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8月, 2025の投稿を表示しています

高校の同窓会

 先週の土曜日、大村高校1990年卒業生の同窓会が開催された。もちろん、参加できなかったのだが、SNSを通して投稿される写真や動画に映る同級生の楽しそうな表情を眺めていると「何でこんな変な病気にかかったのだろう?」という後ろ向きの気持ちが湧いてきた。そのことを参加していた友人に伝えると、「後ろ向きになるのは当たり前の感情だと思うよ」と慰めてもらった。 よく写真を見たら、クラスあたり10人前後の参加者数で、出席してない人が圧倒的に多い。俺もその一人になっただけでくよくよ考える必要は全くないのだが、どうにも気が晴れない。この感情の正体は何だろう?その問いに接近するために同窓会の特性を分析してみる。 卒業して35年、家庭を持ち子供が成人する年齢だ。職場では要職に就いている者も多いだろう。同窓会のいいところは、そういう経歴がリセットされて高校時代の人間関係がそのまま維持されて会話が始まることだ。毎日顔を合わせていた高校時代と異なり、35年経った今は各人が独立した社会で生活しているものだし、普段は遠慮して連絡するのも憚られるものだ。同窓会に参加するということは時間を同級生のために費やしたいという意志の発露であり、時間を気にすることなく旧交を温めることができる。数年に一度開催される集まりなので、それは盛り上がるだろう。 そんな貴重な時間を逃しただけでなく今後も参加できそうもない。まるで高校時代の交友関係が消失したように感じたのが後ろ向きの理由だと思う。コロナ禍とエアマウス時代末期を経て、俺も以前のような自信がなくなり、連絡を取るのが億劫になった面もある。慰めてくれてた友人は漢気がある女性で、俺が大村に住んでいた時に同級生を集めて飲み会を催してくれた。直接感謝を伝えるのは照れ臭い。しかし、表現することが前向きの一歩目だと思うので、本欄にて「ありがとう。いつも」と伝えたい。

視線入力事始め

 続塩日記を見返すと、去年の8月14日から視線入力を導入したことが見て取れる。その前日に業者が来て、視線入力システムのセットアップを終えて、使用上の手ほどきをした後、帰って行った。 それまで俺は四回視線入力に挑戦したが、ことごとく「視線の動きに反応して動くポインタが制御できない」という問題に直面した。不思議なことに妻が視線入力を試してみると、ことごとく成功して、「これならできそう」みたいな感想を述べるのだ。妻と俺の違いを分析してみると、「妻は裸眼で生活できるが、俺は何でもぼやける」「妻は目が大きいが、俺の目は糸屑のように細い」が挙げられる。その分析から「俺には視線入力の適性がない」と勝手に思い込んでいた。 しかし、一年の使用期間を経て、「視力や眼鏡の有無や目の造形は一切関係ない。瞳孔が動く限り、視線入力は誰でもできる」という結論に至った。現在でも上手く視線入力できている状態の時でも、吸引等で微妙に視線の位置がズレて制御不能になったりするのだ。導入段階でカリブレーションが上手くいっても実際は視線が合わないこともよく起こる。大事なことは使い続ける過程で視線入力システムの特性を把握して、制御しにくいと感じたら助けを呼んで視線の位置をリセットして設定することだ。 残存する筋肉、例えば、足や噛む力を用いてスイッチのみでパソコンを操作するALS患者を目にする。かつての俺もそれに拘泥していたが、そんな方々に「視線入力の方が百倍楽だし、人生が変わる」ということを声を大にして伝えたい。

