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海外放浪記 14)

  これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/13.html 14)台湾、台北。2001年7月31日。POSTECHでの生活は楽しかった。研究活動が順調だった、人間関係が極めて良好だった、食べ物が美味しかった、スポーツ環境が充実していた、全てに満足していたが、「30歳までに定職に就く」という期限が迫りつつあった。ルームメイトであるTBK先輩は北海道大学数学科への就職が決まり、同年4月から一人部屋暮らしが始まった。俺は29歳、「いつになれば俺は這い上がれるだろう」という歌詞が聞こえて来そうな年齢だ。 そんな折り、指導教官から国立台湾大学数学科の研究員の職の打診があった。俺は「やります」と即決した。ある土曜日に同じ研究室のPYSからピクニックに誘われ、「行く」と即決した。振り返ると俺の人生は「誘われたら断らない」ことの連続だったような気がする。そのピクニックは彼が通う教会の行事で、普段から男性比率が高い環境にいる俺は女性参加者の数に驚き、「人類の男女比はほぼ1対1なんだ」という感想を抱いた。2歳水準の韓国語を話す俺は珍しがられちやほやされた。そのときに顔見知りになった妻とはグループ交際を重ねた後、三文字から成る手紙を送り、男女交際に発展して、同年7月28日に結婚式を挙げることになる。 結婚式当日は海沿いのホテルに泊まり、その翌日は妻の実家に泊まり、その翌日に飛行機でソウルに向かい、新婚とは思えない安宿に泊まり、その翌日台北行きの飛行機に乗った。「これから見る景色は初めて見るものばかりだ」という思いが去来する。しかし、今は「同じ時に同じものを見て感じたことを言い合える」妻がいる。行けなかった新婚旅行の代わりに台湾での新生活が始まった。 頼り甲斐があってなんでもかなえてくれることから「ドラえもん」というあだ名で呼ばれているCさんと婚約者で後に夫となる方、台湾語を始め生活全般について教えてくれたH兄妹、俺の兄弟子で学問上の相談役だったH教授と夫人、化学科で年の差婚を果たしたC教授夫妻、忘れられない友人たちでもあるのだが、忙しさにかまけて徐々に疎遠になり、今では連絡先すらわからなくなった。俺から会いに行くことはできないだろうから、せめてこの場で「あの時は大...

英文を添削させてみた

 ある友人に宛てた英文のメールを生成AIに添削してもらったところ、「これを書いたのは誰だ?」というほど原文が変わり果てていた。「箇所別に添削理由を示してください」と入力すると、「不自然」と「誤用」のオンパレードで添削理由の詳細が示された。ぐうの音も出ないとはこのことだ。今まで英語で論文を書き、英語でメールを書いてきたが、それらの活動の全てが不自然と誤用だらけだったという現実を受け入れるのは辛い作業だ。元々、学校で学んだ英語とネイティブが扱う英語には生半可な努力では埋めることのできない大きな溝があると思ってはいたが、その溝を覗き見たような感覚だ。 添削済みの英文を送ればいいのだが、受け手に「生成AIを使って書いたな」と看破されそうだし、俺の「不自然な英語を駆使して何とか伝えよう」とする個性も失われそうな気がするので、できないしこれからもしないだろう。 俺がもっと若い頃に生成AIが普及していたら、自然な英語が身に付いていただろうに。逆に言えば、現在を生きる若者は英語学習において恵まれた環境にいると思う。いや、翻訳技術と生成AIの更なる発達により、「元になるアイデアだけ入力して残りはAIに丸投げ」という風潮が広まり、語学への学習意欲が低下する可能性もあるな。それはアドレス登録機能により、電話番号を記憶する人の数が激減した歴史と重なるのかもしれない。

忘れられた結婚記念日

 昨日は7月28日、24年前に結婚式を挙げた、いわゆる、結婚記念日なのだが、祝ったこともなければ、覚えてもいない記念日なのだ。今年もその例に漏れず、俺も忘れていたし、妻も息子三人の旅行の準備とお土産の郵送で大忙しだった。 時は2001年、俺と妻は妻が通っていた浦項の教会で結婚式を挙げた。日本からの参加者は両親と祖母と伯父の四人のみ、旅費を出せるほどの貯金はなく、ホテルから教会までの送迎、結婚式の後の食事の案内のことを考えると、親族以外を招待するのは現実的ではなかった。それでも、勤務先の大学から大勢の方々が参席してくれた。事前に面会していた牧師先生は急遽変更になり、代役の副牧師先生は儀式の順序を間違えるし、「ずいぶん、いい加減だなあ」と思った記憶がある。しかし、その副牧師先生とは後に個人的親交が続き、その誠実で朴訥とした人柄に信頼を寄せるようになり、「結果的に変更になってよかった」と思うようになった。4年前に他界されたが、今でも俺と妻の心には恩人として刻まれている。 妻は10年分の白粉を塗ったような厚化粧で入場して来た。化粧の担当者は「遠くからでも目鼻が引き立つようにするために必要だ」と言い、経験のない俺も「そういうものか」と思い、言葉には出さなかったが、内心では「妻の優しい眼差しが別人のように吊り上がって見えるのはけしからん。俺たちの結婚式なのに価値観を押しつけるなよ」と思っていた。結婚式の後は喫茶店を貸し切りにして同年代の参加者をもてなし、その後は教会関係者だけになり、車で山奥に連れて行かれた。そのときに体験したのが新郎を逆さ吊にして足の裏を棒で叩く韓国の伝統行事だった。今でも足が動くのはそのときの御利益かもしれない。 あの時はバラ色の未来が広がっていて、現在のような状況は想像できなかったし、妻は尚更だろう。結婚記念日の定番の言葉の一つに「これからもよろしくね」があるが、俺の口からは言い出しにくいなあ。

