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秋に生まれてよかった

 6月3日の大統領選挙以来、一度も外出していない。妻は事ある毎に外出を促すのだが、肝心の俺が妻の誘いをことごとく断り続けていたのだ。その最たる理由は「外出するとなれば妻は車椅子、呼吸器、吸引器、吸引用の水と脱脂綿とチューブ、つば対策のタオルとビニール袋、冬であれば防寒用の靴下と腹巻きと上着と毛布を準備することになる。ところがいざ外出しても呼吸困難が起こったりお尻が痛くなったりしてして、慌てて帰宅することが何度もあった。そんな苦労をしなくてもパソコンに繋がれば、意思伝達可能だしネット環境での自由も得られる。つまり、妻の労力の割には外出して得られる満足感が極めて小さい」ことに他ならない。 昨日も外出に誘われたが、移乗を手伝ってくれる男手が不在ということで今日に延期になっていたが、義理の妹家族が遊びに来るということで外出は中止になった。ところが、その訪問が家庭の事情で急遽キャンセルとなった。妻の外出の勧めを断る理由が見つからず準備を始めた妻の軍門に下ることになった。それから一時間後に車椅子に移乗し、それから30分間、自宅にいたまま吸引等で時間が経った。その時点で俺は尻の痛みを感じていた。悪い予感がしたが、今更中止は言い出せない。俺は腹を括り、外出するときを待っていた。長男と長女は外出中、残りの家族四人の散策が始まった。 外は風もなく寒くもなかった。見上げると雲一つない青空で、その高さから空気が澄んでいることが伺い知れた。アパートの前のイチョウの木は落葉を終え、枝だけが天空を刺していた。秋の終わりを連想させる物悲しい風景も青空を背景にすると、新たな生命体が蠢いているように見える。それどころか無機質な電線さえ美しく見える。秋が美しいと言われる理由は澄み切った青空にあるのだろう。秋に生まれてよかったと思った。一行はアパート敷地内の幼稚園を改装してできたコンビニを見物した後、区役所敷地内の公園で日光浴をする。妻は上機嫌で万ウォン札を次男に渡し、「一番高い飲み物を買っておいで。お母さんは要らない」と普段は決して言わないセリフを口にした。俺は日光の正面に座らされまぶしくてしょうがなかったが、薄目を開けて次男と三男がふざけ合う様子を見ていた。 当初はすぐ家に帰る計画だったのだが、更に上機嫌になった妻が「いつものようにぐるっと回って数マートに寄ってから帰ろう」と提案してきた。その...

今週の雑感

 色々な話題に対する雑感を書き出してみた。 1)立憲民主党の野田代表が昨日の党首討論で述べた「事実上の撤回」という言葉がトレンドワードになっているらしい。 https://news.yahoo.co.jp/articles/882f878c48bde58e03490cc93963802d8a17f6b6 これは高市総理の「政府が全ての情報を総合的に判断」というこれまでの政府見解を踏襲した国会答弁を指すものと推察する。言われてみればその通り、撤回という言葉を使ってないだけで「これまで通り曖昧戦略で行く」ということだからもうこれ以上中国政府に説明することはないと思う。なのにあれだけ中国政府が怒っているのは「習近平氏が権力を握っているうちに台湾に攻め込む機会を虎視眈々と狙っているんじゃないか?」と邪推してしまう。 2)NHKのドラマ「とと姉ちゃん」が再放送されていて、月曜から金曜の12時半から視聴している。序盤は親子間でも「ですます」口調の丁寧語で会話していて、いけすかないドラマだなと思っていたが、回が進むにつれ主演の高畑充希の演技と表情に釘付けとなり、視聴が欠かせない日課となった。主題歌の「花束を君に」も毎日のように聞いているが、毎回「いい歌、いい声だ」と感動しながら聴いている。物語は出版社の経営という縦軸に人情話という横舳が絡まって進行する。わかりやすくするためのデフォルメや対立構造の設定が秀逸で、人の生死に頼らずにドラマを成立させている。数学者という職業柄、ドラマと言えど批判的に見る癖がついているが、このドラマは数少ない例外だ。 3)先週までは連日熊のニュースが報道されていたが、今週から熊が火事に変わった。 4)盗撮画像をネットに流す犯罪の防止策として、加害者の顔写真がネットで公開される刑罰を合法化するのはどうだろうか?被害者の痛みがわかると思う。 5)Netflix配信ドラマ「ザロイヤルファミリー」の7話を視聴した。妻夫木聡の切羽詰まった演技に胸を打たれた。