戦没者の意志

特攻隊について考えた。自らが操縦する戦闘機を敵の軍艦や空母に体当たりさせて、あわよくば敵の船を戦闘不能にすることを目的としている。現代に生きる日本人の大半は「尊い命が無駄に浪費されるのは狂気の沙汰だ」と考えるのだろうが、それは戦後の日本の国体が守られ、経済発展に成功し、自由主義を謳歌し、民主主義が定着し、人権教育が徹底されたからこそ言えることであって、当時に同じことが言えるかは甚だ疑問だ。 当時の日本は「戦争に負けて支配される側に回ったら、それまで日本が支配して来た地域の民と同じ苦しみを味わうことになる」という恐怖に怯えていたはずだ。天皇制は廃止され、ひらがなはローマ字に変わり、英語が公用語に追加され、領土は連合国に分割統治され、日本民族同士で争うことになり、要職や資本家は外国人が占め、日本人は単純労働者として搾取され続ける。当時の日本人がそのような未来予想図を描いたとしても何ら不思議ではない。むしろ、鬼畜米英と教育されたのだから、女は凌辱され、男は去勢される世界線さえ想像していたのかもしれない。 とにかく、負けたら終わりという状況で、国民も政府も( 現在から見ると)正気を失っていたと想像する。自ら進んで特攻隊に志願した人もいるだろうし、同調圧力で仕方なく志願した人もいるだろう。いずれにせよ生命を賭して国を守ろうとした戦没者全員の意志が今日の平和に繋がっていると信じたい。 終戦記念日の今日、戦没者追悼式典をテレビで見ながらそんなことを考えた。

特別な客人

 昨晩は消化不良が祟って全く眠れなかった。座ってテレビを見ていたときは何ともなかったが、横になって初めて違和感が生じた。「胃の中に何か残っている。痛みや苦しさはないから眠れば治るだろう」と思っていたが、胃が気になって一向に眠気が来ない。時刻は午前2時、翌日に妻の父、妻の妹、妻の姪が泊りに来るので妻は掃除で忙しい。俺は妻を呼んで座らせてと頼んだ。座った状態で胃瘻を通じて胃の内容物を出して、梅ジュースを入れるも、違和感は解消せず、午前3時に妻の就寝に合わせて再び横になった。翌日の運転を控える妻を起こすわけにはいかない。ここからが長かった。眠気が来ないまま朝を迎え、今も目を開けているのが辛い状況だ。 義父は視線入力中で天井を向いている俺の顔を覗き込み、笑みと憐れみが入り交じった表情を浮かべ、俺からの反応がないのを確認すると別室に去って行った。俺は無視していたわけではなく、必死に視線を動かして、韓国語での音声入力を打ち込んでいた。義父の髪が一段と白くなり杖をついていたのが気になった。義父は心臓の持病を抱えていて、今日は釜山大学病院での定期検診の日だった。俺が健康だった頃は囲碁を打ち、焼酎のお供をしていたのに、時の流れとは残酷なものだ。 義理の妹が俺の左手を両手で握りお祈りしてくれた。今日だけでなく、電話越しに何度もお祈りしてくれた。俺はそのことを思い出し、万感の思いで目を閉じ、お祈りの内容を聴いていた。彼女は人生の危機と試練の時期を経て、立ち直って今を生きている。それ故に、人に優しい。俺も彼女にあやかって人に優しく、そして逆転を信じて生きようと思う。 姪っ子の声は聞こえるが、顔はまだ見れてない。妻がそのうち紹介してくれるだろう。ちなみに妻の妹は二人いて、その姪っ子の母は今日は来ていない。

グラスハートを批評してみた

 Netflix配信ドラマ「グラスハート」を批評してみた。四人組ロックバンドに関する話で、困難に直面してもライブをやれば全て解決というミュージカル形式なので、「脚本が粗い」とか「キャラ描写が不十分」とか「説得力に欠ける」という批判は意味がないのは百も承知だが、敢えて書き出してみる。 1)西条朱音は大学生で実家のカレー屋の配達や接客を手伝っている。ドラム奏者を目指しているが、それだけに振り切った生活をしているわけではなさそうだ。それなのに三年という期限を設けてオーディションに落ちたら夢を諦めると言う。ずいぶんと薄い下積みだなと呆れた。しかも、その日にロック界のアマデウスと称賛される藤谷直季の自宅に呼び出され、ドラマーとしてバンドに迎入れられる。西条朱音の「そうだったらいいのになあ」の世界がそこから始まる。終盤では片思いだった藤谷と結ばれるという絵に描いたようなシンデレラストーリーが展開される。産みの苦しみが伴わない脚本のせいで感情移入して応援する気持ちになれなかった。 2)西条が船の一室に閉じ込められる。外鍵をかけて船を出航させたのはバンドのマネージャーの甲斐だ。いくら西条を排除するためとは言え、テレビの生放送に穴を開けてバンドの信用を損なう行為とそれまでの甲斐の言動とが矛盾する。そのあと、ドラムセットを載せた別の船が接近して船上ライブの生放送が始まり、一件落着となる。「西条はスマホを携帯していなかったのか?」「藤谷たちはどうやって西条の居場所がわかったのか?」「聞き込み調査をすれば甲斐が犯人だと察しがつくのでは?」「西条が船から船へ飛び移るシーンを見たかった」などのモヤモヤが残ったが、ライブの勢いと斬新さを目の当たりにして、「そういう細かいことを考えたらこのドラマを楽しめない」と思うようになった。 3)藤谷の異母兄弟である真崎は暴漢にナイフで刺される。心配して駆け寄った女性ファンに真崎は「ライブに来いよ」と言って、その女性は血だらけの真崎を放置してライブに行ってしまう。「それはファンの行動原理と一致しないだろう。せめて救急車くらいは呼んでやれよ」と思ったが、病院の屋上中継ライブに圧倒され、そんな細かいことは忘れることにした。 4)敏腕プロデューサーである井鷺はお抱えの歌姫であるユキノを奴隷扱いしているが、コンプライアンス全盛のSNS時代の最先端を走る男の行動...