アンナチュラル

 2018年に放送されたドラマ「アンナチュラル」の全十話を長女と視聴した。以下はその感想だ。 1)文句の付けようのない脚本で、全ての回が説得力と必然性がある稀有なドラマだ。法医学の世界をエンターテイメントとして紹介するという難題に挑んで見事に成功していた。法医学とは死体の解剖を通して死因や死亡時刻を推定して裁判の資料にする仕事だ。ドラマは不自然死究明研究所に運ばれてくる遺体を解剖そして調査する者たちの奮闘と葛藤を描いている。 2)研究所のメンバーのキャラクターが立ちまくっている。石原さとみ、井浦新、市川実日子、窪田正孝、松重豊という実力派俳優を高級食材だとしたらその配合と味付けで極上の一皿が生まれたという印象だ。 3)主題歌の「Lemon」は不朽の名曲としての評価が定着しているが、その評価に負けない価値がこのドラマにあると思う。歌詞が物語に合ってないと思ったが、井浦新が演じる中堂が殺害された恋人を想う歌詞であることに気付き大いに納得した。 4)長女が「練炭による一家心中」というセリフを聞き取れなかった時、「ごめんね。もう一回見るね」と言って、心中の意味を妻に尋ねていた。我が家の男性陣は総じて語学の才能がないのだが、女性陣は耳が良いのか日本語を覚えるのも早かったし、時間と共に上達している感じだ。長女の対応を目の当たりにして、上達の秘訣がわかったような気がした。 5)面白かった。妻にも最初から見てほしいな。

蹴球伝説

 おそらく2010年の秋だったと思う。全国教授蹴球大会に参加した釜山大学教授蹴球会は予選リーグ初日の試合で引き分けた。二日目は午前と午後の二試合がある。午前の試合は強豪校との対戦だ。上位1チームしか決勝トーナメントに進出できないので、俺たちは全力を注いで挑んだ。しかし、敗れた。俺たちは燃え尽きてしまい、脱け殻のような状態だった。午後の相手は2敗で、双方にとって消化試合だった。 大会本部から弁当が支給された。午後の試合は13時からだ。チームメイトは普通に食べていたが、俺は弁当に手をつけなかった。その試合ではそれまでに出場機会がないメンバーが先発し、シニアの主力は外れることが決まっていた。その当時の俺は「釜山大学を冠して出場するということは俺は釜山大学の全教職員の代表なんだ」と暗示をかけて日本代表になった気分を疑似体験するという日本代表ごっこを常にやっていた。そのせいで、失点したときはゴールポストを蹴って悔しがり、敗戦のときは地面に拳を打ちつけて絶望を表現するような行動を普通にやっていた。そのために俺は時としてチーム内で浮いた存在で時としてチームを勝利に導くカリスマのように扱われていた。 午後の試合が始まった。俺のポジションは通常の左サイドではなくセンターハーフだった。二試合を全力で走り回った俺の疲労は限界近くまで来ていた。それでも俺はキックオフ直後から広大なミッドフィールドを駆け回りボール狩りに奔走した。しかし、周りが連動して来ない。無理もない。一度緩んだ空気は簡単には戻らないものだ。しかも満腹で思考も眠ったような状態だ。そのチーム状態を象徴するかのようにオフサイドトラップの掛け損ないで失点してしまう。ここでチームの守備戦術について言及しておく。フォーバックのラインディフェンスなのだが、それを指揮するメンバーが理論先行型で、ラインを上げずに残っているメンバーを叱責する感じのコーチングだった。線審のいない忖度してくれる学生チームとの練習試合では機能したし、公式試合でも強豪校相手にオフサイドの山を作って狼狽させたこともあるが、今回の失点のように簡単にGKとの一対一を作ってしまう脆弱性と隣り合わせだった。俺もセンターバックをやったことがあるのだが、オフサイドでないことを確認して相手チームのフォワードについて行っているのにピッチ外から叱責されたりした。そんなわけで、誰...

教授冥利

 昨日、KKT博士が夫人と一人息子を同伴して見舞いに来てくれた。ありがたいことである。本人の許可は取れてないのだが、今回は特別に会話の一部を公開させてもらう。 KKT博士はかつての指導学生で、俺が学位を出した七人の博士の中の四番目だ。彼は釜山大学物理学科出身で、同学科の修士過程に所属していたのだが、数学科の講義を受講するうちに数学に傾倒していき、ついには物理学科を退学して浪人生活を送った後に数学科の修士過程に入学して来た。彼は規格外に優秀で、「下手に指導するより自由にやらせる方が伸びるかな」と思い放任主義を貫いた。それは諸刃の剣で、興味の赴くままに研究分野を変え数学の幅を広げた反面、論文執筆に関して無頓着な面があり、そのことが長期に渡る「研究費や契約職はあっても定職につけない」状態に陥っていた。ここで韓国の大学事情について言及しておく。出生率0.75に象徴されるように少子化が加速する韓国社会における大学は統廃合を余儀なくされ、教員数も減少の一途を辿っている。そんなレッドオーシャンの中で博士たちはしのぎを削っているのだ。 恒例の「近況を教えてくれ」と尋ねると、彼は待ってましたという表情で「実は先週の金曜日に某所の空軍士官学校に採用されることが決まりました!」と答えた。同時に台所で夫人と話していた妻の歓声が上がった。二番目の指導学生だったKKJ博士と三番目のRS博士の時と同様にかつての弟子が大学で定職を得ることほど嬉しいことはない。俺は「放任主義が成功したな」と入力すると、彼は「二年半前に息子が産まれて父親としての自覚が芽生え、論文を書くようになり、面接の準備にも力を入れるようになった」と言っていた。その間、美容院経営の傍ら内助の功で彼の研究活動を支えた夫人の力もあったはずだ。 妻は専門店で買って来た肉を用いてのブルコギで客人をもてなした。食事が終わると彼らは金海の自宅に帰っていった。言い忘れたことがあるからここに書いておく。「就職、おめでとう。しばらくは講義の準備や研究費申請や単身赴任に伴う移動の増加で忙しい日々が続くだろう。それもこれもレッドオーシャンで夢破れた者たちの心情を思えば乗り越えられるはずだ。規格外の学生だった君には数学界を揺るがすような規格外の研究成果を期待している。それから、いつの日か指導学生と家族を伴ってMT(メンバーシップトレーニング)に行...

