海外放浪記 13)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/12.html

13)ブルガリア、ヴァルナ。2000年6月。

POSTECHでの生活が始まった。教授はもちろんのこと学生のほとんどが英語での意思疎通を苦にしなかった。売店や学食の職員に英語で話しかけてポカーンとされることはあったが、そんな時は周囲の見知らぬ学生が翻訳して助けてくれた。POSTECHに来るまでに見聞した韓国社会とは別の世界がキャンパス内に広がっていた。後になってわかったことだが、POSTECHは外国人が違和感なく生活できるように設計された、周辺の街並みとは一線を画すまさに別世界だった。宿舎は煉瓦風の建物で道路と校舎以外の土地は芝生で覆われている、ハリウッド映画に出てきそうな光景だった。KJH教授は大規模な研究費を当て、それで研究所を運営する立場だった。俺の上司でもある。やり手の事業者という第一印象だったし、それは全くをもって正しいのだが、実は学生や訪問研究者とのセミナーを最優先と考える人でもあった。初日に仲良くなったSSHとPYSを通して俺は長期滞在する日本人として紹介された。すると、日本人が珍しいのか、行く先々で質問攻めにされた。イスラエルでは経験しなかった人々の関心が向けられることになって悪い気はしなかった。というよりむしろ、ちやほやされているような気がして良い気分だった。同時に「彼ら彼女にとっての俺は初めて接する日本人なのかもしれない。そう考えると俺は日本人代表なんだ」と身が引き締まる思いだった。

宿舎の休憩室に大画面のテレビが置いてあり、日本の衛星放送が視聴できた。それはサッカー日本代表、Jリーグ、NBA、オリンピックの試合が視聴できることを意味しており、スポーツ観戦が趣味の俺にはうってつけの環境だった。学食も一食150円でご飯は食べ放題だったので大食いの俺には有り難かった。ニンニク好きな俺には学食で提供される料理であっても美味しく感じた。いや、POSTECHの学食は全国的に見ても高い水準だと思う。  KJH教授は登山が趣味で1ヶ月に1回は指導学生総出で山登りのイベントがあった。そんな時の打ち上げは焼き肉や刺身などの高級料理で、イベント皆勤の俺はご馳走にありつくことができた。しかし、俺にとっては高級料理よりとある家庭に招待されたときのビビンバの方が美味しいと感じた。これが「韓国料理の真髄は家庭料理にあり」と信じる理由だ。

その頃の俺は研究が絶好調で、時間さえ費やせば結果が出る無双状態だった。基本的に宿舎と研究室を往復する単調な生活だったが、毎日が楽しかった。12月には同門の一年上のTBK先輩もPOSTECHで研究員として働くことになった。無口な先輩だったが、お互いに日本語環境に飢えていたこと、不安定な契約職という身分という共通点があったためか、本音をぶつけ合う会話ができる関係になった。TBK先輩もサッカー経験者なので、数学科のサッカーサークルに入って学生と交流していた。

シローの定理の一般化というテーマを抱え、俺はフランクフルト経由でブルガリアの首都ソフィアに降り立った。ヴァルナは海岸沿いのリゾート地で、そこへ向かう手段は20人乗りくらいの小さなプロペラ機だった。その当時のブルガリアは社会主義時代の名残りがあって「働いたら負け」みたいな雰囲気で充満しているような気がした。研究集会の会場でイスラエルで世話になったM教授とドイツで世話になったZ教授と再会した。すかさず、準備して来たテーマを打ち明けると、彼らは研究集会そっちのけでそのテーマに没頭し始め、その日のうちに大きな進展があった。俺ら三人はその進展にワインで乾杯し、ビーチに浸かりながら「どの客が最も挑発的か」を真剣に討論し合った。俺は二人に受けた恩の何分の一かでも返せたかなと思い幸せな気分だった。


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