復活祭の朝

 起床してテレビを見始めた30分後、妻が「今日は復活祭だから聖書を読もう」と言ってテレビを消した。「五分後に「日曜討論」が始まるのになあ。せめて断りを入れてから消してほしかった。反論もできない俺に己の無力さを自覚させるムゴい仕打ちだ」と思ったが、「どうしても見たい番組でもないし、毎日の介護で苦労をかけていることに比べたらなんでもないことだ。そして聖書を朗読してもらうのは嫌いではない」と思い直し、妻に従うことにした。

マタイの福音書のキリストが処刑される前日からの部分が朗読された。日本語の聖書の朗読で、合間に水分補給や痰吸引が入るので、朗読は一時間経っても終わらなかった。俺が歯ぎしりをして一時中断して「そろそろ三男に教会に行く準備をさせなきゃ」みたいな内容を文字盤で伝えると、妻は気分を害したようで「一体いつになったらあなたに信仰が授かるのか」と嘆かれた。

妻の信仰は筋金入りだ。その水準を俺に要求されても「ぐぬぬ」としか言えない。こんなこと書いたら妻の更なる怒りを買うかもしれないが、俺の信仰は薄っぺらで円満な夫婦関係のためだけのものだ。そうは言っても、四半世紀に渡る教会での体験からの影響は無視できない。信仰に殉ずる人々の心の純粋さ、牧師先生の無償の愛に触れたこと、聖書をノートに書き写していた義母、悩みを共有し祈祷したこと、日韓と台湾で出会った人としてのスケールが大きい人々、いずれも感銘を受けたし、薄っぺらな俺を教会に向かわせた。

それだけでも物凄い進歩だと思うのだが、肝心の妻は認めてくれないんだろうなあ。

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