「あんぱん」の主人公に物申す

 好評を博している朝の連続ドラマ小説「あんぱん」の主人公を批判してみた。 1)戦中は筋金入りの軍国少女だった主人公だが、戦後になると「子供たちに間違ったことを教えていた」と悔い改める。この物語の主題の一つである「逆転しない正義」を追い求めるためには戦後の新たな政治体制にも疑いの目を向ける場面があってもよかったのになと思う。そうでないと、主人公の思想の変遷は単なる体制迎合になってしまう。 2)現在、再放送中のドラマ「とと姉ちゃん」で主人公を演じる高畑充希は表情が豊かで、回が進むごとに存在感が増し感情移入するようになった。演技派として名高い大女優と比較するのは酷かもしれないが、「あんぱん」の主人公を演じる今田美桜は脚本や演出の関係で優等生発言ばかりの感情移入しにくい損な役回りを強いられているような気がする。夫との久々の再会の場面でも駆け寄って抱擁することもなかったし、戦地から帰ってきた幼馴染にも「生きちょったかい?」とつれない対応だったし、ヤムおじさんが葬儀に訪れた時も一瞥しただけで表情を変えなかったし、編集長との別れの場面でも「今までありがとうございました」という普通の挨拶だった。猪突猛進で思ったことはすぐ口から出てしまい後で後悔するというのが主人公の幼年期のキャラクター設定だった。大人になってその片鱗さえ見れなくなったのは寂しいの一言だ。 3)これまでに数々の名場面があったが、主人公が名場面の主役であったことは一度もない。名脚本家として知られる中園ミホのことだから、主人公が再婚するまでの流れで主人公が躍動する壮大な仕掛けを準備しているはずだと期待している。

海外放浪記 13)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/12.html 13)ブルガリア、ヴァルナ。2000年6月。 POSTECHでの生活が始まった。教授はもちろんのこと学生のほとんどが英語での意思疎通を苦にしなかった。売店や学食の職員に英語で話しかけてポカーンとされることはあったが、そんな時は周囲の見知らぬ学生が翻訳して助けてくれた。POSTECHに来るまでに見聞した韓国社会とは別の世界がキャンパス内に広がっていた。後になってわかったことだが、POSTECHは外国人が違和感なく生活できるように設計された、周辺の街並みとは一線を画すまさに別世界だった。宿舎は煉瓦風の建物で道路と校舎以外の土地は芝生で覆われている、ハリウッド映画に出てきそうな光景だった。KJH教授は大規模な研究費を当て、それで研究所を運営する立場だった。俺の上司でもある。やり手の事業者という第一印象だったし、それは全くをもって正しいのだが、実は学生や訪問研究者とのセミナーを最優先と考える人でもあった。初日に仲良くなったSSHとPYSを通して俺は長期滞在する日本人として紹介された。すると、日本人が珍しいのか、行く先々で質問攻めにされた。イスラエルでは経験しなかった人々の関心が向けられることになって悪い気はしなかった。というよりむしろ、ちやほやされているような気がして良い気分だった。同時に「彼ら彼女にとっての俺は初めて接する日本人なのかもしれない。そう考えると俺は日本人代表なんだ」と身が引き締まる思いだった。 宿舎の休憩室に大画面のテレビが置いてあり、日本の衛星放送が視聴できた。それはサッカー日本代表、Jリーグ、NBA、オリンピックの試合が視聴できることを意味しており、スポーツ観戦が趣味の俺にはうってつけの環境だった。学食も一食150円でご飯は食べ放題だったので大食いの俺には有り難かった。ニンニク好きな俺には学食で提供される料理であっても美味しく感じた。いや、POSTECHの学食は全国的に見ても高い水準だと思う。   KJH教授は登山が趣味で1ヶ月に1回は指導学生総出で山登りのイベントがあった。そんな時の打ち上げは焼き肉や刺身などの高級料理で、イベント皆勤の俺はご馳走にありつくことが...