甥っ子の冒険

 甥っ子が婦人用自転車で九州一周旅行に挑戦している。福岡が出発地で時計回りに九州を南下し、二日前に延岡を通過したらしいので今は鹿児島辺りだろう。俺の弟からその話を聞いた時、大雨による土砂崩れ、猛暑による熱中症、などの心配が先に立ち、子を持つ親の立場から「そんな危ないことをするなんて!」と思うと同時に、「俺も若い頃は冒険心に駆られたことがあるなあ」と思った。 23歳の夏、福岡ローカル局の深夜番組でお笑い芸人が42.195kmのマラソンに挑む企画が放送された。それを見た俺は「一生に一度はフルマラソンに挑戦してみたい。やるなら体力がある今しかない」と感化され、その翌日に海の中道( 福岡市東部に位置する半島のように陸続きになった島までの通り道)を往復することにした。地図で確認したらその経路の道のりは42kmほどだった。 俺は原動機付自転車を海の中道の根元に停め、ヘルメットケースに財布を入れて、キーホルダーと千円札を短パンの紐で結びつけてポケットに収納して出発した。時刻は13時、気温は30度前後、海風が吹いているせいで走っていて快適に感じる湿度だった。最初の一時間は余裕だった。「このペースなら三時間半くらいで完走できるんじゃないか?」と思っていたら、陽向しかない道に出て、直射日光に晒されるようになると突然疲労を感じるようになった。それからは時間と共に疲労が蓄積していくような感覚だった。海の中道の往路は過ぎたが、問題は島の外周だ。「マラソン選手だって水分補給するだろう。おや、向こうに見えるのは自動販売機ではないか。キンキンに冷えたアクエリアスを飲めば新たなエネルギーが湧いてくるんじゃないかな」と思い、その考えを実行した。その瞬間、メロスのように走り出すという期待とは裏腹に、全身の力が抜け、その場に座り込んでしまった。「どうしよう。まだ半分も来ていない。とりあえずはバス停留所まで歩いてバスで帰るか」と思い、それを実行した。しかし、時刻表を見ると、次のバスが来るまで30分ほど待たなきゃいけないことがわかった。「せめて半分は走破してからリタイアしよう。ハーフマラソンを完走したと自慢できるではないか」と思い、再び走り始めた。ジョギングだったが、確実にゴールに近づいているという実感があった。水分補給の効果なのか、新たな気力も湧いてきた。そのうち、島の外周の半分を越え、博多湾越しの...

