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8月, 2025の投稿を表示しています

格闘遍歴番外編 3)

 向き合った瞬間、池田先輩の目つきが変わった。あれはまさしく「百獣の王であるライオンはウサギを狩る時でも全力を尽くす」眼光だった。池田先輩は歴代九大芦原空手部員最強の呼び声が高い猛者だ。俺はスーパーセーフと呼ばれる防具を顔に装着している。そのために俺の恐怖に怯え切った表情はその場にいる誰も気づかれなかったはずだ。どうしてこんなことになってしまったのか? 1999年11月某日、俺が無職を脱し韓国に赴く直前だった。俺は最後の挨拶を兼ねて貝塚体育館の練習に参加していた。そのあと、簡単な壮行会が催されると聞いていた。引越しの準備で忙しかった俺にはおよそ一ヶ月ぶりの練習だった。「練習は軽く流して壮行会で全力投球」と思っていた俺を待っていたのは部員全員との1分組手だった。そうは言っても、主将の寺島、2年の岩川、1年の部員4名、社会人で顧問格の池田先輩がその日の練習参加者だった。つまり、7分だけ戦えば宴会に突入できるのだ。しかも1年の4人は組手で圧倒できる実力差があった。俺は「池田先輩さえ乗り切ればなんとかなる」と思い、年長順に7人組手を行うことを提案した。それがそもそもの間違いだった。ヘロヘロになってから池田先輩と当たったら多少の手加減が期待できたのに、俺はわざわざフルパワーの池田先輩を召喚してしまったのだ。スーパーセーフを装着するということは顔面パンチ有りを意味する。掴み有りの芦原空手に加え、部の夏合宿では寝技の練習も取り入れていた。すなわち、限りなく総合格闘技に近いルールで体格と敏捷性で俺をはるかに凌駕する相手と対峙することになったわけだ。 俺は「顔面を殴打される展開は絶対に避けなければならない。なんとか接近戦に持ち込んで袖を掴んで、あわよくば寝技に引き込んで膠着させよう」という作戦を立てた。それは途中までその通りに推移した。双方の袖を掴み合った時に池田先輩の膝蹴りが飛んできた。それをかわそうとして体勢が崩れたところにのしかかられて、仰向けに押しつぶさた。両足を相手の胴体に巻き付けるも圧倒的な体格差故に相手をコントロールできず、拳骨をコツコツとスーパーセーフの上から当てられる。喧嘩であれば鼻骨と前歯が折られていたところだ。その恐怖に耐えられなくなり、自ら足の絡みを解き、三角締めを狙おうとするも、あっさりかわされ、完全に制圧された状態でタコ殴りにされた。身体的なダメー...

みんなの体操の闇に迫る

 NHKでは「みんなの体操」という番組が月曜から金曜までの朝9:55--10:00に放送されている。自慢じゃないけど俺は4年前からほぼ毎回同番組を視聴している。そしてある時期から「毎回寸分と違わない体操を全国放送で流す意義はなんだろう?」という疑問を抱くようになった。同種の番組である「ラジオ体操」でさえ日本各地で開催される集まりを生中継して臨場感を味わう面白味があるのに、「みんなの体操」はスタジオで1人の講師と3人のアシスタントが体操するだけで何の変化もない。「それなら毎回同じ録画テープを流せばいいではないか?」と思うのだが、以下の番組ホームページを見ると結構こまめに収録している模様だ。 https://www.nhk.jp/p/minna-taisou/ts/13PVMRP686/ 収録のたびに出演料と撮影スタッフの人件費が発生する。出演者は体育科を卒業したような健康的な体躯を有する男女だ。当然ながら指先まで伸びて体操の各動作にキレがある。しかし、3人とも専門家である必要はないはずだ。むしろ、下手な人がいると上手な人が引きたって見えるものだ。視聴者参加型にすれば経費削減になるし、番組も活性化するのではなかろうか? 売り出し中のタレントが出演すれば話題作りになるし、ネットでも取り上げだろうし、何より、毎日の楽しみになるし、NHKを代表する番組に成長する可能性を秘めている。このようにやりようによっては人気が出るかもしれないのに毎年毎年同じことを繰り返しているのは生き馬の目を射抜くテレビ業界においての企業努力を怠っているように思える。 そうまでして守りたい利権や闇があるのだろうか?是非ともWさんにお伺いしたい。