円安でボロ儲けしている企業たちへ告ぐ

 病院には老若男女多くの人々が集まる。しかし、企業の広告が白壁を埋めることはない。いや、あるかもしれないが、少なくとも俺は見たことがない。その疑問を生成AIに尋ねると、「病院の中立性と公平性と公共性という観点から倫理的かつ法的制限があり、病院側も広告による収入がなくても診療報酬だけで採算が取れる。ただし例外もある」という答えが返って来た。 2024年度は経常収支が赤字の公立病院は全体の七割ほどで、医療崩壊という言葉が散見されるようになった。七割という数字はにわかには信じがたいが、人件費や物価の高騰に診療報酬が据え置かれたままの状況から起こるべくして起こった厳然たる事実という見方がされている。 そこで提案したいのは、このところの円安で過去最高益を叩き出したような企業は赤字の公立病院に寄付して社会貢献するべきということだ。各都道府県の中核病院に1億円ずつ寄付しても50億円に満たない。某自動車製造会社の経常利益と比べたら微々たる額ではないか。あるいは、病院の白壁に企業ロゴのみという広告形態であれば倫理的かつ法的制限に抵触しないのではないか。その場合、メディアは企業の社会貢献を大々的に報じて、国も寄付金に対する税制優遇措置を整備して、更なる寄付と寄付文化を促すべきだ。 そう考えた理由のひとつが、円相場は日米の金利差に大きく左右されるという事実を知ったからだ。そして日本の金利の動向を方向付ける役割を担うのが日銀総裁で、彼の日本経済全体を俯瞰した深謀遠慮によって儲かる企業と損する企業が決定される。すなわち、円安で利益を得る企業は企業努力によって業績が上向いたのではなく、国の政策に依るものが大きいのだから金利政策で割りを食った側に還元して社会貢献するべきだと思うのだ。

全自動卓概論

 麻雀というゲームは面白い。その理由の一つが局面ごとに選択を迫られる自助と山に積まれている牌は予測できないという天運との配分が絶妙であることだ。しかしながら、その天運の部分が4人の手作業によって生成される。もしどの牌がどの位置にあるのかを記憶しているプレイヤーがいれば、麻雀の天運は人為に変質してしまい、ゲームの面白さが大きく損なわれてしまう。かと言って、その行為を防止する方法は限られている。牌を全て裏返して4人で念入りに混ぜ合わせるという方法もあるが、時間もかかる上に混ぜるときに表向きになることもあるし、それほど苦労しても牌と盤面との摩擦で牌を特定する強者もいるのだ。お金を賭けない楽むためだけの麻雀であっても4人全員の善意で支えられているのが麻雀の本質だった。 前段落は過去形で結ばれているのには訳がある。欠陥ゲームだった麻雀に天運と公平性に加えて時間短縮の要素までもたらしたのが全自動卓の発明だ。現代史が第二次世界大戦以前と以後で分けられるように、サッカーの歴史がサッキ率いるACミラン以前と以後で語られるように、麻雀の歴史もまた全自動卓の普及以前と以後で分離される。それほどエポックメイキングな出来事だったと個人的に思っている。ちなみに、生成AIによると、全自動卓が開発されたのは1960年代らしい。 俺が全自動卓を初めて目にしたのは大学1年生のときで、地下鉄が箱崎駅から地上の貝塚駅に上っていくようにせり上がる麻雀牌を見て大いに感動した覚えがある。箱崎の雀荘は全自動卓完備で場代も一時間一台400円という信じられない安さだったので、数学科の同級生たちと連日のように通っていた。 今となっては牌を触ることもできなくなったが、今回大村に滞在する3人の息子と母に俺の全自動卓への思いを託すことにした。今日中には配送も完了し組み立ても終わっていることだろう。

日韓戦

 サッカーの日韓戦の生中継を観戦した。サッカー好きな次男は外出中だ。この件に象徴されるように、国民全体がテレビの前にかじりついて熱狂していた以前の日韓戦の熱量は完全に失われた。それを裏付けるかのように会場である競技場の二階席はガラガラで、一階席にも空席が目立った。両国とも海外組は召集されてないことで「所詮はベストメンバーではなく、勝っても負けてもどうでもいい」という意識が働いているのかがその原因だと思われる。 結果は1対0で日本が勝利した。アウェーで勝ったことは称賛されて然るべきだが、後半の内容はよくなかった。前半はできていた前線からの連動する守備が後半には相手にかわされるようになり、一方的に攻め込まれる時間が15分くらい続いた。攻撃時もボランチが相手をかわして正面を向いたときにバックパスとかそれを受けた守備ラインが相手に圧迫されてGKにバックパス、それをGKがドカ蹴りして相手ボールになるの繰り返しだった。サイドで一対一を仕掛けない消極性も気になった。交代で入った佐藤と細谷も見せ場を作れなかった。今大会5ゴールの大活躍のジャーメイン良もJリーグ23試合でわずか4ゴールという現実を見ると「あの大爆発はまぐれかな」という疑念も湧いてくる。 収穫は韓国のロングボールを跳ね返し続けたことだ。これほど空中戦で有利に立つ日韓戦を初めて見た。稲垣と川辺のボランチコンビは安定していた。攻撃時に局面を切り開くパスができればもう1度代表チームで見たいと思った。前半の積極的な守備には「これが森安監督の提唱するワールドカップ仕様か」という感じで興味深く見ていたし、労を惜しまず走り続ける選手たちを頼もしいと思った。 やはり、サッカーは生中継に限る。そう言えば、ザッケローニジャパンが参戦した韓国開催の東アジア選手権の日中戦では一人でソウルまで赴いて生観戦したんだった。あの頃も海外組は居なかったけど観客も多かったし、熱気も残っていたよなあ。あの頃が懐かしい。