海外放浪記 18)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/11/17.html 18)オランダ、アムステルダム。2005年7月。アムステルダム郊外の合宿所のような施設で開催された集中講義に参加するために弟子だったKHG君とKKJ君を同伴しての出張だった。当時の俺は年間1800万ウォンほどの研究費を取得していた。その内の1000万ウォンは二人の弟子への人件費で残りは旅費やパソコンなどの機材費とセミナー開催費だった。俺は研究費として支給されたものだから人件費も研究のために使われるべきだろうと思い込んでいた。その結果、二人の弟子に「毎月支給している人件費をオランダまでの旅費に当てるように」と指示した。しかし、この類の指示は研究費流用の温床となるので言ってはいけないことなのだ。知らなかったとは言え、二人の弟子に自費で参加させたことに謝罪し、倫理に反する行為を深く反省している。遡及されたら司直の裁きを受ける覚悟だ。 帰りの道中はBSJ博士も合流して四人でアムステルダム観光を楽しんだ。アムステルダム駅の近くはアル中や薬中としか思えない輩がうろついていて、身の危険を感じるほどだった。飾り窓地区は隔離された区画に位置しているわけでなく普通に歩いていたら紛れ込むような場所にあった。通りの至る所にマリファナなどの合法ドラッグの喫煙所があった。道路脇には性器を連想させる装飾物が並んでいた。欲望が渦巻く街アムステルダムに文化的衝撃を受けた。日本のエロ本だらけのコンビニや中洲などの歓楽街が可愛く見えた。 それでもいくつもの運河が連なり、それらの両岸を結ぶ多くの橋を讃える景観は美しいの一言で、街を歩くだけで楽しかった。夕方に着いた初日はホテルに荷物を置いた後、映画館に行き、ブラッドピットとアンジェリーナジョリーが結婚する前に夫婦役で共演した「Mr. & Mrs. Smith」を鑑賞した。二日目はゴッホ美術館を見学して、小舟に乗って運河巡りをした。 二人の弟子には「ここは自転車専用だから歩くな」とか「麺類を啜るな。韓国では公の場でこれ見よがしに鼻をかんだりしないだろう。それと同じ目で見られるから気をつけろ」と注意していたのを思い出す。BSJ博士とも何が原因だったか思い出せないが、行き違...

OZM、J2、KJY

 大相撲九州場所千秋楽について。大の里が怪我で休場した。このことで豊昇龍の優勝の可能性は格段に高まった。2敗で並ぶ安青錦が本割の琴櫻戦で負けたら豊昇龍の優勝、勝っても優勝決定戦で豊昇龍が安青錦を下せば豊昇龍の優勝だ。現在3連敗中の相手だが、さすがに横綱が同じ相手に4連敗することはないだろうと思っていたが、そのまさかが起きてしまった。安青錦も贔屓力士の一人なので、彼の初優勝と大関昇進を喜ぶ気持ちはある。しかし、千載一遇の機会を逃してしまい、格下の力士に4連敗という屈辱を想像すると、「豊昇龍は今後優勝できないのでは?若手に追い抜かれる悲哀はスポーツ界でも一般社会でも共通している」という暗澹たる気持ちになる。それでも、戦い続けるのが力士の宿命、来場所の巻き返しに期待したい。 長崎県出身の平戸海の今場所の成績は4勝11敗と振るわなかったが、真っ向勝負を貫いて、若隆景のような相撲の匠さを身につけて、玉鷲や佐田の海のように息の長い力士として活躍してほしい。 J2のJ1への自動昇格争いがとんでもないことになっている。安泰と思われた水戸と長崎が最終節の結果によってプレイオフに回る可能性が出てきた。長崎はアウェイで徳島と対戦する。長崎は引き分け以上で昇格確定、水戸は勝てば自力で昇格確定となる。 物理療法士のKJYさんが来てくれた。パソコンに繋がれたままマッサージを受けたので、短い会話を交わすことができた。今回が最後ではなく、今月中にもう一回来てくれるらしい。12月からはソウルに行って暮らすとのことだ。個人情報なのでその理由を明かすことはできないが、とりあえずは「おめでとうございます」と機械音声で伝えた。   

