龍尾先生

 以下の一昨日の投稿に書き足したいことがある。 

https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/08/blog-post_17.html

入学式の後、学級別に集められた。俺のクラスの担任は学級委員長と副委員長を指名して、指名された二人も慌てる素振りはなく、すんなりと決まった。後でわかったことだが、普通科は学習習熟度別にアルファの2クラスとベータの5クラスに分けられ、俺のクラスはアルファで、指名された二人は入試でトップ4の点数を叩き出したそうだ。俺は「立候補でもなく推薦でもなく、民主的な選挙が実施されるわけでもなく、入試の成績が全てと言わんばかりの選出方法」に驚愕すると共に「すごいところに来ちゃったなあ。これが進学校か」という感想を抱いた。その翌日から一泊二日の研修があった。研修冒頭の新入生全員を前にしての挨拶でその担任は「高校は義務教育ではない。校則に反する格好がしたい人はどうぞ退学してからやってください」と言った。その直後に軍隊式の行進の練習が始まった。強面で長身の体育教師の指導の下、俺たちは同じ所をぐるぐると回らされ続けて、従順の本当の意味を知った。

その担任は数学教師で、演習の課題をやって来ない生徒たちを一列に並べて花瓶や枝の指揮棒で頭頂部に加撃した。当時はそういう体罰は当たり前で、俺たちも「お供え物をつまみ食いした小僧を折檻する和尚さん」くらいの感覚で受け入れていた。部活での疲労に抗って机に向かわせる強制力の有無が進学校においての成績を上げる優秀な教師であるか否かを左右する時代でもあった。

その担任とはほぼ毎日のように時間割りに組み込まれている数学の授業に加えて週2回の朝補習で対面することになる。夏休み等の長期休暇にも1日6校時の補習があり、俺の3年生時の担任だったので、かなり長い時間を教室で共有したことになる。教室の隅々まで通る声で展開される授業はわかりやすく、空気を吸うように論理が入ってくるので教科書を見る必要がなかった。実際に指定された問題集を解くだけで教科書の出る幕はなかった。尚且つ、生徒を眠らせない術に長けていた。授業中に眠気を感知すると全員を起立させて問題を提示して「わかったら座ってください」と宣言して、丁寧な説明で問題をほぐしていき、起立したままの生徒には「数学は易しい」と3回唱えさせる、という具合だ。受験数学に留まらない教養を感じさせる場面もあった。極限の単元に入るときに「今から皆さんを騙しますから騙されないように気を付けてください」と宣言した。大学生になってからわかったことだが、高校で教える極限は感覚的な説明をするだけで厳密な定義は避けて通ることになるのだ。

客観的に見て、体罰への恐怖から数学の家庭学習を始め、それまで不得意科目だった数学が得意になり、数学科が第一志望で、C判定が続いていた九州大学理学部数学科に合格した、という事実から「申し子」と言えるほど影響を受けているはずだ。しかし、当の本人は「因数分解の美しさに魅了され、二次方程式と二次関数と放物線を往来することによって代数と解析と幾何が交じり合う感動を覚え、数学に興味を持っただけで、どんな指導者でも俺は数学にたどり着いたはずだ」とか「大学で学んでいることが数学であって、高校で学んだものは所詮高校数学にすぎない」と思っている始末だ。教育実習によって母校で再会した時も「すでに先生を越えてしまった」と思っていた。そう錯覚もしくは勘違いさせた先生はやはりプロ中のプロだと思う。一度も高校の同窓会に顔を出すことがなかったのもプロ意識ゆえなのかもしれない。今となっては叶わぬこととなってしまったが、龍尾先生の南高の自宅を訪問して、「三年間、本当にお世話になりました。先生のご指導のおかげで自信満々で能動的に修行時代を乗り切ることができました。今も講義で先生の技を使っています」と伝えたかった。

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