実家に間接帰省

 7月29日から8月4日の日程で大村の実家に滞在することになった。もちろん、俺ではなく、長男、次男、三男の三人組のことだ。 計画していた大阪旅行は猛暑が予想されるために中止になった。今回の旅行の目的の一つが三男に家族旅行と5年半ぶりの大村訪問を経験させることだ。俺がALSを発症して家族全員の一泊旅行が困難になったのが2019年、三男が幼稚園児だった頃だ。それから現在まで上の三人が経験してきた家族旅行を一切経験しないまま現在に至っている。とは言え、三男は友達の家族旅行について行ったことはある。そのときの動画が送られてきたのだが、三男が何の変てつもないベッドやバルコニーを目にした瞬間、大はしゃぎして興奮している様子の映像を見て複雑な気持ちになった。今回の旅行も真の意味での家族旅行ではないけれど、気心の知れた三兄弟で旅行を楽しんでほしいと思う。 猛暑なのは大村も同じだろうし、頼みの市民プールも去年閉鎖してしまったし、海水浴場や黒木渓谷などは水難事故を恐れる妻が猛反対するだろうから行けないし、自転車で遠出するのも日射病や交通事故が心配になるし、行動が何かと制限される。そこで提案したいのが家族麻雀だ。俺の母は麻雀が趣味で近所の方々と家庭麻雀を楽しんでいる。長男と次男はリーチの掛け方はわかるというレベルだ。三男は全く知らないし、興味自体がない。こんなときは「健康だったら三男を胡座の上に乗せアイパッドにインストールした麻雀ソフトを三男が操作するのを後ろから指南できたのになあ」と思ってしまう。この家族麻雀を成功に導くためには三兄弟のレベルアップが不可欠だ。まだ2週間残っているので不屈の精神で精進してほしい。 母は孫が会いに来るということで俺の弟家族を巻き込んでの温泉旅行を企画していた。しかし、弟夫婦は共働きで平日は厳しいということで中止になった。母は運転はできるが、見知らぬ道は不安で運転したがらない。俺は考えた。武雄温泉なら新幹線も止まるし、脚に問題を抱える母の負担も少ないのではなかろうか。日曜日チェックインであることが幸いして予約は取れた。武雄から博多駅まで特急が出ているのでホテルで朝食を摂ってからでも飛行機の搭乗時間の2時間前には福岡空港に着くことができる。話はとんとん拍子に進み、母と三兄弟の一泊二日温泉旅行が実現する運びだ。長男と次男には三男がはしゃぐ様子や佐賀牛しゃ...

「はたらく細胞」を視聴した

 Netflix で映画「はたらく細胞」を視聴した。実は3週間前に視聴したのだが、模試が終わったばかりの長女と2回目の視聴をした。長女は仮面ライダーオタクでそのシリーズに出演している俳優が「はたらく細胞」にも出ているということで興味津々だった。 体の中の白血球や赤血球などの細胞を擬人化した話で、例えば、病原菌が気管支に侵入して来た時にナイフを持った白血球が怪物化した病原菌を撃退したり、ロケットに誘導して、人間が咳をする時にそのロケットが打ち上げられる描写がある。それらを見ると、「自分の体の中でもこのようなことが日常的に起きているんだ」という気持ちになるし、原作者の想像力に感嘆するのだ。 長女は場面ごとに感想を述べる。例えば、主人公が死にそうな時に「ええー、悲しい。本当に死んじゃったの?」みたいに言葉にしてくれる。物語はある女子高生が白血病にかかり、体内の血球細胞が変異していく。抗がん剤はミサイルに放射線治療はオーロラに喩えられて描写される。そんな中で正常な細胞もバタバタ死んでいく。生き残った赤血球は酸素を運ぶという使命感でボロボロになっても働き続ける。そういう時の俺は感動して涙を流していることが多いのだが、長女は映画に没入していてこっちに目を向けることはないので、助かっている。 死生観が全く異なる体内の世界をエンターテイメントとして昇華させたこの映画は単純に楽しめる一方で、いろんなことを考えさせられた。

参院選で投票した!!

参院選は3年ごとに投票が行われる。今月20日が投票日で、事前に在外登録を申請しておけば領事館で投票することができる。もっとも、ちょっとした外出でもしんどい俺が領事館まで赴くのは至難の技だ。そもそも、領事館まで救急車で運ばれたとしても、政党名を鉛筆で記すことができない。そこで疑問に思ったのが他のALS患者はどのように投票しているかということだ。 その疑問を生成AIに尋ねてみた。その答えは事前申請しておけば投票用紙が郵送されて、代理人による記名された投票用紙を郵送すればいいそうだ。 ちなみに6年前の参院選は大村市で投票した。そのときの顛末は闘病記に記してある。以下は闘病記からのシングルカットである。 参議院選挙投開票日を五日後に控える今日、 「政治には関心がない」と公言するのが恥ずかしいと思える俺は期日前投票のために指定された役場に向かった。 郵政解散の時に釜山の日本領事館で投票して以来の国政選挙である。やや緊張した面持ちで電動車椅子の前進レバーを押し、妻を入口に待たせて投票室に突入した。 投票用紙を渡された俺は高すぎる記入台の周囲を彷徨っていた。すると係員からの誘導が入り、車椅子に座ったままでも記入可能な台に案内され鉛筆を渡された。俺は右手に鉛筆を握らせる作業に没入した。しかし、そんな簡単なことが今の俺には、プロサッカーチームの練習場を地元に誘致するほどの大事業と化しているのだ。それを見かねた係員が持たせてくれた鉛筆で渾身の力を振り絞り、二枚の投票用紙に数十匹のミミズを這わせることに成功した。 その必死で書いた弱々しい文字は誰かを象徴しているかのように見えた。 どうか無効票となりませんように。

海外放浪記 12)

これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/06/11.html   12)韓国、浦項。1999年11月。無給の研究生から脱出する日がとうとうやってきた。とは言っても自分で探したわけではなく、指導教官が見つけてくれた研究員の職だった。指導学生を持つ立場になって初めてわかったことがある。それは学位を出すことよりも職を斡旋することは遥かに大変だということだ。あのまま九大で研究生生活を続け貯金が底を尽き、アルバイトしながら研究時間を捻出するジリ貧に陥り、何もかもが中途半端なまま数学を放棄する可能性は十分にあった。というか、日本全国でそういう境遇の博士が大勢いたはずなのだ。数学者として生き残ることができたのは運と環境と指導者に恵まれたからで、自分の才能や努力の比率は微々たるものだと思う。 浦項にはPOSTECH という韓国でトップクラスの大学があると聞いていた。俺は新天地での活躍を誓っていたが、口が悪い先輩からは「言っちゃあ悪いけど、都落ちって感じだよね」と言われた。それを今でも覚えているということは「このまま終わってたまるか」と発奮したからに他ならない。今と違って、韓国ドラマもKポップも韓国グルメも知られてない時代で、多くの日本人には軍事政権のイメージが強い国だった。 職の打診がきたのは7月、それから就労ビザが発給されるまでひたすら待つ生活が続いた。出発前に指導教官の自宅で俺の送別会を兼ねたホームパーティーが催された。素握り対決、髪切り将棋対決、指導教官との六子局に勝利したが、指導教官との将棋対決では必至をかけて勝った気でいたらトン死を食らって負けた。 福岡空港から金海空港までは空路だ。その当時の俺は幾度の海外旅行で鍛えられたせいで「行けばどうにかなる。聞けばどうにかなる」という偏った自信に満ちていて、何一つ事前調査をしていなかった。そのために空港から釜山のバスセンターまではローカルバスで、そこから浦項のバスセンターまでは慶州経由の高速バスで、そこから目的地まではローカルバスで、のように何が何でも公共交通機関を利用したので、重くてかさばる荷物を持った上で、盗まれるかもしれないという緊張感の下、長時間バスに揺られ続けたので、疲労困憊になった。現地の守衛さんに頼...

客人がやって来た、ヤーヤーヤー

 釜山大学数学科の卒業生であるJSY、CHI、KGY ( 敬称、略) が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。本人たちの「ブログに登場したい」という希望があったので、3人との会話の一部を公開しようと思う。 以前の訪問は2年前、俺は寝たままで手書きのアルファベット文字盤で単語一つに1分以上かけて意志疎通していた。しかし、今の俺には視線入力という強い味方がついている。もちろん、健康であった時のようにはいかないが、少なくとも俺はストレス無しに言いたいことを伝えることができた。改めて視線入力という技術と俺の入力速度に合わせて会話を組み立ててくれた客人の心遣いに感謝申し上げたい。 「今は家庭教師のアルバイトをやっているが、何かいい進路があれば教えて下さい」 「うちの三男の嫁になるのはどう? ちょっと待たないといけないし、姑が恐いけど大丈夫?」 「私は大丈夫ですけど本人の気持ちを確認しないと。7年後にまた来ますね」 コンプライアンス的にギリギリセーフだと思うのだが、専門家の意見を聞いてみたいものだ。 研究内容の説明を聞いた後で「フィールズ賞を受賞しそうだな」と冗談で返したが、それくらいの大志を抱いて研究活動に邁進してほしい。 交際して三年目の二人に「偉くなる前に結婚したほうがいいよ。例えば、教授になってしまったら、相手はあなたではなく教授と結婚することになるからさ」 普段は強気の彼は戸惑いの表情を浮かべて「二人の事情がありますからおいおい話します」と答えていた。少々、お節介が過ぎたようだ。

東アジア選手権

 昨日の追伸で書いた日本対香港は日中韓と香港の4チームの総当りで競う大会の一試合だ。韓国で開催されているので、当然全試合をテレビ中継してくれると思い込んでいた。次男にそのチャンネルを探してくるように頼んだが、しばらくネット検索した結果「わからない」ということだった。結局、視聴できなかった。 試合はジャーメイン良の4得点の活躍で日本が6対1で勝利した。ハイライトを見る限り、香港の守備は観光目的でやってきた親善試合レベルの強度だった。それでも6点取れるのは大したものだ。考えてみると、今回の代表メンバーの若手は一年以内に海外のリーグに挑戦してもおかしくない選手ばかりで、一年後のワールドカップで点が取れるほどに急成長しているかもしれない。 次の中国戦ではスタメン総入れ替えで臨むのだろうな。ちなみに4年前の同大会で森安監督がそれを実行して乏しい内容で中国と引き分けだったのだ。 来週の火曜日の韓国戦は中国戦の結果に関わらず優勝を賭けた大一番となる。さすがにテレビ中継はあるだろう。韓国の守備網を突破できる選手は本物だろう。ジャーメイン良を始めとするアタッカーたちにはそういう役割を期待したい。