大相撲九州場所13日目

 昨日、NHKの大相撲九州場所13日目の中継を視聴した。以下はその感想だ。 1)ちょっと前まで関脇が指定席だった大栄翔や若元春が前頭から抜け出せなくなっている。前頭下位には御嶽海や正代の大関経験者がいて、十両にいる朝乃山も大関経験者だし、同じく十両の尊富士は幕内優勝経験者だし、幕内上位にいる高安と霧島も大関経験者だし、入れ替わりが激しい世界だということを実感した。 2)そんな競争社会で変わらぬ実力と番付を維持しているのが41歳になったばかりの玉鷲だ。しかも休場は皆無の鉄人だ。一昨日も突き押しに定評がある隆の勝を押し出した。 3)恵まれた体格と馬力で楽に勝ててしまう大の里とは対照的に、豊昇龍は心技体の充実が取組ごとに求められる。変化を恐れて立ち合いで遅れたらどうしよう?回しを掴んでも安心できない。土俵際で逆転されることも多い。横綱とは思えないほど、取組前からハラハラドキドキの連続なのだ。そんなことを繰り返しているうちにいつの間にか豊昇龍の相撲に魅了されている俺がいた。昨日の琴櫻戦も力のこもった名勝負で、横綱の優勝への執念を見た気がした。 4)結びの一番は大の里と安青錦の2敗同士の取組。大の里が寄り切ったように見えたが、スロー映像を見ると明らかに大の里の手が先に付いていた。解説の舞の海さんは「物言いをかけるべき」と言っていたが、本当にその通りだと思う。 5)勝ち越しまであと一勝の琴櫻と大関昇進のための三場所で33勝の条件を来場所で達成するために一勝でも上積みがほしい安青錦と2敗で並ぶ両横綱の総当り戦に目が離せない。今日は大の里対琴櫻と豊昇龍対安青錦だ。

海外放浪記 17)

これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/11/16.html 17)米国、ニューヨーク。2004年8月末。POSTECH開催されるはずだった代数的組み合せ論に関する国際会議が急遽釜山大学に変更になった。その理由は物理か何かの国際会議が重なって宿泊施設が確保できないからだとSSY教授からの説明があった。続けて日程は変更できないが韓国国内であれば場所は変更できると兄弟子であり米国で世話になったSSY教授から頼まれたら「釜山大学でやりましょう」という言葉が自然と出てきた。その準備を現地世話役として担うことになった。宿舎の予約、朝食の手配、空港からの送迎、プログラムの作成、会場の確保、現地情報をまとめたパンフレットの作成、CJR教授やBSJ博士やアルバイトの学生たちの手助けはあったからこそ乗り切れたと思う。 6月に次男が産まれ、7月に件の国際会議が開催され、8月は妻子と共に帰省してのんびり過ごそうと思っていた矢先に一通のメールが来た。送り主はZiv、イスラエル滞在時に知り合った友人で、メールには「9月某日にニューヨークで結婚式を挙げる」と記されていた。韓国の学期は9月1日に始まる。私用で休講にはできないが、祝福してやりたい。そんな気持ちが入り混じって、贈り物を携えて8月末に会いに行くことにした。Zivとは数回会っただけだし、メールのやりとりも年に1回くらいだ。わざわざ会いに行くほど親しくはなかった。ただ、何者でもなかった自分を知っているZivに「俺は結婚して定職に就いて子供も二人できて仕事も板についてきた自分を見てくれ」と同じく上昇気流の中にいるZivと張り合いたいと思ったのだ。であるが故のニューヨーク行きだった。 Zivはニューヨーク市郊外のホーボーケンという町のアパートに婚約者と住んでいた。ニューヨークの国際空港から電車とバスを乗り継いでホーボーケンに到着した。Zivのアパートに居候することは事前に決まっていた。俺は韓国で購入した漆塗りの40cm四方の箱を渡した。Zivの婚約者は思慮深く理知的で、職業が医者だと聞いて大いに納得した。二人並ぶと、絵に描いたような美男美女カップルで、しかもヤンチャ坊主で行動が先に出るZivを御している構図が垣間見えた。次の日は二人...