KPPYセミナーの原点

 昨日、BSJ教授からの電話があった。妻のスマホのスピーカー機能を通してその内容を把握することができた。地域の大学間学術交流を目的としたセミナーを始めたのは2006年前後だ。最初は釜山大学と浦項工科大学とで月毎に開催していたが、ある時期から慶北大学と嶺南大学が加わり、「KPPY Combinatorics Seminar」と改名して、土曜日に5人の講演者が自身の研究結果を50分以内に英語で紹介するという仕様で、年10回ほど開催してきた。俺がALSに罹患してからは年1回のペースで開催し、2025年9月20日に100回目を大々的に開催するという話だった。BSJ教授は世話役の一人で、今回は歴代の世話役を海外から招待して、ホテルの会議場で開催するそうだ。俺も現地に行って皆に会いたいのは山々だが、呼吸器を付けての長時間の外出は経験したことがないし、様々な不便が予想されるので参加は無理だと判断した。 俺が大学院に入学する直前の3月、京都大学数理解析研究所で開催された研究集会に参加した。過去に何度も書いているが、そのときに受けた衝撃が俺のセミナー活動の原動力となっている。一年上の先輩が研究結果を発表していた。「数学は10年以上の下積みが必要で、大御所かガロアのような天才しか新しい結果は出せない」と勝手に思い込んでいた俺にはその事実だけでもかなりの衝撃だった。発表後の質問や批評が物凄かった。年配の先生方が次々と論理的な駄目出しをやって、今後の研究の方向性についての宿題とも取れる提案を述べていた。それは若手だけでなく、全ての発表で起こる現象だった。そこは数学者たちの本気が交錯もしくは衝突する空間であり、数学の一分野を発展させる鍛錬の場にしようとする気概が満ちていた。 そのことを再現したいと思って活動してきた。数学は頭の中で完結する個人競技だと思われがちだが、研究集会や懇親会での雑談を通して新たな発想を得たり、共同研究に発展したりする団体競技の側面も確かにある。100回目を迎えるKPPYセミナーは延べ500人の講演者と100回の懇親会を通して様々な学術交流があったと信じたい。そんな難しいことを持ち出さなくても、俺自身はただ単に楽しかった。それが長年に渡って世話役の一人で居続けた最大の理由だと思う。 最後にBSJ教授を始めとするKPPYセミナーの歴代参加者全てにこの場を借りて感謝...

のぶの悲哀

 ドラマ「あんぱん」で主人公ののぶ役を演じる今田美桜は美貌は申し分ないのだが、感情移入できないし、あまり魅力を感じない。それは今田の女優としての資質によるものではない。のぶが十代の頃は徒競走で男を負かしたり、電話でたかしをどやしつけたり、次郎からの求婚を走って追いかけて承諾したり、躍動するヒロインとしての存在感は十分にあった。しかし、たかしと結婚してからののぶはそれまでは充満していた自己肯定感が崩壊して、8月22日放送分では「仕事は全部中途半端で、首になって、たかしさんの子も産めない」という内容を吐露した。これは脚本家の意図で「頑張ってキャリアを重ねてきたが気がつくと何も残っていなかった数多くの女性の悲哀」をのぶに代弁させたかったのかもしれないし、史実に基づいた話なのかもしれない。いずれにせよ、脚本のせいで今田の女優としての魅力が損なわれ、削がれているような気がする。 そこで僭越ながら今田の魅力を引き出す設定と脚本を考えてみた。たかしは不思議と自虐や内省がよく似合う。漫画家としての代表作を産み出せないで苦悩するたかしを持ち前の明るさで笑い飛ばすのぶという設定にする。手塚治虫をモデルにした手島治虫と遭遇したたかしはのぶに自分の才能の無さを打ち明ける。 「あの人はすごいよ。自分に無い物を全て持っている。医学部に入るほどの明晰な頭脳、未来社会を予見させる類い稀な想像力、漫画をメジャーにするという野望と大志、日本全国津々浦々にいる読者、僕もその一人だ」 「でも、手島治虫はウチは持っちゃあせん。ウチは仕事も子供も持っちゃあせんけど、たかしがおるから幸せや」 「…………。参ったよ、のぶちゃん」 みたいなことを言わせれば人気爆発間違いなしと思うけどなあ。あまりにも男性視点に偏った見方だろうか? 前半部分は命がかかった場面が多く、週ごとに登場人物が減っていく印象だった。それだけに緊迫した場面と和やかな場面とのメリハリが物語の推進力をもたらし見る者を惹きつけていた。ところが、後半部分に入ると平和な時代になったせいか中だるみなのか、「あれっ」と思う設定が散見される。以下でそれらを記しておく。 1)のぶは代議士に引き抜かれる形で高知新報を辞めて上京する。それなのに当てがわれた住居はいつ不審者が侵入して来るとも限らないガード下のあの住居だ。戦後の混乱期とは言え、あまりにも酷い仕打ち...

