学科長日誌 12)

 俺の研究室の本棚には「学問の発見」という書名の本が四冊置いてある。一つは日本語、残りは韓国語で書かれていて、日本人の来客や進路相談に訪れる韓国人学生に貸し出していた。その本は著者の幼少期からアメリカ留学時代を経て研究者としての地位を確立するまでの経験や感想が記されていて、面白いだけでなく研究者への浪漫が掻き立てられるのだ。

実はその著者はソウルに滞在していた。俺は「これは千載一偶の機会だ。俺が学科長でいる時になんとかして釜山大学での講演会を実現させたい」と思った。俺は滞在先のソウル大学に電話を掛け講演依頼を本人に伝えてくれと頼んだ。すると、「そういうことは秘書に尋ねてくれ」と言われ、秘書の連絡先を教えてくれた。秘書は韓国人の女性で、俺が講演依頼の件を伝えると、「先生は多忙だから他校での講演依頼は断るようにしている」と言われた。話を聞いていると、彼女はスケジュール管理だけでなく生活の世話もしているとのことがわかった。「なるほど、釜山大学での講演を認めると、他の大学から講演依頼が来た時に断る大義名分をなくしてしまうことになるのか。あなたの立場も十分に理解できるなあ」と言いながら、電話を切られないようにして、「今度、ソウルに行く用事があるから会ってもらえないだろうか?先生の迷惑にならない講演の形態について教えてほしい」と申し出て、ついには会う約束を取り付けた。その会合が俺が信用できる人物で制御できそうか評価する場であることは重々承知していた。秘書の方は20代前半で気さくで「緊張して損した」と思うほど話が弾み、先生との面会の約束を取り付けた。

後日、釜山大学数学科に研究員として滞在中のSTY博士を誘ってソウルで先生、秘書、STY博士、俺の4人の会食を開いた。その先生は広中平祐教授で、言わずと知れた数学界最高の栄誉とされるフィールズ賞受賞者だ。テレビでしか見たことがない伝説的な人物が目の前で動いている。俺は興奮と感動でパニック寸前の状態だった。その会食で講演会の日程を調整した。広中先生は気さくで、著作に出てくるそのまんまの人柄だった。あれだけ名声があるのに尊大な感じが全くないのは俺の師匠と同じだと思った。

講演会場は大学本部の500人収容の大会議室だ。新たな不安に襲われた。それは「もし聴衆が少なくてガラガラだったらどうしよう」ということだ。俺は近隣の高校に講演会のポスターを送り電話を掛けて「終業時間を早めて講演会に来てほしい」と頼み込み、数学科の学生に動員をかけた。日本から船で来られる広中先生を迎えに行って、ホテルと大学を往復すること、講演会終了後の数学科の同僚たちとの会食、全てに関わった。「学問の発見」は韓国でもよく読まれていて、会場には小さい子を連れた父兄の姿が目立った。満員とはならなかったが、空席が目立っているわけでもない、まずまずの客の入りでほっと胸を撫で下ろした。

誰かにやれと言われたわけでもなく、広中先生が英語で講演をしてどれほど韓国の学生の心に響いたかと聞かれるといささか自信がない。正直に言うと、心の中の「want」に従っただけの壮大なプロジェクトだった。研究室に置いてある本に書いてもらった「創才」の文字はその証しであり、当時の記憶を呼び起こすスイッチとなっている。

コメント

  1. I also remember attending prof. Hironaka Heisuke's lecture in PNU. I read his book on the pleasure of studying before, and I was very impressed that I could see him in person. Thank you so much, prof. Hirasaka on providing us this wonderful experience!

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