高市有事

 高市総理の一日の睡眠時間は2時間から4時間だと報道されていた。「俺と同じだ」という冗談はさておき、普段からそうであれば問題ないのだが、総理の激務で睡眠時間が削られているのであれば可哀想だし、国を預かる者としての健康状態が心配になる。 国会の答弁は、官僚が当たり障りのない、時には玉虫色で意味不明の、文章を作成してくれるのだろうが、その内容や背景を理解して国民にわかりやすく伝えるのは政治家の役割だ。テレビ中継されている国会での議論に万全を期して臨みたいだろうし、初の女性総理という責任や重圧が「働いて、働いて、働いて」と言わせるのも理解できる。しかし、自衛隊の最高司令官であり、全閣僚に指示を出し、国民にメッセージを発する立場の総理大臣が国会答弁に時間を費やし、心身が削られるのはいかがなものかと疑問を感じるようになった。 台湾有事に関する質疑の際に高市総理はそれまでの政府見解から踏み込んだ答弁をしたらしい。その答弁に中国政府は怒り心頭で、日本への渡航の自粛などの手段を用いて圧力と揺さぶりをかけている。国際情勢に疎い俺は「他国の言及にそれほどの敵意を示す中国政府って何なの?」という疑問が消えることがないのだが、30年前ならいざ知らず、今や米国にライバル視されるほど経済にも軍事的にも成長した中国に敵視されるのは空恐ろしいものを感じる。例えば、尖閣諸島が占領されたら日本は奪い返す武力を有してないし、武力衝突上等の世論さえ形成されないだろうし、頼みの米国も血を流そうとしない同盟国を血を流して助けようとはしないだろう。 言葉一つで国際問題に発展しかねない、しかも質問者の煽りに即答しなければならない国会答弁に総理大臣が出席する必要性はあるのだろうか?官房長官や関係閣僚が答弁を行い、総理が国会終了時に修正または総括を行えばいいし、その方が外交や内政に注力できると思う。

海外放浪記 16)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/11/15.html 16)スロベニア、ブレッド。2003年7月。釜山大学数学科に赴任して二年目の夏、研究費も当てて指導学生を金銭面で補助できるようになり、風呂とトイレがついているアパートに引っ越しして、生活にも余裕が出てきた。そんな折りにスロべニアで専攻分野である組み合わせ論に関する大規模な研究集会が開催されるという知らせが来た。俺の師匠も共同研究者仲間も参加するらしい。俺も参加したいし、そのつもりだったが、ある気がかりがあった。それは一歳になったばかりの長男と第二子を身籠っている妻を残して10日間の海外出張に行ってもいいのかということだ。浦項にある妻の実家は義父母と二人の義妹の四人暮らしで妻子が厄介になると手狭になる。この辺りの記憶が曖昧なのだが、母が韓国に遊びに来てソウルにある義姉の家に母と妻子がお世話になって、ソウルー長崎間の空路があるから母が妻子を連れて大村の実家に帰ったような気がする。とにかく、俺が海外出張に行っている間、妻子は大村の実家で過ごすことになった。 この辺りの記憶も曖昧なのだが、ソウルからフランクフルトまで空路で、そこで乗り継いでスロベニアの首都に降り立ち、そこからバスでブレッドに向かった。ブレッドは湖畔に面した保養地だった。日本からの参加者が多く、海外特有の「盗難に遭ったらどうしよう?」という不安は感じなかった。ホテルの朝食はビュッフェ形式で、最初は物珍しさから腹一杯になるまで様々な食材を味見していたが、後半はトーストとコーヒーのような質素な食事に落ち着いた。発表と研究打ち合わせを終え、充実した気分でブレッドを後にした。実は飛行機の時間が合わず、首都リュブリアナで一泊することになっていた。俺は予約していたユースホステルに泊まり、フットサルに興じた。 その当時はスマホがなかったし、俺は携帯電話さえ持っていなかった。加えて、国際電話は高価で、国際電話用のカードを購入して、それに記載されている暗証番号を公衆電話で打ち込んで通話していた。俺が妻の携帯に電話して「明日、飛行機に乗るから明後日に会えるよ」と伝えた。その前の連絡で妻子は浦項にいると聞いていた。妻は電話口で「爆発寸前だった」と言っ...