呼吸困難時の対処法

昨晩は体調が悪かった。夕食の直後に息苦しくなり、妻が「顔が真っ赤になって吸引を繰り返しても酸素飽和度が上がらない」というほど深刻な状況に陥った。当事者の俺は突然の出来事にパニックになり、的確な指示が出せない。幸運だったのは妻がすぐそばにいたことだった。過去の経験から呼吸困難に陥ったときの対処法を熟知しているのは妻に他ならない。この日も俺の体を横向きにして背中を叩いたり、加湿機能を作動させたり、水を飲ませるなどの、こびりついた痰を吸引しやすくする技を駆使して、正常な呼吸を回復させた。 就寝前にも水やポカリスエットを飲ませて再発防止策を講じてくれた。俺の体温は37度2分、平熱は36度5分だから、寒気を感じた。夏なのにバスタオルとシーツを重ねても寒気は収まらない。毛布をかけてもらうも、左の大胸筋が痙攣し始め、眠いのに眠れない状態のまま一時間が経過した。その間、妻は俺が暑いと言えば布団を減らし、俺が寒いと言えば布団を増やす作業に追われていた。体温は37度5分を記録し、意識も朦朧としてきて、そのまま眠りに落ちた。 目覚めたのはわずか一時間後で、尿意も感じたので、アヒルを鳴らして妻を起こし助けてもらった。そのときに妻は水を飲ませた。そうすると、また一時間後に尿意で目覚めることになる。あろうことか、その晩は合計四回妻を起こした。朝になって、妻に文字盤で「ごめん」と言うと、「病人にごめんと言わせたら、こっちが悪くなっちゃうじゃない。出勤するわけじゃないから大丈夫」と言われた。 またしても、妻のお世話になった。現在の体温は37度2分、寒気はないが、妻は心配している。早く体調を戻して妻の軽口を聞かないとな。

平和式典でのスピーチ

 長崎の平和式典をNHKによる生中継を視聴した。石破首相と県知事が挨拶したが、いかにもスピーチライターが作成した文章という感じで、当たり障りがなく多方面に配慮した無難な内容だった。二人とも時折視線を下ろして原稿を確認しながらのスピーチだった。 個人的な感想を言わせてもらえば、心に響くことはなかったし、せっかくの機会なのにもったいないと思った。この挨拶は日本全国に生中継されているし、その後のニュースでも取り上げられる。二人とも政治家なんだから、失言や批判を恐れて無難な内容に終始するのではなく自分の信念や主張を自分の言葉で常に聴衆を向いての演説をしてほしかった。 それで心を動かされた人が次の選挙での一票を投じてくれるかもしれないし、党勢の拡大に繋がるかもしれないし、後年、歴史に残る名演説として評価されるかもしれない。そんな絶好の機会を原稿読みで終わらせたのはつくづくもったいないと思う。 もちろん、日米貿易交渉や自身の身体問題や直近の災害対応や農政の見直しなどで多忙の極みだったし、広島と長崎で言うことが違うのも問題だし、歴代首相の前例に倣っただけかもしれないし、たくさんの言い訳があったのだろう。しかし、人気は政治家にとって不可欠な要素なのだろうから手を抜かない方がいいと思う。 追伸)note に投稿したが、読まれている気配が皆無だ。Netflix 配信のドラマ「ちはやふる、めぐり」と「グラスハート」を視聴している。前者は正統派学園ドラマという感じで安心して見れる。第三回まで見たが、登場人物の今後の成長が楽しみだ。後者は作品の制作に関わった主演の佐藤健のナルシストぶりが鼻につくが、歌やピアノを弾く演技を見ると「もしかして、この人は才能に恵まれた俳優なのでは?」という思いが湧いてきて、最後まで見ることを決めた。

技術と資本の融合

 プロジェクションマッピングとは建物や壁面などに複数の投影機から発せられる個々の映像を滑らかになるように貼り合わせる技術だ。7年前に釜山の科学技術館での展示で体験したことがある。そのときは「子供騙しの域は逃れられないが可能性は感じる」という感想を抱いた。 アブダビとはアラブ首長国連邦の首都で、元は海岸沿いの砂漠だったがオイルマネーの後押しで開発が進み現在では世界有数の観光地に発展した。日本の金持ちがアブダビやドバイに行った話をメディアを通して聞いてはいたが、「どうせ成金趣味の人工都市だろう」という偏見を抱いていた。 今朝、NHKプレミアムで放送された「未来と今をつなぐ美術館~アブダビ国家プロジェクションに挑むチームラボ~」という番組では最先端のプロジェクションマッピング技術がアブダビの資本と結びついて新たな美術作品が創造される様子を克明に描いていた。90分の長尺だったが、アブダビの美しく斬新な建造物に彩られた街並みと画面越しでも伝わってくるプロジェクションマッピングの映像美に魅了され、退屈することなく画面を食い入るように見つめて視聴を終えた。 具体的には、多くの柱が据えられた空間に神経を模したような無数の触手が柱を覆っていく映像や水を張った床に銀色のだるま状の風船が無数に浮かんでいて天井からの光が乱反射して幻想的な光景を演出する部屋や無数の光源たちから発せられるレーザーが重なり合い太陽のような円形を作りそれが楕円に変わり再び円に戻る様子を寝そべって鑑賞する部屋が紹介された。別室での小空間で発生させた雲や泡などのライブ映像を投影することもできるし、絵画や彫刻などの古典的美術とは一線を画す新たな美術の可能性を示唆する技術だと思った。これらの展示に子供は興奮してはしゃいでいたし、大人はスマホをかざし撮影していた。技術と資本の融合、成金趣味とは笑えない圧倒的な美の世界が生まれる過程を垣間見た気がした。

