格闘遍歴番外編 3)

 向き合った瞬間、池田先輩の目つきが変わった。あれはまさしく「百獣の王であるライオンはウサギを狩る時でも全力を尽くす」眼光だった。池田先輩は歴代九大芦原空手部員最強の呼び声が高い猛者だ。俺はスーパーセーフと呼ばれる防具を顔に装着している。そのために俺の恐怖に怯え切った表情はその場にいる誰も気づかれなかったはずだ。どうしてこんなことになってしまったのか?

1999年11月某日、俺が無職を脱し韓国に赴く直前だった。俺は最後の挨拶を兼ねて貝塚体育館の練習に参加していた。そのあと、簡単な壮行会が催されると聞いていた。引越しの準備で忙しかった俺にはおよそ一ヶ月ぶりの練習だった。「練習は軽く流して壮行会で全力投球」と思っていた俺を待っていたのは部員全員との1分組手だった。そうは言っても、主将の寺島、2年の岩川、1年の部員4名、社会人で顧問格の池田先輩がその日の練習参加者だった。つまり、7分だけ戦えば宴会に突入できるのだ。しかも1年の4人は組手で圧倒できる実力差があった。俺は「池田先輩さえ乗り切ればなんとかなる」と思い、年長順に7人組手を行うことを提案した。それがそもそもの間違いだった。ヘロヘロになってから池田先輩と当たったら多少の手加減が期待できたのに、俺はわざわざフルパワーの池田先輩を召喚してしまったのだ。スーパーセーフを装着するということは顔面パンチ有りを意味する。掴み有りの芦原空手に加え、部の夏合宿では寝技の練習も取り入れていた。すなわち、限りなく総合格闘技に近いルールで体格と敏捷性で俺をはるかに凌駕する相手と対峙することになったわけだ。

俺は「顔面を殴打される展開は絶対に避けなければならない。なんとか接近戦に持ち込んで袖を掴んで、あわよくば寝技に引き込んで膠着させよう」という作戦を立てた。それは途中までその通りに推移した。双方の袖を掴み合った時に池田先輩の膝蹴りが飛んできた。それをかわそうとして体勢が崩れたところにのしかかられて、仰向けに押しつぶさた。両足を相手の胴体に巻き付けるも圧倒的な体格差故に相手をコントロールできず、拳骨をコツコツとスーパーセーフの上から当てられる。喧嘩であれば鼻骨と前歯が折られていたところだ。その恐怖に耐えられなくなり、自ら足の絡みを解き、三角締めを狙おうとするも、あっさりかわされ、完全に制圧された状態でタコ殴りにされた。身体的なダメージはなかったが、極度の緊張と恐怖が動悸を速め、戦闘意欲を喪失させた。

一分間の休憩の後、寺島との組手が始まった。抜け殻だった俺は虚勢を張って高い位置への蹴りを放つもことごとく防御され反撃を食らった。虚勢の代償は深刻なスタミナ切れだった。その上、スーパーセーフは呼吸がしにくい。俺は休憩時間の一分間で「次の相手は岩川、奴はキックボクシングの地方大会で優勝するほどの実力の持ち主で、池田先輩と切磋琢磨して強くなろうとする伸び盛りだ。顔面パンチ有りのルールでは身が持たない。ここは呼吸苦を理由にスーパーセーフを外し、極真ルールで挑むのが得策だ」と考え、その通りに事が運んだ。しかし、裏目に作用する。「先輩に対して手加減したら失礼になる」とでも思ってそうな岩川は重くて硬い拳を俺の体に打ち込んできた。俺が壁際まで後退しても彼は一方的に攻撃し続けた。虚勢を張らなかった代償は体のあちこちに残る青アザだった。その様子は池田先輩の奥様の目にも刻まれた。俺には奥様の悲鳴が確かに聞こえた。4人の一年生部員も「溺れた犬は棒で叩け」を実践するかのように容赦のない攻撃を続けた。虫の息の俺は防戦一方でエビのように体を曲げて彼らの攻撃を受けていた。

7人組手が終わると拍手で迎えられた。皆の拳が俺の体に刻まれた。心身ともに傷ついたために壮行会中も魂が抜けたような気分だった。そんな世界で生きていたんだなと思う今日この頃だ。

コメント

  1. スーパーセーフは懐かしいですね。僕らの時代は専らオープンフィンガーグローブ(表面が硬いヤツ)を使ってました。
    向きあった瞬間の目付きは確かに怖かったですね。その場にS先輩がいなかったことは、幸いでした。
    ブログ楽しみにしてます!

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