三男の交渉術

 視線入力でパソコンを操作する時間は8時間が限度だ。13時から始めて21時前には目が疲れて操作が困難になる。そういうわけで、21時前に電動寝台を折り曲げて座った状態でテレビを見るのが日課になっている。その時間以外はずっと寝たきりなので、上体が起こされて視線が高い位置に変わるのは絶好のリフレッシュになる。その間に子供たちを呼んで頭を掻いてもらう。しかし、この至福な時間の唯一の弱点がアヒルの玩具を押せないことだ。歯軋りで人を呼ぶことも可能だが、歯軋りの音量が出ない日もあるので家族の誰かが付き添うことになっている。 昨晩も三男を呼んで文字盤で「こ」と伝えると三男が「ここに居て」と翻訳してくれて、隣の寝台でipadを扱い始めた。先週、妻が「ゲームばかりして学校の宿題を全然してない」とこっぴどく三男を叱り飛ばした。そのことを思い出し、歯軋りで三男を呼んで文字盤で「や」と伝えると三男は「やめて」と翻訳して、ipadを充電器に繋いで本当にやめてしまった。あれだけ叱られても全く意に介さず翌日からゲームをやっていた三男の意外すぎる従順さに驚いた。 週末で上の子供たちは就寝する雰囲気が全くない。家中の蛍光灯がともった状態で「何もしないでいろ」というのは酷だし、いつもの三男ならばトイレにipadを持ち込んでゲームを続けることができたはずだ。そういう俺の心理を見透かすかのように三男は「本当に駄目?」を連発して懐柔策に打って出る。「明日から22時以降はipadに触らないと約束するなら今日は許す」と言いたかったが、文字盤で伝えるのは難儀だ。「23時まで宿題するから、それからやるのはいい?」と三男は食い下がるが、「5分なら許す」と突っぱねる。 そういった問答を繰り返して、根負けした俺は「お母さんに聞いて」と責任転嫁する策に出る。三男は韓国語で「お父さんがお母さんに聞いてと言っている」という内容を事細かに説明して、堂々とゲームをする権利を得た。恐るべし三男、日頃から大家族の一番弱い立場で鍛えられているからなあ。将来は国際紛争を解決する職に就いてほしい。

ドカベンの名場面

 前日のブログで漫画「ドカベン」について言及した。それは明訓高校野球部の物語で、同学年の山田、岩鬼、殿馬、里中の活躍が描かれている。ちなみにその題名は主人公の山田がドでかい日の丸弁当を持参することにに由来している。今回は多少マニアックになるが、俺の心に残った名場面を列挙していく。尚、俺の記憶力のみが頼りなので、名前などのの間違いがあるかもしれない。 1)白新学院の不知火は隻眼の弱点を突く配球を逆手に取って本塁打を放つ。塁間を回る際にサングラスをかけた観客が歓声を送る。不知火は「やったぞ。父さん」とその歓声に応える。そこで不知火が父から眼球を譲り受けたことが明かされる。超スローボールで山田をスランプのどん底に落とした投手の不知火が見せた唯一の感情を爆発させた場面として印象的だった。 2)夏の甲子園の決勝の九回裏ランナー三塁の場面で三塁のはるか後方にファウルフライが上がる。周囲の「取るな」の声が聞こえないのか岩鬼は観客席間際のボールをキャッチしてしまう。すると三塁ランナーはタッチアップで本塁に向かって走り出す。明訓高校の初優勝か同点かが分かれる場面で、岩鬼の送球は山田のミットに収まり、ランナーの目の前に白球が立ちはだかるという劇的な結末だった。作者の水島新司は野球のルールブックの見落としがちな部分を題材に話を作ることが多い。俺もこの話を読む前は「ファウルフライでタッチアップできる」ということを知らなかった。 3)記憶喪失になった山田が満塁の場面で打席に立ち、本塁打を放つという正にマンガオブマンガの展開に痺れまくった。その後の敬遠の指示を無視して背負い投げ投法で山田との最後の勝負に挑んだ影丸に感動した。ライバルが魅力的に描かれているのがドカベンの特徴だ。 4)投手の里中が肩と肘の故障で地区予選に出場できないとき、岩鬼、殿馬、山田が投手を命じられて、殿馬は意表を突く牽制球で、山田は捕手の構えからの豪速球で抑えていたのがよかった。低学年の頃に見たアニメでは「岩鬼は口ばっかりでちっともチームの役に立ってない」と否定的な見方をしていたが、高学年になって漫画を読み出すと「ハチャメチャな岩鬼がいるからこそ面白い」と全肯定するようになった。 5)かつて明訓高校を優勝に導いた徳川監督がスター選手不在の信濃高校を率いて甲子園で激突した戦いも印象深い。無死満塁のピンチで山田が「やっぱ...

甲子園の雑感

 高校野球を視聴した。NHKプレミアムでは甲子園大会の準決勝から放送される。そして我が家では7時半頃からテレビがつけっぱなしになる。いつもは朝イチや前日の夜番組の再放送があるので退屈しないで過ごせるのだが、今日は意図せず大して興味があるわけでもない高校野球を見る羽目になった。 断っておくが、俺は野球が嫌いなわけではなく、むしろ好きなスポーツの一つである。しかし、サッカーを観戦するようになって、プロ野球のイニングごとにCMが入ったり、あんまり動きがないこと、試合時間が読めない、などの欠点に気付き次第に野球観戦をしなくなっていった。俺の少年時代は野球全盛で、「ドカベン」の野球編は全巻揃えて繰り返し読んでいたし、町内会対抗のソフトボール大会にも出場していた。長崎は民放が2局しかなかったので、「俺たちひょうきん族」がプロ野球中継のために視聴できないということがしばしば起こった。そんなときはプロ野球に対して恨みが募ったが、プロ野球のどのチームが首位で誰が活躍しているかには関心を持っていた。 久しぶりに、というか、春の甲子園大会でも同じ状況で観戦したのだが、スポンサー企業の影が見えない、実に奥ゆかしい大会だなという印象を受けた。あんなに人気があって全国放送で中継されてニュースでも流れるのだから、10億円くらい投じる企業はいくらでもありそうだし、そうすれば選手の旅費や宿泊費を支援できるだけでなく、野球の振興にもお金が使えるのにもったいないなと思った。敢えてそういう商業価値を封印することでアマチュア競技の純粋性が守られているし、だからこそ人気が維持されているのかもしれないが、朝日新聞などの協賛企業はゼロではないので、もっと上手い方法があるはずだ。 準決勝は二試合とも接戦の好試合で、フライが上がった時にドキドキするほど緊迫していた。やはり、一度でも負けたら終わりというのはプロ野球にはない魅力だと思う。それから、延長タイブレイク制度はエキサイティングではあるが、投手にとっては過酷な制度だと思う。

