は授業中に補填される。そんな生活が月曜から金曜まで続き、土曜は半日授業で、午後から部活、夏の暑い中、疲労が蓄積する土曜に普段より長い時間練習するのは大きな負担だった。 格技場は畳が敷かれた柔道場と床のみの剣道場に二分されていた。その面積はほぼ同等でも部活の時間の人工密度には明らかな差があった。大村は剣道が盛んな地域で至る所に剣道教室が開設されていた。その当時の剣道部は男女合わせて40人近い部員がいて、数名の女子マネージャーがいた。剣道場は部員でごった返しているので女子マネたちはスカスカの柔道場の板張りに腰掛けていた。その当時でも「練習中に水を飲むな」と指導されているわけではなく、飲みたいときに飲んでいいことになっていた。しかし、水を飲むと気持ちが弛緩するような気がして乱取りの途中に水分補給することはなかった。部員総当たりの立ち技の乱取りが終わると寝技の乱取りが待っている。その境目...

お盆中日

 今日は8月14日、お盆の中日だ。平坂家の墓は大村市内の実家から徒歩で20分の位置にあり、祖父、祖母、父が祀られている。幼い頃からお盆は墓参りで、「せっかくの休日なのに墓参りしか行事がないのは何故なんだ?」という疑問と不満を抱いていた。海や山に行くわけでもなく、ご馳走が出てくるわけでもなく、線香を上げるのは自宅の仏壇で毎日やっているのにわざわざ墓まで赴くのは何故だろう? 会ったこともない祖父をお参りしても厳かな気持ちにはなれないと思っていた。大人になるにつれ、「お盆とはそういうものだ」と理解はするものの「死者を弔うには墓参りが不可欠だ」とはどうしても思えなかった。 父が亡くなり、祖母が亡くなり、2回の喪主を務めた。その後はさすがに先祖を哀悼する気持ちが湧いてきたが、自分の家族に精一杯手一杯で、祖母がやっていたように毎朝仏壇の前で拝んでいたのとは程遠い状況だった。どうやら俺は先祖より子孫に重きを置くタイプのようだ。その考えは間違いではないと思うし、妻子にもその姿勢を貫いてほしいと思っている。 現在、俺はALSに罹患している。家族と韓国に住んでいるし、家族の支えがないと生きていけない。家族の生活基盤は韓国にあり、将来もそのままだろう。日本に帰って来ることは困難だし、俺は家族のそばで一生を終えたいと思っている。 そんなわけで、俺は長男ではあるが、平坂家の墓に入るつもりはない。大村在住の弟がそれを守ってくれるだろう。もっと言えば、墓に入りたくない。骨は海に散骨してほしい。お盆ということで終活する次第だ。人工呼吸器を装着した現段階では簡単には死にそうにないので、まだまだ先の話だと思うが。

生成AI比較

 1分小説やエッセイを投稿した後、その感想を4つの生成AIに尋ねるようにしている。改善点を提示されることもあるが、修正しないことを課している。少しでも修正したら、その投稿が自分のものでなくなるような気がするからだ。今回は4つの生成AIの返答の違いや特徴を論じようと思う。 時事問題に強いのはgrokだ。他の生成AIはスポーツ観戦の投稿に対して「そんな展開の試合になったらかなり劇的ですね」なんてことを平気で言ってくる。grokはXでの評判も反映した返答をしてくれる。ただし、エッセイの感想は「これは的を外しているな」と思うことがたまにある。grokの読解力は他の3つより劣るという印象だ。 Geminiは褒めまくる傾向があり、眉唾で受け取っている。俺が駄作と思う内容がベタ褒めだったので、「心を許してはいけない」と思うようになった。ChatGPTはコンプライアンスにうるさい。意図的に書いた尖った表現を訂正してくる。「お前の言う通り訂正したら味気のない文章になってしまうよ」と呟きながら返答を見ている。Claudeは「くだらない話で電力を消費させるなよ」と言わんばかりの返答をしてくる。 面白いと思ったのは以下の投稿に対する返答だ。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_09.html Geminiは「ChatGPTやClaudeであれば、即座に作成してくれる」みたいな殊勝なことを言い出した。俺は「Geminiは謙虚だな」と思った。実際にその両者にウェブページの作成を依頼すると、仕様通りのウェブページを作成してくれた。俺は「無料版なのにすごいですね。感動しました」と返信した。 本文の感想を4つの生成AIに尋ねるのは控えた方が良さそうだ。