申し訳ない夢

昨晩の夢はよくなかった。首から下が引っ張られる感覚に襲われ、歯ぎしりで妻を起こした。妻が目覚めて口文字盤が始まったが、どのように説明したらいいのか自分でもわからなかった。深夜に起こされた妻は煮え切らない俺の対応に苛立ちを露わにした。申し訳ないと思いつつも、妻がそうしたことで俺も正気に戻り、夢の呪縛から解放された。 それからしばらくして右足の付け根から引っ張られる感覚に襲われた。今度は夢ではなく、半分寝ている意識がある状態だった。俺は「悪霊退散」とばかりに右足全体に力を込め、曲げている膝を目一杯伸ばした。伸ばした先がよくなかった。そこはベッドのへりで足の指が曲がった状態で押し付けられていた。はっきり言って痛い。我慢できないこともないが、そのストレスで眠れそうにない。伸ばす力はあっても元に戻す力がない。窓の外はまだ暗い。それは午前5時前を意味しており、最初のアラームが鳴る6時まで1時間以上待たなきゃいけない。そう考えると焦燥感に襲われ、申し訳ないと思いつつも、再び歯ぎしりで妻を起こした。妻は眠そうな顔で起き上がり、俺の足を元の位置に戻した後、再び眠りについた。 朝、起きた妻は長女の朝食を準備して、三男を起こし学校に送り出す時間になった。。妻は頭痛を訴えた。睡眠不足がその原因であることは明らかで、睡眠不足の原因は俺であることは明らかだった。申し訳ないと思いつつも、朝ドラを視聴したいので、目ヤニを除去してもらい、枕をテレビ視聴に適したものに替えてもらい、つば吸引のチューブの位置を変えてもらい、テレビをつけてもらい、テレビがよく見えるように頭の位置を調整してもらった。 朝の情報番組で「この時期の頭痛や皮膚荒れの原因はたんぱく質不足によるものが大きい」という特集が組まれていた。そう言われてみると、妻は子供たちに肉を食べさせることに執心するばかりで妻自身は肉類をほとんど食べない。卵、牛乳、ヨーグルトから十分なたんぱく質を摂取してほしい。現在、午後5時、傍らで昼寝をする妻の寝息を聞きながらこの文章を書いている。 追伸)今夜はサッカーの代表戦の日本対香港がある。Jリーグに所属する選手のみで構成された代表チームで、海外メディアから三軍以下だと批判されているが、「この機会に森安監督にアピールして来年のワールドカップのメンバーに滑り込もう」と選手全員が思っているだろうから試合に対する意気込...

NHKの罪

昨晩のNHKのニュースは通常一時間の枠を拡大しての80分にも渡る政治討論会が挿入された。与野党の各党から1名ずつが一堂に会しての討論会だったが、これがびっくりするほど退屈で面白くなかった。先ず、参加者で党首なのはれいわ新撰組と参政党のみで残りは党の政策や見解を代弁するのが最優先という感じで、踏み込んだコメントは一切なかったし無難な議論に終始していた。そもそも、事前に準備された質疑応答内容を順番に読み上げるだけでお互いの主張をぶつけ合う議論とは程遠いものだった。 こんなにつまらない討論会になった原因は制作者側にあると思う。せっかく、視聴率が高くなる時間帯の番組なのだから、もっと攻めた内容にしてほしかった。党首勢揃いとはいかなくとも人選にもっと気を遣えば華やかな雰囲気になったはずだ。視聴者からの意見と称して、「政権奪取したいなら内閣不信任案を出すべきだったのでは?」「選挙前に給付金や減税とか言い出すのはいかがなものか?」「選択的夫婦別姓は野党で意見調整すれば実現できたのでは?」「外交と安全保障についての議論はないの?」「外国人移民を制限するなら少子化対策を確たるものにしてくれ。子育て支援に何兆円も費やして出生数が戦後最低になった現実をどう見るのか?」「政権を担う気がないから消費税廃止とか公金投入とか言えるのでは?」「裏金問題は解決したの?」などの燃料を投下して司会者が関係する参加者に話を振れば、白熱した議論が展開されただろうし、生中継ならではの失言や暴言を含めてネットニュースの見出しとなり、参院選への関心も高まったはずなのに、返す返すも残念だ。 こんな形式的で見所がない討論会ならやらない方が遥かにマシだった。無難な方向に走ったNHKの罪は重いと思う。 日曜討論では党首全員が揃い踏みで華やかな雰囲気はあったし、内容もまずまずだった。これも個人の感想だが、党首になれるような政治家は聞き取りやすいいい声を持っていると思った。 追伸)MLBの鈴木誠也の打点成績がすごいことになっている。大谷がいなかったらもっと注目されただろうし、日本の至宝扱いだっただろうなあ。

土曜日は半ドン

 俺が大学の教養部にいた頃、土曜日の午前は体育の講義があった。その当時は週休一日制で、土曜日は半ドンで終わるのが一般的だった。週休二日制が定着したのはその直後だったと記憶している。 小学生のとき、土曜日の午後が自由に使えるというのは非常に魅力的だった。家で昼飯を食べて「欽ドコ」を見ながら休んでもいいし、友達と自転車で遠出してもよいし、遊び疲れても次の日は日曜日だからぐっすり眠れる。土曜日は午前のためだけに学校に行かなきゃいけない日というよりはむしろ半日遊べるポジティブでプレミアムな意味合いを持つ曜日だった。 中学生以降は部活の練習のために土曜日の印象が変わってくる。特に高校生のときは部活の方が消耗するし、日曜の朝も練習があったので休みがなかった。 現在の週休二日制は画期的だと思う。もしかしたら週休三日制が定着する日が来るかもしれない。副業や学び直しの時間に活用するのには良いのかもしれないし、家庭や趣味の時間も増えるし、生産量の低下などの欠点ばかりではなさそうだ。ただし、運輸、介護、建設、観光の人手不足は加速しそうだ。いっそのこと、週休三日制にして、副業で人手不足の分野の仕事を義務付けるのはどうだろうか?義務と言うと職業選択の自由が損なわれそうな感じがするから奨励するってことにしておこう。

