海外放浪記 17)
これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。
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17)米国、ニューヨーク。2004年8月末。POSTECH開催されるはずだった代数的組み合せ論に関する国際会議が急遽釜山大学に変更になった。その理由は物理か何かの国際会議が重なって宿泊施設が確保できないからだとSSY教授からの説明があった。続けて日程は変更できないが韓国国内であれば場所は変更できると兄弟子であり米国で世話になったSSY教授から頼まれたら「釜山大学でやりましょう」という言葉が自然と出てきた。その準備を現地世話役として担うことになった。宿舎の予約、朝食の手配、空港からの送迎、プログラムの作成、会場の確保、現地情報をまとめたパンフレットの作成、CJR教授やBSJ博士やアルバイトの学生たちの手助けはあったからこそ乗り切れたと思う。
6月に次男が産まれ、7月に件の国際会議が開催され、8月は妻子と共に帰省してのんびり過ごそうと思っていた矢先に一通のメールが来た。送り主はZiv、イスラエル滞在時に知り合った友人で、メールには「9月某日にニューヨークで結婚式を挙げる」と記されていた。韓国の学期は9月1日に始まる。私用で休講にはできないが、祝福してやりたい。そんな気持ちが入り混じって、贈り物を携えて8月末に会いに行くことにした。Zivとは数回会っただけだし、メールのやりとりも年に1回くらいだ。わざわざ会いに行くほど親しくはなかった。ただ、何者でもなかった自分を知っているZivに「俺は結婚して定職に就いて子供も二人できて仕事も板についてきた自分を見てくれ」と同じく上昇気流の中にいるZivと張り合いたいと思ったのだ。であるが故のニューヨーク行きだった。
Zivはニューヨーク市郊外のホーボーケンという町のアパートに婚約者と住んでいた。ニューヨークの国際空港から電車とバスを乗り継いでホーボーケンに到着した。Zivのアパートに居候することは事前に決まっていた。俺は韓国で購入した漆塗りの40cm四方の箱を渡した。Zivの婚約者は思慮深く理知的で、職業が医者だと聞いて大いに納得した。二人並ぶと、絵に描いたような美男美女カップルで、しかもヤンチャ坊主で行動が先に出るZivを御している構図が垣間見えた。次の日は二人とも仕事で、一人でニューヨーク市内を観光した。最初に行ったのはMoMAだ。西洋の主要都市の美術館は「こんなに安い入場料でこれほどの名画を見せてくれるの?」という気前の良さが普通だ。俺は満足しすぎてお腹いっぱいの状態でセントラルパークに向かい、ベーグルを食し、ジョギングしている人々を観察して、タイムズスクエアに向かった。ニュースや映画で出てくる建物や看板が視界に入るたびに歓声を上げテンションも上がった。夕暮れ時のロックフェラーセンター見物でその日の観光は終了となった。その次の日はZivの運転でニュージャージー州の親戚の家に連れて行かれた。その家は湖畔に面していて、その家の小学生くらいの子供がゴムボートを出してくれてルアー釣りを楽しんだ。日本では一部の金持ちしか味わえない贅沢と余裕のある暮らしを米国では中産階級が実現させていると思った。その次の日はZivが自由の女神とグラウンドゼロまで案内してくれた。その日は三人で映画を見て夕食はタコスの専門店に行った。
俺とZivはトイレの後に手をどうやって拭くかについて張り合った。しかし、今現在は連絡も途絶えた。張り合えなくなった俺が原因だ。SNSにメッセージを送れば済む話なのになあ。
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