海外放浪記 15)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/14.html 15)台湾、台北と高雄。2002年12月末。台湾での半年の滞在を終えて韓国での生活が始まったとき、親戚等の集まりで台湾の暮らしが話題になると「寝ている時にヤモリが天井から落ちてきた」「風呂場にヒルが出てきた」「雨季は洗濯物が全く乾かない」「バイクに乗っている人がやたら多くて粉塵がすごい」などと幸福に満ちた新婚生活をカモフラージュするために、あえて台湾での苦労話を中心に話していた。それを聞いた人は「そんな国でよく暮らせたなあ」という印象を抱いたかもしれないが、俺と妻は「あばたもえくぼ」の諺そのままにそんな苦労話も愛しい記憶として語っていた。 同年5月には第一子である長男が産まれた。台湾は妊婦に優しい国で身重の妻がバスや電車に乗ると必ずと言っていいほど席を譲ってくれる人がいたし、台湾の友人たちも最大限の配慮をもって妻に接していた。俺は新しい職場で多忙であったが、台湾でお世話になった人々に会ってお礼を言いたいという気持ちは募るばかりで、台湾訪問の機会を虎視眈々と狙っていた。乳飲み子を飛行機に乗せて海外旅行していいのかという疑問もあったが、妻の担当医から「全然大丈夫」と言われて妻もその気になった。 俺と妻と長男で飛行機に乗るのは初めてだ。台北では友人が予約してくれたホテルに泊まり、結婚式を挙げた友人夫婦を祝福し、一年前に住んでいたアパートを訪ね、H教授夫妻とC教授夫妻それぞれの自宅にお邪魔して、長男の記憶には残ることはないと思いつつも動物園に行って過ごした。そこから電車で高雄に向かい、友人兄妹の実家でご馳走に預かり、楽しい時間を過ごした。当時の写真を見ると、浮かれた俺の様子が見て取れる。 残念ながら、それ以降に台湾に行ってないし、持病のためにこれからも行くことはないだろう。しかし、妻子は別だ。いつの日か家族旅行で台湾に行って思い出を伝承してほしいと切に願う。

学科長日誌 12)

 俺の研究室の本棚には「学問の発見」という書名の本が四冊置いてある。一つは日本語、残りは韓国語で書かれていて、日本人の来客や進路相談に訪れる韓国人学生に貸し出していた。その本は著者の幼少期からアメリカ留学時代を経て研究者としての地位を確立するまでの経験や感想が記されていて、面白いだけでなく研究者への浪漫が掻き立てられるのだ。 実はその著者はソウルに滞在していた。俺は「これは千載一偶の機会だ。俺が学科長でいる時になんとかして釜山大学での講演会を実現させたい」と思った。俺は滞在先のソウル大学に電話を掛け講演依頼を本人に伝えてくれと頼んだ。すると、「そういうことは秘書に尋ねてくれ」と言われ、秘書の連絡先を教えてくれた。秘書は韓国人の女性で、俺が講演依頼の件を伝えると、「先生は多忙だから他校での講演依頼は断るようにしている」と言われた。話を聞いていると、彼女はスケジュール管理だけでなく生活の世話もしているとのことがわかった。「なるほど、釜山大学での講演を認めると、他の大学から講演依頼が来た時に断る大義名分をなくしてしまうことになるのか。あなたの立場も十分に理解できるなあ」と言いながら、電話を切られないようにして、「今度、ソウルに行く用事があるから会ってもらえないだろうか?先生の迷惑にならない講演の形態について教えてほしい」と申し出て、ついには会う約束を取り付けた。その会合が俺が信用できる人物で制御できそうか評価する場であることは重々承知していた。秘書の方は20代前半で気さくで「緊張して損した」と思うほど話が弾み、先生との面会の約束を取り付けた。 後日、釜山大学数学科に研究員として滞在中のSTY博士を誘ってソウルで先生、秘書、STY博士、俺の4人の会食を開いた。その先生は広中平祐教授で、言わずと知れた数学界最高の栄誉とされるフィールズ賞受賞者だ。テレビでしか見たことがない伝説的な人物が目の前で動いている。俺は興奮と感動でパニック寸前の状態だった。その会食で講演会の日程を調整した。広中先生は気さくで、著作に出てくるそのまんまの人柄だった。あれだけ名声があるのに尊大な感じが全くないのは俺の師匠と同じだと思った。 講演会場は大学本部の500人収容の大会議室だ。新たな不安に襲われた。それは「もし聴衆が少なくてガラガラだったらどうしよう」ということだ。俺は近隣の高校に講演会のポ...