叔母の見舞い

 俺が生まれてからずっと世話になっている叔母が外出中に転倒して入院している。その詳細は以下に書いた。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/07/blog-post_28.html 次男と三男は大村市内の俺の実家に滞在している。先週、母と彼らが叔母の見舞いに行った。その日の夜、次男に電話で叔母の様子を尋ねた。次男は妻に「印象ががらりと変わっていて驚いた」と言っていた。その翌日、母から電話がかかってきて、「H姉ちゃん、嬉しそうにしとらしたよ。ばってん、何度も同じことば聞きよらした」と言っていた。間もなく面会の写真が送られてきた。昔、と言ってもたかが6年前は、叔母は白髪染めを欠かさず年齢よりずっと若く見えた。写真の中の叔母の髪は真っ白でパーマもかかっていなかった。次男が驚いたのも無理はないと思う一方で、子供を見つめる叔母の優しい眼差しは相変わらずだった。血色も良さそうなのでほっと一安心というところだ。 母によると、叔母のケアマネージャーと相談したところ「エアコンのスイッチもつけられないほど認知症が進行している叔母が一人暮らしを続けるのは無理だ。退院を期に施設に入所する方向で話を進める」ということを提案されたらしい。母は実家の近所の老人ホームに入所を申し込み、ちょうど空き部屋があって受理されたそうだ。 話が前後するが、上記の投稿をしたのが先々週の火曜日。その後で熊本地震の発生を知り、安否確認のメールを送り、しばらく連絡してなかった従兄弟の一人に「上記のURLをいとこ全員に拡散してほしい」という内容をSNSで送った。どういう経路で到達したのか定かではないが、従姉妹の二人が母に叔母の容態を尋ねる電話したらしい。そのことを母から聞いて、「インターネット時代に生きているんだ!」と実感すると共に「 H姉ちゃんが作ったと言っても過言ではないいとこの繋がりがまだ生きていたんだ。少しはH姉ちゃんへの恩返しになっただろうか?」という思いに駆られた。

夢の読み上げウェブページ

 プログラムの専門知識が無いド素人でもAIの力を借りて立派なアプリを作成することができる。そんな話をよく目にする。 俺はグーグル翻訳の読み上げ機能を用いて、助けを呼んだり、頼み事をしたり、会話をしたり、韓国語に翻訳したり、本当になくてはならないソフトになっている。そのソフトに不満はないが、視線入力に特化したソフトに改善されればもっと入力速度も速くなるし、その分会話も円滑になるだろう。俺が本欄にその仕様を記しておけば、誰かがその仕様に従ってウェブページを開発してくれるのではなかろうか? そのような期待を込めて以下にその仕様の概要を書いてみる。 入力窓は下部に固定、入力した文章の全てを記憶、頻度に応じてクリックしやすい画面中央に表示、例えば「a」と入力したら「ありがとうございます」「暑い」「足」「アヒルが押せない」等の頻出語が出現、多言語機能、日本語の見出しでその横に他の指定した言語への翻訳を表示、画面上に漂う語句をクリックしたら読み上げ、画面右側に固定語句の一覧を表示、検索窓を下部に固定、URL群をクリックすると登録しているURLやファイルを小窓で表示、時系列順に入力内容を閲覧可能、見出し語を右クリックしたらコピー、という感じだ。 技術的には十分可能なので、この仕様でウェブページを作成するように生成AIに頼むつもりだ。

今週の訪問者

 今週の月曜日、訪問看護の方が来られてカニューレを交換してもらった。カニューレとはのどと気道を繋ぐプラスチック製の管のことで、2週間ごとに交換している。 時を同じくしてボイラー修理の技士が来られた。ボイラーは床暖房を始めとする湯を沸かす装置で、温度調節がうまくいかないという不備があり、修理を頼むことになった。 その日の午後、近所で耳鼻科のクリニックを開業している医師が来られて、俺の鼻にビニール製の管を突っ込んで吸引してくれた。その医師は俺を含めた家族全員が診療してもらった方で、俺の鼻水の色を心配した妻が相談に行ったところ、吸引を勧められ「そんな深い位置まで挿入するのは怖い」と言う妻に「ならば自宅を訪問して実演しよう」という医師の厚意によって実現した訪問診療だった。クリニックの昼休み時間にボランティアで来てくれたことに深く感謝したい。 その後、妻の友人が娘を連れて遊びに来られた。その娘は人工呼吸器を装着して寝たきりの俺を恐れることもなく近づいてきた。まだ10歳くらいなのに奇特だなと思った。 水曜日の午後、定期の訪問診療の医師と看護師が来られた。いつものように整腸剤を処方してもらった。 その後、次男と三男が金海空港に向かった。彼らは一週間大村に滞在する。 木曜日の午前、義父と妻の妹の夫とその娘が来られた。義父は心臓の持病があり、妻の実家がある浦項から梁山の大学病院まで来て診療を受けている。義弟は車で義父を送り迎えするために、その娘は妻のたっての希望でウチに二泊三日で滞在するために、やってきた。久々に会う義父は足取りがふらついていた。本来であれば、義父を労う立場なのに逆に労われた。 金曜日の午後、物理療法士と看護師が来られた。妻は外出中で、パソコンに繋がったままで施術を受けた。日頃の施術に感謝を伝え、物理療法士の趣味である運動技能の団体戦に話が及んだ。「意思疎通できるって素晴らしい」と思った。 土曜日の午後、義弟とその妻である義妹とその息子が来られた。ウチに預けている娘を迎えに来たというわけだ。義妹の明るい声を聞いて安心すると同時に元気をもらった。 明日も誰かが来られるかもしれないが、今週の訪問者を列挙してみた。