被爆者の活動は無意味?

 今日は8月6日、広島に原爆が落とされた日だ。何でこんなに残酷なことができるんだろうか?しかも、その三日後には長崎に二発目が落とされた。しかし、そういうことは言ってはいけないことになっている。「過ちは繰り返しませぬから」と書いてある石碑や「原爆が落ちた」という表現の多用に見られるように、まるで、日本が犯した戦争犯罪や真珠湾での奇襲に対する報いのような位置付けで語られる。 被爆者の活動はある意味で無意味だ。如何に核兵器の廃絶を唱えても核保有国の数は増える一方だし、そんな国の指導者は核兵器廃絶の声に耳を貸そうとしない。それでも80年に渡って「No more Hiroshima No more Nagasaki」が実現できた意義はとてつもなく大きいと思う。それは被爆者の方々の核兵器の残酷さを訴える声に世界が共鳴して為政者に心理的ブレーキが働いたからに他ならない。そういう意味では彼ら彼女らの世界平和への貢献を忘れてはいけないと思う。 追伸)夢の内容は忘れてしまうことが大半だが、昨晩の夢は鮮明に覚えている。高校の友人の運転する車の後部座席に座っていたら、その友人が忽然と消え去り自動運転のようにハンドルが透明人間に操作されている状態になった。俺は運転席に移動してブレーキを踏もうとするが体が動かない。何度も危機を迎え、そのたびごとに死をしたが、奇跡的に助かり、最後は上りの階段に乗り上げた。はずみでドアが開いて脱出した場所は見知らぬ高校で、歩いて逃げて、放課後になり、その友人が現れたところで夢が覚めた。

note に投稿してみた

今年の元日に「一日の平均閲覧数を十倍に増やす」という目標を立てた。しかし、その期待も虚しく、8月になっても増えるどころかむしろ微減している現状だ。あんまり閲覧数を気にすると、筆が進まなくなるものだ。そう考えて気楽に駄文を公開していた。その一方で、閲覧数が240に跳ね上がったりすると、励みになって創作意欲が湧くことも事実だ。この辺りの心理は「好きなだけでは数学の研究は続けられない。必要とされていることが必要」という葛藤に似ているかもしれない。 その相反する思考を折衷する方法を思いついた。それを開陳する前に現在使用しているブログについて言及する。無料ということとグーグルが提供しているサービスという理由で深く考えずに旧ホームページのミラーブログとして見切り発車した経緯がある。使い勝手の良さはあるのだが、個々のブログで完結していて外への広がりに欠けるという欠点に最近気付いた。現在、隆盛を誇っている投稿サイトはブログ群を統合して不特定多数の読者の目にとまりやすい工夫がされているものばかりだ。その中の一つが「note」という投稿サイトだ。その折衷案は「今まで通り本ホームページ上で記事を書く。note に選りすぐりの記事を投稿する」という方法だ。 第一弾として、2025年1月11日に投稿した「まだ六割残っている!!」のタイトルを「ALS患者からALS患者へのエール」に変えて、扉絵を長女が描いた絵の一部にして、note に投稿した。評判を見ながら第二弾を投稿するか決めようと思っている。 追伸)次男と三男が大村滞在を終えて帰ってきた。三男は「一番美味しかった食べ物は回転寿司」と言っていた。