昨日、今日、明日

昨日、散髪と洗髪をしてもらった。妻にとっては重労働だと思っていたが、話を聞いているとそうでもないようだ。絵が好きだった妻は美大進学を夢見るも家庭の事情で断念した過去がある。妻は手先が器用で、料理や裁縫 にその才能を発揮していたが、どうやら俺の髪を整えることも妻の芸術活動の一環らしい。妻は「バリカンの使い方がわかった」と言って、あ仰向けに寝かされた俺の頭をリズミカルに刈っていく。完成した髪型をスマホを鏡代わりにして見せてくれたが、悪くはない。 今日の午前10時から12時まで停電するという通知があった。実際に電気が止まったのは10時30分で、テレビの画面が突然真っ黒になって、デジタル置き時計の文字盤が消えた。つば吸引器も動かなくなり、口の中につばが溜まり続けた。人工呼吸器はバッテリー機能があるが、カフアシストは動かない。インターネットも使えないし、パソコンも使えない。正確に言うと、視線入力に必要な器機の電力が得られない。俺の生活は電力に大きく依存している。人工呼吸器のバッテリーは7時間持つらしい。今回の停電は検査のためで、短時間で終わったから、生命の安全は保障された。しかし、原因不明の停電や災害時の長時間の停電が起こったら、救急車を呼んで電気がある場所に移動することになる。安価な発電機を購入することを検討した方がいいかもしれない。 明日は韓国の大学修学能力試験(通称、スヌン)が実施される日だ。日本でも報道されているように韓国の受験生にとって特別な日である。日本の共通テストが7教科の試験を二日で行うのに対し韓国のスヌンは5教科の試験を一日で行う。日本のように共通テストの一ヶ月後に二次試験があるわけではないので、文字通りの一発勝負だ。 韓国の受験生にのしかかる重圧は相当のものだろうなと想像する。先週、高三の長女が「試験当日に腹痛防止の薬を飲んだ方がいいか、飲まない方がいいのか?」と聞いてきた。俺は「わからない」と答えたが、長女だけでなく韓国の受験生が「当日、体調不良で実力を発揮できなくなったらどうしよう」という不安を抱えていることが伺い知れた。毎年、11月中旬の木曜日にスヌンは実施される。決戦は木曜日なのだ。

芸能スポーツ生活アラカルト

先週末から今日まで起こった出来事を書き出してみる。 先週の土曜日に鹿島アントラーズ対横浜FCの試合があって、鹿島が2対1で勝利した。残りのの2試合で連勝すれば、鹿島の9年ぶりの優勝が決まる。中継を見たかったなあ。VPNとDZONに加入すれば視聴できると生成AIが教えてくれた。 J2ではJ1への昇格争いが佳境を迎えている。現在の順位で順当に行くと、水戸と長崎が昇格する。地元の長崎は新スタジアムが弾みになったようだ。水戸は初昇格の重圧を跳ね返すことができるのか? 大相撲九州場所の初日の中継を視聴した。長崎県出身の平戸海は隆の勝に立ち合いでやや押されたが、そこから押し返して寄り切るという見事な相撲で白星を挙げた。「将来、強くなりそう」という期待を抱かせる相撲心を揺さぶる。 NHKのスポーツニュースでBリーグが報道されていた。現時点で首位に立つのはヴェルカ長崎らしい。地元にそんな強いチームがあることもBリーグが人気を博していることも知らなかった。 Netflix 配信のドラマ「ザロイヤルファミリー」が面白い。競馬の馬主を演じる佐藤浩市とその秘書を演じる妻夫木聡の掛け合いを見るだけで楽しい。二人の演技は際立っているし、円熟味を感じる。 愛知県常滑町にオープンした「うお一番」という魚屋が気になる。料亭や回ってない寿司屋に卸される新鮮な高級魚を適正価格で売る店らしい。健康であれば今すぐ行きたいくらいだ。 今日は訪問看護のSUJさんが来てくれて、カニューレを交換してもらった。2週ごとに訪問看護サービスを受けているが、妻も俺も心の拠り所としている頼もしい存在だ。 Netflix 配信のドラマ「Miss King」が面白いとは言えない微妙な出来だ。母を捨てた父に復讐するために将棋の棋士を目指す話だが、原作が悪いせいで将棋ファンにも一般層にもアピールできてないと思う。主演ののが目当てなのと将棋界の発展のために最後まで視聴することになりそうだ。