高校の同窓会

 先週の土曜日、大村高校1990年卒業生の同窓会が開催された。もちろん、参加できなかったのだが、SNSを通して投稿される写真や動画に映る同級生の楽しそうな表情を眺めていると「何でこんな変な病気にかかったのだろう?」という後ろ向きの気持ちが湧いてきた。そのことを参加していた友人に伝えると、「後ろ向きになるのは当たり前の感情だと思うよ」と慰めてもらった。 よく写真を見たら、クラスあたり10人前後の参加者数で、出席してない人が圧倒的に多い。俺もその一人になっただけでくよくよ考える必要は全くないのだが、どうにも気が晴れない。この感情の正体は何だろう?その問いに接近するために同窓会の特性を分析してみる。 卒業して35年、家庭を持ち子供が成人する年齢だ。職場では要職に就いている者も多いだろう。同窓会のいいところは、そういう経歴がリセットされて高校時代の人間関係がそのまま維持されて会話が始まることだ。毎日顔を合わせていた高校時代と異なり、35年経った今は各人が独立した社会で生活しているものだし、普段は遠慮して連絡するのも憚られるものだ。同窓会に参加するということは時間を同級生のために費やしたいという意志の発露であり、時間を気にすることなく旧交を温めることができる。数年に一度開催される集まりなので、それは盛り上がるだろう。 そんな貴重な時間を逃しただけでなく今後も参加できそうもない。まるで高校時代の交友関係が消失したように感じたのが後ろ向きの理由だと思う。コロナ禍とエアマウス時代末期を経て、俺も以前のような自信がなくなり、連絡を取るのが億劫になった面もある。慰めてくれてた友人は漢気がある女性で、俺が大村に住んでいた時に同級生を集めて飲み会を催してくれた。直接感謝を伝えるのは照れ臭い。しかし、表現することが前向きの一歩目だと思うので、本欄にて「ありがとう。いつも」と伝えたい。

視線入力事始め

 続塩日記を見返すと、去年の8月14日から視線入力を導入したことが見て取れる。その前日に業者が来て、視線入力システムのセットアップを終えて、使用上の手ほどきをした後、帰って行った。 それまで俺は四回視線入力に挑戦したが、ことごとく「視線の動きに反応して動くポインタが制御できない」という問題に直面した。不思議なことに妻が視線入力を試してみると、ことごとく成功して、「これならできそう」みたいな感想を述べるのだ。妻と俺の違いを分析してみると、「妻は裸眼で生活できるが、俺は何でもぼやける」「妻は目が大きいが、俺の目は糸屑のように細い」が挙げられる。その分析から「俺には視線入力の適性がない」と勝手に思い込んでいた。 しかし、一年の使用期間を経て、「視力や眼鏡の有無や目の造形は一切関係ない。瞳孔が動く限り、視線入力は誰でもできる」という結論に至った。現在でも上手く視線入力できている状態の時でも、吸引等で微妙に視線の位置がズレて制御不能になったりするのだ。導入段階でカリブレーションが上手くいっても実際は視線が合わないこともよく起こる。大事なことは使い続ける過程で視線入力システムの特性を把握して、制御しにくいと感じたら助けを呼んで視線の位置をリセットして設定することだ。 残存する筋肉、例えば、足や噛む力を用いてスイッチのみでパソコンを操作するALS患者を目にする。かつての俺もそれに拘泥していたが、そんな方々に「視線入力の方が百倍楽だし、人生が変わる」ということを声を大にして伝えたい。

戦没者の意志

特攻隊について考えた。自らが操縦する戦闘機を敵の軍艦や空母に体当たりさせて、あわよくば敵の船を戦闘不能にすることを目的としている。現代に生きる日本人の大半は「尊い命が無駄に浪費されるのは狂気の沙汰だ」と考えるのだろうが、それは戦後の日本の国体が守られ、経済発展に成功し、自由主義を謳歌し、民主主義が定着し、人権教育が徹底されたからこそ言えることであって、当時に同じことが言えるかは甚だ疑問だ。 当時の日本は「戦争に負けて支配される側に回ったら、それまで日本が支配して来た地域の民と同じ苦しみを味わうことになる」という恐怖に怯えていたはずだ。天皇制は廃止され、ひらがなはローマ字に変わり、英語が公用語に追加され、領土は連合国に分割統治され、日本民族同士で争うことになり、要職や資本家は外国人が占め、日本人は単純労働者として搾取され続ける。当時の日本人がそのような未来予想図を描いたとしても何ら不思議ではない。むしろ、鬼畜米英と教育されたのだから、女は凌辱され、男は去勢される世界線さえ想像していたのかもしれない。 とにかく、負けたら終わりという状況で、国民も政府も( 現在から見ると)正気を失っていたと想像する。自ら進んで特攻隊に志願した人もいるだろうし、同調圧力で仕方なく志願した人もいるだろう。いずれにせよ生命を賭して国を守ろうとした戦没者全員の意志が今日の平和に繋がっていると信じたい。 終戦記念日の今日、戦没者追悼式典をテレビで見ながらそんなことを考えた。

