戦没者の意志

特攻隊について考えた。自らが操縦する戦闘機を敵の軍艦や空母に体当たりさせて、あわよくば敵の船を戦闘不能にすることを目的としている。現代に生きる日本人の大半は「尊い命が無駄に浪費されるのは狂気の沙汰だ」と考えるのだろうが、それは戦後の日本の国体が守られ、経済発展に成功し、自由主義を謳歌し、民主主義が定着し、人権教育が徹底されたからこそ言えることであって、当時に同じことが言えるかは甚だ疑問だ。

当時の日本は「戦争に負けて支配される側に回ったら、それまで日本が支配して来た地域の民と同じ苦しみを味わうことになる」という恐怖に怯えていたはずだ。天皇制は廃止され、ひらがなはローマ字に変わり、英語が公用語に追加され、領土は連合国に分割統治され、日本民族同士で争うことになり、要職や資本家は外国人が占め、日本人は単純労働者として搾取され続ける。当時の日本人がそのような未来予想図を描いたとしても何ら不思議ではない。むしろ、鬼畜米英と教育されたのだから、女は凌辱され、男は去勢される世界線さえ想像していたのかもしれない。

とにかく、負けたら終わりという状況で、国民も政府も( 現在から見ると)正気を失っていたと想像する。自ら進んで特攻隊に志願した人もいるだろうし、同調圧力で仕方なく志願した人もいるだろう。いずれにせよ生命を賭して国を守ろうとした戦没者全員の意志が今日の平和に繋がっていると信じたい。

終戦記念日の今日、戦没者追悼式典をテレビで見ながらそんなことを考えた。

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