モデル歩き

 妻が「12時からお客さんが来る」と言って家の掃除を始めた。てっきり、訪問看護の方と思い、「今回は胃瘻の交換だからパソコンを繋がない方がいい」という理由でテレビを見ていたが、12時に現れたのは看護師ではなくPJR博士だった。「夕方に来ると聞いていたのに変更になったみたいだな。それで忙しそうにしてたのか」と思っていたら、頼みの綱である妻は買い物に行ってしまった。長女も家にいたのだが、あいさつが終わると自分の部屋に戻って勉強を始めた様子だ。PJR博士はGISTに講義専門講師としての採用が決まったばかりで、そのことを直接伝えるために大邸からわざわざ来てくれた。俺はまばたきを繰り返して相槌を打つだけだった。一年前はそれが当たり前だったが、視線入力を手にした今の俺にはその状況が非常にもどかしく感じられた。その15分後にKGY博士とCHIさんがやって来た。「テレビもつけっぱなしだし、エアコンもついてないし、歯ぎしりしても誰も反応してくれない。嗚呼、こんな時に妻がいたら」と思っていると妻が帰って来た。早速、パソコンを繋いでもらい、「これでまがいなりにも会話ができる」と思っていた矢先、看護師さんがやって来た。 胃瘻とカニューレの交換の後、昼食会が始まった。俺は寝室でネットサーフィン、妻と長女は三人の客人と共に牛肉鍋と弾んだ会話を楽しんでいる様子だ。盛り上がっている雰囲気を邪魔したくないと思い、放置しているのだが、そうすると客人たちが「そろそろ帰る時間だ」と言い出して本当に帰ってしまうというのが我が家で何回も繰り返されてきた黄金パターンだ。今回もその例に漏れず、俺との会話もそぞろに三人とも帰ってしまった。 KGY博士とCHIさんについては以下で触れているので今回はPJR博士についてのみ言及する。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/blog-post_10.html 済州島から釜山に引っ越してきた彼女はヒップホップ系の出で立ちで外股で闊歩することでボーイッシュな雰囲気を醸し出していた。彼女が俺を指導教官として選んだその日から彼女にとってのセミナー地獄が始まった。俺には学生に研究職を紹介できるような力はない。研究者を目指そうとする学生にはそれ相応の覚悟が求められる。俺が出来るのは学位を出すことだけで、残りは自らの運と才能と努力に委...

国際報道

 NHKの国際報道2025を視聴した。この番組は日本時間の22時から衛星第一テレビで放送される国際情勢のみを扱っている。ここ韓国では海外用に編成されたチャンネルであるNHKプレミアムを通して23時50分から視聴できる。二年前は妻と三男が熟睡していたので、月曜から金曜までは同番組を視聴してから長男か次男に頼んで寝る体勢を整えてもらって眠るのが日課だった。しかし、いつ頃からか三男が夜中に起きるようになり、夜中のテレビ視聴を控えるようになった。今週は三兄弟は大村に滞在しているので、大手を振ってテレビを見ているというわけだ。 改めて思うことは国際報道2025は極めて良質なニュースと解説を提供してくれる番組だと言うことだ。しかも、天気予報やスポーツニュースがない分、個々の国際的イッシューを深堀できるという長所もある。でも視聴率は低いだろうな。昨日の特集は「東南アジアの国々で戦争がどのように語り継がれているか」という主題で色々と考えさせられる内容だった。リージョンコードのために日本以外の地域では閲覧できないが、国際報道2025のホームページを以下に貼っておく。 https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/ ベトナムでは日本軍が米を安価で供出させたことが原因で餓死者が数十万人出た。インドネシアの博物館では「戦時中のプロパガンダ」という展示があって、スカルノ大統領が「天皇陛下、万歳」と叫ぶ映像も閲覧できる。シンガポールでは戦時中に一部の中国系の住民が日本軍によって殺害された。解説の藤原帰一教授のコメントは深みがあって、共感する部分も多かった。 これらの報道を目の当たりにして、「毎年、この季節になると広島、長崎、沖縄、空襲、特攻隊などの被害に焦点が当てられるが、加害の歴史も同じ分量で紹介されるべきではなかろうか」という考えに至った。それは自虐史観ではなく、歴史を多面的に捉え、客観的資料に基づいた事実を直視することこそ学問的思考であり態度だと思うからだ。