特別な客人

 昨晩は消化不良が祟って全く眠れなかった。座ってテレビを見ていたときは何ともなかったが、横になって初めて違和感が生じた。「胃の中に何か残っている。痛みや苦しさはないから眠れば治るだろう」と思っていたが、胃が気になって一向に眠気が来ない。時刻は午前2時、翌日に妻の父、妻の妹、妻の姪が泊りに来るので妻は掃除で忙しい。俺は妻を呼んで座らせてと頼んだ。座った状態で胃瘻を通じて胃の内容物を出して、梅ジュースを入れるも、違和感は解消せず、午前3時に妻の就寝に合わせて再び横になった。翌日の運転を控える妻を起こすわけにはいかない。ここからが長かった。眠気が来ないまま朝を迎え、今も目を開けているのが辛い状況だ。 義父は視線入力中で天井を向いている俺の顔を覗き込み、笑みと憐れみが入り交じった表情を浮かべ、俺からの反応がないのを確認すると別室に去って行った。俺は無視していたわけではなく、必死に視線を動かして、韓国語での音声入力を打ち込んでいた。義父の髪が一段と白くなり杖をついていたのが気になった。義父は心臓の持病を抱えていて、今日は釜山大学病院での定期検診の日だった。俺が健康だった頃は囲碁を打ち、焼酎のお供をしていたのに、時の流れとは残酷なものだ。 義理の妹が俺の左手を両手で握りお祈りしてくれた。今日だけでなく、電話越しに何度もお祈りしてくれた。俺はそのことを思い出し、万感の思いで目を閉じ、お祈りの内容を聴いていた。彼女は人生の危機と試練の時期を経て、立ち直って今を生きている。それ故に、人に優しい。俺も彼女にあやかって人に優しく、そして逆転を信じて生きようと思う。 姪っ子の声は聞こえるが、顔はまだ見れてない。妻がそのうち紹介してくれるだろう。ちなみに妻の妹は二人いて、その姪っ子の母は今日は来ていない。

グラスハートを批評してみた

 Netflix配信ドラマ「グラスハート」を批評してみた。四人組ロックバンドに関する話で、困難に直面してもライブをやれば全て解決というミュージカル形式なので、「脚本が粗い」とか「キャラ描写が不十分」とか「説得力に欠ける」という批判は意味がないのは百も承知だが、敢えて書き出してみる。 1)西条朱音は大学生で実家のカレー屋の配達や接客を手伝っている。ドラム奏者を目指しているが、それだけに振り切った生活をしているわけではなさそうだ。それなのに三年という期限を設けてオーディションに落ちたら夢を諦めると言う。ずいぶんと薄い下積みだなと呆れた。しかも、その日にロック界のアマデウスと称賛される藤谷直季の自宅に呼び出され、ドラマーとしてバンドに迎入れられる。西条朱音の「そうだったらいいのになあ」の世界がそこから始まる。終盤では片思いだった藤谷と結ばれるという絵に描いたようなシンデレラストーリーが展開される。産みの苦しみが伴わない脚本のせいで感情移入して応援する気持ちになれなかった。 2)西条が船の一室に閉じ込められる。外鍵をかけて船を出航させたのはバンドのマネージャーの甲斐だ。いくら西条を排除するためとは言え、テレビの生放送に穴を開けてバンドの信用を損なう行為とそれまでの甲斐の言動とが矛盾する。そのあと、ドラムセットを載せた別の船が接近して船上ライブの生放送が始まり、一件落着となる。「西条はスマホを携帯していなかったのか?」「藤谷たちはどうやって西条の居場所がわかったのか?」「聞き込み調査をすれば甲斐が犯人だと察しがつくのでは?」「西条が船から船へ飛び移るシーンを見たかった」などのモヤモヤが残ったが、ライブの勢いと斬新さを目の当たりにして、「そういう細かいことを考えたらこのドラマを楽しめない」と思うようになった。 3)藤谷の異母兄弟である真崎は暴漢にナイフで刺される。心配して駆け寄った女性ファンに真崎は「ライブに来いよ」と言って、その女性は血だらけの真崎を放置してライブに行ってしまう。「それはファンの行動原理と一致しないだろう。せめて救急車くらいは呼んでやれよ」と思ったが、病院の屋上中継ライブに圧倒され、そんな細かいことは忘れることにした。 4)敏腕プロデューサーである井鷺はお抱えの歌姫であるユキノを奴隷扱いしているが、コンプライアンス全盛のSNS時代の最先端を走る男の行動...