紅葉は雲仙で

 紅葉の季節だ。大村市の森林は常緑樹が多いせいか、山全体が赤や黄色に染まるわけではない。そういう山全体の色が変わるような紅葉を見たければ遠出が必要となる。真っ先に思い付くのは雲仙だ。2019年の11月に俺の弟子たちが大村に来てくれた。そのときも「雲仙に行こう」と提案して、8人乗りの自家用車で雲仙に向かった。その眺めは素晴らしく、秋色に染まった樹木が山全体を覆い、夕陽に反射して輝いていた。改めて釜山から時間と自費を費やして来てくれた弟子たちに感謝したい。のみならず、見舞いに来てくれた全ての方々に感謝している。 大村の実家から雲仙の展望台まで高速道路を使っても2時間半はかかる。その日に到着したばかりの客人を車に乗せる距離ではなかった。にも関わらず雲仙行きを提案したのには理由がある。それは「紅葉の時期は雲仙で」という刷り込みがなされてきたからだ。その刷り込みというのは大村高校名物の全校雲仙登山に他ならない。大村高校は進学校だ。11月中旬となれば、受験生にとっては追い込みの時期で、「一寸の光陰軽んずべからず」の世界なのだ。にも関わらず、三年生も全員参加で駆り出される。一見、非合理に見えるが、当の受験生には適度な息抜きになっていた。いや、他はどう思っているか定かではないが、少なくとも俺は適度な息抜きと思っていた。 徒歩で数時間山道を歩き回り、途中で山の稜線が見渡せる絶景スポットに差し掛かる。そこには赤や黄などの単色で表現するのがもったいないほどの樹木それぞれの紅葉の複合体が出現する。それまでの道のりが意味があったと思う、受験勉強を示唆するような光景だ。その高揚感が帰りのバスに持ち込まれ、「もう歩かなくていいんだ」という疲労からの解放感も加味されて、酒類なき宴が始まった。柴田恭平を意識した「行くぜ」という掛け声が爆笑を巻き起こし、「飾りじゃないわよ涙は」というフレーズの後には「ホ、ホー」という大合唱の合いの手が入った。正直な所、人生で最も盛り上がった宴会だった。 その翌日からは受験勉強に明け暮れるストイックな生活が待っている。皆が受験という同じ目標に向かって収束していき、四月以降はそれぞれの進路に発散していく。そんな刹那的な時間を共有してきた級友たちへの思いが募る季節だ。

ばけばけを批評してみた

NHKの朝ドラマ「ばけばけ」を批評してみた。 1)前作の「あんぱん」の後に見ると、焼き肉の直後に懐石料理が出てくるような感覚を覚えた。「ばけばけ」で用いられている陰影の奥ゆかしさやクスッと笑える日常のセリフは明治時代初期の松江の雰囲気が伝わってくる大河ドラマのような高級感を醸し出しているのだが、前作で味わった焼き肉のタレの味が忘れられずに素直に感情移入できないというのが正直な気持ちだ。 2)ラフカディオハーンをモデルにしたヘブンの行動に一貫性が感じられない。松江に船で上陸したときは手を振って日本語でスピーチをして社交的な英国紳士という風情だったのに、記念式典をキャンセルして、旅館に泊まると言い出したり、英語が通じる錦織を避け続けたり、女中を目医者に連れて行かなかったという理由でお世話になっている旅館を地獄呼ばわりするなどのエキセントリックな人物として描かれているのが気になった。史実に従った結果だと言われれば返す言葉がないが、同じ外国人として暮らす身として看過できないほどの不自然な脚本が気になった。特に唯一英語で相談できる錦織を避けるというのは理解不能だ。英語教師の経験がない新聞記者だったとしても、英語を教えることは容易にできるはずだし、事前にわかっていたことだから、授業を怖がる必要はなかったはずだ。 3)今週に出てきた、名家であった雨清水家の正妻が物乞いをするというのも無理な設定だと思った。地元でそんなことをすれば、噂は街中を駆け巡り増々居づらくなってしまうし、武士の高潔さを重んじる教育を受けて育ったならば、絶対に避けるはずだ。 4)朝の日課にNHKを視聴することが組み込まれているので、朝ドラマを見ないという選択肢はない。今後、上記の疑問が氷解していくことを期待したい。 後日談)史実はドラマより過激だったらしい。 https://news.yahoo.co.jp/articles/659954b85b71b5741ca1236b2445b79c7abe411a?page=1 追伸)昨日、物理療法士のKJYさんが来て、両足と両肩をマッサージしてもらった。 後日談)主人公の実母が物乞いしていたことも史実通りだった。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b7ecea6efa14c8e875fd449413bfd6be9997994c