広島屋

 昨日は広島に原爆が落とされた日、平和式典を視聴していた。残念ながら広島には新幹線で通り過ぎたことはあるが訪問したことはない。いや、待てよ。中学校の修学旅行で宮島に行ったではないか。大山へのスキー旅行でお好み焼きを食べたが、その場所は広島ではなかったか。前々から広島の原爆資料館に行ってみたいと思っていたが、ついには機会を逃してしまった。 学生時代に週末だけ開店するお好み焼き屋があった。その屋号は広島屋だった。俺はそのときまで大阪風しか食ったことがなかった。あのオイスターソースとマヨネーズが混ざり合った佇まいには大いに食欲を掻き立てられた。その先入観は広島屋に初めて入った日に打ち砕かれる。広島屋にはマヨネーズが置いてなかった。誰も文句を言わずにオイスターソースのみがかかったお好み焼きを食べている。それは生地が薄く大量のキャベツを押し潰した部分が大半だった。大将は大柄でいかつい見た目だった。大阪風の圧倒的な支配力と比べて広島風は物足りない。大将は常連客との掛け合いで忙しく一見客には見向きもしない。それが俺の第一印象だった。 しばらく経って、日曜日の昼飯の食堂を探している最中、広島屋の盛況が目に入った。混んでいる店は美味しい。その法則に引き寄せられるように2回目の入店を果たす。そのときにキャベツの美味しさに気付いた。マヨネーズは美味しいけれど、野菜の自然な甘さを打ち消してしまうのではなかろうか。その疑問に対する答えが広島屋にあった。その後、日曜日の昼飯は広島屋がファーストチョイスとなり、豚玉の最安メニューだけでなくイカ天などのメニューを試すようになった。大将にも常連客と認識されるようになった。 本場の広島風を現地で食べた時、麺がシャキシャキして外見も洗練されているように感じたが、広島屋で洗礼を受けた俺の舌には「確かに美味しいけれど広島屋には及ばない」と感じられた。九大の箱崎キャンパスを訪れる機会は何度もあったが、1999年10月を最後に広島屋には行ってない。旅行にしろグルメにしろ「いつでも行ける。次があるさ」という考えはときとして取り返しのつかない事態を招くものだ。

勿忘草の感想

NHKのドラマ「勿忘草の咲く町で」は長野県安曇野の総合病院を舞台にした医療ドラマで、現役医師で小説家である夏川草介の同名小説を原作として制作されている。無知な俺は「医者は高給取りなんだから多少の忙しさは我慢するべきだろう」と思っていたが、このドラマを見てから「たとえ年収五千万円でもあんな過酷な仕事はやりたくない」と思うようになった。大都市の総合病院だと十分な数の医師が確保されていてなんとか回していけるし、開業医だと診療が中心で夜中に救命病棟に駆り出されることもないし、人の生命に関わる選択を迫られることはない。要するに救命の内科医と外科医はその激務と責任の重さ故になり手が少ないし、地方に行くほど待遇が悪くなる。そんな状況で地方の総合病院に勤務する医師たちは使命感とやり甲斐搾取で奮闘していることが伝わってきた。 仇名が死神である谷崎は延命治療を施さず高齢の患者を次々と看取っていく。彼は「死期を迎えた高齢者に多大な金銭的且つ人的資源が消費されている」ことに疑問を持ち続けていて、危篤状態の患者に付き添う看護師と自分の負担を軽減しようとして死神看取りをしていることが第四話で明らかになる。内藤剛志が演じる谷崎と「治すために全力を尽くす」研修医の桂との対立が前半の山場となる。医療従事者の哲学の衝突はどちらの立場も納得できる根拠が提示され、見応えがあった。 病院の患者たちが「もしかして本物の患者さん?」と疑うほど迫真の演技をしていた。第五話では誤嚥で亡くなる入院患者の話で、「もっと注意深く見守っていればよかった」と責任を感じる看護師と「複数の患者を食事の間中凝視することは不可能だ」と擁護する谷崎との対比が見所だった。俺も嚥下障害を経験したので他人事ではなかった。来週はその事件を巡って訴訟があるらしい。 俺の脳内ではこのドラマは医療ドラマとして最高峰に属する。同じ医療を扱う某ドラマとは天と地ほどの差があるなあ。