甥っ子の冒険

 甥っ子が婦人用自転車で九州一周旅行に挑戦している。福岡が出発地で時計回りに九州を南下し、二日前に延岡を通過したらしいので今は鹿児島辺りだろう。俺の弟からその話を聞いた時、大雨による土砂崩れ、猛暑による熱中症、などの心配が先に立ち、子を持つ親の立場から「そんな危ないことをするなんて!」と思うと同時に、「俺も若い頃は冒険心に駆られたことがあるなあ」と思った。 23歳の夏、福岡ローカル局の深夜番組でお笑い芸人が42.195kmのマラソンに挑む企画が放送された。それを見た俺は「一生に一度はフルマラソンに挑戦してみたい。やるなら体力がある今しかない」と感化され、その翌日に海の中道( 福岡市東部に位置する半島のように陸続きになった島までの通り道)を往復することにした。地図で確認したらその経路の道のりは42kmほどだった。 俺は原動機付自転車を海の中道の根元に停め、ヘルメットケースに財布を入れて、キーホルダーと千円札を短パンの紐で結びつけてポケットに収納して出発した。時刻は13時、気温は30度前後、海風が吹いているせいで走っていて快適に感じる湿度だった。最初の一時間は余裕だった。「このペースなら三時間半くらいで完走できるんじゃないか?」と思っていたら、陽向しかない道に出て、直射日光に晒されるようになると突然疲労を感じるようになった。それからは時間と共に疲労が蓄積していくような感覚だった。海の中道の往路は過ぎたが、問題は島の外周だ。「マラソン選手だって水分補給するだろう。おや、向こうに見えるのは自動販売機ではないか。キンキンに冷えたアクエリアスを飲めば新たなエネルギーが湧いてくるんじゃないかな」と思い、その考えを実行した。その瞬間、メロスのように走り出すという期待とは裏腹に、全身の力が抜け、その場に座り込んでしまった。「どうしよう。まだ半分も来ていない。とりあえずはバス停留所まで歩いてバスで帰るか」と思い、それを実行した。しかし、時刻表を見ると、次のバスが来るまで30分ほど待たなきゃいけないことがわかった。「せめて半分は走破してからリタイアしよう。ハーフマラソンを完走したと自慢できるではないか」と思い、再び走り始めた。ジョギングだったが、確実にゴールに近づいているという実感があった。水分補給の効果なのか、新たな気力も湧いてきた。そのうち、島の外周の半分を越え、博多湾越しの...

呼吸困難時の対処法

昨晩は体調が悪かった。夕食の直後に息苦しくなり、妻が「顔が真っ赤になって吸引を繰り返しても酸素飽和度が上がらない」というほど深刻な状況に陥った。当事者の俺は突然の出来事にパニックになり、的確な指示が出せない。幸運だったのは妻がすぐそばにいたことだった。過去の経験から呼吸困難に陥ったときの対処法を熟知しているのは妻に他ならない。この日も俺の体を横向きにして背中を叩いたり、加湿機能を作動させたり、水を飲ませるなどの、こびりついた痰を吸引しやすくする技を駆使して、正常な呼吸を回復させた。 就寝前にも水やポカリスエットを飲ませて再発防止策を講じてくれた。俺の体温は37度2分、平熱は36度5分だから、寒気を感じた。夏なのにバスタオルとシーツを重ねても寒気は収まらない。毛布をかけてもらうも、左の大胸筋が痙攣し始め、眠いのに眠れない状態のまま一時間が経過した。その間、妻は俺が暑いと言えば布団を減らし、俺が寒いと言えば布団を増やす作業に追われていた。体温は37度5分を記録し、意識も朦朧としてきて、そのまま眠りに落ちた。 目覚めたのはわずか一時間後で、尿意も感じたので、アヒルを鳴らして妻を起こし助けてもらった。そのときに妻は水を飲ませた。そうすると、また一時間後に尿意で目覚めることになる。あろうことか、その晩は合計四回妻を起こした。朝になって、妻に文字盤で「ごめん」と言うと、「病人にごめんと言わせたら、こっちが悪くなっちゃうじゃない。出勤するわけじゃないから大丈夫」と言われた。 またしても、妻のお世話になった。現在の体温は37度2分、寒気はないが、妻は心配している。早く体調を戻して妻の軽口を聞かないとな。

平和式典でのスピーチ

 長崎の平和式典をNHKによる生中継を視聴した。石破首相と県知事が挨拶したが、いかにもスピーチライターが作成した文章という感じで、当たり障りがなく多方面に配慮した無難な内容だった。二人とも時折視線を下ろして原稿を確認しながらのスピーチだった。 個人的な感想を言わせてもらえば、心に響くことはなかったし、せっかくの機会なのにもったいないと思った。この挨拶は日本全国に生中継されているし、その後のニュースでも取り上げられる。二人とも政治家なんだから、失言や批判を恐れて無難な内容に終始するのではなく自分の信念や主張を自分の言葉で常に聴衆を向いての演説をしてほしかった。 それで心を動かされた人が次の選挙での一票を投じてくれるかもしれないし、党勢の拡大に繋がるかもしれないし、後年、歴史に残る名演説として評価されるかもしれない。そんな絶好の機会を原稿読みで終わらせたのはつくづくもったいないと思う。 もちろん、日米貿易交渉や自身の身体問題や直近の災害対応や農政の見直しなどで多忙の極みだったし、広島と長崎で言うことが違うのも問題だし、歴代首相の前例に倣っただけかもしれないし、たくさんの言い訳があったのだろう。しかし、人気は政治家にとって不可欠な要素なのだろうから手を抜かない方がいいと思う。 追伸)note に投稿したが、読まれている気配が皆無だ。Netflix 配信のドラマ「ちはやふる、めぐり」と「グラスハート」を視聴している。前者は正統派学園ドラマという感じで安心して見れる。第三回まで見たが、登場人物の今後の成長が楽しみだ。後者は作品の制作に関わった主演の佐藤健のナルシストぶりが鼻につくが、歌やピアノを弾く演技を見ると「もしかして、この人は才能に恵まれた俳優なのでは?」という思いが湧いてきて、最後まで見ることを決めた。