視聴できないスポーツイベント

先週末はワールドシリーズ、日本シリーズ、ルヴァンカップ決勝、王座戦第五局、ブリーダーズカップ、Rizin 神戸大会、NBA、などのスポーツイベントがあった。順番にそれらの感想を述べる。 三勝三敗で最終戦を迎えた両チーム、この試合の勝敗によって天国と地獄が分かれるスポーツの魅力と残酷さが詰まった真剣勝負、日本人選手三人を擁するドジャースを応援していたが、テレビ視聴するためには二千円払う必要がある。日曜日の午前9時からの中継で、11時からはオンライン礼拝が始まる。「負け試合を視聴するのは嫌だなあ。山本は前日投げたばかりだし、先発投手がブルージェイズの強力打線に打ち込まれてボロ負けしそうだし、途中でチャンネル変えなきゃいけないしなあ」と思って、視聴しなかった。試合結果をニュースで見てビックリ、大谷が先発して三点取られて、奇跡的に追いつき、九回から登坂した山本がゼロに抑え勝利投手になるという、漫画でも出てこない白熱した試合だった。ドジャースが勝って嬉しいけど俺自身は賭けに負けた気分だった。ロバーツ監督はレギュラーシーズンでは投手崩壊で連敗が続き無策ぶりが批判されたが、プレイオフシリーズでは勝負処での的確な采配が光り、チームをワールドシリーズ連覇という偉業に導く名将となった。 柳田、近藤、周東が怪我で戦列を離れるも、若手が育ち年俸総額に見合った成績に帳尻を合わせてきたホークス、藤川新監督の指導の下セ・リーグで独走優勝を飾ったタイガース、両チームの戦いはホークスが制した。残念ながら、この日本シリーズも視聴できなかった。 ルヴァンカップ決勝も視聴できなかった。ニュースで得点シーンだけ見たが、あれだけ勢いのあるロングスローは初めてだし、衝撃だった。コーナーキックより精度が高いし、脅威を与えているように見えた。長身選手が多い北欧の代表チームがワールドカップでロングスローを多用したら、ルール変更になるくらいのインパクトを残しそうだ。 将棋の王座戦五番勝負の第五局、藤井と伊藤の同学年対決を制したのは伊藤、藤井は王座陥落で六冠となり、伊藤は二冠となった。藤井が八冠独占していた頃は「藤井が勝つのが当たり前」という感じで、他の棋士の存在感が薄かったが、今回の結果は藤井の偉業を浮き上がらせると共にライバルの登場を世間に知らしめるという意味で将棋界にとっての朗報だと思う。 世界が注目する競馬の舞台...

学科長日誌 11)

 学科長になったばかりの頃、学科事務室前の廊下を歩いていてあることに気付いた。それは掲示板に他大学の談話会のポスターはあるのに釜山大学数学科のものはないということだ。ウチの学科でも談話会は行われているが、「どの講演者が何日にどんな内容について話すのか」という情報は直前で掲示されるのが慣例だった。それまでは何の疑問も抱かずにいたが、学科長になってからは「これは由々しき事態だ」と思うようになった。その理由は「ウチの学科が対外的にどのように見られているか」を気にするようになったからだ。事情を知らない人がこの掲示板を見たら「釜山大学数学科では学術活動に熱心ではない」という印象を抱くかもしれない。学部生であれば進学先を選ぶ際に負の作用をもたらすかもしれない。 見た目に気を使わないことが潔いと思っていたが、学科の代表となってからは寝癖を直してから通勤するようになったし、猫背気味だった背筋を伸ばして歩くようになったし、人前で耳をほじるのを控えるようになった。学生との準公式の会食でも「俺が酔っぱらうということは数学科が酔っぱらうということだ。お前らそれでもいいのか?」などと言って、深酒しないように気をつけていた。「地位が人を作る」というが、それはそのまま俺に当てはまった。 俺は学科教授会議で「数学科の談話会の日程表を学期始めに公表してポスターを制作する」ことを提案した。他に重要案件があったので、この提案は深く議論されることなく可決された。公認を得た俺は大手を振って予算をポスター制作のために使えるようになった。その代わり、各分野からの講演者の選定を各教員に依頼して日程調整して選定された講演者に確認を取りポスターのデザインを決める作業の全てを俺一人で請け負うことになった。 その一ヶ月後、四月と五月分の談話会の日程を記したポスターが完成した。背景には数学科が入っている建物の写真を用いて表記は英語を原則とした。全国の主要大学にポスターを発送する作業は事務のKYHさんがやってくれた。出来上がったポスターが掲示板に貼られたときは感無量だった。その日以来、能動的に働く喜びに目覚め、学科長の仕事にやりがいを感じるようになった。利害関係が生じない新しい仕事をやれば、「頑張っているな」という印象を与え、その後の学科運営にも正の効果が見込めることがわかったと同時に見た目の重要性に気付いた一件だっ...