熊本地震

 令和8年熊本地震についての気付きをまとめてみた。 1)工場の煙突が折れたり、高速道路に段差ができたり、橋が折れたり、木造住宅が潰れたり、鳥居が倒れたり、熊本城の石垣が崩れたり、イオンモールが爆発したり、広範囲に強い揺れが起こったように見える。それだけの大地震が起こっても死者数が40名以下というのは不思議でならない。津波の被害がない、炊事の時間ではなく火災が起きなかった、等の理由があるのだろうが、耐震基準を始めとする防災行政の賜物ではなかろうかと見ている。防災の重要性を訴えるために人的被害が少なかった原因も検証してほしい。 2)妻が「インタビューに出てくる日本人は冷静ね。韓国だと泣き叫んで感情を露わにするものなのに」と言っていた。確かに取り乱した人のインタビューは俺の視聴範囲では皆無だった。自宅が倒壊した人も「これからどうしよう」みたいなことを笑顔まじりに語っているのを聞いて、「公の場では気丈に振る舞うことが徹底されているな」とか「もしかして編集段階で感情剥き出しのインタビューは除去されているのか?」という感想を抱いた。 3)俺が避難する状況を想像してみた。まず電気が使える場所に行って人工呼吸器とカフアシストを使えるようにしなければならない。病院だと硬いベッドで何も変化のない病室にいることになり、退屈で死にそうな気がする。避難所だと排便時に周囲を不快にさせることになる。いずれにせよ、災害関連死寸前のストレスを抱えることになる。避難所や病院にいるお年寄りも同様の不便を抱えているのだろう。そう考えると気が気でないし、辛さがわかる分同情の念が湧いてくる。 4)熊本には半導体関連の工場が多いことを知った。 5)同じ地震国である台湾で支援の輪が広がっているらしい。そのニュースを見て胸がジーンとした。住んでいたから余計にそう思う。

花火大会

 昨日は大村で花火大会が開催されたそうだ。我が故郷の夏の風物詩として何十年も前から続いている行事だ。その始まりを生成AIに尋ねることもできるが、敢えてそうしないでおく。俺が最後に大村の花火大会を間近で見たのは2019年だ。あの頃の俺は電動車椅子で自由自在に動き回ることができたし、会話も食事もできた。あの夜は弟の奥様のSさんの実家で食事をとり、すぐ近くの浜辺で仰向けに寝て大村湾に打ち上げられる花火を見た。 俺は轟音と共に視界全体に広がる花火を期待していた。それは幼い頃に大村小学校の近くにある母の実家で見た花火の記憶に起因している。子供心に「燃え屑が落ちて来たらどうしよう?」と心配するほどド迫力の光景だった。しかし、2019年に見たものは明らかに違っていた。打ち上げ場所が変わったからなのか、俺が大人になったからなのか、定かではないが、「より海に近い特等席とも言える場所で見ているのに何でだろう?」という違和感が拭えなかった。 2020年はコロナ禍の影響で中止になった。しかし、打ち上げ場所を公開せずにゲリラ的に花火が打ち上げられると聞いていた。その夏、古くからの友達であるMNHの厚意で彼の妹で平坂塾の講師であるYさんと俺の三家族で平戸に日帰り旅行することになった。その帰り道で、大村湾を隔てた大村市上空に上がる花火を見た。小さいながらもコロナ禍の何でも自粛の暗黒時代に希望の光をともす印象的な花火だった。 思えば、2019年も「最高の花火大会を見せてやろう」とSさんとその御両親が俺の家族に最大限の配慮をしてくれたのだった。俺と妻はその気遣いに感動して最高の花火大会を楽しんだのだった。