技術と資本の融合

 プロジェクションマッピングとは建物や壁面などに複数の投影機から発せられる個々の映像を滑らかになるように貼り合わせる技術だ。7年前に釜山の科学技術館での展示で体験したことがある。そのときは「子供騙しの域は逃れられないが可能性は感じる」という感想を抱いた。 アブダビとはアラブ首長国連邦の首都で、元は海岸沿いの砂漠だったがオイルマネーの後押しで開発が進み現在では世界有数の観光地に発展した。日本の金持ちがアブダビやドバイに行った話をメディアを通して聞いてはいたが、「どうせ成金趣味の人工都市だろう」という偏見を抱いていた。 今朝、NHKプレミアムで放送された「未来と今をつなぐ美術館~アブダビ国家プロジェクションに挑むチームラボ~」という番組では最先端のプロジェクションマッピング技術がアブダビの資本と結びついて新たな美術作品が創造される様子を克明に描いていた。90分の長尺だったが、アブダビの美しく斬新な建造物に彩られた街並みと画面越しでも伝わってくるプロジェクションマッピングの映像美に魅了され、退屈することなく画面を食い入るように見つめて視聴を終えた。 具体的には、多くの柱が据えられた空間に神経を模したような無数の触手が柱を覆っていく映像や水を張った床に銀色のだるま状の風船が無数に浮かんでいて天井からの光が乱反射して幻想的な光景を演出する部屋や無数の光源たちから発せられるレーザーが重なり合い太陽のような円形を作りそれが楕円に変わり再び円に戻る様子を寝そべって鑑賞する部屋が紹介された。別室での小空間で発生させた雲や泡などのライブ映像を投影することもできるし、絵画や彫刻などの古典的美術とは一線を画す新たな美術の可能性を示唆する技術だと思った。これらの展示に子供は興奮してはしゃいでいたし、大人はスマホをかざし撮影していた。技術と資本の融合、成金趣味とは笑えない圧倒的な美の世界が生まれる過程を垣間見た気がした。

被爆者の活動は無意味?

 今日は8月6日、広島に原爆が落とされた日だ。何でこんなに残酷なことができるんだろうか?しかも、その三日後には長崎に二発目が落とされた。しかし、そういうことは言ってはいけないことになっている。「過ちは繰り返しませぬから」と書いてある石碑や「原爆が落ちた」という表現の多用に見られるように、まるで、日本が犯した戦争犯罪や真珠湾での奇襲に対する報いのような位置付けで語られる。 被爆者の活動はある意味で無意味だ。如何に核兵器の廃絶を唱えても核保有国の数は増える一方だし、そんな国の指導者は核兵器廃絶の声に耳を貸そうとしない。それでも80年に渡って「No more Hiroshima No more Nagasaki」が実現できた意義はとてつもなく大きいと思う。それは被爆者の方々の核兵器の残酷さを訴える声に世界が共鳴して為政者に心理的ブレーキが働いたからに他ならない。そういう意味では彼ら彼女らの世界平和への貢献を忘れてはいけないと思う。 追伸)夢の内容は忘れてしまうことが大半だが、昨晩の夢は鮮明に覚えている。高校の友人の運転する車の後部座席に座っていたら、その友人が忽然と消え去り自動運転のようにハンドルが透明人間に操作されている状態になった。俺は運転席に移動してブレーキを踏もうとするが体が動かない。何度も危機を迎え、そのたびごとに死をしたが、奇跡的に助かり、最後は上りの階段に乗り上げた。はずみでドアが開いて脱出した場所は見知らぬ高校で、歩いて逃げて、放課後になり、その友人が現れたところで夢が覚めた。