教員による性犯罪

 教員による性犯罪が後を絶えない。女子児童を盗撮してSNS上で共有とか、監禁して下半身を露出させて性暴行とか、スマホで着替えを盗撮とか、口に出すのもおぞましい事件が続いている。懲戒免職という処分が報道されているが、量刑を決める裁判でも戒めとなるような厳罰が課されてほしい。 俺も教員だったので、このような教師という立場を利用した卑劣な性犯罪には怒り心頭だし、その他大勢の教員まで色眼鏡で見られることを憂慮しているし、迷惑千万だとも思っている。何より心に傷を負った被害児童やその両親の心情を慮ると更なる怒りが湧いてくる。デジタル情報は完全に除去することは困難だ。ということは盗撮画像はSNSで共有された瞬間インターネット上を彷徨い続け、小児性愛者の慰み物となる。そういう取り返しがつかない行為をしても刑務所で2年くらい過ごしたら、何食わぬ顔で社会生活を送れるのだ。 マスコミに言いたいことがある。教師による性犯罪が起こったときに校長や教育委員会のコメントだけでなく、その他大勢の教員の怒りの声を集約して報道してほしい。そうすれば、性犯罪者との明確な区別ができるし、犯罪の抑止にも微力ながらも繋がると思うからだ。 生成AIによると2023年度において教師が性犯罪もしくはセクハラで懲戒免職された件数は320件だそうだ。 追伸)蚊が現れた。視線入力の画面を彷徨っている。早速妻を呼んだ。妻はラケット状の電気蚊取り器を手にして一振り二振り、「ジジー」という何か焼き焦げた音が聞こえた。妻は「姿は見えないけど成功したみたい」と言い残して厨房に戻って行った。俺の頭の中では「鬼に金棒」という諺が去来していた。

カフェ部創設

 公立高校の校長はどのくらい裁量権があるのだろうか?もし可能なら玄関近くの教室を改装してカフェを作ってほしい。営業時間は放課後の16時から18時までの2時間、それでは一日の利益はせいぜい1万円だろうから業者を誘致するのは難しいだろう。そこで提案したいのが部活動の一環としてカフェ部を創設することだ。カフェ部の部員は無給で働く代わりにカフェの経営を含む仕事全般を専門家から学べるという感じで募集をかければ15人くらいは集まりそうだ。 顧問の先生は監査役に徹してお金のトラブルの防止に努める。指導者は外部から信頼できる人を招聘する。この人選は非常に重要で、カフェ部の命運を左右するだろう。カフェ経営で生じた利益はカフェの設備投資に使うことを原則とする。最初は冷蔵庫とエスプレッソマシーンしかなかったカフェが部員たちの集客努力によって利益が出て内装が学期ごとにグレードアップされたら部員たちもやりがいを感じて能動的に考えるようになるだろう。現金を扱う仕事だから「魔がさした」という状況を作らない工夫も必要だ。例えば、スマホ決済できる機械や券売機の導入や売上げを数える仕事は監視カメラの下で複数人でというルールや売上げ高を毎日公開などの仕組みを整備するべきだ。 校内にカフェができたら何が起こるのか想像してほしい。放課後に部活がない生徒や教員がカフェに集い、雑談や学校生活の愚痴や自然発生的な勉強会などのおしゃべりを通して帰宅部の居場所を作れるし、部活に勤しむ生徒たちのミーティング会場にもなる。ここで提案したいのが10分コンサートの開催だ。平日の17時から10分間だけ個人団体を問わずコンサートを開く。月曜日はコーラス部、火曜日はギターの弾き語り、水曜日は吹奏楽部、木曜日は軽音部、金曜日はのど自慢、みたいな感じで事前に演目を告知すれば集客が期待できるし、演者にとっても発表の場が増えることで上達の一助となるだろう。調理実習で作ったお菓子をカフェで販売してもいいし、とにかく人の集まるところには文化が生じるものだ。 問題は俺は逆立ちしても校長にはなれないということだ。その夢は数学科の同級生たちで高校教師になった友人たちに託すことにする。

USJから寿司へ

 現在は密閉性が高い住宅に住んでいて、夏はエアコン冬は床暖房で温度調整できるので快適に過ごしている。しかし、暑熱順化能力は極端に低下していることだろう。過去はほぼ毎日自転車通勤していて、数学科の建物までの急勾配を炎天下でも汗水垂らしながら上っていたし、教授蹴球会の真夏の練習試合でも一人だけ走り回れるほど暑さに強かった。 その感覚で今月末に日本旅行を計画している長男と次男に「アルバイトしてお金を貯めてUSJ ( ユニバーサルスタジオジャパン) に行って来い」というメッセージを送った。彼らは本気にして、三男を連れての三人で大村での滞在を中心に据えた大阪旅行を考え始めた。 俺はUSJに行ったことがないので、猛暑の中でどれほどアトラクション巡りを楽しめるかが皆目見当がつかない。昨日、外出した妻と次男がへとへとになっていた。長男も暑さに弱いらしい。せっかくUSJに行っても屋外で順番待ちを繰り返すうちに具合が悪くなったりするのではなかろうかと不安が生じるようになった。 長男は味に敏感で「日本で寿司を食べて舌が肥えたのか、韓国の寿司に満足できなくなった」みたいなことを言っていた。彼が言う日本の寿司とは業界最大手の回転寿司チェーン店の味だ。俺は博多駅近くの寿司屋で一人前五千円の握り寿司を食べたことがある。それでさえ感動するほど美味しかった。今となっては叶わない夢となってしまったが、本場の江戸前寿司をそれなりの店で食べてみたいと常々思っていた。息子にその夢を託すという意味で「アルバイトしてお金を貯めて高級寿司屋に行って来い」というメッセージを長男と次男に送るつもりだ。