note に投稿してみた

今年の元日に「一日の平均閲覧数を十倍に増やす」という目標を立てた。しかし、その期待も虚しく、8月になっても増えるどころかむしろ微減している現状だ。あんまり閲覧数を気にすると、筆が進まなくなるものだ。そう考えて気楽に駄文を公開していた。その一方で、閲覧数が240に跳ね上がったりすると、励みになって創作意欲が湧くことも事実だ。この辺りの心理は「好きなだけでは数学の研究は続けられない。必要とされていることが必要」という葛藤に似ているかもしれない。 その相反する思考を折衷する方法を思いついた。それを開陳する前に現在使用しているブログについて言及する。無料ということとグーグルが提供しているサービスという理由で深く考えずに旧ホームページのミラーブログとして見切り発車した経緯がある。使い勝手の良さはあるのだが、個々のブログで完結していて外への広がりに欠けるという欠点に最近気付いた。現在、隆盛を誇っている投稿サイトはブログ群を統合して不特定多数の読者の目にとまりやすい工夫がされているものばかりだ。その中の一つが「note」という投稿サイトだ。その折衷案は「今まで通り本ホームページ上で記事を書く。note に選りすぐりの記事を投稿する」という方法だ。 第一弾として、2025年1月11日に投稿した「まだ六割残っている!!」のタイトルを「ALS患者からALS患者へのエール」に変えて、扉絵を長女が描いた絵の一部にして、note に投稿した。評判を見ながら第二弾を投稿するか決めようと思っている。 追伸)次男と三男が大村滞在を終えて帰ってきた。三男は「一番美味しかった食べ物は回転寿司」と言っていた。

モデル歩き

 妻が「12時からお客さんが来る」と言って家の掃除を始めた。てっきり、訪問看護の方と思い、「今回は胃瘻の交換だからパソコンを繋がない方がいい」という理由でテレビを見ていたが、12時に現れたのは看護師ではなくPJR博士だった。「夕方に来ると聞いていたのに変更になったみたいだな。それで忙しそうにしてたのか」と思っていたら、頼みの綱である妻は買い物に行ってしまった。長女も家にいたのだが、あいさつが終わると自分の部屋に戻って勉強を始めた様子だ。PJR博士はGISTに講義専門講師としての採用が決まったばかりで、そのことを直接伝えるために大邸からわざわざ来てくれた。俺はまばたきを繰り返して相槌を打つだけだった。一年前はそれが当たり前だったが、視線入力を手にした今の俺にはその状況が非常にもどかしく感じられた。その15分後にKGY博士とCHIさんがやって来た。「テレビもつけっぱなしだし、エアコンもついてないし、歯ぎしりしても誰も反応してくれない。嗚呼、こんな時に妻がいたら」と思っていると妻が帰って来た。早速、パソコンを繋いでもらい、「これでまがいなりにも会話ができる」と思っていた矢先、看護師さんがやって来た。 胃瘻とカニューレの交換の後、昼食会が始まった。俺は寝室でネットサーフィン、妻と長女は三人の客人と共に牛肉鍋と弾んだ会話を楽しんでいる様子だ。盛り上がっている雰囲気を邪魔したくないと思い、放置しているのだが、そうすると客人たちが「そろそろ帰る時間だ」と言い出して本当に帰ってしまうというのが我が家で何回も繰り返されてきた黄金パターンだ。今回もその例に漏れず、俺との会話もそぞろに三人とも帰ってしまった。 KGY博士とCHIさんについては以下で触れているので今回はPJR博士についてのみ言及する。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/blog-post_10.html 済州島から釜山に引っ越してきた彼女はヒップホップ系の出で立ちで外股で闊歩することでボーイッシュな雰囲気を醸し出していた。彼女が俺を指導教官として選んだその日から彼女にとってのセミナー地獄が始まった。俺には学生に研究職を紹介できるような力はない。研究者を目指そうとする学生にはそれ相応の覚悟が求められる。俺が出来るのは学位を出すことだけで、残りは自らの運と才能と努力に委...

国際報道

 NHKの国際報道2025を視聴した。この番組は日本時間の22時から衛星第一テレビで放送される国際情勢のみを扱っている。ここ韓国では海外用に編成されたチャンネルであるNHKプレミアムを通して23時50分から視聴できる。二年前は妻と三男が熟睡していたので、月曜から金曜までは同番組を視聴してから長男か次男に頼んで寝る体勢を整えてもらって眠るのが日課だった。しかし、いつ頃からか三男が夜中に起きるようになり、夜中のテレビ視聴を控えるようになった。今週は三兄弟は大村に滞在しているので、大手を振ってテレビを見ているというわけだ。 改めて思うことは国際報道2025は極めて良質なニュースと解説を提供してくれる番組だと言うことだ。しかも、天気予報やスポーツニュースがない分、個々の国際的イッシューを深堀できるという長所もある。でも視聴率は低いだろうな。昨日の特集は「東南アジアの国々で戦争がどのように語り継がれているか」という主題で色々と考えさせられる内容だった。リージョンコードのために日本以外の地域では閲覧できないが、国際報道2025のホームページを以下に貼っておく。 https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/ ベトナムでは日本軍が米を安価で供出させたことが原因で餓死者が数十万人出た。インドネシアの博物館では「戦時中のプロパガンダ」という展示があって、スカルノ大統領が「天皇陛下、万歳」と叫ぶ映像も閲覧できる。シンガポールでは戦時中に一部の中国系の住民が日本軍によって殺害された。解説の藤原帰一教授のコメントは深みがあって、共感する部分も多かった。 これらの報道を目の当たりにして、「毎年、この季節になると広島、長崎、沖縄、空襲、特攻隊などの被害に焦点が当てられるが、加害の歴史も同じ分量で紹介されるべきではなかろうか」という考えに至った。それは自虐史観ではなく、歴史を多面的に捉え、客観的資料に基づいた事実を直視することこそ学問的思考であり態度だと思うからだ。